水車の回る音と、水車に取り付けられた杵が臼を叩く音が、規則正しく響いている。
それは板張りの壁を通り抜け、軽い調子を重く、くぐもらせていた。

里には、里の端から端へ横断している小川が一本存在する。
幻想郷の動脈とも言える大河から分かれた支流が、里の近くに流れており、そこから里の方に灌漑で水を引いているのだ。
田畑に澗いをもたらし、夏には子供たちの格好の遊び場となる。人間たちの生活を支えている、文字通り生命線の川だった。

里には、その灌漑を利用して、小麦を引いたり米の脱穀に用いたりする水車が存在する。
共有物として誰でも使用できるようにしてあり、慧音も時たまお世話になる。

この水車を管理しているのは、里で大工を営んでいる者の夫人で、夫が本業に出ている間に水車の面倒を見ている。
家や水車の周りの小さな畑を耕しながら、主に水車にかけられた食物の番、修理・整備、使用者の帳面付けなどをしているのだが、報酬などはなく、完全に無償で仕事をしている。
故に、里の者からは親しみを込めて水車の奥さんと呼ばれており、一つの固有名詞となっている。そして、大工の家にもかかわらず“水車の家”と呼ばれているのは、それだけ里の者から感謝されていることの表れでもある。

慧音が、水車の家を一晩貸して欲しいと夫人に頼んだところ、二つ返事で了承してくれた。
夫が帰ってきたら、すぐに隣に移る準備をするので、酉の刻くらいに来てくれということだった。

慧音は約束通りの時刻に水車の家を訪れ、家族を見送った後、囲炉裏で湯を沸かしてお茶を飲みながら、その時をじっと待っていた。
日が変わるか変わらないか、その境目辺り。
里の者の話を総合して考えると、幽霊が出る時間帯はその辺りに集中しているようだった。
今は酉の刻。その時まで、あと一、二刻ほど。
幽霊は、果たして今夜も現れるのだろうか。現れるとしたら、一体どんな風に出てくるのだろうか。
慧音は少しばかり緊張していた。恐怖からではない。正体がはっきりしないものを相手にしなければならないという不安の方が大きかった。

昼間に里の者から聞き込みをしたものの、結局幽霊のことに関して分かったことは半分にも満たないだろう。
里長は、あの子を助けて欲しい、と言っていった、と証言をした。あの子とは一体誰なのか。
そして、妹紅が調べた紫陽花の花。何故、幽霊は紫陽花を持参して枕元に置いていくのか。
この大きな二つの謎が、未だに分からない。

害のない幽霊であることは確定的だったが、慧音としては出来る限り相手のことを知っておきたかった。
慧音は人妖ではあるが、満月の夜以外は並みの妖怪程度の力しかない。
それほど強くはない妖怪なら十分対処できた。だが、ある程度強力な妖怪から慧音が人間たちを守ろうとするための唯一の対抗手段は、その溢れんばかりの知識に頼る他なかった。
どんな妖怪でも、苦手なものは必ず一つある。白沢の力で幻想郷の歴史を探り、その知識を自分の頭に溜め込んでいく。“記憶”に関して非凡な才能を持っている慧音にとって、それは人間と共に生き抜くためには欠かせないことだった。

故に、今回の幽霊に関しても、情報を集めることは慧音にとって必要なことだった。
害がないからといって油断などしたら、とんでもないことをされて足元をすくわれる恐れがある。基本的には弱肉強食の幻想郷において、相手を嘗めることは即、死に繋がるのだ。

「ふう……」

囲炉裏の火を見ながら苦いお茶を飲み、緊張を和らげる。
八畳程度の床の間は、慧音の家よりも多少広い。家族三人が住むには少し狭いと思われたが、身を寄せ合って暮らしている姿がありありと浮かんだ。

改めて家の中を眺めてみると、手垢で汚れた箪笥の隅に、繊細な装飾をあしらった鞠が置いてあった。
慧音は、その鞠を手にとって感触を味わった。
昼に会った少女が使っているのだろう。両親が仕事をしている間に遊んでいるのだろうか。もしくは、里の子供たちと一緒に、手毬歌を歌いながらついているのだろうか。

はたまた、この家に住み着いた座敷わらしとでも遊んでいるのだろうか。

(それはいい。もしそうならば、きっと幸せになれるだろう)

あの少女と座敷わらしが、仲良く鞠をついている姿を思い浮かべて、慧音は微笑んだ。



それから、しばらく自分の家から持ってきた本を読みながら時間を潰していると、外の方から人の気配がした。
ぬかるんだ地面を蹴る、やや水っぽい足音。水車の音に混じって聞こえてくるその音は次第に大きくなり、玄関の前まで来ると、ぴた、とやんだ。
そして、そろそろと戸が開く。

「慧音……いる……?」

顔を見せたのは、妹紅だった。
戸を開けた後も、中をきょろきょろと窺い、誰かがいないか確かめているようだった。

「ああ、ここにいるぞ。さあ、入ってくるといい。ここには私しかいない」

慧音の姿と声に気付いた妹紅は、そそくさと中に入って戸を閉めた。

「ふう。なんだか、ここに来るまですごく時間がかかった気がした」
「そんなに、おっかなびっくりしなくてもいいものを。まあ、来てくれただけでも有難い。さ、上がってくれ。お茶を入れよう」

慧音に促され、妹紅は靴を脱いで床の間の畳を踏んだ。

あの後、慧音の交渉は小一時間にも及び、ついに妹紅は折れた。水車の家の者が出て行った頃を見計らって、一人で来る予定だった。
しかし、正直なところ、妹紅は来ないかもしれないと慧音は考えていた。来い、と強制したわけではなく、あくまで、来てくれ、とお願いに終始した。妹紅が頷いたときは嬉しかったが、翻意しても咎めまいと決めていた。

だから、こうして妹紅が来てくれたことに、慧音は浮かべている表情以上の嬉しさを感じていた。

「幽霊たちが来るのって、いつなの?」
「あと一刻ほどだ。それまでは、ただ待つだけだな」

慧音の隣の囲炉裏の前にあぐらを掻いて妹紅は座る。物珍しそうに家の中を見回す妹紅の横に、慧音はお茶の入った湯飲みを置いた。

「すまないが出涸らしだぞ」
「なんだっていい。喉渇いちゃった」

そう言って、妹紅は湯飲みを傾ける。そして、苦さに顔をしかめた。

「歩いている途中に月が見えたよ。まだ雲がかかってぼんやりしていたけど」
「そうか。一週間続いた雨も、ようやく上がったようだな」
「梅雨もそろそろ終わりだしね。そしたら、また暑い夏がくるんだなぁ。やだやだ」
「一ヶ月後には祭がある。豊作を願うためにも、夏には来てもらわなければな」
「人間はちょっとでもご飯食べないと死んじゃうもんね。私もお腹はすくけどさ」

妹紅は湯飲みを置くと、後ろに両の手のひらをついて体を支えて天井を見上げた。

「……」

慧音は妹紅が隣にいることで、緊張が少し和らぐのを感じた。気付かないうちに肩に力が入っていたようだ。
気負ってもいい結果は出ない。今からやることは、幽霊と話をして事情を聞くことだ。幽霊と話すなど日常的にやっている。冥界との付き合いもその一つだった。
幽霊を客のように、丁重に迎え入れてやれば、きっと話をしてくれるはずだ。そう考えれば簡単なことだった。

他愛の無い話が途切れがちに続き、夜は少しずつ更けていく。

もうすぐ、亥の刻だった。














もし、この場を歩いている者がいたとしたら、どんなことを思うだろう。

これは、夢なのか?
それとも、気が触れたのか?
さては、自分が知らない所に迷い込んでしまったのか?

恐怖さえ忘れさせるほど、それは非現実的で幻想的な光景だった。

微かな月明かりは、彼らの姿を浮かび上がらせていた。
明滅するかのようにはっきりとはしないが、それは確かに、人の形をしていた。

最初に現れたのは、里の東にある林からだった。
一つの人型が、生い茂る木と草の間から、すうっと滑るように現れた。

それが、合図だった。

その人型が出てきた場所とは違う木の影から、一つ、二つ、と新しい人型が現れる。
三つ、四つ、と木の隙間を縫うように、人型が飛び出る。
五つ、六つ、と木の葉の間をすり抜けるように、人型が浮き出てくる。

その数は膨れるように増していき、一つ一つ数えるのが困難なほどに人型は群れを成した。

やがて、最初に出てきた人型の後を追うように、無数の人型は列を成した。
田んぼのあぜ道を飛び越え、畑を横切り、里の本道を斜めに渡る。
人型は地表をわずかに浮いていた。明らかに人の範疇ではなかった。

人型の列は、もうすでに目的地が分かっているかのように、緩慢に、それでいて真っ直ぐに進んでいった。

月明かりは、変わらずさやかで。
人型の群れを導くように照らし続けていた。













「……!」

慧音と妹紅は、わずかに体を固くした。

「……来たね」
「……そのようだ」

慧音は持っていた本を静かに閉じ、自分の脇に置いた。
休む時間はもう終わり。後は、もう待つだけだった。

「あっちの方か。里の東……やはり、幽霊はあちらの方から来ていたというわけか」
「で、でもさ。ちょっと、数が多くない? これって、どうみても指十本じゃ足りないよ?」

妹紅に言われるまでもなく、慧音もそれは感じ取っていた。
気配が薄くて正確には分からないが、恐らく二十には届くだろう。
里の者の言っていたことは証明された。そして恐らく、今こちらに近づいている幽霊たちが、里の者の夢に出て、助けを求め、枕元に花を添えていったのだ。

