「ん……」

香ばしい匂いで目が覚めた。
室内に漂う、甘いような苦いような、そんなものが交じり合った複雑な匂い。
強制的に食欲をそそるおいしそうな匂いが、呼吸をするごとに私の鼻をくすぐっていった。

「朝……?」

寝ぼけ眼で視線を巡らせる。カーテンに日光が当たっていない。まだ夜なのだろうか。
でも、もう少しで夜明けのようだ。小鳥が可愛く鳴いている。
私はゆっくりと上半身を起こす。ぼーっと視線を巡らせると、床張りの薄暗い部屋が見渡せた。

……私の家じゃない。私の家は畳張りだ。一夜のうちに小人さんが張り替えたなどありえない。
どこだ、ここは。知らない人の家だ。
あれか? 誘拐でもされたのか? そしたら大変だ。でも、私んちは金目の物なんか無いから犯人はさぞ悔しがることだろう。
ま、どうでもいいか。まだ朝も早いみたいだから、二度寝でもしようかな……。

「ん……?」

眠気と重力に任せて頭を枕に落とそうとしたところで、部屋の向こうから音が聞こえた。
トントントン、と何かを小刻みに叩く音。それは毎日朝ごはんを作っている私には馴染みの音だった。

「あー、朝ごはん作らなきゃ……あれ?」

私は、いま布団の上にいるわけで、包丁を握ってはいない。ということは、いま朝ごはんを作っているのは誰だ?
誘拐犯か? なかなか家庭的な誘拐犯だ。人質の健康管理はばっちりの様だ。人質が死んじゃうと身代金が出ないしね。

……いや、そうじゃなくって……

「……あ〜〜〜」

やっと目が覚めてきた。

そうだった。ここは魔理沙の家だ。私は魔理沙の家に泊まりに来たんだった。
そして昨日は久々の重労働で疲れて、すぐ寝てしまったんだった。
夢も見なかった。ものすごく深く眠ったのだろう。起きてすぐ頭が働かないなど久しぶりの体験だった。
何気なく私の右横を見る。私の他にもう一人が入れるくらいのスペースは、すでにもぬけの殻になっている。

「……あいつ、けっこう早起きなのね」

昨日は私の方が早く起きると思っていたので意外だった。そんなに疲れていたのか。
でも、魔理沙の料理の匂いと音が、ちょうどいい目覚まし代わりになったようだ。あの匂いがなかったら、きっと後一、二時間は寝ていただろう。
寝る間際に、六時起きするなんて言った覚えがあるから、言いだしっぺが寝坊したんじゃカッコがつかない。

「……って、いま何時よ……」

きょろきょろと辺りを見回して時計を探す。魔理沙の机の真上に、目的の物を発見する。
それは六時を指し示す時間から四十五分ほど進んだ形で止まっていた。



「お、起きてきたな。おはようだぜ」

リビングルームから台所に顔を出すと、魔理沙はすでに寝巻きからいつもの黒白な服に着替えていた。
フライパンで卵などを焼いている。

「おはよ、誘拐犯」
「あん?」

私がそう言うと、朝一から何言ってんだこいつ、みたいな顔する。

「なんだお前、まだ寝ぼけてるのか?」
「気にしないで、寝起きに変な妄想しただけだから」

魔理沙の変な視線を気にせずに洗面所に向かう。

「さっさと目を覚ましてくるわ。食事の用意は任せたわよ」
「へいへい…………お」

私が洗面所に向かおうとすると、魔理沙が何かを見つけたような声を上げる。
そして、窓からオレンジ色の光が差し込んできた。

「……初日の出、一日前、だな」

今日は大晦日。霧雨邸大掃除の二日目が始まった。







白米に、大根とねぎの味噌汁。
人参とグリーンピースのスクランブルエッグに、レタスとトマトのサラダ。
和洋折衷の見事な朝ごはんがテーブルに並んだ。色とりどりに盛り付けられた献立は見ているだけで楽しい。

ご飯はちゃんと立っていてツヤがあり、立ち上る熱々の湯気が炊き立てであると主張している。
味噌汁は木のお椀に入れられ、味噌がお椀の中をゆっくり回転している。ねぎは青ではなく、茶色だった。炒めたのだろう。炒めたねぎは香ばしくて美味しい。
スクランブルエッグは焦げは無く、人参とグリーンピースとともに鮮やかな色に映えていた。
サラダはレタスがガラス製の器に敷かれ、その上にくし型に切られたトマトが二つ載っている。冷水で洗われて表面に水をたたえていた。

「やるわね。しっかり朝ごはんしている朝ごはんだわ」

頬杖をつきながら、魔理沙がお皿を運んでくるのを見つめる。勝手に朝ごはんが用意されていくのは、けっこう新鮮だった。

「お前にはちゃんと食ってもらわないとな。昨日は布団に入った途端にいびきを掻くくらい疲れてたんだ。食わなきゃもたんだろ」
「失礼ね。いびきなんて掻いてないわよ」
「寝てるときなんて、自分が何してるか分からないだろうに」

最後に牛乳を持ってきて、私のコップと自分の分に並々と注ぐと、魔理沙は椅子に腰掛けた。

「それじゃ、いただこうぜ」
「いただきます」

今日の糧に感謝して、早速味噌汁から口をつける。熱い汁を炒ったねぎとともに口内に流し込む。程よい塩味が舌を刺激した。
魔理沙の味噌汁は少し薄い。味噌汁だけではなく、料理全体に調味料をあまり使わない傾向がある。もちろん味は申し分ないのだが、普段の行動を見ていると、もっと大雑把な味付けをしているような気がしてならない。

「あんたの料理は時たま食べるけど、いつも薄味よね。塩分でも控えてるの?」
「いや、そういうんじゃないぜ。調味料を使いすぎると、食べたときに材料の味がよく分からなくなるだろ? あくまで調味料は引き立て役だ。主役を乗っ取っちゃいけないぜ。だから、味噌汁をこてこてに濃くするのも、ドレッシングにひたひたのサラダとかも嫌いなんだ」
「ふうん。じゃあ、ご飯にマヨネーズとかも邪道なのね」
「あんなん食いもんじゃない。ご飯が死ぬ」
「……一応、発言は抑えなさいよ。好きな人もいるんだから」

まあ、魔理沙らしいといえば魔理沙らしい。私も新鮮な生野菜は嫌いじゃないので共感は出来た。

「でも、あんたの料理はいつも和食だったわよね。洋食を食べたのは初めてかも」
「その日の気分で決めるからな。その日その日で食いたいものがあったらそれを作ってる。でも、ご飯と味噌汁は基本だぜ。おかずはなんでも、それだけは変わらない」
「そうね。ご飯と味噌汁と、後は納豆と漬物でもあれば十分朝ごはんだわ」
「納豆かぁ。たまに食べるとうまいんだよなぁ。よし、明日は納豆にするか!」
「……元旦に納豆っていうのはどうなのかしら」

その後は、納豆をご飯にかけるかかけないかを議論して、朝食はつつがなく過ぎていった。



朝食が終わり、ソファにもたれながら食休みをしていると、食器を片付け終わった魔理沙がコーヒーを持ってきてくれた。

「はいよ。ミルクと砂糖は自分で調節してくれ」
「ありがと」

個人的には緑茶のほうがいいのだが、せっかく持ってきてくれたので文句は言わない。
魔理沙は立ったまま、コーヒーに何も入れずにちびと飲むと、そのまま話し出した。

「それじゃあ、今日の作戦を聞かせてくれるか? 掃除参謀長殿」

いつの間にか怪しげな肩書きがついていた。
私はミルク一つに角砂糖二つをコーヒーに入れながら、魔理沙に今日の掃除の進め方について何を話すか考える。

昨日の時点で、霧雨邸にある大部分の物(ゴミ)は片付けることが出来た。
半分以上が私の独断と強権発動で裏庭行きになり、時間が短縮できたのが大きい。たらたら悩んでたら正月に掃除をすることになってただろう。
残しておく物に決まった物は、整理されて部屋の一角に置いてある。掃除が終わった後に、本は本棚に、その他の物は空いているスペースに押し込めば完璧だ。

となれば、今日は大掃除がメインになる。私と魔理沙で分担を決め、家に一年、いや何年分もの垢を取ってもらうのだ。
どこを担当すればいいかは、魔理沙の家に来る前に大方決めていた。
私がリビングルームの掃除、窓拭き、押入れなどの物の整理。魔理沙が台所・お風呂場・厠などの個室の掃除だ。

こいつは食事に代表されるように、決して家事は苦手ではない。ただ、物の片付け理論のベクトルが、普通の人間と反対方向に向いている所に問題があるのだ。
なんとなく台所を見てみると、朝ごはんを作るのに使った料理道具や材料が置いてある。
仮に、こいつがこれを片付けようとすると、おそらくボールにまとめて足元の引き出しにでも突っ込むのだろうが、百パーセントとは言い切れない。こいつにとって、家全体が物の収納スペースである以上、どこに仕舞っても同じなのだ。まさか便器の横に置くとは思えないが、とんでもない場所に仕舞う可能性は十分ある。
だから、こいつには極力、物の片づけに関わらない配置についてもらったほうがいい。それが個室の掃除だった。
個室の掃除ならば、必要最小限の掃除道具を使って手を動かすだけでよい。台所の状態を見る限り、掃除は出来るのだから。
掃除が終わったら、掃除道具の片づけを私が行えばよい。早く終わったら窓拭きなどの配置に柔軟につかせる。

うむ、完璧だ。これでいこう。

「あんたの今日のノルマは、お風呂掃除、台所の掃除、お便所の掃除よ。それが終わったら私の掃除を手伝って。いつもやっているようだから、そのくらい余裕でしょ?」
「まあな。そのくらいなら昼までには終わる。食器を洗い終わったらすぐに台所の掃除をするぜ」
「あー、いいわ。それは私がやる。ついでに引き出しの整理もしておくから、あんたはお風呂場に直行しなさい」
「ん? そうか? まあ、いいや、そうする」

普段はここで文句の一つでも言ってくるところだが、掃除においては全面的に信頼してくれるようだった。
魔理沙はソファに座って、コーヒーをすする。私も掃除前に備えて、甘めのコーヒーをゆっくりと飲んだ。







午前八時。おとといのような暖かさはとうになく、どんよりと曇った空が出迎えてくれた。どうやら、近いうちに雪が降るようだ。

「あ〜、寒っ」

玄関のドアを開けると、容赦ない冷気が顔に突き刺さり、いかに中が暖かいかを実感できる。
風は無いのでいくらかはましだが、それでも寒いことには変わりない。

私は昨日お世話になった布団を抱えていた。二人が寝られるだけあって、重さは相当なものだ。
進む先には物干し竿。三つ並行に並べられた長い竿は、すでに何枚ものカーテンがかけられていた。
カーテンは窓につけられた当時からずっとほったらかしだろうから、水洗いしたかった。
でも、カーテンは水に弱い物が多いため、うっかり洗うと縮んでしまうかもしれない。だから、水洗いできるカーテンか知りたかったのだが、当然、魔理沙が知っているはずは無い。
なので、せめて埃だけだけでも取ってやろうと思ったのだ。それにカーテンがついたままだと、窓拭きの時に邪魔になる。

