秋が一番好きだ。
透き通る風。清涼な空気。青い空。
冬の凍えるような冷たさとは違い、体を包み込まれるような優しい色合いを持っている。
春とは違い、厳しさを内に秘めた愛情だ。それに身を引き締められるような心持ちになるのだ。

魔法の森の上空を飛びながら下を眺めると、赤と、黄と、ほんの少しの緑が混ざった鮮やかな絨毯が視界一杯に広がる。
それが、冬に近付くにつれて薄茶けて落ち、今度は獣が踏みしめる柔らかい絨毯に変わる。
その絨毯に降り立って、葉の落ち果てた広葉樹の白骨を、空を背景に透かし見ると、例えようのない喪失感と郷愁に襲われる。それが、自分の心をあまりにも強く打ち付けるのだ。

……なんて感傷は、あの白黒い奴には分からないのだろうけど。

夏と秋の端境期をとっくに過ぎ、木の葉はすっかり思い思いの色に色づいた、ある晴れた秋の日の午前。

アリス・マーガトロイドは同じ魔法の森に住んでいる、一人の人間の魔法使いの家を訪ねていた。
彼女との付き合いは、つい最近、一、二年ほどしかない。悠久の時を生きる妖怪と、百年を待たずに命尽きる人間とでは、付き合いなどあってないようなものなのかもしれない。
それでも、彼女との付き合いは飛び切りの密度でアリスの思い出の中に残っている。それは、彼女が生来のトラブルメイカーであり、人間の常識という枠に囚われない生き方をしているからだろう。
面白い。興味の対象だった。
振り回されるのは気に入らないが、それでも退屈をしたことは決してない。だから、悪態をつきながらもあいつに付き合っているのだろう。
今日呼び出されたのも、そんな少なからずの期待があった。一体何をしでかしてくれるのか。会った途端に思わず眉根を寄せたくなるような、とてつもなく変なことをしでかしてくれるかもしれない。

そんな心持ちで、アリスは一軒家のドアを叩いた。

「魔理沙〜! 来たわよ〜!」

呼びかけると、十秒待たずにドア越しに声が聞こえた。

『……アリスか?』
「そうよ。早くドア開けなさいよ」
『アリスという証明をしろ。ドアを開けるのはそれからだ』
「……はあ?」

やはり期待を裏切らない。アリスの眉根は、図らずも顔の中央に寄った。

「なによ、それは? 声を聞けば十分でしょ? それに、呼び出したのは、あなたじゃないの」
『……何の目的で来た?』
「仕事を依頼したいからって、使い魔よこしたじゃない。詳しいことはあなたの家に来てから話すからって。それで、いま来たのよ」
『……よし、いいだろう。最後に一つ確認しろ』

まだ何かあると言うのか。

『お前の後ろに誰かいないか? つけられたりしてないか?』
「は?」

急いで後ろを振り返る。
木の陰。草むらの陰。
…………怪しげな人影っぽいものはない。

「……なにもいないわよ」
『……そうか、よし入れ』

ようやく、わずかにドアが開き、中から覗き込むように薄いブラウンの瞳が垣間見えた。
アリスは家の中に押し込まれるように入れられる。そして、アリスを呼んだ張本人、霧雨魔理沙は、一度外の様子を窺った後、静かにドアを閉めた。

「一体、なんなわけ? あなたはスパイか何かに付け狙われてるの?」

とアリスが言った途端、魔理沙はアリスの腋の下に手を差し入れてまさぐりはじめた。

「ちょ、ちょっと!」

いきなりのことだったので、思わずアリスは後ろに飛びのく。背中が壁にあたって鈍い音を立てた。

「い、いきなり何してんのよっ! 触るんなら先に言いなさいよっ!」
「触られるのが嫌なら、ちょっとスカートをたくし上げてみせろ」

……こいつは、いきなり何を言っているのだろう。本気で正気を疑った。変な趣味にでも目覚めたのだろうか。

「私は、そんな趣味はないから他を当たって」
「バカ、そんなわけあるか。変な物がお前についていないか、確かめるためだよ」

右足を引いてドアの方を向こうとすると、さらに妙なことを言い出した。

「……何よ、変な物って」
「いいから、服とか色々探ってみろ。虫みたいなのがくっついてたりしてないか?」

訝しがるアリスとは対照的に、魔理沙はいたって真剣そのものだ。
しぶしぶ、アリスは服をまさぐったりスカートを振ったりして、虫がいないか一通り探してみた。

「……何も付いてないわよ」
「本当か? ……ならいい」

ようやく満足したのか、魔理沙は表情を緩めて歯を見せる。

「……ちゃんと説明してくれるんでしょうね」
「まあな。詳しいことは、後で話す。先にテーブルに着いてくれ」

親指でリビングルームを指しながらそう言うと、魔理沙はお茶を用意しに台所に向かう。

「期待してるぜ、アリス」

そんな願掛けみたいな言葉を残しながら。



「ノリだよ、ノリ。大して意味があったわけじゃないんだ」

その辺で買ってきたか摘んできたかしたのであろう安っぽい紅茶を出しながら、魔理沙は先程の検閲っぽい行為の意味を説明し始めた。

「つまり、やってみたかっただけってことなのね」
「そうだ」

はあ、と溜め息をついて、アリスは薄い紅茶を啜る。ここは呆れるところなのか、怒るところなのか……。

「だけど、気分が昂って、つい、あんな変なこともしたくなるもんだぜ。これからやることのデカさに合わせればな」
「これからやること?」

すぐに思い至った。使い魔の持ってきた手紙が脳裏に浮かぶ。

「それが、今日私を呼んだ理由なのね」

話が早いな、と魔理沙はリビングの奥にある、乱雑に物が積まれてある自分の机に向かった。
そこから一枚のポスターを引っ張り出した。積んであった物がぼとぼと落ちたが気にしていない。

「これだよ。見たことあるだろ?」

それをアリスの前で広げて見せる。

『〜月都万象展 2〜』

ゴシック体で、でかでかと書かれた文字が、目に飛び込んできた。

「ああ、これって永遠亭でやる展示会よね。去年は用があって見送ったけど、えらく盛況だったみたいね。今年は私も行こうと思ってたわ」
「よし、決まったな」

魔理沙はニヤリと不敵に笑った。

「襲撃しようぜ!!」

目がマジだった。



まあ、その後は当然、色々と頭の痛くなるタイムに突入しなければならないので割愛する。
いきなり、襲撃しようぜ!! とか親指立てながら言われて、ハイシマス、なんて言えるはずがない。
なんとか、この横暴魔女の言葉の端端を繋ぎ合わせて、言わんとしていることを理解しようとアリスは努めた。

五分ほど言い合いをしていたが、さすがに疲れたのでソファーに寄りかかる。うっすらと埃が舞い上がった。……掃除くらいしときなさいよ、と心の中で悪態をつく。

「……はい、気分も落ち着いてきたし、とりあえずちゃんと説明しなさいよね。もう無駄に使う体力もないわよ」
「ふん、一度頷けば全て丸く収まったのに、聞き分けのないやつだ」

……落ち着け。これ以上、ギャーギャー言い合っても不毛でしかない。

「でー……要約するとー……あなたはこの展示会に出品される“蓬莱の玉の枝”を狙っていると。それを盗み出すために、私に協力を要請しているってこと。……で、OK?」
「OKだ」

