〜 3 〜


























マーガレット・シェリーは、緊張していた。
それはそうだ。命の危険に自ら飛び込もうとしている者が、どうして緊張できずにいられるだろう。
一歩一歩、階段を下るたびに、闇の底に引っ張り込まれる錯覚を感じる。
それはどうしても抗いようもなく、彼女の脳を支配しつつあるのだった。

フランドール・スカーレット嬢の自室。
それは、紅魔館の地下の奥、それも最も奥まった場所にある。
まるで、決して外に出られないように、隔離するかのようにある一つの部屋。
光は届くはずもなく、燭台の蝋燭の揺らめきが唯一の光源として存在していた。

マーガレットは、本来、紅魔館一階の室内掃除担当だった。
それが急に、地下掃除担当の、しかもフランドール・スカーレットの自室掃除担当の者が体調不良を訴えたため、マーガレットにその任が当てられたのだ。
咲夜メイド長推薦のため、断れるはずもなく。彼女は是非もなくその任に就くことに相成ったのだ。

彼女は、メイド長に推薦されるほどメイド仕事に関しては優秀だ。
しかし、お嬢様、そしてその妹であるフランドール・スカーレットに直に会って仕事をしたことは、一度たりとてなかった。
自分は、仕事が出来ないとは思っていない。だが、それは我が主たるお嬢様方が見ている前で同じように出来るかと言われれば、その範疇にはない。

しかも、掃除する部屋は、噂のフランドール・スカーレットの部屋である。
さらに、今の時間は、起床時間なのだ。つまり、マーガレットが、フランドールを起こし、着替えをさせ、食事が並ぶリビングルームにお付きする役も負っている。
ただ、掃除するだけならまだ気楽だったものの、寝起きのフランドールと付き合わざるを得ないという、例えようもない憂鬱感。まさか、起こしただけで気分を害して、吹っ飛ばされる、なんてことはないとは思うが……。

地下の廊下を歩く彼女の脳裏には、嫌な想像が次々と浮かぶ。
しかし、それはただの想像でしかない。この紅魔館に勤め始めて十数年たったが、フランドールが、誰かを殺したとか、そういう事件を起こしたというのは一度もない。

だが、それでも、最悪の事態というものは誰しも考えてしまうもので。
首を裂かれて、血まみれになって、深紅の絨毯をより赤く汚す自分の姿がありありと浮かんでしまうのだった。

悶々としながら廊下を行くと、目の前に一枚の扉が現れた。
ここに着くまでに、一体どのくらいの時間が経ったのだろう。マーガレットの感覚では、たった一分で着いてしまったように感じた。
扉に手を伸ばす。だが、一度引っ込める。もう一度伸ばす。しかし、再び引っ込める。
そんなことを十数回は繰り返し、マーガレットは少しずつ扉をノックする勇気を振り絞る。

(よし……行くわよ……)

ようやく、決心がついたマーガレットは、コン、コン、とややゆっくり目に扉を叩いた。

「……失礼します」

儀礼的な挨拶をドア越しに交わして、マーガレットは扉を開けた。
四隅に灯された燭台の灯り。
その中心にあるベッドの上で、フランドール・スカーレットは本を読んでいた。

「あ、おはよう。あら、今日は違うメイドが来たのね」
「あ……え……?」

マーガレットの思考は、少しばかり停止した。
フランドールはまだ床に就いていて、起こす必要がある。そう念頭にあったから、まさか、すでに起きて自分を迎え入れることなど想定していなかったからだ。

「あ……お、おはようございます。もう、お起きになられてたのですね」
「うん。今日は早起きしたの。寝起きに本を読むのって、なんだか新鮮ね。いつもより文字が頭に入ってくるみたい」

そう言って、フランドールは笑う。
そのにこやかな笑い顔に、マーガレットは再度、思考を停止させられた。

「あ……、え、ええと、お着替えをお持ちしました。どうぞ」
「うん、ありがとう。着替えさせてくれる?」
「は、はい、少々お待ちを」

ぴょんとベッドを飛び降り、フランドールは背中を向けた。
マーガレットはぎこちなさの残る手つきでフランドールの服を脱がせ、背中に穴の空いた新品の衣服を着させていく。
フランドールの羽は服を通った後、ぴょこぴょこと忙しなく上下する。
まるで、私は機嫌がいい、と教えてくれているかのように。

「お、お待たせしました」
「うん、ありがとう。もうご飯?」
「は、はい。リビングルームに用意しております。こちらへどうぞ」

マーガレットは、幾分か落ち着きない足取りでドアの方に向かい、フランドールを誘った。
そのフランドールは踊るような足取りでドアを潜り抜けた。

ドアを閉め、再びフランドールの前に立って先導するマーガレット。
その顔には、困惑と疑問が浮かんでいた。

フランドール・スカーレットとは、こんなにも愛想のいい相手だっただろうか。
廊下ですれ違うことは度々会ったが、一礼しても挨拶の一つも返さず、無視して通り過ぎていた。
まるで、メイドなど目に入っていないかのように。

自室に入ったら、寝起きの不機嫌さ満点の顔で迎えられ、嫌味の一つや二つ言われ、最悪、暴力に訴えられる可能性も考えていた。
それがどうだろう。まるで吸血鬼らしからぬ陽だまりのような笑顔に迎えられ、素直に自分の後について歩いている。
一体何があったのか。まさか、これは夢なのでは……。

「ねぇ」
「は、はいっ?」

後ろから声をかけられたマーガレットは、慌てて振り返る。

「あなたの名前はなんていうの?」
「え? あ、は、はい、マーガレット・シェリーと申します。お見知りおき下さい」
「ふうん、マーガレット、メグね。ねぇ、メグって呼んでいい?」
「は、はい、お、お好きなように……」
「メグ、今日の天気はどうだった?」
「は、はい、良い天気でした。夕焼けも見えましたし、星空も見えるでしょう」
「そう、良かった。紅魔館は雨は降らないけど、曇りよりは晴れていたほうがいいわ。そう思わない?」
「は、はい、そうですね」
「久しぶりに、テラスで星を見ようかなぁ。食事が終わったら、紅茶を入れてくれない? それを持ってテラスに行くわ」
「は、はい、そ、それでは、お食事が終わりましたらテラスにいらしてください。ご用意させていただきます」
「うん、ありがとー」

マーガレットは頷くだけだった。
フランドールは時折、世間話のようなものを振ってくる。まさか、こんなにお喋りをするとは思ってもいなかった。
想像していたリビングルームまでの道程は、沈黙が支配する、とても重苦しいものだったのに。

やがて、リビングルームの扉が見えた。
そそくさと、マーガレットはその扉を開ける。

「ど、どうぞ。料理をお召し上がり下さい」
「うん、ありがと。それじゃ、紅茶よろしくね」

そう言って、フランドールはリビングルームの奥に消えた。

「……」

扉を閉めたマーガレットは、しばらくの間、放心に近い状態で扉を見続けるのだった。







「……ねぇ、最近、妹様、変じゃない?」
「へ? なにそれ。どういうこと?」

紅魔館一階の、とある部屋。客室として使われるこの部屋で、二人のメイドが掃除をしていた。

「今日さ、妹様と二回すれ違ったんだよね、廊下で」
「うわ。あんた、近いうちに変なことでも起こるんじゃない?」
「何よそれ……。そうじゃなくて、妹様と二回すれ違ったのよ」
「……それがどうかしたの?」
「一回目はテラスに続く廊下だったんだけどね。いつもみたいに廊下の端に寄って、一礼したのよ」
「何よ、普通じゃない」
「普通じゃないのは、これからなのよ。私が頭を下げたらね、妹様ったら、おはよう、なんて挨拶を返してきたの」
「……え」
「ね? 普通じゃないでしょ? いつもなら、私のこと虫みたいにシカトして通り過ぎるはずなのに。なのに、おはよう、よ。絶対普通じゃないわ」
「……ただの気まぐれだったんじゃないの? なんとなく、そんな気分だったとか」
「私も最初はそう思ったわ。ところがね、二回目にすれ違ったときは、気持ち悪いくらいに普通じゃなかったの」
「……どうだったっていうのよ」
「二回目にすれ違ったのは、地下に続く廊下だったわ。また妹様が前から来たから、さっきと同じように端に寄って、一礼したのよ」
「……普通じゃない」
「普通じゃないのよ! すれ違うときに妹様、なんて言ったと思う!?」
「……なんて?」
「“あら、さっきも会ったわね”なんて言ったのよ!」
「ええっ、そ、それは……」
「ね!? 普通じゃないでしょ!? 私の顔を覚えてたのよ! いや、もしかしたら、ずっと前から知ってたのかもしれないけどさ、“あら、さっきも会ったわね”、なんて、あの妹様が声をかけるわけないでしょ!?」
「……」
「なんだか、変なことが起きる前触れのような気がするわ。いまのうちに用心していた方がいいかもしれない。だって、絶対普通じゃないもの。あの妹様が、メイドに気遣いを見せるなんて……」
「か、考えすぎよ。妹様だって、そんな気分のときもあるわよ。ただの気まぐれだって」
「……だといいんだけど……。あなたも充分気をつけたほうがいいわよ。妹様とすれ違うときは、くれぐれも失礼のないようにね」
「わ、分かったわ……」



「……ねぇ、ちょっと聞いてくれる?」
「ん? 何?」

紅魔館の厨房。朝の食事の下ごしらえのため、二人のメイドが野菜を刻んでいた。

「えっと……妹様のことなんだけどね」
「いっ……ちょっと、声は抑えときなさいよ」
「分かってるわよ。でね、最近、妹様の様子がちょっとおかしいのよ」
「おかしい……? どういう風に?」
「昨日の夕食のときにね、私がバイキングの料理の補充に行ったときだったんだけど……」
「うんうん」
「食堂に妹様がいたのよ」
「えっ……ま、まさか、また事件……!?」
「ううん、前みたいなことはなかったけど……私が料理を補充しているところにね、妹様がてくてく歩いて来たの」
「……それで?」
「妹様、私の作業を見てるのね。じーって。私、すごく緊張して自分で何やってるんだか分からなくなったわ。それでね、妹様が私に言ったのよ」
「……なんて?」
「“こんなにたくさん料理作って疲れない?”って」
「なによ、普通じゃない」
「ところがよ。私が、いえ仕事ですから、そんなことはありませんよ、って言ったらね。妹様、なんて言ったと思う?」
「……なんて?」
「“いつも、大変そうね。頑張って”って言ったのよ……」
「! ……そ、それは……」
「ね? ちょっと変でしょ? あの妹様よ。メイドの事なんか気にも留めない、あの妹様が“頑張って”なんて、労いの言葉をかけてきたのよ。ちょっと、おかしいと思わない?」
「むう……確かに、変かもね」
「それにね、あなたは厨房に入り浸りだから分からないでしょうけど、最近、妹様、頻繁に食堂に足を運んでるのよ」
「へ? なんで?」
「どうも、どこかのメイドたちと話しているみたいよ。遠目だったから、誰と話しているのか分からなかったけど、とても楽しげだったわ」
「あの妹様が……楽しげにメイドと話す……?」
「今日の夕食も妹様、来るかもしれない。その時に覗いてみて。もしかしたら、誰かと話しているかもしれないから」
「う、うん、分かった」
「いつもは食堂なんて滅多に顔を出さなかったのに……一体どういうお考えなのかしらね」
「さあ……私たち下々には、上の人の考えることなんて分からないわよ……」



「……ねぇ、ちょっと話聞いてくれる?」
「え? なに?」

柔らかい朝日の差すベランダ。そこで、二人のメイドが手すりを拭いていた。

「ええと……妹様のことなんだけど」
「え? 妹様がどうかした?」
「ねぇ、妹様ってさ、最近、色々なところに出歩くようになったわよね」
「? そう? 私はそう感じなかったけど」
「そう? じゃあ、私だけなのかしら」
「なんで? 例えば、どんなところに出歩くようになったの?」
「……テラスとか」
「テラス……ふーん、確かに珍しいけど。でも、気まぐれで行きたくなるときもあるんじゃない?」
「……食堂とか」
「食堂……そうなの? 確かに、それはあまり行きそうにないわね。お食事はリビングルームで済ませられるし」
「……中庭とか」
「な、中庭……? 確かにそれは珍しいかも……。チューリップでも見たくなったのかしらね……」
「……宿舎とか」
「しゅ、宿舎!? わ、私たちの!? それって本当なの!?」
「噂だから本当か分からないけど。私たちの宿舎に入っていく妹様を見たって、誰かが……」
「い、一体なんでまた……! 何の用があって!?」
「分からないわよ。噂だもの。誰かに用でもあったのかしらね……」
「よ、用ったって、私たちメイドに!? わざわざ宿舎を訪ねてまで!?」
「そこがミステリーよね。いったい、誰に会いに行ったのかしら」
「ありえないわよ……。あの妹様でしょ? メイドのことなんか生活用具としか思っていない妹様じゃない。メイドの宿舎に用があってくるなんて、絶対におかしいわ!」
「私もそう思う……。ねぇ……やっぱりおかしいわよね?」
「おかしいに決まってるじゃない! ていうか、私たちが寝ているところに、妹様が来てる、ってことでしょ!? 猛獣が宿舎にいるようなもんじゃない! いつ爆発が起きるか分かったもんじゃないわよ!」
「う、うん、そうね」
「うわぁ……なんてこと話してくれたのよ。これじゃ、夜、安心して眠れないじゃない……」
「わ、私のせいなわけ?」
「そ、そういうわけじゃないけど! でも、妹様が本当に、宿舎に出入りしているのなら、恐ろしいのは確かでしょ?」
「そ、そうね。横の部屋で爆発が起きるかもしれないわ」
「そうなったら、とばっちりを受けるのは私たちよ。これは、真相を究明する必要があるわ」
「え、ど、どうやって」
「まずは、あんたに噂を吹き込んだやつを探すのよ。そこから、噂が真実がどうかを探っていくわ」
「そ、そこまでしなくとも……。現に、まだ何も起きてないじゃない」
「何も起きていないからこそ、今やる必要があるんでしょ!? 食事が終わったら、すぐにあんたに噂を吹き込んだやつのところに連れてって!」
「う、うん……」
「ああ……今晩、何事も起きませんように……安心して眠れますように……」
「……」



「ねぇ……聞いた?」
「へ? 何を?」

紅魔館北西の宿舎。そこの一階の窓を、二人のメイドが拭いていた。

「宿舎の管理人さんに聞いたんだけど……やっぱり、何度か目撃しているらしいわよ」
「……」
「ねぇ、あなたは見たことある?」
「……今のところは。でも、管理人さんがそう言っているのなら、そうなのよね」
「気が気じゃないらしいわよ。いつ問題が起こるか分からないから、ハラハラしてるって」
「そりゃ、そうでしょうとも」
「私たちが掃除をしているうちは見かけないから……きっと夜中に来てるんでしょうね」
「それはそうよ。日光の下を通って宿舎に来るわけ?」
「日傘を使えば来られると思うけど……」
「まあ、そうよね……」
「私たちが会わない分はいいんだけど……、ここに住んでいる身としてはちょっとねぇ……?」
「来ているのが本当だという確証があるんだから、いつ鉢合わせするのか分かったもんじゃないわよ」
「管理人さんの話では、最初に目撃したのは四日前だって。その間に毎日通っていたとしたら、どこかの部屋に入り浸っているのかもしれないわね」
「そうね。鉢合わせたことはないし、どこかの部屋にずっと入っていて、帰る時はすぐに帰っているのかもしれないわ」
「……その部屋って、どこだか分かる?」
「分かるはずないじゃない。私は一度も見たことないんだもん」
「そうよね…………何事も起きなければいいけど」
「何事って、何よ」
「……人死にとか」
「……笑えない」
「……そうね」
「……」
「……」
「ひょっとして、私たちって、一番危険なところで働いているのかしら……?」
「そういうこと口に出さないで。私もそう考えていたんだから」
「……」
「……」







紅魔館二階の南側にある一つの部屋。もともとは重要な客人を迎え入れるために造られた部屋である。
しかし、数十年ほど前に、ここはメイド長の自室として使われることとなった。

「ふう……」

椅子にもたれて、紅魔館の現メイド長、十六夜咲夜は息をつく。昼の食事はとうに食べ、今は食休みの頃合である。

「妹様、か……」

そう呟く。今メイドたちの間で持ちきりの噂。
それは、フランドール・スカーレット嬢の身辺変化のことだった。

曰く、情緒穏やかになり、挨拶を交わすようになった。
曰く、行動半径が大きくなり、いつもは出歩かないようなところを歩いている。
曰く、夜な夜なメイドたちの宿舎に出入りし、どこかの部屋に入り浸っている。

メイドたちのしている噂は、嫌でも咲夜の耳に届いてくる。
それは、メイドたちの管理をきめ細やかに行っている咲夜の功績でもあるのだが。

「確かに、変よね〜……」

腕組みをして、顎に手を当てて考え込む咲夜。
一体、何が変なのか。
それは、昨日の夕食の時にさかのぼる。



紅魔館の主の食事はリビングルームで行う。
フランドールも主の妹ということで、主であるレミリアとともに食事を取るのが常だ。
姉妹が確実に揃うのは、この食事のときしかない。
元々、姉妹の仲は悪いというわけではない。行き会えば話すし、こうして食事を共にする。
だが、二人はお互いの行動にあまり干渉しないのだ。悪く言えば、興味がない、とでもいうのか、二人の関係はそんな一言で括られる。
主であり、姉であるレミリアは、こういった姉妹関係を特段気にかけていないらしい。むしろ、自分の生活が快適に送れるから放任している、といった風である。
それが良いのか悪いのか、兄弟を持たない咲夜には分からなかった。

話が逸れた。
昨日の夕食のことである。

いつものように、リビングルームの長いテーブルには豪奢な料理が並べられ、端にレミリア、その横にフランドールが座っていた。
オードブルを食べ終え、メインディッシュの肉料理にナイフを入れている最中だった。
フランドールが、レミリアに問うたのだ。

「ねぇ、お姉様」

食事時の会話は皆無に等しいゆえに、レミリアは物珍しそうに聞き返した。

「なにかしら、フラン」
「おっぱいって、どうやったら大きくなるの?」

ブッ!!

