「ふわあ〜ぁ……」

背伸びをしつつ、大きなあくびを一つかまして、私は玄関の敷居を跨いだ。
午前七時。今日も健康的な朝を迎える。朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、私は洗面所の方向に歩き出した。

竹やぶに覆われた永遠亭の景色は、かすかな霞に覆われて、どことなく神秘的な雰囲気を醸し出している。
ここに来て何十年と経ったが、私は未だにこの朝の風景を見るのが好きだった。
洗面所に行くには、いちいち玄関まで出る必要はないのだが、この風景を見る目的のために、私は毎朝玄関に赴く。
習慣のようなものだ。朝の歯磨きと同じように、ここで深呼吸をしてから洗面所を目指す。
ただ単に、この風景が好きなのだというのもあるけれど、ここの空気を吸うと今日も一日頑張るぞ、という気分になれるのだ。

永遠亭の敷地は広大だ。
一回りするのにも、ちょっとした散歩コースになる。
洗面所もその途中にあるから、私はいつもそのコースに沿って散歩をする。
これもいつもの日課だった。

「ん……」

玄関を出て数分も経たないうちに、私は見知った姿を見つけた。
あの黒い癖髪は遠目からでもよく目に付く。
私はそちらの方に足を向けた。

「おはよう、てゐ。精が出るわね」

そう声をかけると、しゃがんで何かやっていたてゐが顔を向ける。

「あ、鈴仙、おはよ。今日もいい天気だね」

にこやかに笑顔を向けるてゐはご機嫌のようだ。この娘は機嫌がはっきりと顔に出るから分かりやすくていい。
てゐは顔を元に戻すと、持っていた袋の中に手を突っ込んで、その中から地面に向かって、もみ殻を放った。

「ほーら、たくさん食べな。今日も一日頑張ってもらうんだからね」

そのもみ殻が撒かれた先にいるのは、鳩だった。
十数羽ほどの鳩は、地面に撒かれたもみ殻を一心不乱についばんでいる。
その姿を、私はしばらくの間見つめた。

「今日は、てゐが当番だっけ。この子たちの世話」
「うん、そうよ。そろそろ朝の出勤の時間だからね。たくさん食べてもらわないと」

そう言うと、てゐはもみ殻の袋を丸めて、そばにあった木製の小屋の中に放り込んだ。
地面に撒かれたもみ殻は、もうほとんど鳩に食べつくされている。

「よいしょ、っと」

それを確認すると、てゐは一羽の鳩を両手で抱え込んだ。
鳩は暴れることもなく、大人しくてゐのすることに従っている。

「よーし、じゃあ、腹ごしらえも済んだことだし。そろそろ行こうか」

てゐは空を見上げた。
青く澄み渡った秋空の向こう。そちらを見据えるように。

「それっ」

てゐは、手に持っていた鳩を空に投げ放った。
一羽の鳩は、放たれた瞬間に翼を大きく広げ、ぐんぐん高度を上げていく。
そして、その鳩の飛翔に触発されたように、地面にいた鳩たちも一斉に羽を広げた。
羽の風切り音が私の耳を貫いていく。鳩たちは、てゐの投げ放った鳩を追うように空に舞い上がった。

「……」

鳩の姿は瞬く間に小さくなり、空のキャンバスにいくつもの鳥のシルエットが映りこんだ。
私とてゐは、その様子をしばらくの間見つめ続けていた。







伝書鳩、というものがある。
鳩に手紙を持たせ、それを投げ放って、遠くの相手に手紙を届ける、という鳩に信頼を置いた通信手段だ。
もともと、鳩には物凄く強い帰巣本能があって、何万キロも離れた場所から自分の巣に帰ってこられるという。
それを利用した通信手段だ。

伝書鳩は、元々外の世界で発達していた通信手段だった。
しかし、それがもう過去のもの、幻想のものとなったらしく、幻想郷に伝書鳩という文化が流れ込んできた。
だが、幻想郷でも伝書鳩自体はメジャーなものではなく、一部の愛好家が趣味程度に楽しむものだった。
それに目をつけたのが、てゐだった。

どこで伝書鳩のことを知ったのか知らないが、てゐはこの通信手段を郵便手段として使えないかと考えた。
それが、今から三ヶ月前のこと。夏の気配がそろそろ近付いてきた初夏の頃だった。
その三ヶ月の間、てゐは試行錯誤を繰り返して郵便配達に鳩を使うビジネスを始めたのだが、その前に幻想郷の郵便事情について話すべきだろう。

幻想郷には、大小合わせて十程度の里や村がある。
その間で交易は行われており、当然、郵便も使われていた。
しかし、里や村の間を移動する間、常に妖怪たちに狙われる危険性がある。
だから、郵便業者が吹っかける郵便価格はかなり吊り上げられ、年賀状とか重要な用件とか、そういったものだけを伝える手段に成り下がっていた。幻想郷では、郵便は高価なものだったのだ。

てゐは、その郵便を安価に、しかも安全に解決する手段に伝書鳩を使った。
それぞれの里や村の郵便業者を集め、鳩を使った郵便手段としてプレゼンを行った。
それは次のようなものだった。

各里や村の郵便ポストに投函された郵便を郵便業者が集荷し、それを伝書鳩を使って永遠亭に飛ばす。
永遠亭を中継基地とし、はがきなどが永遠亭に集荷され、そこで仕分け作業が行われる。
仕分けされた郵便は、各里や村に向けて鳩が飛ばされ、郵便業者のところに届く。
そして郵便業者は、鳩によって届けられた郵便を、自分の住んでいる里や村の人々に届けるという寸法だ。

この郵便方法には、四つのメリットがある。
一つは、郵便業者が他の里や村に郵便を届ける必要がなくなるということ。妖怪に襲われ、命を落す危険がなくなるということだ。
次に、郵便料金が非常に安価になること。妖怪に襲われる保険として料金が吊りあがっていたのだから、その心配がなくなれば、当然、料金も安くなる。結果、郵便を使う人間にメリットのあるものとなる。
また、各里や村に届けられた郵便を、自分の地区内にのみ届けるだけだから、郵便業者の負担は非常に軽くなる。
さらに、遠く離れた遠隔地に届けるのも、鳩を使えば時間の短縮になる。三日かかった道程を一日に短縮できたのだ。

しかし、問題がなかったわけではない。
それは、伝書鳩の信頼性。
伝書鳩は、郵便物を運んでいる最中に鷹や鳶などの大型鳥に襲われる可能性が非常に高い。
それに、鳩の筋力は思ったほど強くない。あまりにも大量の郵便物は運べない。
そして、鳩が認識する巣は一つだけだから、一方通行にしか手紙を届けられないのではないか。その三つが問題だった。

それらを解決したのが、私の師匠である八意永琳だった。
師匠は、その自慢の秘薬の数々を使い、鳩の筋力を増強する薬を開発した。
その結果、はがきや封筒くらいなら二十枚は軽く持てるくらいにまで鳩は強化された。
また、鳩に対大型鳥用の防御結界を施し、大型鳥が近寄ってきても撃退できるようにした。
最後に、鳩の帰巣本能を二つに分ける実験に成功し、二つの目的地を行ったり来たり出来るようにもした。
師匠は、この作業をたった一週間で成し遂げてしまった。さすがに、私のお師匠様である。

というわけで、この鳩を使った郵便伝達手段の成功率は、実験の結果、99.7%という凄まじい高確率を弾き出し、難色を呈していた郵便業者を黙らせた。
そして、本格的にビジネスが立ち上げられ、伝書鳩郵便事業が始まった。
一ヶ月をかけて幻想郷中の住居が調べ上げられ、住所を指定された。
それを鴉天狗の新聞記者に協力を依頼し、住所を印刷した冊子が各住居に届けられた。
これで、全てが整ったというわけだ。

このてゐたちの伝書鳩郵便事業は、鴉天狗の新聞に大きく取り上げられ、幻想郷はちょっとした郵便ブームに包まれた。
今まで返事が返ってくるまで一週間以上かかった郵便が、たった数日で返ってくるところにも魅力を感じたようだった。
八、九月には暑中見舞い、残暑見舞いが例年の三倍に膨れ上がり、郵便業者は嬉しい悲鳴をあげた。

そして、現在にいたる。
永遠亭では、座敷の一角が郵便の仕分け室として使われるようになり、毎日兎たちが当番を決めて仕分け作業を行っている。
今や、郵便事業は永遠亭の収入源として、重要なポジションになっているのだ。







朝餉を食べた後、私は自室に引き返すため、廊下を歩いていた。
今日は師匠が徹夜の疲れで寝込んでいるため、朝の調剤の講義はなくなった。なので、午前中は自由に使えることになっている。
とはいえ、やることはそれほど多くない。久しぶりに部屋の整理でもしておこうか。
そう考えながら、ある座敷の一角に差し掛かったところだった。

ここは、郵便の仕分けをしている部屋である。
普段通りならば、朝に郵便の回収に向かった鳩が戻ってきて、兎たちがここで仕分けをしているはずだ。

「……」

なんとなく、やることもなかったので、私はその部屋の襖を開けた。
始めに目に付いたのは、畳の中心に乱雑に積まれた大量の郵便物。
十二畳の広間には、ここ最近でなじみとなった、郵便の仕分け作業をしている兎たちが何羽かいた。