ソファーに寄りかかって魔理沙を指差すと、古ぼけた背もたれ付きの椅子に座りながらグッと親指を立ててくる。……最初からそう言え。

「……私がやることは?」
「私の体になってほしい」
「は?」
「言い方を変えると、お前にあの展示会の内容を見てきてほしい。私は前回、あの展示会で盗みをして、以降出入り禁止になった。だから、今回の展示会には足すら入れさせてもらえないだろう」
「……つまり、私が斥候役ってこと?」
「ああ。あの展示会の内情を事細かに見て、情報を集められるだけ集めてきてほしい。そして、永遠亭の図面を起こしてくれ。それから策を練って展示中に、仕掛ける」
「ふ〜ん」

つまりは、月都万象展はこんなんでしたよー、と魔理沙に報告するだけの楽な仕事だ。地図も適当な物をでっち上げて、さっさと報酬を頂くとしよう。

「で、報酬は? それ次第では動きもしないんだけど」

すると魔理沙は得意げに、前回の万象展のパンフレットを投げてきた。

「そこの十二ページの下、見てみな」

言われたとおり、そのページを開いて物を見る。

「むっ、これは……」

魔理沙の読み通りになったのが気に入らなかったが、アリスの食指が動いた。

「世にも珍しい“月の自動筆記人形”だそうだ。それで会議の速記なんかをさせていたらしいな」
「当然、あなたが盗み出して来てくれるんでしょうね」
「状況次第だ。一応そのつもりだが、もしかしたらお前にも手伝ってもらうかもしれない。スケジュールがその通りにならないなんて、この世じゃざらだしな」

まあ、その通りだ。
でも、泥棒の真似事なんてしたくないのが本音だった。いざ、そういうことになったら、潔く諦めた方がいいかもしれない。もともと人様の物だし、こいつみたいに強引に自分の物にするのは、アリスの信条に反する。
自分は、前に行けなかったイベントを楽しんでくるだけだ。こいつの手伝いは二の次程度でいい。

「分かったわ、協力はする。この人形をどうするかは後々決めるわ。人形が貰えない場合は、他の報酬を貰うからね」
「よーし、決まりだ。じゃあ、詳細を詰めていこうぜ」

アリスの快い返事に、魔理沙は嬉々として資料をかき集め始めた。



魔理沙が集めてきた資料は、次のような物だった。
まず、『月都万象展2 ポスター』『文々。新聞 月都万象展2 特集号』。これは、数日後に行われる月都万象展2に関する情報である。これから乗り込んで怪盗まがいなことをするには、あまりに少ない。
そして、『前回 月都万象展 ポスター』『前回 月都万象展パンフレット』『前回 文々。新聞 月都万象展 特集号』『文々。新聞 月都万象展レポート』。これは、昨年の今ごろ行われた、前回の月都万象展の資料である。これから、前のイベントの様子などが読み取れるだろう。
最後に、『永遠亭概観』『永遠亭総力図』『前回 月都万象展 展示物・テキ屋配置図』。これは魔理沙が独自に調べた物だろう。出禁を食らった割に、かなり綿密に描かれていた。

「……これだけあれば、私が手伝わなくても大丈夫なんじゃないの? あなた一人でやりなさいよ」
「甘いな。今回もこの資料が使えると思ったら大間違いだ」

そんなダメ出しを出すと、魔理沙は新聞の特集号の前回と今回とを並べて見せた。

「見な、全然規模が違うだろ。出し物の配置も大幅に変わることが予想される。前作った資料は、半分くらいしか役に立たないだろう」
「確かにね……。これなら、最新の情報を集めるのは必須だわ」

そこで自分の出番なわけだ。出禁されている魔理沙に代わり、実際に月都万象展に入り込んで、情報を集めてくるのだ。

「モノは詳しければ詳しいだけ良いのは言うまでもない。最低限、大まかな全体図は欲しいな、あそこは平屋だから、屋根裏を調べるのも楽だ」
「ちょっと……屋根裏まで調べさせるつもり?」
「お前の人形はそのためにあるんだろ?」

ちっ、なるほど。調査を目的にするだけなら、自分が一番適している。こいつが、一番親しい博麗霊夢に頼まなかった意味が分かった。まあ、最初に頼んで、めんどくさい、と断られた可能性もあるが。

「だけど、天井裏なんて、人形が入り込めても、中の様子が分からないじゃない。せいぜい、入り込める隙間を探すくらいよ」
「ふっ、何を言っているんだ。調べはついているんだぞ」

そんなことをのたまって、魔理沙はアリスがいつも持ち歩いている愛用の本を指差した。

「? ……っ! ま、まさか見たの!?」

アリスは咄嗟に大切な本を抱え込んだが、もう遅い。

「“人形の眼球念写・およびその蓄積法”か。いやいや、なかなか研究熱心だな。そろそろ完成してるんだろ?」
「むう……」

……こいつの手癖の悪さは最悪だと思ってたけど、まさか自分の本まで調べてあるとは思わなかった。これじゃ、自分の最新研究のほとんどを知り尽くされているだろう。めんどくさいけど、今度から強力なガードをかけておいたほうがいいかもしれない。

「それを使えば、天井裏どころか万象展の会場の表から裏まで、全てを念写して溜めておけるじゃないか。私は、それを基にして、あたかも会場に行ったかのような状態になれる。抜群に作戦が立てやすくなるぜ。その念写の容量っていくつくらいだ?」
「はあ……。……鴉天狗のカメラをヒントにして作ったから、あの新聞記者の持っているフィルムにして百枚。圧縮すると、質は悪くなるけど三百五十枚」
「ほう、すごいな」
「遠距離撮影とか、そういうのは出来ないわ。あくまで、人形が見ている風景をそのまま念写するだけ。そこはまだ研究途中よ。それと、撮った念写を外部媒体に移すのも研究中。新しく撮るなら、上書きが必要になるわよ」
「おっけーおっけー。そこまで出来れば上等だ」

ぱんぱん、と手を叩いて喜ぶ魔理沙。……これは自分の最新作をこき使われるようだ。まあ、テストにはいいかもしれないが。

「確認のために言っとくけど、私がやるのはただ会場風景を撮ってくるだけだからね。それを、あなたに見せて、あなたが勝手に盗みに入った。そういうことにするから。報酬に貰う人形も、あなた経由からしか貰わないからね」
「心配するな。お前には一切迷惑かけない。よーし、これで準備が整ったぜ」

フフフ、と不気味な笑いを発しながら、魔理沙は腕を組んで窓の外を見遣った。
秋はまだ始まったばかりだった。

















〜 TAMAEDA くらいしす! 〜
















<月都万象展2、いよいよ開催>

月都万象展。

それは、幻想郷のとある地域に存在している竹林の中に“永遠亭”という和風の屋敷があり、そこで開催される、
『月のことなら、なんでもござれ! あなたの疑問にお答えします!』
を売り文句にした博物展覧会である。

自称、月の裏っかわに住んでいたという変な当主・蓬莱山輝夜氏が主催者であり、氏の所有している物品が展示されるわけなのだが、これがまた千差万別種種雑多。
空飛ぶ牛車や燃えない羽衣、超高速で突っ走る月面探査車といったお宝から、月でその辺で転がっている石っころまで、「まー、とりあえず展示しとけば?」みたいな投げやり感たっぷりの楽しげな展覧会となっている。
その中でも、一番の目玉は、国宝級のお宝といわれる“蓬莱の玉の枝”! これを見なきゃ一生損する! 刮目してみよ!

