ほー……ほー……

……どこかでフクロウが鳴いている。
起きているのか、寝ているのか、はっきりしない曖昧な意識で、あたいはその声を聞いている。
自分がベッドに横たわっているのは分かる。夜明けが近いというのも分かる。しかし、体は指一本動かない。それに抗うだけの理性を、まだ完全に起ききっていないあたいの脳が働かせることはない。
その感覚がなんとなく分かるのは、なんとも変な心持ちだったが、不快ではなかったのでそれに任せた。

夜気の冷たい空気が顔を撫で、温まった布団の中との温度差に気付く。
首から下がぬるま湯に浸かっていて、首から上が氷水に突っ込まれているように感じる。
極寒の戸外、周りは凍えるように寒いのに、自分は何枚もの服を重ね着ているのでちっとも寒くない。それに似た奇妙な安心感と恍惚感に、あたいは身を委ねている。

冬の早朝の微睡みタイム。このまま時が止まってくれたらと頭の隅っこで願わずにはいられなかった。

「……ひぃえっくしっ!! ……あ゛〜〜〜、さむ……」

……しかし、そんな心地よい時間も、盛大な生理現象によって破られる。
首までしっかりと布団をかけているが、体の膨らみで持ち上げられて、いつの間にか肩の辺りに冷気がまとわりついていた。
寒い。布団を引き上げて頭までかぶろうとする。
でも、その前にいま何時なのか確かめてみることにした。

ごそごそ

がたっ

いつもやかましく鳴り響く、枕元にいつも置いてある目覚まし時計を手探りで探し、寝ぼけ眼で文字盤を凝視する。
ずっと閉じられていた瞳が冷たい外気に慣れるのに相当の時間がかかった。

「………………………………なんだよ〜〜〜まだごじじゃんか…………ねよ」

がたっ

ごそごそ

時計を置き直し、今度こそ布団をかぶる。
冬の季節の二度寝に勝る快感は無いと思う。

……

ほー……ほー……

…………

「…………ん? なに……?」

ふと、こめかみの辺りに冷たいものを感じた。
天国の如き温かい布団の中から二度も手を出すのは躊躇われたが、なんとなく気になったので意を決して外に出す。
こめかみに触れると、確かに何かが着いていた。親指と人差し指でそれを弄くってみる。

「……なに? このつめたいの……。みず……? ……あれ?」

あたいは、そこで初めて違和感を感じた。



……



…………



がばっ

布団を跳ね飛ばすようにして身を起こし、そして上を見上げる。
ベッドの上からいつも見ていた天井に加え、真っ暗な空が覗いていた。あたいの頭上以外の天井がすっぽりと無くなっていて、下にはベッドの高さまで雪が積もっていた。
左右を見る。昨日と変わらない壁がある。正面を見る。まだ夜が明けきらない森の風景がどこまでも突き抜けていた。

「な…………なにこれ…………」

あたいは、呆然と目の前の光景を見つめた。

…………

ほー……ほー……

フクロウの声が、あたいをバカにしているような気がした。







不幸ってもんは、予期せず、前触れなく、いきなりやってくることが多い。

自分では普通に生活していても理不尽にやってくる。呼んでもいないのにやってくる。
目に見えないから防ぎようもない。目の前に現れてからでは遅すぎる。
そして、風のように去っていく。
本当に厄介なものだ。

不幸は掃いて捨てるほどその辺に転がっている。かく言うあたいの身辺も、小さな不幸は事欠かない。
朝起きて寝ぼけて洗面所に向かう途中で左足の小指を思いっきり柱にぶつける。
爪を切っている最中に手が滑って生爪を剥ぐ。
買ってきた文庫本を読んでいると百六十七ページ目に誰のともつかない鼻水と涎がついている。
客が来なくて暇だったので居眠りしていると普段はめったに様子を見に来ない上司がやってきてお説教を食らう、などなど。

……最後のは自業自得だという声が聞こえたが聞こえないふりをする。

ま、それはさておき。
あたいは、こんな仕事をやってるのだから当然なのだが、不幸で死んだ人間を何人も見てきた。
天災。交通事故。突然の病死。火事。階段から転げ落ちる。餅を喉に詰まらせる。
目を覆いたくなるような酷いものから、笑い話にしかならないようなものまで色々あった。

これらの不幸でどれも共通して言えるのは、自分の意思を介さない、自分の与り知らない意志に殺されているという点なのだが、ここで人間が誤解しているのは、不幸は必ずしも神様が起こしているわけではないということだ。
つまり、様々な要因が重なって事故や病死が起こるのが大抵で、人はそれを“不幸”と呼んでいるに過ぎない。“不幸”の裏には“原因”があるのだ。
例えば交通事故。外の世界には交通ルールというものがあるらしい。それに沿って行動すれば、事故に遭遇する確率は格段に低くなる。
例えば病死。自分の生活習慣を省み、体に優しい生活を送れば、突然おっ死ぬことはまずなくなる。
事前の準備さえ整っていれば、天災さえも逃れることが可能だ。
だけど、道を歩いていると突然地面が割れるんじゃないかとか、そんなことをいちいち考えていたら日常生活をおっかなびっくり暮らさなければならなくなるので、適度な注意で十分だ。それをきちんと行い、その努力が積み重なると、未来に起こる大きな不幸を未然に防ぐことが出来るのだ。

だから、「おれは不幸だ」と思い込むこと自体が間違いで、実は不幸は、ある程度は自分で回避できるもんなのだ。
不幸に腹を立てているやつほど不幸を回避する努力をしていない。だから、小さな不幸が積み重なる。気づかないうちに「不幸様、いらっしゃいませ」と両腕を広げているわけだ。
そして不幸が続くと、ちょっとしたことで怒り、嘆き、どんどん心が貧しくなる。やがて、周りの人間にあたるようになり、諍いが生まれ、人は周囲から離れていく。
逆に不幸を回避する努力をすると、自然、不幸に遭う確率は下がる。心は豊かになり、生活に潤いが出る。小さなことにいちいち腹を立てなくなり、人当たりも良くなり、人との繋がりが強固なものになっていく。新しく生まれることもあるだろう。

不幸を回避する努力を怠ることは、それだけで閻魔様のお説教の対象となる。
自分だけならまだしも、もしかしたら周りの親しい人や、自分に全く関係のない人たちを不幸に巻き込むことにもなりかねない。
だから、自分に出来る最大限の努力をし、不幸を未然に防ぐことは、小さいけれどかけがえのない善行なのだ。



……

……と、まあ……

あたいは、つい最近、上司の閻魔様から聞いたこの説教の大切さを、今、この上なく噛みしめている……。



「はあ……」

溜め息をつくと、白いもやが顔を覆い、やがて空気に霞んで消えていく。
空からは白い雪がちらほらと舞い降りて、目の前を上から下に通り過ぎてゆく。時折、首に巻いたマフラーの間から首筋に入り込んで冷たかった。
見渡す限りの銀世界。雪の帽子と衣を纏った大小の石ころ。変わることなく流れ続ける三途の川と、その上にたゆたう一艘の舟。
あたいの目に映る彩色の乏しい風景は、あたいの心持ちをそのまま表しているような気がした。

ここは、無縁塚。死者の魂の行き交う場所。そして、あたいの仕事場だ。
あたいは、いつも昼寝をしている大きな岩の上に腰掛けて、沈鬱な気持ちで頬杖をついていた。
いまは目下仕事中なのだが、そんなことをしている暇がないほどの事態に置かれているので勘弁してもらいたい。

足元には、あまり趣味がいいとは言えない、どどめ色の風呂敷包みが置かれてある。
中には、あたいの普段着や仕事着の替え、貯めた金を入れるブタの貯金箱、その他もろもろの生活用具が入っている。
あの状況下でこれだけの物を持ってこれたのだから、上等といえるかもしれない。

今日の朝。
あたいは盛大なくしゃみをかまして目を覚ました。
いつもやかましく鳴り響く、枕元にいつも置いてある目覚まし時計を手探りで探し、文字盤を見ると午前五時。
ありえね〜、と思いつつ、二度寝しようと思って寝返りをうつと、顔に冷たい物が落ちてきた。
触ってみると、氷のように冷たい水だった。
やがて、目が慣れてくると、その目に飛び込んできたものを認識して一発で目が覚めた。

いやー、びっくりしたね。
あたいの寝ている横に、見慣れた森の雪景色が広がっていたんだから。

最初は新手のドッキリかと思った。その辺であたいの反応をほくそえんでいるやつらをきょろきょろしながら探したが、ついに、それらしき者は見つからなかった。
で、ここに来てようやく自分の身になにが起きたのかを理解し始めるわけだ。
悪い冗談のようで、紛れもない現実。長いこと生きてきた中でも、トップ3に入るくらいのとびっきりの不幸だった。

……ていうか、なんで目が覚めなかったんだろう。

「ぅはあああぁぁぁぁ〜〜〜……」

再び自分に降りかかった不幸を思い出して、大量の溜め息をつく。今日何回目かな。

まあ、簡単に言うと。
あたいは今、家無き子なのだ。

今年は例年になく雪の量が多かった。
大雪、というカテゴリーを超越するかのごとき大雪が、年越しから年明けまで何度も降った。
幻想郷に住む連中は雪かきに追われ、居住空間を確保するのにてんやわんやだったらしい。

そりゃ、あたいも雪かきしたさ。雪かかないと、家の中に入れないほど降ったんだもの。
雪っていうのは水が固まって出来たもんだから、ものすごく重い。毎日、舟漕いでる仕事をしてなきゃ筋肉痛になっていただろう。

……その時、気づくべきだったんだ。
あたいの家の薄っぺらさに。

あたいの家は木造茅葺の平屋だった。決して頑丈な造りではなく、雨風凌げれば上等だというほったて小屋だ。
雪が屋根に一メートルも積もれば、十分オシャカになるであろうと予想できた。でも、生来のあまり物事に構わない性格のせいで、あたいは玄関の前の雪をどかして家の中に入れれば良し、としてしまったのだ。
雪かきは確かにした。だけど、“屋根の上”まではしなかった。こんな事態になるかもしれない、という考えが及ばなかった自分のオツムが恨めしい。

しかし、いまさらそんなことを嘆いても遅いわけで、実際に事は起きてしまった。
もう、この家には見切りをつけ、仕事場でこれからどうするかを考えた方がいいと思ったあたいは、半分ほど雪に埋もれたタンスの引き出しを開けて寝巻きから仕事着に着替え、そして雪の中から物を発掘し始めた。
瓦礫と雪で大方の物は押し潰されてしまったが、それでも、わずかな物を懸命に掘り起こして風呂敷で包み、ついさっき、ここ無縁塚にやってきたのだ。

これから、どうするべきか考えなくてはならないのだが、ショックが大きすぎて思考が止まってしまっている。いま頭の中で巡っているのは、朝起きてからの回想と、潰れた家との思い出だった。
実家から離れ、初めて建てた自分の家。粗末ながらも思い出の詰まった第二の我が家。愛着が無いといえば嘘になる。
しかし、それ以上にあたいの頭の大半を占めていたのは、

「うぅ……ローンがまだ残っているのに……」

借金のことだった。







『なあなあ。あんた船頭さんだろ? この川を渡りたいんだが、お願い出来るかい?』

無縁塚に来てからどのくらい悶々としていただろうか。
端から見ても黒げな重い空気を背負っていたであろう、あたいの背中に声がかかった。
緩慢に振り向くと、一人の霊がそこにいた。七十代くらいのじいちゃんだ。どうやら、今日最初のお客らしい。

「あ〜、いらっしゃい。三途の川にようこそ、ってね。じゃ、早速行きましょうか」

覇気のない返事をして、のろのろと立ち上がると、じいちゃんをあたいの舟に案内した。



三途の川の渡航ルールをじいちゃんに教え、金を貰って出航した。
じいちゃんが持っていた金は、六文。三途の川を無事に渡りきれる最低金額だった。

三途の川は、霊の持っている金に応じて川幅が変わる。多ければ多いほど狭くなり、少なければ少ないほど広くなる。
そして、三途の川は霊にとって毒となる気が充満していて、長時間川の上にいると霊は毒気にあてられて消滅してしまう。
六文は、霊が百パーセント川を渡りきることが出来るギリギリの金額なのだ。それより少なくなると渡れない者が出てくる。生前に大きな罪を犯した者や、人を信じずに一人孤独に生きてきたようなやつらは六文を切っていることが多い。
だから、あまり金を持っていない霊は死神からは嫌われる。貰った金の割りに渡航に時間がかかる可能性が高いからだ。

故に、船頭死神は金を多く持っている霊を優遇せよ、と指導される。
金が多い霊を優遇すれば、霊を彼岸に渡す効率が良くなる。また、金の多さは生前の徳の多さに比例するため、人間に善行を促すことにも繋がる。
死神は金を稼ぐことが善行である。これはあたいの上司の口癖だ。

しかし。あたいはこれに真っ向から反抗することばかりしている。
あたいは、霊が彼岸に渡してくれと言ったら絶対に拒まない。それがどんな大悪人であろうともだ。
一見、この行為は善い行いのように見えるが、実は、これはあたいの趣味だ。

あたいがこの仕事が好きなのは、外の世界の霊と話せるからだ。
幻想郷とは違う世界に住む人間。そいつらは一体どんな暮らしをしていて、どんな考えを持っているのか。それに興味があった。
人間は百年に満たない短い寿命ながら、実にいろんなことを考えて生きている。
善人だろうが悪人だろうが、それぞれ生きてきた人生は一つの物語であり、下手な本よりよっぽど面白い。
様々な物語を聞き続けて数十年。あたいは死神の中でも外の世界の情報通であると自負していた。

「はあ……」

……いつもなら、今日最初のお客さんであるこのじいちゃんの話にも耳を傾けながら、えっちらおっちら対岸まで行くはずだった。
しかし、今日は仕事のモチベーションが限りなく低い。他の事を考えていられるほどの余裕がない。
本当なら仕事などせんで、これからどうするのかを思案しなければならないのだ。今回ばかりは、あの人も大目に見てくれるだろう。

『船頭さん、なんか悩みごとでもあるのかい? さっきから溜め息ばかりだね』

まだかろうじて、あたいらが出発した岸が見えるくらいまで川中を進んだ時、舟の真ん中辺りに座っていたじいちゃんが、あたいの落ち込んだ様子に気付いて声をかけた。
お客さんに気を遣われるとは情けない。まだまだ船頭としての精進が足りないようだ。

「ん? ああ、まあね。ちょっと困ったことになっちまってさ」
『困ったこと?』
「うん、そう……」

そう言って、あたいは□を噤む。話したところで、このじいちゃんに家を造ってもらえるわけでもない。
それに、船頭の悩みをお客さんに話すわけにもいかないだろう。
つまんないこと聞かせるより、じいちゃんの生前の話をしていた方がよっぽど有意義だ。

あたいが何を聞こうか考え込んでいると、不意にじいちゃんが□を開いた。

『あんた宿無しかい?』

あたいは舵取り棒を動かすのをピタと止め、後ろを振り向いた。
目を見開いて驚いた顔をしているあたいに、じいちゃんは黒ずんだ歯を見せてニカッと笑った。

『当たりかい?』
「……参ったね。そんなに分かりやすいかね、あたいは」
『いや、わしは生きてるときに、あんたみたいなのを嫌というほど見てきたんだ。目を見れば分かる。あんたは家を失くしたか、だれかに取られたかしたんじゃないかい?』
「へ〜」

おもしろいもんだ。宿無しになったなんて、よっぽどじゃないと見抜けないと思う。
一体何者なのだろう。じいちゃんの人生に興味を引かれた。
しかし、あたいはそれ以上に、この人に聞きたいことがあった。この偶然は何かのお導きかもしれないし。

「その通りさ。あたいは今朝宿無しになった。今年は雪が多かっただろ? それで屋根を潰されてね。命が助かったのは幸いだったけど、代わりに住むところを失くしちまったってわけ」
『そりゃ何よりだ。命あっての物種だ。死んじまっちゃあ何もならない』
「その通りだね。ま、問題はこれからどうしようかってことなんだけど……お前さん、こういう哀れなやつはどうしたらいいか知ってるかい?」
『そりゃあ簡単さあ』
「へ?」

じいちゃんがあまりにも容易く答えを口にしようとしたので、思わず間抜けな顔をしてしまった。

『人の世は情け。困っているときはお互い様。あんたは困っているやつを見つけたら手を差し伸べようとするだろう? なら逆に手を差し伸べられても全く変じゃあない』
「……つまり、どっかに泊めてもらえってことかい?」
『あんたも友達の一人や二人いるだろう? そいつらに拝み倒して泊めてもらいな。なに、立て直せるまでの辛抱だ。どっかに移れるだけのまとまった金が出来たら、すぐに引き払えばいいんだ。野宿と家の中じゃあ、ぜんぜん違うぞ。だから、迷惑にならないように、隅っこにでも住まわせてもらいなよ』
「…………そうだね。それがいいかも」

野宿をするにはこの季節は辛い。借家を借りるほど金が無い。
それなら、知り合いに泊めてもらうのが一番現実的だ。あたいは無職じゃないので、金や物を入れることは出来る。
他人との繋がりがあれば、こういった困った時に助けてくれる人はいくらでもいる。
あたいは、そういう因果の仕事をしている。だから、他人に頼れる頼もしさをよく理解していた。

「分かった。お前さんをあっち側に送り届けたら、泊めてもらえそうなところを考えてみるよ。アドバイスありがとね」
『いや、これくらい、何でもないよ』
「それにしても、お前さんも宿無しになったことがあるのかい? なんだか、こういう時にどうしたらいいのか詳しいね」
『んん? そりゃ当たり前さあ』

じいちゃんは得意げに理由を述べた。

『なんてったって、わしゃ五十のときから死ぬまで宿無しだったからなあ』
「ホームレスかよ!!」

あたいの突っ込みと、じいちゃんの笑い声が辺りに響いた。



『じゃあな、船頭さん。いい家見つけろよー』
「はいよー。お前さんもきっちりお説教受けてきなー」

手を振ってじいちゃんの背中を見送った。数時間しゃべっている間にすっかり仲良くなった。
ホームレスでも、やることやってれば三途を渡れるんだなあと実感する。波乱万丈に満ちたじいちゃんの身の上話は、ここ最近じゃ一番面白い物語だった。

「……さて、と。それじゃ、これからどうしようか真剣に考えようかね」

じいちゃんの背中が小さくなるまで見送ると、あたいは元来た岸に向けて船を漕ぎ出した。
帰りは、川幅が渡し賃に左右されないので、十分もあればあっち側に着く。
雪はもう降っていない。雲はだいぶ薄くなって、お天道様の光が雲を透かして白く光っていた。昼頃には青空が見えるだろう。

「まずは……泊めてくれそうな人材を挙げてみようか」

思いつくまま、知り合いの顔を空に浮かべてみる。
あたいも友達がいないわけではないので、行く先には幾つか心当たりがあった。

真っ先に思いついたのは、我が上司、四季映姫閻魔様のところ。
このお人は、閻魔専用のたいそう立派な寮に入っている。以前遊びに行った時に、閻魔ってこんなに待遇がいいのかと驚いた。
内装も綺麗だし、賄いもうまい。部屋も広いので、あたい一人が入っても、別に大丈夫のように思える。

「ただねぇ……」

問題が幾つかあった。
一番の問題は、そこの寮が“閻魔専用”であるという点。閻魔っていうのは規律が服来て歩いているような人ばかりだから、規則やルールには滅法うるさい。閻魔しか入れない寮なら、閻魔しか入ってはいけないのだ。あたいが家をなくしたっていうことを考慮しても泊まることは難しいだろう。
閻魔が規則を破るには相応の覚悟がいるのだ。あたいが四季様を頼ったら、四季様に迷惑をかける可能性がある。あたいは、あんまり真面目に仕事をしていないからね、これ以上気苦労をかけるのもどうかと思うし。
それに、四季様と一緒にいたら、あの長い説教を毎日受けることになりそうだ。あの説教癖さえなければいい人なんだけどねぇ。

よって、四季様のところはやめとくことにする。

もう一つは、あたいと同じ仕事をしている死神仲間のところだった。
意地は悪いが気のいいやつらばかりで、たまの休みには、たむろして店をひやかしたり、スポーツなどにも興じたりしている。
気を遣わなくていいところが最大の利点だ。

「ここが一番妥当なんだけど……」

残念ながら、ここでも問題があった。
それは性別。あたいの船頭仲間には、女が一人もいないのだ。
いや、落ち着いて考えてみれば、その理由はすぐに分かる。“船頭”なんて仕事を、女が好き好んでやりたがるだろうか。
あたいみたいな変わり者なんかを除けば、普通の女なら力仕事と外仕事は敬遠する。船頭死神は、男が九十パーセント以上を占める男性主体の職業なのだ。
あたいが船頭を始めて数十年。あたい以外の女の船頭には、片手で足りるくらいしか会ったことがなかった。
そいつらも、あたいとは違う部署に回されているから、同じ職場で働くのはかなり先だろう。何十年先か、何百年先か。考えただけで気が遠くなる。

てなわけで、あたいにとって友人と呼べる死神仲間は男しかいない。
男と女が一つ屋根の下に暮らす。世間ではそれを同棲という。
一応、あたいにも世間体というものがあるので、変な噂が立つのはあまりよろしくない。あいつらとは適度に距離を置いた気安い関係でいたいのだ。
よってこれも没。

「早くも候補が二つ潰れちゃったねー……」

なかなか前途は多難だ。
いっそ、あたいの実家から通おうかとも思ったが、あたいが仕事場近くに引っ越してきたのは、実家がものすごく遠いところにあるためであって、通勤するだけで疲れてしまう。ものぐさな性格なので出来ればそれは避けたい。実家は泊めてくれる先が見つからなかった時の最終手段だ。

