開け放たれた障子から、そよそよと風が通り抜ける。
それに撫でられた風鈴が、軽やかに、涼やかに音を奏でる。
本格的な夏の盛り。気休めでも心地よく感じる。
小さな風情を楽しみながら、ムラサは大広間の中心で足を投げ出して座っていた。

今日は、それほどジメジメしていないが、やはり暑いことは暑い。
地上に出てから、最初の夏。千年ぶりに味わう炎暑の季節。
感慨深い想いを抱く。こうして、皆と一緒に季節を巡ることが出来るのが、ムラサの心を何よりも安らかにさせた。

全員で囲む大広間の食卓。その上にある、赤いシロップをかけられたかき氷。
里にある道具屋を物色していたら、かき氷作りの道具を見つけた。珍しかったので、買ってみたのだ。
皆に見せると、白蓮と星と一輪の評判は良かったが、ナズーリンとぬえは玩具だと不評だった。
それでも、ムラサがかき氷を作って持っていくと、なんだかんだ言いながら食べてくれる。素直じゃない二人の性格はよく承知していた。

スプーンを持って、少し溶けかけたかき氷に差しこむ。
シロップが染み渡っていて、冷たさと同時に甘美な味が口内に広がる。
夏に食べるかき氷ほど美味しい物は存在しないのではないか。スイカとの二大巨頭である、とムラサは思った。

一度食べだすと、スプーンは止まらなかった。
舌が冷たさで痺れようとも構わず、どんどんと口の中に入れていく。
五分くらいで氷の小山は食べつくされ、最後に皿に溜まった氷とシロップを一気に飲む。
完食すると、満足感が味わえた。

「はあ……」

溜め息をついて、後ろに倒れ込む。
アブラゼミとミンミンゼミが合唱している。
それを聞きながら、ムラサはぼーっと天井を見つめる。
このまま、惰眠をむさぼろうかと思った。

すると、障子の向こうの廊下を踏み鳴らす音が近づいてきた。

「また、だらけてるわねぇ」

そんな声が聞こえた。

「ん〜?」

ムラサは寝ながら障子の方を見る。頭巾をかぶっていない雲居一輪の顔が、逆さまに見えた。

「仕事は〜?」
「終わったわ。いまは休憩」

そう言って、一輪はムラサの対面に腰を下ろす。
ムラサは勢いをつけて上体を起こした。

「みんなは〜?」
「姐さんは読経してるわよ。寅丸さんとナズはどこかに行ったわ。ぬえは、その辺で遊んでるんじゃない?」
「あっそー」

どうやら、皆、同じ生活をしているようだ。再び倒れ込む。

「かき氷、好きねぇ。毎日食べてるじゃない」
「まぁねー。一輪の作ってあげようか?」
「いいわ、氷がもったいないから。麦茶で充分よ」

一輪は麦茶の入ったコップに口をつけた。氷が一つ入っていた。

「……なんか、私が穀潰しみたいに聞こえる」
「別にそんなこと、言ってないわよ」

ムラサが憮然とすると、一輪は笑って弁解した。

「でも、夏場に氷を作るのは大変だって姐さん言ってたから。大切に使ってくれると、ありがたいわね」

確かにそうだった。
ムラサがかき氷を食べられるのは、氷を作りだす魔法を知る白蓮がいるからであって、そのことは自覚しないといけない。

「あー、なんか、怠惰な気分」

そんなことを言うムラサ。

「何か、生産性のあることをしたらいいじゃない」
「例えば?」

一輪の返事に、ムラサは疑問を重ねる。

「仕事するとか、趣味を探すとか。考えれば、いくらでも思いつくわよ」
「私の仕事は、聖輦船遊覧ツアーだけど」
「そんなの月一じゃない。あなたにしか出来ないけど、まっとうな仕事かは疑問だわね」

むう、とムラサは唸る。確かにその通りだった。
命蓮寺が月に一回やっている、空を飛ぶ遊覧船ツアー。
最重要である船の操作は、船長のムラサだ。だが、それは、ルートの決定さえしてしまえば、後は船が自動的に動いてくれる。
それは、ムラサにしか出来ないが、非常に簡単な仕事だった。

「あー、じゃあ、何したらいいわけ?」
「それを考えるのは、あなたでしょうが」
「むー、アイディアぐらい頂戴よ」

ゴロゴロとムラサは左右に転がる。
仕事と言っても、家事手伝いぐらいしか思いつかない。
でも、それは白蓮と一輪とナズーリンという優秀な人材がいるから、手を出そうものなら、邪魔だと言われかねない。
じゃあ、一体、何をしたらいいのか。

「かき氷作って、お金もらえるような仕事はないかな?」
「あったら、私もやりたいわ」

馬鹿な問いに、一輪は律義に返す。

「でも、そうね。かき氷屋をやったら、売れるかもね」
「おっ、なんだか出来そうな気配がする」
「でも、姐さん頼みだからダメよ。ただでさえ忙しいんだから」
「ちぇー」

それに、夏限定ならば、他の季節では出来ない。それは、月一の遊覧ツアーとあまり変わらない。

「うーん、なんか仕事ないかなー」

ひねり出そうとするが、なかなか妙案は浮かばない。
このままでは、本当に穀潰しだ。居候のぬえと変わらない。
なにか、敬愛している白蓮の力になれないか。ムラサは、そのことをようやく考え始めた。

「あ、そうそう」

すると、一輪が何かを思いついたように声をあげた。

「じゃあ、慧音さんに聞いてみたら?」
「ん?」

ムラサは覚えのない名前を聞いた。

「誰それ?」
「上白沢慧音さんっていう人。前に寺に来て話したんだけどね」

ムラサは上体を再び起こし、一輪の話を聞いた。

「要するに、人間の里の重役ね。半妖なんだけど、いろんなことを知っていて、人間からは尊敬されているの。少し固い感じだけど、いい人だったわ」
「ふーん」

会ったことはないが、一輪の印象が良いのなら信用できた。

「その人に相談してみたらどう? 何か、斡旋してもらえるかもしれないわ」
「そうねー……」

天井を見て、ムラサはつらつら考えた。

三十秒後、軽く答えを出した。

「分かった、行ってみる。暇だし」
「うん、動かないよりは動いた方がいいわ。いい話が聞けるかもね」

一輪の言葉に、多少の期待が広がる。
まあ、ダメもとでも行ってみよう。かき氷作りよりはマシな仕事があるかもしれない。

ムラサは立ち上がり、食べ終わったかき氷の皿を持って、大広間を後にした。







「あー、暑い……」

ギラギラと輝く太陽。ちっとも手加減をしてくれない。
なぜ、夏は暑いのだろうか。そんな子供じみた疑問がムラサの脳裏をよぎった。

直射日光に照らされた道路は、燃え盛る炎の道のようだ。
心頭滅却。だが、別に修行などしていないムラサには、ただの辛い道だった。

一輪に教えてもらった順路を歩く。
真っ黒に肌を焼いた子供たちが、暑さなど気にならない風に走り過ぎる。
八百屋には、きゅうりとかナスなどの、美味しそうな夏野菜が所狭しと置かれている。
日の光を避け、屋根の下で談笑する人々。打ち水をしている中年の女性。
平和そのものだった。

ムラサが千年、地底に封印されている間、幻想郷の人間と妖怪の関係は驚くほど変わっていた。
少なくとも、昔はこうやってムラサが里の道を歩いているだけでも大騒ぎだった。
しかし、今は妖怪が里をうろついていても誰も気にしない。むしろ、店に金を落としてくれる客と思われている節があった。

白蓮の話によると、昔の両者の関係は、現在、凄まじく形骸化しているという。
生死をかけた殺伐なものではなくなっていた。
基本的には、人間は妖怪とその力を恐れ敬い、妖怪はそういった人間の心をよりどころにしている。
でも、もう、食い食われるような時代は遅れているのだ。

人間と妖怪の共存。それが、白蓮の願いだ。
だから、ある意味ではそれは叶っているのだが、違う意味では相いれない。
それは、人間と妖怪が対立することで、この世界を保っているからだ。そのために、弾幕ごっこなるものが考案され、それを定期的に行うことで人間と妖怪の共存は図られている。

その上で白蓮の目標は、弾幕ごっこなる『仮の争い』を開かなくても両者が共存できる世界を創ることに変わった。
物凄く難しいことだそうだ。世界をひっくり返してしまわなければならないような。
それにもかかわらず、白蓮は理想を目指そうとしている。難題に取り組もうとしている白蓮は、ムラサの目には眩しく映っていた。

「え〜っと、この辺に……」

そんなことを考えながら、ムラサは道を歩く。
もうすぐ、酒屋が見えるはずだった。

「あ、あったあった」

『酒』と書かれた看板。その店の横にある脇道に、ムラサは入った。
大通りを外れると、驚くほど静かである。人気は一気になくなった。

「曲がって、三本目の路地を右……」

こんなところには入ったことがないので、ムラサはやや不安だった。
見つからなかったら、炎天下を必要以上にさまようことになる。

「おっ、これね?」

しかし、それも杞憂に終わる。
それほど大きくはない平屋に、『上白沢』と書かれた表札が貼ってあった。

ムラサは、その家の戸に近づき、軽めにノックした。

『はい』

ちょっと軽く叩きすぎたかと思ったが、中にいる人には伝わったようだ。
土間に下りる音がして、戸が右に開かれた。

「はい、どちらさまですか?」

長い銀髪と、意志の強そうな目をした美人が顔を出した。

「あ、どうも」

ムラサは、ちょっと見とれてしまった。この人が慧音さんだろうか。

「おや、初めて見る顔ですね。どなたですか?」

凛とした声で女性は尋ねる。
ムラサは、考えをまとめて言った。

「ええと、私は、村紗水蜜と言います。命蓮寺の者です」

ムラサがそう言うと、女性は笑顔を浮かべた。

「ああ、命蓮寺の方ですか。お世話になっております」
「あ、いえ、私は何もしてないですけど」

形式挨拶に、まともに答えてしまうムラサ。

「どうしましたか? 寄付金は先日お渡ししましたが」
「いえ、それではなくて、慧音さんにちょっと相談が」
「私にですか?」

ムラサがそう言うと、慧音は首をかしげた。

「ふむ、まあ、上がって下さい。立ち話するには厳しい日和ですし」
「はあ、じゃあ、お邪魔します」

慧音に招かれ、ムラサは家の敷居をまたいだ。



「どうぞ」
「お構いなく」

上座の座布団に座らされ、冷えた麦茶を出される。氷が二つ浮いていた。

「白蓮さんのおかげで、今年の夏はとても快適ですよ。お礼が尽きませんね」
「あ、いえ、えーと、伝えておきます」

恐らく、氷のことを言っているのだろうとムラサは思った。
春の内に白蓮は氷室をこさえ、大量の氷を作って里の人間に無償で分け与えたのだ。

「村紗さんも、白蓮さんのお弟子ですか?」
「いえ、私は修行はしていないです」
「ほう、じゃあ、どのようなことを?」
「……聖輦船の、船長を少々……」

それしか言うことがなくて、ムラサは微妙に口ごもる。

「ああ、あの船の! あれは、村紗さんが動かしているのですか?」
「え、ええ、一応……」
「それは凄い。私は、あんなに大きな物が空を飛んでいるのは初めて見ました」
「いえ、あんまり大したことじゃないです……」