中では物珍しい展示物のほか、月面で取れたという月の砂を小瓶に詰めたいかにも胡散臭い販売品や、永遠亭に住む兎たちの作った実用的な竹細工、腕のいい薬師である八意永琳氏の置き薬コーナーなどもある。置き薬コーナーでは、一部で話題となった夢操作薬、胡蝶夢丸の七色バージョンも販売されるという。ちなみに青の胡蝶夢丸は湖中を遊泳している夢を味わえるらしい。ご興味のある方はいかがだろうか。
八意氏は、開催期間中は臨時の医師としても活躍されるそうだ。しかし、美人ゆえに仮病などを使うと大変な目に遭うかもしれないのでご注意を。

期間の中ごろからは、月の兎による持ちつきショーが開催され、来場者に餅が振舞われる。
前回の万象展では非常に好評で、売店でも突発的に販売されたほどだった。
月の兎は永遠亭に一羽しかおらず、販売は体力が尽きて倒れるまでとなっているので、突き立てをお求めの方はお早めに。

そんな、たくさんの魅力溢れる『月都万象展2』!
開催は、十月一日から一ヶ月の間。
暇なあなたは足を運んではいかがだろうか。

文々。新聞 号外第36号

<以下 永遠亭への地図が載せられている>







「この記事を書いた記者は、絶対に酔ってたわね」

時折ひらひらと舞い降りてくるチラシの中の一枚を読みながら、アリスはつぶやいた。
ロープで仕切られた竹林の中は、開場前にもかかわらず、けして少なくない人数が永遠亭を目指して歩いている。
静謐なはずの竹林は、ガヤガヤという喧騒で塗りつぶされていた。

(さすが幻想郷ね。暇人が多いわ)

そんな呆れ交じりの感想を持ちながら、アリスも同じように人の波に乗っていく。
波の流れは速く、のんびりと会場に向かおうとしているアリスはやや遅れ気味だ。
アリスは、後ろから追い抜こうとしてくる者を避けるため、自分の横を飛んでいたブロンドの人形を正面に持ってきた。その人形は、不思議そうな顔をして、アリスの顔を愛らしく見上げている。

見た目には、彼女がいつも連れている上海人形などと変わらない。
しかし、この人形の眼球には特殊な細工と呪文が掘られており、頭部内には念写した画像を幾重にも溜めておける極小魔方陣が取り付けられている。
アリスが持つ人形の中で、持てる技術をつぎ込んだ最高の一体。自慢の一品だった。

今日はとてもいい天気だ。雲ひとつない。少し汗ばむくらいの陽気。秋晴れとはこういうものを言うのだろう。
アリスは、大きく息を吸い込む。新鮮な朝の空気と、竹の少々の青臭さが鼻腔をくすぐった。
いい気分だ。今日は、きっといい一日になるに違いない。

しばらく竹林の中を他の参加者と共に歩いていくと、竹の間に古めかしい屋敷の断片が見え始めた。前方に大層な人だかりが出来ている。開場を待つ来場者だろう。

(まだ三十分も前なのに……ご苦労なことね)

自分も開場前に来ているのだから、そのご苦労なうちの一人だった。苦笑しながら、まだ名前をつけていない人形と戯れる。
操作の仕方はマスターしたつもりだが、いかんせん、今回は初実践だ。落ち着いてミスのないようにしなければ。

(……一度試してみるかしらね)

アリスは人形を抱え、人形の頭半分がちょうど来場者の頭越しになるくらいにまで宙を浮かせた。
そして、念じる。
きらっ、と人形の瞳が輝き、前にいた親父の頭が光った。

「?」

不審に思ったのか、親父がアリスの方を振り返った。
そ知らぬ顔で人形と戯れる。親父は再び前を向きなおした。

(やっぱり、まだ光が強く出るわね。うまく隠して撮らないと、バレるわ)

アリスには万象展を楽しむ他にも、魔理沙から依頼された、こなさなければならない仕事もある。
隠密でやるのが最善だ。人形を没収されたら堪らない。出来る限り見つからないようにするべきだった。



三十分後。

『ハーイ、お待たせしましたー! これより、月都万象展を開催いたしまーす!』

お立ち台に立っていた兎が、メガホンを持って声を張り上げた。
それと同時に二、三十メートル先にある柵が開き、いよいよ開場となった。
列が少しずつ動き始め、うねうねと来場者の頭が動き、永遠亭の玄関をくぐっていく。その吸い込まれていく様がアリスには面白く映った。

「おや、アリスさんじゃないか?」

と、突然、右の方から自分を呼ぶ声が聞こえ、アリスはそちらの方を振り返った。

「あ、あなたは……」
「お久しぶりだね」

銀の長い髪に気の強そうな目、そして何かの建物を思わせる特徴的な帽子。

「ええと、確か、慧音さん、だったわよね」
「ああ、覚えていてくれて嬉しいよ。博麗の神社で何度か話したきりだしね」

アリスに話しかけてきたのは、ワーハクタクという妖怪の血を半分引いた上白沢慧音という半妖だった。以前、永夜の異変のときに魔理沙と一緒になって撃ち落としたりしたが、今ではそのしこりは残っていない。

「あなたも万象展に来たのね」
「見てのとおりさ。好事家の端くれなものでね」

慧音は笑いながらそう返す。

(むう、少し困ったわね……。これじゃ一人で見学できないわ)

別に慧音が嫌いというわけではない。アリスの性格的に、一人でじっくり見て回りたいというのが本音だったからだ。
それに、横に誰かいては、気付かれずに念写するのが難しくなる。ここは、適当な理由をつけて別れる算段をつけるべきだろうか。

「アリスさんは一人かい?」
「え、ええ、まあ」
「では、一緒に行かないかい?」

とか考えている間に、二人で見て回る流れに入ってしまった。積極的だ。

「私も一人でね。一人連れてこようとしたんだが、どうしてもここに来たがらなくてね。説得したんだがダメだった」
「ああ、あの蓬莱人ね。確か、ここの主人と仲が悪いんだったわね」
「困ったことにね。だから、もしアリスさんが良ければだが……」
「え、ええ、そうね。じゃあ、そうしようかしら……」

仕方なく、アリスは慧音と一緒に行くことにした。
今の状況で一人じゃないと言うのも不自然だし、すぐに断る言い訳が思いつかない。魔理沙からもバレないようにやれと言われているので、ここは妥協して、後で魔理沙と他の作戦を考えるべきだった。

「そうかい? では、そうしよう。いや、実は私は二回目なんだよ」
「え、じゃあ、前回も?」
「ああ、その時も一人だったからね、お供が欲しかったんだよ。いや、付き合わせてすまないが」
「いえ、いいんだけど……」

そんな会話をしながら、二人は人の波に乗って永遠亭の玄関に踏み込んでいった。

永遠亭の玄関は、予想通りごった返していた。
もともと大勢の者どもが押しかけてきて耐えられるような構造ではない。兎たちの配列と点呼がなければ混乱の渦になっていただろう。さすがに二回目とあって、手馴れているような印象を受けた。

『は〜い、押さないでくださ〜い。ゆっくり三列になって進んでくださ〜い』
『館内は土足厳禁で〜す。竹篭をお配りしてますので〜そちらに下足を入れてくださ〜い』

玄関の両サイドにいる兎の指示に、参加者は従順に従っている。
こっちも手馴れているのだろうか。巡礼か何かのように、列を揃えて玄関の中に吸い込まれていく。
やがて、アリスと慧音は玄関の敷居をまたぐ。
中は驚くほど明るかった。部屋の入り口であるふすまが取り払われ、蝋燭をともした行灯が、等間隔に廊下の奥に続いていた。

