「へ? たいふう?」
 夏の暑さは、ここ、三途の河のほとりにも色濃く残っていた。
 八月を過ぎても残暑は厳しく、太陽の直射を受けて水面は激しく照り返していた。
「台風がどうしたっていうんだい、お客さん?」
『船頭さん、知らないのかい? いま、俺たちの世界には、大型の台風が近付いてるんだよ。なんでも、戦後最大、って言ったかな?』
 その三途の川中を、一艘の舟が滑るように進んでいく。
 舵を取る船頭は、額に汗しながら、それでも元気そうな笑顔を浮かべて言った。
「そんなこと言われてもねえ。あたいらが住んでいる世界とお前さんたちが住んでいる世界は基本的に違うからね。そんな台風が近付いていても知る由もないさ」
 川の流れに逆らい、舵取り棒を漕ぐ。
 女の腕には辛い仕事だが、それでも船頭は慣れた手つきで舟を漕ぐ。
 それは、熟練の技を感じさせた。
『まあ、そうかもしれねえな。船頭さんは外で仕事してるから、ちょっと気になってな。でも、余計な心配だったか』
「はは、ありがと。でも、面白そうだね、その台風。よかったら、詳しく聞かせてくれないかい?」
 船頭は霊の話に耳を傾けながら、えっちらおっちら舟を漕ぐ。
 彼岸までは時間がかかる。こうして無駄話に興じて時間を潰すのは、この船頭の楽しみでもあった。
『いいけどよ。とはいっても、俺は天気予報士じゃねえからな。ニュースで聞きかじったくらいのことしか話せないぜ』
「いいよ、それで。そんで? その台風様はどんくらい大きいんだい?」
 霊は、船頭の問いにつらつらと答えた。
「……なんだか、聞いたこともない単位だね。なんだい? へくとぱすかる、って」
『それが台風の大きさを表す単位だよ。大きければ大きいほど、すごい台風ってわけさ』
「へえ、覚えとくよ。外の人間は天気を予測できる力があるらしいけど、随分と難しい学問のようだね」
 違いない、と霊は笑う。
 明日の天気を知るなんて、夢物語のような話だ。それが出来る外の人間は、やはり大層な勉強家なのだろう。
「お前さんはどうだったんだい? ちゃんと勉強してきたのかい?」
 いや〜、と頭を掻く霊。どうやら、あまり褒められたものではないらしい。
 今度はそこを突っついてみよう。船頭は霊の人生を根掘り葉掘り聞き出そうと思いを巡らせた。

『じゃあ、世話になったな、船頭さん。仕事、頑張れよ』
「あいよ〜。お前さんもきっちりお説教受けてきな」
 桟橋に舟のへりをつけると、霊を彼岸に送り出す。
 こうして、船頭の仕事は一つずつ片付いていくのだ。
「ふむ、台風か」
 船頭は、先ほどの霊の話が気になった。
 台風など、夏と秋の間にかけて起こる自然現象に過ぎない。大して問題はないように思える。
 しかし、どうも霊の話を聞く限り、それだけでは済まない気がした。
「ちょうどいいや。休憩がてら、文んとこに行ってみよう。お茶でも貰いに行こうか」
 船頭は、知り合いの新聞記者の顔を思い浮かべた。
 こうやって、何かにつけて理由を並べ、サボってしまうのがこの船頭の悪癖であった。
 舟は、此岸に向けて進んでいく。
 まるで船頭のうきうきを表したかのように、滑らかに水面を滑っていった。







「……よし」
 ピリオドを打ち、筆を机の上に転がした。
「はあ〜、終わった〜」
 椅子の背もたれに背を預け、天井に向けて、ぐい〜、と伸びをする。凝り固まった関節がほぐされていった。
 新聞を書き上げた後の達成感は筆舌に尽くしがたい。
 私は、すっきりとした表情を浮かべ、しばらく余韻に浸った。
「よ〜し、後は推敲して……そして、いよいよ印刷ね」
 自分の新聞が印刷され、出来上がるのを見るのは最高に楽しい。
 書く。刷る。配る。これこそ、新聞記者の醍醐味。