「お、お嬢様っ!?」

盛大に料理を噴出し、むせ込むレミリア。
そばに控えていた咲夜は主人の背中をさすりながら、時を止めて粗相の処理に当たった。
十秒程度で何事もなかったかのように食卓は元に戻っている。
そして、レミリアはナプキンで口元を拭きながら、何事もなかったかのようにフランドールに聞き返した。

「……ふ、フラン? 何故、そんなことを聞くのかしら?」
「お姉様って、私より年上だし。だから、おっぱいを大きくする方法、知ってるのかなぁって思ったから」
「……残念ながら、知らないわよ」
「ええ〜、そうなの〜?」

肉にナイフを入れながら、つまらなそうにフランドールは問うてくる。
レミリアは、咳き込んだために未だに熱い顔をゆっくり冷ましながら言った。

「……私たちは、永遠に今の姿で固定されることで、長い寿命を得ているのよ。それは成長を止めたということ。胸が大きくなる、というのは女性が成長とともに身体に変化が起こるからよ」
「つまり、一生、私たちはおっぱい大きくならないの?」
「……そうね、そうなるわ」
「なーんだ、そうなの。柔らかくて気持ちいいのになー、あれって。私も女なのに、なんかつまんない」
「……」



そこで、会話は途切れた。
咲夜は、その一部始終を聞いていた。
普段なら、天地がひっくり返っても出ないような姉妹の会話。咲夜がメイド長になり、幾度となく繰り返された食事の中で初めて出た天地がひっくり返るようなフランドールの問いだった。

「……」

咲夜は考える。
これは、何かがおかしくなっていると。

おかしい、という表現は適切でないかもしれない。何かが、“変わっている”のだ。
もちろん、それはフランドール・スカーレットなのだろう。彼女の身辺、もしくは考え方ないしは思想に変化があり、このような会話を誘発したのだと考えられる。

「変な噂も多いしねー……とりわけ、一番変なのは……」

メイドの宿舎。そこにフランドールが出入りしている、というものだった。
行動半径が広がったとか、挨拶をするようになったとかはまだ分かる。
しかし、フランドールとあそこは、縁もゆかりも繋がりも由緒もないはずだった。

だとしたら、一連のメイドの噂、そして件の食事の会話は、その宿舎に原因があるはずなのだ。

咲夜はさらに考える。
これは、このまま放置しておいてもいいものなのだろうか。

落ち着いてよく考えてみれば、フランドールの行動は良好になっているといっていい。
彼女は、メイドたちなど、路傍の石程度にしか思っていなかった節がある。主人のレミリアと同じく、働いているメイドを労う気持ちを持ってもらったのは僥倖なのだ。

行動半径が広くなったのは……まあ、今のところは大丈夫だろう。
レミリアに聞いたフランドールの能力。“ありとあらゆる物を破壊する能力”。その力はあまりに強い。最強の吸血鬼、レミリア・スカーレットさえも凌ぐほどに。
もし外に出て、その能力が発揮され、誤って人間などを壊してしまった場合、その代償は高い。よく知っている紅白や、ハクタクの半獣が出張ってくるだろう。
だが、今は紅魔館の内部に留まっている。それならば、何の問題もない。敷地内から出ない限り、事件は紅魔館内の事故で済む。それは、あまり良いことではないが、最悪の事態にはならない。

フランドールは、主人のレミリアよりも、より幼さが前面に出ている。いわば、思春期を迎えた子供との違いだ。より大人に近い考えを持ったレミリアは、自分の力をよく弁え、ある程度使いこなすことが出来る。
しかし、フランドールにそれが出来るかは、まだ未知数なのだ。だから、主であるレミリアは、フランドールを外に出すことは出来ない。間違いが起こってからでは遅いのだから。

「ふう……」

一通り思考して、咲夜は溜め息をついた。
とりあえず、今は現状維持に努め、より確かな情報を集める必要がある。
そこから、フランドールの変化の原因を突き止め、今後の方針を決める。それが最善だろうと結論付けた。

「ま、とりあえずは午後の仕事に精を出しますか」

ティーポットから紅茶を注ぐ。
メイド長の忙しい日々の、ほんのわずかな休息の時間だった。







「ふ〜、今日のお勤めも終わったね〜」

宿舎に足を踏み入れると、そう実感が沸いてくる。
あたいたち三人は、すでに夜の帳が下りた外を歩き、宿舎に戻ってきた。

「ていうかさ、今日はついてないね。残業命じられるなんて」
「仕方ないわよ。誰かが怪我してしまったのなら、誰かが助けないと。こういう時もあるわ」

午後の掃除を行っている時だった。
清掃班長が、あたいたちのところに来て言ったのだ。
“ある一人のメイドが腕に怪我をしたため、掃除が出来ない。なので、あなたたちに掃除をしてもらいたい”と。
まあ、ありていに言えば、仕事が増えたということだ。
そのため、定時で全ての仕事を終わらせることが出来ず、残業を余儀なくされたのだった。

「飯食うのも遅くなったしね〜。今日はなんだかいつもより美味く感じたよ」
「こまっち、おかわりしてたもんね。背ぇ高いし、いっぱい入るんだろうね」
「アンもよく食う方じゃないか。それなのに、なんで背が伸びないんだろうね」
「うう、不公平だな〜。ミルクも大好きなのに〜」
「うふふ」

平和な会話をしながら、あたいたちは宿舎の廊下を歩く。
時折すれ違う、他のメイドさんたちに会釈しながら、角部屋の108号室を目指した。
この時間帯になると、もうみんな宿舎に帰ってきているので、喧騒が聞こえるようになる。
きゃー、とか、うっそー、とか黄色い声がドア越しに聞こえてくる。何を話しているんだろうね、ほんとに。

で、あたいたちの部屋に着く。すると、メルがすっと前に出てポケットを探る。
あたいたちの部屋の鍵を開けたり閉めたりするのはメルの仕事だった。

「……? あら……?」

と、メルが鍵をノブの中心に入れながら、不思議そうな声を出した。

「ん? どうしたの?」
「鍵が……壊れているようです」
「へ?」

メルはそこまで言うと、鍵をノブに突っ込んだまま扉を開けた。

「あっ、帰ってきた〜! お帰り〜!」

中から可愛らしい声が、あたいたちに向かってかけられる。

「フラン様! いらしてたんですか!?」
「あ〜、フラン様だ〜! こんばんわ〜!」

部屋の中には、フラン様がいた。テーブルについて、何か作業をしている。
あたいとアンが笑顔で応えると、フラン様も満面の笑みで頷いてきた。

「うん。食堂にいなかったからさ。もしかしたら、こっちに来てるのかもしれないって思って」
「ああ、そうでしたか。ちょっと、あたいたち残業してたんですよ。それで、いつも食べているような時間にいなかったんです」
「なんだ、そうなの。でもよかった。みんなの顔、今日も見られて」
「あはは、嬉しいこと言って頂いて光栄ですよ」

あたいたちは、次々に部屋に入っていく。
と、しかし、メルはドアの前で首を傾げて入ってこなかった。

「ん? どうしたのメル?」
「…………フラン様、ちょっとお聞きしてよろしいですか?」
「ん? 何?」
「ここの部屋の鍵……フラン様がお入りになる前から壊れてましたか?」
「え?」
「おかしいですね……今朝、閉めた時は壊れてなかったのに……どうしてかしら」
「え、も、もしかして……困る?」
「……はい。鍵をかけられなくなりますし、何か物がなくなったら、ちょっと困りますね」
「……」

むう、確かにそうだな。今朝、あたいたちはメルが鍵をかけるのを目撃してる。ということは、あたいたちが部屋を留守にしている最中に鍵が壊れたということだ。

「もう、寿命なんじゃないの〜? 古いドアだしさ〜」

アンが、推測を言う。

「……そうなのかしらね……」
「そ、そうだよ! きっと、そう! ね、小町もそう思うでしょ!?」
「え?」

急にフラン様から話を振られて、あたいはちょっと戸惑った。
なんだ? なんかフラン様、えらく慌てているようだけど……。

「まあ、一週間前にここに来たあたいにはなんとも言えないですけど……メル、修理は出来るのかい?」
「おそらく……。管理人さんに言っておけば、明日のうちには直してもらえると思いますけど……」
「そ、そうなの!? な、なら、おっけーじゃない! ね、アン?」
「へっ? あ、はい、そうですね。一日我慢すればいいだけですし。そもそも、盗られるような物はここにはないですし」

まあ、アンの言う通りだ。泥棒が欲しがるような物など、ここにはない。
あたいの預金通帳は、巧妙に隠してあるからね。絶対に見つからない自信がある。

「そ、それより、見て! 私、教わったとおりに作ってみたんだけど!」

フラン様に促され、あたいはテーブルの上を見た。

「うわぁ、綺麗ですね。これ、フラン様がお一人で作ったんですか?」

テーブルの上には、ビーズや輝石をあしらった綺麗なブローチがいくつか置かれていた。
どれも丁寧に作られてあるようで、部屋の明かりを反射させてキラキラと光った。

「すごいじゃないですか! 一週間でこれだけ作れるのなら、フラン様には才能があるのかもしれないですね!」
「え、そう? うふふ、早くアンみたいなのが作りたいから頑張ったの」

フラン様と、その先生であるアンは顔を見合わせて笑った。
二人はブローチを作る過程で、随分仲良くなった。フラン様がブローチ作りに一生懸命だったのもあるのだろう。

「これなら、もうあたしの教えることはないって感じですよ〜。今度はお一人で、お好きなのを作ってみたらどうですか?」
「そ、そうかな?」
「ええ、材料は、ここにあるのを好きに持っていって構いませんから。お部屋で暇なときにでもお作りになってください。あたしたちがびっくりするくらい綺麗な物を作ってくださいね!」

わいわいと、あたいたちはフラン様の作ったブローチを中心にして話し込む。
フラン様は、はにかんだような笑顔で、終始ご機嫌のようだ。最初の頃の、睨むような目つきはどこにもない。
そうだ。この娘の本来の顔は、この顔なのだ。もっと早くこの笑顔があったなら、紅魔館内で孤立するようなことはなかっただろうに。

「これじゃ、どっちが先生が分かったもんじゃないね。アンもうかうかしてられないよ」
「むうっ、それはいかんね。あたしも腕を磨かないと。よし、フラン様、勝負です!」
「え、勝負?」
「一週間かけて作品を一つ仕上げて、品評しましょう。審査員は、こまっちとメルね。言っとくけど、贔屓は無しだよ!」
「あはは、こりゃ責任重大だ」
「師弟対決ですね。どちらも頑張ってください」
「よーし、いいよー。みんながびっくりするようなの作って見せるからねー!」

フラン様は両拳を胸の前で握り締め、むんっと気合を入れた。
可愛らしい仕草に、あたいたち三人は自然と笑顔になった。

「さて、それじゃ、お風呂の準備をしましょうか」

メルがタンスの引き出しを開けながらそう言った。

「えっ、お風呂?」
「ええ、あたいたちは、食事から帰ってきたらすぐに風呂にしてるんです。フラン様とお会いになるときは、いつもパジャマ姿だったでしょう?」
「ああ、そう言えばそうね」
「あっ、そうだ」

あたいは、思い付きをその場で言ってみた。

「フラン様、お風呂はまだですか?」
「へっ? まだっていうか……」
「まだなら、あたいたちと一緒に入りませんか?」
「「「へ?」」」

あたい以外の三人の声が重なった。

「え、ええっと……」
「フラン様が普段どんなお風呂に入っているかは知りませんが、ここの風呂もでかくて気持ちいいですよ。ですから、入りましょ。ね?」
「え、ええと、こまっち、フラン様はさ……」
「ん? 何?」
「いいよ、アン。私から言う」

アンの言葉を遮って、フラン様が言葉を発した。

「私はね……お湯が苦手なの」
「はい? どういうことですか?」
「吸血鬼だから。吸血鬼は流れる水に浸かることは出来ないの。だから、うまくお風呂に入れないの」
「へ……? じゃ、じゃあ、いつもお風呂はどうしてるんですか?」
「石鹸を泡立てた泡のお風呂に入っているのよ。後は、タオルで、身体を拭くの。出来るだけ、水分が身体に付かないように注意してね」
「……」

そ、そうだったのか。うっかりしていたというか、知らなかった。吸血鬼にそんな身体的特徴があったなんて。

「し、失礼しました。まったく知りませんでした……」
「ううん、いいの。だから、みんなが入っているようなお風呂には、私は入れないわ。だから、気にしないで三人で行ってきて」
「……」
「こまっち、フラン様とあたしたちは違うからさ。ね? 速攻で入って速攻で出てくればいいじゃない。フラン様がいなくなるわけじゃないんだしさ」

アンが、あたいの肩に手を置いて言葉をかける。
フラン様と一緒に風呂に入れない。その事実は予想以上にあたいの気持ちを沈みこませた。
親父のような考え方だが、あたいは裸の付き合いというものを重要視している。何も着けていないからこそ分かり合えるというか、なんとなく、そういう考え方があるのだ。
だから、あたいはフラン様と風呂に入りたかった。
この一週間で、あたいたちとフラン様は見違えるくらいに仲が良くなったのだ。ここで、風呂に一緒に入れないという壁が出来てしまうのは、あまりにも惜しい。

「……あ」

あまりにも、惜しい。
だからなのか。あたいは、一つの方法を思いついた。

「それならさ、フラン様がいつも入っている風呂に、あたいたちが入りに行けばいいんじゃない?」
「「「は?」」」

また、三人の声が重なった。

「フラン様がいつも入っているお風呂って……紅魔館本館の?」
「そうそう、それ。それなら、フラン様と一緒に風呂入れるんじゃないの?」
「バ、バカッ! あそこのお風呂はお偉い方しか入れないんだよ! フラン様や、当主のレミリア様や、咲夜メイド長とかさ! あたしたちがそこに入るなんて出来やしないよ!」
「あはははははっ!」

アンがあたいの案を却下しかけようとしたとき、フラン様がケタケタと笑った。

「ど、どうされました? フラン様」
「小町、アンタ本当に面白いね。私、そんなこと考えようともしなかった。そうよね、一緒にお風呂に入るなら、それしか方法がないもんね」

その通りだ。だからこそ、あたいは無茶と知りつつも言ってみたわけだが……。

「いいわ。アンタたちに、本館のお風呂を使わせてあげる」
「「「え?」」」

フラン様は、思いがけない言葉を簡単に言った。

「よ、よろしいんですか? 私たち、何の肩書きもない、一メイドたちですけど……」
「大丈夫大丈夫! 当主の妹の私が許すって言ってるんだから、何の心配もいらないわ!」
「……」
「じゃあ、私、お風呂道具とか取ってくるね! みんなは本館のお風呂の前で待っててね!」

そういい残すと、フラン様は作りかけのブローチをテーブルに置いたまま、部屋を飛び出していった。

「……」

残されたあたいたちは、あまりに急展開さにあっけに取られるばかりで。

「……ね、言ってみるもんだろ?」

と、あたいが言うのが精一杯だったりした。



紅魔館本館の風呂は、食堂からそれほど離れていない場所に存在していた。
水周りの関係から、位置的に近くなったのだろう。でも、まさか食堂に向かうときに、いつも通っている廊下の途中にあるとは、まったく気付かなかった。
紅魔館は似たような扉ばかりだから、開けてみないと中の様子が分からない。
そのうちの一つが、本館の浴場に続いている、というわけだった。

「……」
「……」
「……」

あたいたち三人は、その浴場に続く扉の前に立っていた。
風呂桶やタオルを抱えながら、廊下の端に突っ立っているあたいたちは明らかに浮いていた。
通りすがるメイドさんたちは例外なく、ちらちらとこちら見ながら通り過ぎていく。
そりゃそうだな。あたいだって、立場が逆なら見ずにはいられないだろう。

「フラン様、まだかねー」

落ち着かなくなって、つい、そんなことを口走ってしまう。

「……やっぱり、ちょっと居心地悪いですね……」
「そりゃそうだよねー。あたしたちがここにいるのって、普通はありえないから。掃除の時とかはともかく」

早くフラン様がいらっしゃることを願うばかりだった。
あまり晒し者みたいにされているのはよろしくない。



「おまたせー!」

それから五分ほど経って、フラン様がご登場なさった。
あたいたちにとっては、視姦という責め苦からの解放に等しい瞬間だった。

「ああ〜、やっとおいで下さりましたね〜」
「? どうしたの、みんな。なんか疲れてるみたいだけど」
「い、いえ、なんでもありません。それより、ちゃっちゃと入りましょ。ね?」
「う、うん」

あたいはフラン様を促して、浴場の扉を開けさせた。

「ふおぉ〜〜〜、なんだここ〜〜〜」

そこは、風呂場とは思えないほどの豪華さだった。
まだ、先に続く磨りガラスの扉が取り付けてあるから、ここは脱衣所なのだろうと思った。
広さは、あたいたちの部屋の約二倍ほど。壁には脱いだ服を入れると思しきロッカーらしきものがいくつも取り付けられていた。
金の枠が取り付けられた洗面台に、よく磨かれた鏡。
足元には、湿気を吸い取るための、染み一つ無い白い絨毯が敷かれている。

「ここで靴脱いでね。じゃないとお風呂は入れないから」

フラン様に言われるまま、靴置き場で靴を脱ぎ、あたいたちは絨毯の上に足を載せた。
ふんわりとした柔らかい感触が足の裏を包み込む。というか、風呂場だよな、ここ……。

フラン様は慣れている様子で、ロッカーの一番奥のところで、早速服を脱ぎ始めた。
あたいたちも、おっかなびっくり各々ロッカーを選び、おずおずと服を脱ぐ。
なんだか、とても後ろめたい感じがするのは何故だろう。
ていうか、あたいがこの風呂に入るという発案者なのだから、堂々としていたらいいのだ。

「みんな、遅いよー。早く服脱いじゃってー」

フラン様は、すでに素っ裸だった。子供らしい健康的でプニプニ感のある肢体を惜しげもなく晒している。
ていうか、色白いな。吸血鬼なのだから当たり前なのだが、一度も日に当たっていないのだろう。

「ああ、すいません。すぐに脱ぎますので」

あたいもさっさと服を脱ぐ。そして、タオル一枚を引っつかんで、フラン様の横に立った。

「…………」
「……? どうしました、フラン様?」

フラン様は、じーっと、あたいのことを見ていた。
いや、あたいの顔は見ていなかった。主に、胴体部分を見ているようだった。

すると、おもむろに右手を伸ばしてきた。
そして、あたいのおっぱいを、むい、むい、と押し込んできた。

「へ? ど、どうしました?」
「……やっぱり、おっきい……いいなあ……」

むい、むい、とあたいの胸を押したり引いたりして、フラン様は口を尖らせている。
いや、そんなこと言われても……。

「あはは、フラン様は、おっきいおっぱいが好きですか?」
「うん。だから、昨日、お姉様に聞いてみたの。おっぱい大きくするにはどうしたらいいのかって。でも、私たち吸血鬼は、一生おっぱい大きくならないんだって。つまらないなー」

まあ、おっぱいでかいと色々と弊害も起こったりするのだが、それは持つ者のみが悩むことだろう。

「フラン様は、今のままでも充分可愛いですよ。むしろ、今の姿のほうが好みの奴もいるでしょうしね」
「へ? どういうこと?」
「小さいおっぱいが好きな奴もいるってことです。人はそれをロリ、」

すぱーん!

と小気味いい音があたいの後頭部で炸裂した。瞬間、あたいの頭が後ろから前へ激しく揺さぶられた。
つまり、後ろからはたかれたのだ。

「はい、くだらないこと言ってないで、お風呂に入りましょうね。フラン様、よろしいですか?」
「う、うん、こっちだよー」

メルがフラン様の後について浴場のほうに歩いていく。
服の上からでも思っていたが、服を脱ぐと引きしまった身体のラインがよく分かった。

「だ、だいじょうぶ? こまっち」
「ふっ、メルに突っ込み属性があったとはね……あたいもさすがに気付かなかったよ……」
「悪乗りすると、いつも止めに入るからね。あたしも何度かやられたけどさ」

お姉さん気質を存分に発揮したメルの後を追い、あたいとアンは浴室の方に向かった。



浴室への扉を開けると、そこは別世界と言っても過言ではなかった。

「おぉぉぉぉ、すげぇぇぇぇ」

そんな言葉しか出ない。
脱衣所の倍はある室内に、大理石で出来た床、乳白色の壁、天井。そして、四、五人は入れそうなほど広い浴槽。まさしく、金持ちの風呂だった。
浴室には並々と白い泡が泡立っており、なんだか、ケーキを連想させる。中に入ったらホイップされてしまいそうだった。

「あれ……? あれれ……?」
「あー、美鈴じゃない。アンタもお風呂?」

なんと、風呂には先客がいた。
あたいがここに面接に来るときにお世話になった、門番班長の美鈴さんだった。
頭の上で白いタオルを巻き、長い紅色の髪を結わえている。

「い、妹様……? あれ、どうしてですか? もう、お風呂はお済みになられたはずじゃあ……」
「いいじゃん、今日は二回入りたい気分なの。ほらほら、今日はたくさん入るんだから、横どいて!」

妹様は、美鈴さんを押しのけるように、浴槽の中に飛び込んだ。
白い泡がぶわっと舞い上がって、シャボン玉がいくつも出来た。

「ほら! みんなも入って! 遠慮しないでいいから!」

フラン様のお言葉にならい、あたいたちはおっかなびっくり爪先から浴槽の中に入る。
うおぉ、なんだか変な感触。当たり前だが、お湯とは違った。なんともいえない感触が足先から太ももまで包み込んだ。
そのまま、首まで浸かる。体中がふわふわしていて、くすぐったいような、こそばゆいような、変な気分だった。

「うわぁ、なんだか、変な感じ〜。泡のお風呂って、面白いね〜」
「なんだか……落ち着かない気分ですね……。お風呂に入っているという感じがしないです……」
「でも、なかなか気持ちいいじゃないか。お湯の風呂じゃあ取れない疲れも取れそうだね」

あたいは、泡の一部を掬い取って、ふっ、と吹いてみた。
小さな豆粒みたいなシャボン玉が、風に乗って天井の方に飛んでいった。

「ふふ、どう? 紅魔館本館のお風呂は。けっこういいもんでしょ?」
「ええ、連れてきてもらって、ありがとうございます。貴重な体験ですよ」
「あれ〜っ、どこかで見たことあると思ったら、小町さんじゃないの〜?」

美鈴さんは、ようやく、あたいが誰か分かったようだった。

「髪下ろしてたから、誰かなーって思ってたけど、やっぱり小町さんじゃない。お久しぶりね〜」
「ああ、久しぶり。一週間ぶりだね。まさか、こんなところでまた会うとは思わなかったよ」
「あれ? 美鈴と小町はお友達?」

フラン様があたいたちの顔を見ながら聞いてくる。

「まあ、色々ありまして。私が門を守っている間に、ちょくちょく会ってたんですよ」
「ああ、そうだったの」
「それにしても、随分と大所帯でいらっしゃいましたね。どうしたんですか、一体? 小町さんを含めて、そちらの三人は普通のメイドさんですよね。ここは使わないはずですけど」
「ん? 別に? 小町たちが本館のお風呂に入りたいって言うから連れてきただけだよ?」
「え……? 妹様が、ですか?」
「うん。なんか、おかしい?」
「い、いえ……ただ、珍しいな、と。妹様がメイドの希望を受け入れるなんて、滅多にないんじゃないですか?」
「この三人は特別なの。いっぱい、いろんなこと教えてもらってるからね。だから、ここのお風呂に連れてきてあげたのよ」
「は、はあ……」

美鈴さんは複雑げな表情で、あたいたち三人を見つめてくる。
アンとメルは愛想笑いを浮かべている。まあ、あたいも含めて、まだ場違いな感じは否めないしね。

「それはそうと、美鈴さんもここのお風呂を使ってるんだね。フラン様からお聞きしたけど、ここって位の高い人しか入れないらしいじゃない」
「ええ、私は門番班長だから。班長クラス以上で、この本館に住んでいる人たちは、ここが使えるのよ」
「へ〜、そうなんだ」
「で、でも、美鈴班長は時たま宿舎の風呂で見かけますよね。あれはどうしてですか?」