「まあ条件としては、まず女の知り合いか。そんで、気を遣わない程度に親しいのが望ましい……」

舟を漕ぎながら考える。そんなやつなんて、いたかなあ……。

「……あ……そうだ……」

ふと、思いついたのは、去年知り合ったばかりのやつらの顔だった。

あたいの知り合いは、なにも彼岸に限ったわけではない。
去年の春に起こった季節外れの花の大開花。その時、あたいは何人か下界のやつと知り合った。そいつらとは頻度は少ないものの、たまに会って話をしたりしている。
その知り合いは、いずれも女ばかり。一つの条件はクリアしている。しかも、ドライというか、人にあんまり構わない性格のやつらが多い。頼みこめば小さな部屋の一つくらい貸してくれるかもしれない。

「そうか……結構いけるかも……?」

ならば、そいつらの中からよさげな人材をチョイスしてみよう。
野宿でもへっちゃらな妖怪や妖精は除く。どこに住んでいるのか分からないやつも除く。屋根がないと生活できない人間か、自分で家を構えている酒落た妖怪に絞る。
そうすると、どんどん条件は絞れてくる。

うらぶれた博麗神社という神社の巫女をやっている、博麗霊夢。
魔法の森に住んでいる魔法使い、霧雨魔理沙。
吸血鬼の館、紅魔館のメイドをしている、十六夜咲夜。
竹林の中のお屋敷、永遠亭で働いている兎、鈴仙・優曇華院・イナバと、因幡てゐ。
そして、死者の国、冥界のお屋敷、白玉楼で庭師をやっている、魂魄妖夢。

こいつらが候補にあがる。

「この中から泊めてくれそうで、出来れば快適な暮らしを提供してくれそうなのは……」

まず、最初の二人は消える。
博麗霊夢は自他共に認める赤貧だ。一人暮らしとはいえ、毎日の生活にいっぱいいっぱいだと聞く。食い扶持が増えるのを、はたして歓迎してくれるだろうか?
まあ、食い物はなんとか自分で用意できるとしても、住人が一人増えれば、必然的に食い物以外の物がいろいろ必要になる。金が無いところに、泊めてくれ、と頼むほど、あたいは図々しくない。

そして、霧雨魔理沙。以前、あたいの仕事の相棒である渡し舟の修理を依頼しに、あいつの家に行ったことがある。そこであたいが目を丸くしたのは、アホみたいに片付けられていないあいつの家の中だった。
あんな所に住んだら、いつ、物の雪崩が起こって生き埋めになるか分かったもんじゃない。一言で言うなら住みたくない家だ。まあ、今のあたいは四の五の言っていられる状況ではないのだが、命が危うくなるような所に住むほどの度胸はない。

すると、残るのは、紅魔館と永遠亭と白玉楼だ。

紅魔館は音に聞こえた吸血鬼、レミリア・スカーレットお嬢様の住むお屋敷だ。超ブルジョワだ。
あたいみたいな妖怪一匹が増えたところで、どうということはないだろう。咲夜とコネクションを持てたのは結構幸運だったかもしれない。
ただ、一番の難点は、あそこのお屋敷は吸血鬼が主であるということだ。
紅魔館の内部は、昼間でもカーテンが閉められて真っ暗だ。外に出ないとお天道様を拝めない。考えただけで息が詰まりそうだ。
食う物も、人間の肉や血ばかりで栄養のバランスが偏りそうだ。
それに、風の噂では、あそこには相当凶暴なお嬢様の妹がうろついているらしく、逆らったら一発で消し炭にされてしまうという。
頼み込むメリットはあるが、いざ住むとなると命が無くなる危険がある。紅魔館は少し厳しいかもしれない。

次に永遠亭。あんな所に屋敷があったとは、長いこと幻想郷に住んでるあたいでも知らなかったが、かなりのお屋敷だった。あそこの主は、天狗の新聞でしか見たことがないので、どんなやつかは分からない。
でも、行ってみる価値はある。てゐは性格が悪そうだったが、鈴仙は丸そうだった。頼めば主に話を伝えてくれるかもしれない。

最後に白玉楼。ここには、彼岸以外で一番親しい知り合いである魂魄妖夢がいる。
仕事をサボって、たまに冥界に赴き、いろいろと話をしたり、お茶なんかをもらったりしている。
大体、仕事の途中に乱入するので迷惑がられている節もあるが、それでも律儀に応対してくれる。
妖夢は、物凄く礼儀正しくて、いい子だ。それに素直でからかうと面白い。あんな妹がいたら、可愛くってしょうがないことだろう。
泊めてくれと頼むなら、冥界が一番頼みやすい。妖夢の主である西行寺のお嬢様には会ったことはないが、それは永遠亭も同じなので、頼むならどっちも同じだ。

「よし……結論が出たね」

行ってみるところは、永遠亭と白玉楼。
まずは、一番泊めてくれる可能性が高い白玉楼に行って、そこがダメだったら永遠亭だ。
あたいとしては、白玉楼に望みを懸けている。なんといっても死者の家。あたいには最もなじみが深い。
一発で決められるように、誠心誠意を込めて頼んでみよう。



舟のヘリはやがて桟橋に着いた。
あたいは舟から飛び降りて、舟をロープでくくりつけると、持って来た風呂敷包みを背中に背負った。

「さ〜て。どうなることやらね」

いまにも光を零しそうな空を見上げ、期待と不安の板ばさみになりながら、あたいは雲の向こうに向けて飛び立った。














〜 小野塚小町の越冬戦記 〜

















灰色の雲の層を突き抜けて、あたいは冥界に通じる門を目指す。
標高の高い無縁塚よりもさらに上にある、見上げてもてっぺんが見えないくらいにでかい門は、雲の向こうの空に浮いている。石を投げれば当たるほどの不思議に包まれている幻想郷において、冥界の門の不思議さは群を抜いていた。
天国にも地獄にも行けなかった死者が、次の生を受けるために転生を待つ場所。それが冥界。
西行寺家はそこの管理を任されており、彼岸に住む者なら誰でも知っているほどの有名な家だ。
しかし、その冥界に自由に行き来できるようになったのは、本当につい最近のことだ。それまでは西行寺家のことについて詳しく知る者は少なく、冥界は四季様のような要職についている方々しか出入り出来ない封印された土地だった。

それが、あたいのような平の死神でも自由に入れるようになった理由については、いまだに分かっていない。
二年前だったかな? 五月になっても雪が降り続くという、たいそう迷惑な異変があった。なんでも、それと関係があるらしい。
まあ、詳しいことは誰にも分からないので真相は闇の中。あまり細かいことは気にしない幻想郷の連中にとって、“冥界に自由に行けるようになった”以上のことを知りたがるやつはあまりいなかった。

やがて雲を抜ける。眼下に広大な雲海を望み、真っ青な空に、包み込むような優しい光をしたお天道様が迎えてくれた。夏のぎらぎらしたお天道様も力強くていいけれど、冬のお天道様はいつまでも身を委ねていたい安心感があると思った。
冥界の門は、お天道様がある方角とは反対の方向にそびえ立っていた。
雲の海に突き刺さっているような巨大な門は、見る者を否が応にも圧倒する。
一体どこの誰がこんなもんをこしらえたのか。今でこそ行き来は自由だが、冥界っていうのは、これほど厳重に封印しておかなければならない場所だったのか。
つい、そんな想いに囚われてしまうほどの荘厳な迫力をたたえた門は、まるであたいを中に誘うかのように少しだけ口を開け、物言わず見下ろしていた。
あたいは、そこを少し緊張しながらくぐる。現界と冥界の境は、今は本当に暖昧だった。

冥界に入った瞬間に、空気の変化を実感できる。
どこがどう違うのか、と言われると説明に困るのだが、まるで、他人の家に入った時のような空気の違いがある。
これが死者の住まう世界の空気なのだろうと納得せざるを得なかった。
現界とは違って、雲の少ない冥界の空をあたいは飛ぶ。
下に見える広大な草原。針葉樹の群れ。遥か彼方に大きな川が流れ、切り立った崖から滝になる。
二百由旬の大庭園。ここから見渡せる土地の大体は、西行寺家の管理する庭に属しているという。
なんとまあ、呆れるくらいに広い庭だ。妖夢も、まさかこの庭全部を刈り入れているわけではあるまいに。

多くの幽霊が飛び交う冥界の風景を楽しみながら飛んでいると、微妙に紫がかった独特な色の空の向こうに、巨大な桜の老木が見えた。
西行妖と呼ばれる西行寺家の霊木だ。その桜に守られるように、和風建築の屋敷が見えた。
長い階段を上りきった高台にあるその屋敷が、西行寺の当主が住む白玉楼だ。さすがに、でかいし、立派だ。ここに住むことになったら、自慢の種になるに違いない。

高台の麓には、何百本とも何千本とも取れる裸の桜が雪の上に林立している。石階段に続く石畳を下方に見ながら、あたいは西行寺の家の前庭を望んだ。
すると、階段を上りきったところに人影があった。
肩の辺りで切り揃えられた銀の髪に深緑色の洋服。背中には体に不釣り合いな大太刀を背負う、まだあどけなさの残る少女。
魂魄妖夢、その人だった。
妖夢は雪かきをしていた。背丈くらいのでかいスコップを動かして、一生懸命雪を脇にどかしている。
相変わらずの真面目っぷりだ。あたいだったら、階段から屋敷に続く道を一直線に雪かきして、さっさと終わらせる気がする。
久しぶりに会う知り合いの変わらなさに苦笑しながら、あたいは妖夢の方に降りていった。



「おお〜い! よ〜む〜!」

まだ顔がはっきり見えないくらいの位置から声を張り上げて名前を呼ぶ。
しかし、妖夢には声が届いたようで、こちらに顔を向けると雪かきの手を休めて手を振り返してくれた。かろうじて、マフラーと手袋をしている姿と、笑みが見える。
近づくに連れて、寒さで朱が差した顔が見えてくる。冥界に住んでるとはいえ、やっぱりこの娘は半分人間なんだなあと再確認できた。

「おっす、妖夢。精が出るね」
「お久しぶりです、小町さん。お元気そうで何よりですよ」

お互いに挨拶を交わすと、あたいは雪から顔を出していた飛び石の上に着地した。

「今日はどうしたんですか? こんなに早くに来るなんて珍しいですね?」
「うん、ちょっと厄介なことになってね。今日はお前さんに頼みたいことがあって来たんだよ」
「頼みたいこと……ですか? ……あれ?」

妖夢はあたいの背中の風呂敷に気付いた。やっぱり鎌以外を持ったあたいの姿は目立つようだ。

「なんですか? その荷物。随分大きいですけど」
「ああ。これが、あたいがここに来た理由さ。いきなりなんだけど、あたいをこの白玉楼に一時的でいいから住まわせてもらえないかね?」
「えっ、ここにですか? なんでまた?」
「うん……ちょっと、かっこ悪い話なんだけどね……」

あたいは頭を掻いて、今朝のことをかいつまんで妖夢に話す。
今朝起きたら雪に天井が潰されていたこと、荷物をまとめて家を出たこと、ここに来た経緯。
話が進むにつれ、妖夢はみるみるうちに真剣な表情になっていった。きっと、自分が同じ立場だったら、と想像したのだろう。あたいの置かれている状況の深刻さを感じてくれるのは嬉しかった。

「……と、いうわけさ。お前さんは、あたいにとって一番頼みやすい女の知り合いだったんだ。だから、恥を忍んでここを訪ねたんだよ」
「そ、そういうことでしたか……なんとも、災難でしたね……」

一通り話し終えると、妖夢に同情の視線を向けられる。……やはり、あんまり気持ちのいいものじゃない。

「そういうことなんだよ。どうかな? 泊めてもらえることは出来る?」
「ええ、もちろん私は構いません。この屋敷には余るほど部屋がありますから、小町さんに部屋を貸し出すくらい、いくらでも出来ます」
「ほ、本当かい!? そりゃ助かる!」
「でも……」
「……やっぱり、ご主人様の了解を取らないとダメかい?」
「……はい。申し訳ないんですが、私がいくら良くても、幽々子様が是と言わない限り、小町さんを泊めることは出来ないんですよ」

まあ、予想はしていたというか、こうなるのが当然だった。
妖夢はこの白玉楼で働いている従者だ。従者には屋敷の住人を勝手に増やす権利はない。権利があるのは、妖夢の主、そして冥界の管理者の西行寺幽々子お嬢様だ。

「ふ〜む、こういう場合はどうしたらいいんかね? そんなに簡単に冥界のお嬢様に会うことなんて出来ないだろうしねぇ……」
「いえ、大丈夫です。私を通せば、幽々子様にはいつでも会えますよ」
「へ?」
「お嬢様といっても、そんなに堅苦しくはありませんから。ましてや小町さんは私の知り合いですし、幽々子様に危害を加えるようなことはしない人と心得てます。ですから取り次ぐだけなら、いくらでも出来ますよ」

はあ、けっこうフランクなんだな、冥界のご主人は。お嬢様ってのは、会うまでにいくつも手続きがいるもんだと思っていた。
なら、肩にあまり力を入れなくてもいいかも。あたいとしては、そっちの方がありがたい。もちろん、最低限のマナーは守らなければならないが。

「よし。それなら西行寺のお嬢様に直談判してみようかね。それは出来るかい?」
「ええ、大丈夫です。幽々子様は賑やかなのがお好きですから、多分お許しになると思いますよ。私も幽々子様に進言してみますね」
「それは心強い」
「じゃあ、ご案内します。幽々子様は居間にいらっしゃいますから」

妖夢は持っていたスコップを雪に突き立てて、あたいを白玉楼の玄関の方に導いてくれた。

あたいは、妖夢の背中にくっついて話しながら、白玉楼の前庭を一望する。
広い。ほんっとうに広い。
前方に見える高い塀に囲まれた屋敷が小さく見えるくらいに広々とした庭園だ。あの屋敷だって、普通の家の十倍以上はあるだろうに。
左手の方には、だだっ広い雪原にちらほらと植え込みや小さな小屋が点在し、遥か彼方には霞がかった冥界の山々が見渡せた。
右手の方に見える大きな池には、擦りガラスのような氷が張り、その中心にある浮き島には格好の良い木が生えている。
あたいたちが歩いている道には、ぽつんぽつんと楓や植え込みがある程度だが、白玉楼の背後には、屋敷をぐるっと囲むように桜の木が植わっている。まるで、天然の屏風のようだ。その真価は春に存分に発揮されるのだろう。
そんな、庭というよりは公園、といった方がしっくり来る白玉楼の前庭は、辺り一面が雪に包まれ、冬の趣を惜しげもなく伝えてくる。
春は一面の桜の海。夏は繁茂した緑の匂い。秋は紅葉。そして、冬は雪原。それぞれの季節には四季折々の姿を見せるのだろう。

「いつ来ても、凄い庭だねー。一体、この庭はいつ造られたんだい?」
「大体、二百年前だそうです。この庭は高台を整地して造られたもので、元は桜の丘だったのを、私の先代が百年の歳月をかけて丹精を込めて造園したとか」
「妖夢のじいちゃんって、一体どこにいるんだろうねー。こんなに可愛い孫が難儀して庭を守ってるってのに、庭師を継いでから音信不通なんだろ?」
「ええ、まあ……。でも二代目を継いだ時点で、すでに一人前とみなされてますから。いつまでも先代に甘えることは出来ません。私に出来るのは、いつか帰ってくるはずの先代に顔向け出来るように、この庭を維持することだけですから」

妖夢が庭師を受け継いだのは、本当につい最近のことだ。まだ教えることはたくさんあったはずなのに、先代は詳しい説明もしないまま行方をくらまし、妖夢はいつの間にか二代目庭師にされてしまった感じだったという。
それでも、妖夢は先代の仕事に負けないよう、見よう見まねで一生懸命に庭の手入れをこなしてきた。本当に、健気で努力家なことだった。

互いに最近の調子について話していると、あたいたちは年季の入った観音開きの木造の門の前に着いた。空に浮く冥界の門に比べたら見劣りするが、この門も見上げるくらいに大きくて立派だ。
妖夢はその門を通らず、隣にあった通用口に通してくれた。この巨大な門をいちいち開けるのは大変なのだ、とあたいに謝りながら。

「おお〜〜〜……」

中に入ると、白玉楼の塀の中の様子がようやく明らかになった。思わず溜め息が漏れる。
さっき通ってきた庭が前庭だとすると、この日本庭園は何庭というのだろうか。さっきの庭は前々庭で、こっちが前庭なのか。
まあ、どうでもいいのだが、あたいと白玉楼の玄関を挟んだところに、これもまた見事な日本庭園がその姿を現した。
緩やかに蛇行している雪道は、やがて池の上を通って玄関に延びており、池のほとりには松や石灯籠が雪をかぶって寂しそうに佇んでいた。
そして、初めて目の当たりにする白玉楼も、うわさに違わず相当なお屋敷だった。
日本家屋をちょっと異国風にアレンジしたような屋敷で、高さは二階建てとあまり高くないが、とにかく幅が広い。
外から見た感じでは塀の長さはざっと百メートル程度あった。その塀の端から端に届かんとする勢いで屋敷は広がっている。外から裏庭に行くのは大変そうだなぁ。

「さ、こちらです」

内側から扉にかんぬきをかけた妖夢が、再び玄関に向けて案内してくれる。

「随分と横に長いお屋敷だね〜。妖夢は一体どこの部屋に住んでるんだい?」
「一階の、あの辺りですね。あそこは台所と居間と玄関に一番近い場所にあるんですよ。仕事をする上で便利ですから」
「ほう、すると西行寺のお嬢様の部屋は二階かい?」
「ええ。幽々子様は二階の奥座敷が自室になってます。でも、大体は居間でコタツに入ってるか、どこかにお出かけになってるかですね」

はあ。こういう話をすらすらと妖夢の口から出るのをみると、本当に防犯意識は低いらしい。普通、お嬢様の部屋の位置や普段の行動パターンは口に出来ないものなんじゃないだろうか。まあ、別にお嬢様をどうこうするという気はあたいには無いし、妖夢もそれを承知しているというのもあるのだろうが。



そして、ようやく玄関に着いた。
妖夢は賽の目状に木が取り付けられたガラス戸を左側から開けた。

「さあ、どうぞ。今度は居間に案内しますね」

妖夢に促されて、あたいは玄関の敷居を跨ぐ。靴が百足は入りそうな広い玄関には、いくつかちらほらと靴が置かれていた。

「……ん?」

ふと、あたいは一足の靴に目を留めた。
……なんだこの靴。こんな履きにくくて、氷の上なんかに足を踏み出したら一発で後頭部を強打するような靴を履いているやつなんて、幻想郷じゃあいつくらいしか……

「あ」
「? どうしました、小町さん?」
「……妖夢……もしかして、あいつが……?」

あたいは見つけたばかりの変な靴を指差して問う。

「え? ああ、言い忘れてました。ええ、小町さんよりも早い時間に来たんですよ。朝ごはんを食べ終わった辺りに。今日はたくさんお客さんが来て、幽々子様も喜ぶと思いますよ」
「……」

普通の靴に高下駄を足したような変な靴。身長のサバを読ませるのにしか用途がなさそうな靴。その靴は絶妙なバランスを保って、玄関の隅っこに直立していた。地震が来たら倒れるな。
あんな靴を履いているやつは、あたいの頭の中にはあいつしかいなかった。

「な、なんで、あのパパラッチがここにいるのさ」
「取材と言ってましたね。最近ネタが少なくて、普段は来ない冥界まで足を運んだらしいです」
「……」
「? 小町さん、どうしたんですか? なんだか顔色が良くありませんよ?」

妖夢があたいの心配をする。
……そうか……妖夢は知らないのだ。“天狗の新聞の恐ろしさ”を。

「いいかい、妖夢。あたいは、雪に家を潰されてここに来た。そして、これから幽々子さんのところに行く。すると、あの記者が同席している。最終的にどういうことが起こる?」
「え? えーと…………小町さんのことが記事に書かれる、ですか?」
「その通り。そうすると、幻想郷中にあたいが家無き子になったことが伝わってしまい、笑い者にされちまうんだよ」
「笑い者、ですか? ……気の毒に思う人はいるでしょうけど、笑い者にするような酷い人は少ないと思いますけど」
「普通はね。でも、天狗の新聞に限って、人を同情に誘うような記事が上がってきた試しは無いんだよ。あいつの新聞は例外なんだ」
「?」

そう。今ここに来ている記者が書く新聞が問題なのではない。その新聞がばら撒かれることが問題なのだ。

「時にお前さん、天狗の新聞って読んだことあるかい? 今ここに来ているやつの新聞以外を」
「い、いえ、白玉楼は新聞を取っていませんので……」
「だろうね。もし見たことがあったら、真っ先に、あいつがここにいることを、あたいに教えてくれたはずさ」
「い、一体どういうことなんですか? あの人がいると、何かよからぬことが起こるとでも?」
「……どうやら、説明しておくしかなさそうだね。天狗の新聞がいかに厄介なものかを」

……いま、この白玉楼を訪れているブン屋は、幻想郷に住む者の日常生活を好んで記事にする。
どこにでもありふれた小さなニュース。例えば、どこどこの家に赤ちゃんが生まれた、どこどこの親父が新商売を始めた、今年は大根が豊作だ、どこぞの妖精が大蝦蟇に食われた、などなど。こういった学級新聞的新聞は微笑ましい。害などこれっぽっちも存在しない。