 その一つである「刷る」をこれから行おうとしているのだ。
 だが、その「刷る」に至るまでの過程は、新聞を作る者にとって重要なものだ。
 ここで手を抜いて変な記事を書いてはならない。誤字などがあったら、目も当てられない。
 細心の注意を払って、自分の書いた記事と向きあわなければならないのだ。
「ま、とりあえず一休みしましょうか」
 書き終わった後の余熱がまだ頭に残っている。
 それを冷まし終わってから見直しに入るのだ。
 私が立ち上がり、冷蔵庫に向かう。中から清涼飲料水を取り出した。最近、妖怪の山で流行っている飲み物だ。
 ガラス瓶の栓を開け、腰に手を当て、一口飲むと爽やかな甘さが口内に広がる。
 ふう、と一息つき、ついと暦を見た。
 ……あと、二週間か。
 毎年行われる、鴉天狗の新聞大会。
 それの集計発表日がすぐそこに迫っていた。
 自慢ではないが、私は入賞経験がない。
 一生懸命書いているにもかかわらず、審査員からは見向きもされないのだ。
 だけど、今回こそは、という思いで今年はけっこう頑張ってきた。
 定期購読者は増えなかったものの、号外をたくさん書いてきた。
 新聞大会は発行部数を競うだけではない。書かれた記事がどれだけ世間にインパクトを与え、話題になったか、という賞も存在する。
 だから、私が今狙えるのはその賞だ。もしかしたら、何かしらの部門に引っかかるかもしれない。
 決して諦めない。鴉天狗の記者として、挑戦し続けることは生きることと同義なのだ。
「ふむ」
 一通り休憩をして、頭の回転も落ち着いてきた。
 見直しには早いかもしれないが、早速始めよう。
 早く新聞を刷って、配らなければ。
コン、コン
 と、机に向かおうとしたところで、玄関のドアをノックする音が聞こえた。
「あ、は〜い」
 返事をして、そちらに向かう。
 誰だろうか。思い当たる友人たちは、今頃私のように新聞にかかりっきりで部屋にこもっているはずなのに。
 いそいそと玄関の方に行き、ドアのノブを捻った。
「は〜い、どなた様……あら?」
 そこにいたのは、なんとまあ、珍しい人だった。
「よっ、お久しぶりだね、文」
 軽く右手を上げて、ニカッと笑う。
 三途の河の船頭さん。私にとっては多少面識がある、小野塚小町さんだった。
「小町さんじゃないですか。どうしたんですか、一体?」
「いやいや、ちょっとお前さんに用があってね。ここまで出向いたってわけさ」
 小町さんは持っていた鎌を片手でくるくる器用に回して、すちゃ、と肩にかけた。
「用ですか? なんですか、一体」
「いやいや、お前さんの新聞の記事の足しになればと思ってね。面白い話を持ってきてやったよ」
「はあ、またそんなこと言ってサボってるんですね?」
「心外だね、サボってるんじゃないよ。愛する友のために時間を割いてやってるんだよ」
 口を尖らせる小町さんに、私は笑う。
「まあ、立ち話もなんですから、入ってください。狭い家ですけど」
「はいよ〜。お前さんの家は、どんなもんなんだろうね」
 うきうき、といった様子で小町さんは玄関に上がりこんでくる。
 何をもてなそうか考えながら、私は小町さんを招き入れた。

「小町さん、お茶が切れてるんで、何でもいいですよね?」
「お構いなく〜」
 そんな軽い声が背中ごしに聞こえる。
 私は、先ほど飲んだ清涼飲料水をもう一本取り出した。
「へえ、ここが文の家かい。意外にしっかり整頓されてるね」
 小町さんは椅手に腰掛けながら、物珍しそうに部屋内を見回している。
 行儀よく待っているので、大変助かる。変にいじられたりしたらかなわない。
 この人と付き合ってて分かったことだが、この人は決して人の嫌がることをしない。
 性格は軽そうに見えるが、けっこう思いやりがあるのだ。