アンが滑り込むように会話に割り込んできた。

「ああ、たま〜に、お湯のお風呂も恋しくなるの。あっついお湯に浸かると身体があったまるからね。無性にあそこに入りたくなる時があるのよ」
「ああ、分かる分かる。このお風呂は体を洗えて便利だけど、やっぱり風呂は湯張りだね。一日の疲れは、そこで一気に取れるよ」
「むう、小町はここのお風呂が嫌い?」
「あ、いえ、そういうことではなくてですね。どっちも特徴があって、一長一短があるって言いたかっただけですよ。フラン様にここに連れていただけたことは貴重な体験で、とても感謝しておりますよ」
「そう? うん、よかった。嫌いになられたらどうしようかと思った」

フラン様は安心したように笑う。
まあ、本音を言えば、あたいは湯張りの風呂の方が好きだが、フラン様を無駄に不機嫌にさせるのもよくない。
この娘は、とても繊細で、傷つきやすいのだ。

「い、妹様と小町さんって仲がいいんですね。なんだか、自然で気付きませんでしたけど、妹様が小町さんたちをここに連れてくる、なんて、ちょっとした事件ですよ?」
「ん? そう? まあ、細かいことは気にしな〜い。楽しければ、いいじゃない」
「ま、まあ、妹様がそう言われるのであれば……。でも、明日あたり、けっこうな噂になっているかもしれないですね」
「あっ」

と、その時、フラン様が何かに気付いたかのような声を上げた。

「はい? どうしましたか、フラン様?」
「……」

フラン様は応じない。ただ一点をじっと見つめているのみだ。
じーっと。美鈴さんの、胸の辺りを。

「え? ど、どうしました、妹様?」

フラン様は真剣そのものの顔で、美鈴さんの胸を見続けている。
そして、おもむろに左手を伸ばし、美鈴さんの胸を鷲づかみにした。

「わひゃっ!」

美鈴さんは驚いたのか、変な声を上げて浴槽の端っこに移動してしまった。

「な、なな、なんですか、妹様。わ、私のおっぱいに何か?」
「…………おっきい」
「へ?」
「小町と同じくらい、おっきい。……いいなぁ……」

口を尖らせて、物欲しそうな顔をするフラン様。
あたいと美鈴さんは顔を見合わせる。そして、互いの胸に視線を落とした。

「あ、あはは……」
「あははは……」

なんだか、笑うしかないって感じだ。

「……」

すると、フラン様は今度はアンとメルの方を見た。

「……え? なんですか、フラン様?」

すすす、と泡の中を泳いで、そちらの方に進んでいく。
宝石がくっついたような羽が、舟の旗のように、二本突き出たまま進んでいった。
二人の前に来たフラン様は、またじーっと見つめている。
そして、おもむろに両手を上げると、二人の胸をまさぐりだした。

「……」
「……」

二人は、フラン様の手のされるがままになっていた。固まって動けなかったのだろうか。
やがて、フラン様は言い放った。

「…………小さい」

「!!」
「!!」

びし、と二人は硬直した。
それはもう、見事な固まり具合だった。
こっちの方まで、音が聞こえてきそうなほどに。

「小町や美鈴の三分の一もない。私より背はおっきいのに、おっぱいはおっきくない。なんで?」
「……」
「……」

アンとメルは、フラン様の素朴な問いに答えられない。
固まったまま動かなかった。

「あ、あのさ、ふたりとも、気にすることはないよ。おっぱいの大きさなんて個性のうち、」
「さわるなぁっ!!」

アンの肩に手をかけようとした、あたいの手が、ぴしぃっ、と払われる。

「この鬼畜めぇ! お前のような富める者は、貧民層の我々に何の施しもしてくれない! 我々は、限られた物量で細々と暮らしていくしかないんだぁっ!」

そこに、メルがそっと、アンの肩に手を置く。
首を横に振りながら。

「ダメよ、負けちゃダメ。私たちには、まだ未来があるわ。その時まで、希望という名の手綱を手放してはいけないのよ」
「その時は……その時はいつか来るのっ!?」
「ええ、必ず……!」
「メルッ!」
「アンッ!」

「……」
「……」
「……」

ひし、と抱き合うアンとメルを、あたいとフラン様と美鈴さんは口を開けたまま見つめていた。
どうやらフラン様は、押してはいけないボタンを押してしまったようだ。

現実とは、かくも厳しい。
そのことを非情にも他人事に感じながら、あたいは二人の抱擁を見続けるのであった。



「じゃー、私は部屋に戻りますね。みなさん、お休みなさーい」

風呂から上がった後、美鈴さんは自室の方に帰っていった。
あ、部屋の場所教えてもらえばよかったかな。後で遊びにいけるかもしれないし。美鈴さんとは仕事場所が外と中で全然違うから、会う機会もそんなにないだろう。

「それじゃ、私たちも部屋に戻りましょうか」
「そうだねー。フラン様はどうしますか?」

アンの問いかけに、フラン様は人差し指を口に当てて、むー、と考え込む。
いつも思うのだが、仕草の一つ一つがいちいち可愛くて、見ていて飽きない。

「ちょっと疲れたから……いいや、これからお昼寝する。また、明日遊ぼ!」
「そうですか。じゃあ、ブローチの仕掛りはこちらで預かっておきますね」
「うん、よろしくね!」
「また明日お会いしましょう。それじゃ、お休みなさい!」
「お休みー!」

フラン様は、その姿が小さくなるまで、こちらに向けて手を振っていた。
あたいたちも、フラン様が廊下を曲がって姿が見えなくなるまで見送っていた。

「じゃ、行きましょうか」
「そうだね」

メルの声に従い、あたいたちは宿舎に向けて歩き出した。
歩くたびに、ほてった頬を冷たい風が通り過ぎていく。なんだか、銭湯に通った後の気分と似ていた。

「今日は、色々と面白いことがあったね」

アンがぽつりと言った。

「ああ、そうだね。残業を命じられて、フラン様のブローチを見て、それから本館の風呂に入って。いつもよりはしゃいだ感じだったね」
「私たちは日勤だから、フラン様とは起きている時間帯がずれているのが残念ですね。夜勤なら、もっとフラン様の遊び相手になって差し上げるのに」
「じゃあ、メイド長に頼んで夜勤にしてもらおっか。けっこう簡単に出来そうじゃない?」
「志望理由に“フラン様と遊びたいから”って言うのかい? そんなの出来そうにないね〜」
「あはは、そうかもね」

くだらないことを言い合いながら、あたいたちは宿舎に続く扉を開けた。
石畳が月明かりに照らされて、ぼんやりと浮かび上がっている。
北側の宿舎の窓からは明るい光が漏れていて、時折まだ眠らないメイドさんたちの影が横切っていた。
夜気の冷たい風にぶるりと震える。泡風呂は気持ちいいけれど、身体の芯まで温まっていない感じがした。

やがて、宿舎に辿り着いた。
メルが扉を開ける。あたいたちの部屋以外でも、メルはこうやって率先して開けてくれる。
中に入ると、宿舎の小ぢんまりとしたロビーに出る。そこにあるソファーで談笑しているメイドさんが何人かいた。
扉を開けたあたいたちに気付き、こちらに顔を向ける。

「あっ……」
「……」
「……」

……? なんだ?
三人ほどソファーに座っていたが、全員、すぐに顔を背けた。
あたいたちが来た途端、のような気がした。
それから、また話を再開するのかと思ったら、みんな俯きがちに黙っていた。
そのうちの一人は、ちらちらとこちらをうかがっている。なんだか、あたいたちが悪いことをしているようで、居心地が悪かった。

「……いこ、こまっち」

アンに促され、あたいたちは自分たちの部屋に足を向けた。
その途中、ちらちらこちらを見ていた人と目が合った。だが、すぐに視線をそらされる。
なんだか、とても不快な気分だった。

107号室の前では、あたいの歓迎会を催してくれた人たちがたむろしていた。
中に入ればいいものを、立ち話をしているようだった。

「あっ、あんたたちっ! 大丈夫だった!?」

その中の一人があたいたちを認めると、目を剥いてこちらに向かってきた。

「え? な、なんだい?」
「あ、あんたたち、妹様に本館の風呂に連れ込まれて、焼き入れられたそうじゃない! 大丈夫だったの!?」
「へ?」

なんだか、この人は変なことを言った。
アンが何とか会話を続ける。

「や、焼き入れられたって……べ、別にそんなことされてないよ?」
「ええっ!? だ、だって、さっき来た娘がそう言ってたんだよ!? あんたたちが妹様と本館の風呂に入っていくのを見たって! 一体何されたわけ!? 怪我とかしてない!?」
「……」

目の前にいる人は真剣そのもので、とても冗談で言っているように思えない。
つまり、この人は、あたいたちが妹様に目をつけられ、リンチまがいのことをされたのではないかと心配しているようだ。

「そ、そんな……あたしたちは、ただ、フラン様と一緒にお風呂に入っただけで……」
「そ、そんな隠さなくてもいいって! 口止めでもされてるの!? 誰にも言わないから話してみな!」
「だ、だから……」

アンは両肩を掴まれて、詰め寄られている。
だが、目の前にいる人の剣幕に押され、どう説明したらいいものやら困っているようだ。

「見たところ、怪我はしてないようね……じゃあ、何か脅されたりしたの?」
「ち、違うって、そんなことされてない……」
「あんなバケモノに気を遣う必要ないって! 言ってみな! なにされたの!」

ダンッ!!!

「……!」

一瞬で、辺りは静まり返った。
みんな、あたいを振り返った。
あたいは、右の拳を、思いっきり壁に叩きつけていた。

「いま……あんた、なんて言った?」
「え……」
「あたいには、バケモノ、って聞こえたぞ。そう言ったよな」
「あ、あ……え、ええと、ちょっと……物の弾みというか……」
「フラン様は、バケモノか……? あんな可愛らしい姿をした女の子がバケモノだってのか……? あんたはそう言いたいんだな……?」
「こ、小町っ!」

あたいが一歩、前に歩を進めると、メルがあたいに抱きついてきた。
それによって、あたいの足はそれ以上前に進めることが出来ない。
脳みその中心が、燃えるように熱い。
チリチリ、チリチリと、少しずつ、少しずつ、頭を焦がし始めた。

「フラン様のどこがバケモノだ……? 目か? 鼻か? それとも口か? あたいたちと少しも変わらないじゃないか……? お前は、フラン様の、どこを指して、バケモノだと言っているんだ……?」
「こ、こまっち!! ダメだよ!!」

アンも抱きついてくる。
そのまま、二人に引きずられるように、あたいは108号室の部屋の前まで来た。
その間、フラン様をバケモノ扱いしたやつを睨みつけたままでいた。
相当驚いたようで、微動だにしない。

「ご、ごめんなさい! 私たちは、フラン様に何もされてませんから! 失礼します!」

メルはそう言うと、ドアを開けて、アンとともにあたいを中に引きずり込んだ。
そして、ドアを閉める。
事が終わると、はーーーっ、長い溜め息をついた。

「こまっち……ダメだよ……キレちゃダメ……」

そう言いながら、アンは未だにあたいに懸命に抱きついていた。
月明かりだけが、部屋の窓から差し込んでいた。



あたいたちは一言もしゃべらなかった。
聞こえてくるのは、時計の針の動く音と、風が窓を叩く音。
変な空気だった。こんなの、あたいがここに来てから初めて感じる雰囲気だった。

「……やはり、噂になっているようですね……」

ベッドに座っていたメルが、ぽつりと言った。
それに、あたいは苛つきながら答える。

「噂って、フラン様と風呂に入ったこと? たったそれだけで、フラン様があんな言い方されるってのかい?」
「こまっち、違うんだ。そうじゃないんだよ……」

アンの方を見る。その顔には、悲しみと、少しばかりに諦めも見えた。
アンは椅子から立ち上がって、テーブルの上に置いてあったフラン様の作りかけのブローチを手に取った。
それに視線を落とし、言葉を続ける。

「ちょっと……考えが甘かったのかもしれない……」
「え……? な、なんだい、それ……」
「フラン様はね……本当に一人ぼっちだったんだよ……」

アンはブローチを机に置き、窓の外に目を遣った。
外は漆黒の闇に包まれていた。

「フラン様は、恐れられているんです」

今度はメルが言った。

「フラン様は、今でこそ笑顔を私たちに向けていらっしゃいますが、小町が来る以前は、本当に無感動で攻撃的な方だったんです。メイドを物のように扱う方で……。怒らないで聞いてください。本当に、以前はそんな方だったんです」
「……」
「だから、わたしたちメイドも、フラン様に対してお世話する以上のことは、決して出来ませんでした。余計なことをしたら、傷つけられたり、あわよくば命を奪われるかもしれない。吸血鬼の恐ろしさは、あなたもよく知っているはずです」
「……」
「ですから、小町がフラン様をこの部屋に連れてきたとき、私とアンは心臓が止まるほど驚きました。そして、命の心配をしました。小町のことを、一瞬疫病神にも見えたりしたんですよ」

メルは、うっすらと笑みを浮かべる。
だが、あたいはそんな顔など出来ようはずもなかった。

「けれど、小町がフラン様の本当の姿をさらけ出したとき、私たちは本当に安心したんです。これで、仕えるべき方に傷つけられることなく働くことが出来る。そして、一緒に笑いあうことが出来る。なんて素晴らしいことだろうと思いました」
「だけど」

今度は、アンが言葉を引き継ぐ。

「だけど、みんながみんな、すぐにフラン様のことを理解できるはずがない。あたしとメルは、こまっちが近くにいてくれたから、ショック療法みたく、すぐにフラン様と仲良くなれたけど、他のみんなは違うんだ。まだ、フラン様に恐れを抱いている。それは、こまっちが考えているより、ずっと根深いよ。何しろ、何百年もかけて今のような状態になったんだからね」
「……」
「だから、あたしたちがフラン様と仲良くなれたっていうのは、奇跡なのかもしれない。ううん、あたしとメルは、ここに勤め出してまだ二年だったから良かったんだろうね。でも、古株の人たちには、相当煙たがられているんだよ。あんな危険な吸血鬼を世話しなきゃならない、ってね」
「……」
「あたしは……そんな石頭のことなんか気にしたくはないけど……ここで働くという道を選んでいる以上、なるべくなら、みんなとうまくやっていきたい。フラン様のことは大事だし、みんなと仲良くするのも大事。どっちかを選べなんて……そんなこと、出来るはずがないよ……」

アンはそこまで言うと、ベッドに座り込んで俯いた。

「……」

あたいは、虚空を見つめた。
そうか、フラン様は、いつも一人だったのか。
だとしたら……あまりにも悲しい。

「アン。メル」

だからこそ、あたいは止まるわけにはいかない。

「あたいは諦めないよ」

いま止まったら、きっとフラン様は、また独りぼっちになってしまうから。

天井を見上げ、目をつむる。
フラン様の笑った顔、むくれた顔、はにかんだ顔。
この一週間で目にした数々のフラン様の表情。それは永久に失ってしまっていいものでは断じてない。

たとえ、何を敵に回そうとも。
あたいだけはフラン様を信じてあげたいと、そう思った。







「ねぇねぇ、聞いた?」
「え、何が?」
「妹様に、本館の風呂に連れ込まれたっていうメイドの噂」
「ああ、あれね。もう、そのことで話は持ちきりじゃない」
「どこのメイドだか分かる?」
「北館のメイドらしいよ。他の人に聞けば具体的に分かるかもね」
「まったく、何をやらかしたのかしらね。あんな凶暴な妹様に連れ込まれるなんて」
「さあね。けど、どっちみち、そんな人たちに関わりあいたくないわ」
「ま、これ以上騒ぎが大きくならないことを祈るだけだわ」
「そうね。私も大人しくして事態を見守ることにするわ」





その日は、朝から曇りだった。
雨がいつ降ってもおかしくないような厚い雲に空は覆われ、お天道様の光を隠していた。
紅魔館は、魔法によって、雨を遮断する工夫がされているらしく、降水が屋根を叩くことはない。
吸血鬼はよほど水が嫌いなようだ。フラン様も、雨には憂鬱さを感じるのだろうか。

「こまっち」

はっ、として横を向く。
同じように窓を拭いていたアンが、薄く笑いながら言った。

「どうしたの? 手、止まってたけど」
「あ、ああ、ごめん。ちょっと考え事」
「……」

窓を拭く手を再び動かし始める。
ガラスに付着した埃が、雑巾を滑らすごとに取り去られ、なくなっていく。
……窓の汚れはこんなに簡単に取り除けるのに、なんで心の汚れは簡単に消え去ってくれないのだろう。
暗澹とした気持ちは、あたいの仕事をする手を自然に鈍くしていった。

……あれから、アンとメルと話し合った。

フラン様は、紅魔館中から恐れられている。そのことは、昨日、嫌というほど思い知った。
風呂に一緒に入っただけで、あんな酷い想像をされるなんてあんまりだ。
恐れられているなんてものじゃない。猛獣が紅魔館をうろつきまわっている。そこまで言って適当だった。

このまま、フラン様との関係を続けると、またあらぬ誤解を受ける可能性がある。
最悪、あたいたちに良からぬ噂が立ち、他のメイドたちからつまはじきにされる可能性がある。

……それは、元はといえば、フラン様を部屋に呼び、親しい関係を作ったあたいに責任がある。
二人とも、あたいを気遣って気丈に振舞っているが、今の状態のまま仕事を続けるのは辛いに違いない。
アンなんか友達がかなり多そうだから、変な噂が尾ひれをつけて広まって、その関係にヒビを入れてしまったりしたら困るだろう。
ここは閉鎖的な環境だ。下手な手を打って自身の評判を落としたら、致命的になりかねないというのは理解できる。

……だけど。
……だけど、あたいは二人に済まないという感情を持つと同時に、腹を立ててもいた。
なぜ、この紅魔館という場所は、フランドール・スカーレットという一人の女の子を理解しようとしないのか。

恐ろしい力を持っているから?
その恐ろしい力とは一体なんだ? あたいはそんなもの、一度も見たことはない。
フラン様が仮にその力を持っているとしても、フラン様がそれを使わなければ済むだけの話だ。
現に、この一週間の間に、あたいたち三人に向けてフラン様がその力を使ったことは一度もない。
抑えきれないような力なのなら、もうあたいたちはその力に巻き込まれて面会謝絶になっているかもしれないのだ。
だから、フラン様は、その力を抑えていられる証になる。そばにいても、何の危険もないのだ。

あたいが思うに、フラン様を取り巻く環境は、非常に単純なのだ。
まず、フラン様が恐ろしい力を持っているという噂が大げさに広まっており、メイドたちはそれに怯えている。
そして、フラン様があまり社交的な態度を取っていなかったゆえに、メイドたちに誤解を与えている。
たったそれだけのことなのだ。
それだけのことが何百年も続いたために、いつの間にか強固な壁となり、両者を隔てるようになったのだと思う。

だから……どちらかと言えば、今の状態にしてしまった直接的な原因は……フラン様にあるのだ。
フラン様がもっとメイドたちとコミュニケーションを取って、仲良くしていればこんなことにはならなかった。

それは、ファンクラブという文化にも表れている。
メルは、紅魔館当主であるレミリア・スカーレットのファンクラブは三つもあると言っていた。
つまり、それが結果なのだ。
当主のレミリア様は、メイドたちのことに目を向け、潤滑なコミュニケーションが出来るように努めたのだ。
そして、フラン様にはファンクラブはなかった。明瞭な紅魔館の相関図の出来上がりだった。

フラン様に責任がある。
そう一言で言ってしまえば、この問題の解答はほぼ出たも同じなのだ。
フラン様が変わらない限り、フラン様を取り巻く環境は変わらない。
フラン様が動かなければならないのだ。

……でも。
あたいには分かる。
フラン様は、きっと自分から動いてはくれない。
何百年もの間、自分から率先してコミュニケーションを育まなかった人は、急に社交的になったりはしないのだ。

だから……助けが要る。
フラン様が、この紅魔館で独りぼっちで暮らすことがないように。
他人とのコミュニケーションの取り方を教えてやるやつが必要なのだ。

フラン様は、幼い。
小さな子供なのだ。
友達の作り方を知らない。
それはまるで、仲間に入りたいのに、どう声をかけていいか分からなくて立ち尽くしている子供のようだ。

……だから。

あたいはフラン様に手を伸ばす。
フラン様を仲間に入れてやる。
そんなところで一人で立っていないで、一緒に遊ぼうよ、って言ってやる。
それは、もう叶った。
あたいはフラン様を部屋に呼び、遊びに来てほしいと呼びかけてやった。

そして、フラン様はそれに応じた。
それは、明確な返答。
あたいの“遊ぼうよ”という呼び声に、フラン様は首を縦に振ったのだ。

……

この紅魔館で、フラン様が悲しみに暮れないようにするためには、条件が二つある。
一つは、紅魔館内でフラン様を誤解しているやつらにフラン様の本当の姿を見せること。
フラン様は姿相応のかわいらしい女の子なんだってことを見せつけてやるのだ。
もう一つは、フラン様がみんなに歩み寄ること。
みんなに自分は怖くないんだとアピールし、友好の証を見せるのだ。

この紅魔館において、その儀式は一度たりとも行われてこなかった。
何百年もの間、フラン様が独りぼっちだったことにも証拠がある。

あたいから見れば、本当に異様だった。
あんな小さな女の子が、何百人というメイドたちから恐れられ、つまはじきにされている。
もし、あたいがこんな場所に何百年も閉じ込められていたら、間違いなく発狂する。

