八月八日。午後一時四十五分。晴天。

太陽に容赦なく照りつけられているはずの、ここ、彼岸民営競技場では春程度の日射に抑えられている。
彼岸の技術者や術者が総力を結集し、一年を通じて同じ気候状態を保つように造られているのだ。
彼岸中州の商店街の中心。そこに、これはある。
いつもなら球技や陸上競技の会場などに使われる。大きな大会を開くのにうってつけのところだ。

客席は、満員。席が空いているところは一つもない。
春の温度に抑えられているにも関わらず、熱気で温度が上昇している。
観客はこれから始まる「決闘」を心待ちにしている。
五百年ぶりの娯楽。それを一目見ようと集まってきたのだ。

「レディース! アンド! ジェントルメーン! ボーイズアンドガールス!」

突然、会場内に大きな男の声が響き、観客のざわめきを塗りつぶした。

「五百年ぶりの決闘さいばーん! ご来場、サンキューだぜ! みんな、盛り上がってるかーい!?」

軽薄そうな男の声に、観客は歓声を上げる。

「オーケー、みんなが元気なのは分かった! あと、十五分で一発目の決闘が始まる! 十王に異議を唱えた少女が勝つのか! それとも、秦広王の鬼神長がねじ伏せるのか! 細かい理屈などいらない! ガチバトルを戦って、俺たちを楽しませてくれ! みんな、応援よろしく頼むぜ、プリーズ!」

男の煽る放送に、観客たちのボルテージも上がっていく。
そう、観客たちのほとんどは、娯楽で来ていた。この戦いが何を意味するのか、どんな切実な想いが秘められているのか。
そんなことなど関係ない。
これから始まる真剣勝負に、興奮や感動を与えてくれること。
それだけを求めていたのだった。







控え室には、三人の少女の姿があった。

一人は、大小の刀をはき、緑を基調にした着物と袴を身につけ、白い鉢巻を額に巻いた銀髪の少女。
一人は、血で染めたような暗色の赤のシャツ、パンツを着て、その上に黒いロングコートを羽織った銀髪の女性。
そして、最後は水兵のようなセーラー服をまとい、錨のマークが入った帽子のかぶった黒髪の少女。

銀髪の少女は、地面に正座し、目を閉じている。
銀髪の女性は、立って壁に寄り掛かり、腕組みをして一点を凝視している。
黒髪の少女は、木製のベンチに、俯きがちに座っている。

三人は、一言も発さない。ただ、ただ、自分の集中力だけを高めていた。

コンコン

すると、控え室の入り口のドアがノックされた。

「どうぞ」

黒髪の少女が、開けるのを許可する。

ノブが回り、開いたドアから現れたのは、長い金髪に白いマントで身を包んだ、美しい女性だった。

「あら、あなたは」
「え、閻魔王様!?」
「お久しぶりですね、咲夜さん。そして、妖夢さん」

二人に声をかけたのは、閻魔王その人だった。去年の夏祭りで、二人は彼女から勲章を受けていた。

「覚えていてくださったのですね。光栄ですわ」
「英雄の顔と名前を忘れるはずがありません。あなたたち二人は、かけがえのない命を救ったのですから」

閻魔王は、極上の笑顔をみせる。吸い込まれ、魅了されるような笑み。

「そして、村紗水蜜さん、でしたね」
「……はい。閻魔王様、お会いできて光栄です」

村紗は立ち上がり、一礼した。

「あなたの想い、私の力が及ばず、十王の面々に届けられなかったことを深くお詫びします。そして、こんなことになってしまい……陳謝の言葉もありません」
「いえ、閻魔王様は最大限、頑張ってくださいました。こうなることは、避けられないことだったんです」

村紗の覚悟を聞き、閻魔王はわずかに頷いた。

「あなたたちの戦い如何によって、これからの彼岸の政治が動くかもしれません。こんな馬鹿げた戦い合いなど、私はもう絶対に起こしたくない。だから、お願いします」

閻魔王は、ゆっくりと、腰を折った。

「必ず、勝ってください。そして、正しい政治を、正しい未来を彼岸にもたらしてください」

彼岸の最高指揮官中の最高指揮官、閻魔王から頭を下げられた。それは、とてつもない意味を持つ。

「どうか、頭を上げてください」

銀髪の少女が言った。

「私たちは、絶対に負けません。この戦いを仕掛けた秦広王様に、あなたは間違っていると突きつけます」
「同感ですわ。政治はおもちゃではないのです。神聖な行為を弄んでいる人にお灸を据えるために、私たちはいるのです」

銀髪の少女に、銀髪の女性が続く。

「私たちは、絶対に勝ちます。ゆいちゃんを彼岸に届けるために、私は死んでも勝ちます」

黒髪の少女が、決意がありありと滲みでる返答をする。
それを聞き、閻魔王は微笑した。

「第一戦、始まります。先鋒の方は、準備をお願いします」

現れた係の者がそう告げると、静かに、ゆっくりと妖夢は立ち上がった。

「頑張ってください、妖夢さん」
「あなたが負けたら、私に回ってきませんわ。出番を潰さないようにお願いしますね」
「はい」

凛とした声と姿。
剣士、魂魄妖夢の集中力が最大限に引き出されていた。







ガラスで仕切られたVIPルーム。最高の位置で競技を観戦するために設けられた一室。
大会の主催者や来賓を迎え入るために造られた部屋である。

「おう、閻魔。どこ行ってやがったんだ?」

部屋から出て行ったのを、目ざとく見ていたようだ。
秦広王は杯を持ち、酒を飲みながらニヤニヤして声をかけた。

「花摘みです」
「そうかい、それにしちゃ、ずいぶん長かったじゃねえか」

こういう必要以上に下品なのは、秦広王の大きな欠点である。そして、子供じみている。
十王に君臨している実力は確かだが、あまりにも自分勝手過ぎるのを閻魔王は懸念していた。

「そろそろ始まります。主催者が試合を見ないと問題でしょう」
「そうだな。一発で終わっちまうと思うが。あーあ、負けやがっても全員戦うようにしとけばよかったぜ」

そんなことを言って、秦広王は、どっかとソファーに座り、足を組む。
閻魔王は、席を一つ空けてソファーに座る。絡まれたら、面倒なことになるからだ。

(みなさん……頑張ってください)

閻魔王の出来ることは、願うことだけだ。
秦広王に、物事は自分の思い通りに行かないのだ、と見せつけてほしい。
そして、決闘裁判などという馬鹿な法律を抹消する。それが、閻魔王の役目だ。

しかし、抹消するには、三人全員が勝たなければならない。あまりにも他力本願。閻魔王は歯噛みした。

そろそろ、第一の戦いが始まる。
彼岸の未来を決める舞台の幕が上がろうとしていた。







「……そろそろですね」

文が銀製の懐中時計を見て言った。
午後一時五十九分。文の時計は、毎朝の時報サービスでかかさず調整されていた。

「先鋒は、妖夢でしたよね。大丈夫でしょうか……」
「当たり前さ。妖夢が負けるはずがない」

組んだ両手に顎を乗せ、真剣な面もちで、隣の小町は言った。

観客席の最前列。この決闘裁判の関係者が集まる席。
そこには、小町、文のほかに、妖夢の主人の幽々子もいた。

「妖夢は大丈夫よ。こういうときのあの子の集中力は誰にも負けないわ」
「鬼神長は絶対にお遊びの気分で来る。つけこむとしたら、その油断だね」

幽々子は笑みを見せるが、いつもの余裕あるものとは違っていた。
小町も言ったとおり、相手は妖夢よりも強いと考えられる。だから、『油断につけこむ』しかないのだ。

「幽々子さん、鬼神長とはどのくらいの強さがあるんですか?」

文は、冥界の管理者であり、彼岸のことでは誰よりも詳しい幽々子に聞いた。

「少なくとも、幻想郷の鬼よりは弱いわね。妖怪だけど、鬼ではないから。でも、武芸に長けた者たちを閻魔王がスカウトするから、生半可な強さではないことは確かね」
「秦広王は、言ってみれば戦争マニアだ。だから、ちょっと強いくらいでは、スカウトしない。十王に従う鬼神長のなかではトップクラスだと思っていい」

幽々子の説明に、小町が補足する。

「その中のトップ3が来ることは間違いない。どう考えても、人間には荷が重い」
「そうですか……くっ、私が出られれば、簡単に捻ってやるのに……」

持っているカメラを握りしめ、文が顔を歪める。

「その気持ちだけで大丈夫よ。それに、妖夢は人間よりは遥かに強いわ。こまちゃんたちに助けてもらってから、剣術は驚くほど上達した。だから、心配ないわよ」
「……そうですね。私たちに出来るのは、応援だけです。妖夢の勇姿を、しっかりと写真に収めます」

文がそこまで言ったとき、スピーカーから大音量で声が発せられた。

「レディースアンドジェントルメーン! ボーイズアンドガールス! みんなー、またせたなー! これより、決闘裁判、第一試合目を始めるぜー!」

待ちくたびれた観客から、地鳴りのような歓声が上がる。

「まずは、此岸陣営! 冥界、白玉楼に仕える庭師! そして、二刀流の達人! 魂魄妖夢だー!」

その声に合わせるように、西にある入場口から妖夢の姿が現れた。
歓声が音量を上げる。だが、妖夢の顔には微塵も動揺が見られない。
彼女にとって、この戦いは恩返しと同じ。命を救ってくれた小町に、今こそ報いるとき。
それが至上目的であるからこそ、妖夢の並外れた集中力が歓声を無音に変える。
目の前の敵を倒す。冷徹かつ静謐な精神状態に、今の妖夢はいた。

「そして、彼岸陣営! 秦広王の鬼神長、ナンバー3! 黒巣美麗(くろすびれい)だー!」

アナウンスに合わせ、東の入場口から相手が姿を現した。
女性だった。人間でいう二十歳前後。妖夢よりも年上に見えた。
長い黒髪を両脇で縛り、体のラインを強調する赤いドレス。そして、つり上がった目と赤い唇。
一目で性格が悪そうと思える外見だった。