が、問題は、その新聞が世間に出回ること、そのものなのである。

天狗の新聞は、たとえ真実であろうとも、その事実を淡々と語るだけではなく、あること無いこと吹き込んで超装飾華美に飾り立てる特性がある。
天狗新聞の一流紙の“鞍馬諧報”は、そりゃあ凄いもんだ。例えるなら、“あるところの人間夫婦に子供が生まれた”が“全身毛むくじゃらの一つ目の大男が生まれた”なんて、とんでもない内容に変わってしまう。もはや、新聞ではなくフィクション小説だ。
天狗の新聞は大体がこんな感じなので本気にしないのが一番なのだが、新聞に載せられると面が割れる。
最近、天狗の新聞が急に大量になり、一部の妖怪の間だけではなく、幻想郷中にばら撒かれるようになった。いま幻想郷に住んでいるやつで、天狗の新聞を知らない者はあまりいないだろう。だから、天狗の新聞に取り上げられたやつは、それだけで世間のネタの対象になってしまう。

ここに来ているブン屋の新聞は、天狗の新聞にしては珍しく真実を含む割合が多く、普通の新聞に近い。おそらく“雪の重みで家を潰された小野塚小町さん、途方に暮れて白玉楼に物乞いに来る”なんて記事を書くに違いない。
もし、この新聞がばら撒かれると、他の天狗に凄まじい速度で情報が伝わっていき、二日もあれば、あたいが宿無しになったことは天狗の間では周知の事実になるだろう。

そして、ここからだ。その記事が鞍馬諧報みたいな新聞を書く大天狗の目に留まり、外を歩けないような恐ろしい内容に脚色されて幻想郷中に新聞をばら撒かれたら、あたいは七十五日の間、顔を見られるたびに忍び笑いされるような、むちゃくちゃ居心地悪い毎日を過ごすことになるだろう。
あたいは芸人ではない。一日一日を平凡に過ごす善良な一般人だ。そういう、つまらんやつは滅多に天狗の新聞に載らないが、間違って載ってしまうと他の一般人にえらい注目される。嘘だと分かっていても、ネタが面白ければ受け入れてしまうのが人情だ。妖怪でもそれは変わらない。

だから、いくら弱小新聞“文々。新聞”の記者とはいえ、雪で家を潰された、なんて滅多に無い美味しいネタを渡すわけにはいかないのだ。

「実際、あたいの知り合いの死神が鞍馬諧報に準ずる天狗の新聞に載ったことがあってね。そいつは三途の渡し賃を他の死神からちょろまかして閻魔様に説教されているところを、たまたま通りがかった天狗に見つけられて、人殺しをしたかのような大悪党に仕立て上げられた。記事を書かれたそいつは、ほとぼりが冷めるまで家から一歩も出られなくなったくらいなんだよ」
「は、はあ……なんとも大変なんですね」
「そんな他人事みたいなこと言っていていいのかい?」
「はい?」
「お前さん、ずっと前に、ここに来ているやつに取材されたことがあっただろう。確か、幻想郷に霊が大量に入り込んで、お前さんがそれを冥界に戻しに来たって記事だったと思うけど」
「あ、そういえばそうですね。そんなこともありました……………………って、まさか!」
「その記事の後に、お前さん自身の紹介記事が掲載されてね。確か、白玉楼の従者として、給金なし、休みなしで働かされている、とかいう記事だった。それが他の新聞にパクられて載ったことがあったんだよ」
「そ、それで……? それはどんな記事だったんですか……?」
「……」
「な、なんで目を逸らすんですか!? 教えて下さいよ、小町さんっ!」

あたいの両肩を掴んで詰め寄る妖夢。やっぱり、こんな反応をすれば食いついてくるよな。でも、言うわけにはいかなかった。妖夢の名誉のためにも。

「ま、そういうわけさ。お前さんの記事は、最近の新聞ブームの前だったし、お前さんの知り合いは新聞なんか無頓着のやつらが多い。だから、それほど被害は無かったんだろう。でも、あたいは違うんだ。接客業で、同じ仕事をしているやつらは腐るほどいるし、そいつらからしつこく揶揄されるとストレスが溜まって仕方ない。良い記事ならまだしも、悪い記事を書かれるのはあまりよろしくないんだよ」
「な、なんとなく分かりました。でも、どうします? あの人は先ほど来たばかりですし、まだ幽々子様とお話ししていると思いますけど」
「うーん…………仕方ないね、一旦出直すか。仕事場に戻って、少し仕事をしたら、昼頃にまた来るよ」
「はあ、そうですか。じゃあ、小町さんが戻ってきたら、幽々子様にすぐにお通し出来るようにしておきますので」
「ああ、頼むよ。それじゃ」

あたいは妖夢に背を向けて、ガラス戸の取っ手に手をかけた。

「あれ? 小町さんじゃないですか?」

…………

あたいは、取っ手に手をかけた体勢で固まった。妖夢ではない、第三者の声が背後から聞こえたからだ。
女の子っぽい可愛い声だった。しかし、あたいにとっては今一番聞きたくない声でもあった。

油の注していない自動人形のようにゆっくりと後ろを振り返る。そして、そこにやつがいた。

「……や、久しぶりだね、射命丸の」
「はい、どうも。射命丸文です。お久しぶりですねー」

鴉天狗の新聞記者、射命丸文だった。なぜこいつが玄関に……。

「な、なんでお前さんここにいるのさ? 居間にいるって妖夢から聞いていたけど?」
「へ? 厠を借りていただけですよ? それでさっき戻ってきたんです。もー、遠くて遠くて。それに、どこにあるのか分かりませんでしたから一苦労でしたよ」

ニコニコしながら厠探索の結果報告をしてくれる。まさか、こんなお約束が来るとは……今日はどうも最高の厄日らしい。

「小町さんこそ、こんなところで何をしてるんです? 妖夢に用ですか?」
「あ、ああ……え、えーとね、よ、妖夢に白玉楼の見学をさせてもらおうと思ったんだよ。あたい、一回もここに入ったことなかったしね〜」
「見学、ですか? 小町さん、今は仕事の真っ最中じゃないんですか? それにその荷物……」
「あ、ああ、だから、いま帰ろうとしていたんだよ。悪いね、妖夢! また今度ね!」
「えっ!? あ、は、はい、また都合のいい時にでも来てください!」

首を傾げて不思議そうにしている文を尻目に、あたいは外に出ようとした。これ以上追求されたら、どこかでボロが出るかもしれない。

「じゃ、じゃあ、文もまた今度ね! 面白いネタがあったら教えてあげるから!」
「あ、小町さん! 後一時間もしたら小町さんのおうちにお邪魔しますからよろしくお願いしますね!」

ずがんっ!

「だっ、大丈夫ですか!? 小町さん!」
「うわ……痛そ……」

あたいはコケてガラス戸に思いっきり額をぶつけた。額を押さえてうずくまる。かってぇなぁ……このガラス……。

「あ、あたいの家に来るって……なんでまた……」
「いや〜、恥ずかしながら、最近面白いネタが見つからないんですよ。だから、知り合いのところを片っ端から回っているわけです。小町さんの家って、私一回も行ったことないじゃないですか。面白い物があるのかな〜と思ったんです」
「いや、だって、あたい、これから仕事があるし……」
「あ、そうですね……じゃあ、休みの日を教えてください。その日に伺いますので」
「し、死神は休みが少ないんだよ。次の休みがいつになるかなんてちょっと分からないね」
「? なんか変ですよ? 小町さんは、いつも仕事をサボる口実を見つけようとしていたじゃないですか。なら、私の取材の名目でサボることは出来ますよ? それに、ここへだってサボるために来たんでしょ? なのに、なんで帰っちゃうんですか?」

いかん、段々不審がられてきた。あたいは、いつもこいつに不真面目なところしか見せてないから、急に真面目になったら、その原因を探ろうとするかもしれない。
じゃあ、なにか? あたいはこいつから逃げることは出来ないってこと?

「わ、分かったよ。手が空いたときに無縁塚に来な……」
「あ、どうもありがとうございます! それじゃあ、私は居間に戻りますね。小町さん、後でたっぷりお話聞かせてくださいね〜」

文は手を振りながら、廊下の向こうに消えていった。

「……」
「ど、どうしましょうか……? これじゃあ、隠し通すことは難しいですよ?」

言われるまでもなく分かっている。あいつはさっき、あたいの家に行きたいと言ったのだ。仮に隠し通すとしても、一体どんな手を使う?
引っ越した、と言えばそっちの方に連れて行けと言われるに決まってるし、白玉楼以外の引越し先をあと一時間で探すのは困難だ。しかも、その途中で文が気まぐれを起こして一時間経たずに無縁塚に来て、その場にあたいがいなかったら、あいつの性格からして他の死神にあたいの家の場所を聞き出して訪れるかもしれない。そうしたら全部パーだ。

「はあ」

あたいは溜め息をついて、覚悟を決めた。もう悟った。

「いいや、もう、このまま幽々子さんに会っちまおう」
「えっ!? い、いいんですか!?」
「ああ。冷静に考えてみて、白玉楼に泊まりながら、あたいの家がぶっ潰れたのをずっと隠し通していく自信がない。また今日みたいに気まぐれで冥界に来られて鉢合わせしたら、なんで冥界に住んでいるんですか、ってことになる。それに、もうどっかの天狗があたいの家の残骸を発見しているかもしれない。半端じゃないからね、天狗の情報網は。書かれるかもしれない記事に怯えるより、書かれて腹を決めてしまった方がいい」

長い間笑い者にされるかもしれないが、別に死ぬわけでもないし、新しく家を建てるまでの辛抱だ。
ああ、そう考えると気が楽だ。やっぱり、あたいはチマチマ考えるのが性に合わないらしい。

「……小町さんがいいなら、私は何も言いませんけど……」
「ああ、大丈夫だよ。それじゃ、いこっか。幽々子さんのところへ!」

あたいは妖夢より先に草履を脱ぎ捨てて、玄関を上がった。吹っ切れればこんなもんだった。



あたいは、妖夢の案内で白玉楼の渡り廊下を歩いていた。
左手には枯山水の見事な日本庭園。この庭も妖夢が手入れをしているのだろうか。

「見事な庭だね〜。これもお前さんが手入れをしているんだろ? 大したもんだ」
「いえ、そんな。私は先代に比べたらまだまだです。ようやく真似事ぐらいは出来るようになりましたが、修行不足は否めないですよ」
「そうなのかね。素人目には十分いい仕事をしていると思うけど」
「ありがとうございます」

妖夢は振り返って微笑する。しかし、すぐに少しだけ眉をひそめた真剣な表情になった。

「それにしても、今回は本当に災難でしたね……」
「いや、元を正せば自業自得さ。オンボロ家の屋根に、あれだけこんもり雪が載ってたら誰だって危ないって思っただろうしね。あたいが生来の怠け者だって、お前さんも知ってただろ?」
「はあ……」

妖夢は笑っていいのか悪いのか曖昧な表情をする。あたいの事を考えれば明るく振舞った方がいいのだろうが、不幸に遭ったやつを笑い飛ばしていいのか、葛藤しているのだろう。
あたいとしては笑ってほしいところなのだが、妖夢にはそれは難しいのだ。深く考えすぎてしまう。それは、この娘にとってはいいところでもあり、悪いところでもあった。

やがて、妖夢は一つの障子の前で止まった。中から話し声が聞こえてくる。一人は文、そして、もう一人が西行寺のお嬢様、西行寺幽々子さんなのだろう。
妖夢はその場に膝をついて、障子を開ける姿勢を取った。そして、こちらを見る。あたいはそれに軽く頷いた。

「幽々子様? 少しよろしいですか?」
『あら妖夢、何かしら?』
「幽々子様に面会したいという方がいらっしゃいましたので、お通ししました」
『面会? 誰かしらね? いいわよ、お入りなさいな』

幽々子さんがそう言ったのを聞くと、妖夢は障子を音もなく開ける。そして、あたいに譲るように膝をついたまま横にずれた。
あたいは開け放たれた障子の前に立つと同時に、正座をして頭を下げる。

「お初にお目にかかります、西行寺家の当主様。私は、四季映姫・ヤマザナドゥ直属の船頭死神をやっております、小野塚小町と申します」
「あれっ、小町さん。仕事に戻ったんじゃないんですか?」
「この度は、当主様に折り入ってお願いしたい旨がございまして、ご無礼を承知でこちらに参りました。どうか、お話を聞いて頂けませんでしょうか」

文の声は無視して、幽々子さんにだけ集中する。どうせこいつにも話すことになるんだから、幽々子さんに失礼の無いように堂々としていた方がいい。

「あらあら、ご丁寧な挨拶ね。そんなに堅苦しくならなくてもいいわよ〜。お顔を見せて頂戴な」

柔らかな声が聞こえ、あたいはゆっくりと顔を上げる。
目の前には十人は入れそうな大きなコタツがあり、右の方に不思議そうな顔をした文がいる。
そして正面の上座に、桃色の髪にくりっとした大きな目の女性の姿があった。こ、これが西行寺の当主様?

「あ、あなたが西行寺幽々子様ですか?」
「そうよ〜。白玉楼の主をやっています西行寺幽々子です。よろしくね〜」

ぽわ〜、と花が咲くように笑う幽々子さん。ほ、本当に西行寺の当主様……。イメージと違うなぁ……。

「さ、そこじゃ寒いでしょ? コタツに入って。妖夢、お茶を入れてあげてね」
「はい」

あたいは幽々子さんに促されてコタツに入る。あ、温かい。やっぱいいなぁコタツ。

「小町さん、仕事に戻ったんじゃないんですか? それとも、また気が変わったんですか?」
「まあね。ま、それはおいおい話すよ。ちょっと複雑な事情なんだ」

すると、妖夢が火鉢にかけられたお湯を急須に注ぎながら話を進めてくれた。

「幽々子様。小町さんは白玉楼に、一時の宿を求めにいらっしゃったんです。どうかお聞き届け下さいね」
「一時の宿? ふむふむ、一体どうしてかしらね。聞かせてもらえるかしら?」
「はい、お話しします」

あたいは一つ呼吸を整えて、おもむろに話し出した。

「事の起こりは、今日の早朝でした。私はあまりの寒さに就寝中に目が覚め、布団の中から辺りを見回しました。すると、家の屋根の大半が抜け落ちていることに気付いたのです。どうやら、降り続いた雪の重みに耐えかねて潰れてしまったらしく、私は家を失ってしまいました」
「あらあら、それは大変」
「この季節、野宿をするには、たとえ妖怪といえども厳しく、それ故、屋根のある家に住んでいる友人を頼ろうと考えました。そこで思いついたのは、こちらで庭師をなさっている魂魄妖夢殿でした。妖夢殿とは、昨年の六十年ぶりの花の大開花の時より、お付き合いさせて頂いております。その縁を頼り、こちらに参った次第」
「ふむふむ、そうだったの。あなたが妖夢とお友達だったなんてぜんぜん知らなかったわ」
「ご挨拶が遅れましたことはお詫びいたします」
「ええ、それで?」
「妖夢殿は幽々子様の従者。妖夢殿の独断で私を白玉楼に泊めることは出来ません。それ故、白玉楼の主である幽々子様に、私を白玉楼の住人の末席に加えて頂く許可を頂きたいのです。どうぞ、よろしくお願いします」

あたいは頭を下げる。

「あらあら、だからそんなに固っくるしくならなくてもいいわよ〜。泊めるのは構わないわ。見ての通り、ここは私と妖夢しか住んでいないし、部屋は余るほどあるからね〜」
「で、では……」
「でも、一つ疑問に思ったことがあるのよ。私の見たところ、あなたは妖夢以外にもお友達はたくさんいると思うの。だけど、あなたは白玉楼を選んだ。自惚れるわけじゃないけど、私は彼岸に住んでいる方たちから一目置かれているという自覚がある。昔通だったら、私の近くにいたら気疲れするはずなのよ。だから、妖夢がお友達だったって理由だけでは少し弱いような気がする。本当に、白玉楼を選んだのはそれだけの理由かしら?」
「……」

さすがに冥界のお嬢様か。天然ボ……いや、頭が春っぽ……いや、……親しみの持てる風貌とは裏腹に、あたいの“豪邸に泊まりたい”という下心を見抜いているのかもしれない。
しかし、ここで「それだけです」と言ってしまうと訝しく思われるかもしれないし、正直に「白玉楼に泊まりたかった」と言うのはアホのすることだ。
ならば、言っちゃまずい部分は言わずに真実を話す。真実を話せば、嘘を言っている時に出る仕草は出ない。あたいが白玉楼に泊まらざるを得なかったというのは本当のことなのだから。

「……実を申しますと、他に理由がございます」
「あら、そうなの?」
「はい。私が白玉楼に泊まらざるを得なかった理由。それは、親しい女の友人が妖夢殿しかいなかったからです」
「え? どういうことかしら? あなたの周りは男の方ばかりなの?」
「はい、そうです。ご存知かと思いますが、船頭死神は男が主体です。同僚で付き合いのある死神は全て、男。上司の四季は女性ですが、閻魔の役職に就いている者のみが使用できる寮に入っており、私はそこを頼れない」
「……」
「同僚はあくまで同僚であり、夫ではない。私は夫以外の男に貞操を許す気はありません。故に、女である妖夢殿、そして幽々子様を頼ったのです。ご理解頂けたでしょうか?」
「ふぅ〜ん」

幽々子さんは微笑みながらあたいを見つめる。あたいの言葉に嘘がないか探っているのだろうか。
だから、あたいもまっすぐ幽々子さんを見据えた。後ろ暗いことなど何もないと言うかのように。

「幽々子様、小町さんの言っていることは本当ですよ」

と、そこにお茶を持ってきた妖夢が割り込んできた。

「小町さんは、よく考えた上で白玉楼を選んだんです。私は以前に、白玉楼の部屋の状態や食糧事情について、小町さんに話したことがあります。人一人が増えると食料の減りは著しく、その他にも様々な弊害が出てきます。だから、出来る限り余裕を持っている家を選んだ末が白玉楼だったというだけのことです。小町さんに何もやましい所はありませんよ」
「あら、もちろん私もそんなことは思ってないわよ? そうよね、小町さん」
「はい。ですが、食料に関しては自分で用意出来ますので、手をつけてはいけないと言われたらそうします。私は屋根のついた家に泊めて頂ければそれで満足ですので。出来るのなら、風呂と厠は拝借させて頂きたいとは思いますが、多くを望むのは失礼に当たりますから」
「ふむふむ。なるほどねぇ〜」

幽々子さんは笑みを崩さない。なかなか心の内が読みづらい人だ。何を言ってくるのか、全く見当がつかない。

「……あの閻魔様から聞いていた話と違うわね〜。あなたはもっと適当で、不真面目な人だって言ってたけど」
「えっ、四季様をご存知でしたか?」
「ええ、時たま世間話に来るのよ〜。その時に、あなたのこともよく話に出てたからね。名前を名乗ったときに、ああ、あの娘だ、と思い至ったのよ」
「は、はあ、そうですか」

すでに、あたいのことは四季様経由で幽々子さんに伝わっていたのか。何を話したのかは知らないが、どうせ、ろくなことではあるまい。

「あなたの話は分かったわ〜。西行寺幽々子の名において、あなたを白玉楼に住まわせることを認めましょう」
「えっ?」
「一応、客人扱いにするわね。妖夢がいろいろお世話になっているみたいだし、あの閻魔様の部下なら、なおさらね。何か用があったら妖夢に言えばお世話するように言っておくから」
「い、いえ! そこまでして頂かなくても結構です! 妖夢殿の手を煩わせるわけには……」
「ここでは私が閻魔様なのよ〜。だから、あなたは客人に決まったの。遠慮はするもんじゃないわよ?」
「は、はあ……」

めっ、という可愛いポーズを取られた。そんなことされたら、何も言えない。

「ここは大きいお屋敷に見合った蓄えはあるわ。だから心配しなくても大丈夫。あなたが出たくなったときに出ればいいわよ。これからよろしくね?」
「は、はいっ、どうぞよろしくお願いします!」

最後にもう一度頭を深々と下げる。
よかった、幽々子さんは話せる人だ。こんなに簡単に下宿をゲット出来るとは思わなかった。お嬢様ってのは気位高いお人しかいないと思っていたが、今日からそのイメージを改める必要がありそうだった。

……で、これから休憩なし、続けざまに第二ラウンドに入る。
多分、無駄だとは思うが、一応釘を刺してみよう。

「さて。次はお前さんか」

あたいは文の方を見る。無茶苦茶真剣な様子でメモを取っていた。ちょっと鬼気迫っている。

「……はい? 呼びましたか?」
「お前さん、この件を記事にするつもりだろ? そのことについて少し話し合おうじゃないか」
「話し合うですか? 私からは何も話すことはありませんが」

だめだ。こいつ表情には出してないが、すんげーわくわくしてる。思いもかけず美味しいネタを手に入れられたんだから、そりゃ嬉しいだろう。これから家にすっ飛んでいって、机に向かうに違いない。

「小町さんは、文ちゃんとお知り合いだったの? お友達かしら?」
「いえ、以前取材でお会いしたんですよ。それから数回会っただけで。知り合い以上友達未満って感じですね」
「まあ、そんな感じです。でだ。お前さんと交渉したい。その記事を掲載するか否かについてだ」

文は不思議そうにこちらを見る。なんでこの人はそんなこと言い出すのか、と理解できない様子だ。

「何言ってるんですか? 私は新聞記者ですよ。目の前で起こった事件については記事にする権利があります。何を言われようが、私は小町さんのことを記事にしますよ?」
「ああ、それは百も承知だ。お前さんの新聞に懸ける情熱は並々ならないものがあるからね。でも、無理を分かっていて言っている。その権利を、今回は引っ込めてくれないかね?」
「そんなの頼まれても困ります。それに、記事を書くな、と言われて書かなかったら、記者の意味がなくなるじゃないですか。私は公明正大なジャーナリストですから」