フラン様は本当にお強い。
純粋に、あたいはそう思った。



食堂は、いつものようにたくさんの人でにぎわっていた。
普段と変わらないように思えた。だが、噂はおそらく紅魔館中に知れ渡っている。こちらの様子をうかがっているやつはいるだろう。
あたいとメルは、いつものようにバイキングの料理を取りに行く。なんだか、いちいち動作を見られているようで落ち着かない。
出来るだけ気にしないように努めながら、メルが取り皿に料理を盛るのを眺めていた。

アンは、食堂の端っこのテーブルで頬杖をついていた。
なんとなく、そんな気分だったのだろう。
あたいたちが来ると、安心したような笑顔を向けた。

早速、食べ始める。
会話は無かった。
それは、今までのあたいたちからしたら、他人と食べているような違和感があった。
もくもくと、目の前にある料理を咀嚼する。
味は、あまりしなかった。

「……やっぱり、嫌だよ、こんなの……」

アンだった。スパゲティーを巻き取る手を止め、そう言った。

「ね? 二人とも、そう思うでしょ?」
「……」
「……」

もちろん、嫌に決まっている。
アンは、あたいたちがそれを言わずとも感じ取ったのだろう。続けた。

「こんな風に、他の人の目を窺いながら暮らすのなんて、耐えられない。ストレスがたまって死んじゃうよ」
「……」
「でも……こまっちの言っていることも理解できる。私たちは間違ったことはしていないんだよね。フラン様が独りぼっちにならないように、私たちがしっかりしないといけないんだ」
「……ああ、その通りさ」
「でも……難しいよね。それってさ……」
「……」

容易ではないだろう。
何百年分もの蓄積を取り払おうとしているのだ。並大抵のことではびくともしない。

「でも、屈するわけにはいかないと思います」

今度はメルが言った。

「このまま、フラン様との交流を断ち切るのが一番簡単な方法です。そうすれば、今までと同じように、他の方たちとの関係は変わらず続くでしょう」
「……」
「しかし……それをやるのは、私の心が許さない。小町に言われるまで気付かなかった罪を、これ以上大きくするわけにはいかないんです。たとえ困難であろうとも、あんなにも小さな女の子を独りにして、自分だけのうのうと暮らしていくなんて、私には耐えられません」

メルは、スプーンを握る手に力を込めた。
歯がゆさが伝わってくる。自分はなんと非力なのだろうと。

「……何か……きっかけがあればね……」

あの時。
食堂でフラン様が、一人のメイドさんを傷つけようとし、あたいが止めた。
それで、フラン様はあたいに興味を持ってくれたのだと思う。
そんな、きっかけ。いままでの環境が、劇的に変化するような。

「……ま、そんなの滅多に無いけどさ……」

あたいの言葉に、二人は顔を伏せた。
会話はそれで終わりだった。



『館内放送。アンナ・ワイズネス、メアリー・トンプソン、小野塚小町。以上三名は、紅魔館三階、リビングルームまで来るように。繰り返します……』

あたいたちが黙々と食事を進めている時だった。
食堂の中に、メイド長の声らしきものが響き渡った。

「な、なんだい? これ」

突然の事態に、あたいは困惑する。
どこから出ているかも分からない声を探すように、きょろきょろと辺りを見回した。

「……紅魔館の館内放送です。緊急の呼び出し等で、紅魔館全体に呼びかけを行うんです。原理は分かりませんが、メイド長が誰かを呼び出すときに度々行われるんです」
「な、なんだか、あたしたちを呼んでたね。なんだろ……」
「……」

こういうときの嫌な予感というものは、当たるものだ。
あたいを含め、三人ともそれは分かっていた。
昨日のフラン様との入浴。それについて、何か話があるのだろう。

「……どうする?」

あたいは一応聞いてみる。どうするもこうするも、行くに決まっているのだが、とりあえず先輩の二人に聞いてみた。

「……すぐに行ったほうがいいでしょうね。食べかけですけど、また戻ってきて食べ直せば済むことです」
「……なんだろ……悪いことじゃなければいいなぁ……」

アンの願いは、おそらく叶わない。
それは、自分自身にもうすうす分かっていただろう。気休めで言っただけだ。
あたいたちは食事の載ったトレイを持ち、返却棚に向かった。



紅魔館のリビングルーム。ここに来るのは、二回目になる。
最初は、メイド長に連れられて、主であるレミリア・スカーレット様にお目通りをした。
何か特別な用でもなければ足さえ踏み入れない、主の生活圏。
その中心部に、あたいたち三人はいた。

「……」

リビングルームの扉の前に立つ。
他の扉と比べて異様な威圧感を持った扉。まるで、あたいたちが通るのを拒んでいるような、そんな威容を感じた。

「……じゃあ、行きましょうか」

メルが、ゆっくりと扉に手を伸ばす。
そして、拳を軽く握り締める。
胸の前に拳を持ってきて、扉の方に放った。

コン、コン

二度、メルは手の甲を扉に打ち付ける。
軽く、それでいて重い音が廊下に響き渡る。

「失礼します」

メルはそう言うと、扉をゆっくりと開けていった。

リビングルームは、あの時と寸分違わなかった。
豪華な色彩の絵の具を散りばめたかのように、そこは別世界のような雰囲気を放っていた。

「早かったわね」

リビングルームの中心。そこにある大型のソファーの横には、咲夜メイド長が立っていた。
わずかに微笑を湛え、そう言った。
そして、あたいたちに背を向けて、大きな翼を背中に構えたお人がソファーに座っていた。
あたいが一週間前に会った、紅魔館の現当主。レミリア・スカーレットその人だった。

「……」

あたいたちは、言わないまでも、やや狼狽した。
当主であるレミリア・スカーレット直々に話があるということなのだ。

「さ、ここに座りなさい。お嬢様からお話があるわ」

メイド長は、あたいたちをレミリア様と向かい合わせのソファーに座るように命じる。
断ることなど出来ない。あたいたちは、恐る恐る、そのソファーに横に並ぶように座った。

「……」

レミリア様は腕を組み、瞼を閉じていた。
何か考え事をしているような、そんな風にも見て取れた。

「……お嬢様。三人が参りました。お話をお願いします」

メイド長がそう言うと、レミリア様はすっと目を開け、あたいたちを一瞥した。
そして、ふっ、と薄く笑った。

「そんなに緊張しなくてもいいわよ。別に、懲罰を与えるために、呼び出したわけではないのだから」

そう言って、目の前の紅茶を手に取り、啜った。

……懲罰ではない?
まあ確かに、あたいたちは、何も後ろ暗いことをしてはいない。懲罰を受ける謂れはない。
呼び出しを受けた理由について思い当たるのは、最近におけるフラン様との交流だけだ。

紅魔館内で孤立していたというフラン様。その中で、急に親密になったあたいたち三人。
だから、フラン様の姉であるレミリア様が、あたいたちに何を聞きたいのかは、ある程度見当はついていた。

「フランが大分お世話になっているようね。何か困ったことをしでかさなかったかしら?」
「あ、いえ……そんなことはけして……」

メルがやや緊張した声色で答える。
緊張するなと言われても、さすがに紅魔館の主の前で粗相など出来るはずもない。

「昨日は本館のお風呂に入ったそうね。フランから言い出したのかしら?」
「あ、ええと、それは……」
「あたいです」

メルの言葉に入り込むように、あたいは声を上げた。
レミリア様の目がこちらを向く。

「あたいが……本館の風呂に入ることは出来ないのかとフラン様にお尋ねしました」
「へえ、それは何故?」

あたいは、ぐっ、と唾を飲み込む。
ここは真実を話すべきだ。むやみに嘘を言って、話をこじれさせるのは良くない。
ただでさえ、フラン様の話はデリケートさを含んでいるのだから。

「それは……フラン様があたいたちの宿舎の風呂に入ることが出来ないと知ったからです」
「? どういうこと?」
「昨日、あたいはフラン様に、あたいたちの住む宿舎の風呂に一緒に入らないかとお勧めしました。しかし、あたいは吸血鬼が湯の風呂に入ることが出来ないということを知りませんでした。フラン様からそれをお聞きした時、失礼なことをしてしまったと思っています」
「ああ、それで、フランが本館のお風呂になら入れると言い出したわけね?」
「はい。あたいはフラン様と同じ風呂に入りたいと思いましたゆえ、本館の風呂に入らせてもらえないかとお願いしたのです。フラン様は快く了承してくださいました」

そこまで聞くと、レミリア様は、ふう、と息をつき、ソファーに寄りかかって足を組んだ。

「あのフランがねぇ……。……あなたたちはよっぽど気に入られているようね」

レミリア様は目を細め、あたいたちの顔をまじまじと見つめてきた。
少し笑みも浮かんでいる。なんとなく、困ったような、嬉しそうな、複雑な顔だった。

横から、メイド長が現れて、レミリア様の前のカップに紅茶を注ぐ。
カップから湯気が、渦を巻いて立ち上った。

「フランがメイドに気をかけるなんて、この五百年、一度たりも無かったことよ。そもそも、メイドを興味の対象にすること自体なかったからね。だから、今回のケースは初めてと言ってもいいわ」

レミリア様はカップを手に取り、新しく注がれた紅茶を啜る。

「結論から先に言おうか」

カップを受け皿に置き、レミリア様は言った。


「今後、フランをあなたたちの宿舎に招くことを禁じるわ」
「……え」


一瞬、意味が分からなかった。
この人は、今、なんと言った?

「もう一言付け加えるなら、あなたたちとフランとの関係を、フランが宿舎に通うようになる以前の状態に戻すわ。つまり、主従の関係以上の親密さは持たないこと」
「そ、そんな……」
「このことは、フランにも伝えておくわ。今日から、宿舎通いはやめるようにね。挨拶程度なら許すけれど、これ以上親密な関係を作らないように、」
「ちょ、ちょっと、待ってください……!」

あたいは、懸命にレミリア様の言葉を遮った。

「何かしら?」
「り、理由を……理由を教えてください。何故、フラン様と懇意にしてはいけないのですか……!?」

ふう、と溜め息をつくと、レミリア様は再びソファーに寄りかかるように身を沈めた。

「もう、気付いているでしょう?」
「え?」
「あなたたちの交流の効果は、紅魔館全体に波及しているのよ。メイドたちは怯え、仕事も休息もままならなくなってきている。どういうことか、分かるかしら?」
「あ……」

フラン様が、紅魔館全体から恐れられている。
そして、あたいたちと仲良くしていることが、良からぬ方向に働いてしまったのだろうか。

「もっと、噛み砕いて言おうか。紅魔館は、いま困惑している。おそらく、あなたたちが思っている以上にね。フランドール・スカーレットという吸血鬼の急激な変化に、追いつくことが出来ていないのよ」
「……」
「この一週間の間に、一体何が起こったのか分からないけど、フランは確実に変化の一途を辿っている。それは、さなぎが成虫に脱皮するかのような急激な変化。私を含め、紅魔館の住人はその変化についていっていない。だから、どう対処していいのか理解できない」
「……」
「咲夜のところにも、相談が舞い込むようになったわ。フランは宿舎に入り込んで、一体何をしているのか。それが気が気でなくて眠れなくなったと。このままでは、メイドたちの心身に悪影響を及ぼしかねない。いや、もうその兆候は出始めている。このままでは、紅魔館全体に不安な影を落としかねないのよ」
「……」

言葉がなかった。
まさか、あたいたちがフラン様を宿舎に呼び込むことで、そんなにも大事になるなんて……。

「フランは、とても不安定な吸血鬼よ。いつ爆発してもおかしくない爆弾のようにね。だから、私たちは不安なの。これほど態度を一変させられたら、何かが起こるのではないかと気が気でない。それは、姉である私も同じなの」
「……」
「あなたたちに罪はないわ。だから、気に病む必要はない。だけど、これ以上、フランと関わって豹変させるようなことはして欲しくないの。紅魔館の存亡に関わるかもしれないから」
「し、しかし……!」

あたいは、どうにか声を出した。
まだ、どうしても納得できないことがあったから。

「ふ、フラン様は吸血鬼です。そのことは分かっています。しかし、それほどまでに危険な方なのですか!? あたいたちと一緒にいたフラン様は、笑顔の似合うとても可愛らしい方でした! そんな隔離するような真似をしなくても支障はないと思います!」

あたいがそう言うと、レミリア様は、ふう、と溜め息をついた。

「そうね、あなたはここに来て日が浅いんだったわね。ならば、知らないのも無理はないわ」

レミリア様は、小瓶の中にあった角砂糖を一つ摘み取った。

「この砂糖。仮にこれを鋼鉄の塊としよう。これを粉微塵に破壊するにはどうしたらいいと思う?」
「え?」
「鍛えあげられた鋼鉄は、そうそう破壊できる物ではない。破壊するためには、それ相応のエネルギーが必要になるわ」

そう言うと、レミリア様は紅茶の上に角砂糖を持ってきた。
すると、ペキ、という乾いた音がする。指に力を込めたのだろう、砂糖はあっけなく割れてしまった。
レミリア様は、割れた砂糖を紅茶の中に落とし込む。そして、カップの横にあったスプーンを使ってかき混ぜ始めた。

「物を限界まで破壊するという行為は、莫大な労力を使ってようやく為せる。でも、もし、手も触れずに、ありとあらゆる物を破壊することが出来るとしたら、それは凶悪な力となるわ」
「……?」
「つまり、それがフランの力なのよ」

ありと、あらゆる物を、破壊する力。
それは、つまり、物だけではなく、生き物さえも壊してしまう禁忌の力。

「フランは、物質ならばどんな物でも破壊することが出来る。例外なくね。どんなに抗っても、抗いようのない力よ。生きとし生けるものの天敵と言っていいわ」
「……」
「さっきも言った通り、フランはこの力をまだ使いこなすことが出来ていない。加減が出来ないの。一度破壊しようとしたら、木っ端微塵になるまで破壊しつくすわ。それがどんなに恐ろしいことか、想像できるかしら?」

……想像など出来ない。
そんな力などこれっぽっちも無いあたいには、言葉通りに捉えることしか出来ない。

「分かる? もし、フランのこの力が暴走し、当たり構わず破壊しつくすようなことになれば、取り返しのつかないことになる可能性がある。だから、フランは出来うる限り、情緒を落ち着かせてもらったほうがいいの。多くの命が無駄に奪われることが無いように、ね」

そこまで言うと、レミリア様はスプーンを動かすのを止め、紅茶を啜った。

「何か、他に質問はあるかしら?」
「……」
「じゃ、私の話は以上よ。引き続き、仕事に取り掛かりなさい。フランには、私から伝えておくわ」

あたいたちは、一言も発せずに、のろのろと立ち上がる。
そして、リビングルームの出口を目指した。

もう、フラン様と、遊ぶことが出来ない。
はにかんだ笑顔も、むくれて怒った顔も、驚きを目を見開く姿も、全てが見られなくなる。

レミリア様の言っていることは、多分、正しい。
今はフラン様の心が穏やかだからいいだろう。しかし、何かの弾みで癇癪でも起こしたりすれば、何が起こるか、あたいには分からないのだ。

一週間前の状態に戻る。たったそれだけのことだ。
たった七日で作られた絆など、時間が経てばすぐに風化してしまうだろう。
すぐに忘れられる。忘れられるのだ。

「……」

だけど。

「…………」

あたいには、そんなこと、耐えられそうになかった。

「レミリア様」

あたいはドアの前で立ち止まり、振り返って言った。
レミリア様は背を向けたままだった。でも、声は聞こえていると思った。

「あたいは……ただのメイドで、ただの妖怪です。何の力も無いちっぽけな存在です。レミリア様やフラン様とは交わることが叶わないということも、なんとなく理解できます」
「……」
「でも……あたいは、フラン様と仲良くしたかった。いつまでも、あの笑顔を見続けていたかった。たとえ、その結果、あたいの命が脅かされることになろうとも、あたいはそれでも構わないと思っていました」
「……」
「どうか、どうか、フラン様のことをもっと気にかけてあげてください。あの方は独りぼっちです。あたいたちにそれが叶わないというのであれば、レミリア様しか他にいないんです」
「……」
「……出過ぎたことを言いました。……失礼します」

あたいは、ゆっくりと背を向け、リビングルームの扉をくぐった。



リビングルームには、レミリアと咲夜が取り残された。
咲夜は、件の三人の退出を見届けた後、ふう、と息をついてレミリアのそばに近寄った。

「よろしかったのですか、これで?」
「……」

咲夜の問いに、レミリアは答えない。
右手に持ったティーカップの琥珀色の液体に、視線を注ぐのみだった。

「私見ですが、あの子たちと妹様が交流を持ったことで、妹様の情緒はより深く、活発になったと思います。妹様にとって、最も足りなかった欠点が埋められつつありました。それが為されるのならば、これから先、妹様との交流を認めても、まだ見守る余地はあったと思われますが」

咲夜は冷静に自分の見解を述べる。
しかし、それ以上のことは出来ない。なぜなら、彼女はレミリア・スカーレットの従者だから。
従者は、主人の思想、行動に口出しできない。ただ付き従うのみ。
だから、彼女が出来るのは、主人に対して自分の考えを述べること以外には無かった。

「……恐ろしいのよ」
「え……?」

長いこと、紅茶を眺めていたレミリアが、ぽつりと漏らした。

「あの娘たちとこれ以上、親密になっていくフランが怖い。私でも運命が視えない。どんな結末が待っているのか、分からないのよ」
「そ、それは、どういう?」

運命を見通し、我が物にする力。それが、レミリア・スカーレットの能力。
故に、この主はある程度未来のことも見通すことが出来るのだ。

だが、その未来はいくつにも分岐しており、確かなものは無い。
レミリアは、その複数ある未来の中の、数ある分岐点を踏むことで、自分の望む未来に到達することが可能なのだ。

「フランの未来は、私でも見通しにくいの。そして、あの娘たちと交流をした結果という未来が、私には欠片も見えない」
「……」
「何が起こるのか分からない。その先に待っているものが光あふれる世界なのか、それとも終わりない破滅なのか。どんなに目を凝らしても視ることが出来ないのよ」

そう言うと、レミリアはティーカップをあおるようにして、紅茶を喉に流し込んだ。
そして、溜め息をつく。

「咲夜」
「……はい」
「あなたは、フランとあの子たちの事をどう思うの? 私の対応は、間違ってなかったと言える?」

咲夜は、その場で黙考した。ほんの数秒だった。

「……私は、お嬢様の従者です。従者は主につき従うのみ。主が出した結論ならば、それが私にとってのイエスとなります」
「……」
「ですが……私個人の想いは……妹様の絶えない華やかな笑い声が、紅魔館中に溢れるところを見てみたかったと……そう考えています」
「……」

レミリアは、しばらくの間黙っていた。
自身の対応が間違っていたとは言わない。だが、最善ではなかったのだろうか。
たった一人の妹にかける心配は当然ある。だが、自分は本当に妹のことを考えているのだろうか……。

「……あの赤毛のメイドも言ってたわね」
「……小町ですか?」
「“いつまでも、笑顔を見続けていたかった。たとえ、その結果、自分の命が脅かされることになろうとも、それでも構わないと思っていた”……」
「……」
「たった一人の妹のために命を懸ける。私は、その覚悟があったのかしら……。自分の保身のためにフランを閉じ込め、その生き様に制約をかけていただけだったのかしら……。だとしたら……」

レミリアの思考は、深く、沈んでいく。
咲夜はそれを見守るのみだ。
沈黙が、その場を支配する。
広いリビングルームの室内は、壁という壁にかけられた燭台の炎で、ゆらゆらと揺れていた。







扉を開けると、暗闇が待っていた。
メルは、そそくさと室内に入り、燭台に明かりを灯す。オレンジ色の光が徐々に、室内の様子を浮かび上がらせていった。

「……」

あたいたちは、無言だった。あたいは木製の椅子の上に、アンとメルは各々のベッドに腰を下ろす。
腹は膨れているというのに、この空虚感は一体なんなのだろう。

「……フラン様、いらっしゃらなかったね……」

アンがそう言う。
夕食の時は、必ず姿を見せてくれたフラン様。それが、今日は初めて、影すらもお見せにならなかった。
やはり、レミリア様に、宿舎に出入り禁止にされたのがショックだったのだろうか。

この一週間の間、フラン様は欠かさず食堂に来られていた。
それが、なんとなく当たり前のようになってきた矢先のことだったのだ。
フラン様の姿が見られないという事実。それが思いのほか重くのしかかっていた。
フラン様は、一体今何をしておいでなのだろう。そういう心配が自然に出来るほど、フラン様とあたいたちは心の交流を進めていたのだった。

「はあ……」

テーブルに頬杖をつき、なんとなしに溜め息をつく。
テーブルの上にあった、フラン様の作りかけのブローチは、アンが綺麗に片付けてしまった。
今は、何も無い。
それが、例えようもなく寂しい気持ちにさせた。

「……二人とも、元気を出しましょうよ」

ベッドの上に座っていたメルが言う。

「なにも、フラン様と一生会えなくなったというわけではありませんよ。この宿舎に来て頂けなくなったというだけです。機会は少ないですが、本館で会うこともあるでしょう。その時にお話すればいいだけのことです」
「……」