普通は、全長が五十メートルもある船を飛ばすなど、さぞ難しいだろうと思うだろう。
しかし、ムラサがやるのは、聖輦船の飛行ルートの決定だけである。朝飯前もいいところだ。
船を動かせるのはムラサしかいないので、充分貴重な人材なのだが、あまりにも操作が簡単すぎた。特別なことだとはどうしても思えなかった。
だから、ムラサはちょっとだけ卑屈になっていた。

「ふむ、では、その船長殿が何ゆえ私に?」

慧音は、ムラサが具体的にどんなことをやるのか聞かずに本題に入った。
少しだけ助かったと思いながら、ムラサは質問に答える。

「ええ、慧音さんに仕事を斡旋してもらおうと思いまして」
「仕事ですか?」

意外そうな目をする慧音。

「船長殿は船長の仕事が忙しいのではないのですか?」
「はあ、実は、遊覧船ツアーの時にしかやることがありませんで。それ以外は、基本的に暇なんです」
「そうなのですか」

ムラサは、正直に話した。
嘘を言っても仕方ないし、初対面で騙すのは、あまり好きではなかった。

「うちの一輪に聞いたら、慧音さんが詳しいのではないかと言いまして。それで、仕事を紹介してもらおうかと」
「それは、結構な心掛けですね。積極的に労働に勤しむのは、良いことですから」

慧音はムラサの話にいい印象を持ったようだ。
分かりました、と頷いて、先を続ける。

「それでは、船長殿はどんな仕事をご希望ですか?」
「え?」

思いがけない質問だったので、ムラサは目を丸くする。

「仕事にもたくさんありますから。出来ることなら、自分のやりたい仕事に就いた方がいいでしょう。充実感を持って勤労した方が長く続けられますよ」

まったくもって正論だった。つまらない仕事は、金は手に入っても満足は手に入らない。

「はあ、そうですね……」

しばし、ムラサは考える。
仕事を紹介してもらうつもりだったのに、どんな仕事に就きたいかを考えなかった自分が不思議だった。

「内容で考えましょうか。漠然と、どんな内容の仕事をしたいですか?」

慧音が助け船を出す。

「そうですねー……あんまり、暗い仕事はしたくないかも」
「というと、閉所、暗所で黙々とやるのは好きではないと」
「はあ、そうですね、息が苦しくなりそうで」
「となると、稗田の家の資料整理は没ですね。私の助手をしてもらいたかったのですが」

そんなことを言って、慧音は笑った。

「では、接客業はどうでしょう?」
「はあ、配膳係ですか?」
「そうですね。この里にも食事処が結構ありますし。頼めば働かせてもらえるかもしれません」

客の注文を聞いて料理人に伝え、出来た料理を持っていく仕事だ。
一言も喋らないものではなさそうだ。
ただ、気になったのは、

「それって、妖怪でも出来ます?」

人間の店に妖怪が入り込んだらまずいのではないだろうか、ということだった。

「平気だと思いますよ。命蓮寺の関係者なら、里中の人間がお世話になってますから」

慧音はそう言った。
しかし、ムラサには一抹の不安があった。いくら人間と仲が良くても、自分は妖怪なのだ。
妖怪が苦手な人は決して少なくない。店側としては、たくさんの客に入ってもらいたいだろうから、自分がそこで働いたら迷惑をかけるかもしれない。

「……やっぱり、配膳係はやめときます。いろいろと不都合かもしれないので」

円満に行くのなら、やはり、接客業はやめるべきだ。

「ふむ、そうですか……」

慧音は少し俯いて、考えた。

「あっ、そうだ」

そして、ぽんと手を打った。

「それでは、メイドさんなんかどうですか?」
「え?」

聞き慣れない言葉を慧音は言った。

「ここから北にある紅魔館というお屋敷で仕事をするんです。掃除、洗濯、給仕。どんなことをするかは人手によって変動しますが、あそこは妖怪がほとんどですから気になりませんよ」
「へー」

それならば、気を遣わなくてよさそうだった。

「じゃあ、そこにしようかな」
「ただ、あそこで勤めるのであれば、住み込みをすることになりますよ」
「え?」

慧音の意外な一言。
ということは……

「そこで仕事も生活もするってことですか?」
「ええ。宿舎がありましてね。そこにメイドは全員入ります。基本的に昼と夜に分けられて仕事をしますが、ご主人の気まぐれでパーティーなどのイベントがある場合、駆り出されることがあります。緊急時に対応するために、宿舎があるわけです」
「……」

つまり、命蓮寺から通うことは出来ないのだ。
そして、勤務時間が大きく変動する可能性もある。下手したら、二十四時間働くこともあるかもしれない。

「……すいません、やっぱり、そこはやめときます」
「おっと、そうですか?」

肩透かしを食ったような慧音。

「はい。命蓮寺のみんなと一緒に生活したいですし。あと、夜中に叩き起こされるような仕事はしたくないです」
「むう、そうですか」

自分に出来ればどんな仕事でもいいとムラサは思っていたが、いざ勧められると難点が出るものだった。
なので、今までの話から、慧音にどんな仕事がしたいかを伝える必要があった。

「えーと、仕事をするとしたら、なるべく人間と妖怪がケンカにならないようなもの。あとは、勤務時間が固定されていて、命蓮寺から通えるもの。家の中に閉じこもってやらないもの。こんな感じですね」

ムラサの話を聞き、うーん、と唸る慧音。条件を絞ると、それにぴったりなものはなかなか見つからないのだろう。

「ちょっと待って下さいね」

そう言うと、慧音は立ち上がって押し入れに向かった。
そこを探り、いくつかの本を取り出す。

「なんですか? これ」
「ええ、新聞の切り抜きです。広告を全て集めてまして。そこに何かあるかもしれません」
「へえ」

命蓮寺が出来てから、新聞の勧誘がたくさん来たと一輪から聞いた。
新聞を取れば洗剤とか商品券とかをつける、と言って押し売りみたいに来るのだという。追い返すのにうんざりだと言っていた。

「どうぞ、ご覧ください。何かいいものがあったら教えてくれますか」
「はあ、じゃあ、拝見します」

ムラサは一つ手にとって表紙をめくった。
すると、隙間もないくらい、びっしりと新聞の切り抜きが貼られていた。思わず、息を呑んでしまう。

「こ、これは凄いですね。よく集めましたね」
「いえいえ、私の仕事の一環なので大したことではありません」
「でも、こんなに集めようとしたら、新聞をいくつも取らないといけないんじゃ……」
「ええ、私は三誌取ってます。鴉天狗の新聞は把握しきれないほど出ているので、この程度では意味がないんですが。どうしても時間がないので」

違う新聞を三つも読むなど、よほどでないとやらない。
かなりの勉強家であることがうかがえた。
だが、これだけ広告があれば、何かいい仕事があるかもしれない。
期待を込め、ムラサはページをじっくり見ていった。

お店の広告も多かったが、三分の一程度は求人広告だった。
そのうちの半分は接客業だったが、中には、学習塾の先生、試食の店員、チラシの配布、交通量調査などがあった。

チラシの配布なんて、ものすごく簡単そうだった。これでお金が貰えるのなら、やってみてもいいかもしれない。
とりあえず、チラシ配りを第一候補に据え、ムラサはページを繰っていった。

「ん……?」

その時、ある広告がムラサの目に留まった。

「慧音さん」
「ん、何かありましたか?」

とりあえず、慧音にその広告を見せてみる。

「これは、どんな仕事ですか?」
「どれどれ……ん? ああ! なるほど!」

すると、慧音はぽんと手を叩く。

「これは、船長殿にぴったりの仕事かもしれませんね」

慧音は喜色を浮かべて言う。
確かに、『船』を扱うのであれば、そう思うのが普通だ。

「じゃあ、この仕事の詳細を聞いてみますか?」
「え? どうするんですか?」
「いえ、個人的に、この広告を載せた鴉天狗と知り合いなんですよ。ほら、ここを見て下さい」

慧音が指をなぞったところには、「詳細は文々。新聞まで」という案内がされていた。

「ちょっと待って下さい。この新聞の記者を呼びましょう」
「え? 来てくれるんですか?」
「ええ、この仕事に関心を持った者が現れたら、即座に連絡してくれ、と言われまして。それを思い出しました」

慧音は立ち上がり、部屋の隅に向かった。
そこには、黒色の変な物体が置いてあった。慧音は、それの一部を取り外し、耳に当てる。そして、文字の書かれた円盤をいじり始めた。

数秒後、

「ああ、文さんですか? 慧音です。こちらこそ、お世話になってます。……ええ、実は船頭の広告に興味を持った方がいまして。うわっ」

慧音は驚いた声をあげ、耳に近付けていた物を離す。

「お、落ち付いて下さい、そんなに大きな声を出さなくても聞こえます。……ええ、その方に説明をしていただきたいのですが。……はい、私の家におられますので。……はい、じゃあ、お願いします」

と、慧音は一人ごとを終えた。

「なんですか? それ」

ムラサは、物体を指差した。

「ああ、電話機ですよ」
「でんわき?」
「はい、簡単に言うと、遠く離れた場所にいる相手と話が出来る機械です」
「えっ、そんなこと出来るんですか?」

ということは、さっきの慧音は一人ごとを言っていたのではないのだ。

「妖怪の山の産物なのですが、特別に私のところに設置してもらいまして。まあ、先ほどの記者との直通なんですが。いろいろと情報交換するのに使ってます」

随分、便利な物が開発されたようだ。千年という時間は、やはり長いのだなぁとムラサは思った。

「まあ、その人が来るまで待ちましょう。鴉天狗は韋駄天ですから、そんなに時間はかからずに来」
スパーン!
「射命丸文、見参!!」
「……」

慧音の話に割り込むように、玄関の戸が音を立てて開いた。
ムラサたちは、当然、そっちを見る。そこにいたのは、一人の女の子だった。

「慧音さん! 射命丸文、来ました!」
「お、お疲れ様です……速いですね……」
「当たり前ですっ! マッハ5で飛んで来ましたっ! あっ、そっちの人ですねっ!? さあさあ、記事のネタに、もとい、仕事の紹介をさせていただきますよっ!」

そんなことを言って、ズカズカと土間に上がり込んで、靴を脱いで、ムラサの前にどかりと座る。
凄まじいテンションの高さに、ムラサは圧倒されてしまった。

「文さん文さん、落ち付いて下さい。さ、これでも飲んで」

慧音さんが麦茶を進めると、文さんとやらはコップを引っ掴んで、ごくごくと飲み始めた。喉ぼとけが勢いよく動く。
そして、酒でも飲んだかのように、ぷはーっ、と息をついた。

「いやいや、これは失礼しました。ちょっと興奮してしまいました」

ちょっと……?