「あら、イナバじゃない」
「え?」

私のことを、イナバ、と呼ぶ人は一人しかいない。
そちらに顔を向けると、頭に長い耳の生えていない黒髪の方がいた。

「ひ、姫? ど、どうしたんですか、こんなところで」

我が永遠亭の主、蓬莱山輝夜さまが部屋の隅っこで何かやっていたのだ。
あまりにも珍しいところにいらっしゃったので、私は思わず目を丸くした。

「見て分かるでしょ? 郵便の仕分けよ。私も手伝わせてもらってるのよ」

こともなげに言う。にこにこと笑う輝夜さまは楽しそうだ。

「そ、そんなこと姫自らなさらなくても……私たち兎がやりますから、お体を休めてください。まだ、朝餉を召し上がったばかりでしょう?」
「大丈夫よ。腹ごなしにちょうどいいわ。それに好き好んでやっているんだから、やらせてくれないかしら?」

輝夜さまが郵便物にまみれて仕事をしている姿はなんとも違和感のある光景だったが、主がやりたいと言っているのだから、考慮する必要がある。それに、労働をするのに悪いことなんてないはずだ。

「はあ、それならいいのですが。あまりご無理をなさらないでくださいね」
「ありがとう。さ、イナバもやるわよ」
「へ? 何をですか?」

きょとんとすると、輝夜さまがむっとした。

「何って、郵便の仕分けよ。ここに来たってことは、手伝ってくれるんでしょ? たくさんあるんだから、人手はあったほうがいいわ。労働に勤しむ私たちを無視して行こうとしてたの?」
「むう」

輝夜さまにそう言われると無碍にも出来ない。それに何もやることなどなかったのだから、手伝うのはやぶさかではない。

「分かりましたよ。それじゃ、失礼して」

私は輝夜さまの隣に座り、仕分け作業を手伝い始めた。
要領は、当番が月二くらいで回ってくるので分かっている。郵便の山に手を突っ込んで、一枚一枚分別し始めた。

「姫はこの作業を始めてどのくらいになるんですか?」

淡々とやるのも暇だったので、隣の輝夜さまに話しかけた。

「え? そうねえ、一月くらい前からかしら」
「え、けっこう、前からやられてたんですね。ぜんぜん気付きませんでした」
「気まぐれで手伝ってるからね。ちょうど、あなたが当番の時はいなかったのかもよ」

輝夜さまは手馴れた様子で封筒を仕分けている。私なんかより、よっぽどてきぱきと作業をしているようだ。

「それにしても、こんなにたくさんの手紙が毎日届くのよね。幻想郷の人たちは、よっぽど手紙が好きなのね」
「いえ、これほどたくさんの手紙が届くようになったのは、てゐが伝書鳩を使い始めてかららしいですよ。それまでは、この量の半分もなかったみたいです」
「ふうん。安く手紙が出せるようになって、手紙の楽しみを見出したのかもしれないわね」
「手紙の楽しみ、ですか?」

手紙というものは、遠く離れた相手に対して行う伝達手段だ。それ以上でも以下でもない。
私はそういう考えでいたから、輝夜さまの言う手紙の楽しみというものが分からなかった。

「そうよ。例えばそれは想い慕った人に対する恋文だったり、子が親に宛てた息災の手紙だったり、その逆も然り。友人同士がその繋がりを確かめるための手段でもあるわね。手紙というものは、人と人との繋がりを確認するための手段でもあるのよ」
「はあ、なるほど」
「普段は面と向かって言えないことでも、手紙を綴ることでなら想いを伝えられる。そこには、とても愛情の溢れたやり取りがあるわ。だから、私は手紙が好きよ。私が今している仕事も、その想いを伝える手助けになっていると考えれば、とても楽しいわ」
「……」

手紙は想いを伝える手段か。確かにそうなのかもしれない。
いま目の前にある手紙の山も、これだけの想いの欠片がここに集っているのだ。
それを一つ一つ届けて回り、人々に大事なものを確かめさせてあげる。それはとても素晴らしいことに違いなかった。

「姫のその考えはとても素敵ですね。手紙に対する認識を改めさせられました」
「それは良かったわ。さ、早く仕事を済ませましょう。手紙が届くのを今か今かと待っている人がいるからね」

私たちは、再び仕分けの作業に移った。
輝夜さまの話を聞いたからか、その後の作業はなんとなく楽しいものに思えてきたから不思議だった。



三十分ほどかけて、ほとんどの郵便物が分別された。
これなら、後は私が手伝わなくても他の兎たちで十分だろう。
一息つき、私は輝夜さまに声をかけた。

「それじゃ、姫。私は戻ります。部屋の片付けをしようと思っておりますので」

そう言って立ち上がると、私は輝夜さまが一枚の便箋に目を落としているのに気がついた。

「?」

私の言葉など耳に入っていない様子だったから、私は不思議に思って声をかけた。

「姫? どうされました?」
「……え? ああ、ごめんなさいね。ちょっと聞いてなかったわ」

いつもの柔らかな微笑を浮かべて謝る輝夜さま。

「その手紙がどうかしましたか?」
「ええ、ちょっと面白くてね。色々と想像してたら夢中になっちゃって」

そう言うと、輝夜さまはその手紙の表を私に見せてくれた。

「え……これは……」

その宛先を見たとき、私の頭は一瞬空白になった。

「ね? 面白いでしょ。この差出主は、一体何を望んだのかしらね」

そこに書かれていた宛先は、本当に突拍子もないものだった。

『宛先:天国』

朱色の墨で表面いっぱいに書かれたその文字は、おそらく子供が書いたものなのだろう。文字の端々に拙さを感じさせた。

「……いたずらでしょうか。いずれにせよ、これは届けようがありませんね」

天国に届けるなど、いかにすればいいのか。三途の船頭にでも渡せば届けてくれるのだろうか。

「でも、イナバ。この裏面にはきちんと差し出し主の名前があるわ。いたずらで自分の名前を晒すような真似をするかしら」

輝夜さまは、封筒の裏面を見せてくれる。確かに、そこには名前があった。
私たちを困らせるだけならば、名前は伏せるはずだ。それがあるということは、この差出主は、明確に天国に向けてこの手紙を書いた、ということになる。

「むう……どうしましょうか。このまま宛先不明で差出人に返すのが常套でしょうね。でも、住所がないですし……廃棄してしまっても問題ないでしょうか」

私がそう言うと、輝夜さまは、ぽん、と手を打った。

「よし、決めたわ」

そして、私の顔を見上げる。

「この差出主を捜しましょう。事の真相を確かめてみるのよ」
「え……?」

突拍子もない提案に、私は怪訝な声をあげた。

「そ、その手紙の差し出し主を捜すんですか?」
「ええ、そうよ。そして、この手紙を返して、なぜこの手紙を出したのか聞いてみるのよ」

輝夜さまはやる気満々のようだ。この状態の輝夜さまは簡単には翻意しないことを知っている。

「で、ですが、差し出し主の住所もないですし、どこから出されたのか分からないのでは?」
「ふふ、甘いわね、イナバ。どこから出されたのかは見当がつくわ」
「え?」

意外な言葉を聞いた。輝夜さまには、この手紙がどこから出されたか分かるのだろうか。

「この手紙は、消印から見て、東の里の鳩が持ってきたものよ。だから、その里の誰かが出したということ。それだけで条件は絞れるでしょ?」
「は、はあ……ですが、それでも人間は大勢いると思いますが……」
「それに、この手紙を書いたのは子供ね。この宛名の文字を見れば分かるわ。まだ幼い、文字を覚えたてくらいの子ね。この里に住んでいる子供たちから情報を集めれば、おそらく差し出し主は分かるわよ」

確かに、差し出し主が東の里に住んでいる子供、という条件ならかなり絞れてくる。
もしかしたら、案外簡単に見つかるかもしれない。

「じゃあ、これからこの差出主を探しに行きましょう。イナバ、今日は暇よね?」
「へ? まあ、暇といえば暇ですが……」
「じゃあ、今日は私に付き合って。永琳にも今日一日イナバを借りるって言っておくわ。そうすれば、気兼ねなく捜せるでしょ?」

輝夜さまは話をどんどん進めていく。
まあ、私としても明確に断る理由がないのだから、おとなしく主の意向に沿うのが良いだろう。

「……分かりました、お付き合いします」
「うん、そうと決まったら、早速外出の準備ね。三十分後に玄関に集合よ。遅れないように」

ぴっ、と人差し指を立てて注意する輝夜さまは、本当に楽しそうだった。







玄関に突っ立って、ぼーっと空を眺める。
夏も過ぎ、秋の気配が色濃くなってきたと肌で感じる。
良い天気だ。わずかに見える空には雲の欠片も見当たらない。
竹やぶに覆われた永遠亭にも、そろそろ日光が当たってくるだろう。

まあ、そんなこんなで輝夜さまと人間の里に赴くことになった。
妖怪が紛れ込んでいると人間に知れると色々厄介なので、私は深めの帽子をかぶっている。
里に薬を売りに行く時はいつもこのスタイルだ。頭に何か載せて歩くのはあまり好きではないのだが。

「おまたせー」

そんな声が背後から聞こえ、玄関の戸が開けられた。

「あ、姫。その格好は……」

振り向くと、いつもとは明らかに違った様子の輝夜さまがいた。
黒く薄絹のように長い髪は頭の後ろでまとめられ、服の上下は動きやすそうな軽装だ。
茶色のカーディガンに白のワンピース。
いつもの和服とは違い、とても新鮮な印象を与えられた。