その通りだ。
あたいたちとフラン様の関係が、完全に途絶えたわけではないのだ。
ただ、あたいたちとフラン様の関係が急に進みすぎただけなのだ。
レミリア様は、その是正処置として、フラン様の宿舎への出入りを禁じたのだろう。

時間をかけて、少しずつ、フラン様が紅魔館に認めてもらえるようにすればいい。
あたいたちと仲良くなれたんだから、きっと他のメイドさんたちにも受け入れてもらえる。
いつになるかは分からないけど、挫けるわけにはいかないのだ。

「……そうだね。その気になれば、あたいたちはいくらでもフラン様と会えるよ。同じ紅魔館というところに住んでいるんだから」
「咲夜メイド長に掛け合ってみてもいいかもね。フラン様の近くで仕事が出来るように。きっと、そのくらい出来ると思うよ」
「……うん、そうだね。くよくよするのはまだ早いね。考えれば、出来ることはたくさんあるさ」

少しずつ、心が前向きになってきた。
今まで順調に来たところを挫かれたので、少し心が折れかけていたようだ。
でも、これからは違う。ちゃんと現状が分かっている。フラン様のことをきちんと考えてあげられるだけの知識は、脳みその中に溜まっている。
肝心なのは、これからなのだ。

「……じゃあ、お風呂にしましょうか。今日は色々ありましたから、ゆっくり疲れを取りましょう」
「……そうだね」

あたいたちは立ち上がり、風呂に行く準備をする。

その時だった。
カーテンの下りていない窓の向こう。夜の闇にまぎれて、赤のシルエットが目に飛び込んできた。

「あ……」

あたいは目を見開き、そして、急いで窓を開け放った。

「フラン様っ!」

宿舎の裏手にある並木の影に、隠れるようにフラン様は立っていた。
フラン様はあたいの姿を認めると、薄く笑みを浮かべた。
あたいの声に反応したのか、アンとメルも窓のほうに向かってくる。狭い窓枠に押し込むように入り込んできた。

「ふ、フラン様っ」
「ど、どうなされたんですかっ!」

フラン様は、並木から離れ、ゆっくりとこちらに近付いてきた。
月明かりと部屋の明かりで、少しずつ、その姿が鮮明に映し出されてくる。
やがて、フラン様は窓のすぐ下までやってきた。

「……ごめんね。そこに入れなくなっちゃった」

フラン様は、急に謝ってきた。
あたいは、慌てて言葉を紡ぐ。

「な、何をおっしゃるんです! これは、あたいのせいです! あたいが、フラン様のことをちゃんと理解していれば、こんなことには……」
「いや、悪いのはあたしたちだよ! 先輩のあたしたちが、もっとちゃんとしてれば良かったんだ!」
「そ、そうです! 小町が悪いんじゃありません! フラン様の事情を一番知っていたのは私たちです! だから、小町が気に病むことなんてありません!」

そうやって、しばらく、あたいたちは自分の非を主張しあっていた。

「あはは」

すると、フラン様が笑って言った。

「もうやめよ? 誰のせいでもないって。私たちが仲良くなるには、避けられないことだったんだと思うよ」
「……」

そう言うと、フラン様は俯いてしまった。

「……だけど……だけどね……やっぱり、私は……そこにいたい。みんなと……笑いあっていたい。こんなに楽しいのは、生まれて初めてだったの。だから……お姉様の命令には従いたくない」

フラン様は顔を上げる。その目尻には、涙が溜まっていた。

「ねえ……みんなは……私のこと、まだ、想ってくれる? また、色々なこと教えてくれる? また……一緒に遊んでくれる?」

あたいは反射的に右腕を伸ばした。
フラン様に、届けとばかりに。

「……当たり前じゃないですか。あたいたちは、いつでもフラン様の味方です。フラン様をお慕いしているんですから」
「そうです! また、一緒にブローチを作りましょ!? いつか、きっと、その機会はありますから!」
「私たちは、フラン様が望むときにおそばに参ります。どうか……ご安心くださいね」

フラン様は、あたいの手を、両手で包み込むように掴み、

「……うん」

嬉しそうに、頷いた。


























〜 4 〜

























「むむう〜〜〜」

テーブルに向かって、アンが唸る。
その右手には、針のような先のとがった金属性の棒、左手には、赤くて丸いビーズが摘ままれていた。

「……」

あたいとメルは、その様子をじっと見つめる。
コチコチと時計の針が動く音が室内に響く。もうすぐ、両方の針がてっぺんでくっつきそうな頃合だった。

アンは、慎重に、慎重に、ビーズを一つずつ摘まんではくっつけ、摘まんではくっつけを繰り返す。
その細かい作業に、アンの目は大きく広がり、瞬きなど忘れているかのようだった。

「………………………………………………………………よし」

そう呟くと、アンは金属の棒をテーブルに放り、椅子の背もたれに寄りかかった。

「はあ〜〜〜! やった、終わった〜〜〜!」

その顔には、一仕事終えた満足げな笑みが張り付いている。
そして、ん〜、と猫のように伸びをした。

「お疲れさん、アン」
「へへ、まあ、最後の締めだからね。ちゃんとやらないと」
「これで、ようやく準備が整いましたね〜」

メルはそう言うと、机の上にあった木の残骸をポイッとゴミ箱に放った。
すとん、と何も当たらずに、木はゴミ箱に吸い込まれる。

「ああ、一週間頑張ったかいがあったよ。ようやく、一段落だね」

あたいたちは、目の前の成し遂げた仕事の成果を確認しあう。
何とか、間に合った。あとは、時を待つだけだった。







紅魔館というところは、見かけもそうだが、とてもゴージャスなところである。
食事、部屋、風呂、トイレ、どこをとっても一級品で、文句のつけようの無いお屋敷である。
特に食事は、あたいたちのような下っ端のメイドでも豪華すぎるくらい良い物が食えるし、おかわりも自由。
あたいみたいな、食に業突く張りなやつには、この上ない環境なのだ。

で、その豪華な食事をふんだんに使ったイベントが紅魔館では行われる。
そう、パーティーである。

元々、ここの当主様であるレミリア様がパーティー好きというのもあって、紅魔館では、パーティーが頻繁に行われるのだ。
その時期はほとんどが未定で、レミリア様の突発的な思いつきで行われるのがしばしばらしい。
野外、屋内問わず、豪奢で絢爛なパーティーが開催される。
それが、いつ行われるのか分からないというのだから、お金持ちっていうのはやはりすごいものだと唸らされる。

だが、定期的に行われるパーティーも存在する。
数ヶ月前には、節分にちなみ、盛大な豆まきパーティーが行われたとメルが言っていた。
もっとも、レミリア様は吸血“鬼”なので、炒った大豆に触れられないらしい。しかも、ばら撒く豆の数は屋敷の規模に見合って尋常ではなく、部屋や廊下のそこらじゅうに豆が散らばり、掃除が非常に大変なのだそうだ。
なのに、なんで節分など行うのか。あたいにはそのお金持ちの感覚が分からなかった。

その、定期的なパーティーというのが、なんと今日行われるのだ。
それは、“紅魔館設立記念パーティー”。
紅魔館の竣工日を祝う日、という名目でパーティーが行われるのだ。もっとも、その竣工日というのは、適当にレミリア様がつけた説が濃厚だというから面白い。
これは、突発的に行うようなパーティーとは違い、かなり大掛かりなものらしい。紅魔館の一階にある大ホールを全て使い、そこにたくさんのテーブルが並べられ、立食形式で行われるのだ。

この日は、全メイド業務が午前中で終わり、午後はパーティーの準備に駆り出される。
開会は午後の五時で、それに間に合うように料理、テーブル、出し物等の準備が進む。
あたいたち清掃班は、どっかの物置小屋からテーブルをホールに運び入れる力作業で、これがけっこうきつかった。
あたいは何とか一人で持てたが、アンとメルは二人がかりでひーこら言ってた。

「こ、こまっちって力ありすぎ〜。もしかして、男なんじゃないの〜?」

アンが失礼なことを言ったので、眉間に水平チョップをかましておいた。

で、テーブルに白いクロスをかける作業を終えると、調理班が食器を次々に運び入れてくる。
ナイフ、フォーク、ワイングラス、三角形に折りたたまれたナプキン、それらがどんどんテーブルの上に載っていく。
それが終わると、今度は飲み物の運び出しだ。ワイン瓶が詰まった木かごからワインを取り出し、三本ずつテーブルの上に載せていく。
これで、会場の準備は整ったようだった。

「うーん、壮観だねぇ……」

五十メートル四方はありそうな巨大なホールに、無数のテーブルが並べられ、料理が来るのを今か今かと待っている。大ホールは純白のテーブルに埋め尽くされていた。
五時になったら、ここはたくさんのメイドさんで溢れかえるのだろう。もの凄くにぎやかなイベントになりそうだった。
あたいは、ここに来てからパーティーというものを経験したことがないので、すごく楽しみだった。
一体、どんなことが起こるのか。きっと、楽しい時間を過ごせるという確信にも似た感情が、心の中で温められていた。







午後五時。
会場内は、たくさんのメイドさんで埋め尽くされていた。

日勤用と夜勤用のメイド服を着た二種類のメイドさんが、一堂に会していた。
すごい。紅魔館には、こんなにもメイドさんがいたのか。パッと見で百人はくだらない。
仕事場や宿舎で見かけていたメイドさんたちは、ほんの一部であったことをまざまざと見せ付けられた。

「こりゃ、すごいね。メイドさんが全部集まると、こんなにもたくさんになるんだね」
「あ、こまっちはパーティー初めてだったもんね。料理を作っている人もいるから、実際にはもっと多いよ」

なるほど。パーティーには裏方が付き物なのだろう。
ていうか、掃除係でよかった。これほどの人数分の料理を作るなど、気が遠くなってしまう。

喧騒は非常にやかましく、少し声を大きくしないと耳に届かないほどだ。
休みの無いメイドさんたちには、今日は久しぶりの休息のひととき。羽目を外したいところなのだろう。

「あ〜っ! もしかして、小町さんですか〜!?」

突然、背後から、あたいのことを呼ぶ声がした。

「へ?」

あたいは後ろを振り返った。
すると、そこには、なんともまあ、面白いやつがいた。

「あ、文じゃないか! ど、どうしたんだい、こんなとこで!」

そこにいたのは、あたいがとてもよく知っているやつだった。
赤い烏帽子と黒い髪、くりくりっとした好奇心が強そうな目の鴉天狗。

「はい、どうも、射命丸文です。お久しぶりですね〜!」

カメラを肩に下げ、文は、にっ、と笑う。
何ヶ月か会っていなかったが、まさかこんなところで再会するとは思ってもみなかった。

「なつかしいね〜! 一体どうしたの?」
「へ? そんなの取材に決まってるじゃないですか。紅魔館で行われる行事はネタの宝庫です! これを逃すのは、新聞記者として失格ですよ!」

片手にペンを握り締めながら力説する文々。新聞記者。
なるほど。確かに、こんな大きなお屋敷で行われるイベントなら、こいつが飛びつかないわけがない。

「私よりも、小町さんですよ。それ、メイドの格好ですよね。小町さんこそ、こんなところで何やってるんです?」
「あ、ああ……ええとね……」

まずい。まさか、ここでメイドをしている、なんて言ったら、こいつに記事を書かれるに決まってる。

「え、ええと、実は……」
「はい、なんですか?」

ていうか、こんな格好して、なんと言い訳したらいいのだろう。
急にコスプレに目覚めたとか言ってみるか? ダメだ、そっちのほうが美味しいネタを提供することになってしまう。明日には幻想郷中に、あたいが変態趣味に目覚めたと報道されるに違いない。
ちっ、逃げ場はないか。

「……見りゃ分かるだろ? ここでメイドをしてるんだよ」
「へ? なんでまた」
「船頭辞めたんだよ。それで、新しい職場で働いてるってわけ。いまのあたいは紅魔館の一メイドってわけさ」
「……」

文は、しばらく微動だにしなかった。
しかし、しばらくすると、急にポケットの中を探り出して手帳を取り出した。
乱暴に開いて、白紙の部分を探している。心なしか、手が震えていた。

「そ、そ、それで? い、いつメイドになったんですか? ここでの仕事は何をやってるんですか? そもそも、船頭を辞めたのって何でですか? メイドってどんな生活してるんですか? そのメイド服って可愛いですよね。ご飯は何を食べてるんですか? 休みの日ってあるん、」
「あーっ!! いっぺんに聞くな! 一つ一つ聞け!」

それから、目を爛々と輝かせた文をなだめるのに、約一分ほどかかった。



「ははあ、なるほど。人事が気に入らなかったというわけですか」

ようやく落ち着いて話を聞くようになった文から、一つ一つ根掘り葉掘り聞かれる。
まあ、覚悟はしていたが。

「そういうわけ。次の試験がある三ヶ月の間だけ、ここでメイドをしてるってわけさ」
「相変わらず、面白い生き方してますね、小町さん。去年は家を潰されて白玉楼にお世話になったのに、今年は紅魔館ですか」
「好きでやってるんじゃないよ。あたいだって、もっと落ち着いて生活したいさ」

によによ、と笑いながらメモを取る文に、あたいはぶっきらぼうに答えた。
なんだか、こいつとは変な縁でもあるんだろうか。あたいに事件が起きると、何故か鉢合わせする。
そして、あたいの痴態が幻想郷中に伝わってしまうのだ。なんとも、ついてないことだった。

「あ、あの、そちらの方は、小町のお知り合いですか? どうも部外者の方みたいですけど」

メルが窺うようにこちらに話しかけてきた。

「あ、どーも、文々。新聞記者の射命丸文といいます。あなたは、どちら様で?」
「あ、私は、メアリー・トンプソンといいます。小町と同じ職場で働かせてもらっています」
「そしてー!」

メルの肩から飛び出すように、アンが顔を出す。

「あたしが、アンナ・ワイズネス! こまっちの先輩よ! よろしくね!」
「よ、よろしくお願いします。いやはや、にぎやかな方ですね」
「うふふー、元気だけがとりえだからねー。記者さん、あたしのことも記事にしてよー」
「それは、あなたが面白いことをしてくれたら書きますよ。何か出来ますか?」
「えー、そうだなー。……よし、このテーブルクロスを一気に引き抜くっていうのは!?」
「わっ、バカッ! んなことしたら、皿が割れるだろっ!」

暴走しかけたアンを、あたいとメルが懸命に止めた。

「あはは、小町さん、ここでもにぎやかにやってますね。白玉楼のときを思い出しますよ」
「ああ、あの時も楽しかったね。妖夢と幽々子さんは元気にやってるかね」
「ええ、健在です。でも、あの妖夢の病気の後、お二人、けっこう派手なケンカをやらかしたんですよ」
「え、ケンカ!? 妖夢と幽々子さんが!?」

にわかには信じがたいことが、文の口からもたらされた。
妖夢と幽々子さんは、端から見ていても仲の良い、微笑ましい主従だった。それがケンカに発展したとなると、事態は思ったより深刻だ。

「い、一体なんで? 何が原因だったのさ」
「幽々子さん、前の事件で、妖夢に家事を集中させてしまっていたのを悔やんでしまいまして。それで、幽霊の女中さんを雇うことを決めたそうなんです。それに、妖夢が反発したんだとか」
「? ……ああ、そういうことか……」

白玉楼の家事その他を一人でこなしてきた妖夢。そこに主から新しく女中を雇うと告げられたら。
自分の未熟さやら不甲斐なさやらが噴出して、いてもたってもいられなくなるだろう。妖夢からしたら、幽々子さんに“お前は使えない”と言われたのと同然に感じたに違いない。
食って掛かる妖夢の姿が容易に想像できる。私はまだやれる、他の者に頼む必要などないと。

しかし、それは妖夢の早とちりだ。幽々子さんは、本当に妖夢のことを案じて女中さんを雇うことを決めたのだろう。
ただでさえ、だだっ広い白玉楼の家事が分担されるとなれば、それだけで妖夢の負担が激減する。結果、疲労による病気、怪我なども減るだろう。
幽々子さんは、妖夢の身を案じ、最善の方法を取ったのだ。かけがえのない、妖夢を守るために。

「それで? 結局、妖夢は折れたんだろ?」
「ええ。相手は仮にも白玉楼の主ですからね。その意向は絶対です。それに幽々子さん、見かけによらず頑固なところがありますからね、決して曲げなかったそうですよ」
「……」

そうか。あたいが出てった後、そんなことがあったのか。
花見の後、あたいは冥界にはちょくちょくしか行っていなかったから、あっちの様子がよく分かっていなかったようだ。文に感謝しとこう。

「さーて、暗い話はここまでにして、そろそろ取材を始めましょうか!」

文は、肩にかけていたカメラを持ち、横を向いた。
そちらの方には、頭ひとつ分くらい身長を伸ばせるお立ち台があり、文のカメラはそちらの方に向けられた。

「いよいよ、始まりますよ。紅魔館設立記念パーティーが」



壇上には、いつの間にか、レミリア様とメイド長がいた。
レミリア様は、ワインレッドのナイトドレスに身を包んでいる。近くで見ると、本当に幼い少女のような印象を受けるのだが、あんなフォーマルな服を着ていると、なんとなく大人な雰囲気が滲み出ている。
というか、本当は五百年を生きているお人なのだ。そう考えると違和感はない。

ざわ、ざわ……

そして、レミリア様の横。
そこに、我らがお姫様が立っていた。

「ねぇ……あれって、妹様よね……?」
「ほんとだわ……パーティーに出席なされたのなんて、何年ぶりかしらね……」

淡いピンクのドレスに身を包み、頭の両脇には白い花をあしらった髪飾りをつけている。
いつもの赤い服も可愛かったが、今の姿はその何十倍も可愛いらしかった。
ひそひそと、そこらじゅうから、そのお姿に驚いている様子が伝わってくる。
自分のことではないのに、それがなんとなく嬉しく感じた。

「フラン様、来てくれたね」
「ああ、約束したもの。今日は、必ず出てきてくれるって」

フラン様は、両手を前で組み、落ちつかなげに会場内に視線を巡らせている。
あたいたちを探しているのだろうか。
あたいたちは、フラン様の真正面にいる。すぐに分かるはずだった。

そして、ずっとフラン様を見ていたあたいと目が合った。
あたいは、にっ、と笑って、手を振ってやった。
それに気付いたフラン様は、安心したように顔をほころばせ、右手を小さく振り返してくれた。

『皆、静粛に』

会場内に、メイド長の声が響き渡った。
それは、かなり大きな声だった。頭の中に直接語りかけてくるような、そんな声。
壇上のメイド長は、いたって涼しげだ。大声で叫んだわけではないらしい。

会場内は、静寂に包み込まれた。
それを確認すると、メイド長はレミリア様の方に顔を向け、一つ頷いた。
レミリア様は、一歩足を踏み出すと、両の手のひらを胸に置いて話し始めた。

『皆、ご苦労様。これより、紅魔館設立記念パーティーを行うわ。久しぶりのパーティーよ。今日は羽目を外しすぎない程度に楽しみなさい』
『皆、グラスを持って』

メイド長がそう言うと、ワインが注がれたグラスをみんなが一斉に持った。あたいも、慌ててそれにならう。

『紅魔館のますますの発展を願い、ここに乾杯をするわ。乾杯!』

かんぱーい!!