「よい、しょっと。あー重かった」

一際太い物干し竿に布団をかけ終え、腕を振ってほぐす。リビングルームの掃除をするにあたって、布団には外に出ていてもらいたかった。
魔理沙の家はもう何年も大掃除をしていない。故に埃がものすごく舞うと思われる。
私は今日もここに泊まるので、昨日と同じようにベッドは使う。大量の埃にまみれた布団の中に入ったら、気持ち悪いことこの上ないだろう。

これでようやく掃除に取り掛かれる。まずは家中の埃取りからだった。



厚着をして、準備はオッケー。

「さあ、行くわよ」

一つ気合を入れて、私は窓の一つを開け放った。
間を置かずに冷たい空気が室内に流れ込んでくる。真冬に窓を全開にするなどあまりやりたくない行為ではあるが、こうしないと埃が外に逃げてくれないので止むを得ない。
じっとしていると寒くなるので、さっさとリビングルームにある窓を開けていく。しかし、密閉された空間に穴が次々に空いていくので、風が通り抜けて余計に寒くなるのは如何ともしがたい。
全ての窓を開け終えると、掃除用の白いエプロンをし、袖が落ちてこないように帯で縛り、白い布を頭と口に巻き、ハタキを片手に部屋の隅の本棚に向かった。

あらかじめ、本棚に陳列されてあった本は全て下に降ろしてある。後で雑巾か何かで中まで拭かなければならないからだ。
魔理沙の家にあった本の半分以上を処分・返却したが、それでも本の量は多かった。それにほとんど本は分厚いので、重い。
なので、本棚にあった本を全て降ろすだけでかなりの時間がかかった。元に戻すのも時間がかかることになるので、急いでハタキをかけなければならない。
やがて目的の本棚に近づくと、私は宙を浮いて本棚の一番上を覗き見た。

「うわぁ……」

予想通り、そこには大量の埃が堆積していた。これを全て取り除くにはなかなか骨が折れる。
だが、やらなければいつまで経っても終わらないので、私は意を決してハタキを埃に向かって振り下ろした。
小麦粉の袋を横から勢いよく叩いたように、埃が一気に舞い上がる。口を覆っていなかったら一発で咳き込んでいただろう。

「あいつ、こんなになるまで放っておくなんて信じられないわ……」

愛する本が入れられた本棚を放置しっぱなしの住人の神経を疑いながら、目の中に埃が入らないように目を細めてハタキをかけつづけた。

三十分ほど本棚相手に格闘すると、見事全ての本棚の埃を取り払うことが出来た。
エプロンと布に大量の埃が付いたので、窓からバッサバッサと振り払う。まつげにもたくさん載っているような気がしたので、口に巻いていた布の裏地で顔をぬぐった。

「やれば出来るもんね。さ、後は水拭きか……」

あ、そう言えば雑巾ってどこにあるんだろう。昨日の片付けの時にはどこにもなかった気がする。
でも、さすがに雑巾が無いって事はないだろう。きっとどこかにあるはずだ。
こういう時は住人に聞いたほうが早い。私は雑巾のありかを聞きに、風呂場に向かった。



『ふんふんふふっふ〜〜〜ん』

浴室に続くドアを開けると、曇りガラスの向こうから鼻歌が聞こえてきた。楽しそうなのはけっこうだが、ちゃんと掃除はやっているのだろうか。

「魔理沙。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

そう言って、私はガラス戸を開ける。
浴室は、泡に包まれていた。

「なっ……」

あまりの光景に言葉を失った。浴室全てが真っ白な泡の海に沈んでいたのだ。浴槽と床は、影も形も無かった。

「あん? なんだ、霊夢。何か用か?」

泡の中心から、ひょこっと魔理沙の頭が飛び出す。どうやら浴槽の中を掃除していたようだ。

「あんた……何よこれは……」
「何って、何がだ?」
「なんで、こんなにお風呂が泡まみれになってんのかって言ってんの」
「そんなの掃除をするために洗剤をばら撒いたからに決まってるだろ?」
「使いすぎなのよ! 勿体ないことするわね!」
「私が風呂を掃除する時は、いつもこんな感じだぜ? もっとも、今日は大掃除だからいつもの三割増しくらいで使ってるけどな」

……まあいいや。こいつの家のことだし、綺麗になればやり方は問うまい。

「……ちょっと聞きたいことがあるんだけど、雑巾とバケツってどこにあるかしら。本棚を拭きたいの」
「雑巾なら台所の引き出しのどっかにあるはずだぜ。バケツは裏物置にでもなかったか?」
「は? 裏物置?」

なんかいま、こいつは聞き捨てならないことを言った。

「あれ? 昨日の物の片付けの時に、そこも見たんじゃなかったのか?」
「……家の中にある物置らしきものは一個あったけど……まさか他にも物置があるの?」
「ああ。裏庭に入り口がある物置でな。外で使う掃除用具なんかを入れてあるんだよ」
「……」

こいつんちの人外魔境は、まだ残っているらしかった。



「ここがそうだぜ」

昨日のガラクタの山が遠くに見渡せる裏庭の片隅。そこにひっそりと隠れるようにそれはあった。
ノブの無い木製の扉。あまりにも目立たなかったから、こんなところに隠し扉があることに全く気づかなかった。

「あ〜、そういえば……」

昨日のガラクタ整理の時に、私は家の中にあった物置を探索した。その時、不思議だったのだが、廊下から見た物置の大きさと、実際に中に入ってみた物置の大きさの目算が合わなかったのだ。
廊下から見た時は、壁の長さから見て大体五メートル位はある部屋だろうと思っていた。しかし、実際にドアを開けて入ってみると、室内はその長さの半分ほどしかなかったのだ。
きっと柱でも入っているのだろうと気にも留めなかったが、いま思えば中の物置と向かい合わせになって外の物置が存在していたのだ。位置関係からみても間違いなかった。

「家の中の物の多さに気を取られて、外にも収納スペースがあるかもしれないって頭が回らなかったわ……」
「まあ、ここにある物はそんなに多くは無いだろうし、さっさとやっちまおうぜ」

そう言って魔理沙は外開きのドアを開けた。

「……」

どこが物は多くないだ。中は昨日の家の中と変わらず人外魔境だった。
薄汚れた園芸用の道具や木箱の上に、昨日散々見た小物類が山のように積まれている。

「……まさか、まだガラクタ整理が終わってなかったとはね……まあ、いいわ」

嫌でもやらなければ、いつまで経っても終わらない。私はなけなしのやる気をかき集めてガラクタの山と対峙した。
そして、抱えてきた段ボール箱二つを雪の上に置く。

「そのダンボールは何だ? また小物を一旦外に出すのか?」
「違うわよ」

私は段ボール箱をくりっと百八十度回転させ、魔理沙に見せた。

「くっ……! また出たな……忌々しい箱め……!」

魔理沙は憎々しげに箱を見つめる。その目に飛び込んできた物は、いるもの・いらないもの、の文字だろう。大活躍だなこの箱。

「じゃあ、私が中に入って物を取り出していくから、あんたは分別しなさい。言っとくけど、昨日みたいにいるものばかりに物が入ってたら尋問するからね」
「わかったわかった。力の限りやってやる」

あまり信用できない言葉を聞いて、私は物置の中に入っていった。
中をざっと見ると、まずは小物類を外に出して、箱の中を調べていくほうがよさそうだ。
箱の奥のほうにはシャベルとか、私が探していたバケツなどがあった。これらは実用品だと思うので、とりあえず小物と箱をどうにかしよう。
こんな物置に突っ込まれていたんだから、どうせどうでもいい物ばかりに違いない。魔理沙が半分もいるものボックスに入れていたら尋問するべきだろう。

箱に積まれていた小物をごっそり抱えて物置の入り口に置いていく。
箱が開けられるようになるまで、けっこう時間がかかった。まだ掃除の途中なのに、この時間ロスは痛い。

「さて、ご開帳といきましょうか」

箱の蓋に手をかけて、上に引き上げる。ごとっ、という鈍い音がして中身が姿を現した。整理されていない大小様々なガラクタどもがひしめいている。
長い間ほったらかしだったにしては、中にあった物はそれほど汚れていなかった。密閉されていたから保存状態が良かったのだろう。
埃に塗れた汚い物を整理することのなると思ってたのでちょっと安堵した。さっさと中身を全部出してしまおうと、私は箱の中身をかき分けた。

その時だった。

カチッ、という何かが作動する音が箱の奥の方で聞こえた。
その瞬間、何かが勢いよくガラクタの隙間から飛び出して私の頬を掠め、風切り音を耳に残して通り過ぎていった。
そして、物置の天井に突き刺さるような音。
この間、一秒もかからなかった。

「…………………………」

しばらく動きを止めて、現状の把握に努める。
なに? さっきのは……。
箱に手を突っ込んだ瞬間に変な物が飛び出してきた。あまりに速くて何なのかよく分からなかったが、黒くて細長い物のようだった。
それは天井に突き刺さっているようだ。……ということは、頭上を見上げれば、正体が分かるはず。

私はゆっくりと上を見上げた。確かに、天井に何かが突き刺さっていた。
黒く塗られた棒の先っぽに、水鳥の羽のような物が付けられている。突き刺さったときの衝撃で、まだ小刻みに震えていた。

「…………矢?」

弓矢で使う矢によく似ていた。というか、それ以外、天井に突き刺さっている物に該当する物を私は知らなかった。

小物をかき分けて中を探る。それらしき物はすぐ見つかった。

「魔理沙」

振り返って、後ろで分別作業をやっている耳当て女の名を呼ぶ。

「ん? なんだ?」

暢気な返事が返ってくる。それがあまりにも憎たらしかったものだから、取り出した物を魔理沙に向けた。

「うおっ!!」

魔理沙は驚いて雪の上に尻餅をついた。

「お、おいっ! 冗談だろ!? 洒落になってないから今すぐそれを降ろせ!」

私の目が据わっていたものだから本気であると思ったらしい。
しかし、引き金を引いても矢はすでに無くなっているのだから発射は出来ない。

「あんた、私を殺したいようね。危うく額から角が生えるところだったわよ」
「ま、待て待て! それは誤解だ! そんな物がそこに入っているなんて忘れてたんだよ!」
「忘れてたじゃ済まされないでしょう。これは命を奪う道具よ。こんなところに突っ込んで、しかも発射できるように矢をつがえたままにしておくなんて正気じゃないわよ」
「わ、悪かった悪かった! 謝るから許してくれ! この通りっ!」