「ふふ、似合う? 外の世界の外出着だそうよ。いままで着る機会がなかったから嬉しいわ」

スカートの裾をつまんで私に新しい服をお見せになる輝夜さま。
その服は、本来なら庶民が着る服なのであろう。
だが、輝夜さまが着ると、その服が輝夜さまの新しい魅力を引き出すかのようで不思議だった。

「ええ、よくお似合いですよ。そんなの、どこで手に入れたんです?」
「永琳が香霖堂の店主から買ってきたらしいわ。ようやくお披露目ね」

すらりとした細身の身体には、薄布の服が良く似合うのだろう。
私は、しばらくの間、輝夜さまの服に見入っていた。

「さ、早速行きましょうか。? どうしたの、イナバ」
「あ、いえ、そうですね。人捜しは時間がかかるでしょうし。早く行きましょう」

私は輝夜さまを先導するように先に宙を舞った。
その後に後れてついてくる輝夜さま。
なぜだか知らないが、こそばゆい感じがした。



東の里には、永遠亭から三十分ほど飛んだ末に着いた。
そこそこに商店が立ち並び、それなりの賑わいを見せている、人間の里の中では大きな部類に入る里だ。
私たちは、里の門の前に降り立った。貨物を運びだす荷車や、荷物を背負った人たちが門から吐き出されては吸い込まれている。

「さて、どうしますか? まずはどこを捜しましょう」

きょろきょろと物珍しそうに辺りを見回していた輝夜さまに、私は声をかけた。

「え? あ、そうね……とりあえず、子供たちが集りそうな広場はあるかしら。そこで聞き込みをしてみましょう。あわよくば、手紙の差し出し主がいるかもしれないわ」

まあ、妥当な線だ。反論する理由はない。

「分かりました、こちらにおいでください。人が多いですから、はぐれないように」
「いやね、大丈夫よ」

軽い冗談を交わしながら、私たちは里の門をくぐった。
私はこの里には行商で来ているので、多少の土地勘はある。子供が集りそうな広場といえば、一つばかり思い浮かんだ。
店の回りを忙しなく動き回っている人々や、大通りを歩く人々の間をすり抜けながら、私たちはゆっくり目に歩き続けた。

「あ、ねえねえ、イナバ、あれは何?」

引き止められたので後ろの方を振り返ると、輝夜さまが一方向を指差していた。
そちらの方を見遣ると、何かの商店があった。どうやら駄菓子屋のようだ。

「ああ、あれはべっこう飴ですよ」
「べっこう飴? 飴細工の一種かしら?」
「まあ、そうですね。召し上がったことはありませんか?」
「ええ、ないわ。お菓子って、永遠亭ではあまり出ないでしょう?」

確かにそうかもしれない。来客用の煎餅や饅頭は見かけることがあったが、バリエーションは少なかったような気がする。

「へえ、べっこう飴ねえ……一体どんな味がするのかしらね。普通の飴とは違うのかしら。ねえ、イナバは食べたことあるの?」
「へ? ま、まあ、ありますが」
「あ、ずるいわね。主の私が食べたことがない物を食べてるなんて。ちょっとひどいと思わないの?」
「……」

まあ、いいか。そんなに高いものでもないし。

「良かったら、召し上がりますか?」
「え? いいのかしら? 私一言も催促なんてしてなかったけど」

態度に出てたんですよ。

「いいですよ。物は試しで、どんなものか食べてみたらいいんじゃないでしょうか」

そう言うと、私は駄菓子屋の方に歩いていって、親父さんからべっこう飴を一つ買い求めた。

「はい、どうぞ。美味しいかは保証しかねますが」
「ありがとう。大丈夫よ、こんなに美味しそうな色してるもの」

輝夜さまは、大きなべっこう飴の塊を小さな舌で舐め出した。

「まあ、美味しいわ。凄く濃厚な味」

ほころんだ輝夜さまの顔を見て、私も自然に笑顔になった。

「それは良かったです。さ、行きましょうか」
「え? 食べながら歩くの?」
「そうですよ。そういう食べ物なんです。あまりご経験がないでしょう」
「まあね。毎日座って食べるようなものばかりだし。いいわ、そういうことなら行きましょうか」

べっこう飴を舐め舐め、輝夜さまは歩き始めた。
その姿は、飴を買い与えられた小さな少女のようで、私は少しおかしかった。



しばらく輝夜さまと里の商店街の中を歩き回ると、右手の前方に空き地のような広場があった。
そこでは、同じ背格好の少年少女たちが忙しなく動き回っている。鬼ごっこでもしているのだろうか。
甲高い歓声が広場から漏れ出るようにあがっている。里のにぎやかさも、ここは倍増しくらいに思えた。

「姫、子供たちがいましたけれど、どうしましょうか?」

一応、先の方針では、子供たちから情報を集めることになっていたはずだ。
とりあえず、発案者である輝夜さまに伺いを立てる。

「うん、けっこういっぱいいるわね。これなら手がかりを得られるかもしれないわ」

輝夜さまは広場の隅っこにいた一人の女の子に近寄っていった。
そして、ちょっとかがんで話しかける。

「ねえ、お嬢さん」
「ふぇ?」

女の子は輝夜さまの顔を見上げると、不思議そうな顔をした。

「おねえちゃん、だあれ?」
「私は輝夜よ。ちょっとお願いがあるの。ここにいるみんなを集めてくれるかしら」
「みんな?」
「そう、ここにいるみんなにちょっと聞きたいことがあるの。お願い出来るかしら?」
「う〜ん、うん、いいよ。ちょっとまってて」

女の子は、てててっ、と広場の中心に走っていくと、声を張り上げた。

「みんな〜! あつまって〜! おねがいだから〜!」

女の子がそう叫ぶと、広場にいたみんなが女の子を注視した。そして、次に私たちの方を見る。

「なになに〜? どうしたの〜?」
「そのひとたち、だあれ〜?」

わらわらと子供たちはこちらの方に駆け寄ってくる。みんな仲がいいのだろう、素直に女の子のお願いに応えてくれた。

「う〜んとね、このおねえちゃんたちがおねがいがあるんだって」

全員が私たちに注目した。好奇の目で燗々としている。
輝夜さまは、一歩前に出て、懐からあの手紙を取り出した。

「この手紙の持ち主を捜しているの。この名前に見覚えがある人はいるかしら?」

裏面に記載された手紙の差出人の名前。おそらく、子供のものであろうその文字に、子供たちは反応を見せた。

「あっ、しってるよ〜」
「うん、しってるしってる〜」

子供たちの快い返事に、私たちは安堵した。

「本当に? この子の住んでいるところは分かるかしら?」
「うん、分かるよ〜」
「おねえちゃんたち、会いにいくの〜?」
「ええ、この手紙を届けないといけないの。案内してくれるかしら」

だが、そこで子供たちが見せた反応は、意外なものだった。

「え〜、どうしよっか〜」
「ちょっと、いやだよね〜」

いままで仲の良い子たちなのだろうと思っていた私たちは、突然の態度の豹変に戸惑った。
私は、その疑問を口に出してみる。

「どうしたの? この子は、あなたたちのお友達じゃないの?」
「う〜んとね、この子のおうちにはね、あまり行きたくないの」
「え、どうして?」
「お父さん、お母さんに言われてるの。“ほとぼり”がさめるまでそっとしておきなさいって」
「?」

顔を見合わせて、私と輝夜さまは疑問符を浮かべた。

「どういうことかしら? もう少し詳しく教えてくれない?」

そう輝夜さまが問いただすと、あまりにも残酷な答えを返した。

「この子のお母さん、死んじゃったの」







私たちは、一軒の家の前に立っていた。
普通の民家だ。取り分け特徴のない、木造平屋の一戸建て。
永遠亭に比べれば遥かにこぢんまりしたその家を前にして、私たちは躊躇していた。

「……ここね」

確かめるように、輝夜さまは頷く。
その顔には、ほんの少し緊張の色が浮かんでいた。

四日前。ここの家の奥さんが亡くなったという。
里でも知られた器量よしで、その死は大層惜しまれたそうだ。
元々体が弱かったというのもある。子供を生んでから体調を崩しがちになっていた。
奥さんには旦那さんと小さな女の子がおり、里の者は先立つ不幸を悔やんでいたという。

里で集めた情報はそのようなものだった。どの人間も、気持ちの整理がつくまで見守り労わろうとしているのが窺えた。
私たちは、そんな事情があったということは知らなかった。
永遠亭という竹林の中の家に閉じこもっていたのでは、知らないのも無理はないのだけれど。

「……どうしますか、姫?」

輝夜さまに漠然と問いかける。
色々な意味を込めて言ったつもりだ。
この家の人たちは、まだ心の傷が癒えてはいないだろう。
広場で話した子供たちの態度にも表れている。まだ外で遊べないくらい、傷は深いのだ。
それを、部外者である私たちがほじくり返していいものだろうか。話をするだけでも辛いに違いないのに。

「そうねえ……面白半分で聞けるようなお話じゃなさそうだし。あまり立ち入らない方がいいかもね」
「では……」
「まあ、ここに来た最低限の意味を果たすことにしましょ。この手紙を差し出し主に返すのよ。それで終わり。それ以上のことに踏み込むべきじゃないわね」

そう言うと、輝夜さまは家の戸の前に立った。
一呼吸置いて、ゆっくりと戸を叩く。

すると、家の中から急にドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。
そして、こっちが驚くくらい勢いよく戸が開く。
中から出てきたのは、女の子だった。肩で息をして、目をいっぱいに開いてこちらを見つめている。