「これでは、この家に入りきらないかもしれないな」
「どうするの? 話をするって言ったって、こっちは二人であっちは何十。誰と話していいのかも分からないよ」
「いや、そのことについては、恐らく心配ない」
「え?」

慧音の返答に、妹紅は意外そうな声を出す。
妹紅の心配も、もっともだった。あれほどの数の幽霊を一度に相手をすることなど出来ない。
しかし、今回に限っては、話さえ出来ればコミュニケーションが取れると慧音は考えていた。

幽霊は普通、明確な目的もなく、ふらふらふわふわしている。
大抵は一体のみで、群れることはほとんどない。
つまり、今回は少し特殊なのだ。あれほどの霊が里に下りて、同じ目的を持って、夜な夜な現れるなど聞いたこともない。

たくさんの霊が共通の目的を持ち、集団となって行動している。
こんなことを可能にするためには、強力な統率者がいなければならない。
霊たちを共感させ、まとめあげる力を持つ者。それが、あの幽霊の中にいるはずだった。

その統率者については、慧音はすでに見当をつけていた。
その者を呼び、話をつければ、今まで疑問に思っていたことや、これからやるべきことが、全て分かるはずだった。

「妹紅は、ここにいてくれるだけでいい。話は私がする。あれほどの霊に囲まれたら、さすがに萎縮してしまいそうだしな。そばにいてくれるだけで心強い」
「うん……慧音がそういうなら任せるけどさ。何か手伝えることがあったら遠慮なく言ってね」

心配そうな妹紅に、慧音は笑って応えた。

霊たちの気配は、徐々に濃くなってくる。
まだ、この家に来ると確定したわけではないが、可能性は高い。
隣の家を素通りすれば、その可能性は限りなく百に近くなる。

慧音は腹に力を込め、気を落ち着かせる。
里の者の不安を取り除けるか否かは、この話し合いにかかっているのだから。



気配は、隣の家を通り過ぎた。
ゆっくりと、確実に忍び寄ってくる。
二人は、やや肌寒さを感じた。あれほど大量の幽霊がそばにいるのだから当然だった。

気配は列を成していた。
その列は、二人のいる家のそばまで来た後、二手に分かれて家を囲むように進んだ。
程なく、家は気配に囲まれた。
蠢くように、ゆらゆらと揺れ動いていた。

「……」

慧音は腕を組んで瞳を閉じ、妹紅は壁の向こうにいるであろうモノを透視するかのように見回した。
隙間風が、開いた出窓から吹き込んで、囲炉裏の火をわずかに小さくした。

その刹那だった。


すうっ、と、壁という壁から染み出すように、大量の幽霊が同時に姿を現した。


妹紅は少し息を飲んだ。普通の人間が見たら失神しかねない光景だった。

幽霊たちは老若男女、入り乱れていた。
若い者は少年程度、老いた者は杖を使わなければ立てないような者までいた。

幽霊たちは、この家の者がまだ床に就いていなかったことに気付き、互いに顔を見合わせた。

「よくいらっしゃった、幽霊の皆さん。狭くて申し訳ないが、どうか寛いで頂きたい」

そんな幽霊たちに向けて慧音が歓迎の言葉をかけると、途端、霊たちはざわつき始めた。

『あんたは、誰だ?』
『俺たちが見えるのか?』

次々に疑問を投げかける幽霊たち。慧音は落ち着いた、はっきりとした口調で、その疑問を遮った。

「私はあなた方と話がしたくてお待ちしていた。あなた方の代表の方と話をしたい。どうか、出てきて欲しい」

慧音がそう言うと、霊たちの目は一斉に一点に集中する。
道を開けた霊の先にいたのは、外見は慧音や妹紅と同じくらいの、長い髪をした少女だった。

(……彼女がそうか……)

里の者が共通して覚えていた、夢の中で会った少女。
確かに、他の幽霊に比べて霊気が圧倒的に多い。元が人間だったなら、かなりの霊感を持っていただろう。
里の者が彼女を覚えていたのは、そのせいだった。故に、大して霊感を持っていない普通の人間でも、少女の姿を覚えられたのだ。

少女は床の間に音もなく上がると、囲炉裏を挟んで慧音の対面に座った。

『……私が、一応代表のようなことをしています。お話とはなんでしょうか?』
「うん。今あなた方がこの里で行っていることについてだ。最近、里の者の夢枕に立って、枕元に花を添えていくらしいが……間違いないかな?」
『……』

少女は慧音をじっと見つめていた。何者なのかを探るように。

(確かに……このような事態は初めて遭遇することだろう。戸惑うのも無理はない)

今までは人間が寝ているところに、そっと花を添えていくくらいしかしていなかったのだ。
それがいきなり待ち伏せされて、こうやって話を持ちかけられている。警戒するのは当たり前だった。

『……確かに、私たちはこの里の家にお邪魔して、紫陽花の花を置いていきました。それ以上のことはしていません』
「その目的を聞かせてもらえるかな?」
『……いえ、その前に、何故あなたたちはここに私たちが来ることを知っていたのですか? まず、それを聞かせてください』
「ふむ……分かった。私たちの知っていることは全て話そう。その上で、あなたたちのことも聞かせてくれ」

慧音は里長の家で話を聞いた時から今までのこと回想し、順序だてて話した。
約一週間ほど前から、里の東から夜な夜な里の者の夢に出て、誰かの助けを求め、花を添えていく幽霊の噂を聞いたこと。
そのために里の者が気味悪がり、慧音が幽霊のことを調べて回ったこと。
里の者は全て、目の前にいる少女のことを覚えていたこと。
添えていた花は紫陽花であることが分かったこと。
今夜、この家に幽霊が来るということを予測して、話をつけるために待ち伏せていたこと。
そして、幽霊たちの明確な目的が、未だ分かっていないこと。

「私の知っていることは、これだけだ。あなたたちに悪意はないということは分かっている。だが、毎晩出てくる幽霊に、里には怯えて家を出た者がいるんだ。これからもこのようなことをずっと続けられると、人間たちは安心して眠れなくなる。だから、幽霊の見える私が、あなたたちが何故こんなことをしているのかを聞こうと思ったんだ。理解して頂けただろうか」

慧音が一通り話し終えると、壁に貼りつくように座り込んでいた幽霊たちは、顔を見合わせてひそひそと何かを話し合っていた。
内容は聞き取れなかったが、少し戸惑っているようだった。

『……そういうことでしたか。ご迷惑をおかけしまったようで、申し訳ありません』
「いや、こちらの状態が分かってくれたのならそれでいい。さて、次はあなたの番だ。あなたたちの目的を聞かせてくれ。何故、このようなことをして回っているのかな?」

慧音が話を振る。

『……その前に、あなたに確認したいことがあります』
「? なにかな?」
『あなたは……妖怪ですね?』

それを聞いた幽霊たちは、一斉にざわつき、慧音を怪訝な目で見つめ始めた。

(な、なんだ?)

慧音は幽霊たちの視線を受けてさすがに狼狽したが、それを表に出さないように努めながら何を言うべきか考える。
しかし、そんな余地などなかった。少女はすでに、慧音に妖怪の血が入っていることを見抜いている。嘘など吐こうものなら信頼など勝ち取れないだろう。

「……確かに、私は妖怪の血を半分受け継いでいる。半人半妖だ」
『……そうですか。ならば、私たちの目的を話すことは出来ません』
「えっ!? なっ、なにそれっ!?」

少女の拒否に、今まで黙っていた妹紅は思わず腰を浮かせて声を上げた。
少女はやや驚いたようだが、再び落ち着いて話し始めた。

『私たちは、妖怪をいままで避けて行動していました。理由は言えませんが、私たちを見ることの出来る人間を一年間かけて探し回っていました。でも、なかなかそういう稀有な人は見つけ出せませんでした。だから、こうやって夢枕に立つという方法を選んだんです。夢は曖昧なもので、はっきりと目的を伝えられませんが、それでも私たちの存在は伝えられる。いつか私たちのやろうとしていることに気付いてくれる人が出てくるまで続けるつもりでした』

そこまで言って、少女は悲しそうな表情を浮かべる。

『ですが、その行為も人々を不安にさせていただけなのなら、考え直さなければなりません。どうするべきなのか見当もつきませんが……希望は捨てずにいるつもりです。ここにいる私に賛同してくれたたくさんの方たちがいなくなっても、私は一人で動き続けるつもりです』

少女は自分の決意を口にすると、やおら立ち上がった。

『今日は本当にありがとうございました。私たちは、もうこの里には現れません。これで、里の人たちも不安に思うことはないでしょう。ご迷惑をおかけしました』

一礼をし、立ち去ろうとする少女。

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

だが、妹紅が少女を止めた。

「あんた、聞きたいだけ聞いて、自分らの目的は話せないってどういうこと!? 下手に出てるんだから少しぐらい話してもいいでしょ!?」
「妹紅」

抗議する妹紅を、慧音が諌める。

「慧音……」
「あなたたちが私を嫌っていることは分かった。幽霊とはいえ、人間が妖怪を恐れるのは当然の感情だ。責めるつもりは全くない」

慧音は先程の言葉など聞いていなかったかのように、少女に笑いかけた。

「だが、私が一番気がかりなのは、あなたたちが助けを求めていたことだ。あなたたちの目的は、誰かを助けたいという一途な想いから来るものだろう」
『……』
「妖怪である私を嫌ってくれても構わない。しかし、もしも、その妖怪の私の力が役に立つのならば、ぜひ協力してあげたい。一時の間だけだ。その誰かを助け出すことが出来たら、その後はあなたたちに一切干渉しないと約束する。どうだろうか」