魔理沙は雪に手をついて土下座した。
私はそれを見て、はあ、とため息をついて、手に持っていた物をゴトリと物置の床に落とした。

「……冗談よ。本当に撃つわけないでしょうが。矢も入っていないんだし」
「あ、あはは、でもお前の目が無茶苦茶怖かったもんだから、てっきり本気だと思ってな」

魔理沙は頭を掻いて笑う。全く笑いごとじゃないっての。

「今回は運が良かったからいいものの、一歩間違えたら危なかったのよ。物の片づけが苦手なのは分かるけど、こういった危険な道具だけはしっかり管理しておきなさい」
「わ、分かった。肝に銘じとくぜ」
「……で? あの箱の中には、もうこんな殺人道具は入っていないんでしょうね」
「た、多分……。私は刃物とかそういった類の物をたくさん集める趣味はないから、そいつが唯一だと思うぜ」
「……」

一瞬、魔理沙だけで物置の整理をさせようかとも思ったが、それだといつまで経っても終わらない可能性が高い。
箱を開けて物を取り出すのをやらせても、分別するのはこいつだから、私が残っていても意味がない。
結局、時間を有効に使うために、この中を探るのは私の役目なのだった。

「仕方がないわ。もし何かが飛び出しても、箱を覗いてたりしなければ顔に当たることはないだろうし、慎重にやりましょう」
「あ、ああ、お願いするぜ」

私は再び物置の中に入っていった。



箱の真上に立たないように、詰められた小物を右手で取り出して左手で床に置いていく。両手で一気に抱えられないので効率は悪いが、何が出てくるのか分からない以上、用心に越したことはない。

「はあ、なんでこんなにビクビクしなきゃならないのかしら」

しかし、掃除でタマを取られたんじゃ洒落にならない。
程よく時間をかけて、やっと箱の底が見えてきた。ここで初めて箱を覗きこむ。
見ただけでは意味の分からない物ばかりだったが、どうやら危険な物は無いようだった。

「ま、そう簡単に危ない物なんか出てこないわよね」

私はようやく安心して、箱の隅にあった十五センチ二十センチくらいの長方形の板を持ち上げた。

バチン!

「……………………」

板を持ち上げた瞬間、定規をしならせて机に叩きつけたようなプラスチックめいた音を聞いた。
それと同時に、私の左手の人差し指から小指までが板にへばり付いた。
指の第二関節辺りに金属の棒のような冷たい感触がある。その棒は指をものすごい力で押さえつけていた。

遅れてやってくる痛み。それはじわじわと私の神経を苛んで、脳は体に然るべき反応を促した。

「いっっっったあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!」

右手で左手の手首を掴んで絶叫する。
手を振り回しても、板はすっぽんの如く手から離れようとしなかった。



「ま、待て! 落ち着け霊夢! な!?」

雪の上に座り込んで、必死に私をなだめる魔理沙が小さく見える。
私は背中に重そうな効果音を背負いながら、右手に数十本の針、左手に何十枚ものお札を持って、物置の入り口にゆらりと立ち、魔理沙を見下ろしていた。その左手の指にはみみず腫れのような赤い線がついている。

「……あんた言ったわよね……? もう危険なことはないって……。なのに何故かしら……。左手が痛いの……。ものすごく痛いの……。このジンジンと走る痛みはなんなのかしら……?」
「お、落ち着いてくれ! これは事故だ! 不幸な事故だ! 私に悪気はなかった! そこにそんな物があるなんて知らなかったんだ!」
「知らなかったで済んだら閻魔様はいらないでしょう……? ここらで一発三途の川を渡って閻魔様に会ってみる……?」
「わ、分かった! 謝る! 私が悪かった! だからその手の物騒な物を仕舞ってくれっ! 頼む!」

本日二回目の土下座をする魔理沙。
どちらも十秒ほどそのまま固まっていたが、やがて私は針とお札を取り落とした。

「はあ゛〜〜〜〜〜〜」
「れ、霊夢?」

重いため息をつくと、魔理沙は恐る恐る顔を上げた。

「……もういいわよ。なんだか虐めてるみたいじゃない」

左手にはまだ痛みがあるが、最初に比べれば今回はギリギリ洒落で済ませられる範囲だ。
魔理沙にも本当に悪気がなかった以上、これ以上やったらただの八つ当たりになってしまう。

「なんだか今日は厄日みたいね。一年間溜めた不幸が、ここに来て襲い掛かっているようだわ」
「な、ならいいじゃないか。いま吐き出しちまえば来年はいい年になるぜ?」
「……そうかもね」

気持ちを無理やり前向きな方向に持っていく。この程度で一年の不幸が清算されるなら安い物だった。

「でも、まだ中身は残ってるのよね……。たとえ、あの中にまだ不幸が詰まっているとしても、むざむざやられるわけにはいかないわ」
「それなら……手を突っ込まなきゃいいんじゃないか?」
「へ? どういうこと?」
「いままでは箱の中に手を突っ込んで何かが起こったんだろ? なら手を突っ込まずに中身を出せばいい」
「……どうやってよ」
「簡単だ。箱をひっくり返せばいいんだよ。そうすれば物に触らずに中身を出せるだろう?」

……なるほど。

「じゃあ、さっさと倒してみようぜ」
「ええ……でも、まさか倒したら爆発するなんてことないでしょうね」
「私も一緒に倒してやるよ。私の家のことだし、不幸をお前だけに味わわせるのもな」

魔理沙は物置の中に入ると、躊躇なく箱の底に手をかけた。

「ほら、いくぜ」
「……よし、やりましょうか」

私も横に並んで箱に手をかける。

「「せーの!」」

掛け声とともに箱を持ち上げる。中身が物置の中にぶちまけられた盛大な音がした。
空になった箱を物置から出すと、中には色々な物が散乱していた。

「……爆発は起きないな。変なマジックアイテムはなさそうだが……」

魔理沙は箒の柄を使って、物をかき混ぜたりつっ突いたりして何も起きないことを確認する。

「変な矢も板も無いみたいね。まだ安心できないけど」

中の様子を窺うと、ぱっと見では危険な物は無い様子だった。慎重に観察してみる。

「ん?」

ふと、散乱した物の中心に白木の箱を発見した。何の変哲も無い小箱だったが、ガラクタにしては状態がとてもよかったので目に付いた。
手にとって表面を触ってみる。紅色の紐で結ばれた箱は、さらさらとした気持ちのいい感触があった。

「どうした? 何か見つけたのか?」
「この箱には何が入ってるの、って知ってるわけないわよね」
「むっ、失礼な。だけど反論できないところが悲しいな」
「ちょっと開けてみていい?」
「構わないが……何かが飛び出てくるかもしれないぜ?」

おどける魔理沙に構わず、私は紐を解く。勘だったが、多分変な物は入っていないと感じた。
蝶結びになっていた紐は、その一本引っ張ると簡単に解けた。
右手にその紐を持ったまま、特に気に留めることなく箱を開けた。

「……これは」
「お札か?」

箱の中には白い綿が敷き詰められており、その上に長方形のお札が入っていた。
私がいつも使っているお札よりもやや大きいくらいであり、表には複雑な文様が朱でびっしり書かれていた。

「これは……いい物を見つけたわ」
「何だ、このお札は? 何に使うか分かるのか?」
「ええ。これは、ええと……簡単に言えば、物を長持ちさせるお札よ。お釜でもお風呂でもなんでもいいんだけど、簡単な呪いを唱えて貼っておくだけで錆びもつかないし、カビも生えないように出来るの。おまけに外からの衝撃に強くなって壊れにくくなるわ」
「ほう……。いわば強化の呪文と同じようなものか? 物質の結びつきを強くするのかもしれないな」
「難しいことはよく分からないけど、便利なことには違いないわね。長く使いたい物に貼るだけで生きているうちは一生使えるんだから」
「へー。じゃあ、私の場合は箒に使えばいいわけだ。折れたりしたら大変だからな」
「このお札は便利だけど、作るのに色々めんどくさいことしなきゃならないから、私はほとんど作ったことはなかったのよね。まさか、こんなところで手に入るとは思わなかったわ。まさに災い転じて福と為すね」
「へ?」

魔理沙が意外そうな声を上げる。

「ちょっと待て。いつそれをお前にやるって言った? それは私んちの物置から出てきた物だぞ。なら私の物じゃないか?」
「あんた、お札なんて使えるの?」
「…………」
「使えないなら持ってたって仕方ないわよね。それなら使える人間にあげたほうがいいと思わない?」
「で、でも、一応私の持ち物でもあるわけだし……コレクションに加えたいんだが……」
「そういえば、私のバイト代にお土産が入ってたわよね。プラスαでこれも加えてもらえない?」
「え、えーと……」
「さっきは命まで狙われたわけだし、このくらい加えてもらわないと割に合わないんだけど」

私はにっこり微笑む。優しいが、有無を言わさない迫力をたたえた極上の笑みだったと思う。

「う……はあ、仕方ないな。確かに私が持っていても使えないし、お前にやるよ」
「さすが魔理沙ね! 話が分かるわ!」

抱きつく私に苦笑いを浮かべる魔理沙。
こうして、まだお正月にはなっていないが、フライングでお年玉をゲットすることが出来た。帰ったら何に貼ろうか、今日はその考えを巡らせることにしよう。







正午を三時間ほど過ぎた頃。私たちはとても遅いお昼ご飯を食べていた。おやつも兼ねている。

「いや〜、よかったよかった! これで一段落だな〜」

魔理沙はご機嫌にうどんをすすりながらリビングルームを見渡す。
天井が映るほどに磨かれた床。本棚にきちんと陳列された本の数々。まるでそこに無いかのように外の景色を映し出す窓ガラス。
三時間に渡る大掃除で、リビングルームは全て綺麗にし終えたのだ。

裏物置の整理の後、私たちはそれぞれの持ち場について掃除を再開した。
私は雑巾とバケツを引っ張ってきて本棚を拭き、床に置いてあった本を整理して入れていった。
その後、箒を使って隅から隅までゴミと塵を掃き取ったり、天井に張った蜘蛛の巣などを取ったりし、水に浸したモップを使って床を磨いた。
それが終わると、棚や机の引き出しから物を出して中を拭く。その途中で正午になった。

正午ちょっと過ぎに、魔理沙が自分の持ち場を掃除し終えたというので、すかさず家中の窓拭きに移らせた。窓拭きは地味だが、意外に大変で時間がかかる作業なのだ。
棚と机をきれいにした後、ライトやベッド、テーブルや椅子など、その他もろもろの所を拭き掃除してリビングルームの掃除は完成する。
続いて廊下の掃除。リビングルームと同じように、天井から埃と蜘蛛の巣を取り、床を掃いてモップで磨く。途中、魔理沙が窓拭きを終えたといって来たので、昼食を作るように指示した。
私が廊下と玄関を掃除し終えると同時に昼食が出来た。そして今に至る。

「ま、最初の物の整理以外は滞りなく終わったわね。見込み通り、掃除はそれほど大変じゃなかったわ」
「これもお前がいてくれたからだな。改めて感謝するぜ」
「そうよ。もっと感謝して敬いなさい」
「……もうちょっと謙遜しないか?」
「冗談よ」