両者は、競技場の中央に歩み寄る。定例的な挨拶をするためだ。
審判などいない。それが、この戦いにルールなどないと教えていた。

「あらー、こんなに子供なの? 拍子抜けね」

妖夢よりも頭一つ大きい美麗が言った。

「久しぶりに思う存分戦えると思ったのに、こんな子供じゃあねぇ。一分も遊べないわね」
「……」

妖夢は答えない。

「あなた、下手したら死ぬわよ? 手加減してあげるけど、すぐに降参しなさいね。でないと……」
「……」

妖夢は、まだ答えない。

「なんか言ったらどう? 謝ったら許してあげるけど?」
「……」

美麗がそこまで言うと、妖夢が動いた。
背中に背負っていた、楼観剣に手をかける。そして、すらりと抜き放つ。

美麗は、抜き身の刀を持った妖夢に、やや警戒心を見せた。
しかし、妖夢は刀を両手で持ち、目の前で掲げた。

そのまま、静かに一礼する。
魂魄流の剣術の挨拶。それは、打ち倒す相手に敬意を表する礼儀作法。

それから、妖夢は背を向け一定の距離をとったところで振り返った。
その目には、静かなる闘志が宿っていた。

美麗は、小さく舌打ちをし、同じように距離をとる。

すべてが整った。

「それでは、第一試合! はじめー!!」

アナウンスとともに、轟、と歓声が上がる。

妖夢は、楼観剣を八相に構えた。魂魄流は、防御をあまり重視しない。斬り倒せば、勝ち。それを徹底しているのだ。

「ふん、生意気な。すぐに土下座して謝らせてやるわ」

そう言って、美麗は背中に両手を回す。
抜き放ったのは、青竜刀のような二対の赤い刀だった。
正眼に構える。

両者、その体勢のまま、じりじりと間合いを詰める。観客が固唾を飲む。

妖夢の体が、残像を引きながら美麗に突っ込む。
美麗は、刀を交差させ、袈裟に打ち込まれた斬撃を受け止める。

激しい火花が散る。そのままつば競り合いに入る。

「ふん、速さだけはあるようね」

至近距離の妖夢を睨み据える。余裕の笑みは、まだ美麗の顔に張り付いていた。

「でも、それだけで勝てるとは思わないことね!」

美麗は押していた刀を一瞬引く。
そして、とんぼ返りの要領で右足で弧を描く蹴りを放った。

妖夢は、その蹴りを右半身を引いてかわす。

妖夢よりも速く体勢を整えた美麗が襲いかかる。
袈裟と払い。
妖夢は楼観剣で一撃目を受け流し、二撃目を跳躍してかわす。
そして、楼観剣を大きく降りかぶり、体重を乗せて兜割りを繰り出す。

美麗はそれを半身引くだけでかわし、右の回し蹴りを放つ。
着地した瞬間、妖夢はとっさに楼観剣で右半身をかばう。
だが、美麗の蹴りは勢いよく楼観剣を叩く。足が斬れなかったのは、靴に金属を仕込んでいるからだろう。
妖夢は吹き飛ばされる。しかし、空中で体勢を整え、美麗の方を向くように着地する。

もたもたしていたら、斬られていたであろう。一メートル先に美麗がいた。突っ込んできたのだ。
もう一度袈裟斬りを出してくる美麗に、妖夢は体を回転させてかわす。その勢いを利用して、胴斬りを放つ。
しかし、二本の刀を持っている美麗は、残った左手の刀で受け止める。
美麗は、無理な体勢から、右の刀で突きを出す。意外な攻撃に、妖夢は首を横に倒してかわす。だが、完全にかわしきれない。頬を斬られ、わずかな血の滴が舞う。

妖夢は、強く地を蹴って間合いを離し、楼観剣を正眼に構える。美麗もそれ以上突っ込んでこなかった。

わずか、十秒の間の出来事。
観客は、あまりにもレベルの高い戦いに、静まり返る。
だが、その次の瞬間には歓声に変わる。二人の応酬に敬意を表すように。

「多少はやるのね」

美麗は、妖夢の血のついた刀を舐める。

「でも、それだけね。人間にしては強いけど」

妖夢は、なにも応えない。

「少し、本気だしてあげるわ。あなた、二本抜かないと、死ぬわよ」

そう予告する美麗。
妖夢は、右脇にさしていた白楼剣を、左手で抜く。それを正眼に構える。
美麗の言うとおりにしたのではない。楼観剣一本では、膠着状態を打破できない。そう考えての、二刀流の選択だった。

二刀を持った妖夢は、一刀の時よりも技の切れも体の捌きも段違いにあがる。今までのは小手調べだった。

「ふん、余裕そうな顔ね」

相手を見据える妖夢を、美麗は気にいらなそうに見る。

「だけどね、刀が増えただけじゃ、私は捕らえられないのよ」

美麗は、お手玉のように二本の青竜刀を弄ぶ。
そして、手に収まった瞬間、突進した。

妖夢は、その動きを読んでいた。妖夢も地を蹴り、迎えうった。

美麗が突きを繰り出してくる。妖夢はそれを長刀の楼観剣で払う。
そして、短刀を美麗の脇腹に突き立てんと渾身の力を込めて突きを放った。

「!」

妖夢の左肩から、鮮血が吹き出た。

完全に捕らえたと思った。美麗は突きを繰り出したために、避けられる体勢にはなっていなかった。

だが、白楼剣の刃が届く直前で、美麗の体が霞のようになった。手応えを全く感じなかった。

「ふふ、驚いてるわね」

交錯し、妖夢の後ろにいた美麗が薄く笑う。
とっさに、妖夢は敵の方に振り返る。

「今度は足を切るわよ。ちょこまか動けないようにね」

美麗は、再び突進の構えをとる。

妖夢は素早く白楼剣を鞘に収め、背負っていた黒塗りの鞘を脇に構え、楼観剣を納める。
抜刀術の構えだった。

「ふうん、不思議なことが起きる前に素早く斬ろうって腹かしら?」

余裕を崩さない美麗。妖夢は受け応えない。

「だけど、甘いのよっ!」

美麗が先ほどよりも速く突っ込んでくる。
その瞬間、妖夢の目が見開かれる。納刀の体勢から想像を絶する速さで駆けた。

現世斬。妖夢がもっとも得意とする突進抜刀術。
美麗とぶつかる寸前で、刀を鞘走らせ、一気に抜き放った。

妖夢の両太ももから、血が溢れた。

「無駄よ、無駄無駄。あんたは、なにも出来ずに倒れるのよ」

現世斬の刃は、確かに捕らえたはずだった。
だが、また、美麗の体が霞み、刀は空を切った。

「このまま、なぶるのもいいかもね。泣いて謝ったら許してやるわよ」

美麗は、薄ら笑いを浮かべる。
だが、妖夢は、自分についた足の傷を見て、言った。

「……なるほど」
「はあ?」

妖夢の言葉に、美麗は柳眉をつり上げた。

「癪に障るわね。なにが分かったというの」
「もう一度やってみるがいい。その自慢の技を」

妖夢は、もう一度納刀をした。再び現世斬の構えである。

「……ふん、いいわ。気が変わった。これでしとめてやる。後悔するといいわ」

美麗は、再び突進の構えをとる。
それを、妖夢は納刀の構えで待つ。

「これで終わりよっ!」

そう言って、美麗が地を蹴った。
妖夢は現世斬のように突進しない。その場で交錯するのを待っていた。

そして、すれ違う瞬間。妖夢は神速の抜刀術を繰り出した。

刀と刀がぶつかり合う甲高い音が響く。
だが、その音は一つではなかった。

「な、なに……!?」

美麗が驚愕の表情をする。

楼観剣は、確かに美麗の青竜刀を止めていた。
しかし、白楼剣は鞘に収められていたはずだ。
その白楼剣が、もう一つの美麗の刀を受け止めている。
『もう一人の美麗』の青竜刀を。

「お前は、自由自在に実体のある分身を出すことが出来る。私の刀が当たる瞬間に、自分を分けてかわしていたんだ」

白楼剣で、もう一人の美麗の青竜刀を受けていたのは、妖夢とそっくりの姿をした半霊だった。

「ちっ!」

美麗は、妖夢から大きく間合いを取る。もう一方の美麗は、煙のように消えた。

「よく見破ったわね。ちょっと侮ってたわ」

妖夢が、美麗が二人いると見切ったのは、たった二合の撃ち合いだった。
現世斬で大きく踏み出した右足が切れることはあっても、後ろにある左足が切れることは滅多にない。
妖夢は、自分の半霊を分身として使えるのだ。同じような技を持った相手は、すぐに推測できた。

「ご褒美に見せてあげるわ。手品の種を」

美麗がそう言った瞬間、体から白いもやが吹き出る。
横に現れたのは、美麗と全く同じ姿をした分身だった。

妖夢は、楼観剣を構える。半身は白楼剣を構える。

「ちょっと勘が当たったからって、いい気にならないことね!」

そう吐き捨てて、美麗と分身が突っ込んでくる。
妖夢は、半霊とともに迎えうつ。

それからは壮絶な打ち合いだった。
二人対二人の総力戦。一瞬たりとも気を抜くことは出来ない。油断したら、すぐに斬られる。

観客は、その凄まじい攻防に、歓声を上げる。だが、二人には届いていない。一切の雑念を捨て、ただ、相手を倒すことだけを考えている。
剣の腕のほかに、集中力と精神力がものを言うのだ。

休みなく打ち合いを続け、約五分。

本体と分身同士が鍔競りあいをすると、タイミングを計ったように、両者は地を蹴って距離を置いた。

「はあ……はあ……」
「ふう……ふう……」

さすがに息が切れている。全力で打ち合ったのだから、当然だろう。

「ちっ、悪あがきを……!」

開始時点では余裕の表情をしていた美麗だった。だが、ここまで妖夢がやるとは思っていなかった。
でも、妖夢の実力を美麗は認めない。強さは自分の方が上だという考えは変わらなかった。

「……いいわ。全力で潰してあげる」

そう言って、美麗が取り出したのは、短刀だった。
小太刀の白楼剣よりも短い。戦闘には不向きといえる刀だ。

「あなたは、一つ勘違いをしてるわ」

美麗はそう言った。
妖夢は何も言わない。純粋に、何のことか分からない。

「私が、『一つだけ』変わり身を作れると思ったら大間違いよ」

その瞬間、美麗から白いもやが立ち上る。だんだんと輪郭を表してきたのは、横にいる美麗の分身と同じ、もう一体の分身だった。

「ふふ、二対二でまあまあ戦えたくらいでいい気にならないことね。今度は三対二でいくわよ」
「……」

妖夢は、何も応えず、じっと三人の敵を睨み据えていた。

「そのすかした態度が気に入らないのよっ!」

美麗がそう言うと、二体の分身が左右に散った。

「刀二本じゃ、どうあっても三本に敵わないわ。おとなしく降参したらどう?」
「……」

それでも、妖夢は微動だにせずに敵を凝視している。
ちっ、と美麗は唾を吐き捨てる。

「いいわ、お望み通り、八つ裂きにしてやる」

三体の美麗が、構えをとる。妖夢を取り囲み、一斉に攻撃を仕掛けようとする。

「しねぇっ!!」

裂帛の声を発し、三体が突っ込む。青竜刀を持った美麗は、刀を振りあげる。短刀を持った美麗は、妖夢の心臓めがけて刀を突き出す。

三つの同時斬撃。二刀の妖夢に、かわす手段は残されていなかった。



「な、なにぃ……!」

美麗は目を見開く。
左から襲いかかった刀は、楼観剣に止められている。
右から襲いかかった刀は、半霊の白楼剣に止められている。
そして、正面から襲いかかった刀は……