会場内に、空気が震えるほどのメイドさんたちの大合唱が轟いた。
あたいは、それとともにグラスに入ったワインをぐいっと一気飲みする。
そして、その後に、割れんばかりの拍手が起こった。

『さあ、これで挨拶はおしまいよ。皆、思い思いに楽しい夜を過ごしなさい』

レミリア様がそう言うと、厨房の方からたくさんの料理を持ったメイドさんたちが現れた。
わあっ、と歓声が沸く。料理は、テーブルの端から次々に皿に載せられていく。あたいたちのところに料理が運ばれてくるまで、そう時間はかからないようだった。



「どーん!」
「おわっと!」

駆け寄ってきたフラン様が、あたいの胸に飛び込んできた。
相変わらず、元気なことだ。

「フラン様、来て頂けたんですね!」
「うん、だって、みんながパーティーに出て来て欲しいっていうんだもの。仕方ないから、出て来てあげたよ」

悪戯っぽく笑うフラン様。
あたいは、その顔を見て、とても心が休まるのを感じた。

「フラン様〜、お元気でしたか〜?」
「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「アンとメルも久しぶり〜。今日は、たくさん遊ぼうね〜!」

アンとメルも、フラン様の近くまで来て挨拶する。
そうだ、あたいたちは、一週間近くもの間、会うことは出来なかったのだ。
あの夜、窓越しに交わした会話。そこで、一週間後のパーティーでまた会おうと誓った。
その約束は、いま果たされたのだ。

「わあ、フラン様。近くで見ると、余計に可愛いですね〜」
「本当ですね。フォーマルな衣装は初めて拝見しましたから」
「えっ、そう? うふふ、似合ってる?」

フラン様は、その場で一回転して見せる。ドレスの裾が、ひらりと空気をはらんで踊った。

「ええ、よくお似合いですよ。あたいはどこのお姫様かと思いました」
「えへへ。でも、ちょっと、歩きづらいかなー。スカート、もっと短い方がいいよー」

そんなことを言いながら、まんざらでもなさそうなフラン様。
パーティーにはあまり出席したことがないとメルは言っていたから、こういったドレスを着るのは慣れていないのだろう。

「おや、妹さんは、小町さんと仲がいいんですか?」

横で会場風景を撮っていた文がそう言った。

「うん、お友達だよ。初めて出来たの!」
「ほう、お友達ですか。小町さんは、紅魔館のメイドじゃないんですか?」
「メイドだけど、お友達なの! 細かいことは気にしないの!」

フラン様はあたいの腕を取って、口を尖らせた。

「あはは、随分、懐かれてますね、小町さん。どうやって、取り入ったんです?」
「取り入ったとは失礼だね。ただ単に、お話してたら仲良くなっただけだよ。特別なことはしてないさ」
「小町さんは年下の子に懐かれるタイプですからね。自覚してるのか知りませんが」

そう言って、文はカメラをこちらに向けてシャッターを切る。

「あ、撮るんなら、後でおくれよ。フラン様との写真、取って置きたいからさ」
「まあ、いいですが。それなら、小町さんたちの専属のカメラマンになってもいいですよ」
「えっ、いいのかい?」
「ええ、いいですとも。もう、小町さんにはネタを提供してもらってますからね。ちょっとしたお返しですよ」
「あっそ」

もう、あたいがメイドをしているという事実が、幻想郷に広まるのは時間の問題のようだった。

「ねぇ〜、早く遊ぼうよ〜。立っててもしょうがないじゃん」

フラン様が、駄々をこね始めた。
まあ、確かに、このまま立ち話をしているのも味気ない。あたいにとっては、初めてのパーティーなのだ。思う存分楽しまなきゃ損というものだろう。

「どうする? 先に料理を食べる?」

アンが提案してくる。
料理はテーブルの半分程度まで行き届き、今もなお侵攻中だった。あたいたちのテーブルにまで料理が来るのは、もうちょっと先だろう。

「どうしようかね、料理が来るまで待ってるのも暇だしね」
「いえ、食べたいのなら、料理があるところまで移動して食べればいいんですよ」
「ん? どういうこと?」

メルの言葉の意味が、よく分からなかった。

「このパーティーは、立食兼バイキングみたいな感じですから。料理のあるテーブルから、料理を好きなだけ取って食べていいんです。ここで待ってる必要はないんですよ」

つまり、もう料理が置かれてあるテーブルに直接移動すれば、飯にありつけるというわけか。
むう、確かに、料理には興味があるが、まだ、あたいはそれほど腹はすいてない。もう少し経ってからご賞味といきたいところだった。

「フラン様、どうですか? お腹すいてます?」
「え? うーんと、あんまり。今の時間って寝ているところだもん。朝ごはんって七時からだし」

ちなみに今は、五時を少し回ったところだ。
なるほど。フラン様は夜型だから、今はうんと早起きしているということなのだろう。

「よーし、それじゃあ、ゲームでもしに行こうか!」
「へ? ゲーム?」

アンがなんだかパーティーに相応しそうな単語を口走った。
だが、ゲームをしようにも、道具やらその他はどこにあるのだろう。

「ゲームったって、トランプでもやるつもり? アンが持ってるのかい?」
「ふっふっふっ、甘いね、こまっち。あそこを見て!」

びっ、とアンが指差した先。そこには、なんだか人だかりが出来ていた。

「なんだい、あそこは? 随分と人がいるね」
「ああ、あそこはブラックジャックの会場ですね。もう結構な人がいますね」

ブラックジャック? メルが聞き慣れない単語を言ったので、あたいは眉をひそめた。
すると、アンが説明を始める。

「ふふーん、このパーティーではねー、軽いギャンブルが楽しめるんだよ!」
「ギャンブル、っていうと、賭博かい?」
「そうそう! あそこでやってるのは、ブラックジャックっていうトランプゲーム、で、あそこでやってるのがダーツだね。そんで、あそこでやってるのが、ルーレットかな」
「紅魔館には遊戯室というところがありまして、そこから運んできた物なんです。今日だけ、賭け事を解禁して、楽しもうという趣向なんですよ」

ほほう、それは興味深い。賭け事は嫌いではない。ただし、弱いのが難点だが。

「面白そうじゃないか。……あれ? でも、賭博なんだから、金を賭けるんだろ? あたいらって、金持ってないよ? どうしたらいいんだい?」
「いえ、本物のお金ではなく、紅魔館特製のコインを使うんです。あそこに人が立っているでしょう。あそこに行くと、一人につき三枚のコインが支給されるんです。それを使って、賭け事するんです」
「コインがなくなるまで遊べるからね。最終的に、コインをたくさん持っていた人は豪華賞品が貰えるんだよ!」
「ほう、紅魔館の豪華賞品か。それは欲しいねぇ」
「よーし、決まった! じゃあ、れっつ、ぎゃんぶる! 善は急げだよ! いってみよーか!」

アンはそう言うと、コインを貰うためにすっ飛んでいってしまった。

「あはは、アンも元気だね!」
「フラン様、よろしいですか? 勝手に決めてしまいましたが」
「うん、いいよ! 楽しそうだもん! 早く、私たちもコイン貰いに行こ!」

フラン様も、アンの後を走って追う。
その姿に微笑ましいものを感じながら、あたいたちもその後を追った。



コイン受け渡し所には、でっかい籠があり、その中に見たこともないほどの大量のコインがひしめいていた。
一枚のコインは、親指の半分程度の大きさで、どっかの親父の顔が描かれている。全て銀製で、どうやら異国の物らしいが、一体どの程度の価値があるのだろう。
あたいが、係の人にコインを三枚受け取ると、手の甲にハンコを押された。すでにコインを貰ったという証らしい。ズルはいけないからね。

「さーて、じゃあ、最初はどこに行くー?」

アンがみんなに聞いてくる。

「近いところからでいいじゃないか。あそこは、なんだい?」

あたいは、受け渡し所に程近いところの、人だかりが出来ている場所を指差した。

「あそこは……どうやら、ブラックジャックの会場みたいですね」
「ブラックジャック? さっきメルが言ってたね。何なんだい、そのゲームは?」
「あ、じゃあ、私が教えてあげる!」

フラン様が、ぴっ、と挙手をして、あたいの疑問に答えてくれた。

「ブラックジャックっていうのはねぇ、トランプの数字を21にそろえるゲームだよ」
「21にそろえる、ですか?」
「うん。まずね、ディーラーっていう人が二枚トランプを配ってくれるの。そのトランプの数字が、仮に4と6だとするよね? これだと、21には届かないから、もう一枚ディーラーからトランプを貰うの。そのトランプがもし9だったら、4+6+9で19になるの!」
「ああ、なるほど。要するに、出来るだけ21に近いようにトランプをそろえていくわけですね?」
「うん。でも、21より大きい数、例えば、22になっちゃったりするとドボン! でゲームオーバーになっちゃうから気をつけてね」
「絵札は基本的に10と数えます。そして、Aは1か11のどちらかに使い分けることが出来ます。最終的に、ディーラーの手札よりも21に近ければ勝利となります。基本的なことはこれだけですね。いかに21に近づけるかを競うゲームですよ」

フラン様の説明と、メルの補足により、なんとなく概要は掴めてきた。思ったより、単純なゲームのようだ。
絵札は10と数える、ということは、トランプは二枚貰っても絶対安全だということだ。問題は、その後。三枚目の以降のトランプを貰うか否か勝敗を分けるのだろう。

「大丈夫、こまっち? 出来そう?」
「ああ、多分、大丈夫。横でみんながやってるのを見ながらやらせてもらうよ」
「よーし、じゃあ、ブラックジャックにれっつごー!」



ブラックジャックの会場付近には、数十人ばかりの人が見物しているようだった。
丸いテーブルをいくつもつなげた即席のカードゲーム台。その向こうにいるディーラーという人が、手際よくトランプを切って配ったりしている。

「ん……あ、妹様」

ふと、ディーラーの人がフラン様が近寄ってきたのに気付いた。
すると、思いがけないことを言った。

「申し訳ありません。どなたか、妹様に席をお譲り願えますか?」
「ああ、じゃあ、私が」
「へ?」

あたいは間抜けな顔をした。
ディーラーさんの声を聞いたカードゲーム台に座っていた人の内、一人がそそくさとフラン様に席を譲ったのだ。

「さ、どうぞ、妹様」
「うん! ありがとう!」
「な、なんで?」
「なんでって、こまっち……フラン様は紅魔館のご当主の妹様だよ? このぐらいの待遇は当然じゃない?」
「あ、そうか」

すっかり忘れていたが、フラン様の肩書きは、あたいのお仕えする方の妹さんなんだ。
つまり、この紅魔館では、二番目に地位が高い。メイドが席を譲るのは当然のことだ。
うーむ、どうも、あたいには、まだメイドとしての自覚が足りていないようだね。少し、反省しよう。

「あれ? みんなは座らないの?」

振り返ったフラン様が、不思議そうな顔を向ける。

「ああ、あたいたちは気にしないで下さい。お先に楽しんでください」
「ええ〜、みんなと一緒に出来ないの〜? つまんない」

口を尖らせるフラン様。だが、あたいたちは順番を待つのが筋だ。ただのメイドなのだから。
すると、フラン様が、ディーラーさんの方を振り返って言った。

「ねぇねぇ、この三人も、台につかせてよ」
「え?」
「ふ、フラン様?」

戸惑う、あたいたちとディーラーさん。そして、他の席についている人たち。

「この三人と一緒にプレイしたいの。いいでしょ?」
「は、はあ……」

どうしたものか、とディーラーさんは困った顔でフラン様と他の人の顔を交互に見つめている。

「……ねぇ」
「は、はい!」

すると、フラン様が、若干低い声で言った。微妙にドスが聞いている。

「私が譲れって言ってるのよ。……出来るの? 出来ないの?」
「あっ、も、申し訳ありません! す、すみませんが、席を譲っていただけますか!?」

ディーラーさんが慌てて他の人たちを促す。他の人たちも弾かれたように立ち上がって、あたいたちに席を譲った。

「さ、これでいいわ。みんな、遊ぼ!」
「あ、あははは……」

なんだか、笑うしかないって感じだ。
ここは、席に座ったほうが賢明のような気がする。フラン様のご機嫌を損ねないように。
だが、強奪のようなやり方で席を無理やり開けさせたのには、ちょっと気が引ける。
あたいは、対応策を考えた。

「フラン様、ここでのゲームは、三回だけにしましょう」
「えっ? そんなに少なくていいの?」 
「はい。あたいはフラン様とゲームが出来ればそれで満足ですので。それに、他のゲームも早くやってみたいですしね」
「そ、そうですね! フラン様、私もそれで充分です。どうですか?」

不満げな顔をしていたフラン様は、仕方ないといった感じに言った。

「まあ、いいけど。どっちみちコイン三個しかないし。三回で終わっちゃう可能性もあるしね」

その答えに安堵を覚えたあたいたちは、ようやく席につくことが出来た。

「そ、それでは、チップをお賭けになってください」

ディーラーさんの声に従って、みんなが一枚コインをテーブルの上に置いた。
お、ああやるのか。あたいもそれにならって、コインを置く。

すると、ディーラーさんが、あたいの手元に二枚トランプを置いた。
ダイヤの7とクローバーの5だった。
つまり7と5を足し合わせて12が現在の数字となる。

(え〜と、たしか、21に近づけるんだったな)

12なら全然足りない。ここはもう一枚カードが欲しいところだった。

「Hit!」「Hit」「Hit!」
「ん?」

なんだか、みんながヒットヒット言いはじめた。なんだ? 何かの願掛けか?
すると、ディーラーさんは、みんなの前にカードを一枚置いた。
……あ、そうか。Hitっていうのは、「一枚カードをくれ」ということみたいだ。ならば……

「え〜と、Hit!」

あたいがそう言うと、ディーラーさんは、あたいの手元に一枚カードをおく。良かった、間違えてなかった。
だがしかし、そのカードはクローバーのQだった。

「ぐはっ、21超えちまった!」

頭を抱える。なんと運の悪い。まさか一枚目を貰ってすぐドボンになるとは……。

「Hit!」「……Stand」「Stand」

早々にリタイアしたあたいは、みんなのプレイ振りを見る。
メルとアンはスタンド、とか言ってゲームを終えた。なるほど、このカードで勝負するということだろう。
メルは18。アンは20。なかなかの好勝負が期待できそうだ。
フラン様も、Hitを何度か重ね、Standする。手札は19。まずまずだ。

あたい以外、全員がStandしたので、ディーラーさんは、自分の手元にあったカードを表向きに裏返す。
ハートの6と、スペードの2。足して8。
ディーラーさんは、山札からもう一枚カードをめくる。それには、王子様が剣を掲げて立っている肖像が描かれていた。

「やったー! あたし、勝利ー!」
「私もー!」
「はあ……引き分けですか。まあ良しとしましょう」

みんなの手元に、コインが帰ってくる。フラン様とアンは倍返しだ。
おいおい、減ったのはあたいだけかよ。

「小町、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、まだまだ。勝負は始まったばかりさ! 次は勝つよー!」

気を取り直して、二回戦目に入る。
ディーラーさんから二枚カードを配られる。そこで気付いた。
このゲームでは、みんなの持ち札が晒されている。ということは、これから配られるカードの確率を予想できるということだ。
あたいのカードは、8と6。フラン様は、Jと3。メルは、5と6。アンは2と7。そして、ディーラーさんの手札は4が晒されている。
むう。絵札が圧倒的に少ないな。ということは、次にHitした場合、絵札を引く確率はけっこう高い。
あたいの現在の手札の合計は14。つまり、次に絵札が来たら、即刻ドボンだ。

「Hit!」「Hit」「Hit!」

今度も、全員Hitを選択した。フラン様はけっこう強気だ。あたいと同じく、絵札が来たらドボンにもかかわらず。
……よし、一か八かだ。

「Hit!」

あたいもHitを選択する。来い、7以下!
ディーラーさんは、トランプをめくって、あたいの前に差し出した。
その数字は……4。
むう、けっこう微妙な数字だ。足して18。ここは、これで抑えておくべきだろうか。

「やったー! 私、ブラックジャック!」
「へ?」

横を見ると、フラン様が諸手を上げていた。
なんと、21が揃っている。すばらしい勝負運だ。

「すごいじゃないですか。ぴったり揃うなんて、滅多にないでしょう?」
「えへへ、すごいでしょ! これで勝ったも同然ね!」

フラン様は得意満面で笑う。

「Stand」「Stand!」

メルとアンも勝負を賭けたようだ。
持ち札は、メルが20に、アンが19。げ、みんな強いな。
あたいは考える。21以下を出すには、A、2、3のどれかが出なければならない。
確率的には、それらが出る可能性はかなり低い。それに、2と3はすでに一枚ずつ晒されているので、確率はもっと低いだろう。
ここは、抑えるのがベストか。あたいは決定する。

「Stand!」

あたいの声を聞き、ディーラーさんは自分の持ち札で、伏せられた二枚目のカードをめくる。
……絵札だ。この時点で、ディーラーさんの手札の合計は14。
ディーラーさんは、さらに、もう一枚トランプをめくる。
……5。つまり、ディーラーさんの手札の合計は19だ。

「げ……また負けか……」

これは、ついてない。わずか1ポイント差の負けだった。

「ふう、何とか勝てましたか」
「ちぇー、引き分けかー。勝てたと思ったのに」

アンとメルは一勝一分けずつ。二連敗、というか負けてるのは、どうやら、あたいだけのようだった。

「小町、ちょっと調子悪いね。大丈夫?」
「あ、あはは、大丈夫ですよ。次は勝って見せますって」

フラン様の心配に、空元気を出して応える。
……とはいうものの、いまはツキの流れが悪いのは事実だ。
賭博っていうものはツキの流れ次第で勝ち負けが大きく変わる。勝っているときは滅法強いが、負けているときはとことん
負ける。まあ、そんなものだ。
だが、三回勝負と決めたのは、他ならぬあたい自身なので、降りることは出来ない。ここは踏ん張りどころだった。

「よし……じゃあ、最後の勝負をしようか」

ディーラーさんがトランプを切り、配り始める。
あたいの前のトランプには、6と絵札が書かれていた。

(ぐ……やっぱり、きついな)

合計で16。このまま勝負する手もあるが、それだとやや力不足だ。
でも、次に貰うトランプが6以上だった場合、すぐさまリタイアだ。
5以下の数字を出さなければならない。しかし、その流れを引き寄せられるか。

「Hit!」「Stand」「Hit!」

みんなは迷いなくコールしている。
それがあたいとは対照的で、焦燥感を煽らせた。

……迷っていても仕方ない。こういうのは、勢いだ!
あたいは決心して言い放った。

「Hit!」

ディーラーさんが、あたいの前に一枚トランプを置く。
数字は…………4!

「よっしゃっ!」

これで合計20だ。21ぴったりにはならなかったが、それに続く良い手札。

「Stand!」

これなら勝負できる。後はディーラーさんの手を待つだけだ。

「うわっ、ドボンだし!」

そんな声が、アンの席から聞こえた。どうやら、21を超えたようだね。

「Stand!」

フラン様は手が決まったようだ。20。うわ、ノッてるな、フラン様。

「フラン様、絶好調ですね。うらやましい限りです」
「えへへ、ツキの女神がいま降りてるんだね。逃がさないようにしないと」

そんなことを言って、嬉しそうな顔を向けるフラン様。
はしゃいでいるフラン様の顔は、いつ見ても可愛らしい。

そして、ディーラーさんが動いた。
ディーラーさんの前で始めに晒されていた手札は、5。その隣にある伏せてあったカードをめくる。……これも5だ。
もう一枚、ディーラーさんは、山札のカードに手をかけた。

「……」

さあ、どう出る?
10か絵札が出れば、引き分けだ。Aさえ出なければいい。
ディーラーさんは、ゆっくりとカードをめくる。
頼む!

裏返したカードに書かれていた文字は……………………9だった。

「やった、勝った!」
「勝利ー!」

あたいとフラン様はガッツポーズを決め、白い歯を見せた。



「さ、みんなの戦績はどうかなー?」

ブラックジャックの会場を後にしたあたいたちは、一旦集まってコインの数を確認しあった。

「あたしが、プラマイゼロの三枚でー……メルは?」
「ええ、私は五枚よ。二勝一分」
「ええー、いいなー。私は一勝一敗一分だよ」
「ギャンブルは欲を出さないのが勝つコツなのよ。アンは勝とうと思いすぎなのよ」
「へいへい。フラン様はどうでしたか?」
「えへへー、見てー!」

そういって、フラン様は両手を見せる。
広げられた両手に乗っていたのは、六枚のコインだった。

「うわ、全勝ですか。波に乗ってますねー」
「うん、絶好調だよ! もうちょっと、やってたかったなー」

フラン様は、終始押せ押せの戦い方をしていた。
その攻めの姿勢が、功を奏したということだろう。

「こまっちはどう? 初めてだったと思うけど」
「ああ、緊張感があって、けっこう面白かったよ。一回勝てたしね」

あたいは、二枚のコインを指先でもてあそびながら見せた。

「あー、こまっち負けてるー。ついてないねー」
「ま、こんなもんさ。スッテンテンになるよりはいいだろ?」

それに、まだゲームは残っている。スッカラカンになって、みんなから借金するのはあまりよろしくないしね。

「それじゃ、次はどこにいこうか?」

フラン様が、みんなに聞いてくる。
たしか、残っているのは、ダーツとルーレットとやらだった。
ダーツはあれだろう。丸い的に向かって矢を放り投げて点数を競うゲームだ。
ルーレットというのは、円形の穴の周りをボールがくるくる回って、番号のついたくぼみのどこに入るのかを当てるやつだろう。やったことはないが、雑誌の紹介で見たことがある。

「よーし、それじゃ、先生の技を拝見させてもらおうかなー」
「は? 先生?」

アンが相変わらず変なことを言ったので、聞き返してみる。

「なにさ、先生って?」
「ふふーん、ここにいるじゃないの。メアリー・トンプソン先生だよ!」

バッ、と両手をメルの方に向けるアン。

「ア、アン、あんまり自慢しないの、恥ずかしいから」

……どういうことかさっぱり分からん。メルもなんだか恥ずかしそうにしてるし。

「メルはねぇ、ダーツがすごく得意なの! それはもう、百発百中ってくらいにね!」
「ええっ、そうなのー? メル、本当?」

好奇心に満ち溢れさせた瞳のフラン様に見つめられ、メルは余計に恥ずかしそうにする。

「あ、ええと、得意というか……ちょっと、人より上手なだけで……」
「へー、メルってそんな特技があったんだ。知らなかったよ」
「よく、遠くからゴミ箱にゴミを投げ入れているじゃない。物を投げるのが得意なんだよ」

あ、そう言えばそうだな。メルは、よくゴミ箱に物を投げ入れていた。
あんな遠くからよく入るものだと感心して見ていたが、まさか、ダーツに応用されるとは考えていなかった。

「そうなんだー。じゃあ、メルのダーツを見せてよ!」
「え、ええ、よろしいですけど……」
「やったー! じゃあ、次はダーツだね! 早く行こ!」

フラン様に手を引かれ、あたふたとメルはダーツ会場に急ぐ。
なんとも微笑ましい光景だった。



ダーツの会場は、ブラックジャックの会場よりもごみごみしていた。

キャーッ!

そして、時折上がる歓声。一体なんだろうね?