慧音の真摯な眼に、少女は視線を逸らす。迷っている様子が窺えた。
一年もの間、自分たちの姿を見ることが出来る者を探し続け、そして、うまくはいかなかった。
目の前にいる者は、初めて自分たちの話をきちんと聞いてくれた。そして、協力してくれるという。
しかし、人間ではない。人間ではないが……あの瞳は信じるに値する光を湛えていた。

少女は、ここにいる幽霊たちの代表として、決断を下さなければならなかった。

『わ、私は、』
『見え透いたことを言うなっ!』

少女が口を開こうとした瞬間、その背後にいた青年が突然叫んだ。

『お前たち妖怪が、あの子にどんな酷いことをしたのか分かっているのか! まだ十四、五の子供をバラバラにして殺したくせに!』

その声が、堰を切った。

『そ、そうだっ! 妖怪があの子を殺したんだ! 信用なんか到底できるか!』
『騙そうとしたってそうはいかんぞ! 慈悲があるのなら、きっとあの子を助けたはずだ!』
『人殺しの妖怪め!』
『人殺し! 人殺し!』
『人殺し!』『人殺し!』『人殺し!』

その糾弾は、波紋のように広がった。
幽霊たちの怨磋の声は瞬く間に膨れ上がり、狭い家を埋め尽くした。
老人が、少年が、若い女が、中年の女性が、吐き捨てるように慧音に怒りをぶつけていた。

「な……なにこれ……」

妹紅は眩暈を覚えた。剥き出しの魂が発する恨みは、これほどまでに強烈なものなのか。

『静かに! 静かにしてください!』

少女が幽霊たちを懸命になだめる。
声が収束したのは一分ほど後だっただろうが、とても長く感じられた。

『……そうでした。あなたに罪はありませんが、あなたの同族が犯した罪を、私たちは許すことは出来ない。あなたの言葉は、真に心から出たものだと信じますが、私たちは最初から妖怪には頼らないと決めていた。それをいまさら曲げることは出来ません。……申し訳ありませんが、あなたの申し出は受け入れないことにします』

そう言うと、少女は土間に下りて一礼した。

『話を聞いてくれてありがとうございました。もうこの里に私たちは現れません。皆さんに安心して眠るように伝えてください』

少女は再び一礼し、すっ、と消えるように戸の外に出た。
それに続くように、他の幽霊たちも壁を抜けて外に出る。
慧音に対する恨みの視線は、全ての幽霊がいなくなるまで消えることはなかった。

気配は、再び里の東に向けて遠ざかっていく。

そして、遥か彼方の林の辺りで途切れた。










「な…………なによ、あれ…………」

カラカラに乾いた喉からやっと出た言葉は、そんな陳腐な疑問だった。

ふつふつと怒りがこみ上げてくる。見当違いも甚だしい。
親友に対して一方的な恨みと怒りをぶつけられて、黙っていられるほど妹紅はお人よしではなかった。

「慧音! あんなに好き勝手言われておいて、何もしないでハイサヨナラするつもり!? すぐに追いかけるよ!」
「妹紅」
「どっかの妖怪を慧音と一緒にするなっての! こんだけ人間のことが好きな妖怪を捕まえて、なに勘違いしてんだ、あいつら! 首根っこ掴んで訂正させてやる!」
「妹紅」

猛る妹紅にかけられた声は、小さかったが強い意志を感じさせた。
妹紅は戸に向けた足を止め、後ろを振り返る。
慧音はゆっくり首を横に振った。諦めとも取れる、儚い微笑を浮かべながら。

「慧音……」
「これでいいんだ。里の者は、幽霊が現れることに怯えていた。そして、これから幽霊は出ない。里にとってみれば、これが一番の結末だ。これ以上望むことはない」
「……」
「あの者たちの力になれなかったのは残念だが……祈ることは出来る。いつの日か、あの者たちの願いが叶うように祈ることにしよう。……私は大丈夫だ。妖怪を憎んでいる者から嫌われるのは慣れているからな」
「だったら……だったら、なんで、そんなに力一杯、スカートを握り締めてるんだよ……!」

几帳面に伸ばされたスカートはさざ波のように皺を刻み、握り締めた拳は微かに震えていた。

それでも、慧音は笑う。泣くような笑顔で笑って見せる。
あの幽霊たちは悪くない。妖怪に子供を殺された親を、慧音は幾人も見てきた。その親の感情と、幽霊たちの感情は同じものだ。自身に半分流れる人間の血は、その気持ちを痛いほどに感じ取らせていた。

妹紅は力が抜けたように座り込む。そして、俯いて床を見つめた。
このまま幽霊たちのところに殴りこんでも、慧音は決して喜ばない。
こいつは人間が好きだから。どうしようもないくらいに、人間のことが大好きだから。
妖怪だと罵られても、人殺しの仲間だと叫ばれても、絶対に人間を見限らない。
数百年もの間、共に生きてきた妹紅だからこそ、慧音の意志の強さを証明できた。

「……風呂を沸かそう。汗を流して一眠りすれば、気分も落ち着くだろう」

立ち上がった慧音は、頭を垂れる妹紅のそばを通って外に向かう。
妹紅は一言も喋らなかった。

慧音がいなくなった室内は、静寂だけが支配した。
日は、もうとっくに変わっていた。







整然と並んだ屋根の梁をぼんやりと見つめながら、妹紅は横になっていた。
敷かれた布団に入ろうともせず、腕枕をしながら掛け布団の上に寝転がっていた。
何もする気が起きなかった。
一番鶏が鳴き、朝日が顔を出すまで、このまま天井を見ていようかとも考えた。

横の布団を見るまでもなく、そこに慧音はいない。
今頃、家の外にある風呂に入っているのだろう。
幽霊たちがいつ来るか分からなかったから、二人とも風呂に入る時間を作らなかった。
もう深夜だったが、夜に風呂に入ることを習慣としている慧音は律儀にもそれを守った。

慧音はいつも通りだった。
いつも通りに妹紅に笑いかけて、そろそろ沸くから先に入れと妹紅に勧めた。
だが、妹紅は首を横に振った。まだ自分の気持ちの整理がついていなかった。直情的な妹紅は、あの幽霊たちの仕打ちに対して、怒りを鎮めるのに苦労していた。

「……くそ」

自分にしか聞こえない声で、舌打ちする。
千年以上も生きているというのに、自分の感情すら制御できていない。
慧音のことを考えたら、自分も普段のように振舞って、笑って、今日の出来事を一刻も早く忘れるのが一番いい。
そして、そうするべきだったのだ。

でも、妹紅にはそれが出来ない。
笑いたい時にしか笑うことが出来ない。怒りたい時に怒れないなんて、なんて理不尽なことなのか。
まるで子供の理屈だが、妹紅にとっては、それが自分の自然な姿であり、生まれ持った性癖だった。

(あの女なら、造作もなくやってのけるのだろうか……)

浮かんだ顔をすぐに消す。こんな憂鬱な心中で、仇敵の顔を思い浮かべたことに腹が立った。
だが、あの女狐なら、顔で笑いながら心で泣いている、なんてことも出来そうだ。自分とは正反対、水と油のような関係なのだから。
故に妹紅は、ほんの少しだけうらやましいと思った。今日一日だけ性格を貸してもらえるのなら、一回ぐらい殺されても文句は言わないだろう。

「……あほらし」

実のない思考をしたことを不愉快に思って寝返りを打つ。
長い間動かなかったので、少し体がこわばっていた。

慧音はまだ帰ってこない。風呂を焚く時間もあるし、彼女は長湯なことを妹紅は思い出した。
戻ってくるまで起きていたかったが、瞼が少し緩んでくるのを感じた。

(ちょっとだけ、寝よっかな……)

起き上がるのも億劫に感じ、妹紅はそのまま目を閉じた。
布団も掛けずに寝ていれば、戻ってきた慧音にきっと起こされるだろう。そうしたら一緒に寝られる。無理して起きている必要もなかった。

睡魔は緩やかにやってきた。
起きた時の、慧音の仕方なしといった表情を思い浮かべながら、妹紅は眠りに落ちていった。










「……ん」

目が覚めると、まだ夜であることに気付いた。
自分がどのくらい寝ていたのかは分からない。寝付いて間もない頃なのか、もう夜明けが近いのか、時計もない部屋の中では判断のしようがない。

妹紅はだるそうに起き上がる。指で瞼をこねながら目を慣らす。
燭台に照らされたオレンジ色のぼやけた部屋が、徐々に明瞭になってきた。

「……あれ?」

最初に見えたのは、自分の隣の布団だった。
寝る前と全く変わらず、膨れているということもない。

「慧音……?」

まだ風呂に入っているのだろうか。
時間の感覚が全くないが、寝ている間に帰ってくるという見当が外れたので首を捻った。

慧音に限って、風呂の中で寝ているということはないだろう。しかし、もう夜は更けている。普通なら寝ている時間だ。

今日は里を歩き回ったようだから、疲れて気を抜く可能性は否めない。もしも寝ていたらのぼせてしまう。用心に越したことはない。
妹紅は起き上がり、一応様子を見に行くことにした。

「……あ……そうだ」

その時、急に妹紅の目が悪戯っぽく光った。
時刻は丑三つ時とも言える真夜中。そして、先ほどちょうど幽霊と会った。おあつらえ向きとはこのことだった。

妹紅は自分の布団の毛布を抜き取り、頭からかぶる。
そして、そのまま玄関に向かい、毛布を土に付けないようにしながら靴を履いて外に出た。

(ふふふ、ちっとは驚いてくれるかな?)