私は朝食の残りのご飯をお茶漬けにして食べる。梅干と鰹節がとても美味しい。

「さーて、後は家中を回って、やり残した所が無いかを確認するだけね。そしたらまったり出来るわ」
「は? 何言ってんだ? まだ終わってないぜ?」
「へ?」

魔理沙の言葉を聞いて、箸の上の梅干がぽと、と茶碗の中に落ちる。

「ああ、そうか。お前はあの部屋のことを知らなかったな。悪い悪い」
「……」

またあれか? 隠し部屋か? 隠し部屋には複雑な思い出があるんだけど……。

「まあ、これを食べ終わったら案内するぜ。そこが掃除し終わったら、晴れて大掃除は終わりだ」

そう言いながら、魔理沙は美味しそうにうどんをすすった。



朝に予想した通り、空からはたくさんの雪片が舞い降りていた。
雪が降り出したのに気づいたのは、床磨きを終えて机を拭いている最中だった。
ふと窓から外を見たら雪がちらほら降り出してきたので、慌てて布団とカーテンを取り込んだのだ。幸い、降り始めだったようで、どちらもそれほど濡れずに済んだ。
その雪はいま、けっこう景気よく降っている。このままでは、今年は初日の出は拝めないかもしれない。

魔理沙に案内されたのは、霧雨邸の前庭の一角。
前庭にしては日光を浴びない、木と家の影に隠れたひっそりとした場所。そこに、それはあった。

「ここが入り口だぜ」
「……」

魔理沙は大地を指差す。何の変哲も無い、雪が積もった地面だった。

「ここが入り口って、何も無いじゃないの」
「まあ、そう焦るな。これで開けるんだぜ」

そう言って、魔理沙はバールのような金属の棒を振り上げて見せた。
そして、さっき指差した所にあった雪を足でどかす。すると、地面に変なくぼみが現れた。
魔理沙はそれにバールの先っぽを突っ込んで、てこの原理で持ち上げる。
ガパッ、という音とともに、円形の穴が口を開けた。

「こんなところに穴が……」

覗き込むと、暗い通路の奥に明かりが見えた。本当に部屋があるらしい。

「よし、行くぜ」

魔理沙は器用に箒につかまり、それを立てたまま穴にゆっくり吸い込まれていった。
梯子みたいな物も見当たらないし、ここは空を飛ぶことを前提とした部屋なのだろう。
下を見ると、魔理沙はすでに着地している。私も遅れないように穴に潜っていった。

「うわぁ……なに、コレ?」

通路を抜けて、明かりが灯った部屋が見渡せるようになると、私は世にも奇妙な光景に顔をしかめた。

部屋の大きさは大体十メートル四方くらい、高さは三メートルくらい。板のような木材は見当たらず、土を掘り抜いて固められた部屋のようだった。
天井には、リビングルームにあったライトを一回り小さくしたようなライトが二つ吊るされており、白ではなくオレンジ色の光を弱々しく放っていた。
部屋の半分の面積に巨大な棚が三つほど並べられている。一体どうやって運び入れたのだろうか。天井に届かんばかりの高さを持った木製の棚は狭い部屋で見ると異様な威圧感がある。
そして、なんと言っても一番目を引くのは……。

「なに、このキノコは……」

棚には種々雑多なキノコがずらーっと並んでいた。
シイタケのようなオーソドックスな形のものから、本当にキノコなのか見分けがつかない歪な形のものまで無数ある。
あるものはプランターに植えられ、あるものはビンに入れられ、一つ一つのキノコがきちんと生育されているのが分かった。

「ここは私がマイキノコを育てる部屋だぜ。森で採ってきてもいいんだが、いちいち外出するのはめんどくさいからな。私が育てられる物はここで育てるようにしてるんだよ」

魔理沙が説明してくれる。なるほど、キノコを魔法や料理の材料に使っているのなら、栽培できないかと考えるのは自然だ。
でも普通なら数種類に止めるところを、こんなにたくさん育てるというのは半端じゃない。こいつは、よほどキノコを生活の重点に置いているのだろう。

「でも……これだけのキノコをいっぺんに見るのは、さすがに気持ち悪いわね」

私が見たことがあるのは、しいたけが生えたクヌギの木が限界で、後は料理などで使う数本がせいぜいだった。
一、二本ならどうってことないのだが、キノコがうじゃうじゃしているのを好んで見るようなやつはあまりいないだろう。前にいる若干一名は例外だ。

その例外は、キノコの棚の間を行ったりきたりして、何かをしている。
棚を覗き込みながら、時折ぶら下がっている温度計のような物を真剣な様子で見つめていた。
それがなんだかいつもの魔理沙には似つかわしくない姿だったから、私は首をかしげた。

「なに? どうしたの?」
「ん? いや……多分気のせいだと思うが……」

近づいて声をかけてみると、いつもの歯切れが無い。少し様子がおかしかった。

「なんか気になることでもあるわけ?」
「……この部屋はキノコが最適に育つように、室温と湿度を一定に保っている。だけど、今はなんだか室温が低い。だからおかしいと思ってな」
「入ってきた所が開いてるからじゃないの? 私、蓋を開けっ放しで来たし」
「それにしても、こんなに急激に下がることはないんだよ。ここはうちの床暖房と同じで温泉を引いているからな」
「へ〜……でも、ここって、あんたのうちほど暖かくないわよね。湿度は確かに高いみたいだけど」
「……と、いうことはここに引いてある暖房が壊れたのか? だとしたら問題だな……」

魔理沙はぶつぶつ言いながら考えているようだが、そろそろ掃除をしないといつまで経っても終わらない。

「どうでもいいけど、早く掃除を済ませましょうよ。早くしないと日が暮れるわ。ここの場所も分かったし、私は掃除道具を取ってくるわね」
「ん? ああ、分かった。棚を拭くだけだからバケツと雑巾だけでいいぜ」
「はいはい」

考え込んでいる魔理沙を尻目に、私は家に道具を取りに行った。



「あれ?」

台所で雑巾を二つ入手し、バケツにお湯を入れているところで違和感を感じた。
なみなみと注いだバケツのお湯に手を突っ込んでみる。

「…………温い」

午前中、私が本棚を拭くために注いだお湯は、もうもうと湯気が出るほど熱かった。室内はもともと暖かいので、湯気が出るということはよほど熱かったに違いない。
でも今のお湯は湯気がほとんど出ていない。念のため、水も一緒に出していないか栓を調べてみたが、やはり赤い色の付いた栓しか捻っていないようだった。

「……どういうことかしらね」

午前中に出たお湯が今はほとんど出ない。
まず考えられるのは、さっき魔理沙がキノコ部屋で口走っていた“壊れた”という単語。
貯水池の温泉脈を喚びだす装置が異常を起こしている場合だ。水は温まりにくく、冷めにくい。仮にその装置が壊れたと考えると、今のお湯の状態からみて正午ぐらいから壊れていたと考えていいんじゃないだろうか。

「あ、そういえば……」

私はしゃがみこんで床を触ってみる。……やっぱり冷たい。床暖房も止まっているようだ。
ミニ八卦炉が暖かかったせいで気づかなかったが、床暖房も相当前から止まっていたのだろう。
となると、キノコ部屋で魔理沙が懸念していたことは的を射ていたわけだ。おそらく、家全体の温泉脈召喚装置がバカになっているのだ。

「えっ……ちょっと待って……その装置が壊れているということは……」

まず床暖房は使えない。
そしてお湯も使えない。
当然、温泉も使えない。
ということは、今日は魔理沙の家で温泉に入れないということだ。

「ちょっ、それ困るわ……!」

今日は本棚の掃除で散々埃をかぶった。だからお風呂に入らないと気持ち悪くて仕方ない。
水風呂に入れとでもいうのか? そんな度胸と勇気と無謀さは私は持ち合わせていない。

「掃除なんてしている暇ないんじゃないの……!? 早くあいつに直してもらわないと!」

私はバケツにお湯を注ぐことを中断して、キノコ部屋に向かうべく裏口から外に出た。



開けっ放しの地下キノコ部屋入り口に飛び込むと、そこに魔理沙の姿は見当たらなかった。

「あれ? どこに行ったの、あいつは……」

きょろきょろと首を回しても、あの黒白の服は影も形も見当たらない。
棚の陰にでもいるのかと思い、気持ちの悪いキノコの群れの間を通って探してみたが、やっぱりいなかった。

「外にでも出たのかしら……」

そう思ってもう一度外に出ようとすると、部屋の奥の方から重々しい、何か扉のような物が開く音が聞こえた。

「……なにかしら」

そちらのほうに歩いていってみる。
私のほうから見えない位置に、いかめしい鉄の扉があった。そして、そこに魔理沙がいた。
こちらに背を向けて鉄の扉を閉めている。

「なんだ、そんなところにいたの魔理沙。探したわよ」

そう声をかけると、気づいた魔理沙がこちらを振り返った。

「!!??」

私は素でびっくりして、一メートルばかし飛びのいた。背中が棚にぶつかってガチャガチャと音を立てる。

コーホー『おいおい、ぶつかってキノコ落とすなよ。大事な物なんだからな』
「………………」
コーホー『? どうしたんだよ。変な顔して』
「……あんた……それは何よ?」
コーホー『何って、見て分からんか?』
「いや、分かるわよ。私は、なんであんたがそんなもんをしているのかを問うてんの」
コーホー『だって、つけてなきゃ死ぬだろ?』
「なんでっ!?」
コーホー『ここにあるキノコには毒の粉を撒き散らす種類があってな。吸い込んだら肺がただれて死んじまう』
「ええっ!? そ、そんなの早く言いなさいよ! どこっ!? 私の分のはどこっ!?」
コーホー『落ち着けって。この部屋にあるキノコにそれはない。それはこの扉の向こうにある』

ゴンゴン、と鉄の扉を叩く。

「そ、それを早く言いなさいよ……。また命を狙われるところだったじゃない」

私が安堵すると、魔理沙は顔についていた物を外す。昆虫のような顔に黒いとんがり帽子とは実に妙な組み合わせだった。

「ふう。やっぱりシャバの空気はうまいな。で、掃除道具を取りに行ってもらっておいて悪いんだが……今回の大掃除はキノコ部屋は入れないことにしよう」
「へ? どういうことよ」
「どういうこともなにも、それ以上に優先すべきことが出来ちまったからじゃないか」
「……」

どうやら、魔理沙も私と同じ推論に達したようだった。



「異常は…………無いな」

魔理沙はそう呟く。
私たちは掃除したてのお風呂場にいた。ここに温泉脈召喚装置の元になっている物があるらしいのだ。

私たちは、互いの情報を交換し合った。
私は、家中の床暖房が切れていること、お湯が出なくなったことから、その装置に異常が出たのではないかと推測したことを話した。
魔理沙は、例の裏キノコ部屋の温度が異常に下がっていたことを教えてくれた。
その部屋は通常のキノコ部屋とは違って温度がとても高く設定されており、夏みたいなじめじめした部屋なのだそうだ。
で、キノコ部屋の小さな異常に気づいた魔理沙が、念のためそこの部屋に入ってみると、温度計はちょうど春くらいの温度を指していた。明らかに正常に稼動していない証拠だった。