文は、曲がって頭に載っていた烏帽子を整え、ムラサに改めて向き合った。

「あなたが三途の船頭志望ですね? 初めまして、文々。新聞の射命丸文です。ご贔屓にお願いします」

畳に手をついて恭しく頭を下げる文。つられて、ムラサも頭を下げる。

「あ、どうも……。村紗水蜜です」
「まさか、広告を出して一週間で連絡が来るなんて思いませんでしたよー。ご協力に感謝しますねー」

にやにや、と文は笑う。
まだ協力をした覚えはないのだが。

「おっと、それでは、早速お仕事の内容に行きますかね」

無駄話もそこそこに、文は本題に入った。

「やることは簡単、三途の河を渡りに来た霊を彼岸に届ける仕事ですよ」
「三途の河?」
「そうです。私の住んでる妖怪の山の裏っかわにあるんですけどね。そこに来た霊を渡し舟を使って向こう岸に届けるんです。物凄く簡単な仕事ですよ」
「はあ」

でも、河の流れに逆らって船を漕ぐのなら、結構な重労働になるのではないか。

「それって、力仕事になりません?」
「いえいえ、三途の河って凄く流れが緩やかなので、ほとんど抵抗がないらしいんです。まっすぐ舟を漕げれば、女性でも可能なんです」
「へー」

文は、随分、三途の船頭の仕事を熟知しているようだった。

「おまけに、あそこの職場はノルマと勤務時間がありません。働きたいだけ働け、休みたければいくらでも休める。給料も出来高制で、頑張っただけ稼ぐことが出来ます。努力が報われる仕事なんですよねー」
「へー、それはいいですね」

要するに、自分の好きな時にだけ働けるのだ。何か用事があったら、休むことができる。かなり働く人の裁量に委ねられているようだ。

「あ、でも……」
「はい、なんでしょう?」

ムラサは、思いついたことを言った。

「いまは夏ですし、働くとなると、物凄く辛くないですか?」
「なるほど。いいところを突いてきますね」

文は、感心したように言った。

「そこが、この仕事の欠点とも言えます。外仕事ですからね。だから、三途の船頭は男性が圧倒的に多いです。女性の船頭は、私は一人しか知りません」
「うーん……」

春や秋は快適だろうが、夏と冬は厳しい気候条件で働かなくてはならない。
まさか、夏と冬は一切仕事しなくてもいい、ということはないだろうし。

「でも、夏はパラソルが支給されて、舟に乗せることもできます。冬は防寒具も支給されます。それだけでも結構違って、意外に快適だ、って知り合いの船頭さんは言ってましたよ」
「はあ、そうなんですか」
「それに、気が向かなければ、休めばいいだけですしね。雨の日も仕事をしていいんですけど、大体、どの船頭も休んでますよ。悪い言い方をすると、凄くいい加減な職場です」

極端なことを言うと、クビにならない最低限度の仕事をしていれば、咎められないのだ。
でも、ムラサの性格的には、出来るだけサボらずに仕事に従事したかった。頑張れば頑張っただけ、お金が貰えるのなら、なおさらだ。

「どうですか? 試しにやってみてもいいと思います。合わなかったら、辞めればいいだけですし。私も全力でフォローしますよ?」
「そうですねー……」

考えてみてもいいとムラサは思った。
それに、舟幽霊である自分が、舟を沈ませずに漕ぐ、というのは、ちょっと小気味よかった。

「分かりました。じゃあ、この仕事をやってみます」
「了解しました! 直ちに手配しますね!」

ムラサが首を縦に振ると、文は嬉しそうに笑みを見せた。

「あ、ただし、取り次ぐ条件があります」
「え?」

急に切り出されたので、ムラサは意表を突かれた。

「何ですか?」
「いえいえ、簡単なことです。あなたの船頭仕事を取材させて下さい」

そう言えば、この人は新聞記者だったとムラサは思い出した。

「それも、私の新聞の独占取材です。他の新聞記者の取材には応じないようにお願いします。それが、条件です」
「はあ、まあ、いいですけど。でも、記事になります? そんなの」
「もちろんです。むしろ、大きな反響が見込まれます。私の新聞の躍進は、三途の船頭取材でしたからね」

うふふ、と文は何かを企んでいるような表情をした。
よく分からない顔をムラサはした。

「やれやれ、越冬戦記と転職草子で味をしめましたね」

いままで話を聞いていた慧音さんが言った。

「ええ、我が新聞が弱小から中堅になったのも、全部、小町さんのおかげですし。『貧乏死神シリーズ』は私の看板ですから」
「まあ、私が口を出す理由はないですし。面白い記事を期待しています」

もちろんです、と文は含み笑いする。慧音は少し困った笑みを浮かべた。

ムラサには話が見えなかったが、まあ、これで仕事を見つける目標を達成できた。
どんなことが起きるか分からないが、力を尽くして頑張ろう。命蓮寺のみんなに負けないように。

ムラサの船頭生活が、これから始まる。
夏は、まだ半ばを過ぎたばかりだった。








































〜 小野塚小町の後輩実録 〜








































上司の閻魔様に呼び出されるってのは、三通りのパターンがある。

まず、滅多にないことだが、昇進を打診される場合。
一番労働条件の悪い、通称『無縁塚』から脱出できるという嬉しい知らせだ。
ただ、これははっきり言われるのではなく、含み、を持たせて伝えられる。
例えば、閻魔様に「お前は最近、頑張っているようだ。もうちょっと頑張ってみる気はあるか?」とか言われるのだ。
この時に、「やる気はあります、すっごく!」、と言うと、閻魔様の上司である閻魔王様に伺いを立ててくれる。要するに、推薦だ。閻魔王様が首を縦に振ると、晴れて昇進が確定になる。
ただ、それは毎年四月に発表される『大発令』まで待たなければならない。三途の中州にあるでっかい商店街におっ立てられる超巨大辞令掲示板だ。
そこで昇進したと初めて分かり、無縁塚よりも上の職場に異動することになる。

これは、あたいが聞いた話だ。あたいは、そんな打診をされたことなど一回もない。
あ、事務官に回されそうになったことはあったけど、四季様から一言も話がなかった。あの時は、すったもんだがあったなぁ。思わず遠い目をしてしまう。

話が逸れた。元に戻そう。

二つ目は、お説教を受ける場合だ。
勤務態度に問題があるとか、彼岸に渡す霊が極端に少なくなったとか。
そういうやつに活を入れる時だ。
あたいのお馴染みと言うか、……お馴染みになっているのが嫌だが……、要するに、あたいが上司に呼び出されるのは、このパターンが多い。
一回のお説教には、一時間はざら。ひどいのになると数時間だ。それまでずっと正座して、閻魔様のありがたーいお言葉を拝聴しなければならない。
前に、潰した時間を仕事に回させてもらえませんかーとか言ったら、四季様はにっこりを笑って、「誰のせいなんでしょうねぇ」と、一言返した。
逆鱗に手がかかっていた。触ってしまったら、どんな恐ろしいことが起こるか分からない。だから、沈黙するしかなかった。

そして、三つ目。
これは、新しい仕事が出来たからやっておくように、と仕事が回されてくる場合。要するに雑用だ。帳簿の金の流れやデータをひたすら書いていくのだ。事務官が全部やればいいのだが、そんなにうまく世界は回っていない。
これは、お説教に次ぐ辛さを持つ苦行だ。出来れば、やりたくない。
船頭をやっている方が、はるかに楽だ。霊とも、だべれるし。地味な作業は、あたいには向いていない。

で、長くなったが、現在、あたいは四季様に呼ばれている。
この三つのパターンのうち、どれに該当するのか。今回は、予測がつかないのだ。

まあ、昇進はないだろう。
となれば、お説教か別仕事だが、お説教は多分、ない。最近は真面目に仕事をしていると思うからだ。……多分。
じゃあ、別仕事だろうか。くそつまんない仕事なので、あんまりやりたくないんだが。

つらつらと考えていると、裁判所の建物が見えてきた。
門の前に着地する。

「よう! 小町ちゃん、こんちは!」

あたいに気付いた顔なじみの守衛が声をかけてくる。

「どーも、こんちはー。景気はどうだい?」
「ぼちぼちだねぇ、相変わらず暇だしねぇ」

愛想のいい笑顔を向けてくる。なんで、この人が守衛をやっているのか、ちょっと疑問だ。

「今日は何だい? また、お説教かい?」
「いやー、多分、違うよ。多分ね」
「ていうと、雑用でもやらされるのかな?」
「あたいもそう思うけどねぇ、あんまり来たくなかったねぇ」

あたいが渋い顔をすると、守衛はおかしそうに笑った。

「まあ、頑張りなよ。健闘を祈っているから」
「ほいよ。お前さんも頑張りなね」

そんなやりとりをして、あたいは裁判所の門を通過した。

裁判所の建物は全部が石の造りで、圧倒的かつ、固い印象がある。
まあ、裁判というシリアスなことをやっているところだから、無理もないのだろうか。
あたいとしては、有名デザイナーがデザインした閉塞感のない建物がいい。そんな金はどこにもないので、一生実現しなさそうだが。

門番に、船頭死神の証である鎌を見せ、裁判所の中に入る。
そして、正面にあるつづら折りの階段を上る。四季様の執務室は、二階だ。

まぶたを閉じてもたどり着けそうなくらい慣れた足取りで、そこまで歩く。
そして、ドアを二回ノックした。

『どうぞ』

閻魔様にそぐわない優しそうな声が中から聞こえてくる。
あたいは、ノブを回して中に入った。

「四季様、こんちはー」

そんな軽い挨拶をして、正面のでっかい机に近づいていく。
机の向こう側には、小さい顔に似合わないごてごてした帽子をかぶった美人が座っていた。

「五分遅刻よ。時間はちゃんと守りなさい」
「えー、四季様、三時くらいに来いって言ったじゃないですか。それって、三時前後ってことでしょ? 守ってますって」
「そういう言葉尻を捉えないの。早く来た方が相手の心証がいいのは分かるでしょう?」

あたいの屁みたいな抗議を笑って流す四季様。

「でー、なんなんですかー。あたいはちゃんと仕事してますよ?」
「お説教じゃないわ。あなたに新しい仕事を受け持ってもらうことになったから呼んだのよ」

やはり、予想は正しかったようだ。

「なんですかー? 書類整理はあんまりやりたくないなぁ」
「安心しなさい。あなたにピッタリの仕事よ」

四季様は、横に置いてあった一枚の書類をあたいの前に置いた。

「? なんですか、これ?」

それには、履歴書、と書かれてあった。

「あなたの後輩よ」

この四季様の言葉で、あたいはピンときた。

「おおっ、志願者が来たんですか?」
「まあね。此岸に募集をかけてから初めての船頭候補。第一号よ」

なるほど。それはめでたいことだ。物好きなやつもいたものだった。

あたいのやっている船頭死神。三途の河を渡りに来たやつを舟で運ぶ仕事だが、現在、人材不足だった。

ここ百年の間で、約十五パーセントくらい減っていた。長い目で見ると、船頭をやるやつがかなり落ち込むことが見込まれた。

それで、彼岸のお偉い方が彼岸だけではなく、此岸にも船頭の募集をかけたのだ。
生きているやつが彼岸に関わる、というところに難色を示した人たちもいたが、船頭死神に限って、結局容認された。

