私は、聞いた耳を疑った。

「手ぶらで水泳大会ですって。おもしろそうだから行こうと思うわ」

お嬢様は、確かに、そうおっしゃった。
空調が利き、快適なはずのリビングルームが、少し暑くなったような気がした。

「恐れながら、ご進言いたします」

私は、努めて平静に言葉を発した。

「なに?」
「お嬢様は、水と日光が苦手……その催しが開かれるのは日中……つまり、他の者と比べてあまり興に乗ることができないのではないかと存じますが」

前に図書館内にプールを作ったときは日光がなかったし、紅魔館内ということもあって、私がきめ細やかに対応することでお嬢様は特に不平を出さなかった。
だが、今回行われるのは外部。私の力に限界が設けられる。

「そんなの関係ないわよ」

だが、お嬢様は、くだらないこと、と一蹴した。

「他の下々が楽しんでいて、私だけ除け者なんて業腹だわ。とにかく、私は参加するわよ。ゆくゆくは、うちでもやれるといいわね」

さらっと、とんでもないことをおっしゃる。

「あの……詳細を記した広告の紙を拝見したいのですが……」

何かの間違いではないか、と確認したかったのだ。

「ん? そんなのどっか行っちゃったわよ。紙飛行機にしたから」
「……」
「別に改めて確認するまでもないでしょうが。私の脳みそに刻みつけていることよ。それとも何? あなたは私が信用できないわけ?」
「ありえないことでございます」

私は、陳謝と忠誠の意味を込めて一礼した。

「まあ、そんなわけ。開催は一週間後。雨が降ったら中止らしいわ。ぜひ、晴れてほしいものね」

主君の願いに、これほどまでに反逆したいと思ったことはなかった。







お嬢様の話を要約すると、こうだ。

守矢神社の神様連中が、自分の家の敷地を使って大型のプールを作った。
なので、馴染みの面々を集めて、宴会がてら水泳大会をしようと呼びかけてきたのだ。
もてなしも準備も向こうがするということで、私がやることはお嬢様のお世話のみ。楽なものだ。

だが。
その水泳大会には、妙なルールがあった。

『手ブラで参加するように』

この間、仕事にぽっかりと時間が空いたので、自室でくつろぎながら外の世界の雑誌を読んでいた。
そこに、男性が好みそうな女性のグラビアの写真があった。
その写真の煽り文句はこうだ。

『手ブラだから恥ずかしくないもん!』

私は、ふーん、と思ったものだ。
手のブラジャーだから、手ブラ。その手の下にあられもないものが存在しているというわけだ。
要するに、裸ではあるが裸ではない、と主張している。そんな少女の強がりが可愛いというわけだろう。

だが、結局それは裸であって、隠しているだけにすぎない。ブラジャーとは一線を画すものだ。裸と衣服では全く違うのだから。

つまり。
今度の水泳大会には、上半身裸で参加しろ、ということである。

女性の乳房、および乳首は恥部であり、世間におおっぴらにさらすものではない。それが一般的である。
だが、ここ幻想郷ではそういう常識的な概念はそもそも存在しないか、拡大解釈される。「別に女ばっかりだし、裸で水泳もいいんじゃね?」とでも考えているのだろう。

そういうのは、今に始まったことではないので別に驚かない。
しかし、それはあくまで道徳的な範囲にとどめるべきだ。

みんなで温泉を楽しもう、だったら別に裸でもいい。
でも、水泳を裸でするのは、要するに、裸でスポーツをしようとするのと同義だった。野球やサッカーをスッポンポンでするのと同じだ。

そういうのは、紅魔館の気品に反する。水泳は、水着という適したスポーツウェアを着てこそなのだ。我が主にそんな変態みたいな行為をさせるわけにはいかない。

……あとは、単純に私が恥ずかしい。

お嬢様が手ブラとなるのであれば、付き従うのが私の務め。「お嬢様のお世話をいたしますので、メイド服のままで構いません」とはいかないだろう。今回が紅魔館主催のものではないということもある。

……何か、対策を考えねば。
期限は一週間。それまでに妙案を浮かべるのが、私の使命だった。







「……で、私のところに来たと」

パチュリー様は、手元の図書を眺めながら溜め息をついた。

「申し訳ありません。私の力及ばず……」
「別にあなたのせいではないけれども、随分と破廉恥な催しね。入浴でもないのに、乳房を外にさらすなんて」

ああ……理解者がここにいる……。

「まあ、そういう破廉恥な輩が存在してもおかしくないだろうけど。外の世界にはトップレスというスタイルも存在するからね」
「トップレス……?」
「今回みたいに、乳房をさらして水泳全般を楽しむことよ」

……変態は外の世界にもいるのだ……。

「で、レミィはその催しに参加するのに乗り気。でも、咲夜としては、レミィの乳房を、ひいては自分のあられもない姿は見せたくないと」
「……はい」
「そんなに悲壮めいた顔をしないでよ。あなたは健常者だと私は思うわよ」

……私のパチュリー様ランクが三段階くらい上がった。

「……どうでしょうか。何かいい方策をご存じですか?」
「魔法で幻覚を見せるっていうのが一番手っとり早いけど、おそらくダメね。私の魔法が及ばない連中も来るでしょうから」
「では……」
「なら、魔法を使わなければいいのよ」