「整頓しとかないと、いざという時に資料が出せないんですよ。整理整頓は、新聞記者の基本ですから」
「そんなもんかい」
 小町さんの前に栓を抜いた瓶を差し出す。
「? なんだい、これ? 飲みもん?」
「まあ、騙されたと思って飲んでみてください。けっこう美味しいですよ」
 ふうん、と生返事すると、特に警戒することなく、ごくごくと飲みだした。
「ほう、これは美味いね。初めて飲んだよ」
「妖怪の山でのみ出回っている代物ですからね。下じゃ手に入らないですよ」
 そこで、私はふと気づいた。
「小町さん、ここへはどうやって来たんですか? 白狼のみんなに止められなかったんですか?」
 私は、小町さんの向かい側に腰掛けながら聞いた。
「ああ、止められたよ。あんまりにしつこいんで、辟易したよ」
「まあ、そうでしょうねえ」
 妖怪の山は、基本的に外部立ち入りを認めていない。だから、小町さんがここにいることは、けっこう不思議に思える。
「で? どんな裏技を使って、ここに来たんですか?」
「ん? 四季様のお使いだって言ったら、通してくれたよ。上司とハサミは使いよう、ってね」
 なるほど。閻魔の使いだと死神が言ったら信憑性が高い。
 管理者の大天狗様が通したなら、それなりの筋を通した話をしたのだろう。
「相変わらず、口八丁手八丁に長けてますね。尊敬します」
「そいつはどーも。いやいや、ほんとに苦労したよ。一時間ぐらい軟禁されて、来た理由を聞かれたからね」
 ぐびぐびと飲み物を飲みながら小町さんはその時の立ち回りを聞かせてくれる。
 基本的に話し好きな人なので、適当に相槌を打ちながら聞いていた。
「……で、小町さんがここに来た本当の理由は何なんですか? さっき、面白い話を持ってきたって言ってましたけど」
 話に一区切りつくと、私は切り出した。
「ああ、そうだね。それを話さなきゃ、ここに来た意味がない」
 瓶を垂直に傾けて中身を全部飲み干すと、小町さんは話し始めた。
「お前さん、台風のこと、知ってるかい?」
「はい? 台風ですか?」
 それがどうかしたのだろうか。
「知ってますけど。夏から秋にかけて時たま起こる大嵐のことですよね?」
「いや、合ってるけど、今してる話はそれじゃない。いま、外の世界に近付いているっていう台風だよ」
 空になった瓶をもてあそびながら、小町さんは言う。外の世界に近付いている台風……?
「その様子じゃ知らないようだね」
 首をかしげている私に、小町さんは得意そうに笑う。
「はい、知りません。それがどうかしたんですか?」
 素直に頷く私。話の先を促がすように聞くと、小町さんは話し始めた。
「今日、仕事中に霊の一人から聞いたんだよ。いま、外の世界には、とびっきり大きな台風が近付いているんだってさ。なんでも、その霊が住んでいた大陸全部を覆っちまうような台風らしい。その意味が分かるかい?」
 はあ、と訳が分からないような顔をすると、小町さんは先を続けた。
「なんでも、この幻想郷は、外の世界と陸続きらしいじゃないか。なら、近いうち、その台風が幻想郷を直撃する可能性がある。何日か後に大嵐が起こるかもしれないよ」
 ここで、ようやく小町さんの意図が見えた。
「はあ、なるほど。もし、その台風を予言した記事を書いたら、反響があるかもしれないですね」
「だろう? 面白いと思うけどね、『幻想郷に嵐が来襲!? 幻想郷崩壊の危機か!?』なんて見出しつけたらインパクトあると思うけど」
「インパクトはあるかもしれないですけど、嘘を書くことは出来ませんよ。とりあえず、その台風について、詳しく教えてください。調査しないといけませんので」
「え〜とね、確か霊に色々数字を聞いたんだよね。確か……」
 私は近くにあったメモ用紙を取り出した。そして、小町さんがつらつらと口にする数字と単位をメモっていった。