簡単に説明すると、こんな感じだ。それで、募集をかけてから初めて、船頭を志望する者が現れたということなのだ。

「ほっほう、どんなやつなのかね。面白いやつだったらいいなぁ」

そう言って、あたいは目の前にある履歴書を手に取った。

「おっ、女ですか? こりゃ、珍しい」

あたいはちょっと驚いた。
左上には顔写真があり、ぱっと見では女だった。黒髪の娘で、くりくりした目の可愛らしい顔をしている。

「名前は、村紗水蜜。筆記試験と適性検査、面接では過去最高得点を取っているわ」
「なにィ!?」

四季様の言葉に、あたいは驚いた。

「めちゃくちゃ頭いいじゃないですか! なんで、船頭なんかに」
「その子は船幽霊らしくてね。舟に関わる仕事をしたかったそうなの。昔、いろんな船を沈めて人間の命を奪っていたから、今度は命を生かしたい、って面接では言っていたわ」

何というシリアスな理由。趣味みたいに仕事をしているあたいと正反対だった。

「事前試験は全く問題なかったから、今度は実習に入るわ。あなたもやった船頭研修よ」

そこまで四季様が言うと、さすがのあたいでも何が言いたいのか分かった。

「えっ、あたいですか?」

この娘の研修教官に、あたいが選ばれたということだ。

「何でですか? もっと優秀で適任な死神はいるでしょうに」
「そうね。でも、閻魔王様の命令だから、仕方ないわ」
「なにィ!?」

本日 二度目の驚き。

「な、何ゆえに。あたいは閻魔王様の顔しか知らないし、話したことなんてほとんどないですよ」
「あなた、自覚してないのね……まあ、無理もないけど」

四季様は溜め息をついて言った。

「あなたがいろいろと事件に巻き込まれていて、それを解決していくのを新聞に書かれるでしょ? それを閻魔王様がいたく気に入られてね。あの方は、あなたを気に入っているのよ」
「は、はあ……」

要するに、文の新聞が閻魔王様のところに行って、それを読まれた、ということか。
あたいは、必死こいて生きていただけなのだが。

「まあ、そういうことよ。研修期間は一週間。その間、あなたの仕事は免除されるわ。毎日、給料も出るから大人しく従いなさい」
「え、どのくらい出るんですか?」
「一日百文よ」
「なにィ!?」

本日、三度目の驚き。
あたいの一日の稼ぎは、大体二十文なのだ。五倍違う……。

「あなたのやることは、この書類に全部書かれているわ。ちゃんと目を通すように。技術と知識で習得しなければならないものは、それを全て身につけさせるようメニューを作ること。いいわね?」

四季様は、書類の入っていると思しき封筒をあたいの前に置いた。

「こんなところね。何か、質問は?」
「あー……いえ、今のところないっす」
「ふむ、では、早速渡し舟を手配しなさい。扱いやすいものを選ぶのよ」
「へーい、じゃあ、失礼します」

あたいは書類を受け取り、執務室を後にした。

「はあ……」

廊下を歩きながら考える。

「ま、気楽にいこうか」

そして、あまり難しく考えずにいくことにする。
マイペースがあたいの信条だ。新人には余計な力を入れないように指導しよう。

さて、いろいろ準備しなければならない。
あたいは、手ごろな渡し舟を手に入れに、舟大工屋に向かうことにした。







〜 一週間後 〜



今日もいい天気だった。
このところ、晴れる日が続いている。夕立も起こらないので、傘の心配は微塵もない。
三途は平和そのものだ。緩やかに流れる河は、日光が水面に当たってキラキラと光っていた。

あたいは、昼寝岩と称している岩の上で、腕枕して寝ていた。
彼岸から貸し出されているでっかいパラソル。それが日光を遮っているので、実に快適だった。
三途の河は、常時、霧に包まれているので、あまり暑くはない。
日光さえ防げれば驚くほど涼しい。日によってはやや寒い日もある。

そんな感じで、あたいは待ち人が来るのを待っていた。

今日から、あたいの研修教官としての仕事が始まる。
とりあえず、やることは大体把握した。才能がないと出来ないような仕事ではないので、期間の一週間で全部教えられる自信はある。

ていうか、教えられなかったら、また四季様からお説教だ。それは避けたい。
それよりも、あたいのせいで新人が使い物にならなくなったら、非常に恐ろしい。
あたいだけ被害を受ければ、まだいいが、新人まで犠牲になったら責任が大きい。なにより、閻魔王様の推薦であるので、失敗したら顔を潰すことにもなる。
それは、絶対に避けたかった。

とりあえず、いつもやっている船頭よりも真面目にやろうと思っていた。
後輩が出来る、ということも嬉しかったから、意欲も向上している。
新しい人脈が出来るのは楽しいので、つまらない仕事でもない。
まあ、程々に力を入れてやればいい。それが一番だった。

昼寝岩に横になりながら、マイペースに来るのを待つ。
三途のさらさらとした音だけが、耳に届いていた。



三十分くらい寝ていると、ふと、人の気配がした。

そっちに首を回すと、四季様の姿が見えた。
あたいは起き上がり、昼寝岩から地面に降り立った。

「待たせたわね、小町」
「いやー、そうでもないですよ」

待っているのが苦痛ではなかったので、適当に挨拶する。

「ふむ。さ、これが、あなたの教官よ。挨拶しなさい」

四季様が横にずれると、一人の女の子が立っていた。
新品の死神装束を着た、履歴書で見たままの女の子。あたいのよりもちょっと小さい鎌を持っていた。

「おっす、お前さんが、村紗ちゃんだね。あたいは、小野塚小町。気軽に、小町、って呼んでね」

あたいは、にかっ、と笑う。初対面は、やはり笑顔が基本だ。

「あ、初めまして。村紗水蜜です。よろしくお願いします……」

名乗って頭を下げる女の子。ちょっと緊張しているようだ。

「では、後は、あなたに任せます。真面目にやるように」
「分かってますって。一流の船頭に育てますよ」
「よろしい。では、村紗さん。しっかりとやるんですよ。期待しています」
「は、はい、頑張ります」

四季様は、村紗ちゃんにエールを送ってその場を去っていった。

「さーて」

それを見送り、あたいは村紗ちゃんに向き直った。
村紗ちゃんも、あたいの顔を見る。

「これから、一週間。お前さんをしっかりと指導するよ。分からないことがあったら、何でも聞いてね」
「あ、はい。よろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げる。随分と丁寧な子だった。素直そうだし、いい娘のような気がした。

「じゃあ、早速始めるよ。習うより慣れろだ。こっちにおいで」
「はい」

あたいたちは、桟橋の方に向かった。

「あ、そうだ」

あたいは、歩きながら思った。

「村紗ちゃんは、隔道(かくどう)操作の術の儀式をやったよね?」

念のために聞いてみる。

「え? ああ、はい。昨日やりました」
「それが、どんなものか、聞いてるかい?」
「ええと、物の距離を操る術、ですよね?」
「そうそう。それがないと、三途を渡れなくなるからね。儀式をやってなかったらマズいからさ」

隔道操作の術は、船頭死神が全員持ってる術である。
先天的に持っているものではなく、船頭になったら儀式をやって身につけさせられる。
簡単に言うと、物と物の距離を自由自在に操る術だ。百メートル離れた場所から一瞬で移動できたりもする。
これは、三途の河の距離を固定化するのに必要なのだ。三途の河幅は非常に流動的で、数メートルになったり何百里になったりするからだ。
儀式を行っていると、十分前後で対岸に着く。いわば、これが三途の本当の距離なのだ。

「じゃあ、この術の特徴と禁則は知ってるかな?」

あたいは、予習をしているか、確かめてみることにする。

「ええと……霊の持っているお金に応じて三途の距離が変化するのが特徴です。禁じられていることは、三途を渡る以外で術を使ってはならないこと。それを破ると、厳罰されると」
「そうそう。ちゃんと勉強しているね、偉い偉い」

あたいが褒めると、村紗ちゃんは安堵の表情をした。

この術は、物凄く便利なので、昔は悪用されることがあった。
それゆえ、三途を渡る以外で使った死神は罰せられることになったのだ。まあ、納得できる。

これを知らないと、村紗ちゃんが、つい興味本位で使ったら、一瞬で職を失ってしまう。それは、監督責任のあるあたいにとっては由々しきことだ。

「まあ、仕事確認については、舟に乗りながらやろうか。おっと、村紗ちゃんの舟はこっちね」

桟橋に辿り着くと、あたいは右に泊まっている舟を指差した。舟の先端に日よけのパラソルが付いている。

「あ、はい。ありがとうございます、用意して下さって」
「いいっていいって。もっと力を抜いていいよ〜。タメ口でもいいからさ」
「あ、いえ、さすがにそこまでは……」

なかなか礼儀正しい娘である。嫌いではないが、もっとゆるい関係になりたかった。まあ、そのうち慣れるだろう。

「さ、舟に乗って乗って。そしたら、その棒を持ってね」
「はい、分かりました」

村紗ちゃんは、慎重に相棒となる舟に乗った。
あたいは、自分の舟から舵取り棒だけを持ち出し、村紗ちゃんの後に舟に乗った。

「よーし、じゃあ、行こうか。そのロープを外してね」
「はい、これですね?」

舟と桟橋を繋いでいたロープを外す。これで向こう岸に辿り着く準備が整う。

「よし、やってみようか。その棒をゆっくり漕いでみな」
「は、はい」

へ先に立った村紗ちゃんは、舵取り棒を河に突っ込み、ゆっくり漕ぎだした。
舟もそれに合わせて進んでいく。実に丁寧な出だしだった。

「いいよいいよ、うまいうまい。そのまま、まっすぐ進んでみな」
「はい」

これなら、あたいがフォローする必要はあまりないかもしれない。さすがにテストが優秀だっただけある。
あたいは、用意していたプランのレベルを上げることにした。

「そのまま聞いてくれるかい? 漕ぎながら講義をしよう」
「え? だ、大丈夫でしょうか?」
「平気平気。まっすぐ進んでみな。河の流れと舟が垂直になるようにしてね」
「は、はい」

一生懸命に漕ぎながら、村紗ちゃんはあたいの話に耳を傾けようとする。
すると、ちょっとだが、右にずれ始めた。あたいは後ろから舵取り棒を使って微調整する。
慣れれば、何も考えなくても漕げるのだ。村紗ちゃんも出来るようになるだろう。

「では、問題です。『船頭死神がしてはならない三ヶ条』は何でしょう?」

あたいがそう言うと、村紗ちゃんはそれほど時間をかけずに答えた。

「ええと、まず、舟に霊を二人以上乗せてはならない。それから、船頭と霊以外の者を彼岸に届けてはならない。最後に、舟を壊してはならない。……以上です」
「うん、正解だ。では、三つそれぞれの理由は分かるかな?」
「霊を二人以上乗せると、裁断石が判断できなくなり、舟が転覆してしまうから。船頭と霊以外の生者が彼岸に行くということは、生者が生きたまま死後の世界に来てしまうことになるから。最後に、舟には様々な術が掛けてあり、一度壊すと修復に大変な労力をかけなければならないから。……以上です」