やっぱりダメかな。聞く耳持たないみたいだし。
こいつは頭の回転は速いくせに、けっこう融通が利かない。自分の新聞に対してはなおさらだ。

「文さん。私からもお願い。小町さんのことは記事に書かないであげてくれないかな?」

と、私が諦めかけていた時に、妖夢が口を開いた。

「へ? 妖夢まで何を言ってるんですか? さっきも言ったとおり、私は記事を書くのをやめませんよ」
「ううん、文さんの新聞にケチをつけるわけじゃないの。だけど天狗の新聞って、みんな文さんみたいな新聞ではないらしいじゃない。文さんの新聞から、小町さんのことが尾ひれをつけて他の新聞に変なように書かれたら、小町さんがかわいそうだと思うのよ」
「ああ、確かに、私も去年の大会の優勝者の新聞は大嫌いですね。あんな嘘だらけの新聞、新聞じゃなくてただの紙と同じです」

お前さんの新聞も多かれ少なかれ嘘が入ってるぞ、と思ったが口には出さないでおく。

「でも、そんな新聞記者にも記事を書く権利はありますし、私に止めることは出来ません。私に出来るのは、起こったことを正確に記事にして、みなさんに伝えることだけですから」
「はあ……そうですか……」

落胆する妖夢。でも、その心遣いが嬉しかった。

「ありがとう妖夢。まあ、こうなることは分かっていたし、仕方がないさ。なに、ちょっと大げさに書かれるだけだよ。あたいが屋根に押し潰されて、命からがら白玉楼に来て、現在面会謝絶になっている、とか、そんな感じに大げさに、」

……ん? ……まてよ? …………大げさに書かれる?
大げさに書かれるってことは、何も悪いものばかりじゃない。天狗の新聞に書かれる記事は、非道いものばかり目に付くから、そっちの方に注目してしまったが、ちらほらと景気のいいニュースも書いてあった。
地面から大判小判がザクザク出てきたとか、不治の病にかかっていた妖怪が奇跡的に助かったとか、少ないがそういう記事も確かにある。

今回の問題は、文があたいのことを記事にして新聞をばら撒くことが必須条件になっている。ならば、これから文が書く記事を良いニュースに変えてしまったらどうだろう。
それが出来れば、文の新聞を通して、他の天狗の新聞にものすごい美談として載せられるかもしれない。そうだ。同じ大げさでも、褒められる方の大げさの方がいいに決まっている。

「じゃ、この辺で私は失礼しますね。明日あたりに、小町さんは注目の的になっているかもしれませんね。それでは」

荷物をまとめて、立ち去ろうとする文。

「……ちょっと待ってくれ。もう少しだけ話を聞いてくれ」
「へ?」

帰ろうとした文は、あたいの静止の声を聞いて障子の敷居を跨いだところで足を止めた。

「なんですか、小町さん? 何回も言いますが、記事を書くな、という説得には応じられませんよ?」
「ああ、それは構わない。お前さんの前であたいがしゃべったことだからね。好きに書けばいいさ。だけど、一つあたいから記事の書き方についてアドバイスがあるんだよ」
「アドバイス、ですか? はあ、まあ、いいですよ。どんなお話か聞かせてください」
「……いいよ」

そう言って、あたいは一つの提案を、素早く頭の中で組み立てる。

「あたいはいつも思ってたんだ。お前さんの新聞はたまーに読むけど、何かが足りないってね。それは、長期的で綿密な取材による密着ドキュメントみたいな記事だ、ってことにいま気付いた」
「密着ドキュメント、ですか?」
「ああ。お前さんの新聞は刹那的に起こった事件が多い。何か面白いものがあったら、それをすぐさま記事にする。今回だっていい例だ。でも、面白いものなんてそう落ちてやしない。だから、お前さんの新聞は、面白い時もあれば、つまらない時もあり、ばらつきが激しい。それだと、定期的な購読者を増やせないだろ?」
「む……」
「安定して面白い記事を書きたいなら、密着ドキュメントは適している。何日にも及ぶ追跡取材をその度に記事にしていけば、読者は次が気になってしょうがなくなるだろ? そしたら、しめたもんだ。記事が急に面白くなくならない限り、そいつらはお前さんの新聞を買い続ける。それが噂になったりすれば、さらに購読者が増えるかも、もしかしたら、バックナンバーを欲しがるやつが出てくるかもしれない」
「ば、バックナンバー……。いい響きですね。そんな注文、いままで受けたことありません……」
「そうだろ? あたいは協力を惜しまないよ。取材費を取る気もないし、つまらなかったら止めればいい。記事の内容も、お前さんに任せるよ」
「ふむ……。つまり……家を潰された小町さんが、いかにして復活を遂げるのか、を追跡取材するわけですか。ということは、小町さんのお仕事に密着することになりますね。でも、小町さんのお仕事ってネタになるんでしょうか? 面白くなければ長期取材する価値もないですよ?」
「それは直に目で見てもらわないと、何とも言えないね。これから、あたいがやろうとしていることは、あたいもやったことのない類の仕事なんだ」
「え? 新しい仕事にチャレンジするんですか?」
「船頭の仕事はいままでと同じだけどね、やり方を変えるんだ。だから、あたいも試行錯誤をしなければならないんだよ。その辺も記事に盛り込んでみたらどうだい? “不真面目死神の我が家再建計画”なんて、ちょっと興味を引かれるじゃないか」

一通り、あたいの話を聞いて、文は考えこんだ。
これがあたいの作戦だ。同じおもしろおかしい記事なら、自分に有利な方向にベクトルを向けさせる。あたいの家が潰された、で記事を終わらせないようにし、あたいが苦労して家を建て直すまでの感動ストーリーを演出する。実際、あたいは新しく家を建てたら、家具その他などの生活に必要な物を一通り揃える必要があるので、金を貯めるために相応の苦労をすることになるだろう。
そのためには、文にその記事を書かせる気を起こさせる必要がある。こいつに限らず、天狗は新聞の購読者を増やすことに執心しているようだから、その方法を一つ提案してやったのだ。

「……そうですね。確かに、私はそういった類の取材をあまりしたことはありません。ネタはその時その時の一瞬を追いかけて、それを記事にしたらまた新しいネタを追う。それはすぐにネタが尽きてしまう原因にもなっています。でも、一人の人物に密着して長期間に渡って取材をすれば、ネタが尽きることはありません。あわよくば、その取材中に、他のネタが転がり込むかもしれない」
「その通りだ。それに、新しい経験をするのも、新聞記者として必要なことじゃないのかい?」
「……分かりました。じゃあ、今日は小町さんの仕事に同行して様子を見ることにしましょう。そこで記事になりそうだったら、取材を続けるし、ダメそうだったら元のネタを使う。それでいいですか?」
「ああ、構わない。今日はここで一時間ほど休んだら出発するから、その時にまた来なよ」
「はい、分かりました。じゃあ、ちょっと家に戻って、いろいろ道具を持ってきますね!」

文はそう言うと、そそくさとその場を後にした。

「…………ふ〜〜〜……」

よし、一時持ちこたえたか。
まあ、後はあたいの頑張り次第だろう。真面目に仕事に打ち込んで、奮闘している様を見せれば、最終的にはものすごい美談に化けるかもしれない。乞食になってのたれ死んだ、なんて書かれるよりはましだ。

「うふふ、あなた面白いわ〜。なんとか変な記事を書かれずに済んだようね〜」
「げ、ば、ばれてましたか?」

幽々子さんがくすくすと笑ってからかったので、ぎくりとして振り返る。

「やっぱり、私の目に狂いはなかったわ〜。これから楽しくなりそうね。いろいろと期待してるわよ? “こまちゃん”」
「こ、こまちゃん……? あの、それは一体……」
「“こまちちゃん”だと呼びづらいから、それでいいわよね〜。私のことも“ゆゆちゃん”って呼んでいいわよ?」
「いえ……、遠慮しときます……」

い、いかんなあ。このお人、四季様とは違った意味でやりにくい。妖夢が何を考えているのか分からない、と言っていたのも分かる気がする。掴み所がないのだろう。まさしく、幽霊のように。

「じゃあ、妖夢? こまちゃんを部屋に案内してあげて。空いている中で一番いい部屋を割り当ててあげなさいね?」
「はい。さ、小町さん。部屋に案内しますから、こちらにどうぞ」
「あ、ああ、頼むよ」

あたいは、にこにこしながら手を振っている幽々子さんに一礼して、居間を後にした。
しばらく渡り廊下を歩くと、妖夢が口を開く。

「小町さん、幽々子様に気に入られたみたいですよ?」
「は? そうなの? なんで?」
「あんな楽しそうな幽々子様は久しぶりに見ましたから。先ほどの弁舌がツボに入ったみたいですね。咄嗟の機転、お見事でしたよ」

妖夢は感心したように、あたいを見つめる。

……何がなにやら分からないが、とりあえず白玉楼に居住権を確保できた。
それだけの大きな収穫があっただけでも良しとしよう。







妖夢の案内で部屋に通されたあたいは、早々に布団を引っ張り出して、その上でごろごろしていた。
元いた家にベッドがあって、暇なときはそこで寝転がっているのが習慣になっていたため、どうも布団が常備されていないと落ち着かないのだ。四季様から行儀が悪いとよく言われる。

「む〜〜〜〜〜〜…………」

寝返りをうって右を見る。
また寝返りをうって、今度は左を見る。
そして、最後に仰向けになる。
……落ち着かない。
落ち着かないというか、微妙に居心地が悪い。

まあ、ここが天下の白玉楼であるという要素もある。下手な高級旅館なんかよりも、よっぽど泊まることなど出来ない場所だ。
しかし、それだけなら、あたいもこれほど落ち着かない気持ちにはならない。あたいは枕が変わろうと場所が変わろうと、どこでもグースカ寝られる性質だからだ。
ただ、それは、あたいの今までの経験を元にしているのであって、全くの未知の場所に寝床を設けて今まで通り寝られる、という証明にはならない。事実、今その反証を味わっている。

「うお〜〜〜……、なんだか広すぎると逆に落ち着かない……」

貧乏性というのだろう。
約二十メートル四方の、超だだっ広い畳部屋の前には、あたいの無神経さは歯が立たなかった。

布団に寝転がりながら左を見ると、日光に当たってまぶしいくらいに光っている障子がずらーっと並び、
右に目を向けると、売り払ったら一年は遊んで暮らせる金額が叩きだせるような、見事な桜の襖がずらーっと並んでいる。
天井も、ものすごく高い。
ていうか、ここって一人が泊まるために造られた部屋じゃないんじゃあ……。

(幽々子さんは、一番いい部屋って言ってたけど……確かに文句の付け所のないくらいいい部屋だ……)

文句があるとすれば、あたいの肝っ玉の小ささだ。

(ダメだ。妖夢に頼んで、もっと小さな部屋に変えてもらおう。幽々子さんの手前ちょっと気が引けるけど、このままでは、今日は多分寝られん)

でもまあ、いまだけは白玉楼のスウィートルームを堪能しておこう。せめて仕事に出かける直前くらいまでは。
あたいは持ってきた文庫本を風呂敷の中から取り出してページを繰り始めた。



一時間後。あたいはいつもの死神装束に着替えて部屋を出た。
文が来るまで待っていなければならないのだが、めんどくさいなぁ。でも、待ってないと、あたいの家が潰されたっていう面白記事を当社比1.5倍くらい脚色して書かれるに違いない。
仕方ないな。とりあえず、さっきの居間にあったコタツでぬくぬく待ってるか。

「あっ、こまちさ〜ん!」

あたいがコタツのぬくさを思い出して陶然としていると、渡り廊下の向こうの方から妖夢の声が聞こえた。
そっちの方を見ると、なんか両手で箱みたいなのを二つ持っている。
ちょうどいい。今の内に部屋を変えてもらうように頼んどこう。

「よう、妖夢。そろそろ出ようと思ってるんだ。文はまだ来てないよね」
「ええ、でもそろそろ来ると思いますよ。それより間に合ってよかったです。これをどうぞ」
「? なんだい? これ」
「今日のお弁当です。向こうで手が空いたときにでも食べてください」
「……弁当……?」

妖夢は弁当という名の箱を一つあたいに手渡した。
重量感のある三十センチ四方の黒塗りの箱を、あたいはしげしげと見つめる。

「あっ、差し出がましかったですか? いらないなら別にいいんです。荷物になるようでしたら遠慮なく言って下さい」
「………………」

弁当……BENTO……なんだそれは?
あたいがいつも弁当と呼んでいるものと、いま手に持っている箱とが結びつかない。

弁当っていうのは、朝飯の残りを適当に握って、適当に塩をぶっ掛けたものを言うんじゃなかっただろうか。たくあんなんかが余ってたら横に載せたりしてちょっと贅沢な気分に浸ってみたり。
それを笹の葉で包んで、カバンに突っ込む。あたいの認識している弁当とはそういうものだった。

しかし、妖夢はこの箱は弁当だという。
つまり…………この箱は食えるのか? ああ、そうすれば納得がいく。一見、木に見えるが、齧ってみるとほのかな甘みと適度な酸味が口内に広がり、濃厚な口当たりが……

「って、んなわけあるかい!」
「わっ」

心の中でボケて、声に出して突っ込んだら、妖夢がちょっと引いた。

「ど、どうしました?」
「ああ、ごめん。現実と自分の認識とのギャップに驚いちまった」
「はい?」
「いや、なんでもない。えーと、ちょっと開けてみてもいい……?」
「え? ええ、いいですけど……」

妖夢に許しを貰って、あたいは恐る恐る箱を開ける。カパッという音とともに、その中身が姿を現した。

「おおおぉぉぉ……」

えっ、なにこれ、食い物? かろうじて白い飯は分かるが、その周囲にある物は食えるのか?
あっ、これは玉子焼きだ。これは知ってる。他の物は……えーと、あれだ、懐石料理ってやつ? それに似てる。なんていう料理なのかは知らん。
まあ、とにかく、見ているだけで箸を突付きたくなるような、彩り豊かな料理が箱一杯に並んでいる。こ、こんなの食っちゃっていいのかなぁ……。

「幽々子様に、お弁当を持たせるなら今日は初日だから奮発しておきなさい、と言われましたので、白玉楼で出せる一番のお弁当を作ってみました。もっとも、幽々子様が食べたいだけのような気がしますけどね」
「……」

あたいは弁当の箱をゆっくりと閉じ、とりあえず持っていたカバンをそこに置き、それを敷物にするかのように、その上に弁当の箱をそっと載せた。
そして、妖夢を見上げるように振り返り、その名を呼ぶ。

「妖夢……」
「はい?」

返事をした瞬間に、ガバッと妖夢に飛び掛って、力の限り抱きしめた。

「ふわぁっ!」
「きゃーーーーーー!! ようむさいこーーーーーー!! だいすきーーーーーー!!」

妖夢の顔を胸に押し付けるようにして頭をすりすり頬擦りする。さらさらの銀の髪がとても気持ちよかった。

「む、むぐっ、むぐぅっ!」
「妖夢ー、最高だよー! こんな凄い弁当作ってくれるなんて、お前さんどこの聖人だい!? ありがとうなー!」
「な、なにしてるんですか……? こんなところで二人で抱き合って……」

あたいが妖夢に至上の喜びを表していると、空から降ってきた天狗がちょっと引いた。

「おおっ、いいところに来たね! 今からちょうど行こうと思ってたんだ。お前さんに船頭の仕事をたっぷり見せてやろうじゃないか!」
「は、はあ……随分やる気が出てますね……。それより、妖夢を離した方がいいですよ。顔が真っ赤です」
「へ?」

文に指摘されて下を見ると、耳まで真っ赤になっている妖夢が必死に逃れようともがいていた。

「あ、ああ、ごめん! ついっ!」
「ぷはあっ!」

妖夢を腕の中から開放すると、前かがみになりながら息を整える。口から大量の白い息が立ち上った。

「はあ……はあ……こ、こまちさん……ひどいです……。息が、ぜんぜん出来ませんでした……」
「いやー悪い悪い。嬉しさのあまり、つい思いっきり抱きしめちまった」

あまり反省の色なく頭を掻くあたいに、妖夢はちょっと非難めいた目でこっちを見る。

「一体なにやってるんですか。端から見たら誤解を受けそうなシチュエーションでしたよ? それとも実際にそんな関係なんですか?」
「そう、いまから妖夢はあたいの奥さんね。そしたら、毎日弁当を作ってくれるよね?」
「こ、小町さんっ!」

あたいの軽口に妖夢が怒ったので、手近な障子を開けて引っ込んだ。

「全く……。あ、文さんも今日は小町さんについて行くんでしょ? よかったら、これを持って行って」
「へ? なんですか、これ? あ、温かい」
「お弁当です。小町さんのと同じですから、安心してくださいね」
「…………」

凄いな妖夢。あたいが思いっきり抱きしめても弁当を死守するとは。
柱の陰から様子を見ると、文は驚いた顔で、妖夢から渡された弁当を見つめていた。

「……あ、ありがとうございます……わあ、お弁当を作ってもらうなんて何百年ぶりだろう……大切に食べますね……」

文はゆっくりと箱の感触を楽しんでいる。少ししか笑っていないが、それは喜びがあまりにも強すぎて、適当な感情が浮かべられないからだろう。それは妖夢にも伝わったようだった。

「うん、よかった。いつもこんな豪華なのは作れないけど、小町さんについていく前日にでも私に言ってくれれば、文さんの分も作ってあげるわね」
「は、はい、その時はよろしくお願いします……」

文はちょっと泣きそうな笑顔で妖夢に応える。こいつのこんな表情は初めて見るなぁ。

「よーし! じゃあ、そろそろ行こうか。さっさと行かないと、ここで妖夢の弁当を食べることになるよ。それじゃあ意味ないしね」
「はい、そうしましょう。妖夢、本当にありがとうございます。取材が終わったら、洗って箱を返しに来ますね」
「え、別にいいわよ? 私が洗うから」
「いえいえ。さすがに、そこまであやかるつもりはありません。その位やらせて下さい」
「はあ、分かったわ。そんなに頻繁に使う箱じゃないから、いつでもいいわよ?」
「分かりました! じゃあ、小町さん行きましょうか。いつもどおり、無縁塚ですよね?」
「ああ、でも今日は無縁塚といってもいつもと違うところに行くから…………あっ! そうだ!」

突然あたいが大きな声を出したので、二人はこっちを振り向く。
しまった。弁当のショックが大きすぎて忘れかけてたが、妖夢に部屋を変えてもらうの忘れてた。

「どうしました? 小町さん」
「いや、出発する前に妖夢にお願いが……」
「お願いですか?」
「ああ、えーとさ、あたいがいま入っている部屋、あれ変えてくれない?」
「え、お気に召しませんでしたか?」
「いや、お気に召しすぎて困ってる。あんな立派な部屋じゃあ落ち着かないんだよ。もっと普通の部屋にしてほしいんだ」
「え? ああ、あはは、そうだったんですか。幽々子様が一番いい部屋にしろと仰っていたので、あそこにしたんですが」
「うん、それはありがたいんだけどね。出来れば、六畳くらいの部屋が一番落ち着くかなーって思うんだよ」
「えっ、六畳ですか……? うーん、六畳の部屋なんてあったかなぁ……」
「ろ、六畳ないの? これだけ大きなお屋敷なんだから、そのくらいの小さな部屋くらいありそうだけど……」
「私が把握している限り、ここの部屋で一番小さい部屋は八畳しかないですね。六畳なんて、厠くらいしかないですよ?」

かっ、厠が六畳!? ダメだ、ここは色々と常識を超えている……。弁当とか……。

「わ、分かった。じゃあ、八畳でいいや。仕事から帰ってきたら早々にそっちに移るから、入っていい部屋を見つけといてくれるかい?」
「はい、分かりました。お仕事、頑張ってくださいね!」

妖夢の激励を背中に受け、白玉楼の弁当と厠の凄さをひしひしと感じながら、あたいは文を伴って無縁塚に向けて飛び立った。







冥界の門を抜けて、どこまでも続く雲海の上に身を投じる。
雲はすでに半分ほど無くなっており、隙間から幻想郷の白く染まった大地が見えた。
白玉楼に来る前に、昼頃にはお天道様の日が差すだろうと思っていたので、予想よりちょっと早く天気が回復したことになる。

「ようやく雲も薄くなったね。雪の降る中でなんか、あんまり仕事したくないし」
「私だってそうですよ。雪が降ってたら、写真写りが悪くなります」
「手帳に文字だって書けないだろうに」
「それは大丈夫ですよ。私は風を操れますから。雨を吹き飛ばしながら悠悠と文字が書けます。天狗にとって、傘は無縁の物ですよ」
「ほー」

そりゃ便利だ。あたいも天狗だったら、雨の中で舟を漕ぐ必要もないだろう。

「……それにしても、遅いですねぇ。もっとスピードは出せないんですか?」
「は? これで目一杯飛んでるよ。妖夢の弁当を食う前に、一つ仕事をしようと思って急いでるんだから」
「は〜、やっぱり天狗って速すぎるのかしら。妖怪全部、天狗みたいに速ければいいのに」
「無茶苦茶言うなよ……」

幻想郷最速の妖怪である天狗は、自身を風にして飛ぶという。
その速さは、文字通り、目にも留まらぬ速さ。ちょっと目を離した隙にいなくなっている、なんてこともある。鬼ごっこじゃ絶対勝てない。
あたいにとっては全力でも、こいつにとっては歩いているのと変わらないのだろう。

「あー、いらいらするっ。小町さん、ここは私に任せてください。さっさと無縁塚まで行きますよ」
「ん? 任せるって、何やるんだい?」
「私の腰に掴まってくれるだけでいいです。しっかりと」

……なんだかよく分からないが、こいつに掴まっていれば、いつもより早く無縁塚まで連れてってくれるのだろう。
あたいは、言われるままに腰を両手で掴む。

「それじゃダメです。一発で吹き飛ばされますよ。もっと、両腕でしがみついて下さい。絶対に離さないくらいに」
「こ、こうかい?」
「そうそう、じゃあ行きますよ」

そう言うと、文は何気ない動作で、前方に向けて右腕を振るった。

「おおっ?」

すると、あたいたちの周りに緩やかな風が四方八方から不規則に吹いてきた。
一定の方向から吹く風しか感じたことがなかったので、上下左右から生きているように吹く風は、なんだか気持ち悪かった。

「じゃあ、行きますよ。舌かまないようにしてくださいね」

その声を合図に、文は体を少し丸めるように前傾させ、軽く溜めのポーズを取った。
そして、一気に体を前の方に伸ばした瞬間、

「うわ」

あたいの叫びは吹き荒れる風にかき消された。



「はい到着です」
「……へ?」

固く目をつぶっていたあたいは、耳をつんざくような風が急に止んだので、恐る恐る目を開く。
そして、文の腰にしがみついた状態できょろきょろあたりを見回す。た、確かにここは三途のほとりのようだ。あたいの仕事場からも近い。
あ、あの一瞬でここまで来たのか? まさか、こいつワープの使い手?