「なんか、ダーツのところでやってるみたいだね」
「ああ、なんだろうね。催し物なんかしてるはずもないし」

不思議に思いながら、会場付近に足を踏み入れる。
ダーツ盤は4枚あった。初めて見るが、あの黒っぽい円形の輪っかがそうだろう。それが、壁に等間隔に、一列に貼り付けられている。
ダーツをプレイしている人たちは、真剣に盤を凝視して矢を放っている。みんなおっかない顔してんな、と苦笑した。

「あ、メイド長だ」
「ん?」

アンの声を聞き、あたいはそちらの方に目を遣った。
確かに、メイド長だった。メイド長がダーツをプレイしている。
だが、そのプレイしている姿が異様だった。

「な、なんだい? あの人だかり?」

メイド長の周りに、たくさんの人が取り巻きになっていたのだ。どうも、メイド長のダーツを見物している連中らしい。
メイド長は、他のメイドにダーツを受け取ると、颯爽とダーツ盤に向かい合った。
そして、ダーツを投げた。

「なっ!?」

だが、そのダーツの投げ方は、常軌を逸していた。
右手で持ち、それを体の左に持ってきて、そして、薙ぎ払うように右手を横に振るう。
弾き出されたダーツは、一直線にダーツ盤に向かい、

キャーッ!

歓声とともに、円の中心に突き刺さった。

「うわぁ……」

なんという神技。さすがは、紅魔館数百の妖怪を束ねるメイド長だけある。どっかの、リンゴを弓矢で打ち落とした男の逸話を彷彿とさせた。

「咲夜、すごいねぇ」
「本当ですね。あんな素早い動作で中心に突き立てるなんて、並大抵のことじゃないです」

フラン様とメルも感心しきりだ。

「何言ってんの、メル! そのメイド長と張り合ってんのは、あんたでしょうが!」
「へ?」

アンの言葉に、メルは困ったような表情を浮かべた。

「いえ、張り合っているというか……勝負をさせて貰って頂いただけだけど……」
「こんどこそ、メイド長に勝つのよ! あたしたちがついてるわ!」
「え、ええ……」
「? 一体どういうことなんだい?」
「まあ、おいおい説明するよ。じゃあ、メイド長に試合申し込みにいこっか!」

アンは意気揚々と、メイド長がプレイしているところに入り込んで行った。
なんだかよく分からないが、とりあえずアンについていくことにする。

「メイド長ー!」

アンが手を振りながらメイド長に呼びかけると、投擲を終えたメイド長が振り返った。

「ん? あら、アンナ。どうしたの?」
「メイド長に挑戦者を差し入れに来ました! これです!」
「ど、どうも……」
「あら、メアリー。今年も勝負をしにきたのね?」
「あ、はあ、どうぞ、お手柔らかに……」
「うふふ、いいわよ。みんなに、ダーツはこうやるものだというのを見せつけてやりましょう」

メイド長は実に楽しそうだ。対照的に、メルはやや緊張気味だ。
そして、それを聞いた観衆は、より一層騒ぎ出した。

「わっ! メイド長とメアリーの一騎打ち、また見られるんですか!?」
「すごい! 早くみんなに知らせてこないと!」

なんだか、会場が知らずに盛り上がってきていた。一体どういうことなのだろう。
あたいは、去年ここにいなかっただけに、いまいち状況がつかめていない。

「メルは、咲夜と同じくらいうまいのかな?」
「さあ、どうなんでしょう。こればっかりは見てみないと分かりませんね」

フラン様も、あたいと同じようだった。
そこに、アンが戻ってきた。

「おまたせー! さあ、すごいものが見られるよー!」
「アン、一体どういうことなんだい?」
「ん? 簡単な話だよ。メルはね、去年と一昨年、メイド長とダーツで対決したの」
「へー、結果はどうだったんだい?」
「二戦二分け」
「に、二分け!? あ、あのメイド長と!?」
「カウントアップルールだったんだけどね。二人とも満点で勝負がつかなかったの。いやー、凄かったなー」
「ええっ! か、カウントアップで満点!?」

フラン様が、口に両手を当てて驚いた。

「な、なんですか? それって凄いんですか?」
「す、凄いなんてもんじゃないよ……。出来る人はそういないんじゃないかな……。小町、ボウリングって知ってる?」
「へ? いや、名前ぐらいしか知りませんが」
「そう。咲夜とメルがやったのはね、そのボウリングで300点を取るようなものなの。要するにパーフェクトね」
「まあ、めちゃくちゃ難しいってこと。ミスを一回でもしたら、満点は取れないからね。あの二人は、二年連続で、その満点を出したってわけだよ」

話の内容は専門用語が飛び交って半分程度しか分からなかったが、なんだか、聞いてるだけで凄い気がしてきた。
要するに、二人ともとてつもない記録を叩きだしたということなのだろう。
ダーツ会場は、噂を聞いた人たちが増え、熱気に包まれていた。それほどの注目度なのか。あたいがやるわけでもないのに、なんだか緊張してきた。

「それじゃ、始めましょうか。また、カウントアップでいいわね?」
「はい、お手柔らかにお願いします」

かくして、十六夜咲夜メイド長と、我がルームメイト、メアリー・トンプソンの試合が始まった。

先攻はメイド長だった。
最初の投擲で、メイド長がダーツを中心に突き立てたからだった。
なんでも、ダーツを投げる順番は、一回ダーツを投げて、的のより中心に近い方が先攻となるらしい。
メイド長は一発で中心に当てたので、メルが投げないことを選択したのだ。

「練習はいるかしら?」
「いえ、構いません。待ってる方もいらっしゃいますし、早く勝負しましょう」
「ふふ、余裕なセリフね。……でもっ」

そう言って、メイド長は右手を振るう。
高速で飛行したダーツは中心の真上、20と書かれていた範囲の小さなマスの中で突き立った。

「あんまり油断していると、足元すくわれるわよ?」

にっ、と笑いあう両者。そして歓声が上がった。

「うわ〜、凄い注目度だね。メイドさん、みんな集まってるんじゃない?」
「あれ? でも、メイド長のダーツはど真ん中に刺さらなかったね。外れてるんじゃないの?」
「ううん、ダーツが刺さっているあの位置は、トリプルって言って、点数が三倍になるところなの。あそこは20のトリプルだから、60点がポイントになるんだよ」

フラン様が分かりやすい解説をしてくださった。

「えっ、というか、あんな小さなマスの中を……もしかして狙って投げたんですか?」
「そうだよ。だから、凄いんじゃない」
「ひえぇ……」

あまりにも高レベルな投擲に、あたいは戦慄した。
メイド長は、その後、二本ダーツを投擲した。どちらも、そのトリプルとかいう所に突き刺さる。
後ろから見ていると、あのマスは本当に小さく見える。おそらく、一センチかける五センチくらいしかないだろう。
そこに三本とも突き立てるとは……恐るべきコントロールだった。

メイドさんたちの歓声に包まれながら、メイド長は第一ターンを終える。
め、メルはこんな状況下で落ち着いてプレイできるのだろうか……。

「さ、あなたの番よ。頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」

メイド長の余裕の激励をさらっと流し、メルはダーツを三本手に取る。
そして、投擲台の上に立った。

「……」

そのまま、ダーツ盤をじっと見つめる。
十秒程度だっただろうか。
メルは、おもむろにダーツを一本右手に持ち替え、投擲の姿勢に入った。
それは、何の飾り気もない、よくある普通の、何気ないポーズだった。
ただ、その一連の動作が流れるようにスムーズで、見ているあたいの目を奪った。

「あ……」

あたいは小さく声を上げる。
これは、当たると、確信したが故に。
あたいがそう思うと同時にダーツは投げられ、20のトリプルの中に吸い込まれていった。

そして、わあっ! と歓声が上がる。

「メルー、その調子ー!」
「うわー、凄いよ、メル! 頑張って!」

アンとフラン様が声援を飛ばす。あたいは、まだメルの流れるような綺麗な投擲フォームから覚めることは出来ないでいた。
メルは、こちらを振り返り、少しだけ笑うと、再び、あの投擲フォームに入った。
二投連続。迷いのないその自然な身体運びは、狙ったところを外す場面を想像することすら困難だった。

歓声が上がる。メルは少し恥ずかしそうにしながら、投擲台の上から降りた。

「さすがに、やるわね」
「いえいえ、運があっただけですよ」

それからは、熾烈だった。
両者一歩も引かなかった。
どちらも、狙った的を外しはしない。
熟練のハンターが獲物を奪い合うが如く、20のトリプル目掛けてダーツを放っていった。

そして、話は一気に最終ターンに飛ぶ。
メイド長が、投擲台の上に立つ。
どちらも互角の展開で、20のトリプルを落とすようなことはしない。
まるで、磁石でダーツと盤がくっつけられているかのようだった。

「ふう、どうやら、ここまでは去年と同じようね」
「一昨年とも同じですよ」
「そうだったわね。どうも、私とあなたとでは、ダーツは勝負にならないのかもしれないわ」
「そんなことはありませんよ。最後の一投を投げるまで、勝負は分かりませんから」
「ふふ……そうね。最後まで、分からないわよね」

そういい残し、メイド長は右手を振るった。
高速ダーツが20のトリプルに突き刺さる。
そして、二投目。これも、同じ場所に突き刺さった。

「だからね、こういった趣向も面白いと思うのよ」

メイド長は右手を振るう。

ああっ!

その瞬間。会場が揺れた。

「め、メイド長が……」
「は、外した……?」

メイド長が放ったダーツは、20のトリプルを大きく外れたところに突き刺さった。

「ど、どういうこと……? まさか、メイド長に限って、こんなミスは……」
「いや、違うっ!」

フラン様が、身を乗り出して声を上げる。

「よく見て! 咲夜のダーツが刺さっているところを!」

メイド長のダーツが刺さっているところ。そこは19のトリプルだった。

「咲夜は、わざとあそこに刺したのよ!」
「な、なんですって!? ど、どういうことですか、フラン様!」
「19のトリプルに刺さったことによって、メルが咲夜に勝てる可能性が出てきたわ。そして、それはメルも分かっているはずっ」
「そ、そうですね。で、ですが、メルなら余裕で20のトリプルに三本刺せるんじゃ……」
「あっ! そ、そうか!」

今度は、アンが声を上げた。

「め、メイド長は、メルにプレッシャーをかけたんだよ!」
「ぷ、プレッシャー!?」
「メルって、いつも落ち着いて見えるけど、本当はそんなことない! 今だって、緊張でガチガチになりながらプレイしていたはずだよ! それが、20のトリプルに三本刺せば勝ち、というプレッシャーが上乗せされた!」
「な!? そ、それじゃあ!」
「このメルのターンは、もの凄く重要な意味を持つよ……。20のトリプルに三本入れれば勝ち、一つでも外れれば負け。それは想像を絶するプレッシャーになるはずだよ。加えて、あたしたちギャラリーの存在も無視できない。ただでさえ、四方八方から期待と緊張の目で見られていたのに、今度はさらに注目される。弱い心臓だったら、手が震えて満足に投擲できなくなるだろうね……」

ま、まさか、メイド長はそこまで計算に入れて、わざと外したのか!?
メルに心理戦を仕掛け、狙いを外させるように仕向けたというのか!?

「……」

メルの顔を見る。
いつもと同じ、冷静なメルの表情に見える。
だが、その裏では、猛烈なプレッシャーと戦っているのだろうか。当たれば勝ち、外せば負けという極限の選択を迫られているのだから。

「メルッ!」

その時、フラン様がメルに向かって呼びかけた。
つい、とメルの顔がこちらのほうを向く。

「だいじょうぶだよ! 私は信じてるから!」
「そ、そうだよ! メルなら出来る! このチャンスを逃す手はないよ!」
「あたいたちがついているから、安心して投げな! きっと、メルなら当てられるよ!」

あたいたちには、応援することしか出来ない。一人の仲間がこれから生きるか死ぬかの大勝負に臨もうというのに、歯がゆさを感じた。
あたいたちの応援を受けたメルは、軽く、それでいてしっかりとうなずくと、投擲台の上に足をかけた。

「……」

いつもより長い時間をかけて、メルはダーツ盤を見つめていた。
それは、入念にダーツが飛ぶコースを確認するようであり、そして、投げる勇気を振り絞るようでもあった。
やがて、メルはダーツを持つ右手を上げる。
顔の横にまで振り上げて、そして、一気に振り下ろした!

ダーツは、20のトリプルに吸い込まれる。
歓声が上がった。

「いいよ! メル、その調子!」
「あと二本だ! 落ち着いていきな!」

あたいたちは後押しする。少しでも、メルが楽に投げられるようにと。
メルは二本目のダーツを右手に持った。
ゆっくりと、ダーツを振り上げ、狙いを定める。
そして、振り下ろす!

ダーツは、まるであつらえたかのように20のトリプルに当たった。

「わあっ、すごいよ、メル!」
「がんばれ、メル! あと一回だ!」

あたいたちは否が応にも期待が高まっていく。会場の熱気も最高潮に達しつつあった。
しかし、この最後の一投が最も重要な意味を持つ。これを20のトリプルに当てれば勝ち、外せば負けが決定するのだ。
つまり、メルにとっては最もプレッシャーのかかる一投。ここを凌がなければ、勝利はない。

メルは、ふう、と一息ついて、気を落ち着かせた。
もちろん、メルも勝ちたいだろう。あたいたちも勝って欲しいと恩っている。つまり、この一投は、あたいたちの想いを乗せた一投なのだ。

メルの持っている、軽いはずのダーツの矢が、なんだか必要以上に重そうに見える。まるで鉛で出来ているかのような、そんな錯覚を感じた。
メルは下げていた頭を正面に据え、ダーツ盤をにらんだ。
右手を顔の横に持ってきて、狙いを定める。狙うは、20のトリプル。
みんなの想いを乗せたダーツは、今、放たれた!

全てがスローモーションに見えた。
ダーツは、20のトリプルにゆっ<りと、ゆっくりと近付いていった。
刺さる! そう思った瞬間だった。
放たれたダーツの羽が、すでに盤に刺さっていたダーツの羽に触れた。
それは、微妙なふれあいだったのかもしれない。
しかし、ダーツの飛ぶ方向を変えるには充分だった。
ダーツの先端は微妙に上に向きを変える。
ガチン、という金属同士がぶつかった音を聞いた。
それは、ダーツの先端と、盤の金具とが接触した音だった。
その音と共に、ダーツはそれ以上の推進をやめた。
ゆっくりと、本当にゆっくりと落下していくメルのダーツ。
そして、柔らかい絨毯に包み込まれるように、ぽとりと落ちた。

「……」

しばらく、会場は静まり返った。
しかし、遅れて大きなため息に包まれる。

「メルっ!」

あたいたちは、メルのところに駆け寄る。
全てを終えたメルは、放心したかのようにそこに突っ立っていた。
やがて、あたいたちに気付いたメルは、ゆっくりとこちらを振り返った。

「……ごめんなさい、負けてしまいました」

困ったような笑顔を向ける。

「な、なに言ってんの! すごい試合だったじゃないか!」
「そうだよ! メルはすごくがんばったよ! もっと胸を張って!」
「私もすごく感動した! すごいね、メル! こんなに一生懸命応援したの初めて!」

あたいたちは、メルを囲んで健闘を称えた。
最初は驚いていた様子のメルも、最後には笑顔を浮かべてくれた。

「惜しかったわね」

そこに、メイド長がやってきた。

「ありがとうございました。そして、おめでとうございます」
「試合に勝って、勝負に負けたってところかしらね。最後の一投、あれは完全にトリプルに刺さっていたわよ」
「いえ、私の練習不足です。刺さったダーツの邪魔にならないところに投げればよかったんですから」
「ふふ、謙虚ね。今回は勝ちを頂くけど、次もまた試合をしましょう」
「はい、よろしくお願いします」

メルが頭を下げると、メイド長は優雅に踵を返してその場を後にした。

「惜しかったね、メル……」

フラン様がメルの手を握りながら残念そうに言う。
メルは、フラン様に目線を合わせるようにかがみこんでいった。

「ありがとうございます、フラン様。フラン様の声援があったから、あそこまで頑張れたんですよ」
「本当……?」
「ええ、だから、次は私も練習して、メイド長に勝利してみせます。そんな顔なさらないで<ださい」

メルは優しく笑いかける。
その顔を見たフラン様は、うん、と頷いて微笑んでくれた。



「さーて、最後はルーレットだねー」

アンはうきうきといった感じで言う。
未だ人ごみの絶えないダーツ会場を何とか抜け、あたいらはルーレットの会場を目指していた。
メイド長とメルの戦いでお腹一杯になってしまったので、ダーツはプレイするのをやめたのだった。

「ルーレットっていうと、あれ? 玉がころころ転がって、入ったマスの番号を当てるやつだろ?」
「うん、そうそう。厳密には、色々と賭け方があるけど、基本はそうだよ」
「カジノの中では、最も簡単なものですね。小町もすぐに慣れると思いますよ」

それは楽しみだ。
とはいったものの、あたいの所持金は現在二枚のコインのみだ。
今のツキの流れからいっても、大した結果は望めないだろう。高望みはするもんじゃない。

ルーレット台は、三台用意されており、その台を囲んでたくさんの人がごった返していた。
カラカラカラ、というルーレットの回る音が、幾重にも重なって聞こえている。

「あっ、お姉様だ」
「え?」

フラン様の指差した方を見ると、確かにそこにはレミリアお嬢様がいた。
ワイングラスを片手に、ルーレットに興じているようだ。
だが、そのお姿以上に目を引いたのは……

「うわ、な、なんだい、あのコインの数は……」
「す、すごいね。なんだか、ミニチュアのお城みたい」

レミリア様の横には、たくさんのコインがうず高く積まれており、パッと見で百枚はくだらない。
どうやら、勝ちに勝ちまくっているようだ。そのお顔からも余裕の表情が窺える。

「……ん? あら、フラン」

レミリア様がフラン様に気付いた。ワイングラスをテーブルの上に置いて、こちらに体を向ける。

「どうかしら? 久しぶりのパーティー、楽しんでる?」
「うん、楽しいよ。みんなもいるし」
「あら……」

レミリアさまは、あたいたちの顔を見ると、少しばかり目を細めた。
その目に、ちょっとだけたじろいだ。まあ、確かにレミリア様からしたら、フラン様の件もあり、あたいたちはやや煙たい存在なのだろう。

「……まあ、いいわ。今日は無礼講だしね。カジノは勝ってるかしら?」
「うん、まあまあだよ。お姉様ほどじゃないけどね」
「ふふ、ルーレットが得意なのは、あなたも知っているでしょう? 良ければ、少し分けてあげるわよ」
「いらないよ。自分で何とかするもん」
「あら、そう?」

しばし、フラン様はお姉様との会話を楽しんでいるようだった。
そう言えば、お二人が揃ったのは、あたいは今回初めて見た。
お二人は、仲がいいのだろうか。仲がいいにこしたことはない。しかし、あたいは、フラン様を監禁同然に扱っているレミリア様に対し、少し憤慨していた。大切なのは分かるが、もう少し遠くから見守ってもいいのではないか。その感情は、フラン様があたいたちの宿舎に出入り禁止になってから持ち始めたものだった。

「あなたたちもルーレットするの?」
「うん、ここのテーブル空いてる?」
「ええ、いいわよ。ん、そうだわ。どう、私と勝負しない?」
「え?」

レミリア様が意外なことをおっしゃったので、フラン様が首をかしげる。

「ちょっと、勝ちすぎてて退屈してたのよ。相手してくれない?」
「え〜、お姉様とルーレットで勝負〜?」
「なによ、不満?」
「不満っていうか、お姉様強すぎるんだもん。相手になんかなんないよ」
「そうね、じゃあ、ハンデをあげるわよ」
「ハンデ?」

レミリア様は、コインのお城の中からいくつかコインを摘み取った。

「私は、この三枚のコインで相手してあげるわ。あなたたちは、全員のコインでかかってきなさい」
「え〜、そこまでしてもらわなくてもいいかも」
「悪い話じゃないでしょう? もし、あなたたちが勝てたら、このコインを全てあげるわ」
「えっ!? そのコインを全部!?」

なんという太っ腹。勝負に勝つだけで、数百枚の城コインを全部譲ってくれるとは。

「どう? やる気になった?」
「う〜ん、どうしよっか、みんな」

フラン様が、こちらを振り返って意見を求めてくる。

「いいんじゃないですか? もしかしたら、勝てるかもしれませんし」
「バカ、あんたはレミリア様のルーレットの強さを知らないからそんなことが言えんのよ」
「へ? レミリア様の強さって?」
「そうですね。たとえ、三枚のコインに挑んだとしても勝負は互角以下。不利は否めないでしょうね」

なんだか、あたいの知らないところで話が進んでいるような気がしてならない。
むう、そんなに分が悪いのだろうか。あたいたちのコインは十枚以上ある。最終的に、コインが多い方が勝ちということなら、こちらの方が有利ではないのか。

「ちょっと待ってて。話し合ってくるから」
「ああそう。まあ、いつでもかかってらっしゃい」

フラン様はレミリア様にそう言うと、こちらに戻ってきた。

「じゃあ、作戦を考えよ。十枚ちょっとのコインを一気に十倍以上に出来るチャンスよ。逃す手はないわ」
「まあ、そうですよね。昔通なら、勝負をするところですよね」
「こまっち、さっきも言ったけど、レミリア様のルーレットの強さは尋常じゃないの。甘い考えは捨てた方がいいよ」
「ああ、それだよ。そんなに強いわけ? ルーレットなんて、運試しみたいなもんじゃないか。誰が勝ったっておかしくないから面白いんじゃない」