素晴らしい。よーく勉強しているようだ。ていうか、あたいの存在が疑問視され始めた。

「よし、じゃあ、『船頭死神の勤労態度』はどんなものが望ましいと思うかい?」
「ええと……」

さすがに、これは教科書には載っていないだろう。

「……すいません、分かりません」
「そうだろうねぇ、これはあたいも研修の時に習ったからね」

これの説明には、まず、三途の渡航ルールを知らなければならない。

「村紗ちゃんは、三途の渡航ルールを知ってるかい?」
「渡航ルールですか?」
「うん、そう。覚えたことを思い出してみな」

一生懸命考えているようで、舟がまた右に寄り始めた。あたいは微調整する。

「……六文以上のお金を出さないと、霊は彼岸まで行けない、ということですか?」
「うん、八割がた合ってる。残りの二割は、六文未満の霊がどうなるかだ。分かるかい?」
「……疲れてしまって、途中で消えてしまうと書いてあったんですけど」
「そうそう。その二つが、三途の渡航ルールだ。六文未満の霊は、彼岸に辿り着く前に消えてしまうことが多い。一文、二文だったら、まず渡れないね」
「それは……ちょっと可哀想なような」
「霊の持っている銭は、生前やったことの集大成みたいなものでね。人徳があった人はたくさん持ってるんだ。殺人や放火をやらかしたような極悪人ほど少なくなる。そんなやつらを彼岸に届けてやりたいと思うかい?」
「うーん……」
「それじゃ、最初のクイズ。『船頭死神の勤労態度』はどんなものが推奨されるかな? 舟に乗る前から今まで村紗ちゃんに聞いたことがヒントになってるよ。よーく考えてみな」
「……はい」

舵取り棒を漕ぎながら、村紗ちゃんは考え込んだ。

一分後、

「……たくさんお金を持っている霊を優先して彼岸に送る、ということですか?」

と答えた。あたいは、拍手する。

「お見事! さすがにテストでいい点を取っただけあるね!」

あたいの賞賛に、村紗ちゃんはちょっと恥ずかしげにする。
ちゃんと自分で考え、分析する能力が、村紗ちゃんにはある。まぐれでいい点を取ったわけではないようだ。

「その通り、船頭死神は、金をたくさん持っている霊を優遇するのが推奨されている。理由は二つある。言ってみな」
「あ、はい。ええと、まず、お金をたくさん持っているということは、彼岸への距離が限りなく近くなるからです。すると、霊を送る回転も速くなります。次に、お金持ちを優先すれば、貧乏な霊、つまり徳のない霊が彼岸に行くのを遅らせ、魂の輪廻を極力させないことになります」
「その通り。だから、あたいたち船頭は、『金を稼ぐこと』、がっぽがっぽ金を稼ぎ、金の亡者になるのが善行なのさ。よーく覚えておきな」
「は、はい、分かりました」

素直な返答を聞くと、前方に河中からにょきっと石が飛び出していた。

「お、左前を見てみな。あれが三途の中間地点、裁断石だよ」

あたいたちの舟が通るのを、裁断石が見送ってくれる。

「よし、ここでクイズだ。裁断石に引っ掛かる条件は? さっき一つ言ったね」
「はい、まず、霊が二人以上、舟に乗っているときです。それから、霊の持っているお金が他人のものだった場合、です」
「うん、いいね。注意するのは、前者だよ。石を通過した瞬間、舟がひっくり返されて霊だけでなく、村紗ちゃんも舟から放り出されるからね。絶対やらないように」
「はい、わかりました」
「後者は、他のやつの金を奪ってまで彼岸に行こうとしていた輩だ。酌量の余地はない。裁断石まで連れて行って河に放り込んじまいな」
「は、はあ、ちょっと可哀想だけど、分かりました」
「霊の進退は、あたいたちが握っているんだ。なめられたら終わりだからね。あたいみたいに、極悪人と話をするような趣味がなければ、河へ突き落とすのをお勧めするよ」

あたいは特殊な仕事の仕方をしているので、参考にならない。
村紗ちゃんは、推奨される方法を教えておけば、天邪鬼にならずに、その通りに行動するだろう。

「よし、話の肝はこんなところかな。何か質問はあるかい?」
「はい、一つ疑問が」
「なんだい?」
「先ほど、小町さんはお金をたくさん持っている霊を優遇しろと言いましたが、どうやって見分けるんですか?」

さすがに、いいところを突いてくる。

「うん、それは、舟の漕ぎ方に慣れたら教えてあげよう。昼飯を食べたら、早速霊を乗せて実習するからね」
「あ、はい、分かりました」

この分なら、あと二、三回、練習すれば大体オッケーだろう。少し右に寄ってしまうのが癖みたいだから、そこを矯正すればいい。

「他に何か分からないことはあるかな?」

あたいがそう言うと、村紗ちゃんは、ええと、と言って考えた。

「あまり、舟を漕ぐのと関係ないかもしれませんが……」
「うん、なんだい?」
「三途の河の大きさって、何か厳密な法則があるんでしょうか。霊のお金に応じて大きくなるのなら、いくらでどのくらい、という法則があると思います」
「ほー、そこを聞いてくるかい。気になりだすのは、仕事に慣れてきてからだけどね」

あたいは感心した。

「言ってしまえば、『金が多ければ短くなり、少なければ長くなる』というのが法則さ。船頭によって漕ぐ速度が違うからね。漕いでいる時の体感時間は変わるんだよ。実際の大きさは、お偉い方でも分からない。あたいたち船頭は、十分で着く大きさに固定されるけどね」
「はあ」

こればっかりは、頭の悪いあたいには答えようがない。

「それに、隔道の術は、船頭の主観が入るからね。例えば、十文の霊を渡す場合、船頭によって大きさが違ってくる。誤差の範囲だけどね」
「なるほど。人によって違うのなら、一定の距離には絶対になりませんね」
「でも、ちょっと昔に、三途の河の大きさを計算式で現した、っていう妖怪がいたね」
「え、そうなんですか? じゃあ、法則はあるんですね?」
「でも、その計算式とやらが、凡人には理解できないほど難しくてね。ぱっと見じゃ、全然分からなかった。数字と文字が羅列されているだけの暗号みたいだった」
「暗号ですか」
「ああ、だから、本当に合っているのかは、誰にも分からない。あたいは、ほら吹いているような気がした。本当のところは、確かめようがないねぇ」

これがあたいに言える精一杯の答えだが、村紗ちゃんは、なるほど、と頷いてくれた。

「あー、そう言えば、あたいは金銭を持った霊を送ったことがあるんだよ」
「金銭?」

村紗ちゃんは、首をかしげる。どうやら、知らないようだ。

「そう、普通の霊が持っているのは、銅で出来た銅銭なんだ。でも、物凄くたまに、銀で出来た銀銭、それから金で出来た金銭を持っている霊がいるんだ」
「価値が違うんですか?」
「桁が違うね。銀銭は、銅銭の千倍。金銭は一万倍なんだよ」
「そ、それは凄いですね……。一体生前は何をしていた人たちなんでしょう?」
「気になるだろ?」

あたいが聞くと、村紗ちゃんは、はい少し、と返した。

「それが、この仕事の醍醐味さ。こうやって舟に乗って、霊の生前の話を聞くんだよ。人生っていうのは、その人がどうやって生きてきたかの物語だからね。下手な本より、よっぽど面白いんだよ」
「そうですね……事実は小説よりも奇なり、というやつでしょうか」
「その通り。じゃあ、帰りはあたい厳選のとっておきの話を聞かせてあげよう」
「はい、お願いします」

素直に村紗ちゃんが頷いたのが、ちょっと嬉しかった。
あたいたちの前方には、彼岸の姿が見えてきていた。



舟をロープで縛り、村紗ちゃんは舟から桟橋に上がった。

「オーケーオーケー。初めてにしては上出来だったよ」

あたいが褒めると、村紗ちゃんは、ありがとうございます、と言って恥ずかしそうに笑った。

「でも、村紗ちゃんは舟が右に寄ってしまう癖があるね」
「え? そうなんですか?」
「ああ、まっすぐ漕がないと、ここには着かないからね。後ろからちょっと軌道修正したよ」
「そ、そうだったんですか……気付きませんでした」

少しだけ悔しそうな、それでいて、あたいを眩しいものを見るような目で見た。

「どうだい? 疲れたかい?」
「はあ、少し。ある人には、そんなにきつくないと言われたんですが」
「一週間もすれば、慣れるよ。それまでに、たくさん漕いで経験を積むことだね」
「はい、分かりました」

素直に頷く村紗ちゃん。教える側としては、とてもやりやすい娘だった。

「よーし、じゃあ、あたいが手本を見せてやろうかね。村紗ちゃんは休んでいるといいよ」
「あ、はい、お願いします」

あたいたちは、再び舟に乗り込む。さーて、かっこいいところを見せないとね。

無駄話をして、あたいたちは彼岸に引き返す。
着いたら昼飯にしようと思いながら。







昼になると、さすがに気温が上がってくる。
でも、日陰にいると暑さもあまり気にならない。
パラソルを支給するように言った人は偉大だなぁと思う。
自分のことだけではなく、船頭全員の仕事環境を改善したのだから。

「ほいよ、あんまり美味くないと思うけどね」
「ありがとうございます。いただきます」

あたいは、愛用している荷物袋から、大きな笹でくるまれた物を取り出す。それを村紗ちゃんに渡した。
中には、大きめの握り飯が二つ入っている。奮発して、たくあんも入れてみた。

「わあ、美味しそう。おにぎりって、あんまり食べたことないんです」
「外で食べる握り飯は一味違うよ。遠慮しないでどんどん食べな」
「はい、ありがとうございます」

村紗ちゃんは、早速握り飯一個を両手で持ち、食べ始めた。頑張ったから、お腹が空いているのだろう。
幸せそうな顔を見ながら、あたいは水の入ったコップを村紗ちゃんの横に置いた。

村紗ちゃんは、行き三回、帰り二回の舟漕ぎトレーニングを終えた。
まだまだ完全に出来ているとは言えないが、経験値を溜めれば上達を見込めると思った。

頑張ったご褒美に、早めの昼食を取ることにした。
昼寝岩に腰掛け、ランチを楽しむ。パラソルのおかげで、実に快適な休憩だった。

「どうだい? 美味い?」

なんとなしに聞いてみた。

「はい、塩加減が良くって、とっても美味しいです」
「そりゃ、よかった。あたいは料理下手だから、ちょっと心配だったよ」

料理を自分以外の者のために作るなんて、本当に久々だ。
フラン様が来た時以来だった。誰かが一緒にいないと料理なんて気合を入れないからねぇ。

「小町さんはお一人なんですか?」

ふと、村紗ちゃんが聞いてきた。

「うん、そうだよ。ここの近くに引っ越してきてね。もう十年、船頭をやってる」
「そうなんですかー。お一人だといろいろ大変でしょう?」
「いや、もう慣れちゃったからねぇ。最初はめんどくさいけど、やらなきゃ生きていけなかったからさ。習慣ていうのは、自分で作るもんだからね」

そこまで言って、あたいは村紗ちゃんの言葉のニュアンスを感じ、聞いてみた。

「村紗ちゃんは、家族はいるのかい?」
「あ、はい、今は私を入れて六人で暮らしてます」
「へー、大家族だねぇ。楽しそうだ」
「久しぶりに全員がそろって、凄く嬉しいんですよ。千年、そういうことを出来ませんでしたから」
「千年!? 一体何があったんだい?」