「こ、ここはマジで無縁塚?」
「そうですよ。見れば分かるじゃないですか」

文が呆れたような声を上げるが、未だに信じられない。一分かそこらで、冥界の門から無縁塚まで来たように感じる。
あたいが三十分かけて飛ぶ距離をたった一分で……。こいつマジで速ぇなぁ……。

「お、驚いたね……。まさか、一、二分でここまでたどり着くとは。天狗の名は伊達じゃないね」
「正確には五分です。小町さんがくっついてましたので、いつもの倍はかかってますよ」

ご、五分だったのか。くっついている間は、あまりの速さに驚いて夢中でしがみついてたので、時間の感覚が全くなかった。体感時間は一分だった。

「さ、早く着いたところで、とっとと仕事を始めて下さいよ。私は小町さんが仕事をしてくれないと取材が出来ないんですから」
「あ、ああ、分かったよ。でも今日は、あたいがいつも客を待ってる所で仕事をするだけじゃないからね」
「え? そうなんですか?」
「だから言ったじゃないか。“やり方を変える”って」

そう。これから始めることは、長いこと渡し舟をやっているあたいにとっても、初めて経験することなのだった。



あたいのいつもの仕事場である無縁塚から、その麓までずっと続いている長い山道がある。
彼岸花が点々と咲き、大きめの石がごろごろと転がっている道なき道。
“再思の道”と呼ばれているこの道は、死者の霊魂が三途の川を渡るために必ず通る道である。

生者は死んだ後、霊魂となって幻想郷に転移され、ある場所で、死後最初に気が付く。そこが無縁塚の麓に当たり、そこからいくつもの再思の道が延びている。
霊はその無数の再思の道の中から一本を選び、三途に向けて山登りを開始する。途中何度も枝分かれするが、最終的に山を登りきると、頂上で待ち受けている死神に持っている金を払い、彼岸まで送ってもらう仕組みになっているのだ。

ここでの選択で運が悪いと、相性の悪い死神に当たったりする。
そうすると死神の機嫌を損ねる場合があり、川を渡してもらえずに元来た道を引き返すことになるか、最悪は川に突き落とされたりする。
ちなみに、あたいは過去に一回だけ突き落としたことがある。ある凶悪殺人犯で、あたいが舟を漕いでいる途中に何をとち狂ったか、首を絞めて殺そうとしてきたので、川にぶん投げたのだ。突き落としたというか、正当防衛だ。
ま、こういうこともあるのだが、あたいに限らず、死神は基本的に理由もなく川に突き落としたりはしない。あとで閻魔様のお説教が待ってるからだ。

そして、川を渡りきると、今度は閻魔様の裁判だ。この時も、運が悪いと相性の悪い閻魔様に当たる。
そうすると、自分では天国行きだと思っていたのに、地獄に行かされる場合もある。
これは極端な例だ。閻魔様は誰しも理不尽な裁定をするお方はいない。ただ、閻魔様でもおのおの性格がある、ということだ。

一見、再思の道は霊の運を試しているような感じだが、実は、霊によってどの道を選ぶか、その傾向が存在する。
あたいの仕事場の無縁塚は、生前人との縁が薄く、寂しく人生を送ってきた霊が来やすい。
だから、生前の人との縁を具現化した三途の川の渡し賃を、たくさん持っている霊はあまりこないのだ。あたいの経験から、三途を渡れるボーダーラインぎりぎりの六文前後を持っている霊ばかり来る。
そういう霊は裁判が凄く難しい。死後の行く末は生前の行いによって決まるが、三途をぎりぎり渡った霊の天国行きか地獄行きか冥界行きかを決める重りは、天秤上で定まらずに揺れ動いている。
だから、どこ行きなのか、はっきりとした判断を下しにくい。四季様は、もの凄く難しい裁定を下さなければならない裁判を毎回のように行う裁判室を取り仕切っているのだ。何気に、めちゃくちゃ優秀なんだよ?

まあ、そんな感じで、此岸と彼岸は繋がっている。
死神であるあたいは、霊たちにとって天国行きか地獄行きかを決める最初の関門ってわけなのだ。

「へ〜、そうだったんですか……」

無縁塚を下りながら、あたいは文に再思の道と、霊が彼岸に渡る仕組みについて説明する。
文は時折メモを取りながら、あたいの話を熱心に聞いている。さすがは記者か。普段は少し態度がでかいが、仕事になると真剣らしい。

「小町さんが仕事上、どういう立場にいるのかはなんとなく分かりました。でも、いくつか疑問があります」
「なんだい?」
「先ほどの話を聞く限り、死神はそれぞれの仕事場によって貰えるお金が異なっている、ということですよね? なんとなく、不公平感があります。死神が仕事場を選べる権利はあるんでしょうか?」
「もちろん、ないよ。死神は成り立ての頃は、最も条件の悪いところで働かされる。そこで経験を積むってわけさ」
「はあ。それだと、生活が立ち行かなくなるんじゃないですか? やってきた霊をたくさん渡しても、貰えるお金が少ないんですから」
「そう、そこが本題だ。貧乏死神が生活資金を稼ぐ方法。それは、何も三途のほとりで指咥えて待っているだけじゃないんだよ」
「えっ? ……あっ、そうか。つまり……」
「その通り。“あたいら死神が霊をとっ捕まえて来ればいい”のさ」

やがて、霞みがかった山の麓に広大な広場が見えてきた。



「うひゃ〜〜〜……ここに来たのは何回かあるけど、相変わらず盛況だねえ……」
「す、すごい霊の数ですね……地面が見えないですよ……」

あたいらは一本の高い木の枝にとまり、そこから広場を見下ろしていた。
霊の黒山の人だかり。山の麓の広場は、遥か向こうは霞で見えないが、あたいらが把握できる範囲は霊がすし詰めになっている。我先にと再思の道に向かおうとする霊の頭が忙しなく動いていた。まさに波のようだった。

「これじゃあ、霊たちが道を自分で選ぶ余裕なんて無いんじゃないですか? 流されるまま着いた道に行きそうです」
「半分はそうだね。ここに着いた時にどの流れに乗るかで、どの道を行くか大方決まっちゃうようなもんだ」
「この中からお金をたくさん持っている霊を探すわけですか? ちょっと気が遠くなりそうです……」
「なーに、金持ちを探すのはわけないさ。問題なのは、出来る限りたくさん金を持っているやつを探すことだ」
「はい? それはどういう、って! それっ! 私の双眼鏡じゃないですかっ!」

あたいはちゃっかり、文のカバンにぶら下げてあった双眼鏡を取り外して覗いていた。

「ちょっと借りるだけだよ。減るもんじゃなし、使わせてくれたっていいじゃん」
「ゆ、油断も隙もない……。壊さないでくださいよね、それ高かったんですから」
「りょうかーい」

適当に返事をして拡大された視界に集中する。豆粒のように小さかった霊の顔が、今でははっきり見えた。その懐具合もばっちり見える。
うーん、これ便利だなー。金溜まったら買おうかなー。ま、その前に色々買わなきゃならんのだけど。

「おっ、あの霊、十五文も持ってる! あっ、あの霊は三十文だ! すげー! こんな金持ちの霊、見たことねー! むちゃくちゃおいしー!」
「ええっ? な、何でそんなの分かるんですか? か、看板なんて下げてないですよね?」
「あたいら死神は、霊が金をいくら持っているか識別できる特別な目を持ってるんだよ。だから、そいつがどこに金を隠し持っていようが、全部お見通し。渡し賃をケチるやつは、それだけで死神の印象を悪くするんだよ」
「はあ、なんとも限定的な能力ですね。使えるのか使えないのかよく分かりません」

まあ確かに、他人の財布の中身が分かる能力っていうのは使いどころが難しいかもしれない。
でも、死神が仕事をするには最高の能力だ。手っ取り早く稼ぎたい時は、これ以上便利なものはない。

「私たちの他にも、ちらほらと死神が見えますね。霊の上を飛んでますけど、同じ目的で来たんでしょうか?」
「お前さん、目がいいね。たぶんと言うか十中八九、そうさ。ここに来る死神は、金が無くて困っている連中か、仕事が生きがいみたいな真面目な死神しか来ないよ」
「なるほど、小町さんは前者なわけですね。ここで仕事をするのは初めてなわけですから。それに、普段を見ていると、小町さんが積極的に仕事をするとは思えませんしね〜」
「…………」
「……? どうしました? 小町さん」

あたいが急にしゃべるのを止めたので、文は不審に思って問いかけてきた。
あたいはそれに応えない。双眼鏡を覗いたまま微動だにしない。

なぜなら、

「みつけたーーーーーー!!」
「ああっ! わたしのそうがんきょーーーーーー!!」

あたいは文の双眼鏡を放り投げて、広場の一点に向かって全速で飛ぶ。
すげぇっ! うわさには聞いていたけど、アレを持っている人間って本当にいたんだ! なんて、あたいラッキー!

あたいは、死神の目を開放しっぱなしにして、さっき双眼鏡で見た辺りにホバリングする。
急に頭上に現れたあたいに霊たちはたまげるが、そんなのに構っていられない。
さっきのじいちゃんはどこだ…………どこだ…………? あたいは目を皿のようにして目的の霊を探す。

「いたっ!!」

左手二十メートルくらいのところにいる一人の老人の霊。その頭上に、双眼鏡越しに見たお金が浮いている。
あたいは、その老人のところに急いで向かう。この人を捕まえちまえば、我が家再建に大きく近づく!

詰める距離がもどかしく、ようやくたどり着くと、あたいは一息にじいちゃんの肩を掴んだ。

「じいちゃん! あたいの船に乗ってかない!?」
『おおっ? なんだなんだ?』

背後から急に肩を掴まれたじいちゃんは、びっくりしてこっちを振り返る。

「悪いね! この人はあたいが貰ったよ! 他を当たって頂戴!」

大きな声で宣言して、周りに群がってきた他の死神を追い払う。さすがにここの常連だ、嗅覚が違う。あたいが双眼鏡を持っていなかったら、すぐに取られていただろう。
すると、その双眼鏡の持ち主の天狗が、いつの間にかそばにいた。プンプンという擬音がぴったりに怒っている。

「ちょっと、小町さん! 大切に扱ってくれって言ったじゃないですか! 放り投げていくなんてひどいです!」
「ああ、ごめんごめん。でも、お前さんのおかげで上客が手に入ったよ」
「上客ですか? あ、もしかして、この人はたくさんお金を持っているんですか?」
『……何がなにやら分からないが、とりあえず、俺に分かるように説明してくれねえか?』

じいちゃんは困惑した表情を浮かべたまま、あたいと文の顔を交互に見遣った。



『ほう……すると、お前らはスカウトみたいなもんか』
「まあ、そういうこと。お前さん、羽振りがいいみたいだからさ。あたいの舟に乗るように頼みに来たってわけ」

あたいは、じいちゃんの手を引きながら仕事場を目指して飛んでいた。元々、霊はふわふわ浮けるくらい軽いから、手を引いて飛ぶくらい簡単なのだ。

『羽振りがいい? はは、嬢ちゃん、それは間違いだ。俺ぁ、さっきの広場に着いたとき、変な銭を一枚しか持っていなかったぜ』
「え? そうなんですか? だって小町さん、このおじいさんは上客だって言いましたよね?」

文は不思議そうに問いかける。その通り。このじいちゃんは懐に一枚の銭しか持っていない。だが、その一枚が重要なのだ。

「じいちゃん、その銭を見せてくれるかい? ああ、見せるだけでいいよ。それをあたいに渡しちまったら三途の川の毒にあてられるからね」
『ああ、わけはねえ。ほら』

じいちゃんは死に装束の懐に手を突っ込んで、一枚の銭を取り出して見せてくれた。

「……本当に一枚ですね。小町さん、今日は目が調子悪かったんですか?」
「いや、この上なく絶好調だ。じゃあ聞くけど、お前さん、この銭が何で出来ているか分かるかい?」

あたいに問いかけられた文は、じいちゃんから銭を受け取ると、その表裏を観察し始めた。

「……銀、ですか? この手触りからして、とても上質みたいですね」
「そう、その銭は銀で出来ているんだよ。普通、霊が持っている銭は銅銭なんだ。銀銭を持った霊なんて、滅多にお目にかかれない。実は、あたいも初めて見たんだけどね」
「へ〜、つまり、このお金は物凄く価値のあるものなんですか。一体どのくらいの価値があるんですか?」
「銅銭の千倍」
「せ、千倍!?」
「さっき言ったと思うけど、あたいは無縁塚で働いていて、そこにはあまり金を持った霊は来ない。あたいの日給は、大体三十文に届かないくらいなんだ。つまり、その銀銭は、あたいが一ヶ月働いた価値に相当するんだよ」
「お、驚いた……まさか、この一枚にそんなに価値があるなんて……」
「銀銭を持った霊なんて、十年に一度来るか来ないかだ。さっきの広場に通い詰めて、ようやく見つけられるか否かって感じなんだよ」
「ふえ〜。ということは、小町さんは物凄く運が良かったんですね。初めてさっきの広場で働き始めて、そこで銀銭を持った霊を見つけることが出来たんですから」
「ああ、まさか一発で見つけられるとは驚いたよ。きっと家を潰されたから見返りがあったんだろうね。感謝してるよ、じいちゃん」
『ん? まあ、俺は何もしてねえが、喜んでもらえたんならよかった。死んだ後も人に尽くせたんだから光栄なこった』

じいちゃんは嬉しそうに笑う。
……“死んだ後も人に尽くせた”。それを口に出来る霊なんているだろうか。
少なくとも、あたいが今まで彼岸に送った霊で、そんな霊は一人もいなかった。ほとんどの霊が死んだことを残念に思い、現世でやり残したことを悔いていた。
無縁塚に来る霊は、人生を苦しんできたやつや、悪人が半分を占める。どの霊も鬱屈していて見るに耐えないやつらばかりだ。
なのに、このじいちゃんは、まるで生きているかのような、とても晴れがましい顔をしている。死んだことなどなんでもないかのように笑って見せている。
……これが徳の高い霊か。きっと、向こうで自分の納得のいく生き方をして、納得のいく死に方をしたんだろう。
そして、笑って死んだに違いない。数え切れないほどの多くの泣き顔を見ながら。

「……お前さんは死んだことを後悔してるかい?」
『んん? なんだい、藪から棒に』
「ちょっと聞いてみたかっただけだよ。どうだい? 出来るなら生き返りたいって思うかい?」
『そうだなあ……生き返ることが出来るんなら、生き返ってみてえかもしれねえな』

意外な答えが返ってきた。その訳をじいちゃんは教えてくれる。

『俺がまだ生きていたら、抱えていた大きな仕事を息子に引き継ぐことはなかった。生きてきた中で一番の大仕事だったからな、死ぬ前に完成を見たかった。そして、それによって救われた子供達の笑顔が見たかった。だけど、体がもう言うことを聞かなくなってなあ。残念ながらあっちの世界におさらばしちまったってわけだ。それだけが……一番の心残りだ』
「お前さんは自分が出来る限りのことをやったんだ。それが、この銀の銭に表れている。そのお前さんの息子なら、きっと親父の跡を立派に継ぐさ。みんな任せてゆっくり休めばいい。人間のお手本のような人生を送ってきたんだからね」
『そこまで言われちゃあ照れちまうが、あいつには俺の遺産を全部つぎこんででも仕事をやり通せって言ってきたからな。失敗したら、化けて出てやるぜ』

じいちゃんは悲壮感など全くなくカラカラ笑う。

「お前さんほどの人間が残した遺産を全てか。ずいぶんと気前がいいねえ。子供に残したりしないのかい?」
『俺のガキは、どいつも自分で飯を食えるように育ててきたつもりだ。いまさら親の脛なんか齧らせてやらねえよ。それよりもっと苦しんでいる人達がごまんといるんだ。そいつらにやった方がいいに決まってるだろうが』
「どうして……そこまで他人のために尽くすんですか?」

不意に、今まで話を聞いていた文がぽつりと口を開いた。

『ん? なんだい、嬢ちゃん』
「人間は欲の塊のような生き物だと聞いていました。寿命が短いから、他人を蹴落として、狂ったようにお金を稼いで、それを自分の幸せのために使うと。家族のために遺産を残さない人なんて、あなたぐらいしかいないと思います。それでも見ず知らずの他人に尽くせる、その原動力は何なんですか?」

じいちゃんは苦笑いして文の問いに答える。

『まあ、そうだな。人間の欲っていうのはキリがねえ。俺だって人並みの欲は持っている。だけど、その欲が俺は人と違うんだ。俺は、人を助けることが欲なんだよ』
「人を助けることが欲……? そんなの聞いたこともないです。それは自己満足じゃないんですか?」
『嬢ちゃんはきっと、まだ人に笑ってもらえることの喜びを知らないんだ。とんでもない不幸に陥ったやつを引っ張りあげてやる喜び。それを成したとき、心はこの上なく満たされるもんだ。金なんていつ消えちまうか分からないもんなんかじゃねえ。死んでも絶対に消えることのない正真正銘の宝だ。俺はそれをいくつも持っている。今の俺の唯一の財産だ。嬢ちゃんだって、人に助けられたことくらいあるだろう?』
「私は……妖怪ですから。妖怪は人間ほど弱くはありません。手を差し伸べられることなどなくても生きて行けますし、実際いままでそうしてきました。だから、あなたのように、他人を助けることにそれほど意義を感じません」
『そうか……でも、これだけは覚えておいてくれ』

じいちゃんは文の目を真っ直ぐ見つめ、そして言った。

『嬢ちゃんがもし間違いを犯して誰かを不幸にしちまったら、その時は命を懸けて救い出してやれ。人間も妖怪も関係ねえ。自分が犯した間違いを償えねえやつは最低だ。自分より弱いから何をしても構わないっていうのは最悪の偽善だ。人間は妖怪より弱いかも知れねえが、生きている。それだけは、覚えておいてくれよ』
「……」

このじいちゃんの言葉は正しい。だから、文は何か言い返そうとしたのだろうが、一言も発すことは出来なかった。
人間は妖怪の食糧だ。だから、妖怪が人間を攫って食うのは幻想郷では罪にならない。人間にとっての魚を釣って食べるのと同じだからだ。生きるために他の命を奪う。それは命を循環させる必要悪でもある。
しかし、もし妖怪が食べ物以外の目的で人間を、例えば虐待や暴行目的で、攫ったときは重罪となる。糧を得るために命を奪うのは尊い犠牲だが、己の快楽目的で命を弄ぶのは、命を尊ばない地獄行きに相当する罪だ。
文の心の中に人間に対して驕りが無かったとは言えないだろう。確かに、人間は妖怪に比べて頭が悪く、自分の欲望に忠実な生き物だが、その人間にだって妖怪よりも優れている点がいくつもある。その果てない探究心は、月へ船を運んだりもした。
また、人間よりも弱い鳥や昆虫なども、人間より優れている点がいくつもある。要するに、自分以外の命を尊ぶことが重要なのだ。
天狗は、自分より目下の者や弱い者に対しては傲岸不遜に振舞う、一言で言えばプライドの高い妖怪だ。それは文も例外ではない。
命を尊ぶ大切さは理解しているだろうが、人間に敬意を表したり、ましてや自分の身を省みず助ける、というのは理解しがたいのかもしれなかった。

『わはは、責めるような口聞いて悪かったな。実はな、嬢ちゃんは俺の若い頃に似てるんだよ』
「え? あなたにですか?」
『俺は小さい頃、二親からさんざん虐められた記憶があってな、ガキの頃は他人なんか絶対に信じない、どうしようもないやつだった。信じられるのは自分のみ。他人ってのは蹴落としてなんぼで、自分の身を削ってまで助けるなんざ、それこそとんでもない偽善だと思ってた』
「……」
『だけどな、今の俺に変われたのは、俺の恩人を殺しちまったのがきっかけなんだよ』
「は? 殺した? お前さん、殺人をやったのかい?」