「お、おねえちゃんたち、誰?」
「あら、慌てなくても大丈夫よ。私たちは郵便屋さん。あなたに御用があってきたのよ」

すると女の子は、喜色満面になって問うた。

「お母さんから手紙が返ってきたの!?」
「……」

やはり、そういうことなのか。あの、宛先:天国、の手紙はこの子が母親に宛てて書いた手紙だったのだ。
輝夜さまはかがみこみ、女の子に目線を合わせてゆっくりと言った。

「……ごめんなさいね。そうじゃないの。あなたが出した手紙、それを返しに来たのよ」
「え……」

みるみるうちに表情が沈んでいく。とても見るに耐えなかった。
輝夜さまは、女の子にあの手紙を差し出した。

「……はい。残念だけど、私たちでは天国に届けることは出来ないわ。お母さんは遠いところに行ってしまったのよ」
「そ、そんなことないもん! お母さんは私に手紙をくれたんだもん!」
「? どういうこと?」

輝夜さまが問うと、女の子は踵を返して家の奥に走り去っていった。
そして、すぐに戻ってくる。その手には、まだ真新しい便箋が握られていた。

「ほら! これ、お母さんがくれたのよ! お母さんが私に手紙を書いてくれたの! 天国から、私に手紙をくれたの!」

手紙を両手で広げ、私たちに示す。
私たちは顔を見合わせる。どういうことなのか理解しがたい。
天国から? この子に向けて手紙を?
まさか、そんなことはありえない。死者の国から生者の国に干渉するなど、冥界を通してでもない限りは……。

「どうしたんだい? お客さんかい?」

今度は、若い男性の声が家の中から聞こえた。

「あっ、お父さん! ねえ、お母さんは、私に手紙をくれたんだよね!?」
「ん? ……ああ、そうだね。お前がいま持っているだろう?」
「うん! でも、この人たち、私が出した手紙を持ってきちゃったの。おかしいよね。なんで、私の手紙はお母さんに届かないの?」
「そうか……それは残念だったね」
「私、またお母さんに手紙書く! それでお母さんから、また手紙を貰うんだ!」

女の子はそう言うと、また家の中に駆け込んでいってしまった。

「……やれやれ、どうもご迷惑をおかけしたようですね」

男性は申し訳なさそうな視線を私たちに向けた。

「……どういうことなのか、聞かせてもらってもいいかしら?」

輝夜さまは一歩踏み込んだ質問をした。用も済んだし、ここで話を切って立ち去るべきかと思ったが、私もさっきの女の子の言葉が気になっていたので、輝夜さまに進言せずにおいた。

「……おとといのことですか。この家に一枚の郵便が届いたのです。私の娘宛てで、差出人は……私の家内からでした」
「奥さんは……亡くなられたはずよね?」
「ええ、だから、郵便など届くはずもない。筆跡も家内のものとはだいぶ違いましたし、誰かのいたずらだろうと思いました。ですが、娘が家内から手紙が来たと信じ込んでしまって……」
「……」
「返事を書くといって聞かなかったので、しようがなく返事を書かせました。家内から返事が返ってくるわけはないのですが、それであの子が納得するならばと思いまして」
「私たちは、余計なことをしてしまったかしら?」

私たちが要らない親切心を発揮しなければ、あの子の手紙はこの家に返ってこなかっただろう。
それは、あの子に、母親の元に手紙が届いたと思い込ませることにも繋がる。
あの子を落胆させるよりは、嘘でも希望を持たせたほうが良かったのではないか。

「いえ、それがお仕事なのですから、お気になさらずに。ですが、今後、あの子からの手紙がそちらに届いたら、こちらに返して頂かなくてけっこうです。あの子もいずれ気付くでしょうから」

母親はもう、この世にはいない。そのことに気づくまで成長すれば、心の傷はそれほど痛まないだろう。

しかし、なんだろうか、こう、納得できない想いが私の中で渦巻いている。
それは、ただの憐憫なのだろうか。あの女の子に対して、可哀想と思っているだけなのだろうか。

あの子は母親からの手紙を欲している。だけど、それはもう永久に手に入ることはない。
いつか現実を見つめられるくらいに大人になったとき、あの子はどんな想いで母親の死を見つめるのだろうか。
それを想像するのは、とても悲しい気がした。

「……ちょっと、いいかしら」

輝夜さまはそう言うと、男性の横をすり抜けて家の敷居を跨いだ。

「な、なんでしょうか?」
「あの子とちょっとお話させてもらってもいいかしら?」

輝夜さまは真剣な表情で男性の顔を見つめている。
それに気圧されたのか、男性は首を縦に振らされた。

「え、ええ、よろしいですけど……」
「ありがとう」

輝夜さまは家の中に入ると、靴を脱ぎ、手紙を書いているであろう女の子の背中に近付いた。
そして、かがみこんで話しかける。

「……お母さんに手紙を書いているの?」
「え?」

輝夜さまの姿にいま気付いた様子で、女の子は顔を見上げた。

「う、うん! お母さんも待ってると思うから!」
「……そう」

輝夜さまは女の子が手紙を書いている様子をじっと見ていた。
それは、どこか慈しみを含むようでいて、悲しさも感じさせる姿だった。

「ねえ、お母さんからの手紙……私にも見せてもらっていいかしら?」
「え?」

意外な一言だったのだろう。私も、輝夜さまがそんなことを言い出すとは思わなかった。

「う、うん、いいよ。はい」

女の子は、机の上に丁寧に折りたたまれた便箋を輝夜さまに差し出した。
輝夜さまは、それを開いていく。そして、中から一枚の紙を取り出した。

「……」

それに目を通す輝夜さま。表情は淡白で、何の感情も出していないように見えた。
それほど経たないうちに、輝夜さまは手紙を読み終え、女の子に差し出した。

「ありがとう。いいお母さんね。とても愛情が溢れているわ」
「うん! 私もお母さんのこと大好きだから、手紙を書くの! 私も大好きだって伝えたいの!」

満面の笑みを浮かべる女の子の言葉に、輝夜さまは優しい顔で頷いていた。
私は、そんな輝夜さまと女の子の姿をただ見守るのみだった。







まだ日が高いうちに、私たちは永遠亭に引き返し始めていた。
里で何か召し上がらないかと言ってはみたのだが、輝夜さまは断られた。
あれほど、里の物に興味を示していたというのに、ちょっと意外だった。何か思うところでもあるのだろうか。

「ねえ、イナバ」

私の後ろをついて飛んでいた輝夜さまが私に話しかけてきた。

「はい? なんでしょうか」
「あの子のお母さんの手紙ね、とても不器用だったわ」
「?」

輝夜さまは、先ほどの女の子の母親の手紙のことを言っているのだろう。
だが、何の脈絡もなく言われたので、少し混乱した。

「不器用、ですか?」
「ええ。言いたいこともまとまっていなかったし、何を書いているのか支離滅裂。一度読んだだけじゃ、何を言いたいのか分からないような手紙だったわ」
「はあ……」
「でもね、それでも、たった一つだけ心に響くところがあったのよ」

輝夜さまは空を見上げた。南天に差し掛かったお日様に顔を向けるように。

「それはね、その差し出し主が、本当にあの子を心配しているということが伝わってきたのよ」
「心配、ですか」
「ええ。差し出し主は、母親を亡くしたあの子を心から案じ、心配したのでしょうね。それが、あの拙い手紙には真剣に込められていたわ。母親がいなくなっても、強く生きなさい、そう最後に締めくくってあったわ」
「……」
「イナバ」
「はい」
「私は、あの手紙の差し出し主を捜したい」
「……」
「そして、あの子の手紙をその差し出し主に届けてあげたい。あの子の返事を伝えてあげたい。あの娘が今どんな想いでいるのか、どんな想いで手紙を綴ったのか、それを届けてあげたいの」

輝夜さまは前を見据えていた。
その顔には、静かな闘志と、決意が秘められているようだった。

「イナバ、手伝ってくれるかしら?」
「……姫がそう願うなら。私は出来る限りのことをしましょう。私も……このまま終わらせてしまうには勿体ないと思っていたところです」

私は素直な気持ちを言葉にした。
あの子に出された手紙は、まだ差し出し主に届いていない。
手紙は、心と心を通わせる手段だと輝夜さまは言われた。
なら、まだ、心は通っていない。私は、その心を通わせてあげたい。

それは、きっと、あの娘が真剣に母親から手紙が来て返事を書こうとしていたから。
そして、輝夜さまの温かいお心に感銘を受けたからだろうと思った。

「うん、ありがとう。イナバなら、そう言ってくれると思ったわ」
「大丈夫ですよ。私は、いつでも姫のお力になりますから」
「そうだったわね。じゃあ、帰ったら作戦会議とでも行きましょうか」

青く澄み切った空は、この天気がいつまでも続くことを暗示している。
秋の清涼な空気を吸い込みながら、私たちは永遠亭への帰路を急いだ。







永遠亭に戻った私たちは、早速、うちの知識人を頼ることにした。
差し出し主不明の郵便物、あの子に宛てられた手紙の主を探す方法。
永遠亭に戻る途中で私たちは一通り議論してみたが、これといっていい方法は見つからなかった。
なので、私のお師匠様なら、何かいい方法を考え出してくれるのではないかと期待したのだ。あの人は、頭の造りからして、普通の人間とは違うし。