「誰が、私は『二本しか持っていない』と言った?」

それは、桜色の刃だった。
木刀の柄から放たれている光線。それが刀の形を形成していた。







「何ですか、幽々子様。これは」

妖夢の前に差し出されたのは、木刀の柄にしか見えなかった。こんなものを主が意味もなく持ってくるとは思えない。

「本当は、妖夢の腕がもっと上がったら渡すつもりだったんだけどねぇ」

幽々子は、困ったように笑う。

「これが、妖忌が残した三本目の剣よ」
「えっ!?」

あまりにも初耳だったので、妖夢は激しく動揺した。

「お、お師匠様の、三本目の剣ですか!?」
「そうよ。でも、妖夢に使わせるのは危険だから、黙っていたのよね」

幽々子は、ゆっくりと説明する。

「名前は、玉桜剣(ぎょくおうけん)。この木刀の柄は、うちの西行妖を削りだして作ったものなの」
「西行妖を?」
「そう。あの妖怪桜は、並大抵の妖力ではないわ。それに目を付けた妖忌が試しに作ってみたの」

そんなこと、祖父からは全く聞いたことのなかった妖夢だった。

「結果は、成功だったわ。凄まじい切れ味を誇る妖刀になった。でも……」
「でも?」

幽々子は、言いにくそうに言った。

「この妖刀は、使い手の霊力と生命力を食べて、刃を為すの」
「霊力と生命力を?」
「そうよ。あれだけの達人だった妖忌が、五分ももたなかった。あまりにも危険だったので、封印したの」

ようやく、妖夢が合点がいった。

「妖夢、あなたがこの剣を扱えるのは、よくて三十秒程度よ。それ以上は命に関わるわ」
「つまり、奥の手、ですね?」

幽々子は頷いた。

「今度の戦いは、負けるわけにいかない。この秘剣を使うときが来るかもしれない。だから、引っ張りだしてきたの」
「……」
「妖夢。この刀を使うことを、西行寺家当主として認めます。ただし、三十秒以上使うことを許しません。よいですね?」
「……分かりました。どうも、ありがとうございます」

妖夢は、畳に手を突き、深々と一礼した。







「く、くそっ!」

三つの斬撃をいともたやすく防がれ、美麗に焦りの色が広がる。
だが、妖夢ものんびりしている暇はなかった。

(くっ……早くしなければ……)

体中の体力が吸い取られるような感覚。玉桜剣を使う代償。命を奪う妖刀。
もたもたしていたら、刀に命を奪われてしまう。
それまでに、片を付けなければ。

「はあっ!!」

気合いで、妖夢は鍔競り合いしていた美麗を、強引に引き離す。
間合いが開いたところで、妖夢は楼観剣と玉桜剣を横に構え、地を這うような姿勢になった。

「人鬼」

そう呟いた瞬間、妖夢の体がかき消えた。
そして、正面にいた短刀をもった美麗の周りで、剣閃が飛び交う。日の光を受けて、無数の煌めきが踊る。
土煙を上げ、再び妖夢は姿を現した。

「未来永劫斬、二天撃」

美麗の分身は、三十六の斬撃を受け、体が細切れになった後に、霞みに消えた。

続いて、妖夢は、右にいた美麗に狙いを付ける。

「断命剣」

楼観剣と玉桜剣を正眼に構える。
そして、大きく降りかぶる。

桜色の三十メートルはあろうかという巨大な刃が形成された。

「迷津慈航斬」

そして、それを渾身の力を込めて降り下ろす。
美麗は避ける暇もなく、もっていた青竜刀で受け止めようとした。
だが、マッチ棒のごとく青竜刀は折れ、頭から股にかけてを斬り裂かれた。
先ほどの分身と同じように、霞になって消える。

残るは、一人。

「くっ、くっ、くそっ、こんなことが、こんなことがあっていいわけがないっ……!」

狼狽した美麗は、最初の態度から余りにもかけ離れていた。
両足がすくみ、かすかに震えている。何をどうしたらいいのか、考えられない。

もはや、この時点で死んでいた。

「奥義」

だが、妖夢は手を抜かない。これは、死合い、なのだから。

「西行春風斬」

桜色の闘気が、妖夢の体から吹き出る。
それをまとい、一気に美麗に突っ込む。

渾身の力を込めて、楼観剣と玉桜剣を横に薙いだ!

「おぐぅっ」

形容しがたい呻きをあげ、競技場の横の壁に吹っ飛ばされる。そして、壁に大きなひびを入れた。
そのまま、ずるずると地面に落ちる。かすかにピクピクしているところをみると、かろうじて生きているようだった。

妖夢は、玉桜剣の形成を止める。
それと同時に、荒く息をつき、ぺたんと座り込んだ。

観客席から、歓声が上がる。
妖夢は、ようやく多くの者に囲まれていることに気づいた。

すべてを出し切った脱力感。だが、それ以上の充実感。

妖夢は、今、小町への恩返しを果たすことが出来た。







「バカな! あんな小娘に……!」

秦広王は、ソファーの肘掛けを叩いた。

閻魔王は、胸のすく思いだった。妖夢の大健闘に、心の中で惜しみない拍手を送った。

「ちっ、まあいい。次だ。あれは、絶対に人間には倒せねぇ。せいぜい、浮かれてやがれ」

そう言うと、秦広王は酒の入った杯を一気にあおった。

「……」

閻魔王は、爽快感をすぐに断ち切る。
秦広王の言うとおりなのだ。秦広王配下の鬼神長は、TOPの二人がダントツで強い。ナンバー3はちょくちょく入れ替わる。

これからが、本当の戦い。
閻魔王は、勝利と、何より戦う者の無事を切に祈った。







「よっしゃーーーー!!」
「ようむ、やりましたーーーー!」

小町と文が席を立って諸手を挙げる。

「幽々子さん、妖夢がやったよ!」
「ええ、よくやったわ」

幽々子も満面の笑みを浮かべる。安堵ともいえる顔だった。

「よし、これで一勝目だ! あと二回勝てば、あたいらの勝ちだ!」
「幸先いいですね! この調子なら、絶対いけますよ!」
「おいおい、文! さっきの妖夢の勇姿、ちゃんと撮っただろうね!」
「もちろんです! 一面で載せますよ!」

小町と文は、興奮おさまらない様子だ。格上と思われた相手から金星を取ったのだから、嬉しいに決まっている。

「小町、まだ一勝だわ。次の咲夜にも期待してくれない?」

喜んでいる小町に、後ろの席から冷静な声がかかる。

「あっ、すいません、レミリア様。妖夢が凄く頑張ったんで」
「ふふ、いいわ。あの子は、あなたたちにとっては、妹も同然なのでしょう?」
「次の咲夜も絶対勝つよー! 咲夜強いんだからー!」

レミリアと同じ日傘に入っているフランドールが息巻く。
小町の隣にいたかったが、日傘を二つ使うには邪魔だったので、しょうがなく姉妹で一つの傘を使っているのだ。

「ええ、当然ですよ、フラン様。咲夜が負けるはずがありません」
「メイド長が負けるなんて、考えられないよ! きっと、ギッタンギッタンにするさー!」
「そうですね、精一杯応援しましょう。メイド長は必ず勝ちます」

フランのおつきのアンとメルも期待を寄せる。あの完璧な咲夜が負けるなどと、ここにいる全員が思っていなかった。

午後二時二十八分。
まもなく、第二試合が始まろうとしていた。







「妖夢さん!」

村紗が声をあげる。
妖夢が、医療班と思われる男性に連れられて、控え室に戻ってきた。

「……勝ちました。あとはお任せします」

そう言って、妖夢はにっこりと微笑んだ。

「あなたの健闘。確かに引き継ぎますわ」

椅子に座っていた咲夜が、すっくと立ち上がった。

「咲夜さん……」
「村紗さん、そんな顔をしないでください。あなたは、大将なのですから、どっしり構えるのがいいですわ」

すると、係の者が現れた。

「中堅の方、こちらへどうぞ」
「咲夜さん、ご武運を」

上着を脱がされ、さらし一つで肩の傷を治療されている妖夢が言った。
咲夜は笑みを浮かべ、

「お嬢様の命令は、確実にこなすのがメイドの勤めですわ」

と言って、咲夜は黒のコートを翻して控え室を後にした。







「さあさあさあ! 一戦目は、魂魄妖夢が番狂わせを演じた! この勢いで、此岸チームが連勝するのか! それとも、彼岸チームが食い止めるのか! 注目の第二戦! みんな、瞬きして見逃さないように頼むぜ!」

男のアナウンスとともに、再び活気づく客席。

「それでは、此岸チーム中堅! 紅魔館のメイド長! 完全で瀟洒な従者! 十六夜咲夜だー!」

西の入り口から、黒いコートを着た銀髪の女性が姿を現す。
その黒い服装は、銀の髪をもった死神のような出で立ち。メイド服姿の彼女しか知らない者には、別人のようだった。

「そして、彼岸チームの中堅! 怪力無双の鬼神長ナンバー2! 餓車骸羅(がしゃがいら)だー!」

観客が、息を飲んだ。
東の入り口から現れたのは、凄まじい巨漢だった。
優に二メートルを越え、三メートルに到達しようかという体躯。盛り上がった腕の筋肉。赤鬼のように赤い肌。
こんなやつに勝てるわけがない。会場の誰もがそう思った。

咲夜と骸羅は、競技場の中央に向かう。骸羅が歩く度に、地が揺れているような錯覚を感じる。
十分に歩み寄った両者は、子供と大人のようだった。咲夜は、女性としては背が高い方に入るのだが。