魔理沙は自分の見たものと私の話から、装置に異常が発生したと結論付け、キノコ部屋の掃除よりも装置の修理を優先すべきと考えた。
なんと、ここのお風呂はお湯を沸かすことが出来ないらしい。
召喚装置を作るために改築したというのだ。こういう事態を頭に入れていなかった、こいつの計画性の無さが窺える。

というわけで、今日霧雨邸のお風呂に入るには、装置を修理するか沸かす場所を新しく作るしかない。
後者を実行するには時間が足りないので、前者を実行するのが現実的だった。

「異常は無い? なんでよ。異常があるからお湯が出てこないんじゃないの?」
「まあ、こいつを見ろ」

魔理沙はお風呂場の石に開いた穴を指差す。
そこを覗き込むと、大体直径五十センチメートルくらいの大きな球があった。私には読めないが、表面に色々と魔法で使う文字が書かれている。

「一応簡単に説明しておく。私が作った温泉脈召喚装置の基礎となる物は二つある。一つは、この召喚装置。そして、もう一つは転送装置だ」
「転送装置?」
「ああ。これとほとんど同じ形をしている物なんだがな。それは、ここから二時間ほど北に上った所にある温泉の底に沈めてあるんだ。その転送装置から、この召喚装置に熱やお湯を転送する。それを使って、床暖房にしたり、風呂の湯にしたり、キノコ部屋の温度を調節したりしてるんだ」
「へぇ〜、そうだったの」
「この召喚装置は一番の基だ。まず、ここに温泉脈から熱が送られてくる。そうすると、家の地下に魔法陣が張られて、熱を床全体に送ってくれる。温泉のお湯が出せるようになったのは、床暖房が出来るようになった後に後付けで作った機能だ」
「……その召喚装置に異常が無いって事は」
「その通りだ」

転送装置に異常があったということだ。
何らかの理由で温泉が枯渇したか、もしくは温泉の外に放り出されたか、はたまた壊れてしまったのか。
いずれにせよ、この家に温泉を送ろうとしても送れない事態になったのだ。その原因がはっきりしない以上、ここでのんびりしていても解決はしない。やることは一つだった。

「はあ……最後の最後で、とんでもない大仕事が出てきたわね」
「仕方が無いな。この分だと、私は冬を越せないぜ」
「……お土産は弾んでもらうわよ」
「善処するぜ」

私たちは立ち上がり、外出の準備をするためにリビングルームに向かった。







冬の太陽は簡単に沈む。まだ五時にもなっていないのに、あたりは宵闇に包まれようとしていた。
もっとも、空は厚い雪雲に覆われて、これから月を見ることは叶わないのだが。

「ああ〜、寒っ! こんな天気の日に二時間も飛ぶなんて、正気じゃないわね」

正午から降り始めた雪はどんどんと強くなり、バサバサという効果音がぴったりの降り方になっていた。
服を四枚重ねにしていても肌を突き刺すように寒い。
おまけに暗くて周りが見えない。魔理沙の箒に括りつけられているライトが唯一の灯りだった。

「あんた、本当に場所覚えているんでしょうね? 間違えてたら遭難するわよ、私たち」
「安心しろ。魔法の開発中に何度も往復しているから行き方はバッチリだ。こんな雪の日の夜もあったぜ」

なんで、昼間に行こうとは思わないんだろうか、こいつは。
まあ、今の私が言えたことではないのだが。

「傘でも持ってくれば良かったかしらね。雪が鬱陶しくて仕方ないわ」
「じゃあ、これでも使うか?」

魔理沙は何かをこっちに投げてよこした。……キノコ部屋でこいつがつけていたガスマスクだった。

「……あんた……なんでこんなもん持って来てんのよ。荷物になるだけでしょうが」
「備えあれば憂いなし、って言うだろ? 顔に当たる雪くらいは防げるかもしれないぜ」

私はマスクを投げ返す。少なくとも、いまそんなもんはいらない。

「……要するに、雪が防げればいい訳よね」

私は魔理沙の箒の後ろに飛び乗った。

「お、おい。バランス崩すからやめてくれよ」
「一人くらい乗ったって変わんないでしょうが」

私はふところからお札を六枚取り出して、箒の進行方向に投げ放った。
お札は意思を持っているかのように宙を動き、私たちの上下前後左右に散らばった。
すると、球形の薄い膜が張られ、降りしきる雪を遮断した。

「……最初っからこうやってれば良かったわ」
「おお、こうすれば寒くないな。ついでに八卦炉も使うか」

魔理沙がミニ八卦路を作動させると、結界内は暖かな空気に包まれた。

「おお〜、これいいな。雪の中で飛んでも寒くないぜ。応用して新しい魔法でも考えてみようか」
「好きにしなさいよ」

そんな感じで、私たちは雪の中でも割合快適に北上を続けたのだった。



私たちは山間にあるちょっとした盆地に降り立った。
深い雪に覆われたそこは踏み荒らされた形跡なく、一面真っ白だった。人はおろか、妖怪もめったに来ないのだろう。

「本当に、こんなところに温泉があるの? 火山みたいなところを想像してたんだけど」
「それは素人考えだな。温泉っていうのは、何も火山がなければいけない訳じゃない。地下深くに溜まっていた地下水が、地層の断層で上に上がってきて、それが地下熱で温められるパターンもある。私が見つけた温泉はそれだ」

ふーん、温泉っていっても色々種類があるのか。火山=温泉みたいな方程式ばかりじゃないようだ。

「確かこの辺だったんだけどな……えーと……」

魔理沙がライトを掲げて辺りを照らすと、周囲の雪原が照らし出された。

「ん……?」

急に立ち止まる魔理沙。

「どうしたの?」
「いや、今なんか……笑い声が聞こえなかったか?」
「へ?」

こんな辺鄙なところで笑い声? しかも夜のこんな天気に。

「空耳じゃないの?」
「う〜ん……」
「まあ、いるとしたら妖怪ね。雪女とか。それともよっぽどバカな」
「確かにバカだなぁ。こんな天気で笑えるんだから」
(きゃはははは…………)
「……」
「……」
「聞こえたな?」
「聞こえた」
「多分……あいつか?」
「多分も何もあいつしかいないわよ」

私と魔理沙の脳裏に、一匹の妖精の顔が浮かんだ。
やっぱり、バカだったんだなぁ……。



雪原を数分歩くと、そこだけぽっかりと雪がなくなっている場所があった。そこが魔理沙の言っていた温泉なのだろう。
思ったよりは大きくない。霧雨邸にある岩風呂の浴槽と同じくらいだった。

そして、その中に二人の人影があった。

「あっれ〜〜〜? 魔理沙に霊夢じゃないの! なんでこんなところにいんの〜!?」
「二人でお散歩かしらねぇ」

それは氷の妖精・チルノと、冬の妖怪・レティ=ホワイトロックだった。私たちの姿を見て驚いている。
いや、驚くのは本当はこっちなんだけどね。

「それはこっちのセリフだぜ。お前らこそ、ここで何やってるんだよ」
「何って見てわかんないの? バカだねぇ〜〜〜!」

魔理沙のこめかみに青筋が立ったのですかさず割って入る。

「ここって温泉だったはずよね。あんたたち、こんな天気に温泉入ってるわけ?」
「こんな天気って言ってもねぇ。私たちはもともと冬の妖怪と妖精だから、雪なんてあってもなくても同じなのよ」
「そうそう! むしろ雪が降ってたらパワーアップするからね! あんたたちなんか相手になんないよ!」
「あっそ。でもあんたたち温泉に入って大丈夫なの? 溶けたりしないわけ?」
「その辺は抜かりはないわ。このお湯に触ってみなさいな」

レティに言われたとおりにお湯に触ってみる。

「……? なにこれ、全然温かくないじゃない」
「私とチルノで一生懸命冷ましたのよ。チルノがどうしても温泉に入ってみたいっていうから、お昼ごろから冷まし始めたのよね」
「な、なんだと!? じゃあ、うちの温泉が出なくなったのはお前らの仕業か!」
「温泉ってなによ、黒白」
「その中にでかい球が入ってるだろ! それは私が作った温泉の転送装置だ! お前らが温泉を冷ましたおかげで、家に温泉が出なくなったんだよ!」
「ああ、もう! 何言ってんのかわかんないわよ! もっと分かりやすく説明してよ!」
「大きい球ってあれのことじゃないの?」

レティが一点を指差す。確かに、雪の上に何かが埋まっていた。

「な、なんてことするんだお前らは〜〜〜!!」

魔理沙は叫んでそちらのほうに向かって走り出す。

「まあ、確かにこの温いお湯にあの球が入っていたとしたら、魔理沙の家には温いお湯が出ているはずよね」

こいつらがこの温泉を発見して、お湯を温くし、入ったときにあの球を見つけて邪魔だったからどかした。そういうことだった。

「う〜ん、どうしようかしらね」
「何か訳ありみたいね」
「まあね。あんたらが放り出したあの球。あれは魔理沙が作った魔法の道具なのよ。ここの温泉のお湯を、魔理沙の家に瞬間移動させるっていうね。あんたらがここのお湯を冷ましてくれたおかげで、魔理沙の家にお湯が出なくなったのよ」
「あらあら。じゃあ、悪いことしちゃったわね。もう少しで出るから、明日にはお湯が出るようになるわよ」
「はあ!? 何言ってんのよ。ここはあたいが最初に見つけたのよ! 明日もここに入るんだからね!」

チルノがレティの言葉に反論する。

「いや、私たちとしては今出てほしいのよ。早くしないと、あいつんちのキノコ部屋の温度が下がってキノコが死ぬみたいだから。それに、私も帰ったらすぐにお風呂に入りたいしね」
「じゃあ、今ここで入ればいいじゃない! そうすれば問題ないでしょ!」
「あんた、人間にこんな水に近いお湯に入れっていうの? しかもこんな極寒の中で。明日あたりに確実に風邪ひくわよ」
「じゃあダメよ! 別に一日二日風呂に入らなくたって死なないでしょ? 帰って寝てなさいよ!」

……こいつは。

「黙って聞いてりゃ、いいたい放題じゃないか? なあ、バカな妖精よ」
「ば、バカって誰のことよ!」
「誰もお前のことなんて言ってないぜ。反応するってことは自覚があるんだな」
「ぅきーーー!」

装置の様子を見に行っていた魔理沙が戻ってきた。装置に異常はなかったのだろうか。

「どうだったの魔理沙。あの装置は」
「ああ、異常はなかった。後はこいつらをどかして装置を沈めりゃ万事解決だ」
「だから、どかないって言ってんでしょ!? ここはあたいが最初に見つけたんだから!」
「お前の脳みそは引っくり返ってんのか? お前がここに入る前に私の装置が沈んでたら、どっちが先にここを見つけたか明白だろうが」
「そんな理屈通らないわよ!」