とはいえ、驚かなくてもいいと妹紅は思った。
先ほどは慧音の前でふてくされてしまった。だから、もう自分の機嫌が直ったということを慧音に見せたかった。

もし驚いたら、柳眉と口をへの字に曲げて、いつもの困ったような顔をするだろう。
もし驚かなかったら、呆れたように溜め息をついて、笑いかけてくれるだろう。
どちらに転んでも、妹紅はいつも通りに笑って、後がつかえてるんだから早く出てね、と催促するのだ。

そうしたら、いつもの二人に戻る。また明日から、退屈で平和な日々を過ごしていける。
嫌な思いはこれっきりにしよう。そして、今日を忘れるくらいに目一杯楽しく過ごせばいい。

即席の幽霊は足音を立てないように、忍び足で風呂場に向かう。
どんな登場の仕方をしようか、にやにや笑ってあれこれ思いを巡らせながら。



水車の家の風呂場は、家の裏手の井戸のそばにあった。
小さな小屋で、木造の浴槽だったと記憶している。
壁は薄く、外で物音がしたら気付きやすい。雨が降って足場が悪いので、水音を立てないようにするのに苦労した。

出窓からは、微かに湯気が立ち上り、火種の灯りが漏れていた。

(よし、あそこにしようか)

夜更けなので、妹紅は静かにやることにした。
あの出窓から徐々に顔を出して、かすれるような声で慧音の名を呼ぶのだ。

さて、こちらを見た慧音はどんな反応をするだろう。
もし浴槽の中で滑ってひっくり返って溺れたりしたら、一生からかい続けられるネタになる。
そんな慧音を想像して、妹紅は笑いを堪えきれなくなった。

(ぷぷぷ……さてさて、いいリアクションしてよ〜)

水溜りを大股で避け、爪先歩きで、そろりそろり、と小屋に近づく。
慧音に気付かれた様子はない。気配に気付いたのなら壁越しから呼ばれるはずだ。

そして、とうとう出窓の下まで辿り着いた。
息を殺して機会をうかがう。

(……じゃあ、行きます!)

意を決して、妹紅は出窓から顔を出そうとゆっくり近づいた。



「…………ぅっ…………」



が、すぐさま顔を背けて退避した。中から声が聞こえたからだ。
やはり、気付いていたのだろうか。妹紅はそのままの体勢で耳をそばだてる。

やがて、薄い壁は、慧音の小さな声を、少しずつ通し始めた。



「ぅっ…………うぅっ…………」



(慧……音?)

妹紅は、その声を理解するのに、しばしかかった。



「ぅっ…………うぅっ…………っ、ううっ……!」



それは、嗚咽だった。
風呂で慧音が泣いていた。
声を懸命に殺して。膝を抱えた少女のように。

(……)

自分は思い違いをしていた。
慧音は強いと勝手に思い込んで、勝手に自分の理想を押し付けていた。

なんという傲慢なのだろう。傷ついていないはずがないのだ。
自分は、その気持ちを痛いほど知っているはずではなかったのか。
妖怪と蔑まれ、奇異の視線を向けられ、絶望に打ちひしがれたあの気持ちを。

慕っている人間から妖怪扱いされ、一体、慧音は何度涙を流したのだろう。
妹紅はそんな姿を一度も見たことはなかった。人知れず泣いていたのだ。自分や、里の者に心配をかけまいとして。
ひとしきり泣いた後は、何事もなかったように、また笑いかけてくれるのだ。話しかけてくれるのだ。
慧音は決して後ろを向かない。立ち止まっても、明日を信じて再び歩き続けていた。

妹紅は、血が出るまで唇を噛み締めた。自分の馬鹿さに涙が出た。
自分は一体何をやっていたのだ? 同じ境遇の親友が、こんなにも歯を食いしばって頑張っているというのに。
自分は何もしないで親友の優しさに溺れていた!

蓬莱の薬を飲んだあの時から、命どころか前に進む足さえ止めていた。それにようやく気付くことが出来た。自分の愚鈍さを思い知ることが出来た。

「……ごめんね、慧音……」

妹紅は、小屋に背を向ける。
微かな嗚咽は続いていた。それが、自分を責めているような気がした。







湯煙に白く染まった手鏡を、手ぬぐいの端で軽く拭く。
上気した顔と結わい上げた銀の髪が、拭くごとに露わになってきた。

完全に拭き取れない水滴は、ところどころ顔の線を歪めている。
いや、それは目尻に溜まった涙の故か。鏡に映った自分の眼は、わずかに赤く滲んでいた。

「……」

泣いたのは、本当に久しぶりだった。涙など、もう忘れかけてさえいた。

里の人間は、慧音を慕い、慧音もまた、人間を慕う。
人間たちは非力ゆえに、妖怪でありながら人間の血を併せ持ち、止め処なく母のような愛情を注いでくれる慧音を頼った。
そして、そんな人間たちを見守りながら数百年の歳月を過ごし、頼りにされ続けた慧音は、いつしか自分が半妖であることを意識の隅に置いていた。
種族の垣根などなかった。互いに互いを必要とし、そして心を通わせていた。

自分が間違っていたとは慧音は思わない。
人間の愛しさ、か弱さ、暖かさは、命を懸けてでも守る価値がある。
自分に少しでも力があるのなら、それを人間のために使いたかった。

しかし、自分は妖怪だった。半分とはいえ、妖怪の血が流れていた。
幽霊たちはそれを突きつけた。忘れかけていた現実を、再び思い起こさせた。

妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。
それは、幻想郷において唯一無二の掟だった。

「私は……近付き過ぎたのだろうか……」

人間に頼られる嬉しさのあまり、少しばかり手を貸し過ぎたのかもしれない。慧音は己を振り返って、そう思った。
このまま庇護を続けることが、果たして人間のためになるのかどうか。
考えたことがないわけではなかったが、無意識のうちに過保護にしていたことは否めなかった。
人間から寄せられる信頼は、慧音の心をこの上なく満たしてくれたから。

「……出よう。妹紅が待っている」

一旦思考を保留して、慧音は体を拭き始めた。
涙が落ち着くまで湯船に浸かっていたので、必要以上に長湯した。番を待っている妹紅に悪い。

そう言えば、妹紅は機嫌を直しただろうか。へそを曲げると長いこともある。
だが、その原因が自分を案じてのものであることが、慧音には嬉しかった。

妹紅は、ある意味、慧音と似ていた。
だからこそ、お互いが抱えているものも理解しあえた。
これからも慧音は、妹紅と共に生きるだろう。
ずっと昔に誓ったような救う対象としてではなく、悠久の時を生きる友として。

寝巻きに袖を通し、慧音は小屋の外に出た。
涼しい風が肌を撫で、群雲の間から弓張り月が輝いていた。



「すまない、遅くなった」

慧音はそう言いながら、入り口の戸を開いた。

「? 妹紅……?」

家の中には誰もいなかった。
中を見回してみるが、特に変わった様子はない。

唯一、妹紅の布団の上にあった毛布が、投げ捨てられたように置かれているのが目に付いた。

「……」

一体どこへ……。
急にいなくなった妹紅の行方を、慧音は夜の里の風景を眺めながら考え込んだ。










羽ばたくごとに、火の粉が派手に舞い上がる。
見渡す限りに森林が広がる上空に、炎の軌跡が描かれていた。

里の東、人家などはとうになく、妖怪どもが蠢く深い森。
我が物顔で森林を闊歩していた妖怪たちも、空を見上げて息を潜めた。
無闇に目の前に飛び出して、焼き殺されたら堪らない。アレが通り過ぎるまで、身動きをせずに見送るのみ。
圧倒的な力と存在感を示し、鳳凰の飛翔は何人にも邪魔立てされることはなかった。

鳳凰を纏った少女、藤原妹紅が目指すは、彼女が飛び立った地の東にあると思われる紫陽花畑。
そこには、親友である半獣、上白沢慧音を罵倒した幽霊たちがいるはずだった。

妹紅は、彼らに会いに行くつもりだった。
覚悟は、もう出来ていた。
慧音の涙を見た時から、自分の心の臆病さに打ち勝つつもりだった。

これは、その第一歩。
これは、自分の覚悟の程を示す試験。
慧音と共に道を歩むなら、避けては通れない試練だった。

妹紅は自分のやるべきことを一生懸命に考えた。
正しいかどうかは分からない。
だが、自分にとって、これが最善の行動だった。

炎に炙られる樹木の葉。妹紅はその遥か前方に、ぽっかりとそれが消失している場所を見つけた。
恐らく、あそこだった。
妹紅は一旦上昇し、高い位置からそこを見下ろした。

「……」

三日月の弱々しい光に照らし出されたその場所には、確かに紫陽花が群生していた。
花は藍色だった。夜の闇を吸い込むような、深い藍。
それを確認すると、妹紅は羽ばたきを緩めながら徐々に下降していく。
そして、自分の巣穴に戻っていくように、鳳凰はそこに吸い込まれていった。



背中の羽が完全に畳まれた時、お世辞にも歓迎とは言えない視線に迎えられた。

「こんばんは。いい夜だね」

妹紅は軽い調子で挨拶する。その視線などまるで意に介していないかのように。

『何をしに来た』
『妖怪の仲間め』

幽霊たちは遠巻きに、油断なく妹紅を睨む。
だが、その目にはさすがに怯えが含まれていた。幽霊とはいえ、元が健常者であったのなら、あの火の鳥を見れば誰でも怯むに決まっていた。