「アリスさんは初めてだったね。この竹篭に自分の靴を入れて、それで見学するんだ」
「あ、なるほどね」

慧音から取っ手のついた竹篭を渡され、得心がいったようにうなずく。確かに、この来場者全員の靴を玄関に並べたら、あふれ出して大変なことになる。
しかし、アリスの靴は編み上げブーツである。竹篭はそれほど大きいわけではなく、一般的な靴を想定して作られたものだったので、アリスは靴を入れるのに苦労した。結局、靴の革がハムのように締め付けられる形になっていた。

「来場者の方は名前の記入をお願いしま〜す。ご協力をお願いしま〜す」

靴を入れ終わると、玄関を上がってすぐの所に、来場者の名前を記入する場所があった。
係の兎がおり、名前を書くようにお願いしている。

「名前なんて書かないといけないの? めんどくさいわね」
「まあ、来場者の人数をカウントするためでもあるんだろうね」
「あ、そういうこと」
「あとは、防犯のためかな? 誰が来場したか把握していれば、盗難に遭ったときに対策を立てやすくなる」

防犯と言われて、アリスの心臓が少しばかり跳ねた。
少しばかり逡巡する。
……まあ、盗みに入るのは魔理沙だし、名前を書いた方が内偵に来ていることがばれずに済むような気がする。
そう考え、アリスは書面に記帳した。

「いらっしゃいませ〜。永遠亭特製の竹細工はいかがですか〜?」

記帳台のそばには二つの部屋があった。
まず、右手の方には、明るい雰囲気の売店が一つ。
竹細工の多さが目に付くが、他にも瓶詰めの薬らしきもの、箱入りのお菓子のようなものが売られている。
まあ、お土産は見物したあとに買うのが定石だ。今は見送ることにしよう。

もう一つは“龍の間”と欄間に板付けされた部屋。順路的には、こちらから回ることになっていた。

「では、始めはこの部屋から行くかい?」
「ええ、そうね。ここは何があるのかしら」

多くの来場者の後について、二人は最初の陳列棚に向かった。
竹柵の向こう側では、臙脂色の布がかぶせられた台があり、その上には見たこともないような美しい宝石類が散りばめられていた。

「わあ……綺麗ね。こんな宝石、今まで見たことないわ」

繊細にカットされた宝石は、室内の風景を様々な角度で切り取り、縁にわずかな光をたたえていた。アリスはその中で、真珠のような白い玉の首飾りが気になった。

「蓬莱山輝夜が月で身に着けていた物らしい。これほどのものを所有しているとは、さぞかし豪勢な生活を送っていたことだろうね。紅玉は月では稀小品で、王族しかつけることは許されなかったそうだ」

慧音がアリスの横で解説を加える。

「詳しいのね」
「なに、本の受け売りさ。……そっちの首飾りが気になるかい?」
「え、ええ、まあ」
「それは、一見真珠のように見えるが……」

慧音は自分の知識欲がうずくのか、アリスが興味を持ったものを事細かに説明してくれた。
龍の間は宝石やアクセサリー類が並んでいる。慧音はそれらの素材や由来に至るまで、全て把握しているような感じだった。
初めてこのイベントに来たアリスとしても、専門のガイドがついているのはありがたい。本を見て調べる手間がない。その部屋ではずっと慧音に質問をしながら回っていた。

仏の間は骨董・巻物類、火鼠の間は反物類、燕の間は日常品・遊具の類、蓬莱の間は牛車から月の石に至るまで、慧音はアリスのガイドだった。
展示を見回っている時間はあっという間に過ぎ、二人は五つの部屋を一時間程度で回り終えた。
特に、アリスの目当てであった“月の自動筆記人形”は蓬莱の間にあった。それについても慧音は丁寧に教えてくれた。もっとも、傍らに速記官がおり、その指を追って人形が速記を進めていくという“自動”には程遠いものと知って拍子抜けしたわけだが。

「さて、次はいよいよ“蓬莱の玉の枝”だね」

蓬莱の間を出た慧音は、出た先についていた看板を見てそう言った。

『蓬莱の玉の枝⇒』

と書かれた看板だ。

「すごいわね。この展示物だけ特別な部屋があるなんて」
「なんといっても国宝級らしいからね」
「国宝、ったって、国? 国ってどこよ?」
「まあ……ええと……幻想郷、かな……?」
「幻想郷の宝、ってわけ? ずいぶんと大層なものね」
「ああ……まあ……外の世界ではとんでもないものなんだけどね……」

早くも、大したこと無さげな物を見るのではないか、という空気がアリスの周囲に漂っていた。
そもそも、そういった大げさな肩書きを持ったものは、総じて大したことないのが相場である。
だが、金まで払ったのだから、最後まで見ておかなければなぁという気持ちもある。
結局のところ、なんだかんだ言いながら、そのブツを見ることになるのだった。

「で、では、いこうか。ここの角を曲がった先にあるようだから」

慧音の後に続き、アリスは蓬莱の間を出る。
……ふと、後ろを振り返ると、結構な人数が後をついてきた。しまった、少し邪魔になってしまったようだ。
アリスは急いで後を追う。蓬莱の間を出て右に曲がると、行灯に照らされた廊下にロープが張られ、すぐ行き止まりにされている。その隣の座敷が、例の蓬莱の玉の枝が展示されている部屋のようだった。

展示室は、一種の幻想的な空間となっていた。
角に置かれた四つの行灯が部屋を薄暗く照らし、中心にある台座のようなものを天井からライトが照らしていた。
台座の上には、正方形の形をしたガラスが置かれ、その中に想像していた物よりはるかに小さい展示物が据わっていた。

「これが……蓬莱の玉の枝……」

慧音が感慨深げにつぶやく。竹の柵に寄りかかって、ガラスの中身を見つめていた。

「へぇ……見た感じは木の実に似ているのね」
「そうだね。だが、この秘宝は、やはりただの木の実ではないんだ」

そして、慧音のお得意の講釈が始まる。

「蓬莱の玉の枝。今から約千二百年前。外の世界で出版された“竹取物語”という絵巻物に、その名が記されている。当時の農村に、なよたけのかぐやひめ、という絶世の美女がいた。貴族・藤原不比等はそのうわさを聞きつけ、かぐやひめに求婚をした。それに対しかぐやひめは、蓬莱の山に存在するというこの秘宝を取得してくれば結婚を許すと言った。しかし、この場所は、到底たどり着くことは不可能とされた、伝説の山だった。藤原不比等は秘宝の持ち帰りをあきらめ、知り合いの腕のいい造形師に贋作を作らせた。それを持ち、かぐやひめの家を訪ねたが、造形師が金銭を要求しに彼を訪ねに来たことによって贋作を作ったことがばれ、大層恥をかかされたということだ」

軽く慧音の説明を聞き終えたアリスは、彼女の方を振り返る。

「それで……ここにあるのが、その本物の秘宝、なわけ? それとも、贋作の方?」
「さあ……どうだろう。これが、竹取物語に記された蓬莱の玉の枝であるという保証はない。あくまで、記述された文献がある、というだけだからね。でも、ここの主人は本物であると言っている。一体どちらが本当なのだろうね」
「……」

伝説に包まれた蓬莱の山。そこにあるとされる、蓬莱の玉の枝の本物、と言われるものが目の前にある。
本当に本物なのだろうか。蓬莱の山自体が伝説なのに、それを確かめる術はあるのだろうか。

「お姉さん、お詳しいようだが、あなたは学者か何かですか?」

ふと、一緒になって蓬莱の玉の枝を見ていた老人が、慧音に向かって言葉を投げた。

「あ、いや、そうではないが……聞きかじった程度の知識しかないんだ」
「では、その知識を少し拝借させてもらってもいいかな? 解説してもらいたい骨董品があってね」
「ああ、俺もだ。見てもさっぱりわけの分からんものばかりだからなあ」
「私も、ぜひお願いしたいね」

