「うわ……これは、凄いわね……」
 ドアを開けた途端、むせ返るような埃の臭いが鼻を突いた。
 思わず口と鼻を手で覆ってしまう。ナプキンでも持ってくればよかったか。そう思わずにはいられない部屋の様相だった。
「ここにあるのかしらね……」
 形の良い眉を曲げながら、意を決して部屋の中に足を踏み入れる。
 歩くたびに積もり積もった埃が巻き上げられ、女性の足に絡みつく。
 早速向かったのは、部屋に唯一ある窓。
 気休めでも窓を開けておきたい。そう思うのも仕方がないところだろう。
「よっこい、しょ」
 長い間開けられていなかったのだろう窓は、錆び付いているのかすぐには開かなかった。
 ガタガタと何度かやった末に、わずかな軋みと共に外側に開いた。
「はあ……」
 外から清涼な空気が流れ込んでくる。淀んだ水を押し流すかのような、清冽な空気。
 秋もそろそろ終わりだ。その終わりを肌で感じさせる冷たい気配をはらんだ空気だった。
「さて、と。始めましょうか」
 ひとしきり外の空気を堪能した後、女性は仕事に取り掛かる。
 目当ての品は、ティーカップ。ユリの花びらを模した優雅で優美なカップだった。
 女性の主。その人が、久しぶりにあのカップで紅茶を飲みたい、そうわがままを言い出したのだ。
 女性は、この館を隅から隅まで知り尽くしているが、この部屋に入ったことはほとんどない。
 そもそも、この部屋は物置専用であり、年末の大掃除の時も掃除されることはない。
 忘れられた物の堆積所。そんな言葉がしっくりくる、館の最奥の場所。
 女性の主の言うカップを、彼女は一度も見たことがない。主の使う備品は一通り頭に叩き込んであるので、知らない備品は無いはずだった。
 しかし、主が所望しているのだから、カップは存在するのだ。ならば、探さなければならない。主の意向に応えることこそ、メイドとしての喜びなのだから。
 ダイニングにもキッチンにも、そのカップらしい物があった記憶はない。
 だから、彼女の記憶にない場所にカップはあるはず。そこで、この部屋を訪れた。
 埋もれた物の中にひっそりと眠っているのかもしれない。それを掘り起こすことが出来れば僥倖だった。
「うーん……それにしても……」
 埃がひどい。箱にそっと触るだけで、もわっ、と白い粉が舞う。
 大掃除の時さえも掃除しないとはいえ、館の衛生上これは問題かもしれない。
 大掃除のメニューにここも入れてしまおうか。そんなことを考えながら、箱を開けてはどかし、開けてはどかしやっていたその時だった。
「ん……?」
 埋もれていた箱がどけられた場所から顔を出したのは、かなり大きな箱だった。
 それに、装飾も豪奢だった。こんな場所にあるには、なんともそぐわない美麗な箱。
 なんだか、宝箱を連想させた。中には、きらびやかな金銀が所狭しと詰まっているのだろうか。
「これかしらね……」
 目当てのカップを求め、女性は一抱え以上もある箱の前に立った。
 そして、ゆっくりと、ふたを開ける。
 その中にあったものは――







 夢だ。
 夢を見ている。
 そう思い当たるようになったのは、いつのことだろう。
 霞がかった景色の中、少女は一つの光景を見ていた。
 目の前は、一つのテーブル。白く、清潔感のある円形のテーブル。
 上には何も置かれていない。それが、少しばかりの物寂しさを感じた。
 少女は、椅子に腰掛けていた。柔らかな白いドレスを着込み、背もたれに背を預けながら。
 まるで、誰かを待っているかのよう。訳もなく、そう感じられた。
 少女は、ついと横を見遣った。
 いつからそこにいたのか、一人の男性がいた。
 顔は、はきと見ることが出来ない。だが、高齢であることは分かった。仕立てのいい服を身にまとった姿は、見るからに紳士のような感じだった。
 そして、彼の腕の中。そこに奇妙な物体が収まっていた。
 見た目は、大きな花瓶のようだ。複雑な紋様がびっしり描かれていて、先端部分は半球を取り付けたような形をしている。
 やがて、男性がゆっくり動いた。
 その大きな花瓶を、少女に差し出した。
 少女は、なぜ、その花瓶を差し出されるのか分からなかった。
 だから、躊躇った。どうすればいいのかも分からない。
 男性は、なおも、花瓶を少女に向けて差し出している。
 これを受け取ればいいのか。受け取ると、一体どうなるというのか。
 男性の顔を見ても、表情は分からない。どんな顔をしているのか、見て取れない。
 悩んだ挙句、少女は、恐る恐る花瓶に手を差し出し始めた。
 両手を徐々に上げ、花瓶を包み込むように。
 そして、手が触れるか触れまいかした瞬間。
 光が溢れた。