しかし、フランさまが首を振って言った。

「普通はそうよね。でも、お姉様の場合は違うの。なんてったって、お姉様は運命を操ることが出来るから」
「は、はい? 運命を操る、ですか?」
「うん、そう。未来を見る力と言ってもいいかな。お姉様は、ルーレットのどの目に入るかを、ある程度予知してしまえるの」
「へっ!? そ、そんなことされたら、絶対に勝てないじゃないですか!」
「そう。だから、考える必要があるの。いかにうまく立ち回って、お姉様の上を行くか。それを今から考えましょう」

未来を見る力。そんな反則的な力がこの世に存在するとは知らなかった。
さすがは紅魔館のご当主だ。他の妖怪たちが恐れおののくのも頷ける。
未来を見られたら、博打の類ではまず勝ち目がない。ババ抜きだったら、誰がババを持っているか分かっているようなものだからだ。
ルーレットだったら、先程のフラン様の言っていた通り、玉の入る場所が分かってしまうのだろう。だとしたら、あたいたちが当て続けない限り、必ず負けることになる。
こんな状態から、勝つ手段を見い出すことなどできるのだろうか? 勝てる見通しは、霧が立ち込めているかのように何も見えない。

「あ、そうだ!」

すると、アンが何かを思いついたように手を打った。

「それならさ、レミリア様が賭けたところに、あたしたちも賭ければいいんじゃない?」
「あっ! そうか! そうすれば、少なくとも、あたいたちが負けることはない! アン冴えてるじゃん!」
「いえ、ダメね」

あたいとアンが喜んでいると、フラン様からダメ出しが出た。

「お姉様は、ゲームが始まる前に必ずこう言うはずよ。“賭けるところは私と違うところにしろ”ってね」
「えっ、ほんとですか!?」
「当たり前ですよ。レミリア様はコインが私たちより少ないんですから。私たちがレミリア様と同じ場所に賭け続けてたら、必ず私たちが勝ちます。レミリア様が私たちに勝つ手段は、私たちと違うところに賭けるしか方法がないんです」
「……あ、そっか。レミリア様は三枚のコインで勝負するから、もし、レミリア様が三回連続で負けたら、コインの残っているあたいたちが勝つってわけだね」
「だから、お姉様と同じところに賭けるっていう戦法は使えないわ。それ以外で、何かいい手は……」

あたいたちは考え込む。
未来の見える相手に対して、一体どんな勝つ手段が残されているというのだろう。

「あの〜、お考え中のところすいませんが」
「ん?」

声をかけてきたのは、先ほどまでカメラマンに徹していた文だった。
会話にも加わらずにいたので、すっかり存在を忘れていた。

「なんだい? いま真剣な話の最中だから、手短に頼むよ」
「いえ、気になったんですが、レミリアさんの能力って、一体どんな力なんですか?」
「だから、さっきから言っているじゃないか。未来を見る力だよ」
「それですよ。その“未来を見る”って具体的にはどう見るんですか? そのままズバリ、ルーレットの目を当ててしまうようなものなんですか?」
「へ? ……そうなんじゃないの? だから、悩んでるんだよ、あたいたちは」
「いえ、ちょっと待って」

すると、フラン様が声を上げた。

「そうか……もしかしたら……」

フラン様は、腕を組んで考え込む。
どうしたのだろうか。もしかして、何か光明を見つけ出したのだろうか。

「小町、アン、メル」

しばらく考えていたフラン様は、あたいたちの顔を見ていった。

「アンタたちのコイン、私に預けてくれる? もしかしたら、勝てるかもしれないから」



「あら、来たのね。どう? 勝負する気になった?」
「うん、私たちのコイン全部十六枚と、お姉様のコイン三枚。それで勝負するよ」

フラン様は、あたいたちの先頭に立ち、レミリア様に勝負を申し込んだ。
いよいよだ。あたいたちがスッテンテンになるか、あの城にも似た大量のコインをゲットできるかの大勝負。
その舞台に、フラン様は燦然と立った。

「じゃあ、ルールを決めましょうか。ベットは何回がいいかしら?」
「三回。あんまり多いと、お姉様が有利でしょ?」
「いいわよ。それと、言うまでもないと思うけど、お互いが同じところに賭けるのは禁止よ」
「分かってるわ」
「勝負は、最終的にコインの多い方が勝ち。負けた方は、持っているコイン全てを進呈。それでいいわね」
「うん、分かった」

あたいたちは、ルーレット台の前に並んで立つ。
赤と黒に配色された円盤が、あたいたちを誘うかのようにくるくるとゆっくり回っていた。

そして、あたいたちの前には、数字や文字が白い線で区切られた表みたいなのがある。
これは、コインを賭けるためのテーブルと呼ばれるものらしい(先ほどアンに教えてもらった)。
このテーブルの上にコインを載せ、コインが置かれたところにある数字や文字と同じマスに、ルーレットの玉が転がり込めば当たりというわけだ。

「じゃあ、早速始めましょうか。あまり、時間を無駄にするものではないしね」
「うん、いいよ」

その言葉が発せられると、ルーレットのディーラーさんが白い小さな玉を持ち、回転しているルーレットの中で弾き出した。
玉は、ルーレットの周りをくるくる回る。もの凄い速度だ。ずっと見ていると目が回ってしまうほどに。

レミリア様は、頬杖をつきながらルーレットを凝視している。
そして、コイン一枚をテーブルの上に載せた。

「あれ?」

あたいは、すぐ違和感に気付いた。
なぜなら、

「ねぇ、アン。あれは、どこに賭けてることになるの?」

レミリア様がコインを置いた場所。そこは、テーブルの数字と数字の境目、つまり線の上だったのだ。

「ああ、あれは四枚賭けっていうんだよ。14と15と17と18の境目にコインが置かれているでしょ? つまり、この四つの数字に賭けている、ってことになるの」
「へ〜、そういうことも出来るんだ。数字一つに賭けるだけじゃないんだね」
「そういうことも出来るけどね。その場合はすごく配当が高くなるけど、四枚賭けにすると多く数字を指定できる分、配当も低くなっちゃうの」

ふむ、なるほど。つまり、数字を多く指定して、当たる確率を上げるということだな。
……………………ん? あれ? なんか、おかしいぞ?

「やっぱり、そうだったんだね、お姉様」

フラン様が、確信したかのように笑ってそう言った。

「ん? なにかしら?」
「お姉様は、ルーレットにおいて、ダイレクトに数字を予言できるわけではない。例えば、3が来る場合、“3に近い数字”が分かるだけで、“3”だとは分からない」
「む、それがどうかしたかしら?」
「だから、こういう賭け方が出来るのよ!」

フラン様は、勢いよく、四枚のコインをテーブルの上に叩きつけた。
14、15、17、18。
それは、レミリア様が四枚がけをした数字そのものの場所だった。

「む……! ……なるほどね。考えたわね、フラン」
「ふふ、未来を見られるからって、あまり油断しない方がいいよ?」

二人は、向かい合って、凄みのある笑みを浮かべる。
そうか……その手があったか!

「フラン様、お考えになりましたね!」
「ああ、これなら、レミリア様の未来を見る能力を逆手に取ることが出来る!」

レミリア様が未来を見ることが出来るのなら、レミリア様が賭ける場所は当たる確率がべらぼうに高い。ならば、それに便乗してしまおうというのだ。
これは、あたいたちがレミリア様よりも先んじて多くのコインを持っているということと、テーブルの線の上にも賭けることが出来るというルーレットの特殊性を利用した戦法だった。

玉は、ゆっくりと速度を緩め、そして、ルーレットの底に転がり込んだ。
そして、マスの中にころころと入り込む。
その番号は…………15!

「やったあ!」
「やりましたね、フラン様!」

見事、的中させたフラン様の前に、ディーラーさんが大量のコインが運んでくる。
すごい、数字をダイレクトに指定すると、こんなにもたくさんのコインが返ってくるのか。

「見事ね。私の力を逆手に取った、いい戦法だわ」
「まだまだこれからだよ! このまま突っ走ってやるんだから!」
「ふふ。でもね。その賭け方には致命的な弱点があるのよ」
「……え?」

すぐに分かるわ、と言って、レミリア様は再びルーレットに集中し始めた。
ディーラーさんが玉を弾く。ルーレットの周りを玉が回る。

「その戦法は、私に依存しすぎているのよ。もし、私がこういう賭け方をしたら、どうするかしら?」

レミリア様は、先ほど当てたコインの中から二枚を抜き取る。
そして、6に二枚とも置いた。

「あっ、そうかっ!」

アンが何かに気付いたように声を上げる。
レミリア様は、続いて9にコイン二枚を置く。
そして最後に、6と9の線の上、つまり二枚賭けになるところにコインを二枚置き、5、6、8、9の四枚賭けになるところにコインを二枚置き、5と6、8と9の二枚がけになるところにコインを一枚置いた。

「さあ、どうするかしら?」
「う、うぐ……」

フラン様は、苦い顔をする。
そ、そうか。この戦法の場合、あたいたちは、絶対にレミリア様の後にコインを置かなければならない。
そして、レミリア様が賭けたところには、あたいたちは賭けることが出来ないから、そこがレミリア様のコインで埋まってしまったら、置くところがなくなってしまう!

「ど、どうしよう、みんな……」

フラン様はこちらを振り返る。
困っているのは伝わってくるが、あたいたちも困っているので、どうしようもない。

「……仕方ありませんね。6、9のどちらかに入るということですから、1st-12で凌ぎましょう。今はそれしか方法がありません」

メルが苦肉の策を提案する。
1st-12とは、1から12のどこかに玉が入れば当たりというもののようだ。故に、外れることはない。
フラン様は頷くと、コイン全てを1st-12に置いた。
ルーレットの玉は、やがて勢いをなくしていき、マスに落ちる。
……9だった。

「さ、これで逆転よ。最後まであがいて見せなさい」

レミリア様は余裕の微笑みを見せる。
一方、あたいたちは緊急の話し合いをしなければならなかった。

「ど、どうしよう。次も同じように賭けられたら、私たち、確実に負けちゃう……!」
「……」

確かに、その通りだ。
ルーレットは、数字をダイレクトに賭けた方がべらぼうに配当が高くつく。何枚賭け、みたいに複数の数字を指定するような賭け方をすると、ガクンと配当は低くなる。
レミリア様は、何枚賭けという戦法を変え、ダイレクトに賭ける戦法に変えてきた。しかも、その当たる確率はほぼ十割に近い。

つまり、あたいたちも、数字をダイレクトに賭ける戦法でいかなければ勝利はないのだ。

「……フラン様」

あたいは屈み、フラン様に目線を合わせて言った。

「ここはもう、フラン様の好きな数字に賭けましょう」
「えっ!? そ、そんなこと……!」
「もう、ここまで来たら、勘しかないです。フラン様は、今日はついてます。もしかしたら、当てることが出来るかもしれない」
「……」
「あたいたちは、絶対に文句を言いません。フラン様の運だけを信じることにします。アン、メル。それでいいよね」

あたいは、二人のほうを振り向く。
苦笑いを浮かべながら、二人は言った。

「ええ、もうこれで最後です。悔いの残らないようにしましょう。フラン様、お願いします」
「フラン様、ファイトです! 信じないと、当たるものも当たらなくなっちゃいますよ!」

二人の声援を聞き、フラン様は瞳に決意を込めた。

「……いいんだね、三人とも?」
「……ええ。頑張ってください、フラン様」
「……よし! じゃあ、行こうか!」

再び、ルーレット台の前に立つフラン様。信念を込めたからか、小さな背中がとても大きく見えた。

「話し合いは済んだかしら?」
「うん。最後の勝負。受けてたつよ」

その声を聞き、ディーラーさんがルーレットの玉を摘まんだ。
そして、弾く。

その瞬間だった。
フラン様は、自分の持っているコイン全てを、4に賭けた。

「……! 決断が早いわね。全てを運に賭けたということかしら?」
「私たちは負けないよ。四人で勝ちを掴むんだ……!」

ルーレットの玉は、未だなお高速で回転している。
レミリア様は、その玉を凝視している。

そして、笑った。

「あっははははは!」

さもおかしそうに、レミリア様は額に手を当てて笑った。

「これはいいわ! なるほどね。あなたの信念、確かに見せてもらったわ」

そう言うと、レミリア様は、自分の持っていたコイン全てを、5に賭けた。

「!! ご、5に賭けたって事は、つまり……!」
「あ、ああ! 4が当たる可能性が出てきたってことだ! も、もしかしたら、もしかするかも……!」

レミリア様は、数字をダイレクトに予言することが出来ない。
つまり、5の周辺が当たりに近いということなのだ!

「さあ! 私の運とあなたの運。どちらが強いか、試してみましょう!」
「私たちは負けない! きっと、勝って見せる!」

ルーレットの玉は、ゆっくりと勢いをなくしていく。
同心円を描いていた玉は、ぽろ、とルーレットの底に落ちていった。

「……」

全員が息を飲んだ。
ルーレットの最深に落ちた玉。
それが示していた番号は……………………………………………………………………………5、だった。

「……」

フラン様は項垂れた。
あたいたちも、その場にへたり込みそうになるくらい、力が抜けてしまった。

「……惜しかったわね」

レミリア様が、フラン様の頭にそっと手を置き、言葉をかける。
顔を上げたフラン様の目には、涙が浮かんでいた。

「あなたの、いえ、あなたたちの戦いぶり、見事だったわよ。私の力に真っ向からぶつかってきたその念に、敬意を表すわ」
「……」
「だから、胸を張りなさい。あなたたちは最後まで逃げずに戦ったのよ。何も恥じることはないわ」
「……うん」

涙を拭い、フラン様は気丈に立つ。
あたいたちは、その背中を、ただ見つめることしか出来なかった。



「……ごめんね。負けちゃった」

悲しそうに笑いながら、あたいたちに謝るフラン様。
……そんな顔などして欲しくない。だから、あたいは陽気に言う。

「お疲れ様でした、フラン様! いいもの見させてもらいましたよ!」

きょとんとする、フラン様に、アンとメルが続いて言う。

「まあ、残念っちゃあ残念ですけど、これもいい思い出ですよ! フラン様、とっても頑張りました!」
「フラン様は、レミリア様相手に一歩も引かなかったんですよ。どうか、気を落とさないで下さい」

フラン様は、あたいたちの顔を交互に見た後、

「……うん」

と、頷いてくれた。

「あ、そうだ! フラン様っ」

あたいはフラン様に目線を合わせるように屈みこむと、ごそごそとスカートのポケットを探り出した。

「フラン様、ちょーっと手をお借りできますか?」
「え? なに?」

訳も分からないという風に、あたいの前に両手を差し出すフラン様。
あたいは、ポケットから何かを取り出すと、それをフラン様にそっと握らせた。

「え? なに、これ?」

フラン様は、両手を広げてみる。
そこに収まっていたのは……ペンダントだった。
赤と白のビーズがハート型に規則正しく並んだ、とてもかわいらしいペンダント。
それをしばらく見つめた後、フラン様はあたいの顔を見上げた。

「へへ、あたいたちから、フラン様へプレゼントです。ほら!」

そう言うと、あたいは首元から何かを引っ張り出す。
それは、フラン様と同じ形をしたハートのペンダントだった。
それを見たアンとメルも、同じようにして首元から引っ張り出す。言うまでもない。同じペンダントだ。

「あの日、フラン様が夜、窓辺に来ていただいたときがありましたよね」
「……」
「あの時、このパーティーに来て欲しいとあたいたちはお願いしました。それから、このパーティーで思い出に残る物を作ろうと三人で決めたんです。あたいと、メルと、アンで、一週間かけて作りました。みんなとおそろいのペンダントですよ」
「……」
「もし、よろしければ、受け取ってもらえますか? 今日の記念に。そして、あたいたちの友情の証に、」

フラン様は、あたいに最後まで言わせなかった。
あたいの胸に飛び込んできた。

「……う、ん。ありが、とう。小町。ありがとう、アン、メル。私、すごく嬉しい……」
「フラン様……」
「コインなんか、比べ物にならない。私は、最高の宝物を手に入れた。いつまでも、大事にするね。一生をかけて、大事にするね」

フラン様は、あたいの胸に顔を押し付けて、くぐもった声で答えてくれた。
あたいは、アンとメルの方を見上げる。
二人とも、これ以上ないってくらい、満面の笑みを浮かべていた。

あたいは、フラン様の肩を抱く。
とても小さくて、一抱えに出来そうなくらいのフラン様の身体は、とても温かくて、柔らかかった。







パーティーが終わった。
あれほどいたたくさんの人たちは、今では影も形もなく、残された食器やワインの瓶だけが何も言わずに残っていた。

「……」

寂寞感があたいを包む。
広々とした大ホールには、あたいの他には誰もいない。
物音一つしない巨大な空間の中に、あたいは一人たたずんでいた。

テーブルの上に残ったクラッカーを手に取る。
前歯で噛んで、奥歯で噛み締める。
素朴で柔らかい味が、口内に少しずつ広がっていく。
その味を楽しみながら、あたいは今日のパーティーの回想に耽った。

初めてのギャンブル。美味しい料理に舌鼓。ワインに酔ってはしゃぐ声。
そして、フラン様の笑い顔。

あたいは、ここに来て初めて、一番楽しい時間を味わった。
いつまでも、この余韻に浸っていたかった。
いつまでも、夜が明けなければいいのにと思った。
あのパーティーで起こった一瞬一瞬を鮮明に思い出せるほどに、そのくらい素晴らしいひとときだった。

「……」

アンとメルは、いまごろ風呂に入っている頃だろうか。
あたいの、もう少し残りたいと言うわがままを、二人は快く許してくれた。
迷惑かけっぱなしの二人の頼れる先輩。
まだ二週間しか経ってはいないけど、まるであたいの親友のように接してくれる。

二人と過ごす時間も、まだまだ余っている。
もっとたくさんの思い出を作ろう。長い命の中で、いつまでも心の奥にしまっておけるような、そんなひと欠けらを残したい。
それは、きっと温かいに違いなくて。苦しいとき、辛いときに思い出して、元気を分けてくれるようなものになるに違いなくて。
そんな大事な宝物を少しずつ育てて生きたいと、あたいは心から思った。

「……」

そして、その中心には、あの娘もいる。
笑顔の似合う、大きな瞳。
金砂のような、きれいな髪。
宝石のような、美しい翼。
あたいたち三人の中心で、いつまでも微笑んでいてくれるのだ。

たとえ、どんな困難が待ち受けていようとも、あたいはその笑顔を守るために戦いたい。
その覚悟を、このパーティーで持った。
あの小さなお姫様は、まだまだ小さな子供だから。
あたいたちが出来ることは、その小さな手を一緒に握って、同じ道を歩いてあげることなのだから。

「……」

さて、そろそろ行こうかな。
あまり、二人を待たせると心配する。
あたいは、ホールの出口に向かって歩を進めた。



開けっ放しの大きな扉をくぐり、あたいは廊下を踏みしめる。
端が見えないくらい長い廊下を進路を右に。宿舎へ行くには、ここからかなり歩かなければならない。

それだから、なんとなく考え事をしてしまう。
例えば、文のことだった。
今日は一日、あたいたちの専属のカメラマンとしてパシャパシャとシャッターを押していた。
帰り際、フラン様とあたいたちの友情物語に一面を変えようか、などと言っていた。
あいつも、あたいたちにあてられたらしいね。まあ、好きにすればいい。フラン様がおっかない存在じゃないということが広まれば、きっといい方向に近付くだろうから。

ようやく宿舎に戻ってきたあたいは、ドアを開ける。
ロビーには、二人の女の子がいた。どうも夜勤組の娘たちらしい。
二人は、あたいの姿を認めると、パッ、と顔を輝かせてこちらに向かってきた。

「あ、あのっ」
「え、な、なんだい?」

わけもわからず、あたいは狼狽する。そんな瞳をうるうるさせるような目であたいを見ないでくれ。
ま、まさか……告白!? じょ、冗談じゃない。あたいは、ノーマルな体質だ。女同士でイケナイことをするような趣味はない。

「わ、悪いね、あたいにそういう趣味はないんだ。他を当たっておくれよ」
「あ、あの……わ、私たちを妹様のファンクラブに入れてもらえませんかっ?」

あたいは、足を止めた。
そして、ゆっくりと振り返る。

「ふ、フラン様の、ファンクラブに?」
「は、はい。あの……今日のパーティーで、妹様のお姿を見たときから一目惚れしてしまって……。あなたは、妹様のファンクラブの会員なのでしょう? 妹様と常に行動してましたし」
「あ、ああ、そうだね……」
「だから、お願いします! 私たちをあの輪に加わらせてください! お手伝いはなんでもしますから!」
「……」

フラン様。ここにもいましたよ。フラン様を好きになってくれそうな人たちが。

「ああ、いいとも。大歓迎さ。みんなで楽しく、わいわいやろうよ」
「ほ、本当ですか!? やったぁっ!」

二人は手を取り合って喜んでいる。
あたいはその姿を、目を細めながらいつまでも見つめていた。

  

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