いつの間にか、慧音の周りには好事家と思われる少し歳のいった年配の方たちが取り巻きになっていた。
そうか、とアリスは思い至った。さっき後ろをついてきたのは、アリスに解説を加えている慧音の話を盗み聞いていた人たちだったのだ。

「え、ええと、弱ったな。アリスさんはこれからどうするんだい?」
「いいわよ、行ってあげて。ここで展示物は終わりなんでしょ? 私は充分勉強になったから、その人たちに色々教えてあげるといいわ」

困ったような顔をしているが、その実、慧音は自分の知識を披露したくて仕方ないのだ。それは、一緒に回っていたアリスだからこそ分かることだった。

「そ、そうかい? では、ここでいったん別れようか?」
「ええ、私は外の出店やお土産屋を回っているわ。また会えたらご一緒しましょ」
「そうか。それじゃあ、また後で」

そう言うと、慧音は少し名残惜しそうな素振りを見せ、次には好事家連中の先頭に立って歩き始めた。その姿に、アリスは苦笑する。

「さて、と。私は外を回ってみようかしらね」

玄関を入ってくる途中、左手側に少しだけ見えた。神社の縁日を思わせるくらい、多くの出店が立ち並んでいた。その中を歩いているだけでも楽しめるだろう。

アリスは薄暗い展示室を出て、玄関に向けて廊下を歩き始めた。







「あんず飴はいかがー! 美味しくて甘いあんず飴だよー!」
「お、そこのお嬢ちゃん、焼きそばはどうだい! 腹へってないかい!」

威勢のいい掛け声に、アリスは愛想笑いを浮かべてやんわり断る。
予想以上の熱気だった。永遠亭の中にいたときはほとんど聞こえなかったのに、いまは出店の親父たちの声が騒音となってアリスの耳を貫いている。
鉄板が焼ける音があちこちで響き、親子連れが金魚すくいを覗き、子供たちが狭い道を走り回る。まさに縁日だ。
これだけの屋台が立ち並んでいるとあらば、場代だけで相当な金額になるだろう。博麗の神社でやればさぞ儲けられるに違いない。あそこの巫女は金儲けの才能がないらしいと改めて思った。

(お腹はそれほど空いていないんだけどね。それに、食事なら中にあった食堂の方が落ちついて出来そう)

まだ昼には少し早いので、永遠亭内の食堂は閑散としていた。これから混み始めることを考えると、さっさと食事は済ませたほうがいいかもしれない。

「♪〜〜♪♪〜〜〜♪〜♪〜〜〜」
「……ん? この歌、どこかで……」

歌に惹かれるように、アリスはそちらの方に進んでいった。
そこには見知った顔があった。

「あ! いらっしゃい! 八目鰻の蒲焼はいかが?」
「あなたは……」

いつしか会ったことのある夜雀、ミスティア・ローレライだった。
食欲をそそる、タレの匂いを含んだ煙が立ち上る屋台の中で、鰻に串を通している。

「お久しぶり〜。あんたもここに来てたんだね。物好きの一人として」
「ええ、まあね。あなたはここで屋台?」
「そうよ。出張屋台! いつもの所でのんびりやるだけが商売じゃないからね。チャンスがあったら、幻想郷の果てまで飛んでくわ」

商魂たくましいことだった。
鰻の蒲焼はジュウジュウ火の中で炙られながら、タレをてかてかと光らせている。
アリスの口の中に、半ば強制的に唾液が出た。

「どう、一本! 顔見知りだからね、安くしとくよ!」
「そ、そう? じゃあ、一つもらおうかしら」
「まいどあり!」

ミスティアは嬉しそうに蒲焼にタレを塗る。こぼれたタレが火の中に落ちて、景気いい蒸発音を立てた。

「あなたは、ここでずっと屋台をやってるの?」
「ううん、イベントは一ヶ月で、その間に二、三回休みをもらうよ。さすがに、ばてちゃうもん」
「それはそうよね」
「でも、これだけたくさんの人が集まる機会なんて滅多にないからね。本当なら一ヶ月ぶっ続けてやりたいくらい! やればやるだけ、お金が入る機会が広がるってもんだからね!」

このバイタリティの豊富さは見習いたいな、とアリスは思った。
そもそも、幻想郷の連中は、のんびりまったりが日常に組み込まれているし、アリスもそちらの方が性に合っていた。
……いや、そうではないか。
毎日がのんびりまったりしているからこそ、こういったお祭りを思う存分楽しもうと思うのだろう。
たまの宴会ではみんな、これでもかというくらいに騒ぎ立てて、日頃の鬱憤を晴らしているかのように見える。
これは、宴会なのだ。参加しているメンバーこそ、いつもと違うが、この縁日は宴会の延長線上にある。
ならば、楽しまなければ損だというものだろう。

「はい! できたよ〜! アツアツのうちに食べてね〜!」

ミスティアから大きな笹にくるまれた蒲焼を受け取る。
一人前の蒲焼は、何の変哲もない蒲焼だったけど、アリスはこの上なくおいしそうに見えた。

がぶっ
「おおっ、いい食いっぷりだね〜」
「まあね。お祭りだし。少しくらい、はしたなくてちょうどいいわ」

アリスがそう言うと、ミスティアは白い歯を見せて笑った。

『ちょっと! どういうことよ!』

アリスが蒲焼を頬張っていると、屋台が続く先の方から、女の子が叫んでいるのが聞こえた。

『どういうこともねぇだろ! こんなことやっちまってどうするつもりだ!?』

その後に続く男の声。

「おおお? 何かあったらしいね。祭りに喧嘩は華だよ、見に行ってみようか!」

ミスティアは屋台を飛び越えて、アリスの目の前に着地する。

「あなた、屋台は?」
「あとあと! どうせ、あんたが最初のお客だったし、昼頃まで大して来ないよ!」

そう言って、ミスティアはアリスに先んじて走り出す。

「……はあ、仕方ないわね。人の喧嘩なんて、別に見たいもんじゃないけど」

しかし、他にやることもないので、アリスはミスティアの後を追った。



剣呑な声がした周辺では、そこをかこむように人巻きが出来ていた。
ミスティアの隣に立ったアリスは、人の間から向こう側を覗く。
頭に鉢巻をした体格のいい親父と、赤い服を着た金髪の少女。どうやら、二つの屋台の主人同士のいざこざのようだった。

「あ、あいつは」
「? 知ってるの? どっち?」
「右の赤い服着ている娘よ。あの人形、こんな所で何やってんだろ」

人形? アリスの目が、赤い服の少女に集中する。
……遠目からでは、妖怪にしか見えない。しかし、節のある指、首周りの駆動部分。よく見ると、確かにあれは人形だった。

(すごい、あそこまで自然に、しかも、あれだけ完璧な声帯機構を作りだすなんて。よほど腕のいい人形師……)

アリスは感嘆するとともに、少しばかり嫉妬した。人形の声帯を作ることは、もちろんアリスの研究対象だった。しかし、あの赤い服の人形は、明らかにアリスの作品の上を行っている。

(操者は? ……どこにいるの? ……見当たらない。どこかに隠れているの?)