「あんたたちとケンカをしに来たわけじゃない。あの女の子に話があるんだ。連れて来てくれないかな」

もんぺのポケットに両手を突っ込んで、妹紅は涼しい顔で幽霊たちに要求する。
幽霊たちは顔を見合わせて何かを話していたが、どうするべきか見当がつかないようだった。

「連れて来てくれないの? じゃあ、勝手に探させてもらうよ」
『その必要はありません』

妹紅が紫陽花畑に一歩を踏み出そうとすると、正面にいる幽霊の列の向こうから声がした。
あの少女だった。妹紅に怯えを見せながらも、毅然と前を見据えて歩み出てきた。

『……何の御用ですか? もう、私たちはあの里に干渉しないと約束したはずです』
「そのことじゃないよ」
『え?』

少女は意外そうな声を出した。

『では、何のために来たと?』

妹紅はスタスタと少女の方に近付いていく。敵意は無いことを示すために、両手を上げてひらひら振りながら。

「あんたたち、何かを助けたがってるんでしょ? “あの子”とか何とか言ってたけど、その子なんでしょ? そして、その子はもう生きてはいない。あんたらの誰かが言っていたけど、妖怪に殺されたんだね」
『……』
「でも、幽霊のあんたたちでは助けられない事情がある。だから、生身の人間を頼った。それも霊感の鋭いやつをね。その人間はまだ見つけることが出来ていない。あんたたちがここに居座っていることが何よりの証だ」
『……そうです。それはお話ししたはずです。明日からまた探し始めるつもりですから』
「その必要はないよ」

妹紅は訳が分からないといった表情をしている少女に向かって、告げた。


「私が助け出してあげる。だって、私は人間だから」


幽霊たちがざわめいた。そして、その中の一人が叫ぶ。

『ふざけたことを言うな! あんな化け物みたいな炎を背負っているやつを、人間なんて認められると思うか!』
「ところがどっこい、人間なんだよね、私。だから、あんたらの探していた霊感の鋭い人間なんだよ」

そう返して、妹紅は再び少女を見た。

「あんたなら分かるんじゃないの? 慧音が半妖だって見抜いたみたいだし。この人らに私が人間だってことを証明してやってよ」
『……』

少女はすぐには答えることが出来なかった。妹紅の目をじっと見つめ、時間をかけて口を開いた。

『……なんと言ったらいいのか分かりませんが……あなたは……どちらかというと人間のようです。でも、何かが違う。普通の人間には無いものを持っているような気がします』
「へぇ、すごいね。そこまで見抜くとは。でも、基本は人間の体なんだよ。ちょっと変わってるだけでね」

妹紅はそう言うと、再びポケットに手を突っ込んで、幽霊たちを見回した。
少しだけ、目つきを鋭くして。

「この際、全てをはっきりさせておこう。あんたたち、幻想郷に住んでいた人間じゃないんだろう? じゃなかったら、妖怪にその子が殺されたことに、これほどまでに敵意を持たないはずだからね」

妹紅は続けざまに、そして一気に語った。

「あんたたちの住んでいる世界がどんな世界なのかは知らないけど、ここ幻想郷じゃ妖怪が人間を食うなんて日常茶飯事だ。妖怪にとって、人間は餌でしかないんだよ。そんな当たり前のことに目くじら立てていることに、少し違和感があったんだ。その理由に気付いたら簡単だった。あんたたちは、外の世界で死んだ人間で、幽霊として幻想郷に送られてきたんだってね」
『……』
「そして、あんた。あんたが里で言っていた“一年間探した”っていう言葉。一年前というと、六十年ぶりの狂い咲きがあった年だ。あんたたちは、ここに咲いている紫陽花に身を寄せた幽霊だった、ってわけだね」
『……』
「そして、紫陽花の花。あの花を里の人の枕元に置いていったのは、ここの場所を知らせるためだった。あんたたち幽霊は非力だから、あんな小さな花しか持っていくことは出来なかったんだろうけど、精一杯のアピールだった。この場所を見つけてほしかったんだ。それは何故か」

妹紅は、自分の推理の結論を言った。

「あるんでしょ? ここに、死体が」
『……』

少女からの反論は無かった。それが、全ての答えだった。

「多分、気付いたのはあんただった。偶然、身を寄せた紫陽花の花の下に、その子の死体を見つけた。妖怪に喰い散らかされて雨ざらしになっていたその子を、あんたは哀れに思った。そして、生きている人間を探して埋葬を頼もうと考えた。他の幽霊たちの協力を募って、実に一年もの間探し続けた。それは正直に立派だと思うよ」
『……』
「そして、私はあんたたちの探していた人間だ。慧音がダメだって言うんなら、私がそれをやってあげる。悪い話じゃないでしょ?」

話し終えると、妹紅は少女の返答を待った。

『……』
『だ、だが、お前はあの妖怪と仲がいいんだろう? 妖怪とつるむような人間なんて、信用できるわけ無いだろ?』

しかし、答えたのは、少女の背後にいた青年だった。
妹紅は忘れもしなかった。彼が、慧音を傷つけるきっかけを作った張本人なのだから。

「あんたは……人の話を聞いてなかったみたいだね。あの時、寝てたんじゃないの?」
『な……』
「慧音が妖怪? ああ、そうさ。あいつはれっきとした半人半妖だよ。だけど、それがどうしたの? あいつは人間よりも人間のことを愛している。人間を助けたくってしょうがないやつなんだよ。あんたたちに話したはずだよ、自分は里の人間を守るために調査をしたと。それ以前に、人間の里の家に慧音がいる時点で、あんたたちは悟るべきだったんだ。慧音が普通の妖怪とは違うってことは、あの時、絶対に分かったはずなんだよ!」

妹紅は暴れだしそうな理性を懸命に止め、思いのたけを紡ぎだす。
ここは引くことは出来なかった。親友である慧音のためにも。

「あんたたちが慧音にしたことは、酷く慧音を傷付けた! 妖怪の血が入っているというだけで、慧音を色眼鏡で見たんだよ! 慧音の心を理解しようともせず、外見だけで判断をした! 完全な差別と偏見だ! そのことを……そして、慧音を人殺し呼ばわりしたその罪を、あんたたちは分かっているの!? 慧音は里の人間たちの信頼を勝ち取った! それから数百年もの間、そして今でも人間を守り続けている! 他の妖怪たちが目もくれない中で、あいつは一人っきりで人間を守っているんだ!」

妹紅は、内に溜めていたものを全て吐き出す。そして親友のために、幽霊たちに向かって言い放った。

「……ここは、あんたたちの世界とは違うんだ。私たちを、あんたたちの物差しで計られたんじゃ堪らない。私を罵倒するのはいくらでも構わないけど、慧音を罵倒するのだけは、絶対に許さない」

そこまで言って、妹紅は少女の方を改めて見た。

「ここまで聞いて、それでもまだ拒否するって言うんなら、私はもう知らない。他を当たって頂戴。だけど、幽霊に協力しようなんて人間はそうそういるもんじゃないからね、これが最後のチャンスだと思ったほうがいいよ。……さあ、どうするの?」

少女は俯いていた。何かを考え込むように、下を向いていた。

やがて、顔を上げたとき、少女は笑っていた。自嘲とも取れる、薄い笑い方だった。

『……私たちがこちらに来て、まず驚いたのは妖怪という存在がいるということでした。物の怪なんて御伽噺の中でしか会うことはなかった。あなたの言う通り、私たちの視点は少しずれていたようです。実際に妖怪を目の当たりにして、気が動転していたのだろうと思います』
「……」
『そして、それはあの子の遺体を見た時に決定的になった。妖怪は恐ろしい存在であるという植え付けられていたイメージをそのまま思い浮かべて定着させてしまった。その中に例外があるということを考えもせずに』

そう言うと、少女は半身になるように片足を引いた。
妹紅に道を開け、導くように。

『いままで申し訳ありませんでした。私はあなたを信じます。正直、私たちにはもうどうしようもない。あなたの力を借りるしかなかったんです。どうか……よろしくお願いします』
「……最初っからそういえば良かったんだよ」

そう皮肉っぽく言いながらも、妹紅は笑う。少女も、それにつられるように微笑んだ。

『……こちらです。ついて来て下さい』

少女は紫陽花畑の奥に歩いていく。
妹紅は気合を入れるかのように一つ息を吐くと、その後を追っていった。



紫陽花は不規則に生え、それは迷路のような道を作っていた。
少女は物をすり抜けられない妹紅に合わせ、その道を浮かんで進んでいた。

雨に塗れた藍色の紫陽花のがくは、月明かりを反射して踊るように光っている。夏に向かい、枯れ果てるまでのわずかな間に、生を謳歌しようと懸命に咲き誇っているかのように見えた。
いい所だと妹紅は思った。
これが片付いたら、慧音をつれて紫陽花を楽しみに来るのも悪くない。梅雨はもうすぐ終わりなのだから。

やがて、少女の前に少しだけ開けた広場が見えた。
紫陽花に囲まれた、円形の舞台のような小さな広場。少女は、その円の端に迷いなく近づいていった。

そこが、目的地だった。

「……」

そこで妹紅が目にしたのは、まずは、やはり紫陽花の花だった。
しかし、その紫陽花は他の花とは違っていた。
周りは夜闇のような藍色なのに、その一角の紫陽花は、血の色を思わせる真紅のがくに、わずかな薄白さを残していた。
まるで、そこだけ他の紫陽花とは切り離されたように見え、何故か妹紅は悲しく感じた。