うわぁ……こいつの頭の構造は一体どうなっているんだろう……。

「ふ……どうやらお前はここまでのようだ。この私を怒らせたんだからな」
「ふん! そんなもん全然怖くないですよーだ!」
「いい度胸だ。じゃあ、ケンカを売ってやる。当然買うな?」
「当たり前じゃない! 受けてたつわ!」

なんだか剣呑としてきたので、レティが声をかける。

「二人とも、ケンカはよくないわ。話し合いで解決できるならその方がいいんじゃない?」
「お前、まだ話し合いとか言ってるのか? このバカに話なんか通じないぜ。どついて従わせるしかないんだよ!」
「またバカって言ったわね〜!? もう許さないわ!」

チルノはお湯の中から立ち上がって魔理沙を睨む。

「ちょっと、魔理沙」
「止めるな霊夢。こいつにはきちんと社会のマナーとエチケットを叩き込む必要がある。それに心配するな。勝負はもちろん弾幕だ」

まあ、それなら後腐れもないだろうけど……。

「じゃあ、行くぞバカ妖精。お前に現実ってもんを教えてやる!」
「黒白パンダに言われたくないわよ!」

二人は空に舞い上がる。こんな雪の中で決闘するとは、よほど頭に血が上ってるな。

「で、あんたはどうするの?」

まだ暢気にお湯に浸かっているレティに声をかける。

「う〜ん。魔理沙相手にチルノ一人じゃちょっとかわいそうな気がするし、助太刀しようかしらね」
「あら。それなら私も魔理沙側に付くわよ。私だって、今日は大掃除したからお風呂に入りたいんだからね」
「別にいいわよ〜。それに」

レティはちょっと怖い笑顔で言った。

「一年前にあなたに落とされたリベンジになるしね」

そう言うと、レティは服をすばやく着て、チルノの服を持って二人の後を追いかけた。

「ちょっとチルノ〜。服くらい着なさいよ〜」

小さくなっていくレティの背中を見ながら私はため息を付く。

「はあ……どんどん面倒くさくなっていくわね」

これで最後、と願いながら、私は雪の降る空に舞い上がった。


〜〜〜


もうちょっと考えてから決闘を挑むべきだったと、私は思った。

温泉が遥か下方に見える空。そこで、私と魔理沙、チルノとレティが対峙していた。
雪は深々と降り積もり、時刻はおそらく午後七時前。

ぶっちゃけ、何も見えない。

雪はただでさえ視界が狭くなるのに、暗闇というおまけつき。人間なんか、どうやったって一メートル先も見えやしない。どこかの夜雀とやったときより性質が悪い。
チルノとレティの顔が見えているのは、魔理沙が箒にくくりつけたライトで照らしているからだ。
その光が届くのは、半径十メートルくらい。それ以上離れたら何も見えない。中遠距離からの攻撃がほとんどを占める弾幕合戦では致命的だった。
これがチルノだけだったら、遠く離れれば私たちが正確な位置がつかめなくなると分からなかったかもしれないが、あっちにはレティがいる。チルノとは違って常識的な頭を持っているから、こっちの抱えている問題などお見通しだろう。
妖怪は基本的に夜の行動を好むため、夜でも昼のように行動が取れる。開戦したらすぐさま距離を取るに違いない。

これはかなりのハンデだった。
当然、魔理沙もそのことには気づいているはずだった。

「……どうすんのよ。このままじゃ一方的にやられかねないわよ」
「……なんとかするしかないだろう。お互い、あそこまで言っちまったら引っ込みがつかない」
「バカに合わせるからよ。話が通じないって分かってたでしょうに」
「今は反省している。ちょっと頭に血が上ってた」

過ぎてしまったことをぐだぐだ言ってても仕方ないので、この状況で勝てる作戦を考えるしかない。

「あっちは、こっちの目の届かない所で奇襲をしてくるに違いないわね」
「こっちはわずか十メートルの視界。この中でやりくりするしかないみたいだな」
「後は勘で攻撃ね。その辺は十八番だけど」

弾の来た方向に合わせて、勘でこちらも弾を撃つ。打ち落とせる自信はあった。だけど、確実とは言えない。よくて五分五分だ。普通の人間に比べれば極めて確率は高いが、当てずっぽうには変わりないので過信してはいけない。

「あんたの魔法で照らせないの?」
「生憎、このライトより明るい照明魔法は覚えていない。暗闇での戦闘なんて考えたこともなかった」

右に同じくだった。普通だったら、こんな天気に外になんて出たくはないし、妖怪がうようよしだす夜なんか面倒くさくて、さらに出たくない。
そもそも月も出ていない夜に妖怪と弾幕するという考え自体が無謀なのだ。それでも私たちが色々作戦を立てられるのは、それなりに力のある人間だからに過ぎない。普通の人間は暗闇で妖怪と戦わないのだから。

「……なかなか難しいな」
「だから言ってるじゃないの」

「じゃあ、話し合いはいいかしら?」

レティがそろそろ始めようと言ってくる。

「ああ、いいぜ」
「思いっきり吠え面かかせてやるわ!」

魔理沙とチルノの声が合図となった。



チルノは早速スペルカードを取り出す。

「ふっふっふっ。あたいの必殺技を見せてやるわ!」
「どうせまたアイシクルフォールだろ。バカの一つ覚えはやるもんじゃないぜ」
「うるさいっ! くらえぇっ!」

―――――氷符・アイシクルフォール―――――

「やっぱりそれかよ!」

魔理沙と私は向かってくる氷柱の弾幕を避けようと集中した。
その矢先だった。

「なっ!」

チルノがスペルカードを宣言した瞬間に、私たちの周りにあった雪が落ちるのをやめた。
その雪は少しずつ集まっていき、鋭利な氷柱を形作っていった。

「おいおいっ! そんなのありかよ!」

いつもの定型化されたアイシクルフォールが来ると思っていた私たちは予想を裏切られた。
氷柱はどんどん大きくなっていき、大体三十センチくらいまでになった時、全方位から私たちめがけて飛び掛ってきた。

「くっ!」

私は体を捻って氷柱を懸命にやり過ごす。……迂闊だった。視界の悪さに加えて、雪の降りしきる日に氷の妖精と戦うことも勝率を下げる要因だった。空から落ちてくる雪が全て弾幕になるというのなら、これほどのランダム性はない!

「はっはっはっ、どうよ! あたいをバカにしたことを後悔させてやるわ!」

次々に雪が氷柱となって私たちを襲う。
当初の作戦もへったくれもない。ただ弾に当たらないように避け続けるのが精一杯だった。

「霊夢っ!」

魔理沙の声が聞こえたと同時に、私は箒の光源からかなり離れてしまったことに気づいたが、もう遅かった。
暗闇の中に放り出される。
急いで視界を確保しようと、頭上で懸命に氷柱を避けている魔理沙を見上げた。

「!!」

背後から何かが迫ってくるような気配を感じたので、慌てて身を反らす。
胸の前を球形の弾が通り過ぎていく風を感じた。

「あら、やっぱり勘が鋭いわね。この暗闇の中でかわすなんて」

レティの声が聞こえる。顔は見えないが笑っているのだろうと思った。

「あいにく、これが私の専売特許なのよ」
「そう。でもいつまで避け続けられるかしらね!」

―――――寒符・リンガリングコールド―――――

さっきの弾が扇状に展開する気配がする。……確かにこの量の弾を、勘だけで避け続けられる自信はあまりない。

「なら、相殺するまでよ!」

私は両手にありったけのお札を持って、気配に向かって投げつけた。
向かってくる弾と向かうお札が衝突して砕ける音がする。いくつか私のそばを弾が通り過ぎていったが、正面に集中して攻撃したので被害はなかった。

(早く、魔理沙のところへ戻らないと!)

第一波を凌いだ私は上を見上げる。
チルノの予想外の力と、暗闇から確実に慎重に狙ってくるレティ。不利なんてものじゃない。分散していたら絶対に負けてしまう。
視界の良好な昼や月夜だったら、いくらでもこいつらを倒す手立てがあるのに、暗闇はそれだけで攻撃の幅を極端に狭める。
人間は妖怪のような並外れた体力と霊力は無いから、敵の攻撃を確実に避け、こちらの攻撃を確実に当てなければならない。闇雲に攻撃しても、こちらの体力と霊力が尽きるだけだ。
こんな事態は今までなかっただけに、どうすべきかすぐに思いつかない。しかし、攻撃できる幅が少ないということは、逆に選択肢が絞れているということだ。限られた選択肢で最大の効果を上げれば勝機を見出せるかもしれない。

私はレティの攻撃が止んだと同時に、空間に穴を作りながら移動する。出来る限り狙いを絞らせないためだ。
同時に、どうやって活路を開くか考えを巡らせる。

まず、普段の戦闘で使うような攻撃方法は今回の場合は使えない。それは視界が確保されていることが条件だ。だから、お札や針のような攻撃に頼ってはならない。それを使うのは、相手がどこにいるのか確実に分かってからだ。
ならば、勝つためには相手の位置を知ることが絶対条件になる。当てずっぽうな攻撃や、威力と効果範囲が大きい攻撃に頼るのは最終手段だ。

どうやって相手の位置を知る? 二人に明かりを括りつけておくなんて事は出来やしないし、魔理沙の魔法でも一瞬しか照らすことは出来ない。スペルカードの攻撃で光を作っても、すぐに消えてしまう。
それなら、魔理沙が持っているライトで照らすしかないのだ。いつでも相手の動きを追えるように、継続的に明かりを確保しなければならないのだから。

ただ問題は、あのライトは十メートル程度の範囲しか照らせないということだ。相手の姿を見るには、相手を光の中に誘い込むか、こちらから近づくのどちらかだ。しかし、わざわざ相手が光のほうに寄ってきてくれるとは思えないので、こちらから近づくしかない。その場合、弾に当たるのを覚悟で突っ込むしかないのかもしれない。

……一人で考えていても仕方ない。魔理沙と早く合流して、作戦を練らなければならなかった。



魔理沙は四方八方から飛んでくる氷柱を懸命に避け、攻撃の合間を縫ってマジックミサイルで応戦していた。

「はっは〜! どこ狙ってんの? そんなへなちょこな攻撃じゃあ一億光年経っても当たんないわよ!」
「光年は距離の単位だぜ、バカ妖精!」
「う……うるっさいわね! さっさと当たっちゃいなさいよ!」

まだ口で言い返せる余裕はあるみたいだ。いや、チルノを挑発して、声のした方に狙いを定めているのか。
どこから飛んでくるのか分からない弾幕では敵の居場所が分からない。目が使えないのなら耳で相手の位置を探ろうとしているのだ。