よく、分からない。人形が屋台をやっていて、その操者が操っている。そう考えるのが自然だ。なのに、トラブルが起きているのに、操者が出てこないのは不自然だ。

「そんなこと言われたってっ……私は毒なんか出してないわっ! そういう風にしといたもんっ!」
「嘘言うなっ! だったら、何でうちのひよこは、こんなんになってるんだ? 隣はたこ焼き屋だし、お前が毒入りの鈴蘭を表に出しておいたから、ひよこが変になっちまったんだろうが!」

親父の向こうにいたカラーひよこたちは、皆ぐったりしていて、目を閉じてひくひく動いていた。明らかに、なにか変なものでも食ったのだろうと予想できた。
そして、親父の言うとおり、赤い服の娘の向こう側には鈴蘭があった。屋台骨も何もない。両隣の屋台に挟まれて、ただ土に植わっているだけの鈴蘭だった。

「あちゃー、こりゃ、百パーセント、あの人形が悪いね。ひよこたちは、鈴蘭の毒にやられたに違いないわ」
「え、どうして言い切れるの? 鈴蘭なんて、口に入れなければ大したことないでしょ?」
「なんだか知らないけどね、あの人形が持ってきたあの鈴蘭、普通の鈴蘭よりも毒がもんのすごく強いのよ。空気に染み出して吸えるくらいね。こんな所に持ってくるなんて、どんな神経してんのかしらね」

腕を組んで憤慨するミスティア。事情が大分見えてきた。
悪かったのがあの人形であるということ。そして、あの人形はそのことを理解していないということ。そして、あの人形の操者らしき者は、こんな事態になっても未だ姿を見せない、ということだ。

ならば、アリスがやることは一つだった。

「ちょっと! ちょっと通して!」

人垣をかき分けて、取り巻きの中にアリスは飛び込む。
当事者の二人の目が、そちらの方を向く。
赤い服の人形のそばに立ったアリスは、目線を合わせるためにかがみ込んだ。

「……だれ、あなた?」

不信げな目。だが、アリスは負けじと笑いかけた。

「ねぇ、あなた。ここは一度謝って鈴蘭をどかしてみたらどうかしら?」
「えっ! なんでよー! 私はスーさんの毒をしっかり押さえてたわ! そのひよこが勝手に調子が悪くなっただけよ!」
「何だと、コラ!」

男が不機嫌になったので、アリスはすぐに言葉を継ぐ。

「どうして、あのひよこたちは調子悪くなったんだと思う?」
「それは……ええと……」
「あなたが、そのスーさんの毒を押さえていたっていうのは認めるわ。だけど、あのひよこたちは、現に鈴蘭の毒で調子が悪くなってしまったのよ」
「そ、そんなことないって……」
「ね? 私も一緒に謝ってあげるから、ここは一度ここから離れてみましょう。それでも、このひよこたちが調子悪かったら、その時に文句を言えばいいわ」
「うーん……」

人形は考えているようだった。しかし、ひよこは鈴蘭の毒でおかしくなった可能性が高いのだ。さっさと謝ってしまった方がいい。
そう考えたアリスは、さっと立ち上がって親父の方に頭を下げた。

「すみませんでした。すぐに鈴蘭をどかしますので、許してくださいませんか?」
「お、おう……」

急に現れて人形の代わりに謝る少女に、親父はさすがに困惑しているようだった。

「まあ……どかしてくれるんなら、いいんだけどよ。別に、あんたが悪いわけでもねぇし……」
「ありがとうございます。すぐにどかしますので」

そう言って、アリスは人形の背後にあった鈴蘭を、素手で掘り返し始めた。

「さ、あなたも。この奥の竹林に持っていけばいいわ。そこまでは毒も届かないでしょうし」
「う……うん……」

しぶしぶ、といった感じで、人形もアリスの横で土をいじり始めた。



「はーい、これで全部ね」

ミスティアが最後の一株を土の上に乗せたところで声を上げた。

「ごめんなさい、手伝わせて」
「いいって。なんとなく、見て見ぬ振りするのはかわいそうな気がしたしね。貸し一ってことでいいわ」

屋台街の喧騒が遠くに聞こえる。先ほどの屋台裏からかなり離れた竹林の中で、アリスとミスティア、そして仏頂面した人形が集まっていた。
足元には、せっせと移してきた鈴蘭が五十株ほど。土が盛られた小山に鈴蘭が生えている様は、ちょっとした鈴蘭畑だった。

「さ、これでいいわ。そろそろ事情を聞かせてもらってもいいかしらね」
「……」

アリスは人形に話しかけた。しかし、人形の方は、未だ面白くなさそうな顔をして黙っている。

「まずは自己紹介しましょうか。私は、アリス・マーガトロイド。アリスって呼んでね」

悪意のない微笑みを向けると、人形の方もぼそぼそと話し始めた。

「……メディスン・メランコリー」
「メディスン? メディスンちゃんね」
「メディスンでいい。なんだか、バカにされてるみたい」

棘のある口調を隠しもせずに、メディスンはアリスを上目遣いで見つめる。
だが、アリスはそんなことなど全く気に掛けない様子で話を進める。

「あなたはあそこで、この鈴蘭を売ろうとしていたの?」
「そうよ。それを、あなたに止められた」
「そう……ごめんなさい。あれしか思い浮かばなかったものだから」
「いいよ。何でか知らないけど、あのひよこたちはスーさんの毒で痺れてた。私だって、そのくらい分かるもん」
「そう、偉いわね」

アリスは慈しみに満ちた目でメディスンを褒めた。いきなり褒められたメディスンは少しだけ頬を染めてそっぽを向いた。

「あなたは、一人きり?」
「……そうよ。私だけ」
「あなたの操者は? あなたが困っていたのに現れもしないのかしら?」
「え? 操者?」

メディスンは初めて、怒り以外の感情をあらわにした。

「操者ってなに?」
「あなたを操っている人のことよ。どこかに隠れているんでしょ?」
「操る? 何を言っているの? 私は一人だって言ったでしょ?」
「え?」

今度はアリスが目を丸くする番だった。会話がかみ合っていない。何か前提が間違っている。

「そうよ。その娘は一人よ」

後ろにいたミスティアが口を出した。

「どういう理屈か知らないけど、その人形は一人勝手に動いているの。糸とかそういったものは一切使わずに一人でにね。あんたって、そういうの詳しいんじゃないの?」
「…………え? ま、まさか……本当に……?」

ミスティアの言葉の意味を、頭がなかなか理解してくれない。
一人勝手に動いている。糸など、そういったものは一切使わず。

つまり、この人形は今の今まで、自分で考え、行動し、感情を表に出し、表情を顔に出していた、ということなのだ。

「…………………………………………………………」

それは、アリスが求めていた人形の極地。
“自律人形”の最終形だった。
それが、いま、アリスの目の前にいる。

「え、えっ……と、つまり……」

手のひらで額を押さえる。頭がうまく回ってくれない。思いがけない、自らの目標との対面。想像するしかなかった領域が目の前に顕現している。それが、アリスの脳をかき乱している。

「ちょっと……だいじょうぶ? 顔色がよくないわ」

メディスンがアリスの心配をする。
この動作。そして気遣い。これも全て、この人形が自ら考えて行動に移しているというのか。頭が変になりそうだった。これ以上考えると、本当にパンクしてしまう。

「だ……大丈夫よ。ちょっと……眩暈がしただけだから……」

アリスは考えるのを停止した。とりあえず、この人形が自分で動いているという事実を横にのけておく。後でじっくりと考えてみればいい。今やるべきことに集中しよう。

「ええっと……まずね、あなたがあそこで鈴蘭を売ること。あれはやめた方がいいと思うの。この鈴蘭は毒が強くて、空気からも吸い込めるって聞いたわ。だから、あそこでこの鈴蘭を売っていると、ひよこだけじゃなく、屋台のおじさんたちも調子が悪くなってしまうかもしれない。分かるかしら?」
「そんなの百も承知よ。だから、私はスーさんの毒を完全に抜ききって売ってたのよ」
「え? どういうことかしら?」
「私はあらゆる毒を操る能力があるの。スーさんの毒を抜くなんて朝飯前。何なら、調べてみればいいわ。そこにあるスーさんは、みんな毒が抜け切っているから」
「……」