あたいが驚いてそう言うと、村紗ちゃんの顔が少し陰った。
しまった、勢いで言っちゃいけないことを言っただろうか。

「わ、悪いね。なんか、変なことを聞いちゃったかい?」
「いえ、私が最初に言ったことですから、私の責任です。驚くのも無理ないですから」

そう言って、村紗ちゃんは笑みを浮かべた。

「私たち、命蓮寺の者は、地底に千年、封印されていたんです。私たちの敬愛していた僧侶の白蓮が、魔界に封印されてしまったから。つい最近まで私たちはバラバラでした」

ちょっとだけ陰がなくなった村紗ちゃんは次を話す。

「その時、この土地の間欠泉が一気に噴き出す事態があって、私たちはそれを利用して地上に出て来たんです」
「ああ、あったね。新聞に書いてあった、そういえば」

友達の天狗から配られた新聞に、間欠泉が噴出した、と書いてあった。
なるほど、それで村紗ちゃんは家族と再会できたのか。

「それから、白蓮の結界を解くために、空飛ぶ船を使って、『飛倉』、という品物を探しに幻想郷中を飛びまわりました。それから、飛倉を集めてきてくれた人間を乗せ、魔界に行きました。そして、めでたく白蓮の結界を解くことが出来たんです」
「なるほど……」

なかなか複雑な事情があったようだ。どうも、村紗ちゃんの話はシリアスになりやすいな。何とかコメディチックにならないかね。

「船は人間の里の空き地で命蓮寺に変化させました。今、我々はそこに住んでいます」
「船を寺に変えるのか。そんなことが出来るのかい?」
「はい。船は、白蓮の弟、命蓮の時から受け継がれています。もう故人ですが、私たちは絶大な影響を彼から受けましたね」

村紗ちゃんは饒舌に喋る。家族がいかに素晴らしいか。それが良く伝わってくる。

「あ、すいません。ちょっと、喋りすぎました」
「いやいや、村紗ちゃんが家族のみんなを大切にしているのは分かったよ。これからも大切にしな」

ちょっとだけ下を向いて、はい、と村紗ちゃんは小さな声で言った。

「そうそう! そういえばさ!」

雰囲気を盛り上げようと、あたいは大きな声で聞く。

「明日から、弁当は村紗ちゃんの分を持ってこないといけないよ? 作れるあてはあるかね?」
「あっ、そうでしたね……うーん、一輪あたりなら作ってくれるかも」
「村紗ちゃんは作れないの?」
「はあ、痛いところですが。家で料理できるのは、三人なんです。この人たちに伺いを立てないと」
「その第一候補が、一輪さんかい」
「ええ、お握りくらいなら作ってくれるでしょうけど、おかずに肉は入れてくれませんね」
「えっ、肉禁止!? なにそれ、アレルギー?」
「いえ、宗教上の理由で、殺生をしないんです。だから、精進料理しか作れないんです」
「ぬはぁ、それは致命的。肉を使わない料理なんて、充実感がガタ落ちじゃないか」

握り飯をほおばりながら、村紗ちゃんの弁当の改善を考えた。

「肉を調理できる人材はいないのかい?」

とりあえず、聞くあたい。

「いえ、ネズミのナズーリンは作れます。この娘がいないと、肉を食べられません」
「よし、じゃあ、そのナズーリンに聞いてみな。『お弁当作って〜肉がたっぷり入ってるやつぅ〜』って」
「そ、それをやると、ナズが引いてしまいそうなんで……」

うーむ、難題だ。明日の弁当のために、全力で頑張りたいところだが妙案が浮かばん。

「ま、まあ、頑張ってみますよ。ナズの主人の星さんに命令を下してくださればいいんですし」
「おっ、ちょっと面白くなってきたねぇ。ちゃんと根回ししとくんだよ」
「そうですね、美味しいご飯を楽しむには必須ですよね」

会話を楽しみながら、あたいたちは握り飯を食べていった。

「あ、そういや、村紗ちゃんは、なんで船頭の募集を知ったの?」
「ええと、上白沢慧音さんという人に見つけてもらったんです」
「ああ、慧音さんか。確かに、何でも知ってそうだねぇ」
「あれ、ご存知ですか?」
「まあね。二年くらい前の冬に色々あってね。人間の里を守っている人だから、結構有名なんだよ」
「そうなんですか。あ、でも、仕事に就くのに色々面倒を見てくれた人が他にいるんですけど」
「え? なにそれ。慧音さんが面倒みたんじゃないの?」
「はあ、慧音さんは、こんな仕事がある、と教えてくれただけで。応募とか、試験の問題集の入手とか、相談に乗ってくれたのは違う人なんです」
「へえ、なんて人だい?」
「鴉天狗の、射命丸さんという人です」
「え、何だ、文かい?」

知ってる名前が出て、あたいは意表を突かれた。

「え? ご存知ですか?」
「知ってるも何も、一応の友達だよ」
「へえ、そうなんですか。……あ! そう言えば、小町さんの名前が出てました」
「そうだろ? なんだ、大体分かった。あたいが村紗ちゃんの教官になったのは、あいつの根回しだ」
「え、どうしてそうなるんですか?」

飛躍した話に、さすがの村紗ちゃんも首をかしげる。

「あいつ、言ってなかったかい? あたいの取材をしたら、あいつの新聞が急に有名になったって」
「え? ……あ、そうです。弱小から中堅になったとか」
「だろ? それは、あたいの船頭取材をしたからなんだ。それが、ものすごい反響が出てね。マイナーだったあいつの新聞が広く読まれるようになったんだよ」
「へえ、そうなんですか。ちょっと読んでみたいです」
「あいつに言えば、きっと読ませてくれるよ。で、話を戻すと、文は、あたいの下に村紗ちゃんをつければ、何か事件が起こるかもしれないって思ったんだろうね。それを狙って、閻魔王様に頼んだんだろう。なんか知らないけど、閻魔王様は、あたいを過大評価しているようだからね」
「はー、そうなんですかー」

村紗ちゃんはびっくりしているようだ。
まあ、村紗ちゃんがここにいるのは偶然ではなく、全て仕組まれていたと分かったら驚くだろう。

「で、なんか、あいつに言われなかったかい? 独占的に取材させろとか」
「凄いです。よく分かりますね」
「あいつのやることは、全部お見通しだよ。そろそろ、ここに来るんじゃないかねぇ」
「呼びましたか?」

急に、あたいたちの背後から第三者の声が聞こえた。あたいたちは反射的に振り返る。

「どもー、射命丸ですよー」
「やっぱり来たか。この悪徳記者め」
「それは適切な呼び方ではありませんね。私は正々堂々と行動してますよ?」

よく言う。ネタの種をまいたのは自分のくせに。
あたいは呆れた顔をして、友人にして元パートナー、射命丸文がニヤニヤしているのを見つめた。

「どもー、村紗さん。ちゃんと船頭になれましたか?」
「あ、はい、ありがとうございます。お世話になりました」
「いやいや、このくらい安いものです。これから、たーっぷり取材しますからね」

うふふ、と実にいやらしい笑みを浮かべる文。根はナイーブなんだけどねぇ。

「さあさあ、休んでないで、お仕事しましょう。ばっちり見てますから」
「昼飯くらい、ゆっくりとらせろっての。あたいは一応教官だからね。村紗ちゃんには無理させないよ」
「むう、仕方ないですねぇ。じゃあ、私がとるのは写真にしましょう。こっち向いて下さーい」

文が胸元のカメラを構える。まったく、相変わらず他人の都合を考えないね。
しょうがないので、顔を向けてやる。村紗ちゃんもお握りを持ったままレンズの方を向く。
パシャリ、という音と共に、カメラから光が発せられた。







あたいたち船頭は、基本、自分の仕事場で霊が来るのを待っている。
渡し舟はそういうものだから、客が来るまでは暇だ。無縁塚に来る霊は少ないから、舟を漕いでいる時間よりも、待ってる方が長くなる。

しかし、忙しく働くことは出来る。客を待っているのではなく、『見つけてくる』のだ。

それが、これからあたいたちが向かう、中有盆地。
外の世界や幻想郷で死んだ人間は、死後、そこに全て転送される。

そして、盆地から、いま下方に見えている屋台の連なった中有の道を歩き、三途に向かう。この道は、盆地から無数に枝分かれしていて、霊は、どの道に行くかを決めて、三途を目指す。

道の選び方には傾向があり、持っている金が多い者、少ない者が選びやすい道がある。
あたいの仕事場の無縁塚は、金が少ない霊が最も来やすく、一番儲からない。

そうすると、生活できる金を稼げない。だから、盆地に行くのだ。

船頭死神は、盆地にいる霊を選び、自分の舟に乗らないかとスカウトが出来る。
盆地の霊は、道を選ぶ前だから、待っているだけでは絶対に捕まえられない金持ちを捕まえることが出来る。

そうやって、たくさん金を稼ぎ、昇進すれば、待っているだけで大金を持った霊が来る職場に異動できる。
さっきも言ったが、船頭死神は、『金を稼ぐ』ことが善行なのだ。



「……とまあ、こんな感じだよ」

あたいは、簡単に説明を終えた。
横を飛んでいる村紗ちゃんは、持参していたメモ帳に鉛筆を走らせながら、熱心に聞いていた。

「勉強熱心ですねぇ、とても小町さんの後輩とは思えません」
「うるさいよ、そこ。取材禁止にするよ」

茶化した文に突っ込みを入れる。相棒だった時と同じやり取りだった。

現在、あたいたちは昼食を終え、中有の道を下って盆地を目指していた。
死者がたくさん集まっている場所。色々な思い出の詰まったところだ。

「何か、質問はあるかい?」

メモを取っている村紗ちゃんに聞く。
舟漕ぎのトレーニングの時にあたいが言った内容も、昼飯を食べた後にまとめていた。
文の言う通り、勉強熱心なことだ。あたいが新人だった頃は、こんなに真面目じゃなかった。

「ええと……舟を漕いでいる時も言ったんですが」
「うん、なんだい?」
「お金をたくさん持っている霊を見つける方法がどうしても分かりません。どうすればいいんでしょうか?」