「ふん、こんな小娘の相手をせねばならんとは。つまらん」

骸羅は鼻息を漏らしながら、嘆息する。

「よろしくお願いしますわ」

だが、咲夜はそれを流し、余裕の笑みを見せた。

「貴様、舐めると死ぬぞ?」
「舐めてなどおりません。そんな汚くて下品なことはできませんわ」

骸羅が眉をつり上げる。

「申し訳ありませんが、紅魔館当主、レミリア・スカーレットの命により、あなたを殺さなければなりません。お覚悟をお願いしますわ」
「言うたな、小娘。その言葉、そっくり返してやろう」

微笑をたたえる咲夜と、怒りの表情をする骸羅。
水と油のように、対照的だった。

数秒睨みあった後、二人は同時に背を向けた。

「ああ、そうですわ」

が、その前に咲夜が何かを思い出したように言った。
骸羅も足を止め、振り向く。

「何か、リクエストはございますか?」
「なんだと?」

咲夜の言っている意味が、全く分からないという顔をする。

「申し訳ありませんが、いま手持ちの物では二種類しかお選びいただけません」
「なにを言っている?」

骸羅が不可解そうな顔をすると、咲夜は見る者を凍らせるような笑みを浮かべた。

「刺殺か斬殺。どちらかをお選びください。望むように殺して差し上げますわ」
「……」

ここで、ようやく骸羅は理解したようだった。怒りの色が色濃くなる。

「心配するな。どっちもいらん。貴様は、殴殺で死ぬのだからな」
「そうですか。失礼しましたわ」

そう言って、咲夜は背を向ける。おもしろくなさそうな顔をして、骸羅も歩みを進める。

一定距離を取ると、両者は同時に振り返った。

「それでは、第二戦! スタート!」

アナウンスとともに、大きな歓声が上がる。

「うおおおおぉぉぉぉ!!」

骸羅が雄叫びをあげた。あまりの音量に会場の空気が震えている。
こんな叫び声を浴びたら、常人なら足がすくんで動けなくなるだろう。

だが、咲夜は涼しい顔で手首と足首を回し、慣らしている。
そして、何も持っていない両手を左右に振ると、指の間に八本のナイフが収まっていた。

「そんなおもちゃで俺を倒そうというのか。舐められたものだ」
「心外ですわね。私の武器はこれなのです」

その瞬間、ただ突っ立っていたはずの咲夜が前方に駆けた。スタートの姿勢さえしていなかった。
一気に間合いが詰まると、咲夜は体を旋回させ、その遠心力と走る速度を上乗せして、右手の四本のナイフを放った。

「しゃらくさいわぁ!」

骸羅は右の剛腕を振るう。そして、高速で飛んでくるナイフを全てはたき落とした。

咲夜は、大きく跳躍し骸羅の頭上に到達する。
生き物にとって大きな弱点である頭の上は、防御するには困難だ。
咲夜は、そこから左手の四本のナイフを放つ。

だが、目を疑う動きを骸羅がした。
あの巨体では、俊敏な動きはできないと思うのが普通だ。
それにも関わらず、骸羅は驚くべき速さで体を移動、旋回させ、ナイフをかわした。
四本のナイフが、地面に突き刺さる。

跳躍した咲夜が地面に降り立った刹那、骸羅が地響きを轟かせて突進してきた。
大きく腕を振りかぶり、咲夜に向けて剛拳を放った。

大砲でも着弾したような音と共に、地面がクレーターのようにへこんだ。

骸羅は、地面に突き刺さった拳を引き抜く。手応えがないことを感じていた。
おもむろに振り向くと、そこには涼しい顔をした咲夜がいた。

「貴様、妙な術を使うな」

先ほどの拳は、骸羅は完全に捕らえたと思ったのだ。
しかし、いつの間にか、咲夜が後ろに移動した。避ける姿さえ見えなかった。
そう、瞬間移動でもしたかのように。

「お気づきになっただけでも素晴らしいですわ」

そう言って、咲夜は骸羅を迎え入れるように両手を広げた。そして、その手を軽く上に跳ね上げる。

すると、数十本のナイフが出現した。クルクルと回転しながら、咲夜の周りに浮いている。

「曲芸が、俺に通じると思うか」
「やってみなければ分かりませんわ」

咲夜は、大きく両手を振りかぶり、一気に振りおろした。
それを合図に、大量のナイフが骸羅に向かって飛んでいく。

避ける隙間などない。最初と同じように、素手でナイフを叩き落とさなければならない。
骸羅は構え、向かってくるナイフに相対した。

しかし、

「!」

一瞬だった。瞬きするよりも早い時間だった。いや、タイムラグなど存在しなかった。

前から飛んできたナイフが、左右、頭上、背後に移動した。そのまま、骸羅に向かってくる。

全包囲に囲んだナイフを受けきれず、白銀の刃が、骸羅の体に突き刺さっていった。

「むう……」
「どうですか? まだやりますか?」

咲夜が余裕そうに言う。
だが、

「ふっ、ふはははははっ!」

対して、骸羅は大笑する。

「これで、俺が倒せると思ったか」

骸羅は、両手を体の前で交差させ、力を溜める体勢を取った。

「ふんっ!」

そして、気合いを発すと、体に刺さっていたナイフが弾かれるように抜けた。
そこからは、血が一滴も出ていない。大量のナイフが金属音を響かせながら落ちた。

「……随分と皮が厚い方ですわね」
「龍の血を舐めるな。あんなちんけな刀では、俺に血は流せん」

骸羅は得意そうに語る。
龍。幻想郷の最高神。眉唾だが、咲夜はこれほど頑丈な敵は見たことがなかった。

「今度は俺の番だな」

骸羅は、背を反らして大きく息を吸い込んだ。

「かっ!!!」

そして、咲夜に向かって吐き出した。

「!」

大量の爆弾が一気に炸裂したような音と共に、観客のいる下の壁が大きな穴を空けた。
観客席は、結界が張られ、何かが飛んできても大丈夫なようになっている。
それでも、先ほどの骸羅の一撃が飛んできたら、どうなったか……。凄まじい威力だった。

「貴様は、時を操るようだな」

骸羅は、左横にいた壁により掛かるようにしている咲夜に言った。

「だが、俺の吐撃(とげき)を見てからでは、間に合うまい」

空気を圧縮して吐き出す息。尋常ではないスピードだった。
咲夜は無表情だった。左手のコートの袖がちぎれ飛んでいた。かわしきれなかったのだ。じくじくと痛む腕は、骨が折れているだろうと思われた。

あれを全身でまともに受けたら、死ぬ。いや、体の半分でも当たれば、確実に戦闘不能だ。
骸羅が吐撃とやらを吐く前に時を止めてかわしても、骸羅は消えた咲夜を捕捉してから攻撃してくるだろう。
そして、吐かれてしまったら、かわしきれない。時を止めてもだ。
さらに、咲夜のナイフは、簡単に骸羅の皮膚を貫通できない。接近して全力で刺そうとしても、そんなことを骸羅が許すはずがない。

八方塞がり。どうしようもない。

そのとき、咲夜の目は、客席に移った。
そして、優雅に一礼する。

(許すわ。使いなさい)

咲夜の頭の中に、直接声が流れ込んできた。

「戦いの最中によそ見するとは、見上げた愚かさだな」

もはや勝ちを確信している骸羅は、咲夜を嘲る。
咲夜が目を離した隙に攻撃しなかったのは、余裕の表れだろう。

「これで、茶番は終わりだ」

骸羅が吐撃のために、大きく息を吸い込む。

その瞬間、咲夜は、なんと、骸羅に向かって突っ込んだ。

誰が見ても自殺行為だった。あの吐撃のスピードをかわせるわけがない。
骸羅は、勝ちを確信しただろう。反らした胸を、一気に戻して吐撃を放った。

刹那、咲夜は身をかがめて右に避けた。これ以上はないという奇跡のタイミングだった。
しかし、吐撃は足を捕まえた。左足のズボンが弾けとび、足が露出する。
折れた鈍い音を、咲夜は聞いた。しかし、そんなことには構わない。衝撃で吹き飛ばされながらも、体を回転させて体勢を整える。

着地後、咲夜は骸羅の至近距離まで到達した。

「なめるな!」

骸羅は近くに来た咲夜めがけて、大木のような右腕を振りおろした。

ぞん、という、何かが切れる音がした。
咲夜と骸羅は交錯し、互い背を向けあっていた。

どすん、という音と共に地に落ちたのは。

骸羅の右手首だった。

「な、に?」

信じられない様子で、自分の右手を見る骸羅。だが、どう見ても、自分の手首から先がなくなっていた。血が、どんどんと流れ落ちている。

「そのくらい、妖怪ならばすぐに治るでしょう」

骸羅は、背後からかかった声に振り向いた。

そこには、

血の付着した、十字架を思わせる両刃の剣を持った咲夜がいた。







「お嬢様」

ソファーに座り、カップに口を付けていたレミリアに、咲夜は言った。
先ほど、小町と村紗が帰り、フランドールたちが見送りに行った直後だった。

「なにかしら?」
「僭越ながら、お願いがございます」

これまで、咲夜が申し出るなど滅多にないことだった。
レミリアはカップをテーブルに置き、咲夜の顔を見た。

「言ってごらんなさい」

レミリアの許可を得て、咲夜は口を開いた。

「決闘裁判の場にて、『銀十字』の使用許可をお願いします」

レミリアは、小さく溜め息をつき、ソファーに寄りかかった。

「お嬢様の見立てでは、私が決闘裁判に勝つ確率は五十パーセント。それでは、あまりにも低い」

レミリアは何も言わない。咲夜の言うことは正しいからだ。

「……それで、銀十字を使いたいのね?」
「はい。ナイフだけでは少々荷が重いと存じます」

銀十字。それは、紅魔館に仕えるメイド長が、代々受け継いできた剣である。

吸血鬼である紅魔館当主は、人間の血を吸って生きている。だが、ごく稀に、数万分の一という確率で、『毒の血』を持った人間がいるのだ。

それを吸ってしまうと、吸血鬼の力が暴走する。辺り構わず破壊し、殺しつくし、暴虐の限りを尽くす。かつて、毒の血を吸って、領民を皆殺しにした吸血鬼がいたのだ。

それを防ぐための武器。暴走をいち早く止めるため、吸血鬼を殺してしまう武器。
それが、銀十字である。

吸血鬼を倒そうとした四人の強力な魔法士と鍛冶屋が、命を削って作った武器。
これを手にした勇敢な若者が、見事、悪虐な吸血鬼を成敗した。

そして、その剣は代々受け継がれ、聖剣と崇められた。

しかし、ある日突然、この聖剣は消えてしまう。
厳重に管理されていたにも関わらずである。

彼らは、もう聖剣という伝説の武器が、幻想となってしまっていることを知らなかったのだ。

「銀十字は、人間にはただの剣ですが、仇なす化け物には効果は絶大。それがあれば、負けることはありません。今回の戦いは、絶対に勝たなければならないのですから」

乱心した主人を殺すための武器。
レミリアは、それ以外の用途に銀十字を使っていいものか、考えた。
だが、レミリアの未来視は、咲夜が倒れる運命も視ていた。それは、紅魔館の存亡に関わってしまう。