意外な事実に、あたいは驚きの声を上げる。銀銭を持つほどの人間が人殺し。ちょっと信じられなかった。

『ああ、そうだ。その恩人は家出同然だった俺を拾ってくれたある施設の館長でな、俺が学校に行く金も生活する場所も全て都合してくれた人だった。それでも俺は感謝もせずに、それを当然のように受け入れていた。いま思うと、ぶん殴りたくなるくらい嫌なガキだった』
「……」
『俺が十四の頃、色気が出てきたもんで、タバコを吸うようになってな。ある年の二月だった。俺が施設の裏で吸っていたタバコが原因で、施設に火が回っちまった。全焼する大火事だった。俺は恐ろしくて部屋から出られずにうずくまり、死を覚悟していた。だが、そこでドアを蹴破って現れたのが、館長だった。館長は、心配するな、と笑って、俺をおぶって玄関に向かった。そして、その途中、天井が崩れ、大きな柱が落ちてきて、館長は俺を突き飛ばして下敷きになったんだ。俺は怖くなって玄関に一目散に逃げ出した。結果、俺は助かった。施設で唯一の生存者だった』

じいちゃんは苦い表情をしながらも、淡々と語り続けた。

『明くる日、火は消し止められ、瓦礫になった施設の下から、一緒に暮らしてたやつらと、館長の真っ黒な死体が出てきた。館長を含め、施設のいい奴らはみんな死んで、俺みたいなろくでなしが生き残っちまった。毎晩うなされた。マスコミにも俺のタバコが火事の原因だったとバレて、知らないやつからの電話と手紙が山ほど届いた。そこでようやく、俺が取り返しのつかない事をしちまったと気付いたんだ。それから償いの日々が始まった。自分がやっちまったことは一生をかけて償わなければならねえ。死ぬ気で勉強して、医者になった。命を奪った罪は、命を救うことで償おうと考えたんだ。世界各地を回って、苦しんでいる人たちを助けて回った。そして……その時に向けられる、自分が助けた人たちの笑顔と感謝の言葉に、俺は救われた。一生かけてこの笑顔を見続けたいと思った。人を助けるという贖罪が、いつしか歓喜に変わった。そして、俺は死ぬまで人を助けて回ったってわけだ』

そこまで話すと、じいちゃんはあたいらに優しく笑いかける。見た者の心を洗い流すような、一点の曇りのない顔で。

『嬢ちゃんたちには、俺みたいな思いを味わわせたくねぇ。だから我が身を振り返って、自分が悪いことをしていないか考えてみてくれ。俺みたいに手遅れになる前にな。後は、嬢ちゃんたちの仲間を大事にしろ。一人じゃ出来ないことも、寄り集まれば出来るようになるからな』
「「……」」

そして、いつしか無縁塚の頂上が見えてきた。



じいちゃんを彼岸に送った後、あたいは元来た岸に戻ってきた。……本当にびびった。まさか舟を十分漕いだら、もう対岸が見えてくるとは思わなかった。舟に乗っている時間の最短記録を軽く更新してしまった。

「どうだい? あれが徳の高い人間だよ。妖怪よりも心が強いだろう」

舟を桟橋につけると、そこで待っていた文に話しかける。

「……そうですね。私のほうが何百年も長く生きてるはずなのに、まるで年上を相手にしているような感じでした」
「さっきお前さんも言っていたが、人間っていうのは本当に寿命が短い。だけど、その中で何度も間違え、試行錯誤を繰り返して、驚くほど成長する。人間は可能性の塊だ。何をやらかすのか分からないから、見ていて本当に飽きない。だから、あたいは船頭をしているのかもしれないね」
「少し、人間を見る目が変わったような気がします。記者は真実を書かなければならないのに、知らずに天狗仲間から吹き込まれた外の人間像を全ての人間に当てはめてました。反省しなければならないですね」
「まあ、さっきのじいちゃんは本当に特殊な人さ。人間全てがあんな人ばかりだったら、地獄で働いているやつらが急に暇になっちまう。だけど、人間は誰しも、きっかけさえあれば、あのじいちゃんのようになれるってことは分かっただろ?」
「人間の可能性ですか……。個人的には少し興味を持てましたが、記事にするとなると、他の妖怪に受けるかは微妙ですねぇ」
「それは、お前さんの腕次第だろ。幻想郷にいる人間だって、あたいら妖怪にとっては、なくてはならない存在だ。人間をバカにしているやつらに一石投じてみたらどうだい?」
「一応考えておきます。でも、今は小町さんの取材が先ですけどね」
「あ、覚えてたか。今後もいい話が聞けるから鞍替えしてくれてもいいのにねー」
「残念ながら、そうは行きませんよ。幸先が良さそうですから、これからバッチリ密着しちゃいますからね」

文は悪戯っぽく笑う。まあ、興味を持ってもらえたんなら良かった。あたいの記事も少しは改善するだろう。

「よーし、じゃあ、この調子でもう一仕事……あ、その前に」
「はい? 何ですか?」
「とりあえず、飯にしよっか。もうお昼だしね」

文も異論は無かった。あたいらが荷物を置いた場所に向かう。
空を見上げると、すっかり青の割合が多くなった冬の空に、南中したお天道様が光り輝いていた。







群青色に染まった空に、橙色に灯る提灯が映える。
店の屋根に張り巡らされたロープと、それに無数に吊り下げられた提灯は、まるで縁日の様相を見せている。
喧騒は少しも止むことはなく、多くの人々が忙しなく通りを行き交っている。そこは死者の世界にふさわしくないほどに、活気に満ちていた。

あたいと文は、たくさんの人が行き交っている巨大な木造の橋の上を歩きながら、低い柵の向こう側に視界一杯に立ち並んでいるたくさんの家や商店を眺めていた。

「うわー、すごいですねー! 幻想郷にこんなにすごい商店街があったなんて知りませんでしたよ!」
「そりゃそうだ。ここは彼岸に住んでいるやつらが使うところだしね。下界の連中はこんな所まで買い物に来ないだろ」

ここは彼岸に存在する大型商店街の一つだ。
彼岸は無限と思われるくらい広い。その奥地に住んでいるような連中は、いちいち下界に生活用品を調達しになんて面倒くさいことはやってられない。だから、こういった大小様々な商店街が彼岸の各地に点在しているのだ。向こうの世界の“ショッピングモール”なるものと、そう変わらない。
いま、あたいらがいる商店街は、あたいがいつも使っている商店街で、三途の川のでっかい中洲に存在している。そこから川の両岸に向かって橋を渡し、此岸からも彼岸からも行くことが出来るようにしてある唯一の商店街なのだ。故に、幻想郷と彼岸の中継地となっており、交易が活発に行われている。そのため、彼岸でも有数の大きな商店街になった。
此岸からも入れるので、文のような生きている者でも立ち入り可能なのである。もっとも、そこから先の彼岸に行こうとすると、あっという間に警官隊にとっ捕まってしまうのだが。

「小町さんが仕事を早く切り上げたのは、ここに寄るためだったんですね」
「ああ、ちょっと野暮用がね。家を潰されたから、これから面倒くさいことしなきゃならないんだよ」

今日は白玉楼に住まいを移して初日ということで、早めに寄っておきたい場所があったのだ。
だから今日は昼飯を食べた後、霊を三人ほど送ったら仕事を切り上げた。妖夢にも何時ごろ帰ると伝えていなかったから、あまり遅くなると迷惑がかかるし。

「ここで何かお買い物ですか? 白玉楼に泊まるなら、食料の調達はしなくてもいいと思いますけど」
「ああ、幽々子さんも心配するなって言ってたしね。食い物を買いに来たんじゃないんだ。行くのは大工屋さ」
「大工? あ、そっか、見積もりに行くわけですね?」
「ああ、さっさと建てる算段をつけとかないと、いつまでも白玉楼に居座ることになるからね」

ただ闇雲に稼ぐことは簡単だ。だけど、どのくらい稼げば家を買うだけの金額になるのか、ちゃんと把握しておく必要がある。
これから行く大工屋さんは、あたいが初めて家を買ったときに色々と世話してくれた顔なじみのところだ。利子がほとんどないローンもやってくれるので大変助かるのだった。

商店街の入り口の門をくぐり、商店街のメインストリートを文と肩を並べながら歩く。まだアフター5になっていないとはいえ、人はそれなりに多い。
ちらほらと死神装束を着たやつらも見える。こんな時間にこの辺をうろうろしているようなやつは、仕事をサボってマンガ喫茶にでも入ってた輩だろう。
まあ、あたいも時たま、買い食いしに訪れるので一方的に非難することは出来ないのだが、今日は不動産の下見という名目があるので堂々と道を歩ける。

「なんだか、お祭りみたいな雰囲気がありますね。あちこちに提灯が張り巡らされて。夜になったらもっと雰囲気が出そうです」

文が商店街の風景を時折写真に収めながら話しかけてくる。

「夜なんか、人がごった返して歩くのも一苦労になるよ。でも、あたいは夜の方が好きだね。お前さんが言ったとおり、お祭りみたいな高揚感が出てくるから」
「へ〜、その時にも来てみたいですね。今度、妖夢と幽々子さんも連れて来ましょうよ」
「そりゃいい。でも妖夢にはちょっと刺激が強いお店もあるからね。この商店街を満喫したかったら妖夢には内緒の方がいいかもね」
「そ、そんなところに行くわけないじゃないですか。ちょっとした居酒屋程度でいいですよ」

あれ? こいつ今ちょっと動揺した? ふーん、意外に初心だったりするんだろうか。まあ、あたいもあんな金のかかるとこには行きたくないし、興味もない。それよりも、気心知れたやつらと集まって居酒屋で飲んでたほうが楽しいに決まってる。

程なくして、左斜め前に、白い板に黒い文字で“大工”と書かれた看板を掲げたお店が見えた。

「お、見えてきたね。あそこが目的の大工の仲介所さ」
「結構小ぢんまりとしたお店ですね」

あたいは入り口の前に立つと、ドアを中に一気に押し込んだ。

ドアについていた鈴が来客を告げる音を鳴らすと、暖房器具に暖められた室内の空気が迎えてくれた。
壁という壁に物件の情報が書かれた紙がびっしりと張られており、いかにも不動産を取り扱っている店だと思わせる。
木製のでかい机の向こうには、脚を組んで新聞を読んでいた中年のおっちゃんがおり、こちらに気付いて声をかけた。

「いらっしゃい。今日はどんな御用で、って、小町ちゃんじゃないか! 久しぶりだなあ!」
「どーも、ご無沙汰です、おっちゃん。景気はどう?」
「はっはっはっ、見ての通りぼちぼちだよ」

仲介屋のおっちゃんはあたいの顔を覚えていてくれたらしい。あたいは何十年も前に、この人に迷惑をかけながら家を購入する手続きを進めてきた。ローンとかの面倒なことも全部引き受けてくれたので、すごく感謝している人なのだ。

「前の修繕から長い間顔を見せなかったから、どうしているのか気になってたんだよ。その後の家の調子はどうだい?」
「いやー、あははは……。ちょっとそのことで相談があってさ……」

…………

「ほー、それは災難だったねえ。でも昔、俺も言ったじゃないか。あまり安く済ませようとすると、強度がなくなって後で酷い目に遭うかもしれないって」
「いや、面目ないです。おっちゃんの言うとおりになっちまいました」

あたいと文は応接用の椅子に腰掛けて、事の次第をおっちゃんに話した。最初はさすがにびっくりしていたけど、事情は察してくれたようだった。

「それで、また新しい家を建てるために来たってわけか」
「まあ、そういうこと。作るのは前と同じやつでいいんだけど、建てるにあたっての相談をしにきたってわけ」
「こっちのお嬢ちゃんも一緒に住むのかい? だったら、もっと大きなのにした方がいいんじゃないの?」
「へ? あ、いえ、私は付き添いみたいなものですから。話は私抜きで進めてくれて構いませんよ」
「そうなんだ。こいつとの愛の巣を見つけに来たんだよ」
「そ、そんなこと一言も言ってないじゃないですかっ!」

あたいの冗談に突っ込む文とカラカラ笑うおっちゃん。

「はは、変わってないなぁ。まあ冗談はさておき。一応高い買い物だからね、真面目に話そうか」
「望むところさ」

おっちゃんは立ち上がると、色々なバインダーが敷き詰められた本棚に向かい、そこから一冊持って来てあたいの前に広げた。

「これが小町ちゃんが前に建てた物件だ。土地はタダ同然の山奥。材料費と施工費は最小限に抑えて、工事期間は約三週間だったね」
「さ、三週間ですか……? 随分、出来るのが早いですね……」
「あたいの前の家は、ほったて小屋みたいな感じだったからね。大工のほうから、こんな薄っぺらい家で大丈夫かって言われたくらいなんだよ」
「よくもまあ、何十年ももったものだよ。で、同じ家を建てるとなると、物価もそんなに変わってないから、おそらく前と同じだけの予算になると思うよ」

まあ、高くなるよりはいい。今回も同じ物を建ててもらえれば上等だろう。

「ただ、問題は小町ちゃんが残しているローンだ。確か、あと数ヶ月ほど残ってたけど、これから家を建てるとなると二重のローンになるよ? それでもいいかい?」
「それは、多分こいつで解決すると思うよ」

あたいは腰にぶら下げてあった銭袋を机の上に置いた。ずっしりと重い銭袋は、机に置いた瞬間に、じゃらっ、と金がこすれる大きな音がした。

「今日一日で稼いできたんだ。けっこうな金額が入ってるよ」

そう言うと、あたいはおっちゃんの目の前に金を広げて見せた。

「おおっ、これを一日で稼いで来たのかい? あっ、これは銀銭じゃないか! よく手に入ったね〜!」
「うん、あたいもびっくりさ。それでローン完済して、おつりも来るんじゃないかい?」
「えっ、残りのローンがこれで清算されるんですか? ちょっと早くないですか?」
「もともと、あたいのローンは普通に働いていれば二年で払えるはずだったのさ。でも、あたいは低給金だから、毎月支払う金額を抑えるためにちょっと数十年ばかし延ばしてもらったってわけ。今日は銀銭が手に入ったから、今ここで払っちまおうと思ったんだよ」
「に、二年のローンを何十年も延ばすんですか……。真面目に働いてれば、さっさと払えたのに……」

真面目に働く気がなかったので、それは無理な注文だった。

「うん、これなら足りるね。ローン完済おめでとう」
「ありがとさん。じゃあ、すぐに工事に取り掛かってくれるよね?」
「おいおい、簡単に決めちゃっていいのかい? これだけのお金を稼げるなら、もう少しいい家を造ってみてもいいんじゃないのかい?」

うーむ、さすがは商売人。顔なじみとはいえ、金を持っていると知ったらワンランク上をプッシュして来た。

「うーん。あたいは今居候の身なんだ。だから、出来る限り早くそこを出たいんだよ。今から家を建て始めれば、春になる前には出られるだろ?」
「でも小町さん。幽々子さんは出たいときに出ればいいって言ってませんでしたっけ?」
「そんなの建前に決まってるじゃないか。もし、相手がよくても、こっちは早めに出るのが礼儀だろ?」
「幽々子さんは、そういう建前って使わないような気がしますけど……」
「どうも、小町ちゃんは居候っていう立場が気に入らないみたいだね」
「そんなの当たり前じゃないか。ヒモじゃあるまいし、いつまでもタダ飯食べてられないって」
「それならこういうのはどうだい? まあ、小町ちゃんがこれから今日ぐらい稼げることを前提とした提案だけどね……」



大工仲介所で長時間話し込んでしまい、辺りは夕焼けに照らされたオレンジ色の町並みになっていた。
あたいたちは店のドアを開け、道路に続く階段を下り、再び大通りを歩き出した。

「すっかり遅くなっちゃいましたね。早く帰らないと、夕飯に間に合いませんよ?」
「そうだね。白玉楼の夕飯か。どんなのが出てくるのか楽しみだよ」

まあ、いくら遅くなったとしても、文に冥界の門まで連れて行ってもらう算段だったので、少しぐらい遅れても構わないと思っていた。

「……でも、さっきのおじさんの話、結局どうするつもりですか? 小町さんの希望にも近いと思いますけど」
「まーねー。確かに、いろいろ目を瞑れば、一番筋が通ってるんだよね。おっちゃんも協力してくれるみたいだしさ」
「じゃあ、白玉楼には……」
「もうちょっと考えてみるよ。幽々子さんにも話さないといけないしね」

仲介所でおっちゃんに聞いた話の内容は、あたいに一つ問題を投げかけた。
白玉楼には住みたい。妖夢も幽々子さんもいい人だし、その好意を無碍にするのは躊躇われる。
だけど、世話になる必要がないなら出て行くべきなのだ。他で暮らす十分な余裕があるのなら、そちらに移るのが筋だ。

「ま、今日中に結論は出すよ。お前さんはあたいの成り行きを見守るのが仕事だろ? だから心配しなくてもいい……さって」

横を見ると、いつの間にか文が隣にいなかった。

「あれっ? あいつどこ行った?」

きょろきょろ辺りを見回す。増え始めた人の群れは、見知った顔を見つけるのを困難にした。

「……あっ、あんなとこに……なにやってんだ?」

左斜め後ろの商店のショーケースにへばりつくようにしている文を見つけた。
なんだ、あそこの店……カメラ屋? なるほど、なんか面白いカメラでも見つけたのだろう。ていうか急にいなくなるなよ、迷子になるから。
あたいは人の波を泳ぎながら文の方に近づいていった。

「……っと、やっと着いた。おい、何やってんのお前さん。はぐれたら探すのが大変だからやめてくれよ」
「あっ、こまちさんっ……! 見てください、このカメラっ……!」
「ん?」

文は興奮した様子で手招きして、ショーケースを挟んで鎮座しているカメラを指差している。ほほう、一眼レフか。さすが記者、いいセンスしてるよ。

「ていうか、これって輸入品じゃないか」
「はい? 輸入品ってなんですか?」
「幻想郷の外の世界から流れ込んできた売り物のことさ。ここは此岸に近いから、外の物がよく流れ着くんだよ。わけのわからない物も多く運ばれてくるけど、その中で食べられそうだったり、使えそうだったりする物はこうやって売りに出されてるんだ。そういった外の世界の物を研究しているやつもいて、商品化されたものもあるんだよ」
「なるほどー。じゃ、じゃあ、このカメラも外の世界の逸品なんですね? ああ、いいなあ、このフォルム。かっこいい……」

うっとりとした目で手が届かないカメラを見つめる文。普通こういう時はカメラではなく、服とか宝石だったりするシチュエーションじゃないだろうか。まあ、別にいいのだが。

「眺めてるだけじゃ意味ないだろうに。えーと、値段は……」

カメラの下についていた値札を見る。……まあ、本格的なカメラっぽいから、この位するんだろう。だが、二、三週間本気で働けば買える額だ。

「下の世界では見たことのない単位ですけど、これって、彼岸の共通通貨単位なんですか?」
「うん、そう。だから、お前さんがこのカメラを買うにはあたいから金を借りなきゃならないってわけさ」

あたいがいつも稼いでいる金も彼岸内のどこの商店でも使えるが、それとは別に彼岸独自のお金が存在する。そして当然、後者の方が広く流通しているので、あたいの持っている金を店で使うと嫌な顔をされることが多い。だから、死神の金は換金所で換金してもらうのが一般的だ。仲介屋のおっちゃんは知り合いなので、あたいが稼いだ金を直に受け取ってくれるから便利なのだ。

「ほらっ、いつまでもくっついてないで、そろそろ行くよ。早くしないと晩飯を逃すから」
「あっ! あっ! もうちょっといいじゃないですか! 外の世界のカメラなんて、ここでしか売ってませんよ!?」
「また後でゆっくり見に来ればいいじゃないか。こっちは簡単に逃げたりしないって」
「うあぁ……わたしのかめら……」

いつからお前さんの物になった。
あたいは文の襟首を掴んで引きずりながらカメラ屋を後にした。



太陽はすっかり沈み、そろそろ黄昏時が迫った頃。あたいと文は幻想郷の雲の上にいた。
例の如く、文にしがみついて商店街から約十分で冥界の門のそばまで来た。これから文は家に帰るそうなので、白玉楼には寄らずに門の前まで来たらあたいと別れることになっていた。

「今日は本当にありがとうございました。こんなに長い間、一人の人物に対して取材したのは初めてでしたよ」
「まあ、ネタの足しになったんなら良かったよ。それでどうだい? これから先も、あたいにくっついて取材するかい?」
「そうですね、まだはっきりと決めたわけではありませんが、後三日ぐらいは続けてみることにします。その間に一回新聞を発行して、好評だったらまたお願いすることになると思いますね」

文は今日一日、こちらにも分かるくらいに熱心に取材を続けていた。
最初に銀銭を持ったじいちゃんの話を聞いた辺りから、外の霊の話に興味を持ったらしい。じいちゃんの後に広場でスカウトしてきた徳の高い人間の話にも耳を傾け、色々と質問をして知識を増やしているようだった。
まあ、それでなくとも、生きているやつであの世の様子を詳しく知っているやつなんて、あまりいないに違いない。文もそんな一人だったこともあって、興味の方が先に立っているところもあるようだった。