なるほど、やっぱりそこが気になるか。肝心なところだからね。

「隔道の術、あるだろ?」
「え? あ、はい」

村紗ちゃんは、なんで、その術の名前が出るのか分からないといった表情をする。

「実は、あの術には、距離をいじる他に、もう一つ効果があるんだ」
「え、そうなんですか?」

初耳だという顔をする。

「術の副産物みたいなものだからね。ある程度研修が進んだら、ようやく説明されるんだよ。あたいの時もそうだった」
「でも、それがないと死神は生活できないですよねー」

文の横入りに、その通り、とあたいは返す。こいつはどんな効果があるのか知ってるからね。

「まあ、盆地に行ったら教えるよ。それまで楽しみにしておきな」
「はあ、分かりました」

あたいのもったいぶりに、村紗ちゃんは釈然としなさそうだ。
盆地に行ったら、どんな反応するかなとあたいはワクワクした。



霧にかすむ中有盆地が、あたいたちの眼下に広がっていた。

「うわぁ……」

村紗ちゃんが絶句する。そりゃそうだろうな、こんなにたくさんの霊が密集しているのは、見たことがないだろう。

「ここが中有盆地さ。なかなか壮観な光景だろ?」

左右を高い山に囲まれた大きな広場。
そこに霊がすし詰めになっている。遥か向こうは、霧が邪魔して見えなかった。

「相変わらず、人がいっぱいいますねー。外の人間って、一体いくらいるんでしょうね」

文が呆れたように言う。確かに、幻想郷の人間を合わせても、こんなにいないだろう。
外の世界は、妖怪ではなく人間が牛耳っているのが窺えた。

「よし、村紗ちゃん。これを使って、あの霊の大群を見てみな」
「あれ? 小町さん双眼鏡持ってたんですか、って、それ! 私のじゃないですかっ!」

さすがに気付いたようだった。文の鞄にぶら下げてあったのを、こっそり拝借したのだ。

「ちょっと借りるだけだって。前と同じだよ。減るもんじゃないだろ?」
「くっ、相変わらず手癖が悪いですね」
「お前さんほどじゃないさ。ほら、これを目に当てて見てごらん」
「は、はあ、分かりました」

村紗ちゃんは双眼鏡を受け取り、レンズを覗き込んだ。

「ああ、違う違う。逆から見るんだ。それだと見えない」
「え? ああ、こっちですか」

村紗ちゃんは、誰でも最初はやる勘違いをして、双眼鏡をひっくり返して覗いた。

「うわぁ、すごい! 物が大きく見えます」
「そうだろ? それじゃ、それを使って霊の方を見てみな」
「あ、はい」

村紗ちゃんは、双眼鏡を下に向けた。

「霊の顔が良く見えますね。凄いです」
「よし、じゃあ、あいつらの所持金を見たいって、強く考えてみな」
「え? 所持金ですか?」
「うん、頭の中を空っぽにして、あいつらがどのくらいの金を持っているか。それを知りたいと強く思ってみな」

あたいがそう言うと、双眼鏡を覗いていた村紗ちゃんが声をあげる。

「あ! なんか、あの人たちの頭の上に数字が見えますよ?」
「ほう、数字タイプか。珍しいね」

あたいもそうだが、大抵は銭のイメージが浮かぶのだが。

「その数字が、霊の持っているお金だよ。十文持っていたら、数字の『10』が浮かぶんだ」
「なるほど。これが、隔道の術の副産物ですか?」
「そうそう。隔道の術は霊の所持金と大きく関わっているからね。頭のいい人が術に改良を加えたんだよ」

相手の持っている銭の数が分かると、船頭死神が善人を優先することが出来る。あと、たくさん金を稼ぎたいやつの仕事意欲を刺激できる。
船頭死神をやっている者しか実用性のない術だが、手っ取り早く稼ぎたいときは、これ以上のものはないのだ。

「よし、村紗ちゃん。あいつらの中から、たくさん金を持っているやつを探して、捕まえてみな」
「え? あ、はい、分かりました」
「出来れば、二十文以上のやつを探すんだ。もたもたしてると、他の死神に取られちゃうから、急いで、多少強引に捕まえてみな」

双眼鏡を除く村紗ちゃんに、そうアドバイスする。
優しそうな娘だから、競争は苦手かも知れないと思った。

「……あ、あの人、二十三文持ってます」
「よし、頑張れ。捕まえてみな」

あたいがそう言うと、村紗ちゃんは双眼鏡から目を離し、目的の霊の所へ向かった。
あたいも、その後についていく。確かに、向かう先に二十三文の霊がいた。

「あっ」

すると、視界の横から、死神装束を着た男がいきなり現れ、その霊のところに先に到達してしまった。

「あはは、取られちゃったね」
「むう……」

残念そうな村紗ちゃん。

「もたもたしていると、ここの常連のやつらに取られるよ。ほら、一杯いるだろ?」
「あ、ほんとだ」

霧に隠れて見えなかったが、霊の上空をたくさんの死神が飛んでいる。ここに来る死神は、仕事が生きがいか、金を稼ぎたいと思っている連中だ。
嗅覚が違うので、慣れていないと、すぐに獲物をかっさらわれる。

村紗ちゃんは、きょろきょろとあたりを見回す。
その間にもどんどんと死神が降り立ち、霊を捕まえている。おかげで、あたいたちの周りには、十文以下の霊しかいない。

「……なかなか見つけられないです。難しいです」
「まだ慣れていないからだよ。根気強く探してみな」

あたいの励ましに応えようと、村紗ちゃんは一生懸命に探す。
そして、目標を定めた瞬間に、急いでそこに向かった。
その霊の頭に到達する。どうやら無事に捕まえられたらしい。

安心して気を抜いた時、右から何かが急に飛んできた。

「きゃっ!」
「おっと、失礼」

男の死神だった。同じ目標を定めていたらしい。村紗ちゃんに勢い余って衝突してしまったようだ。
男は謝って、元来た方に飛び去っていった。

「大丈夫かい?」
「あ、はあ、平気です」
「よし、じゃあ、この人をスカウトしよう。誘ってみな」

あたいの声に頷き、村紗ちゃんは初めてのお客さんの肩を叩いた。
白装束を着た、まだ若いと言える女の人だった。村紗ちゃんの方を振り返る。

「あ、あの、私の舟に乗っていきませんか?」

女の人は、不思議そうに首をかしげた。



『へえ、死神って本当にいたんですね』

女の人は、感心した風に言う。
村紗ちゃんが手を引き、あたいたちは無縁塚に引き返していた。霊は軽いので、一緒に飛ぶくらい訳ないのだ。

『死神って、人の命を奪うものだと思っていました。それに、髑髏の顔をしていないんですね』
「そりゃ、外の人間のイメージだね。人の命を扱うから、間違って伝わったんだろうね」

あたいの言葉に、女の人は頷いた。

『でも、どうして私が死神さんに声をかけられたんですか?』
「あ、それは、あなたがたくさんお金を持っているようだったからです。持っていませんか?」
『お金? ああ、これですか?』

村紗ちゃんの言葉に、女の人は懐を探って白い紙を取り出した。

『いつの間にか、これを持っていて。中に古いお金が包まれていて、何に使うのか分からなかったんですけど』
「それが、三途の船頭さんの給料になるんですよ。もし、捨てていたりしたら、声はかけられませんでしたね」

写真を撮っていた文が口を開く。

「それは、あなたの生前の徳に比例して増えるそうです。あなたの死を惜しんだ人が多いほど、高額になるんですよ」
『はあ、では、ありがたいことなんですね』
「そうです。死神に目をつけられたら、幸せなんですよ。あなたの世界では、あんまり嬉しくないようですけど」

女の人は、面白いですね、と言って優しい笑みを見せた。

「あ、そういえば、あなたは何で亡くなったんですか? 見たところ、結構お若いですよね?」

文がメモ帳を開きながら聞く。

『ああ、ガンです。子宮頚癌にかかりまして』
「ほう、最近の外の女は、それにかかるやつが多いね。流行り病かい?」

あたいがそう聞くと、女の人は、どうなんでしょう、と首をかしげた。

「ガン、って確か外の人間の死亡率ナンバーワンでしたよね?」

文がメモを取りながら聞いてくる。

「よく覚えているじゃないか。伊達に、一緒に仕事をしていたわけじゃないね」
「当たり前です。取材の時に出た言葉は、全部頭に入ってますので」

ふふん、と文は薄い胸を張る。

「ガン、ってどんな病気なんですか? 鳥の名前じゃないですよね?」

村紗ちゃんが聞いてくる。

「ああ、簡単に言うと、体の中に命を脅かす膿みたいなのが出来るんだよ。ほっとくと体中に伝染して、内臓を食っちまうらしい」
「そ、それは怖いですね。治す方法はあるんですか?」
「膿を切り取るしかないんだそうだよ。でも、どんな名医でも、全部の膿を体から取り去るのは難しいらしい。いつの間にか、どっかの内臓に移動している可能性があるみたいだから」

十年間、船頭をしていて、ガンで死んだ人間は数え切れないほど出会った。そのくらい、外の人間がかかりやすい、死に至る病だ。
でも、人間は妖怪と違ってすごく弱いから、ちょっとしたことが死因に繋がる。実に儚い命なのだ。

「でも、ガンって、年寄りの方が圧倒的にかかりますよね。あなたは、三、四十代じゃないですか?」

文が年齢を尋ねた。

『ええ、私は四十五でした』
「すると、お子さんがいたんじゃないですか?」
『はい、十五の娘がいました。今年、高校に入ったばかりだったのですが』

十五と言えば、人間の子供は育ち盛りだ。
まだ甘えていたい時期に母親が死んでしまったら、その悲しみはいかばかりか。推して余りある。

「どんなお子さんだったんですか?」

それを感じたのか、村紗ちゃんが死を感じさせない、当たり障りのない問いをした。

『そうですねぇ、とても素直な子でしたよ。あなたに、顔も似ています』
「え、私ですか?」
『はい、綺麗な目をした子でした。性格がそのまま表れたような。あなたも、そんな感じがします』

村紗ちゃんは、いやそんなことは、と言って照れた。

「お前さんは十五文の銭を持っている。人徳があったんだろうね」

あたいは、そう推測した。

『え、そんなことはないと思いますが……』
「いや、十五文は相対的に見て多い。だから、お前さんが他人に好かれていたことは間違いない。友達がたくさんいたんじゃないかい?」
『ええ……大切な友人はいましたけど……』
「うん、なら、お前さんの子は、友達が面倒を見てくれる。お前さんが頑張った成果は、きっと子供を幸せにするよ」
『……』
「死んだら生き返らない。だから、死者は未練を残してはいけない。未練を残したら、いつまでも成仏できないからね。でも、お前さんは死んでも、子供は、お前さんの残した縁が助けてくれる。何も心配はいらない。まっさらな心で、彼岸に渡るといいよ」

あたいがそう言うと、女の人は少し涙を潤ませて、感謝の言葉を述べた。

ただの人ならば、薄っぺらい感じがしたかもしれない。
だが、あたいは死神だ。それが言う言葉は、赤の他人よりも信じるに足るものになる。

閻魔様は、未練や迷いがある霊を断罪する。
それを和らげ、良い判決を出しやすくするのが船頭死神の仕事と、あたいは考えている。

いい判決を貰い、いい死後も貰う。それが、魂の幸せなのだ。

三途が、見えてきた。
あれを越えれば、新しい命を紡ぐ第一歩となるのだ。







『それでは、ありがとうございました』

彼岸の桟橋の上に乗り、あたいと村紗ちゃんは女の人を見送る。

「頑張って下さい。応援しています」
「今度は長生きしな。あたいたちの世話にならないくらいね」

女の人は一礼し、あたいたちに背を向けて歩きだした。
ここから道なりに歩くと、四季様のいる裁判所につく。寛大な判決を出してくれるのを祈るばかりだ。

「……よし、じゃあ、帰ろうか」
「はい」

あたいたちは、再び舟に乗る。村紗ちゃんの初渡しは、無事終わった。
充実感に満ちた、いい顔になっていると思った。

「三途の渡しって、凄く良い仕事ですね」
「ん? なんだい、いきなり」

不意に、村紗ちゃんがそんなことを言った。

「ええと、仕事の内容を見た最初の印象だったんですが、淡々と霊を彼岸に送る仕事だと思ったんです」
「うんうん」
「でも、死んだ人の悲しみを和らげて、未練なく渡すのも大切なんだと分かりました。小町さんの仕事の仕方は、とても心のこもったものだと思いました」
「……うん、そうかい」