「……いいでしょう」

背に腹は代えられない。戦いには、勝たなければならないのだから。

「銀十字の使用を認めます」
「ありがとうございます」

咲夜は、深々と一礼した。

「ただし、条件が二つ」

レミリアが、人差し指を立てて言った。

「戦いには、必ず勝ちなさい。そして、生き残りなさい」

レミリアの言葉に、咲夜は頷く。
主人の命令は、絶対。ゆえに、逆らうなどという選択肢はない。

それが、紅魔館のメイド長の勤めだった。







「きっ、貴様……俺の腕を……!」

赤い肌が、さらに赤くなる。
自分の右腕を切り飛ばされたのだ。激高と激痛で赤くなっているのだ。

「降参することをおすすめしますわ」

咲夜は、最後通告のように言った。

「ほざけ! 貴様も左手足が死んでいるではないか! 勝負はこれからよ!」

そう猛って、骸羅はまたもや吐撃のために、背を反って空気を吸い始めた。

しかし、

「な……に……!?」

突然、骸羅の動きが極端に遅くなった。肺に息が溜まる量が余りにも少ない。
まるで、骸羅の周りだけ時間が遅くなっているような。

咲夜は、左足を引きずりながら、骸羅に近付いていく。

「ストップウォッチをご存じですか?」

そして、わずか一メートルの距離で咲夜は言った。

「ボタンを押すことで時計を回し、もう一度ボタンを押すことで時計が止まる。時を計測するのに使います」

骸羅は、背を反ったまま、咲夜の言葉を聞くだけだ。

「先ほどすれ違ったとき、あなたにストップウォッチを仕掛けました。一定の時間が経つと時が止まるように。私の能力の応用です」

そう言って咲夜は、腰の横に銀十字を構える。
そして、一気に薙払った。
骸羅の巨体を支えていた足が、二つとも切り飛ばされる。そこで、咲夜のストップウォッチが動き出した。

ズン、と地響きを立てて骸羅は背後に倒れ込む。
咲夜は右足で跳躍し、骸羅の鎖骨のあたりに飛び乗った。

「次は、首を切ります。十秒時間を差し上げます。降参してください」
「ぬ、ぬううううううぅぅぅぅ!」

銀十字を首に突きつける咲夜。ギリギリと歯噛みする骸羅。

勝負は決した。
咲夜が剣を振りおろす直前で、骸羅は白旗を揚げたのだった。







「くっ! なぜだ! なぜあんな小娘に勝てん!」

秦広王は、持っていた杯を正面のガラスに投げつけた。
パリン、という実に軽い音と共に、杯は粉々になった。

「ふがいない! それでも、俺の配下なのか!」

イライラは極致に達しているようだった。それはそうだ。最初の美麗の時点で決着すると思いこんでいたのだから。

「配下が悪いのではありません」

すると、ソファー一つ挟んで座っている閻魔王が言った。

「なんだと!?」
「単純なことです」

閻魔王は、秦広王の目を射抜いて言った。

「あなたの配下より、あの二人の方が強かった。ただ、それだけのことです」
「……ちっ!」

面白くなさそうに、秦広王はソファーが壊れるのではないかという勢いで座る。

「何をしている! 早く杯を持ってこい! 酒が飲めんではないか!」

実に身勝手な注文をする。後ろに控えていた従者が、頭を下げて新しい杯を取りに行った。

(……素晴らしいです)

閻魔王は、感嘆の表情を浮かべる。
秦広王の餓車骸羅といえば、龍の血を受け継いでいるという家柄の出で、全鬼神長の中では、最高クラスの強さに属す。それを打ち破った。

閻魔王の中に、勝てるかどうか不安がなかったとは言えない。だが、先ほどの咲夜の戦いを見た後なら、期待の方が大きくなる。

あと一回。あと一回勝てば、今後一切、こんな馬鹿な戦いをやめさせられる。

(村紗さん……勝ってください……)

閻魔王の祈りは届くのか。
それは、閻魔王でさえも与り知らぬことだった。







「よっしゃーーーー!!」
「やったーーーー!!」

咲夜の応援席では、お祭り状態だった。

「お姉様! 咲夜勝ったよー!」
「……ええ、まあ当然よ」

そんな冷静なことを言いながら、レミリアは笑みをこらえることができないようだ。

「でも、怪我の具合が気になりますね……」
「うん……たぶん、骨が折れてるね」

メルとアンが心配そうに言う。
しかし、控え室には関係者以外立ち入り禁止だった。

「大丈夫だよ。きっちり、医療班がいるからね。適切に対処してくれるはずさ」
「歩ければ、パチェが何とかしてくれるわ。そうね……メアリー、事情を話して咲夜をすぐに紅魔館に送りなさい。もちろん、応急処置が終わった上でね。それで、パチェの治療を受けさせなさい」
「あ、はい! 分かりました!」

メルは立ち上がって、早足で控え室に向かった。

「よっしゃ! これで、村紗ちゃんが勝てば、あたいたちの勝ちだ!」
「ムラサは強いよー! 大型船をいくつも沈めてたからねー!」

ぬえが興奮した声色で言う。紅魔館のみんなの後ろの席に、命蓮寺のみんながいた。

「ムラサは、きっと勝ちます。想いの強さは誰にも負けません」
「単純な戦闘力なら、ムラサはご主人に迫る。心配いらない」
「ああ、ナズーリンの言うとおりだ。きっと、ムラサは勝つ」
「頑張って……ムラサ……」

期待と心配。両方が混在した感情を、全員が抱いていた。
だが、村紗の勝利を誰もが信じている。希望という名の信念だ。

午後二時五十五分。
あと、五分で決着の幕が上がる。







「咲夜さん!」

村紗は思わず立ち上がった。
左腕と左足にぐるぐると包帯を巻かれ、松葉杖を突いて咲夜が現れたからだ。

「そんなに心配なさらなくても大丈夫ですわ」

いつもの微笑。凄まじい死闘を演じたにも関わらず、咲夜は疲れも見せずに普段通りだった。

「村紗さん。あなたの出番は確保しましたわ。存分に力を振るってください」
「……はい。絶対に勝ちます」

これだけの怪我をさせ、「負けました」では済まされない。村紗の心に、闘志が燃え上がっていた。

「村紗さん、私は観客席で応援します。ご武運を」

応急処置の終わった妖夢が言う。村紗を一人にさせないように、ずっと話し相手になっていたのだ。

「……はい。頑張ります」
「私は、お嬢様の命で帰らなければなりません。よい結果をお待ちしていますわ」
「はい。期待していてください」

三人の同志は笑いあう。勝利という名の希望を信じて。

「大将の方、準備をお願いします」

係の者が現れ、村紗を呼んだ。

「行ってきます!」

村紗は、かぶっていた帽子をしっかりと直し、颯爽と控え室を後にした。







「さあさあ、ここまで此岸チームがやると思ったやつがいるだろうか!? 美麗と骸羅を倒し、ついに最終戦までもつれ込んだ! 大将同士の対決、これは目が離せない! みんな、用意はいいか!?」

煽るアナウンスに、会場のボルテージも上がる。
下馬評では美麗の時点で終わってしまうと思われていた。
それが、二人の鬼神長を倒してしまった人間たち。まさか、このまま勝ってしまうのではないかと、観客は漠然と思っていた。

「さあ、時は来た! 最終戦をおっぱじめるぜ!」

歓声が大きくなる。早く戦いが見たい。観客の誰もがそう感じていただろう。

「まずは、此岸チーム! 大型船・聖輦船のキャプテン! そして、船頭死神の期待のルーキー! 村紗水蜜だー!」

村紗が会場に現れたとたん、怒号のような歓声が起こる。
それを一身に浴びた村紗は、一瞬足を止めてしまう。
しかし、一瞬だった。自分が、何のためにここにいるのか。何を成さなければならないのか。
その想いが、村紗の足を進めさせる。自分の肩に、ゆいの運命がかかっているのだ。

むらさちゃーん! がんばれー!

ふと、左の方から、そんなかすかな声が聞こえた。
村紗は、そちらを振り向く。

小町、文、妖夢、幽々子。
紅魔館の面々。命蓮寺のみんな。
そして、研修二日目の歓迎会で一緒に杯を酌み交わした者たち。『村紗必勝』と書かれた大きな横断幕と旗を振っている。

村紗は、一人で戦うのではないのだ。みんなが、一緒に戦ってくれる。
勇気が、どんどんと膨れ上がっていく。自分の力の限界まで、村紗は戦おうと誓った。

「そして、彼岸チーム! 鬼神長の文句なしのナンバー1! まさに鬼神! 如月十兵衛(きさらぎじゅうべえ)だー!」

東の入り口から姿を現したのは、精悍な男だった。
長い黒髪を後ろに束ね、鳶色の装束を着た侍風の男。
引き締まった体躯は、たゆまない努力を重ねて作られたものだろう。素人目にも、『強い』と思わせられた。
しかし、得物は腰にはいていない。二振りの刀がとても似合いそうな男なのだが。

村紗と十兵衛は、互いに歩み寄っていく。
闘場の中心で、二人は顔を合わせた。

「お初にお目にかかる。如月十兵衛と申す」

先に口を開いたのは、十兵衛だった。先の二人と桁違いの丁寧な挨拶だった。

「……村紗水蜜です。よろしくお願いします」

礼儀には礼儀を。村紗も挨拶を返す。

「貴公は、俺を満足させるに足る者か。本日は、しかと見届けたい。思う存分、刃を交えようぞ」
「……最初から、そのつもりです。そして、私は必ず勝ちます」

村紗がそう言うと、十兵衛は小さく笑みを浮かべた。

そして、二人は背を向ける。十分距離をとったところで、同時に振り返った。

「最終戦! 始めーー!!」

アナウンスとともに、豪雷のような歓声が上がる。
ついに、最後の戦いの火蓋がきって落とされた。

村紗が、天に右手を挙げる。
すると、中空に何かが現れ、高速で落ちてきた。あまりにも大きく、黒々としていて、重厚感のある物体。それが、村紗の正面の大地に突き刺さった。