信じられない。嘘をついている様子はないし、この人形はそんなことも出来るのか。

「だから、あそこでひよこの具合が悪くなった理由が分からないのよ。スーさんから毒を吸い込んだっていう可能性は絶対にないし」

メディスンは怒りながらも首をひねる。こちらと同じように、さっぱり訳が分からないらしい。

「あんたが毒を吐き出しているからじゃないの?」

と、横から口を入れたのはミスティアだった。

「え? ミスティア、どういうこと?」
「あんたは知らないでしょうけど、この人形って猛毒の鈴蘭の丘に住んでるのよ。人形だから毒は効かないんでしょうけど、その丘から降りてきたんだから、あんたん中に毒が溜まってたっておかしくないんじゃない?」
「……なるほど」

そういうこともあるかもしれない。人形は、基本的に器だ。毒を溜めておくことは出来る。人間や妖怪と同じに考えることは出来ない。

「どうかしら、メディスン。そういう可能性はある?」
「……分かんないけど……」
「それ以外に考えられる可能性は?」
「……」

ちょっと言い方がきつかったか。メディスンは黙り込んでしまった。
しかし、大方原因が見えてきた。メディスンがその猛毒の鈴蘭畑に常時いるのだとしたら、彼女の身体のどこかに毒が溜まっている可能性がある。それが呼吸(しているのか分からないが)と共に吐き出され、ひよこに影響を与えた。いま一番納得できる考えだった。

「うーん……困ったわね。もし、そうだとしたら、メディスンはあそこで屋台が出来ないわ」
「えっ!? あんた、この娘にまだ屋台やらせる気でいるの!?」

ミスティアが驚いたように声を出す。

「どう、メディスン。まだ、屋台やりたい?」
「それは……やってみたいけど……」
「うん、だったら出来る方法を考えてみましょう。大丈夫、何か方法があるわ」

アリスは言い聞かせるように、優しい声でメディスンをなだめた。
メディスンの目は不思議そうだった。何故、こんなに自分のために良くしてくれるのか。そう言っているかのようだった。

「は〜、もー付き合ってらんないわ。勝手にして」
「ちょっと待って、ミスティア」

やれやれ、と首を振って退散しようとするミスティアをアリスは呼び止めた。

「なにー? もう、私が出来ることなんて何もないわよ」
「迷惑ついでで悪いんだけど……この子の屋台を作るのを手伝って欲しいの」
「はあ!?」

振り向きざまに、素っ頓狂な声をミスティアは上げた。

「あなたは屋台のやり方をわきまえてるし、屋台骨とかの設営も慣れてると思うの。お願いだから、この子の屋台を作ってあげて。お礼は後でいくらでもするから」
「…………」

ミスティアは困ったような顔をして、ため息をつく。そして、頭をかいた。

「はあ……今日は厄日ね。一日の売上を損したわ」
「手伝ってくれる?」
「……条件は一つ。あんたらが屋台をやってる間、一日に一本は必ず私の鰻を買うこと。それで許してあげるわ」

そう言うと、ミスティアは反転して宙を浮いた。

「さっさと材料集めてくるわ。出来る前に、あんたはその娘の毒をどうするか考えときな。私も造り損になったら最悪だからね」

言い残し、ミスティアは屋台街の方に飛び去っていった。

「……ありがとう、ミスティア」

小さく礼を言い、アリスは再びメディスンと向き合った。

「さあ、あなたの毒をどうするかを考えましょうか。さっき毒を操れるって言ってたけど、あなた自身の毒は操れるの?」
「その前に、一つ教えて?」

メディスンは、アリスの問いに問いで返した。真剣な眼差しをたたえて。

「……うん、なに?」
「なんで……なんで、私のためにそこまでしてくれるの? 私たちって今日初めて会ったばかりだし……私、あなたのこと全然知らないし……」

そう言うと、メディスンはうつむいてしまった。

「……」
「わっ、な、何? この人形?」

一体のブロンドの人形が、メディスンの頬を撫でていた。アリスが連れていた、あの念写人形だった。
そして、アリスは、メディスンの頭に優しく手をのせる。

「私はね、人形が大好きなの。それだけじゃ足りないかしら」

その言葉に、メディスンは顔を上げた。

「それこそ、ベッドに一緒に入れて寝ているくらいに、私は人形が好きなのよ。毎日話しかけているし、おめかしもさせているわ。だから、あなたのこともほっとけなかったのよ。あなたが一生懸命にやろうとしていることなら、私もそのお手伝いをさせてくれないかな? ……ダメ?」

メディスンはアリスの目を覗き込む。真意を測るように。

「ううん……そんなことない……すごく、嬉しい。だって、私に無条件で優しくしてくれる人なんて、今まで一人も会ったことなかったから」

メディスンの目から、一粒、雫がこぼれた。アリスはそれを見て、哀憫と驚嘆がない交ぜになった。

「あなたが戸惑うのは分かるわ。だけど、私があなたのお手伝いをしたいというのは心からの気持ちよ。それを、あなたの前で実際にやって見せたいの。もし、嫌だったら、はっきり嫌って言ってくれればいいわ。私はあなたが嫌がることはしたくないから」

アリスは優しくメディスンの頭を撫でた。
毒の詰まった身体など関係ない。いま、目の前にいるのは、一人孤独に生きてきた一体の人形なのだ。それに愛情を注がないで、何が人形遣いなのか。

「じゃあ、考えましょう? さっきの質問をもう一度するわ。あなたの毒は、どうにかして外に出さないように出来ないの?」
「……わかんない。今まで、そんなこと気にしたこともなかったから。人間みたいに呼吸をしないと生きられないし、息を止めたら、きっと死んじゃうわ」

やはり、この人形は呼吸をしているのか。驚くことが目白押しで、アリスの頭はもう許容量を超えている。
呼吸をしている、ということは、アリスのような妖怪、そして人間に近い生体を持っているのかもしれない。人形、という枠に囚われないで考えたほうがよさそうだ。

「うーん……困ったわね。あなたの毒をどうにかしないと、屋台が出来ないわ……」
「あのね、困ったことがあったら人に聞け、って知ってる?」
「ええ、もちろん知ってるけど……一体誰に聞いたら……」
「その言葉、ここの薬師の永琳が言ってたんだけど、あの人に聞いてみたらどうかな?」
「永琳?」

永琳。八意永琳。永遠亭の薬師。そして、毒と薬のエキスパート。

「そ、そうだわ! どうして思いつかなかったんだろう! あの人に聞いてみればいいんだわ!」

人間、妖怪に近い身体を持っているのなら、あの薬師は何らかの手段を持っているかもしれない。それに、メディスンは永琳と面識があるようだ。このアドバンテージも欠かせない。

「行きましょう! 確か、あの人は永遠亭で救護についているはずだわ!」
「わわっ」

あわてるメディスンの手を引き、逸る気持ちでアリスは永遠亭の玄関を目指した。



未だ混雑している永遠亭内部。永琳がいるという救護室は、入り口の売店のすぐそばにあった。
係の兎から案内を受けたアリスとメディスンは、すぐさま、その部屋の入り口に立った。“救護室”という目立たない掛札がかかっている。