「正直、人間からこんなにたくさんのことを学べるとは思っていませんでした。もちろん、人間を擁護する立場に回るわけではありませんが、今日出会った人たちは皆、自信に満ち溢れていて、思いやりのある人達ばかりで、妖怪の私でも見習うべきところは多々ありました。人間も馬鹿ばかりではないのですね」
「そうだね。あたいたち妖怪はなまじ寿命が長いから、物欲も薄いし、生き急ぐこともない。だから、周りがよく見渡せ、観察が出来る。そして、知識と見識を多く得られる。妖怪が頭がいいのは、長い寿命と強靭な体を持っているからだと、あたいは思うね。だけど、人間はあたいたちの十分の一も生きられないから、脳みそを全部使い切る前に死んでしまう。だから、限られた時間の中で何が出来るかを一生懸命に考えるんだろうね」
「その中で、人よりたくさん考えた人が、今日みたいな徳の高い人間になるわけですか。そう考えれば、徳の高い低いなんて、本当に薄皮一枚くらいしか違わないものなんですね」
「まさにその通りさ。人間は誰しも徳の高い人間になれる。でも、考えるだけじゃない。それを実行に移して初めて徳が高くなるんだ。頭でっかちで口ばかり達者で、それで何も実行しない人間は何もしていないのと同じだからね」

あたいと文は今日の出来事を振り返りながら帰路につく。
あたい自身、あれほど徳の高い人間と話すのは初めてだったから、色々と思うところがあった。文も同じ心持ちらしい。このまま酒でも飲みながら話していたいところだけど、飛んでいる先に冥界の門が見えてきた。

「あれ? あそこにいるのって妖夢じゃないですか?」

言われて、文が指差した方を見る。遠目でよく分からないが、あの服の色と背負っている刀は確かに妖夢だった。
何か荷物を持っていて、紐のような物でぶら下げながら飛んでいる。

「ん? 妖夢だけじゃないようだよ。隣にいるのは誰だい?」

よく見ると、妖夢は一人で飛んでいるわけではなく、誰かを引き連れて飛んでいる。見たところ、髪の長い女のようだったが、あたいは一度も見たことのないやつだった。

「あ、あれは慧音さんですね」
「ん、お前さんの知り合いかい?」
「ええ、取材で何度かお会いしました。人間の里近くに暮らしている方なんですよ」

妖夢と慧音という女性は、あたいたちと同じように冥界を目指しているようだった。このまま行くとちょうど鉢合わせするタイミングだ。

「あの二人が一緒にいるなんて珍しいですね。一体どういう関係なんでしょうか」
「まあ、実際に会って話してみればいいじゃないか。あたいも一応顔見せしたいしね」

あたいたちの方が先に門の前に着きそうだったので、二人の到着を待つことにした。
そして、それほどかかることはなく、あたいたち四人は門の真下に集合した。

「お疲れ様です、小町さん、文さん。今お帰りですか?」
「ええ、そうです。慧音さんもお久しぶりですね」
「ああ、久しぶり。前に学校の件で取材を受けた時以来だね。元気そうで何よりだ」

妖夢と同じ銀の髪を腰まで伸ばし、特徴的な帽子をかぶっている女性は凛とした口調で挨拶する。
真っ直ぐに前を見据える目も手伝って、固げな人だなあと第一印象では感じた。

「妖夢と慧音さんはどういう関係なんですか? 二人の接点が思いつかないんですけど」
「慧音さんが住んでいる村で採れた野菜とかを頂いてるの。代わりに冥界の特産品を差し上げたりしてるのよ。そんなに頻繁じゃなく、たまにだけれどもね」
「今日はどうしても必要な物があると言ってきたんでね。結構な量になったから、私も手伝っているというわけだ」
「なるほどー。それで何を手に入れてきたんですか?」
「ええ、これよ」

妖夢は持っていた麻の包みをほどくと、中身を見せてくれた。
中から現れたのは、たくさんの卵と切り身にされた肉だった。

「おっ、鶏卵だね。で、こっちは鶏肉かな? どっちも新鮮そうだね」
「ええ、卵は今朝の産みたて、鶏肉は村で捌いてきたばかりなんですよ。これから夕飯を作りますから、そのために」

ほー、捌いてきたばかりか。あたいは鳥を切ったことはないけど、妖夢は恐らく出来るのだろう。……うーむ、鶏の血で濡れながら包丁を振り回す妖夢の姿はなかなかシュールな想像だった。

「ん? どうしたの、文? なんか変な汗かいてるけど」
「い、いえ……えーと、慧音さんが背負っている物はなんですか? 籠みたいですけど」
「ああ、妖夢と同じさ。いま絞めてきたばかりの、」

と言って、女性は籠を背中から前に持ってきて、中身をずるっ、引き摺り出した。

「鶏さ」
「ひいっ!」

とか言って、文は全力で引く。おおっ、ずいぶん遠いな。そんなに引かんでも。

「あれ? 文さーん。何でそんなに驚くのー?」
「な、なんて可哀相なことするんですかーっ!」

遠くから文は抗議する。どうやら女性の持っている数珠繋ぎで首を絞められている鶏が怖いようだった。

「おーい、何で鶏が怖いのさー。お前さんだって鳥だろうにー」
「と、鳥だからに決まってるじゃないですかーっ! 同類の死体を見て喜ぶ人がいますかーっ!?」

……よく分からん理屈だな。カラスって共食いすらする雑食動物じゃなかったっけ?

「あ、文さんって鶏肉嫌いなんですね。失敗しちゃいました」
「別にいいんじゃない? あいつはこれから帰るんだし」
「いえ、よかったら文さんも誘おうと思ってたんですよ。今日は小町さんの歓迎会をやりますから」
「え? 歓迎会?」
「はい。だから、料理には奮発してお肉を使おうと思ったんですけど……」
「……」

か、歓迎会……。そこまでしてくれるとはさすがに思わなかった。嬉しいやら、申し訳ないやら、気恥ずかしいやら、いろいろな感情が胸の中で渦巻いた。
だから、あたいはそれを隠すように明るく言う。

「じゃあ、あいつの分はあたいが食っちまうよ」
「えっ、それはちょっと酷いんじゃ……」
「大丈夫大丈夫。好き嫌いするようなやつに出す飯なんかないって」
「何言ってるんですかーっ! 鳥は食べないですけど、お呼ばれするに決まってるじゃないですかーっ!」

……なんであんな位置から話が聞こえるんだろう。兎のようなやつめ。

「この方は妖夢の知り合いか? 親しいようだが」

すると、あたいたち三人のやり取りを見ていた女性が口を開いた。ちょうどいい。そろそろ挨拶したかった。

「ええ、この方は、小野塚小町さん。三途の川で船頭をなさっています。今日から白玉楼に住むことになったんですよ」
「ほう、船頭死神か。話には聞いていたが、実際にお目にかかるのは初めてだな」
「どーも、小野塚です。三途の川でしがない死神やってますんで、御用のときはお気軽にご相談くださいな」
「ふふ、あまり世話にはなりたくないものだがね。里の人間があなたのところに来たら、よろしくしてやってくれ」

よかった、冗談は通じる人のようだ。頭が固いわけではなさそうだ。

「私は上白沢慧音という。ある人間の里の近くに居を構えている者だ。幻想郷の歴史を研究しているから、興味があったら来るといい」
「へー、学者さんかい。道理で頭良さそうだと思った。で、えーと、カミシラサワサン?」
「慧音でいい。それだと舌を噛むだろう」
「んじゃ、あたいも小町でお願い。慧音さんはこれから白玉楼に来るのかい? 多分、妖夢も誘ったんだろ?」
「ああ、ありがたいのだが、残念ながら私はこれから行く所がある。妖夢を手伝ったのはその途中だったからだ。残念だが、また次の機会にお願いするよ」
「ふーん、それじゃあ、また今度会ったときにでもゆっくり話そうか。これから用事なら、その籠はあたいが預かるよ」
「ありがとう。それでは、長居するのもいけないので、これで失礼する。最近、人間の間で風邪が流行しているからな。二人とも気をつけてくれ」
「はい。分かりました」
「妖怪は滅多に風邪なんかひかないけどね。一応気をつけとくよ」
「ああ、それでは」

そう言うと慧音さんは、長い髪を翻して雲の下に姿を消した。

「さーて、あたいらも帰ろうか。おーい、文。いつまで小さくなってんの、帰るよー」
「さ、先に行ってくださいー。後からついていきますからー」

鶏肉がよっぽど苦手なのか、呼びかけても近くに寄ってこようとしない。この状態で、から揚げにでもなった鶏が並ぶ食卓につけるのだろうか。

「全くしょうがないねー。じゃ、先に行こっか。早く妖夢の料理が食べたいしね」
「ええ、腕によりをかけますよ」

それは楽しみだ。昼に食べた弁当も、見た目同様絶品だったし、否が応にも期待が高まっていった。



……今日は本当にいろいろありすぎた。
家を潰され、白玉楼を訪れ、幽々子さんに会って文と一悶着起こし、新しい仕事を始め、家の下見に行き、そしてこれから歓迎会だ。ここんとこ、舟を漕いでるだけの日々が続いていたので、こんなに密度の濃い一日を過ごしたのは久しぶりだった。

……白玉楼に来て、本当によかったと思う。急に来た厄介者のあたいに、妖夢も幽々子さんも本当によくしてくれる。これから、家が建つまでずっと白玉楼に住みたい気持ちがみるみる膨らんでくる。
でも、同時に、仲介屋のおっちゃんの話も思い出す。
あまり、だらだら延ばすのはよくない。出来れば今夜中に決心したかった。
あたいは嬉しさと心苦しさがない交ぜになった複雑な心持ちで、隣で微笑んでいる妖夢とともに冥界の門をくぐっていった。



◇ ◇ ◇



三日月が刃のように冴え渡る夜。
庭の外れにある屋根つきの土間に水音が響く。

白玉楼の裏庭からそう遠くない所にある、汲み上げ式ポンプ付きの土間に、魂魄妖夢の姿があった。
妖夢は、土間で洗濯をしていた。木製のタライと洗濯板を使ってせっせと汚れを落としている。
妖夢は洗濯は夜に行う。朝は玄関の掃除と朝餉の支度、剣の朝稽古などで費やされてしまうため、どうしても夜にしか時間が取れないのだ。
夜中に干して、明くる日の午前中に取り込む。冬は日差しが弱いので取り込みは午後になることもあるが、西行寺家の洗濯のサイクルは、ほぼこれを遵守されていた。

「ああ〜、寒い……」

厚着をしているが、寒いものは寒い。風呂の残り湯で洗濯したいのだが、あれは庭の水遣りと雪を溶かすのに使うので節約しなければならなかった。
それに、妖夢が風呂に入っていないのに残り湯を使うのでは意味がないし、どうせ干すのは外なのだ。風呂に入った後で体が汚れてしまっては、これも意味がない。それに、この寒い中、洗濯物を干していたら風邪を引いてしまいかねない。
妖夢の仕事には特に順番は設けられていなかったが、効率を重視しているうちに自然に習慣になってしまったのだった。

(あはははははは……)

屋敷の方からは、時折笑い声が聞こえてくる。今は小町の歓迎会の二次会で、妖夢を除く三人が宴会をやっているのだ。
今が酔いが回って一番盛り上がっている頃だろう。妖夢も早く仕事を片付けて加わりたいものだと思っていた。
小町の歓迎会を兼ねた夕食では、妖夢の手の込んだ料理が大好評を呼び、その料理や、小町と文の仕事の様子に話の花を咲かせ、鶏肉嫌いの文を小町と幽々子がからかったりと、大騒ぎのうちに終わった。
幽々子が奥から酒を持ってきたため、なし崩し的に二次会に突入したのだ。しかし、妖夢は片付け等に追われていたので、すぐに参加出来ずにいるのだった。

「……よし、終わり!」

確かめるように声を出し、妖夢は洗濯物を抱えて物干し竿が立っているところに向かう。
昨日までは妖夢と幽々子の二人しかいなかったので、洗濯は二日にいっぺんでよかったが、これからは小町の分も増えるため毎日やらないと服の回転が追いつかないかもしれない。

「はあ……」

覚悟はしていたとはいえ、労働量が増しているのを実感できた。
しかし、妖夢はそれほど悲観してはいなかった。新しく増えた仕事は始めのうちは疲れるが、毎日続ければ習慣になる。
彼女はそうやって、白玉楼の仕事を続けてきたのだ。

「……あと二週間くらいかな……」

その日が来る大体の目星をつけながら、妖夢は雪が積もった夜の庭を歩く。
そして、ふと小町と文との正午の弁当のやり取りを思い出した。
その時の小町と文の顔を脳裏に浮かべて微笑する。思わず、笑ってしまうくらい喜んでくれた。

従者は主のために尽くす。そこに見返りを求める心は存在せず、主を支えるためだけに心血を注ぐ。しかし、何も言わないけれど、幽々子は自分に感謝をしているということは妖夢にも感じ取れている。ただ、幽々子はそれをほとんど口に出さない。主と従者という関係なのだから、それは当然と言えた。

今でもまだ幼いが、彼女が今よりもっと幼かった頃、祖父の跡を継ぎ、二代目の庭師として働き始めたときは失敗続きだった。
幽々子からも何度も呆れられた。
しかし、初めて美味しく料理が出来た時、剣技の一つを会得した時、幽々子は従者の自分にねぎらいの言葉をかけてくれた。
もっと褒められたい。もっとこの人を喜ばせてあげたい。その一心で、妖夢は家事と剣の修行に打ち込んできた。

この献身的で健気な少女は、自分が必要とされるなら身を粉にして働く。弁当を渡した時の小町と文の喜びよう。歓迎会の料理をおいしいと褒めてくれたこと。その時、妖夢は例えようのない充実感と幸福感を感じた。初めて幽々子に褒められた記憶を掘り起こされた。
当たり前になってしまった日常や毎日の仕事。それを幽々子に感謝されていることは知っている。ただ、あまりにも日常的になり過ぎた。
仕事が出来るようになるにつれ、幽々子は何も言わなくなったし、自分もそれが当たり前になった。

幽々子が何を考えているのか分かりにくいところにも原因があったのだろう。小町と文のストレートな賞賛は、妖夢の心にこの上なく響いた。そして、心の麻痺していた部分をほぐしていった。
自分が必要とされる喜び。褒められる時の気恥ずかしいような嬉しさ。この上ない幸福感。
それを、また味わえるなら、妖夢はいくらでも頑張ろうと思えるのだった。



三十分くらいで洗濯物を干し終わり、妖夢は風呂に入るために渡り廊下を心持ち早足で歩く。
玄関から自室へは近いので、着替えその他はすぐに用意できる。それを持ち、白玉楼の浴場に向かった。

浴場へ行くには、途中で居間を通らなければならない。その居間からは、にぎやかな話し声が聞こえた。
まだ宴会は続いているのだろう。
どんな感じなのか、妖夢は浴場に行く前にちょっと様子を見てみようと思い立った。



◇ ◇ ◇



ふと、障子が開けられたのに気づいた。

「あっ! ようむだー! どこにいってたのよー、あたいの酒をのみなさーい!」
「わっ」

障子を開けたのは一次会で姿を消してしまった妖夢だった。
あたいは妖夢に飛びついて、首の辺りに絡みついた。

「小町さん、大分飲んでますね。顔が真っ赤ですよ?」
「んふふ〜、のんでるよ〜。幽々子さんったら、こんなに酒をもってくるんだもん。のまなきゃ失礼ってもんさ」

コタツの上と畳には酒瓶がごろごろ転がり、おつまみも大体食べつくされている。
もうすでに二升くらいは飲んだだろうか。久しぶりの深酒だった。なんとも気持ちいい。

「妖夢〜、あなたも早くいらっしゃいな〜」
「そうですよ。私たちだけ楽しんでいるなんて、なんだか悪いです」

幽々子さんと文も妖夢を誘う。この人たち酒に強いな、さっきから全然ペースが変わらん。酔っているのは、あたいだけのような気がした。

「はい、これからお風呂に入ったら、すぐに参加しますよ。もう少し待っていて頂けますか?」
「あ、あたいも行く行くー!」
「へ? あれ? 小町さんってお風呂入ったんじゃなかったんですか?」
「いーやー? なんだか楽しくてすっかり忘れてたー。だから、妖夢と一緒にはいるー。あれ? そういえば、天狗さんも入ってなかったよね? どうするー?」
「あ、そうですね……。でも、幽々子さんだけを残しておくわけには……」
「私はいいわよ〜。少し、はしゃぎすぎて疲れちゃったから、ちょっと休憩ね。三人で入ってらっしゃいな」
「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えて」
「よーし! 白玉楼の風呂を拝むぞー! きっとスゴイ風呂なんだろうねー!」

あたいは気合を入れて、着替えを取りに自分の部屋に小走りで向かった。



白玉楼の風呂は、一階奥の裏庭に面した場所にあった。
渡り廊下をしばらく歩き、再び屋敷の中に入ると、程なくして銭湯を連想させる“ゆ”と赤い字で書かれた暖簾が正面に見える。幽々子さんが銭湯っぽい雰囲気を味わいたいとかで付けたものらしく、妖夢が生まれる前から存在している年季の入った藍色の暖簾だ。
その暖簾をくぐると、まあ普通に比べれば十分広いのだが、入れるのは五人がせいぜいと思われる、屋敷の規模にしては狭いと言わざるをえない脱衣所に出る。
板張りの床には籠がいくつか置いてあり、脱衣所に一番乗りしたあたいは手近な籠を手にとって、そこに脱いだ服を入れた。
服で無事だったのは数着で、他は雪に埋もれてしまった。だから、着替えといっても下着ぐらいしかないのだ。
それを妖夢に話したら、客用の大き目の浴衣を用意してくれた。この上から上着でも羽織れば寒くはないだろうと思う。
さっさと服を脱いでタオルー枚を引っつかんだあたいは、後の二人に先んじて浴場の戸を勢いよく開け放った。

「おーっ! 予想通りのすげー風呂だねー! 三人入ってもまだ余るよ、これは!」

湯気が立ち込める浴場の奥には、その面積の半分を占める木製の大きな浴槽がある。その中には大量の湯がなみなみと注がれており、天井から落ちた滴に震わされたのか、表面にゆったりと波紋を残していた。
あたいは浴室の板の上に降り立つと、手近な桶を手にとって浴槽の湯をすくい、盛大に頭からぶっ掛けた。

「うっひゃーっ、あっちーっ! いい湯加減だねー!」

一番風呂の幽々子さんはかなり前に入ったというのに、どうしてこんなに熱いんだろう。なにか仕掛けでもあるんだろうか。
そのまま二度、三度とお湯をかぶる。何度かぶろうがお湯が減ることはないので、やりたい放題だった。

「小町さーん、深酒したのにお風呂に入って大丈夫ですかー。のぼせないようにしてくださいよー」

後ろを見ると、妖夢がタオルで胸を隠すようにして浴室の中に入ってきた。

「大丈夫大丈夫! そんなこと一度もなったことないから!」
「うわー! 本当に大きなお風呂ですねー! お風呂屋さんみたいです!」

文も来たようだ。銭湯以外で多人数で風呂に入るのは本当に久しぶりだった。

「妖夢ー、石鹸とかってどこにあんのー?」
「小町さんの左手奥の方ですよ。湯気で見えにくいかもしれませんが」

妖夢に言われた方に目を凝らすと、確かにあった。木製の洗面器と椅子が積まれているのが見え、そばに石鹸が大量に置かれてあった。

「おっ、そうだ! ねえねえ二人とも、あれやってみない? 一人が前のやつの背中を洗ってさ、その洗ってるやつの背中をもう一人が洗っていくやつ!」
「あ、面白そうですねー。子供の頃に友達とやったことがありますよ、それ」
「えっ、そ、それは、ちょっと、恥ずかしいので、私は遠慮します……」

あたいと文は酒を飲んでいるのでテンションが高いが、妖夢はまだ素面なのでノリが悪かった。
こういうやつは強引に引っ張り込むに限る!