「……」
 うっすらと目を開けると、見慣れた部屋の光景が浮かび上がった。
 ぼんやりと辺りを見回す。蝋燭の揺らめく広い室内、ちらちらと揺れる影が時間の経過を物語る。
 その中に身を委ねながら、少女はふうと息をつく。
「夢、か……」
 どうやら、ソファーにもたれたまま眠ってしまったらしい。珍しいこともある。睡眠は、朝、充分とっているはずなのだが。
 目の前にあったティーカップに視線を注ぐ。まだ飲みかけの紅茶が半分ほど残っていた。
 手に取り、飲み干す。すっかり冷めてまずくなっていたが、喉を潤すにはちょうどいい。
 カップを戻し、ソファーに背を預ける。そして、天井を仰いだ。
「はあ……退屈でしょうがないわね」
 少女、レミリア・スカーレットは飽いていた。
 このところ面白い出来事に出くわしていない。
 数ヶ月は同じ生活を続けているだろう。起き、食べ、紅茶をたしなみ、寝る。そんな定型化された毎日を過ごしている。
 平和なことはいいことだが、刺激がないとつまらない。生活には彩りが必要なのだ。
 ここ、紅魔館は華やかなる場所。新鮮な文化を愛で、流行の先端を行くところ。そこの当主として、退屈という敵はいかんともしがたい相手だった。思考の停滞は、レミリアにとって気持ちのいいものではなかった。
 だからこそ、真新しい何かを欲していた。生活に新しい味を加えるエッセンス。そんなものを、紅魔館の当主様はご所望だった。
「パチェのところにでも行ってみようかしら……」
 知識だけは無駄にある友人の顔を思い浮かべる。もしかしたら面白い何かを知っているかもしれない。
 それでダメだったらどこかに出かけてみよう。また、あそこの巫女をからかいに行くのもいいかもしれない。
「そうね……待っているのは性に合わないわ」
 面白い物がそばに無いなら探しに行こう。こういった積極的なアプローチは、このお嬢様の美点でもあった。
「ふむ……じゃあ、今日のスケジュールを考えようかしらね」
 腕と足を組んで考えを巡らせる。面白い物探しのツアーのプランを練っている最中だった。
「失礼します」
 リビングの端にあったドアが開いた。
 聞き慣れたその声に、思考に沈もうとしていた意識を引き戻す。
「お嬢様。ご希望のティーカップ、ございましたわ」
 メイド、十六夜咲夜の片手にはトレイと、その上にユリのティーカップがあった。
「あら、そう。幸先がいいわね」
「? どうかされましたか?」
「こっちの話よ」
 咲夜に頼んだティーカップ。いつものわがままで持ってこいと言ったが、実は別に見つからなくても良かったのだ。ただ、なんとなくあのカップが頭の片隅に残っていて、それで紅茶を飲んでみたかった。ただそれだけのこと。
「早速、紅茶をお入れしますわ」
「そうね、お願い」
 そこでレミリアは初めて気付いた。
「咲夜。それは?」
 咲夜のもう片方の腕。そこにはかなり大きな物が抱えられていた。
「ああ、探し物をしていたら見つけましたの。珍しい形をしていましたら、調度品に良いかと思いまして」
「……」
 レミリアは、既視感を感じた。咲夜の持っているモノ。それに、何か見覚えがあったのだ。
 大きな花瓶のような青銅っぽい色をした物。複雑な紋様がびっしりと刻み込まれてあり、頭のほうには半球が取り付けられてある。
「あ」
 ぽんと手を打つ。同じ物を、ついさっき自分は目撃していた。
「咲夜。それをどこで見つけたの?」
「はい?」
 すでに調度品としてリビングの隅にセッティングしようとしている咲夜が振り返る。
「物置ですわ。そちらのカップと同じ場所にありまして。ついでだから持ってきましたの」
「……ふうん」
 ということは、アレは紅魔館の物ということになる。
 これは偶然だろうか。
「? 何か気になるところでも?」
 咲夜は主人の様子が若干気になったのだろう、様子を窺うように問いかけた。
「咲夜」
「はい」
 レミリアは、好奇心に満ち溢れた瞳で言い放った。
「今日の予定が決まったわ」


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