私は意表を突かれた。パチュリー様=魔法というイメージが固定化されていたからだ。

「外の世界には、実にバカなことを考える輩がいてね。それを逆に使えばいいわ」

と言って、パチュリー様はパチンと指を鳴らした。

「はいは〜い」

そこに瞬時に現れる赤毛の娘、小悪魔。

「咲夜さん、大変ですね〜。おっぱい出したまま水泳なんてしたくないですもんね」

にこにこしている小悪魔。……邪気はないのだろうが、なんかイラっとした。
小悪魔の手には、一冊の雑誌が抱えられていた。
パチュリー様はそれを受け取り、ページを繰っていって、あるページで指を止めた。

「これよ。一週間あれば同じようなものが作れるでしょう。暇だし、私に任せてもらえれば問題ないわ」

その雑誌の写真を見たとき。
私のもやもやした黒い雲は一気に晴れ渡ったのだった。







一週間後。

「さーて、行くわよー」

ロビーにいらっしゃったお嬢様を出迎える。
私の方も、荷物の準備は万端だった。

「? 何よ、咲夜。そんなに荷物を持って」

お嬢様が不思議そうに首を傾げる。
私も、それに首を傾げた。いつもと同じような荷物なのだが。

「紅魔館のメイド長たるもの、いついかなる時も、お嬢様の要望に応えなければなりません。その準備です」
「……いい心がけだけど。まあ、庶民のもてなしで私が満足できるか疑問だからねぇ」
「その通りでございます」

できれば、そのまま切り捨てていただきたかった。

「それより、お嬢様。これをご覧ください」

私は、丁寧に白い布に包まれたものをバッグのポケットから取り出した。

「? なにこれ」
「今日はこれをお召しになってください」

私は、ゆっくりと白い布を開いた。

「……? ……?」

お嬢様の頭の周りに、クエスチョンマークが乱舞した。

「な、なにこれ? おっぱいの一部?」

私の手のひらには、直径十五センチくらいの肌色の円に、精密に描かれた乳首が中心にあるものが載っていた。

「ええ、パチュリー様作成のシールでございます。防水効果は抜群。どんなに動いてもはがれません。そして、近くで目を凝らしてみないと、これが貼ってあることがバレることもありません」

そして、私は居住まいを正し、その場にひざまづいた。
主君に進言する格好だ。

「……恐れながら、お嬢様。今回の催しを楽しみになさっているのは深く承知しています。しかし、紅魔館の当主たるもの、上半身を裸で水泳をなさるなどもってのほかでございます。ましてや、お嬢様の大切なお身体……乳首を外の者に開けっぴろげにするなど、あってはなりません」

困惑している様子のお嬢様に、私は真摯な目で訴える。

「しかし、お嬢様のご希望にできるだけ応えるのが私の務め。このシールは、考えに考え抜いた上に浮かび上がった策でございます。これならば、お嬢様のご意向に最大限に応えられると思います。どうぞ、ご査収ください」

そして、私は一礼した。
……お嬢様が、怜悧な判断をしてくださると願って。

「あ、あのね? 咲夜? あなた、何か盛大に勘違いしているようだけど……」

その声に、私は疑問を感じて顔を上げた。

「私は、一言も上半身を裸で水泳するなんて言ってないわよ?」


















「は?」


















「で、ですが、このたびの催しは、手ブラで水泳をするのが肝とおっしゃったはず……」
「え、ええ、そうよ? だから、守矢神社が全部用意してくれる、ってことよ。当然、水着も用意してくれるわ。私たちは、何も持たないで行っていいのよ。せいぜい、日傘くらいね」

そのとき、私の中で、カチリと何かがはまった。

「……あ」

ああ――私は、ひどい、思いこみを――

「だから、その荷物は置いていったらどう? 日傘だけ持っていったらいいわ。気に入らなかったら、向こうに文句をつければいいだけだし」
「……はい……承知いたしました」

この世のものとは思えない脱力感にさいなまれる。
私は、いったい、いままで何を……。

「うーん……でも、そうね。そのシールはおもしろそうだわ」
「へ?」

そして、お嬢様が理解できないことを言った。

「たぶん、このシールって外の世界のものを参考に作ったんでしょ? きっと誰も知らないわ。それを身につけて水泳する。けっこうおもしろいと思わない?」
「あ、あの、お嬢様……」

まずい、いろいろなことが起こってしまって頭がうまく回らない。

「それに、上半身裸だ! とみんなを錯覚させて、実はシールでしたー! とかするのもおもしろいと思うのよ。そのくらいやらなきゃ、流行の最先端を行く紅魔館として恥ずかしいと思わない?」
「お、お、お嬢さ、」
「よし! 決定よ! 咲夜、日傘とそのシールを四枚持ってついてきなさい! さー、楽しみになってきたわー!」

踊る足取りで、お嬢様は玄関に歩いて行かれる。
……私は、頭が真っ白になっている。

どうやら、私は、地底にまで届くような深い墓穴を、掘ってしまったようだった……。


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