妹紅は、その赤の紫陽花に近づいた。
少女はそこで膝を折ってしゃがみこんでいた。その紫陽花の根元を覗き込むように。

「……」

妹紅が次に目にしたものは、骨だった。
風化が激しく、元の原形は留めていないが、間違いなく、人間の骨だった。
妖怪に殺された女の子の遺骸。幽霊たちはこの骨のありかを伝えるために、幻想郷を彷徨ったのだ。

「……この子が、そうなの?」

妹紅が聞くと、少女は微かに頷いた。

『この子は、妖怪に攫われ、ここで命を落としました。腸を切り裂かれ、胆を食べられました。最初に喉を噛み付かれ、意識を失った後だったので、生きながら食べられることはなかったのは幸いでした。……でも、そんな幸運など、私にとってはあって無いも同じです』

そう言うと少女は立ち上がる。目は女の子の骨に向け、俯くようにしながら語り始めた。

『それから、この子は気の遠くなるような時間をここで過ごしていました。誰にも気付かれず、誰にも話しかけられずに、自分が生きた時間の何十倍も長い間、ここに打ち捨てられていました。お墓さえ作られることもなく、家族の下に帰ることも出来ず。それが……私には、あまりにも可哀想で……』
「……」

少女の声は、震えていた。この女の子のために流した涙は、一体どれほどのものなのだろう。
幽霊になっても他人の身を案じ、実に一年以上もこの子のために飛び回ったのだ。
そして、それはこの少女だけではない。少女に協力し、共に人探しを手伝った他の幽霊たち。
彼らも、この子を助けたかったのだ。慧音に辛い仕打ちをしたとはいえ、その心は賞するべきものだと妹紅は思った。

「……じゃあ、早く引っ張り出してあげないとね」
『え……?』

少女は俯いていた顔を上げ、妹紅の方を振り返った。

『気付いて、いたのですか?』
「もちろんだよ。さっきから、その紫陽花の裏にあんたたちとは違うモノを感じていたから。これで、全部分かったよ」

妹紅は少女の脇を通り、紫陽花の葉をかき分けて裏手に回った。
そこから先は、もう森だった。

「……私はてっきり、さっきの骨を埋めてほしいのだとばかり思っていたよ。だけど、違ったんだね」

一本の木の根元に、少女が一人うずくまっていた。
微動だにせず、膝を抱えながら生気の感じられない虚ろな目で地面を見つめていた。

『……はい。私たちが霊感の強い人間を探していたのは、単に私たちの姿を見てもらうためではなかったんです。“この子”を助けてほしかった』
「そういうことか……」

妖怪に殺された女の子は、自分が死んだことを信じることが出来ずにこの地に留まり、数百年の時の流れを一人で過ごしてきたのだった。

『気まぐれで、私がこの紫陽花畑に身を寄せなければ、この子はずっとこのままでした。成仏することも出来ず、輪廻することも出来ない。だから、私がやらなければならなかった。私が見捨てたら、また独りぼっちになってしまうんですから』
「……」
『私は何度もこの子に話しかけましたが、答えてくれることはなかった。長い間この地に縛られていたせいで、霊気が凝り固まって、私の声は微かにしか届かなかったんです。非力な私では、どうすることも出来ませんでした』
「……そんなことはないよ」

少女の無念そうな声を受け、妹紅は振り返って答えた。

「あんたは、自分にどうしようもないと分かって、他の幽霊たちに協力を求めた。そして、私を連れてきてくれた。それだけでも立派なもんだよ。普通のやつなら、どうしようもないって投げ出しちゃうからね。あんたは自分の精一杯のことをやった。それだけは、私でも間違いなく言える」
『……』
「だから、これからは私の仕事。頼まれた以上、きちんとやってみせるよ。あんたは心配しないで、そこで待っているといいさ」

妹紅は再び背を向けると、うずくまっていた少女の方に近付いていった。

『……』

妹紅が目の前に立っても、少女は身動き一つしない。
そんな少女の前で妹紅は座り込んで、尻のポケットを探り出した。
取り出したのは、なにも書かれていない白紙の札だった。

『な、何をするんです?』
「長いこと生きていると、いろんなことを覚えてね。憑依のお札なんて作れるようになるんだよ」

妹紅は、自分の人差し指を口に咥え、歯で指の腹を薄く裂いた。
血が十分滴っているところを見計らい、札に塗りつけるように複雑な模様を描いていった。

「地縛霊っていうのは、駄々をこねた子供みたいなもんなんだよ。自分は死んでない、自分は死んでない、っていう強い気持ちがその地にこびりついて離れなくなってしまう。だから、そいつを成仏させてやるには、こんな所にいても良いことがないよって言ってやればいい。自分から出てこようと思わないと、絶対に成仏なんか出来ないからね」
『……』
「成仏は、終わりじゃなくて始まりなんだ。閻魔様に裁かれた後にどこに行くかは分からないけど、新しい自分を始めるためには必要なことなんだよ。この子は、その足を止めてしまっている。だから、私の中にこの子を入れて説教してやる。ここで腐っていても、なにも変わらないんだってことを教えてやるんだよ」

やがて、妹紅は札を完成させる。
それを自分の額に貼り、少女の方に右の手のひらをかざした。

「いつ帰って来られるかは分からないけど、気長に待ってて。ああ、ご飯とかの心配はいらないから、ここで待ってるだけでいいよ」

そう言って、妹紅は不敵に笑う。

「なんてったって、私は“死なない”からね」

最後に言い残し、妹紅は少女の肩を掴んだ。
その瞬間、少女の体は煙のように収束し、札の中に吸い込まれた。

妹紅は、その場に倒れこむ。
心配そうな顔をした幽霊の少女だけが、その場に取り残されていた。







瞼を開けても、瞳は黒しか映さなかった。
完全な闇の世界。月の光も通さないそこは牢獄に似ていた。

妹紅は、手のひらに炎を灯す。自分の肢体が浮かび上がり、着ている服を照らし出した。
辺りを見回す。こんなにも広い空間に放り込まれるとは思わなかった。ここに居座っていると思われる女の子は、よっぽど外に出たくないのだろう。

この状態で探すのは骨が折れるが、妹紅は鼻からそんなめんどくさいことは考えていなかった。
なにより、こんなところでウジウジしているやつのことを考えると、どうしても腹が立ったから。

大きく息を吸い込んで、時間をかけて吐く。
意識を背中に集中する。
チリチリと背中に火花が奔り、小さな炎が渦巻いた。

「……ふっ!!」

溜め込んだ空気を吐き出すと同時に、妹紅の背中から巨大な火柱が上がった。
それは、やがて二つに分かれ、二枚の翼を形成した。
周囲に炎の熱が立ち込め、闇を切り裂く光となった。

「……」

その状態のまま、妹紅は探す。
きっと、こっちを見ている。いや、妹紅がここに降り立った時点で気付いているはずだった。ここは、あの子の心の中のようなものなのだから。

妹紅を中心として、炎の光が揺らめきながら放射状に広がっている。
その中の一点から、長い影が伸びている場所を見つけた。
妹紅はそれを認めると、そちらの方に足を向ける。少しずつ、翼を縮小させながら。

近付くにつれて、その姿がはっきりしてきた。
膝を抱えて、ぽかん、とこちらを見つめている。
外にいる幽霊の少女と同じくらいの、黒い短髪の少女だった。

妹紅はその少女に手が届くくらいまで近寄ると、かがんで目線を合わせた。

「や、こんばんは」

いまや背中に隠れそうになるくらいまで小さくなった翼を広げ、少女の顔を照らしながら挨拶する。
少女は、まだ目の前にいる妹紅のことが信じられない様子だった。

『あ、あなたは、誰?』
「誰って、そうだねぇ……あんたを連れ戻しに来た火の鳥、ってことにしておいて」

妹紅はおどけるようにしながら白い歯を見せる。
そして、完全に羽を畳み、右手に炎を灯してその場に座り込んだ。

『つ、連れ戻しに来た……?』
「そう。あんたがここから離れようとしないもんだからさ。見かねた私が話をつけに来たんだよ」
『……』

妹紅が目的を伝えると、少女は表情を曇らせて下を向いた。

『私は……ここを出たくありません。あんな思いをするくらいなら、ここでじっとしている方がましです』
「……あんな思いっていうのは、妖怪に喰われたこと?」
『っ……そうです! もう二度とあんな恐ろしい目に遭いたくない! 訳も分からないうちに連れ去られて、組み伏せられて、服を剥ぎ取られて! 喉が潰れそうになるくらい叫んでも誰も助けに来てくれないんです!』
「……」
『あなたに分かりますか? 首を噛み付かれて、口から溢れた血が目を覆って、目の前が真っ赤になる気持ち。どうしようもなく寒くなって、意識がどんどん遠のく気持ち。そして気が付いたら、内臓を撒き散らして形を留めていないくらいに喰い散らかされた自分の死体を見下ろす気持ち!』
「……」
『外に出たら、また同じ目に遭うかもしれない! きっと、外には妖怪たちが襲うために待ち伏せているに違いないんです! そんなところに、あなたは出て来いっていうんですか……! あんな痛くて気が狂いそうになる思いをするくらいなら、私はずっとここにいます! 怖いんです! ただどうしようもないくらい怖い! 嫌……嫌だよぅ……!』

ひとしきり感情を爆発させると、少女は手のひらで顔を覆ってすすり泣いた。

「……」

妹紅は安易に聞いてしまったことを悔やむ。
妖怪に喰われた出来事が、この少女にとって、どうしようもない心的外傷になっていることに気付くべきだった。そして、それが自分には出来ることも分かっていた。