「魔理沙!」

私はライトの光の中に入ると空想穴を作って瞬時に魔理沙の箒に飛び乗った。

「うおっ! れ、霊夢か!?」

急に現れた私に驚いて、魔理沙の注意が私に向く。その瞬間をチルノが見逃すはずがなかった。

「ちょうどいいわ! まとめてやられちゃいな!」

光に照らされた雪が時が止まったかのように動きを止め、いままでとは比べ物にならない量の氷柱が出来上がる。
尖った先を私たちに向け、一斉に襲い掛かってきた。逃れられる隙間はない。

「これで終わりね!」
「お生僧!」

私はふところから六枚のお札を取り出した。それを私たちの周囲にばらまく。
即座に球形の結界ができ、ガラスが砕けるような音とともに向かってくる氷柱を次々に遮断していった。

「げっ! そんなのあり!?」

ここに来るときに一度使った即席の結界だ。耐久力は弱いが、小さな氷柱くらいならなんとか弾ける。

「魔理沙! いったん距離を置くわよ!」
「お、おう!」

私の声に合わせ、魔理沙は全速力でその空域から離脱した。



箒は盆地の雪原の上を低空で飛ぶ。
魔理沙がそれなりの速度で飛べば、ついてこられる人間や妖怪はそうはいない。できる限り長時間飛び回って、作戦を考える時間を稼ぐべきだった。

「そのまま飛び回っていて。その間にどうやったら勝てるか考えましょう」
「考えるもなにも、もうでかいのをぶっ放すしかないような気がするぜ」
「落ち着きなさいよ。それをやるのは一番最後でいいじゃない。出来ることは全部やってから派手にいきましょう」

と、私がそういった途端に頭上からレティの白い弾が振り注いだ。雪に突っ込んだ弾は雪しぶきを上げ、私たちはその中を突っ切っていく。

「あんたが本気でやったら勝てるかもしれないけど、温泉までふっ飛ばしそうで怖いわ。ここまで来た意味がなくなるじゃない」
「そんなことはない、と言えないところが悲しいわけだが。それじゃあ、どうしようってんだ?」
「まずは……どうやって相手の位置を知るか。このライトを使うしかないと思ったんだけど、これってもっと明るく出来ないの?」
「これで精一杯だ。これ以上やったら魔力が入りすぎて破裂する。そしたら、今度こそ暗闇で弾幕合戦だぜ」
「それだけは避けたいわね。これが壊れたら一巻の終わりだと思ったほうがいいわ」
「壊れる……? ……あ、そうだ! 霊夢、あれ持ってるか!?」
「あ、あれってなによ?」

魔理沙が何かを思いついたようなので何なのか聞いてみる。
すると、とんでもないことを言った。

「だ、ダメよ! これはうちで使うんだから! こんな貴重な物を使い捨てになんか出来るもんですか!」
「そんな状況じゃないだろう! ダメでもともと、やってみるしかないんだよ! お前だって負けるのは嫌いだろうが!」
「そ、そりゃそうだけど……」
「それに、ここで勝たなきゃ私んちの風呂は使えなくなる。薪で焚けるように改築するまで、風呂には入れなくなるんだ。お前はうちの大掃除を手伝ってくれる約束、いや契約だったはずだろう! なら、風呂が完璧に動くようになるまでとことん付き合ってもらいたいもんだぜ!」
「うう……」
「さあ、どうする!?」
「ああー!! わかったわよ!! 好きにしなさいよ!! どうなっても知らないからね!!」
「最高だぜ! 博麗霊夢!!」

魔理沙は滑空状況の箒を上向きに変えて空に舞い上がった。刹那、私たちのいたところに白弾が降り注ぐ。
賽は投げられた。もうどうにでもなるがいい。



「もう逃げるのは終わり!? じゃあ、そろそろ勝たせてもらうよ!」
「またお風呂に入りたいしねぇ」

私たちは再び温泉の上空に戻ってきた。暗闇からチルノとレティの余裕の声がする。

「いいな、霊夢。使い方はさっき教えた通りだ」
「分かってるわよ」
「なにブツブツ言ってんのよ。作戦なんか立てたって、最強のあたいには勝てやしないよ!」
「ふん、言ってろ。今こそ二日間の大掃除の成果を見せてやるぜ!」
「なにをわけのわかんないことを言ってんのよ! これでもくらえぇ!」

チルノがスペルカードを発動すると、光に照らされた雪が動きを止める。
すかさず魔理沙が手を掲げた。その手には相棒ともいえる八卦炉が握られている。

「ふっとびやがれ!」

魔理沙が叫んだと同時に熱い温風が吹き荒れた。
一日目の夜、私の髪を梳かしてくれた暖かい風とはわけが違う。台風のように激しく吹き荒れる熱風だった。
動きを止めた雪は氷柱を形成する前に風に吹き飛ばされ、水となって散っていった。

「うわっ!!」
「霊夢やれっ!!」

チルノが顔を覆うのを見て、私は箒についていたライトを両手で掴む。そのライトには一枚のお札が張り付いていた。今日の午前、裏物置の整理で偶然見つけた強化のお札。
私は意識を集中して、ライトにありったけの霊力を込めた。

瞬間。ライトは太陽のようにまぶしく輝いた。

「やった! 成功だわ!」

このお札が外の衝撃に強くなることは知っていたが、霊力にも耐性がつくとは知らなかった。まさに一発勝負。魔理沙の読みは当たったのだ。
辺りは昼のように明るくなる。白い雪が光を受けて、なお白く煌いた。

「ううっ、まぶしっ。一体どこにいんのよ!」
コーホー『どこ見てるんだ? バカ妖精』
「えっ」

くぐもった変な声が聞こえた。チルノは頭上を見上げ、目を細めてこちらを見る。

「なっ、ば、化け物!?」
コーホー『失礼なやつだな。私は人間だぜ』

私の前にいる魔理沙は、キノコ部屋にあったガスマスクをしていた。
このマスクには強い光線を遮断するサングラスのような加工がしてあったのだ。魔理沙は、もしライトが壊れずに光った場合、もの凄い光をもろに浴びることを予測していた。だから、私に合図をした後、すかさずマスクをかぶったのだ。
今までは暗闇で私たちは何も見えなかったが、今の時点で一番視界を確保できているのは魔理沙だった。

コーホー『今まで散々やってくれたな。倍にして返してやるぜ!』

魔理沙はポケットから何かを取り出した。まぶしくてよく見えなかったが、シルエットがなんだか人形のように見えた。

「……ひ○しくん?」

一日目のガラクタ整理で裏庭行きになったひ○しくん人形によく似ていた。しかし、なんか帽子が赤いようだった。

コーホー『食らえ! 霧雨流、アーティフルサクリファイスだ!!』

気合とともに、魔理沙は人形をチルノに向かって投げつける。

「えっ! な、なにこれっ!?」

チルノの前方に吸い込まれて行く人形。すかさず私は耳を塞いだ。

「ひぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁ……」

絶叫が爆音にかき消される。チルノは吹っ飛ばされ、黒焦げになってまっさかさまに落ちていった。

「……魔理沙。あれって」
コーホー『言うな。どうせゴミ箱行きだったんだ。華々しく散らしてやるのが情けだ』
「……」

マスクの下の声は震えているようだった。

「……さーて、最後に締めましょうか」

私はライトに背を向けて、光に目がくらんでいるレティを薄目で見つめる。よほど驚いたのか、まだ、まごまごしていた。
弾幕戦において、その隙は致命的だった。

「ううぅ……。まぶしいぃ……。目が開けられないぃ……」
「じゃあ、口も開けられないようにしてあげるわ」
「えっ」

急に声が聞こえたのでレティは驚く。
私は空想穴を使ってレティの真後ろに瞬間移動した。注意を向けていなかったので、背後を取るのはたやすかった。

「はいはい、大人しくしなさいよ」
「むぐぅーーーっ!」

私は持っていた布でレティの口を塞ぎ、ロープで体をふんじばった。リビングルームの掃除の支度で、埃を防いだり、服を固定したりした物だった。魔理沙の家に置いてこずにポケットに入ったままになっていたのだ。
しばらくもがいていたレティは、やがてあきらめて大人しくなった。余ったロープを持って、なんかの荷物のように体を吊るす。

「よーし、掃除は終わったな。私たちの勝ちだ」
「なかなか変則的な勝利だったけどね」

私たちは笑いあって、頭上で手を打ち合わせた。


〜〜〜


決闘を終えた私たちは再び温泉に戻ってきた。私が霊力を込めたライトはいまも強く輝き続けているので、ここまで真っ直ぐ戻ってこられた。
最初の光具合ではまぶしすぎるので、今は周囲が見渡せるくらいに光は抑えられていた。
改めて温泉を見ると、本当に小さく見える。よくこんな雪の中でも埋もれずにいたものだ。
しかし、チルノたちが温泉脈の根元か何かを凍らせてしまったのか、今は半分以上が雪に埋もれてしまっていた。

「どうすんの? ここにあの装置を置いたって、温いお湯しか出てこないわよ?」
「まあ、その通りだな。温泉脈自体は死んでいないと思いたいが、とりあえず、こんなことをしてくれた張本人たちに聞いてみるか」

魔理沙は私がふんじばったレティの縄と布を解いてやった。もう弾幕ごっこは終わったから、縛っておく必要もない。

「はあ〜、苦しかったわ。ひどいことするわね」
「敗者に文句を言う権利はないぜ。それでお前に聞きたいんだが、この温泉はどうやって温度を下げた? それが分からないと対処のしようがない」
「え〜とね。最初はその辺にある雪をどんどんと入れていって冷まそうとしたのよ。でも、いったん冷めても温泉の下の方から熱いお湯が出てくるもんだから、怒ったチルノがお湯の出口に手を突っ込んで、何かをしたら急にお湯が出てこなくなったのよね」
「何かって何よ?」
「さあ、そこまでは。私はやっと温泉に入れるようになったから喜んじゃって、あまり深く考えてなかったわ」
「じゃあ、それをやったやつに聞いてみるまでだろ」

魔理沙は温泉に背を向けてどこかに歩き出す。
そういえばチルノはどこに行ったんだろう。人形の爆発に巻き込まれて下に落ちて行った後から姿が見えなかった。
魔理沙は迷いなく雪道を進んでいく。どこにいるのか知っているのだろうか。

「おお……」

思わずため息が漏れた。魔理沙の後に付いて数分歩いた先に芸術があった。いや、芸術的というか、滅多にお目にかかれないというか、とにかくそういうものだった。ていうか、こんなのマンガの世界でしか見たことがなかった。
だだっ広い雪原のど真ん中に足が二本生えていた。片方の足は靴を履いているが、もう片方は履いていないところに哀愁が漂う。微動だにしない二本の棒は、何かを訴えかけるかのように天を衝いていた。

「こいつはいつまで埋まってんだ? 手間のかかる奴だぜ」

自分でやっておいて手間のかかるもないと思う。魔理沙は靴のついていないほうの足を引っこ抜くように引っ張った。
ずぼっという音とともに目を回したチルノの顔が現れた。長い間雪に埋まっていても、顔に霜焼け一つないところが、やっぱり氷の妖精なんだなあと思わせる。
魔理沙はチルノを雪の上に横たえると、ぺちぺちとチルノの顔を叩いた。