永遠亭の長い廊下を歩き、居間を目指す。
いま時分は昼食を取っている頃だろう、私たちもお腹がすいていたので、腹ごしらえついでに師匠に聞いてみようと思った。

「あ、おかえりー」
「あら、帰ってきたのね。もう先に頂いてるわよ」

居間の襖を開けると、師匠とてゐがおかずを突ついていた。
今日は、きのこの炊き込みごはんに、里芋の煮っ転がしのようだ。今が旬の食材を使った、とてもおいしそうな食事だった。

「永琳、ちょっと聞きたいことがあるの。いいかしら」
「聞きたいこと? まあ、いいわ。あなたたちもお昼にしなさい。二人の分も用意してあげてね」

師匠が給仕の兎にそう言うと、ぺこりと頭を下げて退室した。
私たちもちゃぶ台の周りに座って料理を待つことにする。

「それで? 聞きたいことって何かしら。あなたの格好を見る限り、外に行って来たみたいだけど、何かあったのかしらね」
「ええ、実はね……」

輝夜さまは、今日の朝から昼までの出来事をかいつまんで話した。
郵便の仕分けの途中で、宛先:天国の手紙を見つけたこと。
興味本位で差し出し主を捜しに里に行ったこと。
差し出し主は子供で、その母親が最近亡くなったこと。
家を訪ねてみると、女の子がいて、その子が亡くなった母親から手紙を貰ったと主張したこと。

輝夜さまの話し方は、師匠の興味を持たせるに充分な抑揚があった。
後半の話の方では、師匠の箸は止まっていた。

「……ふうん、不思議な話ね。死者から届いた手紙、か」
「まあ、誰かがその女の子を哀れんで手紙を出した、というのが妥当なんじゃないですかー?」

湯飲みを傾け、師匠とてゐは簡単に感想を言った。

「それでね、永琳。その女の子に手紙を差し出した者を捜したいんだけど、何かいい方法はあるかしら?」
「? なぜ? その女の子に頼まれたの?」
「私たちは、その女の子の手紙を届けてあげたいと思ったんです。一方的に送りつけられて、返事が届かないなんて、かわいそうだと思いまして。女の子も返事が差し出し主に届くことを望んでいます。だから、差し出し主の住所を知りたいんです」
「ふむ」

師匠は腕を組み、右手をあごに当てて考え込んだ。
癖のようなものだろう。この人は、考え事をするときはいつもこのポーズを取る。

「その女の子に届いた手紙に住所がないとなると、直接的に住所を割り出すのは不可能ね。なかったんでしょ? 住所」
「ええ……ですから、困ってまして」
「なら、消印でも確認するしかないわね。その手紙の消印は、どこで押されていたの?」
「消印?」

郵便物は、ポストから集荷された後、各里の郵便業者が手紙に消印を押す。
その消印は一つとして同じものはなく、その郵便がどこのポストに投函されたかを示す手がかりになる。

「ああっ!」

と、そこで輝夜さまが手を打って声をあげた。

「そうだわ! 今まで何か引っかかってたんだけど、ようやく分かったわ!」
「ど、どうしました、姫?」
「消印よ、消印! あの女の子の持っていた手紙の消印! あの里から出された手紙だったのよ!」
「え、ほ、本当ですか!?」
「ちら、と見ただけだったけど間違いないわ。あの消印の特徴はよく覚えてる。あの消印は、あの里で押されるものだわ!」

と、いうことは、つまり……。

「その女の子の住んでいる里の誰かが、その女の子に手紙を出した、ということね」

同じ里に住んでいる誰かが女の子に向けて手紙を書いた。そう考えて間違いない。
他の里との距離は、かなり離れている。よほどの酔狂でもない限りは、一番近い郵便ポストに手紙を入れるはずだ。

「だとしたら、条件はだいぶ絞れてくるわ。その里をしらみつぶしに探していけば、いずれ差し出し主を探し出せるでしょうね」
「でも、めんどくさいですねー。里っていっても狭いわけじゃないし。一つ一つ調べていくつもりですかあ?」

てゐの言うとおりだ。あの里は人間の里の中でも大きな部類に入る。
一つ一つ調べていくのは可能だろう。だが、運が悪ければとても時間がかかる。

「それに、女の子に出された手紙は匿名だったわけよね。もしかしたら、名乗り出ない可能性もあるかもしれない。その時はお手上げね。捜しだすことは難しいわ」
「むう……」

輝夜さまの顔に影が差す。
ようやく見つけた光明だったが、それはとても細い光だった。

「師匠……なにか、いい方法はないでしょうか? これだけの条件で差し出し主を見つけ出す方法はありますか?」

私もお手上げとばかりに師匠の顔を見る。師匠は相変わらず、考え込むポーズをして宙を見ていた。

「……そうね。出来ないことはないかもしれない」
「えっ」

私と輝夜さまは同時に声を出す。

「差し出し主の住所がその里に限定されていて、しかもとても恥ずかしがり屋。そして、その女の子のことを心から心配している。なら、捜しだせるかもしれない。ちょっと時間がかかるかもしれないけどね」

師匠は箸を置き、ゆっくりと立ち上がった。

「さて、準備は早いほうがいいでしょう。てゐ、食べ終わったらあなたにも手伝ってもらうわよ」
「うえ〜、まじ〜?」
「あなたたちも、食事が終わったら私の部屋に来なさい。色々とやってもらうことがあるからね」

そう言うと、師匠は背中を向けて居間を後にした。

「……大丈夫でしょうか……」
「今は永琳を信じるしかないわね。さ、まずは腹ごしらえといきましょ」

ちょうど、給仕の兎が料理を持って襖を開けたところだった。







師匠の書斎は、永遠亭の和風の造りに似つかわしくない、純洋風の造りをしている。
柔らかな絨毯に、洋装の装丁の本がびっしり並んだ本棚、広々とした樫の机、部屋の中心には座り心地の良さそうなソファまである。
一体、こんな家具をどこから調達してきたのか疑問に思うが、とりあえずそれは置いておくことにしよう。

私と輝夜さまは食事を終え、師匠の書斎を訪れた。
師匠の実験ラボの奥にある部屋がその書斎だ。普段、講義などでよくラボは使うが、書斎に入った経験はあまりない。
まあ、多くの者が住む永遠亭の中で、数少ない師匠のプライベート空間なのだから、あまり立ち入るのは気が引けるというのもあるけれど。

「失礼します」

軽くノックをして、私は書斎の扉を開いた。
中は、前に入ったときとほとんど変わっていなかった。
師匠は机に座って何か書き物をしていた。そして、ソファの前にあるガラスの机に向かって、てゐも何か書いていた。

「あ、やーっと来たー。早く手伝ってよねー」

てゐは口を尖らせながらそんなことを言う。
そんなこと言われても、何を手伝えばいいのか。何も聞かされていない私たちはどうすればいいのか分からない。

「永琳、一体何をするのかしら? 説明してもらえるわね?」

輝夜さまは師匠に顔を向けた。
ちょうど書き物を終えたらしい師匠は、万年筆を置いてこちらを向く。

「ふむ、いいでしょう。手短にね」

師匠は、文書を丁寧に三つ折りにし、そばにあった封筒に入れた。

「ウドンゲ、あなたはこれを射命丸の新聞屋に専用便で届けなさい。今日中に来てもらいたいから、すぐに取り掛かること」
「は、はあ、分かりました」

専用便というのは、その名の通り、伝書鳩の専用便である。
師匠の鳩の改良により、伝書鳩が往復に使えるようになった。そのため、ある特定の人物間での手紙のやり取りが可能になったのである。
永遠亭では、その鳩のレンタル業も行っている。人間の里の重役や、医療機関関係者の間で情報を交換するのに重宝されている。
そして、永遠亭にも専用便がいくつかあり、新聞記者との専用便もあるのだ。その一つが、射命丸文という鴉天狗の新聞記者との専用便なのである。

「でも、今日中ですか。随分と急ぎですね。来てくれるか分かりませんよ?」
「大丈夫よ。来てくれるように書いたから」

うふふ、と不気味に笑う師匠。深入りしない方が良さそうだ。

「で、輝夜。あなたには、文章を書いてもらうわ。里に一斉に出す手紙の文面よ」
「? 里に一斉に出す?」
「そう、中身はこんな感じよ。『ある女の子の手紙の差し出し主を探している。心当たりのある者は、永遠亭まで名乗り出てほしい』ってね」
「ああ! それを里の住居全てに配るわけね?」
「そう。心当たりのある者が素直に名乗り出てくれるような文面が好ましいわね。ただでさえ、伝書鳩を通して母親になりきろうとした相手よ。その人物をおびき出せるような、感情のこもった文章が書けるかしら?」
「……やるしかないわね。永琳にも手伝ってもらうわよ」
「もちろんよ。さ、今日中に全ての作業を終わらせて、明日中には里に届けないとね。てゐは引き続き、封筒に里の全ての家の住所を書いていく作業よ。今日中には終わらせてね」
「うえ〜、私だけじゃ終わりませんよ〜。他の兎たちも引っ張ってきていいですか〜?」
「好きになさい。さ、ウドンゲはそれを届けに行きなさい。輝夜は、ここに座って文章を書くのよ。心を込めてね」
「了解しました」
「分かったわ」