錨(いかり)。船を、海や川に流されないようにする重り。村紗の身長ほどの大きさがあった。

それを村紗は握りしめ、地面から引き抜いた。
そして、二回、体の周りを旋回させた後、肩に担いだ。
あまりにも現実離れした光景。だが、船幽霊だった村紗にとっては、錨という武器は、自分の一部だった。

「なかなか壮観な光景だ」

だが、そんな線の細い村紗の驚きの剛力にも、十兵衛は笑みを崩さない。余裕すら感じられた。

「来い。存分に楽しもうではないか」

十兵衛は無手のまま、ただ突っ立っているだけだ。
隙がありすぎた。それが、村紗の警戒心を煽る。

と、そのとき、村紗の体が、ふっ、と消えた。

十兵衛は、何が起きたのか、即座に理解したようだ。
実に自然に、体を後退させた。

十兵衛がいた位置に、錨が落ちてきた。地に突き刺り、轟音が響く。

「移動の技か。便利なものだ」

落ちてきた錨に乗っていた村紗は歯噛みする。あれほど簡単によけられるとは思わなかった。
村紗は、十メートル程度の近距離なら、自在に瞬間移動できる。船幽霊になってから身についた技だった。

これを使えば、開幕と同時に相手の不意をつき、勝てる。千年前に白蓮を封印しようとした者たちを、何度もこれで仕留めてきた。

ここで、村紗は十兵衛の強さを実感した。さっきのがかわされるなら、生半可な攻撃ではすべて避けられる。

村紗は刺さっていた錨を引き抜き、再び瞬間移動した。

間合い内にいきなり現れた村紗に、十兵衛は動じない。
むしろ、予想していた感があった。

村紗は、かまわず錨を振るう。まるで木の枝を振り回しているように軽々と。頭に一撃でも貰えば、命に関わるような重さがあるのだ。

唐竹、右薙、袈裟、逆袈裟。
切り上げ、左薙、右切り上げ、左切り上げ。

思いつく限りの攻撃を加える。
だが、十兵衛には当たらない。常人ならば、最初の唐竹で頭をかち割られている。

「どうした? その程度か?」

やや不満そうな顔を十兵衛はした。嘲るような表情ではない。単純に、期待はずれ、という顔だった。

「貴公の思いつく限りのすべての技を尽くせ。でないと、俺は倒せんぞ」

攻撃を止め、いったん間合いを置く。
あれだけの激しい攻撃にも関わらず、村紗は少し息が切れているだけだ。
そして、村紗は一つの攻撃法を思いつく。だが、それは、自らが禁じていることだった。

「……」

しかし、この男には、それを使わないと勝てない気がする。卑怯と言われようとも、十兵衛は先ほど、すべての技を尽くせ、と言った。どんなことをされても構わない、ということだ。

村紗は決断する。
錨を中段に構え、腰を落とす。
そして、地を蹴って一気に突っ込んだ。

あまりにも直線的な攻撃である。振り回しても当たらなかった十兵衛に通用するはずがない。

しかし、それは『正面』ならの話だ。

十兵衛の間合いの数センチ前で、村紗は姿を消した。
姿を現したのは、十兵衛の真後ろだった。

村紗は、背中を傷つけることを禁じていた。逃げる者は追わず、不意をつこうとも絶対に体の正面を狙う。
争いは、不可避なことがある。それならば、正々堂々と。それが、敬愛する白蓮の教え。

だが、それを破ろうとも、村紗には勝たなければならない理由がある。たとえ、白蓮に叱責されようとも、自らが犠牲になるなら構わない。

ゆい、という小さな命を救えるのなら、安い代償だった。

十兵衛は、村紗が背後に移動したことに気づいていないようだった。
村紗は躊躇いなく、錨を背中に叩き込もうとする。
やがて、間合いの中に入った。

瞬間、

「な……」

村紗は絶句した。
あまりにも予想外だったから。

十兵衛は、村紗の後ろからの攻撃に気づき、『振り返って右の手のひらで錨を止めた』。

錨の重さは、ハンパない。五十キロを軽く超える。
それが尋常でないスピードで突っ込んだら、吹っ飛ばされるか轢かれる。

だが、現実に、十兵衛は、錨を片手だけで止めていた。

「……この程度か?」

十兵衛の低い声に、村紗はギクリとし、慌てて間合いを離す。

「ならば、ここまでだ」

十兵衛は背中に手を回し、何かを取り出した。
刀の柄のようだった。赤色の刃のついていない柄。

「解け」

十兵衛がそう言った瞬間、柄の両端から刃が伸びた。
一つの刃は、軽く五メートルはある。併せて十メートル以上。
剣と呼ぶより、槍と言った方がいい。

「貴公の命、神剣『追憶』にて奪う」

そう宣告し、十兵衛は追憶を軽々と振り回す。そして、正眼の構えを取った。

「……」

あれだけの大きな剣に捕らえられたら。
おそらく、防御してもしきれない。
脇差しで大太刀に挑むようなものだ。

なんとかしなければ。
村紗は、服の袖をまくった。

その二の腕には、三本のこよりが巻かれていた。







「話とは何ですか、ムラサ?」

外で蝉が鳴いている正午過ぎ。
村紗と白蓮は、命蓮寺の一室で向かい合っていた。

「……お願いがあります」

村紗は、真剣な顔つきで言った。

「お願い?」

白蓮は、おそらく悟っていたであろう。村紗が願い出るなら、一週間後に行われる決闘裁判のことであるのは簡単に推測が立つ。

「話してみなさい。私にできることでしたら、何でもします」
「ありがとうございます」

村紗は、丁寧に一礼して、そして言った。

「身体強化の術を、私に教えてください」

その言葉を聞いて、白蓮は軽く息をついた。

「聖のもっとも得意とする術です。自分にかけることができるなら、他者にもかけられると思います。お願いします、教えてください」

村紗は、もう一度頭を下げた。

「……頭を上げなさい、ムラサ」

静かに、それでいて強制力のある声で白蓮は言った。
ムラサは、顔を上げる。

「身体強化の術、というものがどんなものか、理解できていますか?」

逆に白蓮は聞いた。

「……身体能力、動態視力、思考。ありとあらゆる体の機能を飛躍的に増幅する術であると聞きました」
「そう。しかし、それを簡単に得られると思いますか?」

……そこまでは、ムラサは分からなかった。

「つまり、何か危険な代償があると?」
「そうです。体の機能を上げるのなら、相応の修行が必要になる。機能を上げるのに耐えられる修行を積まなければなりません」

白蓮の言いたいことが、何となくだが分かった。

「私が修行で耐えられるようになったのは、四倍です。それを千年という長い修行で、ようやく得られた。それ以上は、体が負荷で耐えられなくなります」

……もしかしたら、命を落とすことになるかもしれない、ということだ。

「私は、どのくらいまで耐えられますか?」
「話を聞いていましたか、ムラサ?」

非常に珍しい白蓮の怒り顔だった。

「もちろんです」
「ならば、身体強化の術が危険なものであるか分かりましたね?」
「はい、もちろんです」
「……ならば、」
「しかし」

白蓮が話を打ち切ろうとすると、ムラサは言葉を挟んだ。

「しかし、私はそれでも構わない」
「……ムラサ」
「私は、自分の浅はかさで、ゆいちゃんを殺してしまった。いえ、ゆいちゃんだけじゃない。私が沈めてきた船のすべての人間の命を軽々しく奪った。それは、絶対に許されない」

村紗は、しっかりと白蓮の目を見て言った。

「だから、この戦いには、命を懸ける必要がある。体がぼろぼろになって動かなくなっても、ゆいちゃんが希望あふれる新しい人生を送れるようになるなら、構わない。中途半端な気持ちで、私はお願いしていません」

そして、村紗は、再度頭を下げた。

「どうか、お願いします。聖の力を、貸してください」

白蓮は、村紗のひたむきな心を痛感した。

蝉と風鈴の音が、遠くで聞こえていた。







村紗の二の腕に巻かれた、三本のこより。
そのうちの一本を、村紗は乱暴に引きちぎった。

瞬間、
村紗の体から、赤い蒸気が噴き出した。
もや、といってもいいくらい微量だが、体から立ち上がっていた。

村紗の目には、こよりを引きちぎるまでに見えていなかった、すべてが見えた。聞けなかった、すべての音が聞こえた。嗅げなかった、すべてのにおいが嗅げた。
そして、なにより、体の奥底に潜んでいた力が、体中にみなぎっていた。

「ほう」

十兵衛が感心したような顔をする。

「まだ、そんな奥の手を残していたではないか。結構」

正眼に構えていた追憶を、十兵衛は八相に構える。

「征くぞ」

その瞬間、十兵衛の体が残像を引いて、村紗に突っ込んできた。
その姿が、村紗には見える。おそらく、こよりを切る前だったら、見えなかった。

十兵衛は、自分の間合いに入った刹那、追憶を袈裟に振りおろしてきた。
圧倒的な速度だった。あれほどの長大な剣であるのに。

村紗は、錨で受けるよりも回避を選んだ。右に飛びのく。
ズン、という重い音と共に、追憶が大地を叩く。砂塵が勢いよく舞い上がった。

空中にいた村紗は、素早く体を一回転させる。
その遠心力と向上した筋力を乗せ、思いきり錨を投げた。

常人では視認できない速度で、錨が十兵衛に飛んでいく。
だが、十兵衛は、追憶の後ろの刃でそれを弾き返す。

着地と共に、村紗は新しい錨を呼ぶ。
十兵衛が再び突っ込んでくる。
横薙を村紗は跳躍してかわし、錨を十兵衛の頭に振りおろす。それを、十兵衛は受け止める。

間合いが遠ければ、十兵衛の有利。近ければ、村紗の有利。
壮絶な間合いの奪い合いが始まった。
十兵衛は、絶妙な太刀筋で村紗を近距離に近寄らせないようにする。しかし、村紗はそれをかいくぐって錨の攻撃を加える。
凄まじい攻撃と防御の応酬。観客は、息をするのも忘れて、それに見入っていた。