「じゃあ、いいかしら」
「うん」

アリスはメディスンと手を繋いだまま、救護室のドアをノックした。

『はい、どうぞ』

落ち着いた声が中から聞こえた。アリスはゆっくりとドアを開く。

「こんにちは」
「? あら、久しぶりね。ずいぶん会っていなかったけど、元気だったかしら?」

永琳はいつもの服を身にまとい、椅子に足を組んで座っていた。
永遠亭は和式の座敷なのに、なぜかこの救護室だけ洋室のつくりだった。消毒薬の微かなにおいが鼻をつく。

「どうしたのかしら? 人が多すぎて気分でも悪くなった……あら?」
「こんにちは、永琳っ」

永琳はアリスの後ろにくっついていたメディスンに気が付いた。

「はい、こんにちは。珍しいわね、永遠亭に来るなんて。もう何ヶ月も来てなかったんじゃないかしら?」
「うん。でも、今日はここで屋台をやってるから、久しぶりに遊びに来たの」
「屋台?」

メディスンの言葉を聞いた永琳の顔が、アリスには少し曇って見えた気がした。

「……ふむ、そういうこと。大体分かったわ。あなたたち、メディスンの毒をどうにかして欲しいんでしょ」
「えっ、な、なんで分かったの!?」

事情を説明する前から、永琳にはなぜ救護室に二人が現れたか見当がついたようだった。

「そりゃ、分かるわよ。その子は特別な身体をしているもの。全く、てゐったら、この子が来ることをきちんと教えておいて欲しかったわね。えーと……」

そう言うと、永琳は奥の戸棚に近づいて、一番下の引き出しを探り始めた。程なくして、一本の小瓶を持ち出してきた。

「はい、これを飲みなさい」
「あっ、これって、ここに来たときにいつも出してくれるお薬よね」
「そういえば、ちゃんと説明してなかったわね。簡単に説明するとね……」

永琳は腕を組んで考えをまとめる仕草をとった。

「あなたには身体の調子を整える栄養が入った薬だって言ってたけど、それは、あなたが吐き出す混合ガスを抑える効果がある薬なのよ」
「混合ガス?」
「別に驚くことじゃないわ。人間も妖怪も、酸素と窒素の混合ガスを吸って、二酸化炭素を吐き出している。それが、メディスンはちょっと違うだけ。鈴蘭の毒を吸い込んで、そして他の混合ガスに変えて吐き出しているのよ。でも、そのガスは人間や妖怪には害になってしまう。この薬は、あなたがガスを吐き出すときに無害なものに変える効果があるの。それを飲めば、一月程度は人ごみの中にいても、誰も倒れることはないわ」
「そ、そういうことだったの……」

意外にも早く解決法が見つかった。というか、すでに薬が存在していたのか。

「だから、あなたはあまり、あの鈴蘭畑を離れると危険よ。人間でいう酸素が無い状態で動いているから、いつ動けなくなるか分からないわ。少しでも調子が悪くなったら、鈴蘭畑に戻って毒を吸収してくること。いいわね」
「う、うん、分かったわ」
「でも、随分と手際がいいわね。前にもこんなことがあったみたい」

アリスが当然の疑問をすると、永琳も当然のように答えた。

「そりゃそうよ。この子は時々ここに来て毒の勉強をしていくもの。その時に、うどんげが調子悪くなってね。これは何かあると思って調べてみたら、案の定、って所かしら」
「はあ、なるほど」
「私の方も驚いたわ、メディスン。まさか、屋台をやってるとはね。一体、何を売ってるの?」

永琳から渡された薬を一気に飲み干し、メディスンは答えた。

「んっ……んぐっ……もちろん、スーさんよ。スーさんを沢山持ってきて、並べておけば、勝手に買ってってくれるわ!」

自信たっぷりに言うメディスンとは対照的に、永琳は机にひじを乗せ、頬杖をつきながら冷静にその様子を想像しているようだった。

「……それだと、なかなか売れないんじゃないかしらね」
「えっ、どうして!?」
「いえ、常識的な見解よ。鈴蘭が可憐な姿をしていることは認めるわ。でも、まず、何の包装もしていない土がついたままの鈴蘭は、持っていくだけでも大変よ。それだけで購買意欲は失せてしまう。まずは、鈴蘭の包装を考えるべきね。鉢植えにするのなら、ちゃんと持ちやすいように取っ手をつけたりして」
「えー、そんなめんどくさいことするのー?」
「商売、っていうのはお客さんありきだからね。お客さんが喜んでくれないと意味が無いのよ。自分だけの都合で売っているうちは、お客さんは来てくれないわよ」

まったくもって建設的な意見だが、メディスンはふくれっつらをしていた。
どうやら、この娘は社交性というものがあまり身についていないらしい。他人の立場に立って考えることが出来ないのだろう。

「……他になにかいい方法は無いかしら。鈴蘭だけを売るっていうのも、何か味気ない気がして」

アリスはなりふりかまわず、目の前にいる知識人を頼った。何とかメディスンの屋台を成功させてあげたい。その一念だった。

「そうねぇ…………あ、そうだわ」

何かを思いついたように永琳は手を打つ。

「えっ、なになに? 何を思いついたの?」
「鈴蘭は観賞用としても、もちろん可愛いけど……他にも実用法があるのよ。そうね……メディスン、ちょっと自分の鈴蘭畑に戻って、とびっきりの毒の入った鈴蘭をありったけ持ってきなさい」
「えっ、う、うん、いいけど」
「もしかしたら、かなり品質のいい物が作れるかもしれないわ。あそこの鈴蘭の毒はものすごいから。あなたが持ってくる間に、私は準備しておくわね」

そう言うと、永琳は救護室の奥に姿を消した。……救護の仕事はいいのだろうか。

「じゃあ、どうする? 私もついていこうか?」
「ううん、アリスはここにいて。あそこは本当に毒の丘だから。アリスに迷惑かけたくないの」
「……そう。じゃあ、ここで待ってるわ。気をつけてね」
「うん、ありがとう! それじゃ、行ってくるね!」

元気よく飛び出していくメディスンを見送りながら、アリスは一人取り残される。

「……」

やることがない。

「……あ、そういえば、ミスティアに屋台の設営を頼んでたわね。そっちを見に行こうかしら」

そう決めたアリスは、救護室を後にした。



屋台街のぽつんと抜けた広場に、すぐに見つけることが出来た。
先程、メディスンがいざこざを起こしていたところ。そこに、木材を抱えたミスティアがいた。

「おっ、や〜っと来た〜。ほらほら、私だけじゃ大変なんだから手伝ってよね!」

屋台の設営といっても、そう難しいものではないらしい。
すでに原型らしきものが形作られていた。

「すごいわね。こんな短時間に、ここまで出来るなんて」
「まあねー。こんなのプラモデルみたいなもんだし。慣れてればすぐに出来るわ」

木槌片手にトンカンやりだすミスティア。後は天井部分を板で作れば、ちょっとした小屋になる。

「私がやることはある?」
「そうねー。天井部分は私がやるし……後は外装と内装ね。ペンキか何かをどっかから調達してきて、適当に塗ってくれない?」
「内装か……」

確かに、板がむき出しのお店ではとても味気ない。可愛い鈴蘭を売るのならば、もっとお客さんの心を掴む内装にしたいと思った。

「……ふむふむ、なるほどね。それなら私の分野だわ」
「へ、そうなの? あんたって人形遣いじゃなかったっけ?」

そう返したミスティアに、アリスはにっこり笑って言った。

「人形“コーディネーター”でもありますわ」

  

戻る