私たちは自分の任務を遂行すべく、行動を開始した。
まだまだ日は高い。夜には全ての作業が完了していることだろう。







夕日、暮れなずむ時刻の頃。
永遠亭の渡り廊下はオレンジと黒の世界に一変した。
私は、トイレを済ませ、再び師匠の書斎に引き返していた。
射命丸文に専用便を届けた後、てゐの住所書きの仕事を手伝っていたのだ。

幻想郷には人間の数が少ないとはいえ、密集して住んでいるとそれなりの数になる。
住所をまとめた冊子には数多くの名前と住所が書き連ねられており、これからその住所を全て書き写さなければならないという作業にげんなりした。
人間の里には、意外に多くの人間がいるのだなあと実感する。
てゐは人間の間だけでなく、妖怪の間にも郵便事業を拡大しようとしているらしいから、その管理には莫大な力が必要だろう。
大丈夫なのだろうか。
そんな心配をしながら渡り廊下をトテトテ歩いていくと、前の方から一羽の兎が走ってくるのが見えた。

「鈴仙さーん、お客さんですよー」
「客?」

一人しか思い浮かばない。まさか、本当に今日中に来るとは思わなかった。

「分かったわ、すぐに行く。玄関にいるわよね」
「はい、お願いします」



玄関に辿り着くと、見知った顔が立っていた、

「あ、お久しぶりです、鈴仙。お元気でしたか?」

鴉天狗の新聞記者、射命丸文が笑顔を向けた。

「お久しぶり。本当に来てくれたのね、ありがとう」
「いえいえ、礼には及びません。私も一枚かませてもらうんですから、協力は惜しみませんよ」
「?」

どうやら、師匠と文との間で何か条約でも締結しているようだ。
あまり深く詮索するのも時間の無駄なので、とりあえず本題に入ることにする。

「師匠からは、あなたをここに呼ぶように、って言われただけで、私はあなたに何をしてもらうのか知らないのよ。その辺、分かる?」
「ええ、大丈夫です。作業自体は簡単なものですから、一時間もあれば終わりますよ。……よっこいしょ」

掛け声をかけて、文は背負っていた大きな機械のようなものを玄関に下ろした。さっきから気になっていたのだが、なんなのだろうか、これは。

「文、これは何?」
「ああ、印刷機ですよ。私が新聞を書くときに使っているもので、年季は入ってますけど、ちゃんと動きますよ」

印刷機? 師匠はそんなものどうしようというのだろう。

「まあ、いいわ。とりあえず、師匠の書斎に案内するわね。その機械、重そうだし、持とうか?」
「いえいえ、お構いなく。壊されたらたまりませんからねー」

そんな冗談を言う文を引き連れて、私は書斎に引き返した。



書斎に戻ると、てゐと五、六羽の兎が一心不乱に封筒に住所を書いていた。
その向こうの机では、輝夜さまが頬杖を突きながら椅子に座っている。考え込んでいる様子だ。

「師匠、文が到着しました」

その机の隣で本を読んでいた師匠に声をかける。

「あら、早かったわね。こんなに食いつきがいいとは思わなかったわ」
「失礼ですね、こっちは協力してあげようとしてるのに。急いできてあげたんですから、感謝したらどうですか?」

そう文が言うと、師匠と文は互いに笑う。変な空気だ。

「師匠、文は印刷機を持ってきたとのことですけど、一体何に使うんですか?」
「ん? すぐに分かるわよ。輝夜、文面は出来たかしら?」

隣で机に向かっていた輝夜さまに、師匠は声をかけた。

「……はい。もう何度目のリテイクか分からなくて、自信なくなってくるわ」
「出来る限り、いい文章を送りたいでしょ? どれどれ……」

師匠は、その文面を斜め読みする。この人は並みの厚さの本なら三十分で読破できるほど読解が速い。
三秒ほどで読み終える。

「うん、いいでしょう。じゃ、これをとりあえず三百枚、印刷をお願いするわ」

師匠はその文面を文に渡す。
あ、なるほど。文に印刷機を持ってこさせたのは、輝夜さまの文章を大量に刷るためだったのか。

「了解しました。紙はここにあるものを使っていいんですよね」
「ええ、いいわよ。あなたの紙を使ったんじゃ、印刷費もバカにならないでしょ?」
「助かります。それじゃ、早速取り掛かりますか」

文は風呂敷包みから、ごつい印刷機を取り出し、床に置いた。
そして、渡された紙をトレイの上に置いて、ネジを回す。すると、紙がするすると印刷機の中に吸い込まれていった。

「じゃあ、紙を用意してください。三百枚となると、けっこうな量になりそうな気がしますが」
「ウドンゲ、お願いね」
「あ、はい、分かりました」

私は紙を用意すべく、書斎を再び後にした。







虫の声が、中庭の空間に響き渡る。
空にはすっかり三日月が昇り、星々がさやかに輝いていた。

「いやー、美味しいお食事でしたねー。久しぶりに一汁三菜食べたような気がします」

文は永遠亭の夕飯のご相伴に預かり、ご機嫌のようだ。
まあ、ここの食事は他の庶民が食べるものよりも上等なものが出るから、気持ちは分かる。

渡り廊下を歩く私、輝夜さま、師匠、文の四人は、鳩小屋を目指していた。
そこでは、もうすでに準備が整っているはずだ。私たちは、最後の見届けに向かうために歩いているのだ。
鳩小屋の前には、何羽かの兎と、てゐがいた。そちらの方に近付いていくと、てゐが気付いたようで胸を張る。

「遅いよー。もう準備できてるからね」

地面の上には何十羽という鳩がおり、それぞれの足に大量の郵便物が入った袋が縛り付けられている。

「やっぱり、改めて見ると多いわね。こんなにたくさん運べるの?」
「大丈夫大丈夫。実験では一羽五十枚まで持てたから。これだけ鳩がいれば、全部運べるよ」

そう言って、てゐは後ろを向くと、郵便の袋を足につけた一羽の鳩を抱えあげた。

「じゃー、いいですか? みなさん」

てゐは振り返ると、みんなの意思を確認する。

「いいわ、やってちょうだい」

輝夜さまの許可が下り、てゐは頷くと空を見上げた。

「それっ」

てゐが鳩を空に投げ放つと、それと同時に地面にいた十数羽の鳩たちも一斉に羽を広げて羽ばたいた。
郵便の袋が地面から離れ、空に舞う。月明かりの逆光で、その姿は黒い風船のように見えた。

「……これで、後は待つだけね」

師匠の言葉に、輝夜さまは頷く。
やるべきことは全てやった。後は反応を待つのみ。

鳩の影はもう見えないくらい小さくなっている。
私たちの願いを込めた手紙は、あの鳩たちに委ねられたのだ。






〜〜〜



上白沢慧音の朝は早い。
出窓から朝日が差し込み、顔を照らすと同時に目覚める。
目が覚めたと同時に身を起こし、軽く天井に向かって伸びをする。
そして一息つき、明るくなった戸外を眺めて、朝になったという実感を持つのだ。

本人が何事に対しても、だらしのないものを嫌うため、時間についてもその実直さは現れる。
どんなに夜更かししても、酒で前後不覚になろうとも、布団が温かさを主張しても、彼女は毎日決まった時間に起きる。
時間は有限であるという意識がそうさせるのだと彼女は思っている。
人妖という人より長い時を生きる者であっても、どんな妖怪よりも人に近いゆえに、彼女は時間を大切にするのだ。

「ふう……、さて、起きるか」

布団を這い出して、簡単に寝巻きを整える。
そして、まだ温かさの残る布団を丁寧に畳み、押入れにしまいこむ。

次は顔を洗いに行く番だ。
長年の染み付いた習慣は淀みなく、慧音の身体を考えるよりも先に動かしていた。

戸を開けると、秋の青空が気持ちよく広がっていた。
最近は秋雨も少なく、洗濯物を乾かすにも不自由しない。
この晴天はいつまでも続いてほしい。そろそろ稲の借り入れの時期だから、農家もそれを望んでいるだろう。
慧音も、秋の清涼な空気をずっと楽しみたいと願っていた。

「ふむ」

しばらく朝の空気を楽しんだ後、慧音は井戸に向かおうとした。

「ん?」

そして、気付いた。
郵便受けに何かが入っている。
こんな朝早くから郵便が届いたらしい。なんとも珍しいことだ。

近頃、郵便が人間の間で流行っているようだが、自分のところにも波及をしてきたのか。
まあ、手紙に対して否定的な見方をしていない慧音にとっては、さして気に障るようなものでもない。

慧音は、早速届いた手紙を郵便受けから取り出した。

「ん? なんだ、永遠亭からか?」

あの月人たちが自分に何の用だと言うのだろう。
首をかしげながら、慧音は封筒の端を破り、中から紙を取り出した。

中には、一枚の紙が入っていた。
開いてみると、小さく小奇麗な文字が、かなりたくさん並んでいる。

慧音は、一通り目を通してみることにした。

『親愛なる、東の里の皆様へ。

私は、永遠亭の主、蓬莱山輝夜と申します。

この度、皆様方にあるお願いを致したいと思い、筆を執りました。

そのお願いというのは、ある方に対して手紙を届けたい、というものです。

三日前、皆様が住む里の○○○という女の子に対し、お手紙を書いた方はいらっしゃいますか?