「おい、早く起きろよ。お前に聞きたいことがあるんだよ」
「ふが……」

変な声を上げたが、なかなか起きる気配がない。

「仕方ないな。さっきの温泉にでも突っ込んでみるか」
「やめときなさいよ。風邪……はひかないかもしれないけど、溺れ死ぬかも知れないわよ」
「それもそうか。お〜い、早く起きろ〜。起きないとホントにお湯ん中に突っ込むぞ〜」

だんだんと、べしべしという音に変わっていき、いよいよバシバシという景気いい音になっていった。……死人に鞭打つようなマネを。

「痛いわっ!!」

魔理沙の容赦ない攻撃にたまらずチルノは飛び起きる。霜焼けにはならなかったが、顔は赤く腫れていた。

「何すんのよ! もっと優しく起こしなさいよ!」
「ようやく起きたか。さっそくだがお前に聞きたいことがある。お前、あの温泉の底に何をした?」
「温泉の底ぉ? ふん! 知らないわよ。あんなにぶったやつに教えるもんか!」
「ほー、まだまだ痛い目に遭いたいらしいな。今度はこの明るい中で、マジで容赦なくやらせてもらうぜ」
「チルノ。あんたは真剣勝負に負けたんだから、少しは言うこと聞きなさいよ。これ以上やったら、もっとひどい目に遭うわよ」
「うぐ……」

さすがに自分が圧倒的有利の中で負けたショックは大きいようだった。

「……熱いお湯が出てくるところを思いっきり氷で固めただけよ。二度と出ないようにしてやったつもりだから、多分、あの温泉の底の大体が氷になっちゃってると思うわよ」
「ふうん、ということは下にお湯が溜まっているのかしらね。氷はいずれ溶けるから、放って置けばまた沸くのかもしれないわ」
「そんな悠長なことは言ってられないぜ。すぐさま、なんとかしなきゃな」

そう言うと、魔理沙は箒にまたがってどこかに行こうとした。

「どこに行くのよ」
「決まってるだろ」

私が聞くと不敵な笑みを浮かべる魔理沙。なんだかいやな予感がした。こいつはまた変なことをしようとしている。
しかも、とびっきり大きな何かを。

「温泉発掘に行くんだぜ」

魔理沙は箒に推進力を集め、雪しぶきを上げてあっという間に小さくなった。

「……いけないわ」
「へ? なにが?」
「早くここから離れるわよ。あんた達は熱いお湯なんか浴びたら大やけどでしょうが」
「え? なになに? 訳が分かんないわよ!」
「とにかく来なさい! やけどしたくなかったね!」

私はチルノの冷たい手を無理やり引いて、魔理沙とは反対方向に向けて飛び立った。





魔理沙は温泉の真上にいた。
やっぱり放つつもりなのだ、あいつが一番好きで、最も得意とし、周りにとってははた迷惑でしかない、あいつの生き方をそのものをそのまま表したかのような、あまりにも直線的で、ぎらぎらと輝く美しい光線を。
魔理沙の周囲に膨大な魔力が集まる。箒に括り付けているライトなんか一発で消し飛ばすような量だ。
やがて、星のような光る点が現れ、それは一気に膨張し、ライトの光の中でもなお強く光り輝いた。

そして、空から舞い降りる雪の中。天と地の狭間から巨大な光の柱が生まれる。

それは広い雪原に躊躇なく突き刺さり、遅れて微かに地響きが鳴り響く。
少しずつ収束していく光の柱。
そして、先ほどまでそれが突き刺さっていた場所から、今度は水の柱が噴出した。
湯気を上げて何十メートルという高さまで噴き上がる。その熱気は、柱からだいぶ離れたこっちの方まで感じ取れた。

「…………」

どのくらいの間、私たちは見つめていただろう。
空を飛ぶ私たちに届かんとする水の柱は、やがて勢いをなくしていった。
光の柱が突き刺さっていた場所には大きな穴が空いており、そこには湯気を湛える大量の温泉が湧き出ていた。

魔理沙は、そこに大きな球を投げ入れる。球は一瞬だけ浮かび上がり、そしてゆっくりと沈んでいった。
それを見届けると、魔理沙はこちらに飛んでくる。遠目からではよく分からないが、得意そうな満面の笑みが貼りついているのだろう。

「あいつ……やっぱりバカね」

私は苦笑いを浮かべて、箒に乗った無鉄砲な黒い魔女の到着を待った。





一ヵ月後。偶然、ここの盆地を通りがかった天狗の新聞記者が、湖並みの温泉が沸いているのを発見してトップニュースに報じるのだが、それはまた別の話だった。





◇  ◇  ◇  ◇  ◇





浴室の時計は十一時半を指している。今年も残すところ、後三十分となった。

「はあ……いいお湯……」

肩までお湯に使って、疲れた体をゆっくりほぐす。温泉は問題なく動いていた。以前よりもずっと熱く、そして気持ちいい気がした。あれだけの苦労したから、その分が上乗せされているのかもしれない。
朝は七時前に起きて、それからずっと掃除ずくめ。夕方からは雪の中を飛んで雪の中で弾幕ごっこ。休むことが出来たのは、昼食兼おやつの時だけ。これで疲れないほうがおかしかった。
私はいつも、年末はゆっくりと過ごす。早めに大掃除をして、新年の支度をして、布団の中で年を明ける。それが今年は大掃除に追われて、年がもう少しで明けそうな時分にお風呂に入っている。こんなにあわただしい年越しは初めてだった。

「本当に……疲れたわ……」

まぶたが閉じそうになる。疲労とお湯の気持ちよさが、緩慢に私を眠りに誘う。
ここで眠ってしまったら浴室で年を明かしそうで怖い。毎年布団の中なのに、今年はお風呂の中で年明けか。それもいいかもしれないが、居眠りの年越し風呂なんて、笑い話にしかならない。
それに、まだ魔理沙はお風呂に入っていないし、居眠りしている私を見つけたら、どんなことをしてくるか分かったもんじゃない。その前に出たほうがよさそうだ。今年も布団の中で年を明かそう。



リビングルームに続く廊下は薄暗い。
壁に突き出すように灯されたライトはオレンジ色で、揺らめかない蝋燭のようだ。
霧雨邸の前庭を望める窓にはカーテンが引かれ、外の景色を見ることは出来ない。
私はちょっと興味を引かれ、カーテンを捲って外を見た。雪は今も降り続いている。弱々しいライトの光では、照らされる雪はほんのわずかで、どのくらい降っているのかが分からない。

真っ黒に塗りつぶされた闇の中、ガラスに映った私の顔が浮かんでいた。家と外の温度差で出来た水滴が少し顔を歪めている。
なんだか、鏡の向こうの私も疲れているように見えた。それが少しおかしかった。



リビングルームに入ると、暖かい空気に迎えられた。
ミニ八卦路がちゃんと稼動しているようだ。昨日のように頭を乾かしたいが、それは魔理沙がいないと出来ないのでやめておこう。

酒瓶とお菓子が散乱したテーブル。
そこからあまり離れていないところにあるソファーの上に、二人が並んで座っていた。

「……寝ちゃったのね」

チルノがレティに寄りかかるようにして眠っていた。
こうしていると、姉妹のように見えなくもない。元気いっぱいの騒がしい妹と、優しくおっとりとした姉。レティは冬しか体を保てないから、チルノはより懐いているのかもしれない。
私は魔理沙の椅子にかけてあった毛布を二人にかける。風邪をひくとは思えないのだが、そのままにしておくのも可哀相な気がした。

「あれ? あいつはどこに行ったのかしら……」

私がお風呂に入る前にはここにいたのだが。トイレにでも行っているのだろうか。

そう思った矢先に、玄関の方からドアを開ける音が聞こえた。……外に出ていたのか? この寒い中、何をしているんだろうあいつは。

パタパタとスリッパの音が聞こえて、向こう側のドアが開く。

「お、出てきたな。風呂はどうだった……」

魔理沙が入ってきたと同時に、私は人差し指を口に当てる。
それを見た魔理沙は、腰に左手を当てながら微笑して、口を噤んだ。
そして足音を立てないように、暖炉にあったミニ八卦炉を手に取ると、私に向かって手招きした。

「?」

私は首を傾げたが、どうやらこっちに来いということらしい。
魔理沙の顔はなにやら企んでいるようだったが、悪いものじゃないと私の勘が告げていた。







「なんなのよ。こんな寒いのに外に出て」
「まあまあ。文句言わずに待っていろ。あとたったの一分だから」
「なによ、後一分って」
「すぐに分かる。新年の幕開けを派手に祝ってやろうぜ」

魔理沙は楽しみでしょうがないといったふうに笑う。一体なにを企んでいるのやら。

私たちは霧雨邸の屋根の上にいた。すっかりお馴染みになった私のお札の結界と、魔理沙のミニ八卦炉。そのおかげで全然寒くはない。
携帯用のライトは屋根の周りを照らし出す。空を見上げると、無数の白い欠片が結界に当たって滑り落ちていく。地面を見下ろすと、霧雨邸の裏庭と昨日積み上げたガラクタの山が目に留まった。

「……ありがとうな、霊夢」

魔理沙がぽつりと言った。

「え? なに、いきなり」
「今回の大掃除のことだよ。お前はいつも年末は寝て過ごすだろう。それでも付き合ってくれたんだからな」
「……別にいいわよ。そういうアルバイトだったんだもの。もらった分は働いてやるわよ」
「けっこう割に合わないと思ったんじゃないのか?」
「……まあね。正直、働きすぎのような気はしないでもないけど……それ以上に退屈しなかったからいいわ。こんな年越しもたまにはいいもんね」
「そうか。それなら良かった」

魔理沙は空を見上げる。

「ほら。上がるぜ」

魔理沙がそう言うと、魔法の森の中からいくつものお腹に響くような重い音が聞こえた。

すると、木々の間から細い光の帯が飛び出して、空に向かって勢いよく伸びていった。

少しずつ、少しずつ、その速度は遅くなり、やがて止まりそうになった時、

光の花が咲いた。

「……」

私は息を呑んだ。
雪が降りしきる中に咲く大輪の紅花。それは新しい年の幕開けを告げた。

その花が散ると同時に、次々に号砲が鳴り響き、数え切れないほどの光の帯が空に向かって伸びていく。
思い思いに茎を伸ばした後、見事な花を咲かせては散る。……綺麗だった。

「……A happy new year.  霊夢。今年もよろしく頼むぜ」

魔理沙が横文字で新年の挨拶をする。

「……明けましておめでとう。しょうがないから付き合ってやるわよ」

私がそういうと、魔理沙は嬉しそうに笑った。


花火は途切れることなく打ち上がり、空と、屋根と、私たちの顔を、色とりどりに染め上げていった。



〜終〜



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