「カレーだよ」
 神奈子様がいきなりそう口走った。
 私と諏訪子様は思わず箸を止め、眉をひそめて神奈子様のほうを見た。
「なんですか、神奈子様。いきなり」
「たった今、気付いた。ここ、幻想郷に来てから、何かが足りないと常々思ってたんだよ」
 そう言って、うんうん、と一人納得している神奈子様。
 朝っぱらから一体なんなのだろうか。食事中に変なことを言い出さないでいただきたい。
「で、なんなのさ、神奈子」
 守矢神社のもう一柱であらせられる諏訪子様が聞いた。
「だから、カレーだって。よく考えてみなよ」
 神奈子様は箸を置き、両手を広げて天井を仰いだ。
「幻想郷に来てから、カレーを食べていないと思わないかい? 外にいた頃はしょっちゅう食事に出ていたのに」
「あら、そう言えばそうですね」
 カレー。カレーライス。
 野菜を煮込み、カレールーを湯に溶かし入れ、それをご飯に載せる料理。
 外の世界では、日本のご家庭の代表格として幅を利かせている料理だ。
「ああ、思い出しただけで食べたくなってきた! あの味、辛さ、ピリッとしたスパイス、そして、何杯でもいけそうなくらいの中毒性! あんな美味い物は他にないね! なあ、二人ともそう思わないかい?」
 神奈子様が大仰にカレーについて語る。神のくせにカレーが好きだとはなんとも庶民的な神である。
「でも、たまに食べると美味しいよね、カレー。私も久しぶりに食べたいなあ」
 諏訪子様が同調する。基本的に仲の良い方たちなので、通じ合うものがあるのだろう。
「夕飯にカレーを作って、残りを朝に回す、っていうのが定番ですよね」
「おっ、そうそう! 一晩寝かせたカレーは一味違うよね! まろやかになるっていうかさ!」
「作り立てのカレーと寝かせたカレーってやっぱり違うよね。私は作りたてのほうがいいかなあ。寝かせちゃうと辛さが薄くなる感じがするじゃん?」
「いやいや、どっちも美味いって。確かに、作りたては作りたてでスパイスが生きている気がする。でも、寝かせると味に落ち着きが出る。つまり、二つの味を楽しめるわけだよ」
「そうですねぇ。二日続けて食べても飽きないですよね。同じカレーでも一晩でまったく違った味になるのは不思議ですよね」
 同じものを作っても、時間によって味が変わる。お酒と同じようなものだろうか。いや、ちょっと違うかな。
 私たちは、しばしカレー談義に花を咲かせた。平和な朝食風景である。
「で、何の話だったっけ」
 諏訪子様が話を戻した。
「神奈子様がカレーがどうのこうのと出し抜けに言ったんじゃないですか」
「うむ、そうだった。つい、カレーについて話し込んでしまった」
 神奈子様は味噌汁を、ずずず、と啜ると私に向けて言った。
「そんなわけで早苗。今日の夕食はカレーにしよう」
「はあ」
 朝食を食べているそばから今日の夕食の話とは、食欲旺盛な神である。
「まあ、構いませんけど、カレールーとかどこで手に入るんでしょうね」
「そんなの里に行けばいくらでも売ってるだろ? ここがいくら外とは違うといってもカレーくらい簡単に手に入るはずだ」
「いえ。多分、そうなんでしょうけど、一度も見たことがなかったのでちょっと疑問に」
 人間の里には買い出しによく出かけるが、言われてみるとカレーの類を見たことがなかった。
 スーパーなどでは固形のカレールーが普通に売られていたが、ここ幻想郷では特殊なところに売られているのかもしれない。
「早苗が見たことがないってのも妙だね。ご家庭の代表格の料理材料なのに」
 諏訪子様が首を捻る。
「まあ、ただ単に見逃していただけじゃないの? その気になれば、すぐに探せるだろ?」
「ええ、多分。里の人に聞けば分かるでしょうね」
 幻想郷に来て一年くらい経ったが、いまだに分からないことだらけだ。
 とりあえず、外の世界とは根本的に違うということは分かった。
 外の世界の非常識と呼ばれるものが、ここでは常識となる。外の常識に捕らわれた考え方をするとこちらでは命に関わる。そのことを、私は学習していた。
「もしかしたら、カレーはこちらでは貴重なものなのかもしれませんよ。外の世界では代表的な料理ですが、こちらではまだ普及していないかもしれません」
「ふむ。その考えはもっともだ」
 私の意見に、神奈子様は腕を組んだ。
「調べたところ、この幻想郷は外の世界の明治時代初期の文明と等しいらしい。カレーが日本に伝わったのは、いつか知ってるかい?」
「いえ、知りませんよ」
 そんなクイズ番組のクイズのような雑学は知らない。神奈子様は基本的に暇だから、こういう変な知識を色々と吸収するのが日課なのだ。
「カレーの伝来は、ちょうど明治の初期だ。幻想郷が外の世界と隔絶された時代にカレーは日本にやってきた。それで今に至るのなら、カレーが普及していないのも頷ける」
「なるほど。それなら、カレーがなかなか見つからないのも分かるね」
 諏訪子様が神奈子様の考えに続く。
「それに、ここって、外の幻想が集まるらしいからね。外の日本で普及しまくってるカレーがこっちにとって珍しいのはおかしくないね」
「その通りだ。まあ、その二つの要因が重なって、カレーはこっちではご家庭の味として認知されていないのかもしれない。その辺は調べてみないと分からないね」
 びっくりしたことだが、外であれだけメジャーなスポーツであるサッカーがこちらではほとんど普及していなかった。
 幻想郷に迷い込んだ人間が子供たちに教え、一時期流行ったこともあるらしい。だが、いまでは大会が行われるほどの規模で広まっているわけではない。
 外の幻想が、こちらでは現実になる。外の世界でサッカーが衰退したら、幻想郷でワールドカップが行われたりするのだろうか。
 そんなバカな想像をひとしきりして、私は会話に戻った。
「じゃあ、後片付けをしたらすぐに里に行ってみますね。探すのに時間がかかるかもしれませんし」
「おお、頼むよ。久しぶりにカレー、食いたいからねえ」
「じゃあ、神奈子様は掃除をお願いしますね。暇してるんですから、そのくらいやっていただかないと」
「ぬっ、わ、私ゃ、いつも忙しいよ。皆の信仰を集めるために企画を練らないといけないからね」
「苦しいからその辺にしときなよ。昨日、私と将棋しながら、暇だ暇だってぼやいてたじゃん」
 あはは、と私と諏訪子様は笑った。
「むう、一見暇そうに見えて、やることはちゃんとやってるから大丈夫だよ。じゃあ、早苗。カレーは頼んだよ。楽しみにしてるから」
「はいはい、分かりました」
 ここは我が神様のご要望に応えるとしよう。それが風祝としての私の務めだ。
 朝食はまったりと過ぎる。他愛のない会話をしながら、私は料理に箸を突っ込んだ。


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