○さんは、手紙の内容に大変感銘を受け、ぜひ返事を送りたいと思われています。

ですが、その方の住所が不明のため、返事を送ることが出来ません。

もし、これをお読みになっているあなたがその方であるならば、ぜひ○さんのお手紙を受け取ってあげて下さい。

もちろん、強制するものではありません。

ですが、○さんは、あなたに手紙を送りたいという強い希望をお持ちです。

あなたが○さんの心を汲み取ってあげたいと思うならば、その気持ちを大事にして下さい。

○さんの手紙は、永遠亭にて預かっております。

名乗り出る勇気と決心がつきましたら、永遠亭までお越し下さい。

あなたが手紙を受け取りに来る日を、私は心待ちにしております。

永遠亭 蓬莱山輝夜より』

「……」

手紙を読み終わると同時に、慧音は思い出していた。

○○○という少女は、つい最近母親を亡くした。
里でも葬式が行われ、慧音も少女の教師として参列したのだ。

少女の悲しむ姿は、今でも思い出すのが辛くなるほどだ。
土葬で埋められていく母親を目の当たりにし、相当なショックを受けただろう。

おそらく、少女に手紙を差し出したという人物は、少女の心を癒したいと思い、筆を執ったに違いない。
そして、その心は少女に届いたのだろう。返事を書きたいと少女が言っているのだから。

「……ふむ」

手紙を畳み、封筒に入れなおす。
とりあえず、今日の予定に一つ追加項目が出来た。

この少女の手紙を書きたいと思ったお人好し。
そんな人物に、慧音は一人心当たりがあった。
あいつは、郵便の届かないような山奥に住んでいる。住所が分からないのも当然だろう。

世間話がてら、家を訪ねてみるのもいい。
あいつは嘘がつけないから、話を切り出して反応を見ればすぐに分かる。

あいつが手紙の差し出し主ならば、手紙を取りに行くように勧めてみよう。
それが、この少女の心を満たす最善の方法だと思った。

「ふむ。さて、顔を洗いに行くか」

井戸に向けて足を運ぶ。
さっさと朝餉の用意をしないといけないから。



〜〜〜






「ふう……」

箸を動かす手を少し休め、私は外の風景を見つめた。
相変わらずの良い天気だ。日中になり、竹林に覆われた永遠亭にもようやく日光が当たってきた。
洗濯物も、この天気なら当分の間溜まることはないだろう。
そんな詮無いことを考え、私は座敷に目を戻した。

ここ、永遠亭の食事の座敷には、昼餉を食べに来た兎たちがひしめき合っている。
ガヤガヤと思い思いにお喋りし、楽しげに食事を取り合っている。
配膳当番の者も、忙しなく座敷内を動き回り、食事の世話をしている。
おかげで、座敷の中はそれなりの喧騒に包まれていた。

どちらかというと、私は静かな場所を好む。永遠亭に来たての頃は、この喧騒もうざったく感じられた。
だが、今では心地よい響きに変わっている。
談笑に顔をほころばせながら、元気よく飯をかきこんでいく兎たち。
その姿を見ると、みんなが息災に過ごせていると感じられる。
それが、なんとなく嬉しいものに感じられるようになったのは、いつの頃だっただろう。

私は、月から逃げてきた。
ここに身を寄せるようになってからも、その罪悪感は消えることはなかった。
何日も笑顔のない日々を送った。
自分が生きていることにも疑問を感じるようになっていた。

その心の傷を癒してくれたのは、てゐと、師匠と、輝夜さまと、そして、いま目の前にいる兎のみんなだった。
みんな、私を避けるのではなく、必死に受け入れようとしてくれた。
ここに住む仲間として、そして、自らの家族として。
私はその温かさに、少しずつ心を開くようになっていった。

心の傷というものは、癒せるものだということを知った。
それは自分以外の他者でも為せるものだということも知った。
人間でも、妖怪でも、心に傷を負った者はきっと治るのだ。

その傷を癒してくれる人がいるという幸せ。それを今、私は改めて噛み締めていた。

「鈴仙さん」

ふと、隣にいた兎の娘が私に話しかけてきた。

「どうしたんですか? 手が止まっていましたけど」

少し心配そうな顔をして、私の顔を見つめてくる。

「う、ううん、なんでもないの。ちょっと考え事をしていただけ」

そう言って、私は再び箸を動かし始めた。
……この娘のように、ちょっとでも誰かに異常があれば察してくれる。
そんな細やかな心遣いのできる者たちが、ここにはたくさんいる。

私は、心からこの永遠亭という場所を愛している。
それは、私に限らず皆が抱いている心情だろう。
ここに住むみんなが幸せになってほしい。
それが、私がいつの間にか心の中に抱くようになった願いだった。

「ふう……」

いつの間にか、皿の中は空になっていた。
考え事をしていたせいか、味があまり分からなかった。作ってくれた者に、少し申し訳なく思う。
私は茶碗を置き、席を立とうとした。

「ごちそうさま。ゆっくり食べてね」

私を心配してくれた兎に声をかけ、私は腰を浮かした。

その時だった。

スパーン、と勢いよく障子が開けられ、そこに一羽の兎がいた。
息を切らせ、相当焦っているように見えた。
兎は座敷の中をきょろきょろし、最後に私に眼を留めた。

「れ、鈴仙さん!」
「な、なに? どうしたの?」

軽くパニックになっているようだったので、私はその娘のそばに寄って行った。

「あ、あ、あ、あの、その」
「落ち着いて。何かあったの?」

両肩に手を載せ、優しく目を見つめる。
それで少し落ち着いたのか、少しずつ話し始めた。

「あ、あの、お、お客さんです……」
「客?」

どうやら、この永遠亭を訪れるものがあったらしい。
だが、それだけなら、この娘がこれほどうろたえたりはしない。
何か、他の事情があるのだ。

「客って、誰? 誰が来たの?」
「あ、あ、あ、あの……」

そこで、言葉を詰まらせたこの娘から言葉を聞きだすのに、やや時間を浪費した。



永遠亭の廊下を歩き、玄関を目指す。
心持ち、足は速めに。
何か厄介なことが起こってからでは遅いから。

やがて、玄関が見えてくると、そこには、この永遠亭にいるにはあまりにも似つかわしくない人物が立っていた。

「や、こんちわ」

赤いもんぺに両手を突っ込んで、少し不機嫌そうな顔で挨拶する少女。
藤原妹紅。
我が主の天敵とも言える存在が、その場に立っていた。

私は、緊張を抑えながら、妹紅の正面に立った。

「こんにちわ。あまり他の娘を怖がらせないでくれる? 泣きそうだったわよ」
「そんなの知ったことじゃない。勝手に怖がったんだ。私にどうしろっていうんだ」

ふん、と鼻を鳴らし、目を細める妹紅。
やはり、この人にとっては、ここにいることすら腹に据えかねるものがあるのだろう。
このまま突っ立っていても話が進まない。
私は、切り出すことにした。

「で? 今日は何の用? あなたからここに来るなんて珍しいしね、よほどの用があってきたんでしょ?」
「……」

私がそう言うと、妹紅はぽりぽりと頬をかいて視線をずらした。
……何か言いにくいことでもあるのだろうか。

「輝夜に……」
「? 姫に?」
「輝夜に……会いに来た」
「……」

えーと……それはつまり……。

「決闘の申し込み? こんな昼間から流血沙汰は勘弁してほしいんだけど」
「……違うよ。これを読んだから、来たんだ」

妹紅は、懐から一枚の便箋を取り出した。

「え……それは……」

それを見た私は、一瞬思考が停止した。

「ここに、あの娘から届いた手紙があるんでしょ? 私はそれを受け取りに来たんだ」

その便箋は、私たちが東の里に向けて鳩を放って送ったものだった。

「……じゃあ、あなたが……」
「ああ、そうだよ」

妹紅は、少し照れたような仕草で、言った。

「私が、あの娘に手紙を書いたんだ」



十二畳の客間には、座布団の上であぐらをかいている妹紅がいた。
左手で頬杖を突いて、相変わらず不機嫌そうな表情を作って。
おかげでお茶を持ってきてくれた娘が少し引いた。どうぞ、と言われても返事もせずに座っているだけだった。
敵地にいるとはいえ、もう少し愛想が良くてもいいと思うけど。

私は、彼女の横顔を眺めるように座って、主が来るのを待っていた。
正直、私もこれ以上ここにいるのはごめんだったけど、この人と輝夜さまが何かいざこざを起こしたら、諌める役目がある。
……まあ、私の言葉なんて聞いてくれるか疑問だけど。
もしかしたら、この座敷が真っ黒焦げになってしまう可能性もあった。

「お待たせしたわね」

そして、妹紅の正面の襖が開き、我が主が姿を現した。

「……」
「……」

お互い、その場でしばらく睨みあっていた。
胃が痛くなることこの上ない。

「輝夜。早く座りなさい。いつまで経っても話が進まないわ」

輝夜さまの後ろには、師匠がいた。
ありがたい。師匠がいるなら、この話し合いも穏便に済むだろう。

輝夜さまは師匠に促され、妹紅の対面の座布団に腰を下ろした。
師匠も私の隣に腰を下ろす。これで対談の準備は整った。

輝夜さまは、ふう、とため息をついた後、妹紅に向けて言葉を発した。

「私たちが手紙を出してから三日経って、ようやくね。手紙を書いた者が現れたのは」
「……」
「何故、早く来なかったの……と言うのも愚問ね。あなたにとっては、ここに来るのには相当な決心がいるでしょうから」
「……当たり前だ。慧音に諭されなければ、一生寄り付きもしないところだよ」