村紗ちゃんは嬉しそうに頷く。
適性検査で最適の判定を受けただけある。一回の渡しでそこまで理解できるなら、村紗ちゃんは素晴らしい船頭になる素質がある。

「今度は、霊の人の話を一生懸命聞いて、心を和らげてもらえるよう努力しますね」
「うん、そうだね。でも、一個気になるのは」
「え?」
「まずは、口上を覚えようね。メモを見なくていいように」
「うっ……」

あたいの指摘に、村紗ちゃんは痛いところを突かれたようだ。
霊が舟に乗る前に教える渡航ルールの口上を、村紗ちゃんはまだ覚えきれていなかった。
なので、メモを見ながら、たどたどしく口上を述べたのだ。微笑ましい姿に、あたいと文は面白がってつついていた。

「あはは、口上を覚えたら、あたいも言うことはないね」
「うう、意地悪です、小町さん」

口をとがらせる村紗ちゃんがおかしかったので、あたいは笑った。
そんな感じで、あたいたちは再び此岸に戻るのだった。







お天道様が大分傾き始め、そろそろ空が赤に染まる頃になった。

「お疲れさまでーす」

此岸に舟を着けると、桟橋に乗っていた文が軽いねぎらいの言葉をかけてくる。

「よし、今日の研修はこれにて終了〜」
「はい、ありがとうございました」

あたいと村紗ちゃんは、舟を止めるロープを桟橋にくくりつけると、舟を下りた。

「どうでしたか、村紗さん。初めて渡し舟をやった感想は」

文がメモ帳を手に聞いてくる。

「はい、ちょっと疲れましたけど、それ以上に楽しかったです」
「それは、良かったですね。これからも続けていけますね?」
「はい、やりがいのある仕事に出会って嬉しかったです」

けっこうなことです、と文は嬉しそうだった。こいつの場合は、飯の種が簡単に辞められたら困るだろうしね。

村紗ちゃんは、合計四人の霊を彼岸に送った。
大した問題も起こさず、与えられた仕事をきっちりとやり切った。
この分なら、あたいよりも優秀な船頭になるだろう。確信に近かった。

「よし、村紗ちゃん。今日はこれで終わりだよ。家に帰ってゆっくりと休むといい」
「はい、なんだか、あっという間でした」
「なら、もう一回行ってみるかい?」
「え? そうですか?」
「いやいや、冗談だよ。今日のところは、ここで終ろう」

やっぱり真面目な性格をしているようだ。冥界にいる誰かさんとそっくりだね。村紗ちゃんの方がおっとりしているけど。

「じゃあ、お疲れさん。明日は、九時に集合だよ。遅れないようにね」
「分かりました。明日も、よろしくお願いします」
「小町さんの場合は、自分の方が遅刻の危険がありません?」

失礼なことを言った天狗に、あたいは流れるような自然な動きで脇腹に手刀を決める。うっ、とくぐもった声をあげる天狗。それを見て笑う村紗ちゃん。

「じゃあね、気をつけて帰るんだよ」
「はい、ありがとうございます」

そう言って、村紗ちゃんは鎌と今日の稼ぎを持って、宙に浮いた。
一回振り返って鎌を左右に振ったので、あたいたちも手を振る。小さくなるまで見送った。

「なかなかいい娘ですね。頭も良さそうですし」

文が珍しく他人を褒めた。

「そうだねぇ、数年したら有名な船頭死神になっているかもね」

あたいも、相槌を返す。適当なことを言ったのではなく、本心から出た言葉だった。

研修一日目という重要な日は、滞りなく終わった。
明日からは、村紗ちゃん一人で三途を渡らせようと思った。







太陽が山の稜線にかかり始める頃合い。
ムラサは、自分の家である命蓮寺の門の前に到着した。

この門は、聖輦船の本体に属さない。人間の中から有志を募り、門と塀を造ってもらったのだ。
まだ数ヶ月しか経っていないのに、白蓮の人望の厚さには驚く。そんな人と自分が一緒の屋根の下で生活しているのが、とても誇らしく思えた。

「おっ、帰ってきた」

門をくぐって玄関に向かう途中、上から声がかかった。

「ん、ただいま」

ムラサは帰宅の挨拶をする。
屋根に座っていた命蓮寺の居候、封獣ぬえは、ひらり、とムラサの横に下りてきた。

「どうだった、仕事」
「うん、楽しかったよ」

ぬえは、ほー、と感心したような声をあげる。

「これが稼いできた金ね」

目ざとく、ぬえはムラサの持っている麻袋を発見する。

「見せて見せて―」
「はいはい」

ムラサは袋の口を開いて、中を見せた。五十枚ほどある銅銭が姿を見せた。

「? 何これ? 見たことない」

ぬえは、袋の中から一枚の銭を取り出し、回し見た。

「何これ、使えんの?」
「使えるらしいよ。彼岸のお金なんだって」
「へー、じゃあ、里で使えないじゃん」
「うん、だから、換金してもらわないといけないんだって。近いうちにそこを案内してくれるらしいよ」
「ふーん、それならオッケーね」

ぬえは、持っていた銭を袋に放り込む。

「今日は肉じゃがだってさ。楽しみー」
「あなたも手伝えばよかったじゃない。これで、うちで仕事していないのは、あなただけよ」
「えー、めんどくさーい」

そんなことを言って、ぬえは逃げるように玄関の戸を開けて、中に入った。

「早く着替えてきな。来なかったら、肉じゃが一人じめね」

子供のようなことを言って、ぬえは居間の方へ走り去っていった。
ムラサは、そんなぬえに苦笑いし、靴を脱いで反対方向にある自分の部屋に向かった。



「では、いただきましょう」
「いただきまーす」

一番の上座に座る白蓮の声に、全員が唱和した。
命蓮寺に住む者が全員そろうのは、食事の時しかない。今日は、ムラサは昼食を仕事場で食べたので、全員の顔を見るのは朝以来だった。
大広間の食卓には、実にたくさんの料理が並ぶ。大人数で食べるからということもあるが、肉を食べることを禁じている者がいるので、精進料理の分が増えるのだ。
味付けをほとんどしない料理は、ムラサにはどうも馴染めなかった。

「ムラサ、どうでしたか、仕事は?」

命蓮寺の代表、聖白蓮は唱和の後、すぐに聞いてきた。

「はい、楽しかったです。長く勤めることが出来そうです」
「それはけっこうですね。労働が楽しいというのは、とても幸せなことですよ」

ムラサが良い返事をすると、白蓮は柔和な笑みを浮かべた。

「まあ、勉強に付き合わされて、すぐ辞めます、なんて言われたら、私のやった意味がない。頑張りなよ」
「ナズ、そういうことを言わないの。ムラサは充分頑張ってるわ」
「いや、冗談だ」

ネズミの妖怪、ナズーリンが皮肉っぽい冗談を言い、一輪がたしなめた。
ナズーリンは、ムラサのテスト勉強の講師だったのだ。
ムラサが受けた学力試験は、作文と読解と算術だった。ナズーリンは数字に強いので、算術を教えてくれたのだ。

「仕事を教えてくれる人は、いい人だったかな?」

今度は、ナズーリンの主である、寅丸星が聞いてきた。
彼女は日常的に書物を読んだり、書き物をしたりして暮らしているので、読解と作文の講師だった。

「ええ、すっごくいい人でした。温和で明るいし、優しいし。それから、お話も面白かったし。ちょっと、のんびり屋な印象はありましたけど」
「それは良かった。指導者の良し悪しは、今後に関わってくるからね。信頼できるのなら、一番だ」
「はい、とても運が良かったと思います」

星の言葉に、ムラサは嬉しそうに言った。

「ものを教えるやつって、大体、居丈高だけどね。自分はお前よりも賢い、って態度を出すやつは最悪だよね」

ぬえが肉じゃがを頬張りながら、そんなことを言う。

「ものを教える者は、おごってはなりません。絶えず知識を探求し、その成果を無知な人に授ける。世の中を豊かにする、とても神聖な仕事です」
「そうですね。優越感に浸るなど、知識を教える者としてはどうかと思いますね。学ぼうとする者は、無知を自覚した賢い者ですから。そういう者を見下してはならない」

白蓮の含蓄のある話に、星が同調する。

「まあ、要するに、頑張ってお勉強やお仕事しましょう、ってことね。分かった? ぬえ」
「んあ?」

一輪に急に話を振られ、肉じゃがを食べていたぬえは変な声をあげる。皆は笑い声をあげた。

「明日は、何をするの?」

一輪が、新しい質問をした。

「ええと、いままでは小町さんが補助をしてくれたから、今度は一人で漕ぐんだって」
「へえ、もう一人でやるのね。そんなに簡単なわけはないでしょ?」
「うーん、多分。意外に簡単だと思ったけど、小町さんがいたから、簡単だったのかな?」
「そうね、気を抜かないほうがいいわよ。三途は、落ちたら浮かないんでしょ?」
「うん。油断はしないつもり」

一輪の忠言に、ムラサは気を引き締められる想いがした。

「浮かない河、というのは、やはり危険だ。そこで仕事をするのなら、絶対に事故を起こしてはならないだろう」
「そうだね。一瞬の気の緩みが事故に繋がる。慎重に仕事するんだよ」

ナズーリンと星の主従が、ムラサを案じることを言う。

「なにごとでも、油断と慣れは大敵です。力を抜くのはいいことですが、抜きすぎてはなりません。初心を忘れずに頑張るんですよ」
「はい、みんな、ありがとう」

白蓮が締め、ムラサは皆の言葉をしっかりと胸に刻み込んだ。

それから、一輪が貰ってきたスイカのことに話題は移る。
平和な夕食風景だった。







障子が橙色に染まっていた。

開け放たれた障子から、ややぬるい風が通り抜ける。
快適とは言えなかったが、締め切っているよりはましだった。

ムラサは、燭台に明かりをともし、机に向かって書き物をしていた。
今日の研修の内容を記したメモを、ノートに綺麗にまとめていた。

「……」

こんなにも物事に集中したのは、久しぶりだった。
とても、楽しかったのだ。新しいことを覚えていく自分が嬉しかった。

それは、きっと、小町という教官がいたからだろう。
優しく、分かりやすく、親身になって指導してくれる。ムラサの立場になって教えてくれた。

小町に褒められ、成長していく自分。そのことが気分を高揚させた。頑張れば頑張っただけ成果が感じられる。物事が好循環していた。

明日は、どんなことをするのだろう。とても、待ち遠しかった。時間の遅さがもどかしいと感じるなど、一体いつ以来のことだろう。

でも、命蓮寺のみんなが言ってくれた通り、地に足がつかないことをやらないようにしよう。
一歩ずつ、焦らずに、着実に成長していく。少しずつ進めばいいのだ。

ムラサは、一生懸命、ノートをまとめていく。
船頭仕事の初日は、希望の色に染まっていた。






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