一時間に感じる数分感。
ようやく、両者の間合いが大きく離れ、剣戟が終わった。

「はあ……はあ……」

村紗は、わずかに肩で息をする。しかし、真剣な顔つきをしながらも、十兵衛は涼しい顔をしていた。

「見事だ」

一言、十兵衛はそう言った。

「追憶の剣についてこられる者が、また一人現れた。俺は嬉しいぞ」

わずかに口の端をつり上げる。

「それならば、俺も応えねばなるまい」

そう言って、十兵衛は追憶を地面に平行にするようにして、体の前で構えた。

すると、

バキン、という音がして、追憶が二つに分かれた。

「二刀にするのは、実に久しい」

十兵衛は、二刀の追憶を構えた。

「来い。本気でな」

村紗は、構えを見ただけで気づいた。
あれが、本当の十兵衛の戦闘体勢なのだ。あまりにも構え方が自然だった。

今のままでは、負ける。もっと力を。もっと速さを。

村紗は、躊躇いなく、二本目のこよりを引きちぎった。

通常能力の三倍。それは、恐ろしい世界だった。
空気の流れが分かる。自分の心臓の鼓動が分かる。筋肉の収縮の音が聞こえる。
今まで気づかなかった、感じなかった世界。嫌でも恐怖を覚えてしまう。

だが、そんな些細なことを気にしていられる余裕はない。
村紗は、天に左手を挙げ、もう一本錨を呼ぶ。それを両手に持った。錨の二刀流だった。

二人は、お互いに隙をうかがう。瞬きもせずに相手を凝視する。

そして、同時に突っ込んだ。

あまりのスピードに、観客はなにが起こっているのか分からない。剣戟の音と、踏みならす土の音、砂塵、そして時折響く爆音。
もはや、見物などという生やさしいレベルを超えた戦いだった。

村紗は、懸命に錨を振るう。一撃。一撃でも入れられれば、勝てる。だが、貰えば負ける。
想像を絶する緊張感。それ以上の使命感。
村紗をつき動かしているのは、その二つの感情だった。

両者は袈裟と逆袈裟、同時に獲物を振るう。そして、つばぜり合いの形になる。
ここで、ようやく観客には二人の姿が見えた。

一分以上押し合いをしていた両者は、同時に間合いを離す。

「はあ、はあ、はあ……」
「ふう〜〜〜〜……」

息を切らす村紗に、大きく息を吐く十兵衛。さすがに、この剣戟では、十兵衛も多少疲労したようだ。

「見事だ。ここまでやるとは」

感嘆の声を、十兵衛は漏らす。

「その細い体で、俺と互角にやりあうとは。侮っていたようだ。謝罪する」

それは、鬼神長のナンバー1が村紗を認めた証だった。

「では、本気でやらせてもらう」

そして、驚くべきことを言った。

(本気じゃ、なかった……?)

息を切らせながら、村紗は驚愕の感情を抑えられなかった。
あれだけの動きをしながら、まだ本気でなかったなどと。

そして、筋肉のきしむ音が、自分の体からする。三倍は、もう限界なのだ。本当なら、二倍でも危なかったのだ。

「征くぞ」

十兵衛は、追憶二刀を、なんと逆手で持った。
そして、力を溜める体勢を取る。

「奥義・雪風。止めて見せよ」

瞬間、十兵衛の体が、消えた。
三倍状態の村紗にも見えなかった。

そして、剣閃が閃く。本能的に、村紗は錨を持ち上げて体を守った。

しかし、

錨は切断され、

刃が村紗の体を襲った。

十兵衛は、村紗の背後で砂塵をあげて現れた。
その直後、

村紗の体から、大量の血しぶきがあがった。
そして、左手首が落ちた。

「うっ……あっ……」

村紗の意志を、強烈な痛みと虚脱感が襲う。
それは、村紗が望んでもいないのに体を前へ倒してしまう。

血溜まりの中に、村紗は倒れ込んだ。

会場が、シンと静まる。
そして、彼岸チームの応援席から歓声が上がった。

「これは決まったー! 最終戦の勝者は! 彼岸チームの如月じゅうべ」
「まだだ!!!」

勝利のアナウンスが流れようとしたとき、十兵衛の大喝が遮った。マイクにも歓声にも負けない大声だった。

「まだ、決まっていない」

村紗に背を向けていた十兵衛は、おもむろに振り返った。

人の目が、血の池に向く。
そこには、

「うっ、ぐぅっ……!」

懸命に這いあがろうとしてる村紗がいた。
全身を斬り刻まれようと、腕が飛ばされようとも。
執念だけで、村紗は立ち上がろうとしていた。

そして、膝立ちになるまで体を起こすと、村紗は、右腕の最後のこよりを歯で噛みきった。

ドクン、と心臓が跳ね、立ち上がる力が急激に膨れ上がる。村紗は、震える足をねじ伏せながら、池の上に立ち上がった。

十兵衛は鋭い目で村紗を見る。
奥義で倒せなかった悔しさと、村紗の気迫に感嘆していた。

「よくぞ、立った」

十兵衛は、一言そう言った。

「わたしは……わたしは……げほっ、げほっ、……まけない……まけるわけには……いかない……ごふっ、……ゆいちゃんを……ぜったいに……しあわせに……がふっ、……もう……いちど……」

血を吐き、頭から足まで真っ赤に染まりながら、村紗は自分の想いを紡ぐ。
そして、新しい錨を呼び出した。

「好し」

十兵衛が、二刀を逆手に構える。
また、雪風の体勢だった。

「安らかに眠れ!」

そして、恐ろしい速度で突っ込む。
ただ立っているだけの村紗には、絶望的な攻撃だった。

だが、

「ぅああああああああぁぁぁぁぁっ!!」

村紗が耳をつんざく声を上げ、一瞬で錨を振り上げる。
大砲が炸裂したような凄まじい音が轟く。
宙に舞っていたのは、
十兵衛だった。

「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

そして、村紗は天に手をかざす。
すると、空にいる十兵衛を円形に囲むように、二十四の錨が牙を向けていた。

「うあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

村紗は、右手と、手首がちぎれた左手を振り回す。
それに呼応して、十兵衛を囲っている錨が凄まじい速度で攻撃を開始した。それは攻撃を終えると消え、また新しい錨が現れて攻撃する。

襲って、襲って、襲って、襲って。
叩き、突進し、吹き飛ばし、弾き飛ばす。
十兵衛の体に、恐ろしいほどの錨の大群が突っ込んでいく。

二百の錨が十兵衛に叩き込まれたとき。
村紗は、血の池から姿を消した。
現れたのは、十兵衛よりも上の空。
そして、呼び出す。

三十メートルの巨大な錨を。

「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

それに乗った村紗が、絶叫して十兵衛に突撃する。
十兵衛の体に、錨が噛みつく。
そのまま、地表に落ちてくる。
三十メートルの錨が唸りを上げる。

そして、地面に激突した。

大きな穴が空く。
村紗は、倒れるように錨から降りる。
それと同時に、巨大な錨が姿を消す。
村紗が、形成できなくなったのだ。

その錨が作った穴の底に、十兵衛が大の字で倒れていた。

「……見、事」

そう言って、十兵衛は瞳を閉じた。
震える足で立ちながら、村紗は確かにその声を聞いた。

「しょっ、勝者! 此岸チーム、村紗水蜜ーーー!!!」

アナウンスの後に歓声が轟く。
その声が、だんだんと村紗には遠くなっていく。

そして、暗い意識の中に、村紗はゆっくりと沈んでいった。







「ムラサ!!」

一輪が悲鳴に似た声を上げる。
勝者の宣言がされた後、ムラサは糸が切れたように倒れた。

「は、はやく! 医者に!」

勝利の味を感じる暇などない。早く、治療しなければ、村紗が死んでしまう。
その時、一輪の隣にいた白蓮が立ち上がり、自分の席から跳躍した。

「はあっ!!」

そして、競技場に張られている結界に、右足で蹴りを入れる。カラスが割れるような音がして、結界は脆くも崩れた。

白蓮は、空いた穴から競技場に入る。
一直線に村紗に駆け寄った。

「ムラサ! しっかりしなさい! ムラサ!」

血で自分の服が汚れようとも、構わずに白蓮は村紗の耳元で叫ぶ。下手に動かしたら傷が大きくなってしまう。

すぐに、白蓮は治癒の魔法を唱え始めた。そこで、村紗の関係者が全員走りよってきた。

「聖! ムラサは!? ムラサは!?」

一輪が泣きそうな声で叫ぶ。
白蓮が魔法を唱え終わると、両手が金色に輝く。
それをムラサの傷に押し当てる。少しずつ傷がふさがっていった。

「くっ、これでは……」

白蓮が険しい表情をする。

「白蓮さん! 村紗ちゃんは助かるのかい!?」

小町が白蓮に切迫した声で問う。

「……傷が深すぎる。血も足りない。このままでは、時間がない」

目立った傷は小さくなるが、完全にふさがるわけではないようだった。

「ひ、聖! どうしたらいいんですか!?」

一輪が叫ぶ。それに、白蓮は応えられない。それが、どういうことなのか、雄弁に語っていた。

「そ、そんな……ムラサ……」

一輪が、その場にヘたりと座り込む。
どうしようもないのだ。
白蓮でさえ、どうしようもない。
もう、このままムラサの命が消えゆくのを見ているしかないのだ。

「あっ!!」

その時、小町が声を上げた。

「そうだ! 永琳さんがいる! あの人なら、絶対に治してくれる!」
「そ、そうです! 未知の病気も治してしまえる人です! 絶対に助けてくれます!」

かつて永琳に命を救われた妖夢が続く。

「じゃあ、連れていくのは、私の役目ですね」

文が真剣な面もちで言う。

「白蓮さん。後、どのくらいの時間がありますか?」
「……五分、というところかしら」

そんなに少ないのか、と全員が驚愕した。
しかし、文は違う。

「三分で連れていきます」

そう言って、文は血だらけのムラサを背に担いだ。

「みなさんは、出来るだけ早く永遠亭に来てください。小町さんは、道案内を頼みます」
「分かった!」

小町が了承すると、文は一瞬で姿を消した。







永遠亭の手術室。
滅多に使われることはないが、永琳が手術が必要な者を連れてきてメスを入れる部屋である。

その部屋の入り口の前に、実に十二人もの者たちが座り込んでいた。
もう夜中の十一時である。決闘裁判が終わって、五時間以上が経過していた。

皆が、うつむいて待っている。よい知らせか、悪い知らせか。どちらを待っているのかは分からないが。

その時、手術室のドアが開いた。
弾かれるように、全員がそっちを見た。

「れ、鈴仙さん! ムラサは!?」

すぐに聞いたのは一輪だった。
永琳の弟子、鈴仙・優曇華院・イナバは、難しい顔で言った。

「……深刻ね」

その一言は、悪い知らせであることを端的に伝えるものだった。

「六ヶ所に大きな傷があって、縫った回数は百以上。頭部が裂傷して、骨まで達している。幸い、脳までは届いていなかったけどね。でも、体に受けた傷の中に、肺、胃、腸に達しているところがある。普通なら、もう死んでてもおかしくないわ」