「エー、なんでー、いいじゃんかー」
「そうですよー。こんなときでもないと体験できませんよー。こんな機会めったにないですってー」
「う……」

あたいと文は、いつにないコンビネーションで妖夢に詰め寄っていく。基本的に押しに弱いからな、妖夢は。

「わ、分かりましたよ。ちょっとだけですからね」
「わーい、やったー!」

無邪気に喜ぶ死神と天狗。余裕で数百年、精神年齢が下がっていた。

「はいはい、じゃあ椅子を並べるよー。順番はどうするー?」
「わ、私は一番最後でいいです……小町さんと文さん、お先にどうぞ……」
「そうかー、妖夢は後ろから数えて一番最後がいいのかー。そこまで言われちゃ、仕方ないねー」
「ち、違いますって! 前から数えてです!」
「文ー。妖夢の背中を流してあげなさーい。隅々までしっかりとねー」
「了解しました。でも酔ってますから、ちょっと人には言えないところに手が滑っちゃうかもしれませんねー」
「け、けっこうです! 自分で洗いますからっ!」
「あれー? 私一言も“どこを洗う”なんて言ってませんよ? 妖夢は一体どこを想像したんでしょうねー。お姉さんに分かりやすく教えてくれませんか?」
「ふあ……」

まだお湯にも浸かっていないのに、ゆでだこのように赤くなる妖夢。
文が妖夢をいじっている間、あたいは浴槽のすぐ近くに、着々と桶と椅子を集めて適当に縦に並べる。

「はい、出来たよー。さっさと座りなー」
「はーい、じゃあ、私は真ん中ですねー」
「うう……やっぱり恥ずかしいなぁ……」

そんな感じで、あたいらは妖夢、文、あたいの順に並んで座り、背中を洗い始めた。
浴槽からお湯をすくい、タオルを浸して石鹸をよく泡立てる。
それから、あまり面積のない文の背中にタオルを丹念に擦り付けていった。

「うーん、お前さん、見かけもそうだけど細いねー。ちゃんと飯食ってるー?」
「食べてますって。私は太らない体質なんですよ。これが私の最大幅です」
「そりゃ、うらやましい。んじゃ、妖夢はどうだい? 射命丸先生」
「おお、さすが剣士ですねー、脂肪が余りありませんよ。毎日鍛えているだけあります」
「ちょ、ちょっと文さんっ、くすぐったいから、そこ揉まないで!」

文は妖夢の背中を洗うと同時に、体をまさぐっているようだ。
ここからだと、どこを揉んでいるのか分からないから想像するしかないわけだが。

「あたいも毎日鍛えてるつもりなんだけどね〜。腕ばっかり使ってるから二の腕だけが発達してしょうがないよ」
「え、そうですか? 私は毎日剣を振っているから多少筋肉はありますけど、小町さんの腕はそんなに太いとは思いませんよ」
「いや、あたいもけっこう筋肉あるよ? 妖夢と腕相撲したらどっちが強いかね」
「そんなの、体重が重いほうに決まってるじゃないですか」
「ほー……それは、暗にあたいが太ってるって言いたいわけだね? 後で覚えてろよ?」
「いーえー、小町さんと妖夢じゃどう見たって小町さんのほうが重そうじゃないですかー」
「重いって言うな! 体重があるって言え!」
「あまり変わってないような気が……」

あたいは気を抜くとすぐ太る体質ゆえ、文の指摘はちょっとグサッと来た。

「それにしても、妖夢は一次会の後にどこに行ってたんですか? お仕事だというのは分かりますけど」
「食事の片づけをした後に、外の土間で洗濯をしてたのよ。夜に洗濯するのは習慣みたいなものだから」
「げー、こんな寒い中で洗濯かい? 考えただけで身が凍っちまうね」
「もう慣れみたいなものですから。毎日やっていればそれが苦痛ではなくなってしまうんですよ」
「そんなものかねー。まあ、あたいの仕事と同じようなもんか」
「そういえば、その仕事の中に食料調達もあるんですよね? 妖夢は頻繁に下界に下りて、食料やらを調達してくるんですか? 幽々子さんは、白玉楼には蓄えがあるって言ってましたよね?」
「ええ、でも新鮮な卵や生き物の肉は調達できないでしょう? 冥界には生き物がいないから。だから、卵とかは下で調達してくるのよ」
「なるほど、例の慧音さんのところへか。でも、わざわざ下まで下りるのは面倒くさいだろうね。それも慣れかい?」
「ええ、そうです。ただ、こっちは一週間に一度くらいですけどね」

その一週間に一度の仕事を、あたいが来たからやらざるを得なかったってわけか。
ちょっと、心が痛んだ。

「あ、そうだ! 妖夢、私のカラスを使いますか?」
「へ? カラスって、文さんがいつも連れている?」
「そうです。それにお使いやらせればいいじゃないですか。お弁当を作ってくれた、ほんのお礼ですよ」
「カラスったって、鳥だろ? お使いなんて賢いこと出来るのかい?」
「小町さん、カラスを甘く見てますね? カラスは鳥の中でも特に知能が高いんです。人語を理解して喋るカラス、なんてのもいるくらいなんですよ」
「ほー、そりゃ初耳だ。喋るくらいなら、お使いくらい出来ても不思議じゃないね」
「だから、出来るんですって。どうですか、妖夢。卵を運ぶくらい朝飯前ですから、きっと役に立ちますよ?」
「……ええ、ちょっと面白そうね。それに、私は生き物を飼ったことがないから、世話もしてみたいかも」
「オッケーです。じゃ、私が特に念入りに調教した一羽を差し上げますね。妖夢の命令には絶対服従するようにしときますから」
「犬猫じゃなくて、カラスの世話か。まあ、死人の住むところだから似合ってるかもね…………ほーれ、終わりー」
「わぷっ!」

一通り背中を洗ったので、ざばー、と文の頭からお湯をかける。

「ちょっと、小町さん! 流すんなら言って下さい! びっくりするじゃないですか!」
「さっき、あたいを太ってるって言ったお返しさ。女の子に体重の話を吹っかけるのはタブーだよ」

おかんむりの文に、あたいはニヤ、と笑って流してやった。



一通り背中を流し合ったあたいたちは、大量のお湯をたたえる浴槽の中に飛び込んだ。
あまりにも広い浴槽なので思わず泳ぎたい衝動に駆られるが、それはマナーが悪いのでさすがにやらない。

「ふい〜、極楽極楽」
「何でお湯に浸かると、みんな極楽極楽って言うんでしょうね?」
「そのくらい、気持ちがいいってことなんじゃないの?」
「それにしても、この風呂は広すぎるねー。妖夢と幽々子さんは毎日こんな風呂に入ってるんだろ? 贅沢の極みだね」
「そんな、いつもこんなお風呂を沸かしているわけじゃありませんよ。今日は小町さんが来たから特別です。第一、水がもったいないじゃないですか」
「へ? じゃあ、どうしてるんですか? 週三くらいで入ってるんですか?」
「文さんの背中辺りに溝があるでしょ。そこに厚い板を差し込んで浴槽を分割するの。板は二枚あるから三分の一くらいに浴槽を小さく出来るのよ」
「なるほど、お屋敷ならではの生活の知恵だね。じゃあ、明日からその三分の一風呂になるわけだ。今のうちに完全体の風呂を堪能しとこう」

タダで銭湯以上の風呂に入ることなんて滅多にないし。

「でも、小町さん、髪の毛を下ろしていると印象が変わりますね。後ろから見たら、すぐに誰か分からないかも」
「ん、そうかね。まあ、あのおさげは、あたいのトレードマークみたいなもんだからね。子供の頃からあれで通してるし」
「私は髪の毛を弄る習慣がないから、いつも適当にしちゃいますけどね。妖夢はどうですか?」
「え? 私も……あまり弄らないかな。リボンをするくらいで」
「二人とも伸ばしたりしないの? 一度くらい伸ばしたことあるんだろ?」
「もちろんありますよ? でも、すぐやめました。飛んでる最中に木に髪の毛が絡まりそうなので、怖くて出来ませんね」
「私も、剣を扱っていると邪魔になるから……伸ばしても、そんなに似合うとも思えないし……」
「そう? 妖夢はもっと背が伸びたら似合うんじゃないかい? 綺麗な髪の毛してるし、慧音さんみたいになれるんじゃない?」
「え、そ、そうですか?」
「もっとも、お前さんが似合うようになるには、あと五十年くらいは必要だろうけどねー」
「まあ、確かに……。気長に待つことにします」

半分しか人間味が無いとはいっても、寿命が半分にならないところが、あたいには不思議だった。

「あーっ、今日も舟漕ぎまくったから腕がぱんぱんだよー」

あたいは、ぐいーっと両腕を上に伸ばす。毎日舟を漕いでいるとはいえ、腕はやはり疲労する。
風呂に入っているときは、ストレッチやマッサージをするのが習慣になっているのだ。

「…………」
「…………」
「……ん? どうしたの?」
「いえ、なんでも」
「な、なんでもないですよ」
「? 何で目を逸らすのさ?」
「いえ、なんでも」
「な、なんでもないですよ」
「??」

なんだか急に二人の歯切れが悪くなった。あたい何かしたか? 腕を伸ばしただけなんだけど。
じーっと二人を見ていると、ちらちらとこちらを見ているのに気づく。
主に、あたいの一箇所を中心に。

「……あ、なに、あたいのおっぱい見てんの?」
「そ、そういうわけじゃ、ないですよ?」
「あ、あはは。やっぱり小町さんって大きいですね……」
「ん? そう? まあ、お前さんたちよりは大きいかもしれないけど」
「うっ!」
「くっ!」
「でもおっぱいなんて、あったらあったで邪魔なんだよ。あたいは舟を漕ぐから思いっきりきつく胸を縛らなきゃならないし。お前さんらの方がうらやましいね」
「……なんだかどんどん殺意が芽生えてきますね。こんな富の偏在を許していいんでしょうか……」
「あはは……文さん、落ち着いて……」
「あ、そうだ。確かさ、おっぱいって揉むとでかくなるって言うじゃん。それやってみたら?」
「そんなの迷信に決まってんじゃないですか」
「お前さん、やったことあるのか」
「や、やってないですっ!」
「なんてわかりやすい……」
「あ、そう。じゃ、お前さんがダメだったんなら、あたいがやってやるよ」
「は?」
「いや、貧乳が揉んでダメだったんなら、巨乳が揉んだら効果あるんじゃないかなーと思って」
「い、いいですよ、そんなの。あと貧乳って言うのやめて下さい」
「ほれほれ〜、遠慮するな〜。いまなら小町さんの豊胸マッサージが無料でご奉仕中だぞ〜」

両手をわきわきさせながら文に迫る。
文はじりじりと後退させられ、そして湯船の端に追い詰められた。

「い、いや……やめて……」
「じゃ、小町いきまーす」
「きゃあああああああああ!!」

湯船から逃れようとする文を羽交い絞めにして、後ろから文の胸を揉み始めた。
胸というよりは、胸からわきの下にかけてを重点的に。

「きゃははははははははははははは!! や、やめ、やめて! そ、そこは胸じゃなくって……!!」
「ん〜? ここは胸じゃないのか〜。じゃあ、ここかな〜?」

今度はわきの下を重点的に。

「きゃはははははは! や、やめ、やめてくださいって! ひゃはははは、げほっ、げほっ」
「それそれそれ。おおきくなあれ〜、おおきくなあれ〜」
「いやははははははははははははははは!! だ、だめ! もうだめ! ゆ、ゆるして……!」
「ほ〜れ、ほ〜れ、こちょこちょこちょこちょこちょ……」

五分後。
湯船のヘリに突っ伏して、げっそりとしている文がいた。

「なーんだ、もう終わり? それじゃあ、おっぱい大きくならないよ〜」

つまらなそうな顔をして口を尖らせる。
その後ろを音も立てずに、すーーーっと一つの影が通り過ぎていく。

「じゃ、次はお前さんだね」
「ひっ!!」

妖夢は変な声を上げた。気づかれずに出ようとしても、そうは問屋が卸さない。

「それでは、小町さんの豊胸マッサージ〜、二人目のお客様は魂魄妖夢さんをごあんなーい」
「うきゃあああああああああああああ!!」

浴室に断末魔がこだました。







風呂を上がり、着替えて居間に戻ってみると、幽々子さんがみかんを食べてまったりしていた。

「あら、お帰りなさい。湯加減はどうだったかしら?」
「ええ、もう最高です。あんな広い風呂に入ったこともありませんでしたし」
「それはよかったわ〜、……あら?」

幽々子さんは、あたいの後ろにいた二人の様子に気づいた。

「こまちゃん、なんで文ちゃんと妖夢はこんなに憔悴しきっているのかしら?」
「いやいや、浴槽ではしゃぎすぎて、のぼせただけです。なかなか激しく運動したので」
「あらあら、楽しそうね〜。今度は私も一緒に入ろうかしら〜」
「お、いいですね。どうやら幽々子さんは攻撃側みたいですから、あたいと一緒に二人を可愛がってあげましょう」
「わ、私は遠慮します……。もう、小町さんとはお風呂に入りません……」
「私も……入るのは一番最後でいいです……」

そう言うと、文と妖夢はのろのろとコタツの中に入り、ホッとしたかのように溜め息をついた。

……よし、こんなとこだろう。
今日一日の締めくくりとして、楽しく過ごすことが出来た。短かったけど、妖夢とも遊べた。
いま、関係者が全員揃っている。なら、ここで話すのが、一番いいタイミングだった。

「……幽々子さん、妖夢、そして文も。ちょっと聞いてくれるかな?」

あたいの呼びかけに、三人はあたいに目を向ける。
そして、あたいはその場に正座した。

「……今日は、あたいのために、こんな楽しい歓迎会を開いてくれて本当にありがとう。今日は一生の思い出になると思う。あらためて、お礼を言わせてください」

幽々子さんと妖夢は、突然お礼を言われたことに少し驚きながらも笑みを浮かべた。
ただ一人、文を除いて。

「小町さん……どうするか決めたんですか?」
「ああ、だから全員揃っているここで言おうと思う。今日一日、色々考えた末での結論だ。これから、あたいがどうしたいのか、はっきり伝える義務があるからね」

そうだ。今日の歓迎会ではっきり分かった。幽々子さんと妖夢は、あたいを心から歓迎してくれている。
だから、これ以上決断を延ばしたら、どんどん言い出しづらくなる。言うなら今が最良だった。

「あたいは、明日、ここをお暇させてもらいます」
「え……?」

妖夢の息を飲むような声が耳に入った。
それはすごく小さな音だったけれども、あたいの耳にはこの上なく響いた。

「ど……どうしてですか? 小町さんは、これから家が建つまでここに住むんじゃなかったんですか?」
「妖夢」

妖夢の困惑を遮るかのように、幽々子さんがはっきりとした口調で言う。

「まずは、話を聞きましょう。質問はそれからでも遅くはないわ。こまちゃん、聞かせてもらえるかしら?」
「はい。実は……今日知り合いの大工のところに行った際、白玉楼以外の下宿先を見つけてもらえることになったんです」

そう、大工仲介屋のおっちゃんがあたいに提案してくれたのは、そういうことだった。
大工の仲介屋という商売をやっている関係で、おっちゃんはアパートの建造にも携わったこともある。その中に、おっちゃんの親類がいたのだ。
仕事を退いた際の退職金で、おっちゃんにアパートを建ててもらうように依頼をし、今ではそのアパートの大家として悠々自適に暮らしている。
おっちゃんはあたいに、そのアパートに泊まらないか、という話を持ちかけてくれたのだ。他ならない、あたいだからという条件で。
そこの大家さんは人当たりのいい人らしく、家が建つまでの約一ヶ月の間なら、空いている小さな部屋を敷金・礼金なし、通常の半額程度の家賃で泊めてくれるようにと、おっちゃんは頼んでくれる。あたいが他の人の家に居候になることを嫌っているからこその提案だった。
家賃を払うという行為には少し抵抗があるが、安アパートの半額程度なら妥協できるし、これほど譲歩してもらっているのだから払うべきだ。それに、タダで部屋を借りるよりは何倍もましだ。
一ヶ月間の家賃を払って、そこで生活し、一ヶ月後に出て行く。おっちゃんと大家さんにはお手数をかけるが、それ以上は誰にも迷惑をかけない形になる。

白玉楼にいる限り、主の幽々子さんはまだしも、従者の妖夢には迷惑がかかる。
仮に、あたいの待遇を部屋を貸すのみにしても、ライフラインは共同だ。妖夢が食事を作りたいときに、あたいが台所を使っていたら、妖夢の仕事に支障が出る。あたいが白玉楼の施設を使っていい時間帯などを指定してもらったりなんかしたら、それだけで二人の生活を圧迫する。
要するに、あたいはここに住むだけで、何の見返りも払わずに迷惑をかけることになるのだ。
それがいやなら、あたいは家賃を払い、幽々子さんにあたい専用の水周り等を造ってもらわなければならない。

まあ、それは大げさだとしても、あたいは白玉楼に住むよりはアパートに住んだ方が好ましいと思っているのだ。
快適さという問題ではない。あたいが今まで生きてきた中で培った常識が、そっちの方が良いと言っているのだった。

「……まあ、そんな感じです。あたいは家を潰されたとき、どこかの知り合いの家に厄介になるしかないと思ってました。ですが、あたい自身が頑張ってどうにかなるなら、アパートに泊まった方が筋が通っている。自分で解決できるのに、それをせず、相手におんぶに抱っこで助けてもらうのは、ただの甘えです。あたいはそれが好かないから、白玉楼をお暇しようと思ったんです」

幽々子さんは表情を変えず、真っ直ぐあたいを見据えている。妖夢は少し俯いて耳だけであたいの話を聞いている。
それが、あたいを責めているようで、なんとも居心地が悪かった。

「こんなに盛大な歓迎会を開いてもらったのに、恩を仇で返すようなことになってしまい、すみませんでした」
「……そう、分かったわ。私はこまちゃんの意志を束縛する権利はないし、こまちゃん自身がそうしたいのというのなら、そうなさい。もともと、こまちゃんの方から持ちかけてきた話だし、出て行くのは自由って言ったのは私だしね」

幽々子さんは諦めたように笑いながら言う。

「妖夢もそれでいいわね? こまちゃんは明日発つけど、朝ごはんくらいは用意してあげなさい。最後のお仕事よ」
「あ……」

妖夢は幽々子さんに話しかけられ、いま気づいたかのように顔を上げた。
あたいと幽々子さんを交互に見て、

「……はい。私は、幽々子様と小町さんに従います。私に口を出せる問題ではありませんから」

悲しそうに笑った。
もう、あたいはなんだか居たたまれなくなった。

「……じゃあ、あたいの話したいことはそれだけですので、これで……」

あたいは部屋に戻るために立ち上がろうとした。
そこで、幽々子さんがふと、口を開いた。

「そういえば、妖夢。今日の夕飯のお味噌汁はいつもと味が違ったわねー」
「え?」

急に本日の夕食の味噌汁の話をしだす幽々子さん。何の脈絡もなかったので、あたいは立ち上がる機会を逸してしまった。

「毎日毎日同じ味だったけど、今日の夕飯だけは違ったわー。なんだか、いつもより味が深かったもの。勘だけど、何度か作り直したんじゃないかしら? 出来る限り、美味しく作ろうとして」
「……」

妖夢は何も言わない。だけど、嘘のつけない妖夢の顔は雄弁に答えを物語っていた。

「そういえば、今日の歓迎会って、妖夢が言い出したことなのよね。わざわざ下界に降りてお肉まで調達してきたりして。そんなこと数ヶ月に一回あるかないかじゃないの。何かお祝い事があっても、鳥のお肉なんてほとんど食卓に出さないじゃない。食費の節約だーって言って。お風呂だって、いつも大浴場は板で仕切ってあるし。あそこを全部使うなんて、前は何年前だったかしらね。ちょっとボケちゃって思い出せないわー」
「……」

幽々子さんは続けざまに今日の出来事を振り返る。妖夢は赤くなって、俯いてしまった。

「そういえば、妖夢は明日と明後日の献立も、もう考えてあるのよね。台所にメモが貼ってあったもの。どうしてかしらね。食事を作るときは、いつもその場その場で決めてたじゃないの。もしかしたら、もっと先のことも考えてあったりするんじゃないの? 台所に、いつもは使わない料理の本が置いてあったし、その挑戦でもしてくれるのかしら?」
「……」

幽々子さんの一方的な問いかけは続く。あたいも、文も、その声を黙って聞いていた。

「そういえば、私、一週間後に冥界の山にお弁当を持って散歩しようと密かに計画していたのよ。今日のお弁当があまりにも美味しかったものだからね〜。でも、いつもと同じように、妖夢と一緒に行くことになりそうね。冥界なんて、わざわざ来たがる人もいないだろうし。残念ね〜、もし、誰かいたら、冥界の名所を案内してあげようと思ったのに。本当に残念」
「……」
「そういえば、離れの茶室も開けたいわね。もう何年も使ってないし、久しぶりに白玉楼の庭園を見ながらお茶を飲みたいわ〜。うーん、でも一人だとつまらないのよね〜。妖夢もお仕事だろうし。誰かお供を連れてこようかしら」
「……」
「そういえば、下界に降りるにも妖夢の許しを得なきゃならないから、頻繁には降りられないのよね〜。誰か、妖夢が信頼しているお友達でも付いてきてくれれば、嬉しいのに。そうすれば、私も気兼ねなく外を出歩けるのにね〜」
「……」

一通り、幽々子さんは話し終えると、あたいににっこりと微笑みかけた。
初めて会ったときのような、花が開く様な笑顔で。

「ちょっと、独り言しちゃったけど、こまちゃんの話は分かったわ〜。“いつでも”出たい時に白玉楼を出ればいいわよ。私はこまちゃんを強制する権利はないからね〜」

この人には、本当に、敵わない。

「……はあ」

あたいは、軽く溜め息をついて、苦笑いを浮かべながらその場に座りなおす。

「……分かりました。じゃあ、もう少し、ここにご厄介になることにします」
「え?」

妖夢は顔を上げ、目を見張ってこちらを見た。

「あたいも妖夢の料理は食べてみたいですし、幽々子さんとハイキングにも行きたいです。あたいは建前よりも、自分のやりたいことに忠実ですから。アパートに泊まることよりも魅力的なことが目の前に転がっているなら、あたいはそっちを選ぶやつなんで」
「小町さん……」
「妖夢、そういうことさ。お前さんの作った料理、期待しているよ」
「は……はい……! 楽しみにしていてください……!」

妖夢は泣きそうな笑顔で応えてくれる。文も安心したかのように微笑んでいた。

「よーし、じゃあ、湿っぽい話はこれまで! 妖夢もいることだし、飲み直そうか! 明け方まで飲むよ〜」
「えっ、小町さん、明日も仕事じゃないんですか?」
「言っただろ? あたいは自分のやりたいことに忠実だって。今日はいままでで一番楽しい飲み会になりそうな予感がするからね! こんな機会を逃す手はないさ!」
「よ〜し、妖夢、お酒をもってきてー。ありったけでいいわよ〜」
「は、はいっ!」

幽々子さんに促された妖夢は、コタツから飛び出して台所に向かう。その背中には、さっきの悲壮感は微塵もなかった。

……うん、これでよかったと思う。きっとこれが一番正しい選択だったに違いない。
自分の薄っぺらいプライドよりも、みんなが笑っていけたほうがいいに決まっている。だから、あたいは白玉楼に厄介になる。自分にいてほしいと思っている人がいるから。


その日の夜は、特別に長くなった。
白玉楼にはいつまでも明かりが灯り、楽しげな笑い声が響いていた。



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