「ごめんね……辛いこと思い出させて」

素直に謝罪の言葉が出た。
少女はそれを聞き、覆っていた手の間から妹紅の顔を見る。そして、自然に口をついた。

『な、なんで……?』
「? どうしたの?」
『なんで……あなたが泣いてるんですか……?』
「へ?」

いま気づいたという風に、妹紅は自分の頬に手をやる。

「あ、あはは。ご、ごめんね。なんだか、ちょっと悲しくなっちゃってさ」

誤魔化すように、妹紅は頬を伝っていた涙を二の腕で涙を拭いた。

『……』

少女はしゃくりあげながら、その様子を見つめていた。
妹紅はなかなか涙を止めることが出来なかった。
服が肌に張り付くくらいまで苦労して、ようやく涙は止まった。

『だ、大丈夫ですか? すみません、取り乱してしまって……』
「ううん、あんたのせいじゃないよ。…………実はさ、私ね、あんたにそっくりなやつを知ってるんだよ。あんたを見てたら、そいつのことを思い出しちゃってね」
『私、に?』
「うん。境遇は違うけど、あんたと似た人生を送ってきたやつなんだ」

妹紅は少し上向き加減に中空を見つめる。息を整え、ゆっくりと話し始めた。

「……そいつもね、あんたみたいに突然幸せを奪われた。とはいえ、あんたとは逆なんだけどね。ずぅっと昔に、変な薬を飲んで妖怪みたいな体に変わっちゃったんだ。それで気味悪がられて住んでいたところを追われ、誰にも頼らずに身一つで生きていかざるを得なくなった」
『……』
「さっき、あんたも言ってたけど、こんな気持ちは分かるかな? 身を偽って里に潜り込んでも長く留まることは出来ない不安な気持ち。人にバケモノ扱いされて石を投げられる気持ち。親しかった人間に急に余所余所しくされる気持ち。奇異と恐れの視線を浴びる気持ち。そして、人間のいない山奥で、たった一人で生きていかなければならなくなった気持ち。そいつは何百年以上もの間、そんな生活を送ってきたんだ。あんたよりもよっぽど年季の入った引きこもりだったんだよ」
『……』

冗談のつもりだったのか、妹紅は笑った。しかし、あまりにも痛々しい笑いに、少女はつられることすら出来なかった。

「そいつは人間と交わることは出来なかった。交わっても、結局自分の秘密がばれて、またバケモノ扱いされて、心に傷を作るだけだから。妖怪だから簡単に死ねず、いつ来るとも知れない終わりの時まで一人で生きていかなければならなかった」
『……』
「でもね……あんたは違う。確かに、今回あんたは不幸で死んだ。でも、まだ道は続いているんだ。その先には、見たこともないような幸せがあるかもしれない。それは、ここにいたんじゃ手に入らない。自分の足で立って、前に歩かなきゃいけないんだよ」

少女は下を向いた。妹紅の言葉の意味を噛み締めているようだった。
少女はすでに分かっていた。妹紅に言われるまでもなく、ここにいても、ただ時間だけが過ぎていくだけだと。
決して傷つくことはない。だが、生きている間に味わった、生の楽しさや美しさは絶対に享受されることはない。

家族との団欒。友達との会話。誕生日の贈り物。
蛍狩り。夏の夕焼け。かまくら作り。
花輪作り。水遊び。落ち葉焚き。
収穫祭。紅葉狩り。満天の星空。

少女の頭に数々の思い出が追想される。
ここから這い出て輪廻さえすれば、再び生きているという充実感が得られるのだ。

『わ、私……私は……』
「まだ、怖い……?」

妹紅の言葉に、頭を抱えた少女は微かに頷く。
妖怪に刻まれた恐怖の記憶は、未だに少女の足を踏み止めてしまっていた。

「そう……。じゃあ、私はここで待つよ」
『え……?』

妹紅の言葉の意味が分からず、少女は聞き返す。

『どういう、ことですか?』
「あんたの決心がつくまで、私はここにいるってこと。外に出られる勇気が出来たら、一緒にここを出よう」
『そ、そんな! だ、第一あなたは生きているじゃないですか! こんな食べる物もないようなところに、ずっといられるわけないでしょう!』

さすがに妹紅がそんなことを言い出すとは思わなかったので、少女は驚きを隠せない。
だが、妹紅はそんな少女の狼狽など全く意に介さない。

「大丈夫。私は火の鳥だよ? 火の鳥は絶対に死なない。灰の中からだって蘇る。だから、あんたの気が済むまで付き合ってあげる。そして、外の世界がいかに素晴らしいかを散々話して、必ずあんたを外に行きたいって気にさせてみせるよ。それまで、絶対に諦めないからね」
『なんで……? なんで、そこまでしてくれるんですか……? あなたは私と初めて会ったはずです。そんな見ず知らずの他人に、何故……!?』

目の前にいる人はなんなのだ? そんな文句に頭の中をぐるぐる回される。
自分の許容量を超える不可解さに、少女は疑問符を浮かべることしか出来なかった。
妹紅は訳が分からないといった少女に、優しく微笑んだ。

「……そういう馬鹿なやつをね、私は一人知ってるんだよ」
『え……?』
「そいつは何百年もかけて、私を外に連れ出そうとしてくれた。ずーーーっと引き篭もっていた私を連れ出そうとしてくれた。自分のことなんて二の次、三の次で。毎日私の家に訪ねてきて、夕食を一緒に食べよう、一緒に寝ようって言ってくれた。私もつい楽しくなっちゃってね、そいつが来るのが楽しみになっている自分に気付いた」
『……』
「でも……私は本当につい最近まで、あいつの苦労を全く知ろうともしなかった。あいつが、優し過ぎたから。私はあいつの優しさに甘えて、外に出る勇気を忘れかけていた。あいつがそばにいれば、それでいいと思い込んでた」

妹紅は視線を外し、自嘲するように笑った。

「でも、違った。私は、あいつにとって重荷でしかなかったんだ。親友、なんて言葉は口が裂けても使っちゃいけなかった。あいつは、私と同じ痛みを受け続けて、そして受け入れて、それでも前に進んでいる。私のように、痛がるのを怖がって引っ込んでいるような臆病者じゃなかった。そのことに、ようやく気付いた。あいつと肩を並べて笑いあうためには、私も前に進まなきゃならないんだって。私は、今日からその一歩目を踏み出す。何百年も待たせてしまったけれど、いつかその背中に追いつける日まで頑張ろうって決めたんだ」

そう言って、妹紅は顔を上げた。

「あんたにも、そんな風に手を引っ張ってくれる人がいるんだよ?」
『えっ……?』
「聞いたことがあるでしょ? あんたに一年もの間、声をかけ続けてくれた人の声を。結局、あんたはその声に応えることはなかったけれど、あの子はきっと、あんたがここから出てくるまでずっと声をかけ続けるよ。夏の暑い日も、冬の厳しい寒さの中でも。雨の日も風の日も。何回季節が巡ったって、あの子はずっとあんたを呼び続ける。そういう馬鹿なやつだからね」
『……』
「あの子だけじゃない。あの子に協力してくれたたくさんの人たちもついている。自分が輪廻をするのを先送りにして、あんたがここから這い出て、新しい人生を送ることを待ち望んでいる。あんたは、その人たちの心を分かってやらなきゃ。私みたいに……あんまり待たせるもんじゃないからね」
『うっ、ううっ…………うわああぁぁ…………』

少女は涙を流した。
それは、一体何に対してだったのか、妹紅には分からない。
ただ、この涙を流し尽くした後には、きっと前を向く勇気が出てくるだろう。それは確信に近かった。
妹紅は少女の肩を抱いてやる。思いっきり泣けばいい。泣いた後からが、新しい自分の始まりなのだから。

少女の嗚咽は、妹紅の涙も引き連れてきた。
ゆっくりと頬を流れ落ちる。
妹紅にとっても、これが古い自分に別れを告げる最後の涙だった。



黒い闇が晴れていく。
分厚い壁が剥がれ落ちるように、淡い光が二人を照らし始めた。














小鳥の囀りが、耳に心地よく届いていた。

「ん……」

うっすらと目を開けると、木の葉に歪に切り取られた青い空が見えた。
夜の気配はとうになく、朝の清涼な空気が森を包み込んでいた。

「あれ……」

妹紅は自分が横たわっているのに気付いた。
あの後、どうやってあそこを出たのか記憶が無い。
泣き疲れて眠ってしまったのだろうかとも考えたが、そこまで疲れていなかったとも思う。

「……気が付いたか?」
「へ?」

突如、頭上から聞こえた声に、妹紅はそちらの方に目を遣った。
そこにいたのは、口を真一文字に結んで難しそうな顔をしている、いつもの慧音の顔が逆さまに映っていた。

「慧音……どうして……?」
「……」

妹紅は、ここに慧音がいることに疑問を持った。ここは里の水車の家ではない。
ならば、なぜ慧音がこの森にいて、妹紅の顔を見下ろしているのか。

すると、慧音は目を閉じて、さらに難しそうな顔をした。
そして、すっ、と右腕を上げて、妹紅の右の頬っぺたに触れると、力の限り思いっきりつねりあげた。

「あだだだだだだだだだだっ!!」

慧音の手を振り払うように飛び起きる。
そして、頬をさすりながら、慧音の方を恨みがましい目で振り返った。

「目が覚めたか、馬鹿者」
「いったぁ〜〜〜! な、なにすんのさっ!」

慧音はそんな妹紅の非難に怯むことなく、逆に顔をキッと睨み据えた。

「妹紅。お前の昨夜の行動を言ってみろ。私が風呂に入っている間にやったことだ」
「え? 昨夜?」

考えるまでもなかった。慧音に変わって、幽霊たちの頼みを聞きにここまで飛んできたのだ。

「えぇと、ここに例の幽霊たちがいるって気付いたから、自分が解決しようと思ってここに……」
「それをする前に一言くらい書き残して行け! 鶏が鳴いても帰ってこないから、何かあったのかと思って、お前の家に探しに行ってもいないし、ここに辿り着いたら着いたで寝ているし……! 余計な心配をかけさせるな!」
「あ……」