「……なんだか、聞いたこともない単位ですね。風速、というのは風の速度みたいですけど、へくとぱすかる、というのが意味が分かりません」
「あたいもなんだか分からない。霊もよく知らないみたいだったしね。向こうの天気予報士が使う単位らしいよ」
「へ〜」
 私は良くは知らないが、小町さんは外の霊と接しているだけあって、向こうの世界に精通しているようだ。
 天気予報士なんて職業があるのか。どうせ、嘘を並べ立てるような占いじみた職業に違いない。
 しかし、そんな職業でも、大嵐を予言しているというのは、確かに気になる。当たる可能性は無きにしも非ず。
 もし、大嵐を予見した記事を書き、その通りに嵐が来たら、私の新聞の名前が一気に広まるかもしれない。
 眉唾な話でも耳はきちんと傾ける。新聞記者にとって、どんな情報であっても大切なご飯の種なのだ。
「ふむ、いくつか聞きたいことがあります」
「ん? なんだい?」
「その天気予報士って、信頼できるんですか? 適当なことを言ってるだけじゃないでしょうね」
「いや、そんなことはないよ。外の世界では、天気の予想はかなり正確らしい。的中率、七割、って言ったかな?」
「はあ、そうなんですか」
「中でも、台風の情報はかなり正確なものらしいよ。だから、大型台風が外の世界に近付いているっていう情報はけっこう信憑性があるね。完璧な保証は出来ないけどさ」
 そうなのか。占いみたいな職業かと思ったが、案外まともなのかもしれない。
「もう一つ。その台風が幻想郷に来るという保証は?」
「いや〜、そこまでは分からないね。外の世界と陸続きなのは知ってるけど、それも聞いただけだからね。もしかしたら、台風の進路から外れるかもしれない」
 ならば、確証を取るしかない。
 その台風が本当に幻想郷を襲うのか。調べるだけ調べて情報を確かなものにしなければならない。
「分かりました。調べることは三つですね。その台風の詳細な情報。進路。そして、いつ幻想郷に来るのか。早速、調査してみましょう」
「お役に立てたかい?」
「ええ、とっても。ご協力感謝しますよ」
「そうかい。それじゃ、報酬をもらおうかね」
「へ?」
 そんなこと言われると思わなかったので、目が点になる。ボランティアじゃないの?
「もう昼飯の時間だしね。お前さんの作る昼飯一丁。よろしく頼むよ」
 苦笑した。
「まあ、いいですよ。じゃあ、ちょっと待っていてください。あまり期待しないでくださいね」
「はいよ〜。食えれば何でもいいさ」
 満足げな笑みを浮かべる小町さんを横目に、私は台所に向かう。ご飯の残りがあるから、炒飯でも作ろう。
 夏野菜を使った特製の炒飯の作成手順を頭に思い浮かべ、私は調理に取り掛かった。

「そんじゃ、ごちそうさん。うまかったよ」
 玄関口で小町さんを見送る。お世辞でも美味しかったと言われるとけっこう気分がいい。料理を振舞うなんて、いつ以来か分からなかったから。
「情報提供、感謝します。気をつけて帰ってくださいね」
「ああ、お役に立てたなら幸いだ。頑張って記事を書くといいよ」
「そうします。それじゃ」
「ああ、またね」
 小町さんは、地を蹴って浮かび上がった。
 それを見送ると、私はゆっくりとドアを閉じた。
「よし。じゃあ、早速、外出準備ね」
 小町さんの話がどこまで本当か分からない。
 でも、本当だったら、号外のネタになる。
 新聞大会まで、あと二週間。そのラストスパートにふさわしい記事をかけるかもしれない。
 いつもの記者道具を取りに、自分の部屋に向かう。
 今日は、忙しくなりそうだ。


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