ピリピリとした空気が、座敷の中に充満している。
今にも引火しそうな勢いだ。

「お前が、あの娘の手紙を持っていると聞いてやってきたんだ。さっさとそれを渡してくれ。そしたら、すぐに帰る。お前も、私がここにいるのは不愉快だろう?」

妹紅は輝夜さまに、あの手紙を要求する。
睨みながら言っているので、なんだかカツアゲでもしているような雰囲気だ。

だが、輝夜さまはそんな視線など気にもせず、懐から一枚の封筒を取り出した。
そして、妹紅の言葉に応える。

「……渡すのは構わないわ。私もあの娘も、早くこれが差し出し主に届くことを望んでいる。あなたがその差し出し主だと言うのなら、すぐにでもこれは差し上げるわ」
「じゃあ、すぐによこせ。お前には関係のないものだ。それは、私とあの娘の問題だろう」

段々と脅すような口調になってきたので、私は不安になり師匠の顔を見た。
だが、師匠は、瞼を閉じたまま静観している。動揺など微塵もないようだ。
私はしかたなく、成り行きを見守ることにした。

「そんなに焦らなくてもいいでしょう。渡すのは、さっきも言った通り構わない。だけど、条件があるのよ」
「何?」

眉をひそめる妹紅。私も、輝夜さまがそんなことを言い出すとは思わなかった。

「この手紙は、きちんと送り主に届けたいの。それは、私とあの娘の共通の想いよ。だから、ちゃんとあの手紙を書いた本人だと言う確証が無い者には渡せないわ」
「……! お前、私を疑っているのか!?」
「あなたには、あの手紙を書いた本人だという証拠がない。だから、疑うのが当然でしょう? もし、ちゃんとした証拠があるのなら、それを見せてもらいたいわ」
「……」

輝夜さまの言うことは、少しおかしい。
妹紅は、永遠亭に来ることすら嫌っていたのだ。それを押してまでここを訪れ、手紙を渡してくれと言っている。
だから、この妹紅の行動こそが、ある意味証拠となりうるのだ。どうしても手紙の返信を受け取りたい、妹紅はそう思っているのだろう。

輝夜さまの真意が、見えない。一体、何を考えていらっしゃるのだろう。

「……あなたが証拠を見せられないと言うのなら、もう一つ条件を追加してあげるわ」
「……何だそれは?」
「あなたは、どうしてあの娘に手紙を書こうと思ったの? その動機、それを聞かせてちょうだい」
「……」
「もし、その動機が証拠と足りうるような内容ならば……私は、これをあなたに渡しましょう。さあ、話してちょうだい。あなたは、なぜ、あの娘に手紙を書こうと思ったの?」

妹紅は、俯いたまま何も言わなかった。
何かを考えているようで、その顔には真剣な表情が浮かんでいた。

「……あなたがその理由を話せないと言うのなら、この手紙は渡せないわ。これは持ち主に返すわね。さあ、もう帰って、」
「あの娘が」

輝夜さまが言い終わる前に、妹紅が割り込んだ。

「あの娘が……可哀想だったんだ」

そう言って、顔を上げた妹紅の目には、睨むような目つきは無かった。
真剣に輝夜さまを見つめる目には、ほんの少しの悲しさが込められているようだった。

「私は、一年前に里に降りた。ちょうど梅雨の上がった初夏の頃だった。でも、不死の身体を持つ人間が里に馴染めるか、とても不安だった」
「……」
「そんな私に最初によくしてくれたのが、あの娘の母親だった。食事を共にし、私に一緒に暮らさないかと持ちかけてくれたりした。私は久しく味わっていなかった人間のぬくもりに触れた気がした」
「……」
「あの娘は、私が慧音以外で初めて出来た人間の友達だった。年は大分離れていたけど、そんなこと関係なく私たちは遊んだ。お手玉、折り紙、百人一首。慧音以外に向けた笑顔が、そこにはあった」
「……」
「だが、あの人は死んでしまった。あの娘も母親を亡くし、悲しみに暮れた。私の言葉にも耳を貸さなくなり、一人、殻に閉じこもってしまった。私は、一人の友達として、あの娘に何かしてあげようと考えた」
「……それが、母親からの手紙を偽って書く、と言うことだったわけね」

輝夜さまが、妹紅の言葉を引き継いだ。
今まで繋がっていなかった点と点が、ようやくひとつの線に結ばれた感じがした。

「子供じみた考えだと思った。でも、頭の悪い私には、それしか思いつかなかった。母親からの手紙が届いて、少しでも元気になってくれるなら、と考えて、私は筆を執った。……それだけだ」

妹紅は語り終えた。
輝夜さまを始め、私と師匠も、妹紅の語りに耳をしっかりと傾けていた。

「私から話すことはこれだけだ。さあ、恥ずかしいことを話したんだ。手紙を渡してくれ」
「待って、条件はまだあるわ」
「何?」

怪訝そうな顔をする妹紅。
輝夜さまは両手に持っていた手紙に目を落とし、話し出した。

「あなたの、この娘に対する想いの深さは分かったわ。この手紙の送り主として認めてもいいでしょう」
「……なら、早く手紙を渡せ。これ以上、焦らせるんじゃない」

妹紅の言葉を引き継ぐように、輝夜さまは言った。
とても優しい微笑を湛えながら。
その顔に、妹紅は呆気にとられたようだった。

「な……」
「だからね……あなたには、この娘をずっと見守り続けてほしいの。母親を亡くしても、一人で生きていけるようになるまで、あなたがそばにいてあげてほしいの。かけがえのない友として、あなたにはその価値があると思うわ」
「……」
「出来るかしら? これが、私の出す最後の条件。あなたには、この条件が飲めるかしら?」
「……」

しばらく硬直していた妹紅は、目をしばたかせて言葉の意味を考えているようだった。
だが、やがて溜め息をつくと、ふっ、と相好を崩した。

「……ああ、お前に頼まれずとも、やってやるよ。私はあの娘の友達だからね。困っている友達を助けてやるのが、本当の友達の務めだろう?」

そう妹紅が言うと、輝夜さまは満足げに頷いた。
そして、妹紅の前に、手紙を差し出す。

「受け取りなさい。あなたと、この娘がいつまでも繋がっていますように。私は心からそれを願っているわ」
「……ふん、一応、礼は言っておくよ」

手紙を受け取ると、妹紅はすっと立ち上がった。

「見送りはいいよ。勝手に出てくからさ」

背を向けると、そのまま襖を開け、姿を消した。
私たちは、その場に残され、同時に溜め息をついた。

「輝夜」
「ん?」
「これで、良かったのかしら?」
「……うん。知りたいことも知れたしね。後は、あの娘たち次第。私たちの役目は終わったわ」

……長い郵便配達だったと思う。あれからもう四日が過ぎているのだから。
でも、手紙はきちんと差し出し主に返信された。心は、ちゃんと繋がったのだ。

「妹紅は、よく話してくれたわね。あなたには、どんなことをされてでも話さないと思ったけど」
「それだけ、あの女の子が大切だったんでしょうね。自分のプライドを捻じ曲げられるくらいに」
「あ、だから、輝夜さまは妹紅を試すようなことをしたんですね?」
「そうよ。ふふ、ちょっと意地悪だったかもしれなかったけどね。もし、あの娘が面白半分で手紙を書いていたと知れたら、手紙を破り捨てていたでしょうね。でも、そんなことは無かった。きっと、あの二人はこれからも末永く友として付き合っていけるでしょう」

そこまで考えて、輝夜さまは妹紅に『条件』を出したのか。
いつものことながら、その思慮深さには恐れ入る。私たちも、この人が主だから、安心して付き従えるのだろう。

「さ、これで一つ仕事が終わったわ。これで、また新しい手紙の仕分けが出来るわね」
「え、姫、まだあのお仕事を続けるつもりですか?」

私がそう言うと、輝夜さまはにっこり笑って頷いた。

「もちろんよ。やっぱり、手紙は楽しいわ。明日もまた早起きしなきゃね」

やる気満々の輝夜さまは、いつも以上に輝いて見えた。
そんな輝夜さまを中心にして、師匠と私は笑いあうのだった。



















































〜〜〜



「あ! 妹紅おねえちゃん!」

戸を開けた女の子は、そこに立っていた少女の顔を見て笑顔を見せた。

「久しぶり。元気だったかい?」
「うん! あのね、あのね、おねえちゃん」
「ん?」
「お母さんからね、また手紙が届いたの!」
「……」
「うんとね、お母さん急にお手紙書けなくなっちゃったんだって。だから、当分の間、お手紙が来ないんだって」
「……そうなの。それは残念だね」
「でもね、私、あんまり寂しくないよ」
「……どうして?」
「だって、お父さんもいるし、他のお友達もいるし……妹紅おねえちゃんもいるもんね!」
「……」
「お母さんから手紙が来ないのは残念だけど、みんながいるから、私平気!」
「……」
「お母さんも、強い子になれ、って言ってた! だから、私、強い子になる! 泣かない子になるように頑張るんだ!」
「……そうか」

妹紅は女の子の目線にあわせて屈みこんだ。
そして、ゆっくりと、頭を撫でてやる。

「お母さんがいなくても、お姉ちゃんはずっとそばにいる。それだけは約束してあげる。ずーっと友達でいようね」
「うん! ずっと友達!」

互いに笑いあい、少女たちは揺ぎ無い約束を交わした。
秋の青空の下。それは、それを祝福するかのように、どこまでも澄み渡っていた。



〜 終 〜


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