慧音の泣きそうな顔を見て、妹紅は自分の失態に気付いた。
しかし、今回ばかりは慧音には知らせることは出来なかった。慧音の手を借りず、自分一人で解決したかったから。

「えと、その……」

どうやってそれを伝えようか、頭の中でまとめようとするが、却ってややこしくなっていく。
慧音は変わらず妹紅を睨んだままだ。

「…………ごめん」

だから、妹紅はとりあえず謝った。どんな理由があったにせよ、慧音に心配をかけたのは事実だから。

「……はあ」

慧音は呆れたように溜め息をついて、そして仕様がなさそうに笑った。

「……もういい。お前の健闘に免じて、許してやるとしよう」
「え?」

慧音は後ろを振り返る。
そこにいたのは、可笑しそうに、嬉しそうに微笑んでいる幽霊たちを統率していた少女と、少しだけ恥ずかしそうにこちらを見ている、妹紅が闇の中から連れ出した短髪の少女だった。

「彼女たちが私をここに連れてきてくれた。昨夜のことの謝罪も、その時にされたよ」
「ああ……そうだったの」

幽霊の少女たちはこちらに歩み寄り、そして、統率者の少女が一礼した。

『本当に……なんとお礼を言っていいのか……』
「気にしないでよ、私が勝手にやったことだし。これでやっと成仏できるね。あんたも若いまま死んだんだから、次はもっと長生きしなきゃダメだよ」

妹紅がそう言うと、少女は微笑んで頷いた。少女が見せた中で、最も綺麗で華やかな笑顔だった。
そして、妹紅は隣にいた短髪の少女を見る。

「……もう大丈夫?」
『……はい。あなたの言ったことは本当でした。たくさんの人たちが、私が出てくるのを待っていてくれた。我が事のように喜んでくれた。もう怖くありません。あなたが言った、新しい道を探しに行きます』
「……そう……良かった」

妹紅は満ち足りた顔で笑う。初めて見た少女の顔を覆っていた影は、今は微塵も感じられなかった。

「……さあ、他の人達を待たせるのも悪い。そろそろ行った方がいい」

慧音が促すと二人は頷く。
手を繋いだままゆっくりと宙を浮き、梅雨の晴れ間の空に向かう。
その先には、二人の到着を待つたくさんの幽霊たち。
遠くて顔は見えなかったが、きっと笑みが貼りついているのだろうと思った。

途中で少女たちは振り返り、慧音と妹紅に大きく手を振った。
それは、鳥が翼を広げて羽ばたくように美しかった。



幽霊たちが見えなくなるまで手を振っていた二人は、しばらく何も言わずに空を見上げていた。

「……あの子たちから、お前宛てに預かり物だ」
「え?」

慧音は懐の中から、一枚の布を取り出す。幽霊たちが置いていった紫陽花が包まれていた布だった。
慧音は、その布を慎重に広げる。
中から現れたのは、やはり、あの小さな紫陽花の花だった。

「あの子たちが摘んでいった。身の無い体で、苦労しながらな」
「……」

その紫陽花は、紅かった。
少女が横たわる上に咲いていた、血のように紅い紫陽花。
それが、布の上で可憐に咲いていた。互いに身を寄せ合って、一つの花になるように。

「……」

妹紅は布を受け取り、大事な物を包み込むように両手を添えた。
視線を落とし、小さな花の山をじっと見つめる。
それは、新しい宝物に見入る少女のようだった。

「あの子たち……幸せになれるといいね」
「ああ、そうだな」
「……よしっ」

花を布に再び包み込んで、妹紅はすっくと立ち上がる。

「じゃあ、行こっか。水車の家の掃除をしないとね」

慧音は頷き、西に顔を向けて宙を浮く。
妹紅も翼を広げ、地を蹴ってその後に続いた。

「あ、そうだ!」

突然、妹紅が何かを思いついたように声を上げたので、慧音はそちらの方を振り返った。

「どうした?」
「えっとさ……もし、慧音が良かったらさ……連れてってくれる?」
「? 何にだ?」

妹紅は、自分のやや上を飛ぶ慧音を上目遣いで見る。
しばらくためらった後、妹紅は意を決したように口を開いた。

「その…………夏祭りに」

慧音は驚いたような表情を浮かべる。だが、ほんの一瞬だった。
妹紅に優しく微笑みかけ、そして当然のように答えを返した。

「……ああ、もちろんだ」

朝日が二人の背中を照らし出す。
長い梅雨は、きっと今日で終わるだろうと、慧音は空を仰ぎながら思った。

















































◇ ◇ ◇







山の稜線に日が沈み、空が群青に染まりだす。

里を見渡せる小高い丘は、里の中で最も太陽を望む時間が多い。
一日中、日を浴びた丘は、繁茂する緑の匂いに満たされていた。

その草原の真ん中に、一人の少女が座っていた。
後ろに両手をつき、両足を前に投げ出して、一番星を探すかのように西の空を見上げている。
昼の暑さを薙ぐように風が丘を吹き抜けて、白に赤が混じったリボンがつけられた銀の髪をたなびかせた。

少女の目の前には、何かの碑のような直方体の大きな石が鎮座している。
その周りには、青々とした葉を茂らせる低木。
花は、とうに散ってしまった。今年の梅雨は、とりわけそれを惜しむかのように、実にゆっくりと上がっていった。

本格的な夏が、すぐそこまでやって来ている。
今年はとても暑くなるだろう。少女は理由もなく、そう感じた。

少女がぼんやりと空を眺めていると、草を踏みながらこちらに歩いてくるサクサクという音が背後に近付いてきた。

「やはり、ここにいたか」

背中に声がかけられる。少女は振り返ることなく、それに答えた。

「……うん。久しぶりに、お墓参りをね」

声をかけた長い銀の髪をした少女は、歩みを止めずにリボンの少女の隣に立つ。藍色のスカートが、風になびいた。

「ここはいい所だな。空が近い。里の美しい風景も見渡せる。ここに墓を造ろうと言った、お前の意図がやっと分かった」
「そうでしょ。あんな人の来ないところに一人ぼっちじゃかわいそうだしね」

藍の服の少女は頷いた後、墓に歩み寄って何も刻まれていない墓石を撫でる。
どうせ造るなら名を聞いておけばよかったと、いまさらながらに後悔した。

「……そう言えばな、最近知り合った三途の船頭死神が言うには……」

話題が変わったので、リボンの少女は顔をそちらの方に向ける。

「生前、強い絆で結ばれた者たちは、輪廻をしても近しい存在として生まれ変わることがあるのだそうだ。例えば、親しい友だった者たちが、兄弟、親子といった関係になる。例は少なく、かなり稀らしいが、そういうことは確実にあるらしい。強い絆のなせる業、とでも言うのか、結びつきが強ければ強いほど、確率は上がるのかもしれないな」
「……」
「あの子たち、いや、あの幽霊たちは死後に知り合った者たちだが、下手な友人、知り合いよりもよほど結束が固かった。だから、もしかしたら来世では何かしらの縁が出来るのかもしれない。もちろん絶対ではないが、なんとなく、その話を聞いてからは、私はそれを願うようになった」
「……そうだね。きっと、また会えるよ」

リボンの少女の声は柔らかかった。そのような希望のある話は、今の彼女にとって、とても心地の良い響きを含んでいた。

「私も思い出したよ」
「ん?」

今度はリボンの少女が声をかけ、藍の服の少女の顔がそちらに向く。

「あれから紫陽花のことを調べてみたらね、紫陽花の花言葉って、すごく思いやりのある言葉が多いの。だから、紫陽花にとり憑いていた幽霊って、生きてた頃は思いやりのある人たちだったと思うんだ。あの人たちが、あの娘を助けたがった強い気持ちも、今なら分かる気がする」
「……そうか」

相槌を打ち、藍の服の少女は里の方を振り返る。里の中心の広場に人間たちが集まっている様子が見えた。

「ならば、あの者たちが出会ったのは必然だったのだろう。そして、私たちに会ったのもな。あの子を救うために、幽霊たちは決して心を折らなかった。その結果が、お前という存在に繋がったのだろう」

その通りだとリボンの少女は思った。
幽霊たちはあの子を助けたい一心で、一年間もの間、幻想郷を飛び回った。
途中で諦めたり、投げ出したりしたら、この結果は得られなかったはずだった。

少女は立ち上がり、墓の前でしゃがみこんだ。
盛られた土の下には、あの少女が眠っている。
盆になったら、再びここを訪れるだろう。そして、彼女が生き続ける限り、この墓は守られるに違いない。
少女にとって、大切なものに気付いた時を刻んだ記念碑でもあったから。

「……そろそろ始まるな」

女性は耳は、風に乗って聞こえてくる太鼓の音を捉えた。
秋の豊作を願う、ささやかだが大切な祭。
広場には、すでに多くの者が集っている。やぐらに火が点るのを、今か今かと待っていた。

「……行こうか」

藍の服の少女が手を差し伸べる。
リボンの少女はそれを取って立ち上がる。

そして、里に続く下り坂を、寄り添うように歩いていった。



〜 終 〜



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