顔が真っ青になる一輪。

「……でも、一番ひどかったのは、筋肉ね」

鈴仙がため息混じり言う。

「あれだけ筋繊維がボロボロになっているのは、初めてみたわよ。どれだけ体を酷使したの? 見るのが辛いくらいだったわ」

鈴仙の言葉に、白蓮が唇を噛む。

「とにかく、今は師匠が頑張ってる。でも……最悪の事態は覚悟しておいて」

一輪が、崩れ落ちた。
誰も、それを起こすことが出来ない。誰にも出来ない。

もう、天に任せるしかないのだ。














































〜 三日後 〜



一輪は、氷水に入れた手ぬぐいをしっかりと絞る。
そして、ムラサの顔を丁寧に拭いていった。
この冷たさで、びっくりして起きないだろうか。
そんな淡い期待を抱くが、起こるはずがないことはよく分かっていた。

あれから、三日が経った。
永琳の手術は、翌朝まで続いた。
一応の成功は見たらしい。後は、村紗の生命力だけ。
それがあれば、自然に目は覚めるだろう。永琳はそう言った。

永遠亭の八畳間の座敷。障子を開けると、涼やかな風が通り抜ける。
そこに、村紗は薄い布団を掛けられ、眠っていた。

三日間、ずっと眠り続けている。どうなるのか、永琳にも見当がつかないらしい。

一輪は、命蓮寺と永遠亭の者たちに頼んで、村紗の世話をさせてもらうことにした。
いろいろと一輪は命蓮寺の皆の世話をしているので、きちんと暮らしているか気がかりだった。

でも、村紗を置いて、命蓮寺に帰ることは出来なかった。
自分が世話をするのは『村紗も含めた命蓮寺』である。
だから、村紗がいなければならない。
それが、絶対なのだ。

「まったく……早く起きなさいよね」

寝ぼすけなんだから。そう言って、一輪は微笑した。
妹のように思っていた村紗。
こうやってじっと顔を見ていると、いろいろな思い出が浮かんでくる。

最初に会った頃は、警戒心がむき出しだった。
スイカとかリンゴとかを持っていっても何も言わなかった。
でも、ある春の日、イチゴを持っていったら、初めて「ありがとう」と言ったのだ。

その日のことを、一輪は千年経っても忘れない。村紗が心を許してくれた瞬間だったから。

また、あの優しい声を聞きたい。
また、愛くるしい笑顔を見たい。

ただ、それだけを一輪は願っていた。

トントントン

すると、誰かが廊下を歩いてきた。
鈴仙だろうか。いや、二人以上いることに一輪は気づいた。

やがて、ふすまが開けられ、最初に姿を見せたのは永琳だった。

「どうかしら?」

最初に、永琳はそう言った。

「……変わりありません」
「そう、ならば、いいわ」

いい意味で受け取ったらいいのか、悪い意味で受け取ったらいいのか、一輪は分からなかった。

そして、永琳が部屋に入ると、もう一人が姿を現した。

女性だった。いや、少女といってもいい。
切りそろえられたおかっぱの黒い髪にやや細い目、ぬいぐるみのような帽子をかぶっている。人間ではないとすぐに分かった。

「あの……こちらの方は?」
「初めまして。雲居一輪さんですね?」

少女相応の鈴のような声で言った。しかし、滲み出る雰囲気は大人の女性のようだった。

少女は、寝ている村紗を挟んで、一輪の向かいに座った。

「私は、彼岸の十王が一人、秦広王に仕えるものです」
「秦広王?」

一輪は、聞いたことがあった。確か、あの決闘裁判を開催しようと言い出したのが秦広王ではなかったか。

「……何しに来たのですか?」

一輪は、少女を睨みつける。
少女は、ここで初めて表情を変えた。
悲しみの表情。悼むような顔だった。

「三日前の決闘裁判。見事な戦いぶりでした。我が主も褒めたたえていました」

そんなことを言われても、まったく意味がない。

「それを言うために来たのでしたら、お帰りください。私たち家族がどんな想いでいたのか、分からないでしょう?」
「私は、秦広王の遣いで来ました。用件は一つです。それを終えたら、すぐに帰ります」

少女は、懐から何かを取り出した。
小瓶だった。香水を入れるのに使うような。

「よろしくお願いします」
「ええ」

それを永琳に渡し、永琳は小瓶のふたを取る。
そして、寝ている村紗の頭に近づき、彼女の顎を優しく上げた。

口がわずかに開いたのを確認した後、永琳は小瓶の中に入っている液体を一滴、村紗の口の中に落とした。

それが終わると、永琳は村紗を元の通り、寝かせた。










数秒後。



村紗のまぶたが、かすかに動いた。



「む、ムラサ……?」

一輪の呼びかけが、ムラサのまぶたをゆっくりと開かせた。

「……いち、りん……?」

村紗が声を発した瞬間、一輪の目から涙があふれ出た。

「むらさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

そして、勢いよく抱きつく。

「うああああああっ、よかった……!! むらさ、よかったぁぁぁぁ……!!」
「いちりん? だいじょうぶ?」

泣きじゃくる一輪を心配する村紗。
その優しさは、本当に、かけがえのないものだった。







「では、私はこれで」

玄関に出た少女は、見送りに来た永琳に言った。

「はい、お疲れさまでした」

永琳は微笑みをたたえて労う。

「『命の雫』を届けに来ただけです。大したことはしていません」
「でも、よろしかったのですか? 彼岸の秘宝を使ってしまうなど」

永琳がそう言うと、少女は笑った。

「あの娘のおかげなのです」
「え?」

永琳は、すぐに理解できなかった。

「秦広王様は、本当に乱暴で手がつけられない方でした。しかし、村紗さんの戦いぶりを見て、変わられました」
「……」
「人の意見に耳を傾けることができるのが、王の資質の一つです。秦広王様はそれに気づいた。村紗さんのおかげです」

少女はそう言うと、背中を向けた。

「それでは、失礼します」

短く言って、少女は玄関の敷居をまたぎ、戸を閉めた。

永琳は、わずかな苦笑いを浮かべるのだった。


















































〜 エピローグ 〜



あたいは、昼寝岩に寝ころんでいた。
いつものことだ。こうやって、さぼる時間に当てているのだ。
無縁塚には、あまり霊が来ない。だから、余計に暇になる。
その暇という名の時間を、あたいはリラックスに使っているのだ。

八月も終わり。残暑が厳しい。
まだ、当分、頭上にあるパラソルの世話になるだろう。
暑さが過ぎれば、パラソルをはずせる。そして、一面の秋空が見られる。
季節は、移ろい行っている。それぞれの季節を楽しまなければ、損というものだ。

そう、生きている者は、喜びや幸せを感じる、というのが至上目的なのだろう。
だから、生まれ変わったら、いっぱい幸せになってほしい。
あたいが、船頭を続けているのも、それが理由だった。

「小町さん」

ふと、名を呼ばれた。
そちらを見ると、死神装束姿の村紗ちゃんがいた。

「おっ、ゆいちゃん、こんちは」
「こんにちは!」

ゆいちゃんは、元気に挨拶する。最初の陰気な感じが嘘のようだ。

「今日でお別れだね。十年間、一緒にいたから、寂しいもんだ」
「死神さん、ありがとう。お母さんに会えたのも、死神さんがお母さんを連れてきたからって、言ってた」

そんなゆいちゃんに、あたいは微笑みかけた。
感謝の言葉を言われたのは、初めての気がする。

「じゃあ、小町さん」

村紗ちゃんが促す。あたいは、頷く。

そして、一歩一歩を噛みしめながら、桟橋に向かった。



舟は、ゆったりと進んでいく。

村紗ちゃんの丁寧な舵取り棒さばきは、乗っている者を安心させる。
あたいも見習わなきゃならないね。

舟旅の途中、いろいろなことを話した。
でも、村紗ちゃんは、死にそうになりながらも、ゆいちゃんにそのことを伏せてほしいと言った。

あたいとしては、村紗ちゃんの頑張りをゆいちゃんに伝えたかった。でも、村紗ちゃんの気持ちも分かったので、そうすることにした。
ゆいちゃんは、心を痛めずに彼岸に行く。そして、また人間に生まれ変わる。
今度は、きっと幸せになれる。たくさんの人がそれを望んでいるのだから。

「なあ、ゆいちゃんは、大人になったら、何になりたいかい?」

ふと、あたいはそんなことを聞いた。
ゆいちゃんは、う〜んと一生懸命考えて、こう言った。

「お母さんになりたい」
「お母さんかい?」
「うん、優しくて、暖かくて、いつも私を守ってくれるお母さんみたいになりたい」
「……」
「それで、百歳まで生きるの! おばあちゃんになったら、今度は優しいおばあちゃんになるの!」
「……そうかい」

あたいは、こみ上げてくるものを、必死にこらえた。

「……ゆいちゃんならなれるさ。立派なお母さんにね」
「うん!」

元気に頷くゆいちゃん。
無邪気な願いは、今度は絶対に叶えられるように、あたいは祈った。



「よし」

桟橋に舟をロープで固定すると、村紗ちゃんは桟橋に飛び乗った。

「ゆいちゃん、掴まってください」
「うん」

ゆいちゃんの手を取り、引っ張りあげる。軽い体は、たやすく桟橋に乗ることができた。

「ゆいちゃん。この道をずっと歩いていけば、閻魔様のいるところにつきます。その人に会えば、ゆいちゃんはお母さんと一緒になれますよ」
「うん! 頑張る!」

ゆいちゃんと会ったときから、つき続けた、嘘。
しかし、あたいはこんなにも優しい嘘は知らなかった。

「ゆいちゃん」

村紗ちゃんは、かがんでゆいちゃんに目線を合わせる。

「幸せになってくださいね」

そう言って、村紗ちゃんはゆいちゃんの頭を撫でた。
しっかりと、感触を確かめるように。

「じゃあ、私たちは戻ります。ゆいちゃん、気をつけていくんですよ」
「うん!」

そう言って、ゆいちゃんは彼岸に向けて走り出した。

「死神さん!」

だけど、ゆいちゃんは振り返った。

「ありがとう!」

村紗ちゃんは、嬉しそうな、泣きそうな表情をした。

そして、ゆいちゃんは背中を向けて走り去っていく。

あたいたちは、姿が完全に見えなくなるまで、桟橋の上で見送っていた。



〜 終 〜






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